このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


隣の保存活動


ここでは、私達と交流のある保存グループの話題を取り上げます。



遠山森林鉄道の遺構が2017年度の林業遺産に選定されました!

 王滝森林鉄道と同じ長野営林局管内で機関車番号も共通で管理されていた遠山森林鉄道は、隣の森林鉄道であるにもかかわらず、山を二つも隔てており遠い存在です。その遠山森林鉄道の遺構が社団法人 「日本森林学会」 から2017年度の林業遺産(No.28)に選定されました。遠山郷木沢地区で森林鉄道の復元を行っている「夢をつなごう森林鉄道の会」の方々も、その努力が報われさぞかし喜んでおられることでしょう!

 遠山森林鉄道は、本州では最後まで残った森林鉄道の一つで、民間に委託されながら昭和48年まで運行を行っていました。廃止から既に半世紀近くが経過していますが、地元住民主導で保存活動が行われている事も評価されたようです。認定対象は以下の通りです。

【資料群、道具類】
 遠山軌道平面図、本谷線平面図、旧木沢小学校「林鉄資料館」保管資料・道具類
【搬出関連】
 機関車(79号、96号)および貨車、客車、梨元—北又渡の森林鉄道線路跡および隧道、橋梁

 詳細は日本森林学会の 林業遺産選定ページ をご覧ください。「夢をつなごう遠山森林鉄道」の ブログフェィスブック も覗いてみて下さい。

 左の写真はエンジンをKE−21からDA220に換装作業中の96号機(2012年5月撮影)、右の写真は換装後に梨本に搬入された96号機(2012年9月撮影)です。

2018年 5月30日 追記



世界で一番新しい蒸気機関車!

 いつも多方面でご教示いただいている 羅須地人鉄道協会 では、上野(こうずけ)鉄道の亀の子(HKポーター社製サドルタンク機関車)をモデルにした蒸気機関車を新製し、過日(2018年5月20日)お披露目(報道発表)しました。

 2フィート軌間に合わせて約75%にデフォルメしているそうですが、現車の雰囲気を良く再現したかわいい機関車で7号機と命名されました。現代の技術を生かしたコストダウン設計と灯油バーナー焚きが主な特徴で、動輪径380mm、ホイールベースが900mm、シリンダー直径×行程は110mm×160mm、運転整備重量が約2tとの事です。

 お披露目では設計者自らの苦労話が語られ、招待客を乗せた記念列車が勢いよく白い湯気を吐きながらまきば線を3周ほど走行しました。

2018年 5月22日 追記



屋久島の運材、今シーズンも無事に終了!

 世界遺産に登録され、新たな伐採が行われなくなった屋久島。毎年のように 安房森林軌道 による運材は今年が最後? と噂されていますが、今シーズンも運材が行われ、無事に作業を終了しました。

 この10年程は石塚線のヘリポートから少し奥に入った土場からの運材でしたが、 編集長敬白 でも報じられたように昨年7月の台風4号による土砂崩れで石塚線の軌道が流失してしまい、このまま軌道による運材は終結してしまうのではないかと噂されていました。ところが昨年12月に突然現地から連絡が入り、小杉谷線の元小杉谷山荘付近から分岐線(作業軌道)を北向きに約80m敷設し運材を行うとの情報が飛び込んできました。しかも、作業軌道の終点付近は勾配がきつく、集材機のワイヤーで空車を引き上げる一種のインクラインになっていると言うのです! いてもたってもいられず、すぐに屋久島行きを決意しました。

 情報では今シーズンの集材量は200立米程度との事で、3両の運材台車が1日2往復すると、たったの10日間で運材が終わってしまう分量です。しかも、早ければ翌週にも作業軌道の敷設が完了し運材が始まりそうな気配でした。タイミングを少しでも逃すと運材を見ることが出来ません。一方、格安の航空券は予約の変更が出来ず、タイミングを誤ると航空券が無駄になってしまうので、見極めが非常に難しいのです。結果的に、天候や従業員の研修によって現地の作業は大幅にずれ込み、1月20日から22日にかけての3日間の訪島となりました。

 現地は木が生い茂って多少見通しの悪い面もありましたが、すばらしいロケーションで、作業軌道は全て丸太を敷いた上に仮設されていました。この土場は20年程前、今の(有)愛林ではなく(株)武田産業が作業を請け負っていた時代に使っていた土場と同じ場所でした。酒井助六氏のHP 「異端なる鉄道と音楽」 に掲載の 初めての訪問時3回目の訪問時 に同じ場所での写真が掲載されています。(下のモノクロ写真は酒井助六氏のHPより引用させていただきました。)


  酒井工作所 製C17型5t機関車は、昨年の春から夏にかけて フルレストアに近い修繕 を受けて美しい姿に生まれ変わっていました。シーナリー的には本線の4号橋梁〜6号橋梁は木橋だった筈なのですが、5号木橋は一昨年、4・6号木橋は昨年架け替えられてしまったそうです。木橋を渡る運材が見られなかったのは残念でした。

 今年度の運材は1月14日〜2月4日までの21日間でした。天候や社員研修、そして運材台車が壊れて修繕を行ったため運休が7日間あったので、運材作業が行われたのは14日間でした。また、この僅かなチャンスに屋久島を訪れることが出来た 幸運なファン は12〜3人だったそうです。運材量は、1往復しか走らなかった日も4日ほどあったので、実質12〜3日分の二百数十立米だったと思われます。


 幸いにして今シーズンは運材を見ることが出来ましたが、軌道周辺の 土埋木 が底をついてきていると言われており、軌道とは離れた場所に新たなヘリポートを作り、そこまではヘリ集材、そこからはトラック運材にする計画もあるようです。

 機関車は昨年の夏までに フルレストアに近い修繕 を受けたばかりでしたが、昨年の12月にはクラッチにトラブルが発生し再修繕を受けていました。更に、今年の4月になって変速機のメインドライブシャフトが折損するという致命的なトラブルが発生したとの情報も入ってきており、資源だけでなく機関車の存亡さえも危機的な状況になってしまいました。日本最後の生きた森林鉄道である安房森林軌道は、この先何年活躍し続けることが出来るのでしょうか? 心配でなりません。

2008年 5月 9日 追記



よみがえれ、八ヶ岳森林軌道

 高原に広がる 原村ペンションビレッジ で有名な 長野県諏訪郡原村 に森林軌道が走っていたのをご存知ですか? 中央本線富士見駅から原村を経由して茅野市郊外に位置する 美濃戸国有林 までの約20kmの森林軌道でした。昭和15年の竣工(着工は昭和14年)から昭和22年の廃止までの約8年しか供用されず、国土地理院の地図にも記されなかった事から、この軌道に関する資料は非常に少なく、赤沢自然休養林の 森林鉄道記念館 に掲示されている地図がこの軌道の存在を知る唯一の手がかりでした。

 この軌道の正式名称は「帝室林野局木曽支局諏訪出張所」の「八ヶ岳伐木事業所富士見作業軌道」です。諏訪出張所は晩年の長野営林局諏訪営林署であり、小川森林鉄道や王滝森林鉄道に代表される 木曽森林鉄道 や、飯田営林署の 遠山森林鉄道 等の長野営林局管轄の兄弟分です。ご存知のように長野営林局管内の機関車には全て連番が振られており、営林署間の機関車の移動も頻繁に行われていました。6kgや8kgの細いレールを使っていたため大きな機関車は走ることが出来ませんでしたが、木曽で活躍した機関車がこの富士見作業軌道に転属して活躍していたのは間違いありません。

 この軌道は廃止がら60年以上も経過しているため廃線跡などの痕跡はほとんど残っておらず、趣味的には面白みの少ない森林軌道です。資料も少なく今まで誰からも研究・発表されたことがありませんでした。しかし、この軌道の存在を知った地元の方々が郷土の文化遺産として注目し、原村役場の 村づくり戦略推進室 の支援を得て「よみがえれ、八ヶ岳森林軌道」専門部会を2006年2月に発足させました。

 専門部会では、当時働いていた方の協力を得て、資料や写真の発掘、語り部からの聞き取り調査、GPSを使った軌道ルートの探索等を通じて森林軌道の記録を後世に残す活動を行い、最終的には軌道の復元と復活運転を夢見ています。(下の写真は昨年の夏に10km駅と呼ばれていた中間交換駅付近に復元した軌道と山トロです。)活動の内容は 専門部会のホームページ専門部会のBlog で見ることが出来ます。そして、約2年間の地道な調査研究の集大成として1冊の資料集が2008年3月20日に出来上がりました。

 資料集は、『郷土の文化財第3集 よみがえれ、八ヶ岳森林軌道 1939(昭和14)年〜1947(昭和22)年 原村における「八ヶ岳伐木事業所富士見作業軌道」の記録』という名称で原村教育委員会から発行され、限定400部と公表されています。専門部会が発掘した当時を物語る貴重な写真や、公文書、働いていた方々へのインタビューや地元の小学生が授業の一環として調査・研究した報告、航空写真や地図に重ね合わせた軌道の位置図等の盛りだくさんの内容で読み応えがあります。また、付録としてDVDが添付されており、電子データ化した貴重な資料や地元のケーブルテレビで放送された特集番組などが収録されています。

 この資料集は以下に示す 原村の教育委員会 教育課 文化財係 に申し込めば2000円で一般の方も入手可能です。手続きは、先ず電話で申し込みます。数日後に購入手続きを説明する郵便が送られてきます。指示に従って2000円を郵便為替で郵送します。資料集が送料着払いのゆうパックで数日後に届きます。手に入れるのが少々面倒ですが、森林鉄道ファンには読み応えのある資料集です。貴方も1冊手元に置かれては如何ですか? 400部限定ですので、お早めにどうぞ!

 〒391-0192 長野県諏訪郡原村6549-1 原村教育委員会 教育課 文化財係
 TEL 0266-79-7930 (直通) FAX 0266-79-4006

2008年 4月13日 追記



地元パワーの続報



三岳村のディーゼル機関車

 予定通り三岳村公民館行事として塗装作業を行ったようです。客車内には錆落としやペンキ塗り作業の写真が貼り出されていました。


<写真:美しく塗り直された車両たちと、客車内に掲示されていた作業記録(2006年9月17日撮影)>



水交園のスクールカー

 スクールカー「やまばと号」の塗装作業は10月15日に決まったとの連絡がありました。飛び入りでも歓迎されると思いますが、日程変更の恐れがありますので、事前に連絡してから作業に参加してみては如何でしょうか?
10月15日は御嶽神社の霊神祭に重なるため、延期したとの連絡が入りました。ご注意下さい。



日 時:2006年10月15日 延期になりました。
場 所:王滝村滝越の水交園
問合わせ先:王滝村教育委員会 藤沢様
電 話:0264-48-2134
<写真:塗装が痛んできたやまばと号(2006年8月14日撮影)>



根利のボールドウィン

 根利のボールドウィンも着々と作業が進んでいます。9月18日の錆止め塗装も順調にこなし、次は10月1日と8日で上塗りまで完了する計画です。皆さんも「 よみがえれボールドウィン実行委員会 」に問い合わせて是非参加してみては如何でしょうか?

次回活動日:2006年10月1日、10月8日
問合わせ先:よみがえれボールドウィン実行委員会事務局
電 話:0278-20-1818


<写真:よみがえれボールドウィン実行委員会の会員よる、錆止め塗装の作業中(2006年9月18日撮影、提供AN様)>

2006年 9月24日 追記



各地の森林鉄道が地元パワーで盛り上がっています



三岳村の珍しい凸型98号ディーゼル機関車

 王滝村の隣に位置する三岳村(現在は市町村合併により 木曽町 )の三岳小中学校には木曾森林鉄道の98号機(酒井製B型8t凸型機関車)とC型客車、運材台車が保存されています。地元の教育委員会とPTAが協力して、来月この車両達の塗装作業を行うそうです。


<写真:8年前の保存状況、既に一度塗り直されている(1998年6月26日撮影)>

 松原での軌道敷設のような重労働はちょっと…、と言う方でも、ペンキ塗りなら気楽に参加できると思います。飛び入りも歓迎とのことなので、作業に参加されてみては如何でしょうか? 98号機は寝覚ノ床に保存されている99号機と共に、木曽森林鉄道にたった2両しか存在しなかった凸型機関車でとても貴重な物です。末永く大切に保存したいただきたいものです。

日 時:2006年9月2〜3日の2日間 どちらも9:00スタートの予定です。
場 所:三岳小中学校前
問合わせ先:木曽町教育委員会 三岳教育事務所 地域教育係 田口様
電 話:0264-46-2001



水交園のスクールカー「やまばと号」

  王滝村 滝越の 水交園 に保存しているスクールカー「やまばと号」の客車は、やまばと号の元運転手である三浦征弘さんを始めとする村民の方々がボロボロになった窓枠の補修や、割れたガラスの入れ替え等コツコツと手を入れ、大切にしています。


<写真:塗装が痛んできたやまばと号、補修された窓枠、壊された王滝村の車両を表す丸王マーク(2006年8月14日撮影)>

 しかし、塗装の痛みが激しくなってきているので、王滝村でも地元パワーによる塗装作業をこの秋に計画しています。こちらも飛び入り歓迎なので、是非作業に参加してみて下さい。なお、具体的な日程が決まっていませんが、9月中旬以降となりそうですので、現地に問い合わせてみてください。

日 時:2006年秋 詳細未定
場 所:王滝村滝越の水交園
問合わせ先:王滝村教育委員会 藤沢様
電 話:0264-48-2134



根利のボールドウィン製蒸気機関車

 群馬県沼田市利根町根利に、林野庁森林技術総合研修所「 林業機械化センター 」と言う林業の研修を行う施設があります。ここには北海道の北見営林局より持ち込まれた米国ボールドウィン社製のB1リアタンク型蒸気機関車、長野の木曽から持ち込まれたホイットコム3t内燃機関車、同じく木曽から持ち込まれた協三工業製10tディーゼル機関車等が保存されています。特にボールドウィン製の蒸気機関車は日本に3台しか残っていない貴重品です。(残りの2両は秋田の仁別森林博物館と、長野の赤沢森林鉄道記念館で大切に保存されています。)


<写真:北見営林局の置戸森林鉄道から来たボールドウィン、地元パワーによる清掃作業の真っ最中(2006年7月23日撮影、提供AN様)>

 痛みの激しくなってきたこのボールドウィン製蒸気機関車を甦らそうと地元の方々が立ち上がりました。その名も「 よみがえれボールドウィン実行委員会 」で、会長は沼田市にお住まいの丸山龍一さんです。先日、 第1回の活動 (7月23日)が行われ、機関車の清掃が行われました。そして8月26・27日には第2回活動が予定されており、いよいよ本格的な塗装に取りかかります。関東地方の方なら木曽より近くアクセスが断然楽です。こちらにもお手伝いに行ってみたら如何ですか?

次回活動日:2006年8月26・27日
問合わせ先:よみがえれボールドウィン実行委員会事務局
電 話:0278-20-1818

2006年 8月19日 追記



KMCも最後の追い込みです


  木曽モジュール倶楽部(KMC) のレイアウト(ジオラマ)は、2005森林鉄道フェスティバルの目玉の一つです。モジュールレイアウトとはメンバーの一人一人が長さ数十センチのジオラマを製作し、集まったジオラマを接続して大きなジオラマとするものです。各ジオラマは木曽森林鉄道の色々な風景を、色々な季節で表現しておりバラエティー豊かで楽しいものです。大鹿操車場を小さくした子鹿操車場、下黒沢橋梁など良く知られた風景が甦ります。KMCのモジュールレイアウトは、この大きなジオラマの上を、木曽森林鉄道で活躍していた色々な列車が走り回ります。

 KMCでは今回のイベントのために、特別に滝越のモジュールを製作しています。通常は各自が何ヶ月もかかって製作したモジュールを持ち寄って運転するのですが、滝越モジュールは関東在住のメンバーを中心とした共同作業で、約2ヶ月の突貫作業で製作が進められています。

 先日、製作工程を見学させていただいたところ地形や線路がほぼ出来上がっており、有名な滝越デパート(平沢商店)や白川担当区合宿所の製作が佳境を迎えていました。本番まであと1週間程ですが、何処まで滝越の30年前のイメージを再現できるのか今から楽しみです。

 
左:制作前に準備された合宿所の図面、右:滝越停車場の全景(中央の白い建物は仮の平沢商店)

2005年 4月26日 追記



丸瀬布もがんばっています


 17〜8年前、函館本線の倶知安〜小樽間でC623がニセコ復活運転を行っていた頃に、線路端で知り合った旭川在住の早川さんが、 丸瀬布町 の森林公園「いこいの森」で復活運転している森林鉄道のレストア活動に携わっていることが、今年に入ってからもらったMAILでわかりました。彼との間に意外な共通点があることが今になってわかり驚いています。

 雨宮21号機が2004年10月22日に 北海道文化遺産 に選ばれた事をご存じですか? このために蒸気機関車の方に注目が集まっているようですが、昨年の夏からボギー客車のレストア活動を始め、2005年の4月に落成・お披露目すると言う情報を早川さんからレポートしていただきました。

 この客車は「いこいの森」で当初から営業運転に使用していた客車で、北見営林局から木曽へ転属し上松運輸営林署のB客14号車として活躍していたものです。木曽での用途廃止後、再び北海道に渡って丸瀬布で真っ赤な車体に白帯を巻いた装いで30年近く活躍していました。外板も穴が空くほど腐食しており冬季休業期間を利用したレストア(リニューアル)と言うことだと思われます。

 レストアのついでに木曽時代の装いに復元しようと計画し、塗色などを調査されたそうです。しかし、調査の過程で元北見営林局の客車であることが判明したため、北見営林局の塗色に復元すべく方針を変更したそうです。調査を進める中で「温根湯の離農した農家の納屋の横に元北見営林局温根湯森林鉄道で走っていた客車が当時の色のままで、物置になっている。」との情報を得て早速塗色の調査に向かったところ、1週間前に運び出された直後で、タッチの差で見ることが出来なかったそうです。その後の調査で、札幌の鉄道ショップ 「カラマツトレイン」 のホームページに同車のレポートが掲載されており、札幌に保存されているいる事が判明しました。さっそく同店にお願いをして特別に見せていただける事になり、やっと塗色が決まったと言うことでした。レストアした客車と温根湯の客車が同じ色に塗られていた確証はありませんが、木曽時代に復元するよりも、さらにオリジナルに近づいたと言えるのではないでしょうか?

 塗装剥離作業中に晩年のやまばと号によく似た青色が出てきたとの報告も受け、B客14が一時的にやまばと用に転用されていた時期があったのかもしれないと言う事も分かりました。これは貴重な発見です!

 私たちりんてつ倶楽部は通常5月のゴールデンウィークから活動を開始していますが、寒い北海道の丸瀬布では完成を急ぐために既に活動を始めており、レストア作業も最終段階を迎えています。来る4月29日の「いこいの森」開園式にレストア完成のお披露目をする予定だそうなので、ゴールデンウィークの前半は丸瀬布へ、そして後半の5月3〜4日は木曽 王滝村「2005森林鉄道フェスティバル」 にお出かけになったら如何でしょうか?


 余談ですが王滝村の議員の方々が、森林鉄道の保存状況を視察するために2〜3年前に丸瀬布町を訪れた事があります。このようなきっかけから 王滝村丸瀬布町 が良い協力関係を作れればいいですね!

 最後になりますが、 丸瀬布町 は2005年10月1日より遠軽町、生田原町、白滝村と合併し遠軽町となるそうです。いつもお世話になっている 王滝村 は再生に向けて苦戦していますが、こちらも是非がんばって欲しいと思います。

2005年 4月 7日 追記



遠山森林鉄道の遺構


 先日(12月4日)王滝村に行くついでに遠山森林鉄道を訪ねてみました。遠山森林鉄道は昭和15年に着工されてから、昭和48年に軌道が完全撤去されるまでの33年間の歴史があり、鉄道ファンにも良く知られた存在でした。詳細は、遠山郷サポート倶楽部 「アンバマイカ」 のホームページや、 南信州新聞社 発行の写真集「遠山森林鉄道と山で働いた人々の記録」、そして写真集を編集したメンバーが主宰するホームページ 「pleiadesの蒸気機関車写真館」 をご覧ください。

 ご存知のとおり梨本貯木場跡には道の駅「ていしゃば」が出来ており、駐車場の片隅には酒井工作所製5t機関車(長野営林局の管理番号96)が美しく再塗装されて展示されていました。これは近隣の「やまめ荘」の前に放置されていたボロボロだった機関車です。(トピックスのページに「やまめ荘」に放置されていた当時の白黒写真を掲載しています。)また、レプリカですが客車もいっしょに展示されています。「ていしゃば」の店内には森林鉄道が活躍していた当時の写真がたくさん飾られており、上記写真集も販売していました。すぐそばにある廃校になった木沢小学校は、校舎を利用した資料館となっており、2階の教室で森林鉄道の写真展も開催されていました。貴重な資料もたくさん展示されており一見の価値があります。

 私たちは時間がなく行けませんでしたが、車で小一時間で行けるしらびそ高原にも酒井工作所5t機関車(長野営林局の管理番号79)と客車(4号)、運材台車が保存されています。廃線跡も多くが自動車道や遊歩道に整備されており比較的簡単に往時を偲ぶことができます。何度もオメガループで高度を稼いでいた便ヶ島停車場まで車が入ることが出来、すぐそばでは朽ち果てた木橋も見ることが出来ます。

 木沢小学校では地元の方々にお話を聞く事が出来ました。今後は「ていしゃば」に保存されている機関車をレストアして、保存運転をしたいと話されていました。ボンネットを開けてみたところ、エンジンは私達の132号機と同じセントラルKE−21でした。このエンジンは部品がほとんど手に入らないので苦労する事が想像されます。私達の経験がお役に立てれば幸いです。

2004年12月 4日 撮影
2004年12月 7日 追記
2004年12月 8日 修正



グリーンピア二本松の蒸気機関車


 福島県の岳温泉に近い「グリーンピア二本松」は、1988年4月24日オープン以来、蒸気機関車が走るホテルとして鉄道ファンに知られていましたが、去る2002年6月30日に14年間にわたる営業を終了しました。活躍していた「B621014」号機は福島県の協三工業で1987年に製造された、10tの蒸気機関車で「あだたら号」と呼ばれ親しまれていました。軌間は木曽森林鉄道と同じ2フィート6インチ(762mm)です。

 営業終了後の蒸気機関車の行き先が心配されていましたが、2003年3月末に財産の管理を担当する年金資金運用基金(元の年金福祉事業団)福祉部施設室と二本松市との間で、グリーンピア二本松の施設一式(蒸気機関車などの鉄道施設を含む)を市に譲渡することで合意に至ったそうです。運行形態や運行日などの詳細は決まっていませんが、この観光鉄道が存続することになり一安心です。

1989年5月 3日 撮影
2003年7月20日 追記



赤沢のAFT−01が里帰り


 森林鉄道の保存運転で有名な、 上松町赤沢自然休養林 の機関車達は、元上松運輸営林署の機工課の工場で整備を受けていました。しかし、道路工事の関係で鬼淵に新しい橋梁を架ける際に工場は取り壊されてしまい、近場で整備できない状態となってしまいました。

 いっぽう、赤沢で主力で活躍中の 北陸重機工業(株) で1996年に製造された、5tディーゼル機関車AFT−01は、一昨年(2001年)新潟市の北陸重機へ里帰りして全般検査を受けたばかりでした。しかし、2002年秋にミッション(逆転器)から異音が発生したため、再度北陸重機へ里帰りして整備を受けています。現地修理も可能だったそうですが、念のため里帰りしての工事となったようです。

 2003年のシーズンのオープンまでに、AFT−01が元気な姿となって 赤沢 に戻ってくるのを楽しみにしています。また、今シーズンの 赤沢 は休憩施設が改築されるそうで、今後の自然休養林としての発展も楽しみです。なお、写真は2003年2月17日に 北陸重機工業(株) の工場にて許可を得て撮影しました。

2003年3月22日 追記



東洋活性白土1号機ボイラー新製完了


  羅須地人鉄道協会 では、糸魚川にあった東洋活性白土専用線の予備機だった1号機を平成11年に入手し、レストアを進めています。自らを創作鉄道団体だと豪語する彼らですが、今回に限ってオリジナルに忠実な外観に仕上げると言っています。

 ところで、蒸気機関車の心臓部であるボイラーは老朽化が激しく修復ができないことから、あるメーカーに新製を頼んでいました。10カ月かかって完成したボイラーは、平成14年7月にゆめ牧場に搬入され、さっそくフレームに据え付けられました。レストアを終え元気に走り回る姿を早く見たいものです。

《お願い》

  羅須地人鉄道協会 では、この1号機をレストアするための 募金活動 を行っています。詳しくは 羅須地人鉄道協会のホームページ をご覧下さい。たくさんの方からのご協力をお願いします。

2002年8月16日 撮影
2003年3月16日 追記



あすなろ橋が竣工!


 森林鉄道の保存運転で有名な、隣の 上松町 にある 赤沢自然休養林 では、木橋である「あすなろ橋」のかけ替え工事を行っていましたが、このたび平成14年の営業シーズンを前に竣工しました。

 「あすなろ橋」は昭和53年の軌道復活の時以来使い続けられてきた木橋だと思われ、何回かの補修を受けながら24年間供用された後に、老朽化によりかけ替えられました。新しい「あすなろ橋」は、コンクリートの橋脚に、H型鋼を芯に表面に材木を貼り付けた橋梁を乗せた、木橋の面影を残した鉄橋です。末永く赤沢で線路を支え続けることでしょう。

《御参考》

 赤沢森林鉄道は、昭和50年に開園した赤沢自然休養林内にあった作業軌道跡地に再び軌道を敷設したもので、昭和53年の秋に森林鉄道資料館〜丸山渡〜うるし沢の1.73Kmが竣工しました。その後昭和60年の御杣始祭(みそまはじめさい:伊勢神宮の遷宮のための用材の切り出し神事)に利用されただけで放置されていましたが、軌道を再整備して昭和62年の春から、営業運転を始めたものです。酒井工作所製86号機、93号機、131号機が活躍していましたが、現在は平成8年北陸重機製の機関車AFT−01が活躍しています。

2002年11月6日 追記



酒井製モーターカーNo5


 森林鉄道の保存運転で有名な隣町 上松町赤沢自然休養林 では、森林鉄道記念館開設時から保存していた大型モーターカーNo5の車体腐食が進んできたことから修復工事を一昨年から行い、2001年8月に現役当時の姿に復活させました。このモーターカーは昭和25年酒井工作所製ですが、上松運輸営林署機工課で車体更新されており、木曽独特の形態となっています。鉄道ファンからは、そのスタイルから冷蔵庫と呼ばれて親しまれていました。晩年はうぐい川線で活躍していたので、その姿を目撃された方も多いと思います。
 左の写真は、昔、助六へ入山のためにモーターカーNo5に添乗させていただいた時に、途中の樽が沢で撮ったスナップで1976年8月の撮影です。右の写真は復活直後に赤沢森林鉄道記念館前にて撮ったもので2001年8月26日の撮影です。

2002年7月26日 写真追加



ロータリー除雪車



 王滝村滝越地区の水交園に、木曽森林鉄道王滝線で活躍した元関西電力所属のロータリー除雪車保存されています。この車両が2001年夏に再塗装され、美しい姿に甦りました。この作業は、関西電力社員の有志グループ「点灯むし倶楽部」により行われました。修復作業の模様は、2001年7月10日付の中日新聞に掲載されました。以下に転載します。(2001年11月3日撮影)


(森林鉄道王滝線)除雪車をお色直し


 関西電力の社員有志で作る「点灯むしクラブ」のメンバーが7、8日の両日かつて森林鉄道大滝線で冬場に木材や発電所の資材を運ぶために活躍したロータリー除雪車のお色直しをした。

 除雪車は関西電力が所有し、1975年の森林鉄道廃止後も4年間、滝越ー三浦ダム間を走っていた。その後村に寄贈され、王滝村滝越のキャンプ場・水交園に展示されていたが、塗装などが剥がれ落ちてきていた。そこで、有志が集まり、今回のお色直しが行われた。

 作業には延べ30人が参加し、車両のサビなどを落としたあと、関電のイメージカラーのオレンジで塗った。旧中津川電力所御岳修理所に勤務していたときに除雪車の運行や整備をした東海支社の総務広報グループの畔柳敏明さん「当時は、雪だけでなく、落石や巨大なつららが多く、除雪の回転翼が折れたり、欠けたりしないようメンテナンスも大変だった。二十年ぶりに再会できて、うれしい」と語り、作業に励んだ。


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