このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

長篠城跡

三河の要所長篠城。
川に囲まれ、天然の要塞と言われていた。
ここの攻防から長篠の戦いに発展する。
武田勝頼軍15000。守る奥平貞昌軍500という圧倒的な戦力差にも関わらず、懸命に応戦し、城を死守する。
しかし、兵力の差は歴然で、落城寸前に城の兵士、水練達者な鳥居強右衛門が夜陰に乗じて川を渡り、家康に援軍を乞いに伺う。
家康は了承し、その旨を伝えに城内に戻ろうとするも武田軍に捕まる。
武田軍に「援軍は来ないと城内の兵に伝えよ。そうすれば命は助けてやる。」と脅さる。
しかし、強右衛門は城兵に向かって
「喜べ。もうすぐ援軍が来る。それまで各々方、頑張って持ちこたえるのじゃ」と叫ぶ。
当然、武田軍は怒り、強右衛門を磔の刑にする。
壮絶な最後を遂げた強右衛門だが、武士の心意気に打たれた武田の兵士がこの様を書き留め、鳥居家は歴史に名を残すのである。
結局、勝頼は攻めあぐね、その間に織田・徳川連合軍が設楽ヶ原に到着。
長篠に3000の兵を残し、残り12000の兵で設楽ヶ原に移動、ここに長篠・設楽ヶ原の合戦が始まった。

アクセス
設楽ヶ原古戦場から車で20分ほど
無料駐車場有り。
地図
長篠城跡の碑。
石垣はあまり高くない。
自然をうまく生かした城と言えよう。
城内には武田軍、織田・徳川連合軍の各部隊ののぼりがあります。
結構大きくて、風でギシギシいっていました。
見ごたえあります。
真田六文銭も発見。
山県昌景ののぼりもカコイイ。
資料館にある鳥居強右衛門の図。
これは武田軍の書いた絵を参照に作ったもの。
強右衛門。
ちょっと怖い。
まあ、実際はこれくらいの顔で叫んだのかもしれない。
資料館には結構コアな品物があります。
これは武田菱が入ったお皿。
\400なり。
安い。3枚も買った。
他には織田、徳川の家紋のやつもあります。
史跡案内図も売っていますので、これを買ってから色々回ったほうが良いでしょう。

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