このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
撮影地 | 王滝本線崩沢付近 | |||
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この日は暑い一日で、大鹿から大汗をかきながら松原の近くまで歩きました。その途中、崩沢付近で捕らえたみやま号です。このあたりは軌道が山の北側にあり光線がまともにあたる場所が少なかったようでした。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月8日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | 上松停車場構内 | |||
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撮影の最終日、大鹿からみやま号に添乗した私たちは16時頃に上松に到着しました。仕業を終えた機関車はすぐに燃料の補給をこない、明日の仕業に備えました。その後17時過ぎの835Mに飛び乗り塩尻へと向かったのでした。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月9日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | うぐい川線大鹿〜黒淵間 | |||
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当時は、大鹿・氷が瀬までは道が通っており、空車運材を狙うために大鹿にオートバイを置いてうぐい川線を歩きました。黒淵停車場の少し手前、通称砂利沢呼ばれる地点で待ち受けました。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月28日 | 撮影者 | 長尾 年恭 |
撮影地 | 王滝本線大鹿停車場 | |||
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この日は、コネを使って助六までモーターカーに添乗させてもらう事になっていました。車で大鹿に到着した我々は、構内に佇んでいる132号機を発見しました。何枚かスナップした後で、背後に写っているモーターカーNo5の車中の人になったのでした。 | ||||
撮影日 | 昭和51年8月5日 | 撮影者 | 長尾 年恭 |
撮影地 | うぐい川線黒淵〜坊主岩間 | |||
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この日は、大鹿から徒歩で助六に向かいました。黒淵の先で軌道はうぐい川の右岸から左岸に渡り、渡ったすぐ先に小さな集材所がありました。この時は作業らしいことはしていませんでしたが、次に行った時は2台の集材機を使って盛んに積み込み作業をしていました。地元の人が本谷の所と呼んでいた所です。 | ||||
撮影日 | 昭和51年8月6日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | うぐい川線黒淵停車場 | |||
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うぐい川線の黒淵停車場で休憩をとり、小俣線の鉄橋で遊んでいたら遠くからタイフォンが聞こえてきました。慌てて戻ってくる途中で列車は通過して行きました。これは、慌ててシャッターを切った一枚です。 | ||||
撮影日 | 昭和51年9月7日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | 上松停車場構内 | |||
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この日は新宿を朝4時にオートバイ2台で出発しました。当時、中央高速は大月までしか開通していなかったので、200Km近く一般道をひた走りました。途中で雨に降られ下着までずぶ濡れになりながら7時間かけて、やっと上松に到着したのでした。天気も回復し、上松の土場で待っていたのは「編成」のヘッドマークをつけた84号機でした。この機関車を自分たちが所有するなんて、夢にも思いませんでした。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月27日 | 撮影者 | 長尾 年恭 |
撮影地 | 王滝本線田島停車場 | |||
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営林署の氷が瀬宿泊所に泊まっていた我々は、大鹿で助六への入山を試みましたが現場の職員に拒否されてしまいました。そこで、助六までの入林許可を得るために田島停車場まで戻り、王滝営林署の管理課を訪ねました。その途中で出会ったのが滝越へ戻る支度を済ませたやまばと号でした。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月29日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | うぐい川線大鹿付近 | |||
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モーターカーで助六から大鹿に戻った我々は、大鹿渕の橋梁上で運材列車を迎えました。車両達は思ったより背が低く、潅木の陰になってしまい大失敗でした。 | ||||
撮影日 | 昭和51年8月5日 | 撮影者 | 長尾 年恭 |
撮影地 | 赤沢自然休養林丸山渡 | |||
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レストアの完成を祝って、元上松運輸営林署の運輸主任であった森下定一氏をはじめ、多くの関係者を招いて試運転会を行った。故巾富貴人氏を中心として、前年にレストアされた64号モーターカーとの共演となった。 | ||||
撮影日 | 平成9年6月2日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | 赤沢自然休養林呑々淵 | |||
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この時は、家族サービスを兼ねての上高地と木曽路の旅だった。偶然、王滝村の村民運動会の日程に重なり、子供は飛び入り参加もさせてもらった。その後、崩越から春山林道を抜けて赤沢へ向かった。このルートだと田島から焼笹を経由して赤沢まで30分程で到着できるのをご存知だろうか? | ||||
撮影日 | 平成9年10月10日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | 王滝本線氷ヶ瀬付近new ! | |||
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この日は、営林署の氷が瀬の宿泊所を出て、日向渕まで向かう予定でした。ダイヤを確認するともうすぐ客レが下りてくるとの事だったので、慌ててトンネルの脇の吊橋でカメラを構えました。水の美しさが気に入ってしまい、そのまま2〜3列車撮りつづけた記憶があります。 (西裕之著:木曾谷の森林鉄道に掲載した作品です。) | ||||
撮影日 | 昭和49年8月9日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | うぐい川線大鹿〜黒淵間new ! | |||
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この日は、相棒とうぐい川線の黒淵停車場の少し手前の砂利沢まで行き、空車運材を待ちました。同じアングルでは面白くないので、私は擦り傷だらけになりながら、ガレ地の沢をよじ登って撮ったのが、このカットです。 | ||||
撮影日 | 昭和49年8月28日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | うぐい川線大鹿付近new ! | |||
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運材列車を編成ごときれいに写し撮れる場所は案外少ないものです。この日も散々歩き回った末に、タイフォンの音が聞こえてきてしまったので、慌てて三脚を立て列車を迎えました。カメラをセットしたと思ったらすぐに来てしまい、間一髪でした。 (西裕之著:木曾谷の森林鉄道に掲載した作品です。) | ||||
撮影日 | 昭和51年9月7日 | 撮影者 | 高橋 滋 |
撮影地 | 赤沢自然休養林呑々淵new ! | |||
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この年の7月28日、トムソーヤークラブの開村式に合わせて北陸重機製の新車AFT−01の落成式が行われた。当初はブレーキ弁のポートに不具合があるなどのトラブルもあったが、それ以降は86,93,131号機の登場の機会がなくなった。赤沢の動態機では唯一の6気筒エンジン機で、トルコン車となった。 | ||||
撮影日 | 平成8年8月20日 | 撮影者 | 山廣 康夫 |
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