このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




米沢機関区にて

米坂線の終端駅である米沢駅には、明治時代に建てられたレンガ造り3線の機関庫を擁する米沢機関区が有りました。
奥羽本線が蒸気運転の頃は、4110(古すぎ?)やD51やC57が出入りしたであろう機関庫は、私が訪問した頃は米坂線の9600と入換や小運転に使用されるC11のねぐらになっていました。
ここには、本州最後の9600となった59634号機も在籍していました。


奥羽線が改軌されて新在直通の特急「つばさ」が走るようになり、在来線との縁が切れた現在、この機関区跡は大きく様相を変えようとしています。
熱心な保存運動も有りましたが、結局ターンテーブルは解体されてしまい、更に平成13年2月には近年に無い大雪により、レンガ造りの機関庫も倒壊してしまいました。
今後この土地がどの様に利用されるのか、興味有るところです。


写真 1

機関庫の前で休む9634号機。
以前は形式入りナンバープレートと郡山式集煙装置で人気が有りました。
特徴有る郡山式集煙装置は、後年取り外されてしまいましたが、その名残が煙突部に残っています。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 2

機関庫の中にて。
石炭の煙と機械油の匂いが立ちこめる機関庫の中からの眺めです。
元々本線用の機関庫だったため米坂線の機関車だけでは余裕が有る上、この時は多くの機関車が外に出ていたので、中はガラガラでした。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 3

米沢機関区所属の59634号機と、坂町機関区所属の69677号機。
坂町区の9600は、大型前照灯や化粧煙突などきれいな姿を保っている機関車が多く、その姿を見るのが楽しみでした。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 4

ターンテーブルに乗る69677号機。
ターンテーブルの主桁には、機関車の停止目標が書かれていました。拡大してみると、D51やC57等本線時代の表記が残ってるのが判りました。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 5

石炭積み込み場の前で休む59661号機。この機関車も坂町機関区の所属です。
これから貨物列車の仕業が控えていました。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 6

米沢機関区のC11は駅構内の入換の他、左沢線の仕業も受け持っていました。
車両配置表ではC11の配置が多いのに、普段はあまり見掛けないので、不思議に思っていた時期もありました。
この234号機は、語呂の良い番号で私の好きな機関車でしたが、なかなか見掛けるチャンスが少ない機関車でもありました。

1972.03.04 米沢機関区にて


写真 7

石炭積み込み場の前で休む59634号機と69677号機。
米坂線には重連仕業は無かったので、重連を組んで出区していった時には驚きました。このあと坂町まで旅客列車を牽引して行きました

1972.03.04 米沢機関区にて


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