このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
長井線最後のキューロク
★ 本州最後のキューロクの最後の仕事
長井線は、山形県の赤湯駅と荒砥駅とを結ぶローカル線です。現在は第3セクターの山形鉄道フラワー長井線となり、走る車両も専用の気動車だけになっていますが、山形新幹線が出来るまでは、奥羽線や米坂線から色々な車両が乗り入れていました。蛇足になりますが、この時点で本州に残っている現役のキューロクは、この59634だけでした。
そして、この運用がこの機関車の本州最後の運用になりました。その後はしばらく休車になっていた後、昭和49年にははるばる九州まで転属して行ったのでした。
糠の目駅を通過する、朝の下り貨物列車
前後に通勤通学列車が有る為か、奥羽線内はかなりのスピードでした。
1973.03.29 奥羽線 糠の目駅にて
糠の目駅の入換機
キューロクの列車を撮った後ぶらぶらしていたら、山形交通高畠線に入る貨車なのでしょうか、入換作業が始まりました。
動力車は入換動車?それともモーターカー?良く見るとなかなか面白い形をしていますが、当時はこの手の車両は何処の駅にも居たので、詳しく調べる気にもならずに、駅に戻ってしまいました。
1973.03.29 奥羽線 糠の目駅にて
[追 記] この写真について、大阪の大脇さんからメールをいただきました。
この車両は、佐藤工業製のロータリー除雪機付き10t入換動車ですが、雪の季節が終わったので冬姿を解除したところだそうです。そう言えば、上の写真では連結器の周りに除雪機を固定するブラケットや油圧ホースが見えます。
また、運転室には旋回窓。作業灯も2つ見えます。普通の入換動車とは何処か違うと思っていましたが、正体が判って安心しました。
大脇さん、ありがとうございました。
写真 3
赤湯駅の発車
糠の目駅から確かED78重連牽引の客車に乗り、次の赤湯駅で降りました。長井線は初めてだったので土地勘も何も有ったものではありませんでしたが、発車シーンなら煙も出るだろうと闇雲に歩いて行きました。
奥羽線と別れ、架線も無くなって頭上がすっきりしたのは良いのですが、足元はぐちゃぐちゃでした。
何かの工事現場らしいと思っていましたが、後年ここには南陽市役所が出来ました。
貨車の屋根の上に、奥羽線の架線柱が見えます。
1973.03.29 長井線 赤湯−宮内町にて
写真 4
今泉駅に進入する米坂線の上り列車(?)です。
キハ55+キハ17でしょうか?当時はこのでこぼこ編成が嫌で、米坂線のDCの写真はほとんど撮っていませんでした。
長井線の気動車で荒砥駅に向かう途中ですが、この時はよっぽどヒマだったんでしょうね。でも、ネガを見るまで撮った事すら忘れておりました。
1973.03.29 米坂線 今泉駅にて
荒砥駅風景
駅舎は懐かしい木造の「田舎の駅」です。
駅のすぐ横はもう田んぼで、ちょっと駅前を外れると駐泊施設とホームの気動車が良く見えました。
1973.03.29 長井線 荒砥駅にて
荒砥駅で休む59634
1973.03.29 長井線 荒砥駅にて
写真 7
入換を終え、荒砥駅で発車を待つ
1973.03.29 長井線 荒砥駅にて
荒砥駅を発車。
1973.03.29 長井線 荒砥駅にて
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