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雑記過去ログ

4月12日  お金が下りてこないのです(涙)。

 相変わらず時間に追われています。新年度の喧噪に押し流されて、更新もままならず、、、
 さらに研究費もでないまま研究活動に突入することになった庵田@嘱託研究活動開始です。なんだか、悲しい新年度となりました。
 さて、4月は始まりのシーズンということで、プロフィールを改訂しました、、、あんまり変化はないですね。調査活動ばかりでプライベートの境遇がさっぱりなのが問題といえばそうかもしれません。
 ああ、そこつっこむところじゃないから(困)。
 
 知り合い連中では大きく変化をしているようです。中でも結婚する人の多いこと、、、
 私ですか? 研究活動もまだまだひよっこレベルなのに、そんなこと、できますかねぇ(かなり人ごと)。
 周りの方々は、それだけ大人になったということでしょうか。まだまだ現実感のわかない自分を恥じるばかりです。
 今回の更新はこのくらいで。ああ、たいした更新できなくてごめんなさい。
 

4月16日  世界は少し遠くに在りて。

 やはり書かなければ、どうしても納得しがたい何かがあるようです。
 先日、、といってももう一週間も前のことになるのですが、私が所属する大学サークルの先輩が亡くなりました。

 その第一報は、寝ぼけ眼であったこともありますが、現実感の乏しいもので、
 葬式に参列しても、その後ご両親から話を聞いても、やはり、もしかしたらまだ心のどこかでその話自体が間違いで、ほとぼりが冷める頃にはひょくっと出てきてくれるような、そんな感じがして。
 自分の身の置き所がどこにあるか、よくわからない状態で、ただ自分の服装と表情が気になって。
 こういったとき、私は何を考えればよいのでしょうか。

 なぜこの人は死ななければならなかったのか。
 その遺影に写る写真が、なぜに自分でないのかが、少し不思議で、自分の世界の中で、自分と同年代で自分以外の誰かが、自分より早く死んでしまう。
 その事実が、やはり、実感のわかないものとなっています。
 そして、それは現在も針の折れたレコードのように続き。

 人間はどんなに変わらない人格のように見えても、日々変化を続ける生き物で、それは世界にあるものとしての常のようにも思います。
 そしてそのなかには当然、死も含まれています。
 それは、想定しなければならないことで、昔の言葉にも一期一会と書かれています。
 理解はできます。

 韓国などで現在も行われる「泣き女」という職業が必要なわけを改めて認識しました。
 それは儀礼的なものも当然あるのでしょうが、事態が把握できず動転する人々の代わりに泣いてくれているのだと。
 私は、泣き女に初めてあこがれを抱きました。

 私はたびたび「葬式は死者のためにあるのではなく、死者に置いてけぼりにされた居残り人のためにある」と思っています。
 その色合いが深ければ深いほど、知古の人間は集い、思い出話とともに死者を懐かしみ、生きることの重みを感じます。
 言葉もなく、たたずむ遺影に何かを語りたくて。しかし、もうそこからは何も聞こえてきません。
 こういったときに、うまく言葉を作れない自分が、いや、こういったときでなくても、内面と外面の格差を処理しきれない自分が、ほとほと嫌になってしまいます。


 、、、これだけのことを書いて、詰まるところ自分に何かができたのかというと、それはなく、知り合いのサイトを巡りながら少しずつ現実を感じています。
 親しかったかどうかということは関係なく、知っている人々の死をうまく処理しきれない自分に幼さを感じます。
 いずれ訪れる、他の誰かの死を私はどう受け止めるのでしょうか。
 それを考えると恐ろしくてなりません。

4月24日  手のつけようがない

 何がか、といわれると、
 1.更新頻度(いい加減溜まっている仕事をどうにかせねば)
 2.研究(お金が下りない、相手側と意思疎通がとれていない)
 3.自分(いろいろ定まらない)
 ので、今回は何も更新していないのと同じと考えてください(ひでぇ)。

 、、、、はい、次はがんばります。

4月29日  去っていった人のため、踊る。

 なぜに出来事が続いてしまったのか。
 人の死を、こうも早く続けて見送ってしまった自分が、憎く、悲しく。
 実に、共感できる心を持った、すばらしい人であったから、それだけに、虚しく。

 飲み過ぎて迷惑をかけてしまったことをおぼろげながらに覚えていて、
 いろいろと言い訳を積み重ねたくなるけれど、何を語ってもそれは生者に対する冒涜になる。
 だから、ただありがとうとごめんなさい、なのです。

 酒を飲まなければ泣くこともできない自分が、ただ情けないというほかありません。
 だのに、今の自分には、死を選ぶほどの権利はありません。
 今与えられている仕事をこなし、周りのすばらしい方々から託されている期待に応えなければ、
 一日の感傷も本当はいけないはず、なのですが。
 私のよく知る、気のよい友人たちが実に気丈に振る舞っている姿を見ると、自分の価値のなさが本当によく分かって、
 だから、私は自分の価値をせめてその友人たちに追いつけるように、
 日々を後悔なく生きるほかないのだと、思います。
 それが若くして死んだ心優しい人への最大の贈り物になるのだと信じています。

 続けざまの出来事で、ここを見ている人々にご心配をおかけするであろうことを、ここにお詫び申し上げます。

5月4日  公務員勤務の可能性

 毎年少しずつ変わっていく某市役所の採用制度に振り回された庵田@研究バカです。
 「都市工学」なくなったら一次試験受かりませんヨ?
 ま、前回土壇場で不要だと言われたから、ある程度覚悟はできていましたが。

 世の中は相変わらず公務員希望なのでしょうか。
 別に私は地域に貢献できて、地元からの転勤が少ない組織(公的機関しかないような)ならば、どこにでも就職しようと思っていますが、、
 自分の今まで行ってきた研究を活かしたいのはやまやまですが、産業考古学を活かせる場所って、、、
 博士課程に行ってこいと背中を押されているようです。

 だんだん「誰かの役に立ちたい」と思っている自分から遠ざかっています。
 だーかーらっ、勤務内容と給与体系で公務員を志望しているんじゃないんですって!
 博物館で採用していただけるのでしたら、研究に打ち込みますって!!
 
 、、、以上、愚痴モードでした。

5月10日  その任に堪えず

 ごたごた言っても仕事の量が減るわけもなく、、、。
 
 さて、先日九州国立博物館関連のニュースが続きました。
 私も学芸員ということで、時々「あそこに勤めてみてはどうか」(斡旋ではなく、公務員試験への挑戦といった意味に近い)と言われることがあります。
 あそこは、私にはだめなのです。
 なぜかと言いますと、あの博物館の研究対象は古代から中世の事物であり、近代専門で長らく研究してきた私には、既に取り扱えない分野の代物です。
 炭坑遺跡だの、近代化遺産調査だのに論文の多くを費やした私としては、今更古代に戻ってしまっては今までの自分を全面否定することに他なりません。
 そもそも、学芸員制度そのものが非常に曖昧であることに問題点があるように感じます。
 大学で所定の単位をもらうことで取得することのできる学芸員資格
 (資格認定試験を要さない学芸員資格取得法、現在は無試験認定に対する審査基準が厳しくなっている)
 では、自分の専攻をはっきり明示しておらず、考古学だろうが、海洋学だろうがすべて「学芸員資格」の一言でくくられてしまいます。
 さて、私の学芸員資格は「考古学」の専攻分野(の筈)で取得しています。
 本来ならば、建築や土木の分野で取得しておきたいという希望もあるため、そのような教育を受けることのできる大学を探してみましたが、、、
 九州では、心ともない現状です。
 機会(とお金)があれば関西方面でそのような専門教育を行っている博物館に実習に行きたいな、というのが最近の希望の一つです。
 、、もっともその前に進路を決めておけ、というつっこみがあることは否めません。困った。

5月12日  強制的深夜型生活(現在午前五時)

 深夜というよりは分類上は早朝の時間帯にこの文章を書いている庵田@調査大好き!(泣)です。
 こんな時間に起きていると、なんだかダメ人間か仕事の鬼かどちらかのような気がしませんか?
 たぶん、私はどちらでもないのでしょうねぇ(稼ぎが少ない分前者か?)。

 意外とここの文面を読んでくださる方が多いようなので、折角ですから研究に協力して頂ければ、と私が現在行っている研究内容を限定公開(笑)致します。
 現在私が行っている研究、および調査内容は大まかに述べると以下の通りです。

 1.産業観光に関する研究(中京圏を参考として)
 2.関門北九州地域における近代化遺産の調査(日本近代建築総覧、土木学会調査を超えるものを目標)
 3.北九州地域における近代化遺産活用法(近代〜現代の継続的な視点で)
 4.北九州産業技術博物館(仮称)の活用法(博物館は平成18年度オープン予定)


助言が多いと、私に大きな貸しを作ったこととなり、結果としてこのサイトの更新が進むという大きな利点があります(苦笑)。
 あ、産業観光に関する説明が(このサイトには)ないですね。後で該当するコーナー内に説明を設けておきます。
 この分野に興味のある方(いないだろうな、、、)は、
  http://www.sangyokanko.jp/intro.html  (あいちの産業観光)
 をアクセスしてみて下さい。だいたいのあらましが分かる、、筈です。
 
 、、、いくら寝てないからってダメなこと書いてないよな、、、うん、たぶん大丈夫(笑)。

5月18日  自分の際を知る。

 はっきり申し上げますと、サイトの運営は自分にとって損になっている部分が多いです。
 大局的見地に立ってみると、情報の提供は学問それ自体の前進に絶対にプラスの面があります。
 また、私が望む地域振興にも観光面や経済情報の広報といった面で悪い方向にはならないでしょう。
 が、私がここで自分の知識や見地を披露すればするほど、他の誰かがそれを利用し、発表することで、そこに私が間接的に関与したにもかかわらず、「なかったこと」にされるという危険性が生じます。
 、、、一部コンテンツを除き(あまりに引用が多い場合はページ内に出典を明記しています)、それなりに手をかけてきたという自負があるので、こういったことに危惧を感じます。
 ただでさえ、Web上の著作権問題には保護がなされていない面もあり、また私自身職分が安定していない状態が続いています。
 就職してある程度の収入があれば、ここあたりにおおらかな気持ちも働くのでしょうが(相手がいくら情報を持って行こうと、私がそれ以上調べれば良いことだ、とか)、、、
 最近「言いたい放題」コーナーの更新がないのはここに起因しています。

 正直、研究のための資金が枯渇し始めており、来年は学会活動もできないのではないかと考えてさえいます。
 こんな状態では何もできません。せめて将来が明るければ、と思うのですが、これは自分に能力が足りないため、としか言いようがありません。

 、、、、、書いてて虚しいな。
 次回はもう少し明るくしたいと、、、せめて少しでも早く研究費が下りてくれれば、、、はぁ。



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