このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
名 称 | ディーゼル機関車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | DB5 | 号 機 | 132号機 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | A型5t | |
製造年 | 昭和35年 | 製 番 | 6330 | |
エンジン | KE21 | 変速機 | SKW760 | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
No132はマニュアルクラッチ車です。新製後すぐに上松営林署に配属され小川線の支線などで活躍していました。昭和41年に王滝営林署に転属し、昭和40年代後半は主に三浦本谷線(本谷〜麦島)で活躍していました。昭和49年に上松運輸営林署の機工課で全般検査を受けていたという目撃情報があります。昭和50年以降はうぐい川線で良く見かけたので、全般検査のタイミングか、王滝本線廃止のタイミングで助六に配置転換されたものと思われます。うぐい川線が廃止された後も、しばらくは田島停車場構内に留置されていましたが、その後王滝村に譲渡され松原スポーツ公園に展示保存され現在に至っています。 |
名 称 | ディーゼル機関車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | DBT5 | 号 機 | 142号機 | |
メーカー | 北陸重機 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和54年11月 | 製 番 | 3889 | |
エンジン | いすゞDA−640 | 変速機 | ニイガタDB90 | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
木曽谷に最後に入線したディーゼル機関車で、6気筒エンジンの強力機です。酒井工作所のC19型のコピーと言われていますが、各種の新機構が採用されとても扱いやすい機関車です。トルクコンバーターの作動弁が空気圧により動作する機構なので、空気圧が上昇するまで走れないのが欠点です。 |
名 称 | ディーゼル機関車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | DB7 | 号 機 | 84号機 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | A型7t | |
製造年 | 昭和25年 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | 日野DS70 | 変速機 | 酒井(機械式) | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
No84は本線用としては初期の内燃機関車で、エンジンは4気筒のセントラルKE21を積んでいましたが、後に6気筒の日野DS70に積み替えています。新製時は野尻営林署に配属され、1960年(昭和35年)頃上松運輸営林署に転属しています。古い映像に王滝本線で「林道」のヘッドマークを付けて工事列車を牽引する姿が残っていますが、晩年は上松の土場で「編成」のヘッドマークを付けて入れ替えを行っていました。廃止後は岐阜県郡上郡の大滝鍾乳洞に譲渡され観光用に運転する計画がありましたが実現せず、1999年(平成11年)にりんてつ倶楽部の手により木曽谷へ里帰りしました。 (右写真)その後17年間かけてレストアを行い2016年(平成28年)秋に動態に復帰しました。(上写真) | ||||
左は地元の方からお借りした写真で、恐らく昭和30年代前半に撮影された貴重なもので、連結器の形を見ると野尻時代の写真です。Hゴムで支持した窓は一つもなく、エキゾーストマニホールドは角パイプ、低い位置にも前照灯がある貴重な記録です。 右は1974年(昭和49年)に上松の土場で撮影した現役最晩年の姿です。レストアはこの姿を目標としました。 |
名 称 | モーターカー | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | GB1.5 | 号 機 | 4号機 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和25年 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | トヨタR60 | 変速機 | トヨタ | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
モーターカーNo4は新製後すぐに薮原営林署に配属され、昭和42年頃に王滝営林署に転属しています。また、時期は不明ですが上松運輸営林署の機工課で車体を載せ換えています。晩年はうぐい川線でも良く見かけたのでファンにもなじみの深い車両です。No132と同様に昭和■■年頃に王滝村に譲渡され松原スポーツ公園に展示保存されていました。 |
名 称 | モーターカー | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | GB1.5 | 号 機 | 14号機 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | M型1.5t | |
製造年 | 昭和27年9月 | 製 番 | 6003 | |
エンジン | プリンスG1 | 変速機 | プリンス | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
トラックのようなNo14は、新製時から上松運輸営林署に配属されていた様で、晩年は大鹿で良く見かけたのでファンにもなじみの深い車両です。上運機工課で車体を載せ換えたと思っていましたが、荷台部に屋根がなかったものの、新製時から今の姿であったという情報を得ています。王滝本線廃止後に滋賀県のドライブイン光陽が保存の為に購入しました。その後、置き場所が土地整理されるために1985年頃に千葉県松戸市にお住まいの吉野実さんによって引き取られ、大切に保存されていましたが、りんてつ倶楽部が譲り受け2005年4月15〜16日にかけて王滝村に運び込みました。2008年春から約3年間かけてレストアし、2010年10月の森林鉄道フェスティバルで御披露目する予定です。 |
名 称 | モーターカー | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | GB0.5 | 号 機 | 68号機 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | LM−6A | |
製造年 | 昭和38年3月 | 製 番 | H862 | |
エンジン | マツダBA型 | 変速機 | マツダ | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
木曽福島の屑鉄業者から1980年にファングループ「軌道隊」が購入したモーターカーで、2011年にりんてつ倶楽部が寄贈を受け松原ワークスに搬入しました。 68号機は1975年に王滝本線が廃止後も白川の造林事業所(白川の苗畑?)に所属し、滝越から奥地の造林作業に活躍していた最後まで現役だった車輌です。右上は1977年9月に蜂渕、一ノ瀬付近の王滝本線を走行中の写真です。 エンジンはマツダのBA型、ケサブローの愛称で知られるマツダ製360cc軽三輪トラックのエンジンで、空冷V型2気筒ドライサンプです(ボア55×ストローク75×2)。映画「三丁目の夕日」に出てくる軽三輪トラックと言えば判りますか? レストアに当たって、全面的な配線のやり直しや幌の新製を行いました。右下は「軌道隊」が保存していた当時の写真です。 木曽での形式は類推です。西裕之さんの「木曽谷の森林鉄道」にはLM6Aと記載されているのですが、これはメーカーの形式です。木曽ではエンジン+動軸数+重量の組み合わせで形式となっています。本機の自重は650kgなので、このルールだとガソリンエンジン+B型+650kgで、GB0.65となるはずですが、こんな半端な型式番号は聞いたことがありません。ここでは、小型のモーターカーは全て0.5と見なしてGB0.5としておきました。(GB0.6かもしれません。) | ||||
名 称 | モーターカー | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | HM−10 | |
製造年 | 昭和50年10月 | 製 番 | 31796 | |
エンジン | 未調査 | 変速機 | 未調査 | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
関西電力では王滝本線廃止後も滝越〜三浦ダム間で人員や物資の輸送のため軌道を使用し続けていました。このような事情の中、本モーターカーは昭和50年に岩崎レールで落成しました。関西電力では翌昭和51年にもモーターカーを新製しています。その後、林道の整備やダムの遠隔監視システムの発達により昭和54年5月にさよなら運転を行い、木曽谷での使命を終えました。これら2両のモーターカーは昭和54年の12月に 黒部峡谷鉄道 に譲渡され、翌年4月より整備の上、保線車として新たな活躍が始まりました。私どもで保存中の昭和50年製は 保線車No1 、昭和51年製は保線車No2となりました。 その後、昭和61年10月に 協三工業 製4.1tの保線車が新製され 保線車No1 の名称が受け継がれました。昭和50年製のモーターカーは、この時点でNo2に改番され、昭和51年製のモーターカーは廃車になっています。(51年製は現在行方不明です。)さらに、平成11年春に 協三工業 製の5.6t保線車が 保線車No2 として新製導入され、これにともない昭和50年製も廃車解体される運命となりました。これを、私どもが解体業者より救いだしたのです。平成11年の初夏の事でした。 20年ぶりに木曽谷へ里帰りした昭和50年製のモーターカーは、新製時から約24年の比較的短い生涯だった事になります。 | ||||
名 称 | 土運車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 王土7 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | 1M3 | |
製造年 | 昭和31年7月 | 製 番 | 10967 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
バラストなどを運ぶ土運車(ホッパ車)は、昭和31年7月に岩崎レールで製造された製番10967、型式1M3(銘板の刻印は3が小さく、1立方メートルと読むのが正しい)で、管理番号は王土7でした。この車両も、王滝村により松原スポーツ公園に展示保存されていました。 |
名 称 | タンク車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 無番 | |
メーカー | 不明 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 不明 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により松原スポーツ公園に展示保存されていた木製台枠のタンク車は、来歴や管理番号が不明です。老朽化が激しく平成9年にりんてつ倶楽部により台枠を補修しましたが、さらに老朽化が進み車輪すら回らない状態になってしまいました。 その後、平成19年に台枠をリメイクし「2007森林鉄道フェスティバル」では仮設の客車として活躍しました。さらに、平成23年の春から上回りのレストアも行い、同年秋にはタンク車として動態に復帰することができました。大鹿構内で据え置きタンクとして使われていたより前、本線を走行していた時代を想定して計量器を取り外しました。 |
名 称 | タンク車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 不明 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 不明 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
本谷第二製品事業所前に放置されていた2両のタンク車は、恐らく発電機か何かのための燃料タンクとして使われていたものと思われます。放置されて30年近く経っても置き去りにされたままだったので、りんてつ倶楽部で譲り受けました。平成16年7月10日にユニック付き3tトラックで本谷から搬出し、現在は松原ワークスで大切に保存しています。こちらは木製台枠でタンクの断面が丸のものです。製造年、製造所、製番、管理番号はすべて不明です。29年間放置されていた割に、木製の台枠はしっかりしています。しかし、いずれ修復が必要であることは間違いないようです。 |
名 称 | タンク車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 王No1 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和28年10月 | 製 番 | K−8547 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
鋼製台枠を持つタンク車は廃止後永らく田島停車場構内に据え置かれ、本来の役目(油のタンク)を果たしていました。最近になって用途廃止になったため平成14年5月にりんてつ倶楽部が譲り受けました。昭和28年10月に岩崎レールで製造された製番K−8547で、管理番号は王No1でした。 平成23年春から本格的なレストアを開始し、同年秋には美しい姿に復帰しました。 |
名 称 | タンク車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 王No21 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | 2000L | |
製造年 | 昭和35年2月 | 製 番 | 20737 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
本谷第二製品事業所前に放置されていた2両のタンク車は、恐らく発電機か何かのための燃料タンクとして使われていたものと思われます。放置されて30年近く経っても置き去りにされたままだったので、りんてつ倶楽部で譲り受けました。平成16年7月10日にユニック付き3tトラックで本谷から搬出し、現在は松原ワークスで大切に保存しています。こちらは鋼製台枠でタンクの断面が楕円のものです。昭和35年2月に岩崎レールで製造された製番20737で、管理番号は王21でした。 平成23年春から本格的なレストアを開始し、同年秋には美しい姿に復帰しました。 |
名 称 | 運材台車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 鋼製運材台車 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 日本農林機械 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 不明 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により松原スポーツ公園に展示保存されていた運材台車は、■■年に日本農林機械で製造された製番■■+■■で、営林署の管理番号は■と■でした。木曽谷では日本農林機械製の運材台車は少数派で、運転手たちからはトンボ(脱線)しやすいと不評でした。森林鉄道フェスティバルに向けて2007年にレストアしました。 |
名 称 | B型客車 | 現 況 | 台車のみ動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 大B型客車 | 号 機 | 王営大B No13(1063+1080) | |
メーカー | 上運+岩崎レール | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和36年3月:台車 | 製 番 | 21017+21034:台車 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により松原スポーツ公園に展示保存されていたB型客車は、主に本線でみやま号などに使われていた通称「大B」こと、大型のB型客車です。 永年屋外に展示されていたために傷みが激しく危険であることから平成12年の夏に車体が廃棄され、現在は台車のみが保存されています。乗降用のステップが付いているので、すぐ見分けがつきます。森林鉄道フェスティバルに向けて台車のみですが2007年にレストアしました。 |
名 称 | クレーン車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 積込用自走式ジブ起重機 | 号 機 | No11 | |
メーカー | 協三工業 | 形 式 | K−2 | |
製造年 | 昭和30年5月 | 製 番 | 2048 | |
エンジン | 三菱KE5 | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により松原スポーツ公園に展示保存されていたクレーン車は昭和30年5月に協三工業で製造されました。メーカーの型式はK−2で、製番は2048です。営林署の管理番号はNo11でした。木曽谷には同型車が2両存在していましたが、1両は廃止後に上松の鎌倉鉄工に払い下げられ、据え置きクレーンとして利用されていましたが、既に解体されてしまいました。したがって、森林鉄道用のクレーン車としては日本に残る唯一の車両で、貴重な存在です。 |
名 称 | ラッセル車 | 現 況 | 静態(だるま状態) | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 不明 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 不明 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
王滝本線廃止後に関東在住のファンが保存を目的に購入しました。その後、千葉県松戸市にお住まいの吉野実さん宅に保管されていましたが、1986年頃に羅須知人鉄道協会に引き取られ、同協会の町田の拠点で保存されていました。保存状態が悪く朽ち果てかけているので、りんてつ倶楽部が譲り受け2005年4月15〜16日にかけて木曽へ里帰りさせました。状態が悪くレストアは困難であると思われます。 現役時代の写真は昭和49年3月に黒淵付近で撮影したもので、片岡俊夫氏から提供いただきました。 |
名 称 | 軌道自転車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 吉池機械製作所 | 形 式 | 吉池式軌道自轉車 | |
製造年 | 昭和30年1月 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | りんてつ倶楽部 | |
木曽福島の屑鉄業者から1980年に関東のファングループ「軌道隊」が購入したもので、2011年にりんてつ倶楽部が寄贈を受け松原に搬入しました。約30年屋根の下で大切に保存されていましたが、元々の状態が悪く左側のペダルなどが既に失われていました。さっそくレストア&リメイクを開始し、同年秋の公民館まつりでデビューを果たしました。 鉄道線路保線用機械メーカーである「吉池機械製作所」は現在でも 「ヨシイケ科研機器株式会社」 として盛業中で、保線用の軽便トロッコなどを製造しています。なお、1067mmゲージの軌道自転車は今でも全国的に使われていますが、762mmゲージのものは珍しいのではないでしょうか? 右下の写真は1977年8月13日に本谷の構内で撮影したもので、全く同じ機体です。既に本線が廃止された後だったので、この軌道自転車で土浦まで往復したという強者もいたと聞いています。 |
名 称 | ディーゼル機関車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | やまばと用 | 号 機 | 無番 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | AC40型 7t | |
製造年 | 昭和34年4月 | 製 番 | 6298 | |
エンジン | 日野DS30A | 変速機 | ニイガタDBW90 | |
場 所 | 滝越水交園 | 所有者 | 王滝村 | |
昭和34年、 王滝村 の滝越地区にあった分校が廃校となり、子供達は田島地区の本校まで通学する事になりました。これに合わせて 王滝村 は滝越停車場〜田島停車場間にスクールカー(送迎列車)やまばと号を運行する事を決定し、これに先立ち機関車と客車を準備しました。当初は機関車の納入が間に合わず営林署から機関車を借りて運行していたそうです。そして、森林鉄道廃止の昭和50年まで運行が続けられました。その後、昭和57年に分校の跡地に地域活性化のためにレクリエーション施設 「水交園」 が作られ、同地にやまばと号を始めとする森林鉄道の車両達が展示保存されたのです。 やまばと号の7t機関車は、昭和34年4月に酒井工作所で製造された製番6298で、ニイガタのDBW90を積んだトルコン車です。営林署ではなく王滝村の所属だったので管理番号はなかったようです。塗装の痛みが激しかったため平成5年にりんてつ倶楽部の手により再塗装を行いました。盗まれていた王滝村のヘッドマークも、同時にレジンキャストで再生しました。 |
名 称 | B型客車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | やまばと用 | 号 機 | 王滝1・王滝2 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和34年 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 滝越水交園 | 所有者 | 王滝村 | |
やまばと号の客車2両は、昭和34年に岩崎レールで製造された製番■■と■■でした。木曽谷ではアーチバーの台車をはいた客車は少数派です。また、子供達の安全に配慮して鋼製となっていたのも特筆に値します。 なお、製造年に関しては「捜索のお願い」に記載した通り製造銘板が盗まれており調査不能でしたが、島崎文弘様より情報をいただきました。 |
名 称 | ディーゼル機関車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | DBT5 | 号 機 | 119号機 | |
メーカー | 酒井工作所 | 形 式 | AC30型 5t | |
製造年 | 昭和32年 | 製 番 | 6270 | |
エンジン | いすゞDA−110 | 変速機 | 岡村CM1724 | |
場 所 | 滝越水交園 | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により滝越の水交園に展示保存されている119号機は、昭和32年に酒井工作所で製造された製番6270です。エンジンはDA110で岡村製のトルクコンバーターを装備しています。新製後は野尻営林署に配置され、昭和39年に王滝営林署に転属しています。塗装の痛みが激しかったため平成5年にりんてつ倶楽部の手により再塗装を行っています。また、左側のエンジンルームカバーが盗まれており現在でもありません。 |
名 称 | B型客車 | 現 況 | 動態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | B型客車 | 号 機 | 王営 No12(1049+1050) | |
メーカー | 上運+岩崎レール | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和36年3月:台車 | 製 番 | 20986+20985:台車 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 松原ワークス | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により滝越の水交園に展示保存されていたB型客車は主に支線で使用されていた小型のもので、管理番号は王営12(氷ヶ瀬)でした。台車は昭和36年3月に岩崎レールで製造された製番20986+20985で、営林署の管理番号は営1049+1050でした。永らく水交園で保存展示されていましたが、2009年の初夏に松原ワークスに搬入し、王滝村の有志の手により約2年間かけてレストアされ2010年10月の森林鉄道フェスティバルで御披露目する予定です。 なお、管理番号に関しては島崎文弘様より情報をいただきました。 |
名 称 | 運材台車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 鋼製運材台車 | 号 機 | 営413+414 | |
メーカー | 岩崎レール | 形 式 | 長野営林局型 | |
製造年 | 昭和30年11月 | 製 番 | 20206+20198 | |
エンジン | − | 変速機 | − | |
場 所 | 滝越水交園 | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により滝越の水交園に展示保存されている運材台車は、昭和30年11月に岩崎レールで製造された製番20206+20198で、営林署の管理番号は営413+414でした。 |
名 称 | 除雪車 | 現 況 | 静態 | |
---|---|---|---|---|
形 式 | 不明 | 号 機 | 不明 | |
メーカー | 新潟鉄工 | 形 式 | 不明 | |
製造年 | 昭和42年 | 製 番 | 不明 | |
エンジン | いすゞDA−120 | 変速機 | − | |
場 所 | 滝越水交園 | 所有者 | 王滝村 | |
王滝村により滝越の水交園に展示保存されているロータリー除雪車は、関西電力に所属していたもので、昭和42年に新潟鉄工で製造されました。製番は不明です。エンジンはいすゞDA−120ですが、これはロータリーの駆動用で自走はできません。塗装の傷みが激しかったため平成13年に関西電力のボランティアグループである「点灯むしクラブ」が塗り替えを行っています。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |