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2003年5月26日18時24分頃、宮城県気仙沼市沖を震源とするM7.0の地震が発生しました。仙台市でも震度5弱を記録し、市内では通信網が全滅状態になるなど終日混乱が続きました。JRも地震発生直後から仙台地区以北の広い範囲で運転を見合わせ、日付が変わる頃に一部路線で運転が再開されましたが東北新幹線の仙台以北などは当日の運転が打ち切られ、東海道・山陽新幹線ではおなじみ(?)の「列車ホテル」が用意されました。
翌27日、仙台地区の在来線では運転が再開されましたが、大船渡線、釜石線、気仙沼線、岩泉線、三陸鉄道では路盤の土砂崩れや歪みが生じたため終日運休、東北新幹線も宮城・岩手の県境付近で橋脚のコンクリートが崩落するなどかなりの被害を受けていたため始発から運転を見合わせ、仙台以北についても間引き運転となりました。この影響で仙台から秋田・盛岡・八戸などへ向かう高速バスに乗客が集中し、当地では極めて珍しい高速バスの続行運転が行われました。秋田中央交通の貸切車が市内をうろついていたりしましたから、その混乱ぶりがわかります。
東北新幹線は崩壊した橋脚を応急補強するなどしてまず盛岡〜八戸間が運転再開、その後仙台〜一ノ関間が運転再開、一ノ関〜盛岡間は試運転列車の運転士が異常を感じたため再度運転を見合わせ、結局徐行運転で運転再開されたのは27日の夜のことでした。
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