このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

典厩寺

武田信玄の同母の弟、武田典厩信繁を奉っているお寺。
父信虎が信玄をきらい、信繁に跡を継がせようとした。
しかし、信虎追放後も信繁は兄の信玄を敬服し、また、信玄もそれに応えた。
普通、世継ぎ争いがあると兄弟の仲はうまくいかないものだが、信玄、信繁にはあてはまらなかったようだ。
また、天文、地理、兵法、、武勇共にすぐれた知勇兼備の名将であった。
これは信繁著の「信繁家訓百箇」(武士とはなんぞやといった家訓)に論語、三略、碧巌録などの中国古典を引用した表現を用いていることからもわかる。
信繁は家臣からも尊敬され、秀弟だったが、残念ながら川中島の戦いで、最後まで信玄を守ろうとして討ち死にした。
本陣が危うくなったのは、右翼の太郎義信隊が謙信の策略に乗っておびき出され、陣形が崩れたのが原因であった。
これに信玄は激怒し、義信に切腹を命じようとしたが、家臣がいましめた。
蛇足だが、真田幸村の本名は実は信繁なのだが、これは典厩信繁公の人望を深く尊敬し、命名したという。
アクセス
長野ICから約20分。駐車場は前に空き地があり、3〜4台はとめれる。

地図

大通りから一旦土手の方に登ります。
すると看板が見えてきますので右折。
その後すぐに下りると典厩寺です。
入り口には日曜日でも誰もいません。
呼び鈴を押して入館料\200を払いましょう。
ちなみに川中島の戦いの手ぬぐいが売っていました。
ついつい買ってしまった。\500やったかな?
入ってすぐのところに巨大な閻魔大王様がいました。
でもなんでやろ?
信繁公の墓。
尊敬する武将だったので感慨深いものがありました。
この井戸で首を清めたそうです。
いまは草が生えていて底は見えません。
本堂。
鍵がかかっていて入れません。
でも記念館と間違えて横の玄関から忍び込んじゃいました。
慌てて住職さんが違うよって教えてくれましたが。(笑)
こちらが記念館です。
玄関に電気のスイッチがあるからつけて入ってねって・・ほんまノーセキュリティーやな。
でもこのゆるさがイイ。
典厩信繁公。
甲陽軍艦って、おーい、こんな重要なものがこんなところにあってええんかいな!
センサー警備とかしとかなあかんのちゃうの!?

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