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http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=59
によれば、幕末の人口No.4は「金沢」だったとのこと。
>ところで、みなさん幕末期・明治維新頃の国内第4の都市は、どこだと思いますか?
>いきなり答えを言ってしまうと、それは金沢なんです。当時の金沢の人口は約12万人。
>江戸〜明治初期までは、江戸・京都・大阪に次ぐ大都市でした。
>ちなみに、当時日本第5の都市は、名古屋でした。
>しかし版籍奉還により、武士に依存していた加賀百万石の経済力は急激に衰退し、
>明治30(1897)年まで人口が激減することになります。
>名古屋が金沢の人口を抜くのは、明治8(1875)〜明治10(1877)年頃だと思われます。
>明治12(1879)年の名古屋の人口は111,783人、金沢は107,876人です。
>その後、明治20(1887)年には、横浜・神戸の両都市に抜かれ、
>明治27(1894)年には、ついに広島にも抜かれ、国内第8の都市に転落していきます。
>さらに追い討ちをかけるように、明治30(1897)年・明治31(1898)年には、仙台・長崎両都市に抜かれます。
>幕末期・明治維新頃に約12万人だった人口が明治30(1897)年には人口82,378人まで
>減り続けましたが、「軍都」となってようやく活力を取り戻していったのです。
>再び金沢が10万都市に復帰するのは、明治37(1904)年のことです。当時国内10位。 | |