晋は春秋時代中期以降、家臣の勢力が公室を上回るようになる。定公の頃になると、公室と家臣との勢力差はもはや比べようもなくなり、六卿と呼ばれる六つの有力家臣(知・趙・魏・韓・中行・范)が政権を握ることになる。
六卿は、最終的には趙・魏・韓の三氏が残った。このころには晋の公室は絳と曲沃の2つの邑のみの領有となっていた。この三氏が周王から諸侯として認められ(紀元前405年)、晋は静公の時代に趙・魏・韓の三国に分割され、滅亡した。
晋の滅亡は、そのまま春秋時代の終焉を表すこともあり、春秋時代はそのまま晋の興亡史とも言える。
参考文献
司馬遷 小竹文夫・小竹武夫訳 『史記』 ちくま学芸文庫