このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
旧五日市鐵道 |
大正10.08 | 五日市鐵道株式会社創立 | |
大正14.04.21 | 武蔵五日市−拝島間 開通 | |
大正14.09.20 | 武蔵五日市−武蔵岩井間 開通 | |
昭和05.07.13 | 拝島−立川間 開通 | |
昭和06.12.08 | 武蔵田中−拝島玉川間 開通 砂利運搬専用 | |
昭和15.10.03 | 南武鐵道に合併 | |
昭和19.04.01 | 国鉄に移管 | |
昭和19.10.10 | 立川−拝島間 不用不急線として営業停止のち廃線 | |
昭和36.04.17 | 五日市線電化 | |
昭和41.02.01 | 大久野−武蔵岩井間廃線 | |
昭和57.11.15 | 武蔵五日市−大久野間廃線 |
甲武鉄道の新宿−立川間が明治22年に開通。 青梅鉄道の立川−青梅間が明治27年に開通。 そして、大正14年に五日市鉄道が拝島−武蔵岩井間で開通。 開通時、拝島駅では青梅鉄道のホームとは約200m離れた雑木林の中に五日市鉄道のホームが置かれたとの事。これについては青梅鉄道の嫌がらせであるとか、技術的な問題であったとか言われている。 青梅鉄道は、日向和田の石灰石運搬が目的であった。また五日市鉄道も大久野の石灰石の運搬を目的に開通したのである。その後の拝島−立川間の延長は南武鉄道と直結し川崎方面へ石灰石を直送するためであった。この区間、青梅鉄道との併設されているところをみると、両社はあまりいい関係ではなかったような感じがする。青梅鉄道も、その後二俣尾、氷川へと石灰石を求めてその延長をのばすのである。 五日市鉄道の拝島−立川間が開通する際の路線は、青梅鉄道が当初計画した路線である。青梅鉄道の時には煙や火の粉を嫌った住民が反対をし、北側に青梅鉄道を追いやり現在の位置となった。その後、鉄道のもたらす繁栄を羨んでいたこともあり、五日市鉄道の延長時には当初の計画通りになったといわれる。 その後青梅鉄道ともども国有化され、戦争のため併設区間と言うこともあり、廃止されるのである。 |
手元にある資料(昭和53年発行の時刻表復刻版<戦前・戦中編>)で当時の時刻表を一部ですが再現してみました。 |
大正14年 4月号 | 残念ながら五日市鐵道開通の1ヶ月前の発行です。青梅電氣鐵道は立川、二俣尾間で運転されています。 | |
昭和 5年10月号 | 五日市鐵道の立川、拝島間が開通しています。青梅電氣鐵道は御岳まで延長されています。 | |
昭和 9年12月号 | 五日市鐵道では立川、武蔵岩井間上下44本が運転されています。青梅電氣鐵道では立川、御岳間上下59本が運転されています。 | |
昭和15年10月号 | 南武鐵道との合併直前です。五日市鐵道では立川、武蔵岩井間上下33本が運転されています。青梅電氣鐵道では立川、御岳間上下64本が運転されています。 | |
昭和17年11月号 | 五日市鐵道は南武鐵道五日市線になっています。五日市線では立川、武蔵岩井間上下34本が運転されています。青梅電氣鐵道では立川、御岳間上下65本が運転されています。 | |
昭和19年12月号 | 南武鐵道五日市線は国有化後、廃止されています。時刻表の地図の線は消えているのですが郷地、武蔵福島、南中神の駅名だけが印刷されています。消し忘れたのでしょう。青梅電氣鐵道は国有化され、御岳、氷川(現奥多摩)間が開通しています。 |
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