このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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仙台市青葉区霊屋下〜米ヶ袋

広瀬川の河原より
 「おたまやばし」です。広瀬川にかかる鉄筋コンクリート橋です。片側一車線で、仙台市営(一般路線と「るーぷる」)・宮城交通の経路にもなっています。昭和初期の建設で、その荘厳な形態には評価が高いです。2連のアーチと橋詰及び中央部にある燈籠が独特の雰囲気を醸し出しています。
 橋の脇から河原に下りられるようになっており、ここの河原では秋の風物詩「芋煮」もよく行われています。最寄り停留所は「霊屋橋瑞鳳殿入口(おたまやばしずいほうでんいりぐち)」、るーぷるなら「瑞鳳殿前」です。仙台市営・宮城交通とも、霊屋橋・向山2丁目経由の八木山方面行きがここを通過するため結構な頻度でバスがやって来ます。
橋の上
 霊屋橋沿革概要(橋の東詰めにあるプレートより抜粋)
 本橋は藩祖伊達政宗御霊廟の下に通ずるに拠りて此の名あり往昔は小舟に拠り後猶粗雑なる木橋を架せるに過ぎず改築の要多かりしが偶明治三十四年陸軍東北大演習の擧あり聖上の御統監に當り藩祖に位階追陛の御沙汰あり勅使御差遣の事あるに際し僅に片板の假橋なりしは市民の恐懼措く能はざる所にして益す改築の要を唱ふるもの多きを加へ就中岡濯氏の如き「請宮城縣知事架橋霊廟橋書」を呈し世論のある所を提唱せり後地方有志の援助に拠り本市は大正五年木造吊橋を架設し稍舊態を改むるに至りしも材齢既に二十を算し幅員狭隘態様も亦時運に伴なはざるものあり時恰も藩祖三百年祭に際會せるを以て之が記念事業をも兼ね昭和九年度一般労働者失業應急事業として仝年八月改築に着手し仝十年四月竣功したものなり

一.構造 鐵筋混凝土拱橋 橋長六十米六幅員九米〇九
二.工事費 六萬參千六百拾五圓六拾五銭
三.労働者延人員 貳萬四千百参拾七人 四.工事日數 貳百四拾四日 自昭和九年八月十六日 至仝十年四月十六日
昭和十年四月 仙臺市役所
 …ほとんど漢文の世界で、ところどころ怪しげな文字もあることをご了承下さい。現代の案内図風に書くと以下のようになるでしょうか。
 この橋は仙台藩の藩祖、伊達政宗公の霊廟(瑞鳳殿)の下に通じるのでこの名があります。その昔は小舟での「渡し」で連絡されていて、その後も粗雑な木の橋だったために改築の要望が多く出されていました。明治三十四年、旧帝国陸軍の東北大演習が開催され、明治天皇がこれを統監するにあたり御霊廟においでになりました。この時あまりに粗雑な橋だということで市民の中には恐れ多いという意見が飛び交い改築の要望が高まるとともに、中岡濯氏のように県に改築要請を提出する人まで表れました。地方の有志の援助を受け、仙台市が大正五年、木造の吊橋を設置しました。しかし幅も狭く、老朽化が進んだため時運にふさわしくないとされました。藩祖三百年祭記念事業を兼ねた昭和九年度一般労働者失業対策事業として昭和九年八月着工し、翌昭和十年四月に竣工しました。
 鉄筋コンクリートを「鐵筋混凝土」と書くのは名訳だと思いますが、いかがでしょうか。「仙臺」は「仙台」の旧字体で、現在でも名産のお店などでは使われているところも多いので市内ではよく見かけます。
東詰めのプレート西詰の燈籠

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