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まちとむらのけいじばん 過去ログ 2007年5・6月

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サラマンダー  投稿者:cornucopia 投稿日:2007629()010547

 

 

 

人口重心は関市にあるが、
www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topics22.htm

関市の市域の形が。
map.yahoo.co.jp/address?ac=21

こんなページがありました。
homepage2.nifty.com/hat-nif/tokaido/ichirizuka/column175.htm
延岡市と北川町が合併し、平凡な市域になっています。

 


(無題)  投稿者: あらきやすし  投稿日:2007617()224452

 

 

 

*ここでは、アーケード=オーバーアーケードという前提でお話が進んでいると解釈してコメントさせていただきます。

新潟市の中心街にもオーバーアーケードが二つあります。古町通と本町通。

ただ、オーバーアーケドにすると、商店街の共益費が高くなるそうで、それが家賃の値上がりにも反映されてしまいます。
そのため、同じ古町でも商店街のリニューアルを検討していた上古町(古町通1〜4、オーバーアーケードにはなっていない)では、オーバーアーケドにはしない事になったそうです。


*アーケード=オーバーアーケードという前提で話をしているわけではない!と言う場合はこちらを、、、


雪国には「雁木造」という、日本古来のアーケードがありますよね。これは豪雪地だからこそ発達したものだそうです。

 


Re:アーケード  投稿者:晩餐館 投稿日:2007616()030027

 

 

 

>それとも東日本(というか北日本)では、雪の重みでアーケードが
>作れないのか?

札幌の狸小路、仙台の一番街など、北日本地域にもアーケード商店街はありますが。

 


れ:アーケード  投稿者:まる 投稿日:200764()23182

 

 

 

金沢市の横安江商店街(金沢駅から歩いて10分ほどのところ)は、
アーケードのある商店街でしたが、さびれて客足が遠のいていました。
イメージを刷新するという名目の元、アーケードを取っ払って、
日差しの入る新しい通りに変えたのですが、結果はどうだか・・・。

逆に、大阪の心斎橋筋などはアーケードが繁華街のまとまった商店街という
イメージを演出している。アーケードをあけた状態での、商店街を見たことがあるが
なんとも間抜けだった。

この二つの違いがどういう感覚の違いにあるのか、不明である。

http://www.siz-sba.or.jp/kamihon/yokoyasue.html

 


ミニミニクイズ  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200762()145312

 

 

 

地図を見ずに、カンだけで回答してみよう。

①東京(23区)と新潟市、どちらが経度は東か?
②では東京(23区)と奥尻島では?
③東京(23区)と鳥取市、どちらが緯度は北か?
④伊豆大島と大阪、どちらが緯度は北か?

 


アーケード  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200762()122145

 

 

 

1行ネタ

日経に、アーケードが付いた商店街は西日本に多い、と書いてあった。

西日本では日差しが強かったり雨が多いので、アーケードが重宝するのか?
それとも東日本(というか北日本)では、雪の重みでアーケードが
作れないのか?

 


下町の〜♪  投稿者:cornucopia 投稿日:2007531()030628

 

 

 

管理人さま:
>
高校野球の「南北海道」と「北北海道」はどこで分かれるのか?

高校野球、北海道について
http://zatu.blog10.fc2.com/blog-entry-528.html

(高校野球からの連想)朝日新聞の東京地方版ですが、23区東側(台東、墨田、江東、荒川、
足立、葛飾、江戸川)が「川の手版」になっています。「山の手」に対応することばは、
「下町」なのでしょうけれど、東京「下町版」では、やはり嫌がられるのかもしれない。

#「むさしの」「多摩」「東京」「川の手」ですが、「むさしの」だけ、どうして「ひらがな」?
# 朝日新聞に問い合わせればわかることだが。

#皇居を中心としてみた分け方に、「城東」「城西」「城南」「城北」がありますが、
#賃貸マンションをさがすときには、これぐらいの区切りがちょうどよいのかもしれない。

 


北北海道  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:2007526()21185

 

 

 

「北物語」という北海道地理本に面白いことが書いてあった。

「北海道には北北海道と南北海道が存在する」

ここでいう北・南は、緯度的な南北と必ずしも一致しない。
緯度的には札幌より「南」の釧路は、この著者によれば「北北海道」に
分類される。

著者によれば、
「札幌圏より本州寄りが南北海道、それより奥が北北海道」と
書いていて、
「開拓の進度が進んでいるのが南北海道で、
 進度が進んでいないのが北北海道」とも書かれている。

実際、町村の人口なんかでも、北北海道の町村の人口と南北海道の
町村の人口では、格段に違う。

著者は単に「開拓の進度の違い」としか書いていないが、小生が愚考するに、
その進度の違いをもたらしたのは、「コメが取れるか、取れないか」では
ないか、と思う。

札幌よりも南に位置する道東地方(十勝・釧路・根室)は、夏季に親潮の
影響により濃霧が出やすく、コメの生育に適さない。
はっきり言えば「夏でも寒い」のである。

オホーツク側(北見)とか、夏は道東ほど寒くないからコメが取れそうなものだが、
ここでも取れない。
降水量が全国で最少の地域であることが災いしているのか?

留萌・宗谷もコメは取れない。

これら「コメ不毛地域」が、結果的に開拓の進度が遅れることになり、
文化的な差異を生じさせたのではないか?

もっとも、観光的に魅力なのは「北北海道」の方である。
夏などは、札幌〜旭川間の光景は水田が広がるので本州と大差ない。
しかも暑いし。

「いかにも北海道!」という風景が期待できるのは、断然北北海道である。

余談だが、高校野球の「南北海道」と「北北海道」はどこで分かれるのか?

 


(無題)  投稿者:晩餐館 投稿日:2007526()140652

 

 

 

>50年、100年のレンジで考えると、実は「2大都市」も変化なし、とは
>言えないと思う。
>数十年の間には、愛知県の人口が大阪府の人口を、名古屋市の人口が大阪市の人口を、
>それぞれ追い抜いてしまっている可能性を、あながち否定できない。

>奇しくも、JR東海はリニア新幹線を「首都圏〜中京圏」で先行開業する、と発表した。
>資金的問題が解決すれば関西圏に延長するのかもしれないが、そのまま中京圏止まりに
>なる可能性も、案外捨てきれない。
>リニア開業時にもしも愛知・名古屋が「日本第二の都市」になってしまっていたら、
>その先の「所詮は第三の都市である大阪」へ、延長開業するインセンティブが
>乏しくなってしまう。

リニアが開業するころは京阪神圏と中京圏は1つとなり、「名阪圏」と呼ばれているような気がします。
東端に名古屋、西端に大阪を有し、その中間に位置する三重、滋賀、福井を発展させることで中京圏と京阪神圏を1つの都市圏として扱われる、という感じです。

あと、旧東海道が鈴鹿山脈回りになってるのは、安易に江戸に来ることができないようにするためです。安易に江戸に来れる=江戸を攻めやすくなる、ですから、江戸を守るためにわざと険しい山道を通るルートを作ったわけです。箱根の山越えや大井川渡りなども同じ理由です。

 


Re:捨てネタ  投稿者:晩餐館 投稿日:2007526()134725

 

 

 

>都市圏人口100万人程度の都市で地下鉄・モノレール等がない都市
>★さいたま(埼玉新交通は、チト違う気が・・)
>★川崎
>★新潟
>★静岡
>★浜松

静岡鉄道を有する静岡市、遠州鉄道を有する浜松市は当てはまらないのでは?
新潟交通が廃止されてしまった新潟市はしょうがないが。

 


Re:住所  投稿者:くろだ 投稿日:2007526()043441

 

 

 

>・・・でも、電話番号みたいに住所も番号ふった方が効率よくない?

それ、一般的には郵便番号と呼びます。
郵便番号と地番表示でひとつの番号になります。

 


住所  投稿者:初めの一歩 投稿日:2007524()210044

 

 

 

機械が手書きの住所を読み取って、見えないインクでバーコードを印刷していたことを知ったのには驚いた。・・・でも、電話番号みたいに住所も番号ふった方が効率よくない?
どうせ、住所は礼儀上書くわけだし。その方が機械も読み取りやすいだろう。

http://sky.geocities.jp/ekikuroscience/

 


郵便番号が書いてあれば届くので  投稿者: くろだ  投稿日:2007514()23377

 

 

 

「厚木市〜」で済ませてます。さすがに地番だけにはしません。

 


都道府県名の省略について  投稿者:喜連瓜破 投稿日:2007514()220752

 

 

 

はがきや手紙に住所を書くとき、県名と市名が同一の場合は、県名は省略する人が多いかと思います。
でも県名と市名が違うときは、市名だけを書いて済ませるのはある程度有名な市でないと無理でしょう。
それが県庁所在地とかだったら何の躊躇もなく県名を省略しますが、政令市でありながら丁寧に県名から書いてることもあります。
例えば神奈川県横浜市とか、兵庫県神戸市とか、福岡県北九州市とか。
皆さんはこういうのはやっぱり県名から書きますか?本当は郵便番号と地番(住居番号)だけでいいんだけどね。

 


快速「みえ」はすごい!  投稿者:伊勢えび 投稿日:2007513()120248

 

 

 

三重県は全国でも稀有な、JRよりも私鉄が幅を利かせている近鉄王国。
そんな状況を打破すべく、JR東海が投入した秘密兵器が「快速みえ」。
快速だから特別料金は不要、それなのに停車駅と所要時間は特急とほぼ同じ。
並行する近鉄特急よりも安く、しかも急行より速い。これでJRは巻き返し、
大いに気を吐いたが、1時間に1本しかなく2両しかないのが難点である。
しかしようやく本気を出して来たJRの姿勢は大いに評価したいと思う。
がんばれ!JR! がんばれ!快速みえ!

 


捨てネタ  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:2007512()140711

 

 

 

人口規模と都心交通網の比較

都市圏人口100万人以上の都市で地下鉄を有する都市
★札幌
★仙台
★東京
★横浜
★名古屋
★京都
★大阪
★神戸
★福岡

都市圏人口100万人程度の都市でモノレール等を有する都市
★千葉
★広島(アストラムライン)
★北九州
★那覇

都市圏人口100万人程度の都市で地下鉄・モノレール等がない都市
★さいたま(埼玉新交通は、チト違う気が・・)
★川崎
★新潟
★静岡
★浜松

 


島根県  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:2007512()140420

 

 

 

>明治時代は新潟県が人口が一番多かった。
明治初期の日本の人口は3,000万人程度。
現在、減少基調とは言え、人口は1.2億人。

つまり、平均して4倍(!)に人口が増加したことになるので、
程度の差はあれ各県とも人口は増えている、と思われるのだが、
島根県だけは、明治初期も今も人口70万人程度で、
横ばいのママ。

逆に言えば、明治期の人口分布というのは
「全国を(今の)島根県にしたような感じ」ということだろうか。

 


自治体規則に残る「幻の島」  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:2007512()135228

 

 

 

http://www2.city.mitsuke.niigata.jp/database/reiki_int/reiki_honbun/ae41101631.html

ネタじゃないです。
「見附市職員の旅費の支給に関する規則 」

>第2条 条例第2条第1項第1号に規定する「付属する島」とは、次に掲げる以外の島をいう。
(1) 千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発及び多楽島を含む。)及び色丹島
(2) 小笠原諸島及び硫黄列島
(3) 鬱陵島、竹の島及び済州島
(4) 硫黄鳥島及び伊平屋島並びに北緯27度以南の南西諸島
(5) 大東諸島、沖の鳥島、南鳥島及び中の鳥島

最後の「中の鳥島」に注目

 


人口  投稿者: くろだ  投稿日:200759()232922

 

 

 

>もっとも「加賀百万石」の人口っていう定義によるな。

一石でひとり賄えるといわれてるので、百万石なら人口百万ですかね。
加賀藩全体なら江戸といい勝負かも。

 


越後の縮緬問屋  投稿者:cornucopia 投稿日:200757()215318

 

 

 

明治時代は新潟県が人口が一番多かった。
blog.goo.ne.jp/yappi27/e/56fcc200fa9fa6e3da5367aad6a51ec3

明治大正期の都市人口とその後の変遷
uub.jp/arc/arc.cgi?N=59

地域別人口分布の超長期推移(縄文時代から1995年まで)
www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7240.html
明治維新の頃、北陸は人口で南関東に迫る。

 さて、加賀の人口ですが、
homepage2.nifty.com/k-plan/yodan_48&49_b.htm
「加賀百万石」は、加賀、能登、越中3国の大半を意味するのでしょうか?
個々の数字に関しては、コメントは差し控えます(自分で集計するのが
面倒なので)。

 


江戸期の金沢の人口  投稿者: なかだ  投稿日:200756()114918

 

 

 

>江戸時代は江戸よりも、加賀百万石の方が人口が多かったと主張していましたが・・

そりゃいくらなんでもないでしょう。
江戸時代後半の江戸の人口は当時すでに百万人を超え、ロンドンやパリをもしのぎ当時世界最大の都市だったというのは有名な話です。
その江戸よりも人口が多かったとすれば、金沢こそが当時世界最大の都市だったということになる。
もっとも「加賀百万石」の人口っていう定義によるな。加賀藩全体でいっちゃあ、そりゃ人口も多くなるでしょうね。

 


金沢の人は  投稿者:まる 投稿日:200756()023717

 

 

 

江戸時代は江戸よりも、加賀百万石の方が人口が多かったと主張していましたが・・
真偽の程はわかりません。
金沢の人はやたら江戸時代の自慢話をする特徴があります。

 


(無題)  投稿者:晩餐館 投稿日:200755()211459

 

 

 

>「3大都市(圏)」の場合首都圏・近畿圏・中京圏、又は東京・大阪・名古屋を指す。
> (単に人口だけ考えれば「東京・神奈川・大阪」とか「東京・横浜・大阪」という
>  捉え方もあっていいのに、そういう捉え方は殆どない。それが横浜クオリティ)

そりゃそうでしょう。「首都圏」は神奈川(もちろん横浜も)入ってますから。
例えば、「京浜工業地帯」の「京浜」は東京&横浜ですし、横浜から東京に通う人もかなり多いです。
「都市圏」として考えるなら東京と神奈川、横浜は一体化して考えるのが自然でしょう。

>「廣嶋」であるが、この歴史を見ると、あきらかに「凋落」している。
>「5大都市圏」の仲間入りをさせてもらえず、後発の札幌圏や福岡圏に抜かされた。

>やはり、原爆のハンデと、「軍需」(軍事拠点都市)がなくなった点と、
>民間会社の中枢都市としては立地が今ひとつであることが祟っていると思われる。

これは日本全体としてのバランスをとるためです。まず、東日本の拠点としての東京、西日本の拠点としての大阪です。そしてそれに匹敵する都市圏となった中間の名古屋です。

さらに北をカバーするための札幌、西をカバーするための福岡。九州全体をカバーするには広島からはあまりにも遠すぎるんです。同じ理由で仙台も北海道までカバーするには遠すぎます。

 


東海道線  投稿者:晩餐館 投稿日:200755()205622

 

 

 

東海道本線が三重ルートを通らなかった理由、それは鈴鹿山脈の存在です。
鈴鹿山脈は三重県と滋賀、岐阜の間を通る山脈で、難工事が予想されたため、より平坦な岐阜回りが採用されたのです。
現在で言うと、名古屋から関西本線、草津線回りのルートが近いんでしょうか?

ちなみに東海道本線最大の難所と言われたのが箱根越え。これを避けるために作られたのが御殿場線です。つまり、御殿場線はもともと正式な「東海道本線」だったのですが、丹那トンネルの開通(予定を倍以上かかる相当の難工事だった)により、ショートカットが可能になり「支線」に格下げになったのです。
そういえば、東名高速も御殿場回りですね。

 


昔の奥州平泉は  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200755()125241

 

 

 

10万人以上の人口を抱え、京に次ぐ第二位の人口があったとか。

 


彦根はガセだったか。  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200755()124949

 

 

 

http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=59
によれば、幕末の人口No.4は「金沢」だったとのこと。

>ところで、みなさん幕末期・明治維新頃の国内第4の都市は、どこだと思いますか?
>いきなり答えを言ってしまうと、それは金沢なんです。当時の金沢の人口は約12万人。
>江戸〜明治初期までは、江戸・京都・大阪に次ぐ大都市でした。
>ちなみに、当時日本第5の都市は、名古屋でした。
>しかし版籍奉還により、武士に依存していた加賀百万石の経済力は急激に衰退し、
>明治30(1897)年まで人口が激減することになります。

>名古屋が金沢の人口を抜くのは、明治8(1875)〜明治10(1877)年頃だと思われます。
>明治12(1879)年の名古屋の人口は111,783人、金沢は107,876人です。
>その後、明治20(1887)年には、横浜・神戸の両都市に抜かれ、
>明治27(1894)年には、ついに広島にも抜かれ、国内第8の都市に転落していきます。
>さらに追い討ちをかけるように、明治30(1897)年・明治31(1898)年には、仙台・長崎両都市に抜かれます。
>幕末期・明治維新頃に約12万人だった人口が明治30(1897)年には人口82,378人まで
>減り続けましたが、「軍都」となってようやく活力を取り戻していったのです。
>再び金沢が10万都市に復帰するのは、明治37(1904)年のことです。当時国内10位。

 


都市人口史  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200755()123029

 

 

 

結構面白いネタが多いようです。

★彦根市は、幕末の時点で「日本第4位の都市」だった、という
 記述をどっかの本で見たことがあります。

 江戸・京・大坂が当時の3大都市ですから、それに次ぐ大都市、というのは
 にわかに信じがたい気がする。
 (仙台や名古屋、鹿児島とかよりも多かったのか?)

 ガセの可能性が濃厚ですが、少なくとも当時の彦根市が
 国内有数の都市であったのは事実のようです。

 それがなぜここまで凋落したか・・・
 井伊大老の本拠地ということで、官軍(明治政府)が
 あからさまに敵視政策を取ったのだろうか?

★新潟市、これも結構幕末時点では重要な都市だったようだ。

 開港都市に名を連ねていることからも判る。

★川島令三氏が珍しく鉄道路線の「歴史」に関する本を書いていた。
 そこで書いていたのが、
 「名古屋がここまで発展できたのはラッキーの積み重ね」という話。

 ①当初、東京〜大阪の鉄道は、中山道経由が有力だった。
  もしそのまま中山道がメインルートになっていたら、
  メインルートから外れる名古屋は発展しなかっただろう。

 ②逆に、もしメインルートが最初から東海道経由であった場合、
  その場合も今の名古屋が発展したかどうか、判らないとのこと。

  この場合、旧東海道が伊勢の方を経由していたことから、東海道の
  鉄道も三重県を経由していた可能性があり、その場合は
  「熱田辺りでそのまま西進するルートになり、現名古屋駅周辺は
   通らなかったのではないか?」とのこと。

 ③実際には、
  ・当初は中山道経由で計画
  ・そのために、武豊〜岐阜のような「資材輸送用路線」ができた。
  ・しかしその後、東海道経由に変更されたため、
   「名古屋周辺を通るルート」となり、かつ折角作った岐阜までのルートは
   有効活用しよう、ということになって「岐阜を通る変則的東海道ルート」となる。
   ⇒現名駅周辺の鉄路はメーンルートとして残り、そしてそこに中央駅が開設された。

  とのことです。

実際には、東海道ルート開設当初は、琵琶湖の水運を一部利用していた
ようですから、三重ルート採用の可能性は元々低かったと思われますが・・

 


●大都市  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200755()120951

 

 

 

「6大都市」という言葉がある。
今や死語と化している観があるが、戦前においては6大都市は
まさに「6大都市」であり、他の都市と比較して図抜けた存在だったようである。

手元に資料がないのだが、戦前(昭和10年代)で、
6大都市いずれも90万人以上の人口があったと思う。

その6大都市に大きく引き離されたが、人口第7番目は実は廣嶋であった。
(なぜか旧字)
人口は6大都市に大きく離され、約40万人。

それでも当時は、札幌・仙台・福岡などよりも多い人口だったようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

現代では
「2大都市(圏)」といえば首都圏と近畿圏、あるいはズバリ東京と大阪を指す。
「3大都市(圏)」の場合首都圏・近畿圏・中京圏、又は東京・大阪・名古屋を指す。
 (単に人口だけ考えれば「東京・神奈川・大阪」とか「東京・横浜・大阪」という
  捉え方もあっていいのに、そういう捉え方は殆どない。それが横浜クオリティ)
「4大都市(圏)」という言い方は、現代日本地理学では殆どない。
「5大都市(圏)」と言えば、首都圏・近畿圏・中京圏・札幌圏・福岡圏を
指すのが一般的なようだ。
いわゆる「ドーム球場がある都市」と一致し、文化的にはタレントの
「5大ドームツアー」として、文化の拠点となっている。

「4大都市(圏)」という言い方がなくて「5大都市(圏)」という言い方が定着
している、ということは、札幌圏と福岡圏の規模に甲乙付けがたいことを示している。
※大相撲的には福岡圏が一歩リードしているが。

「7大都市圏」という言い方もあり、この場合は仙台圏と広島圏を含むのが一般的。

この先は10大都市とか13大都市とかいう言い方があったりして、北九州とか
静岡とか浜松とか新潟とかの政令市を含むとか含まないとかの話になるが、
あまり面白い話じゃないので割愛する。

「廣嶋」であるが、この歴史を見ると、あきらかに「凋落」している。
「5大都市圏」の仲間入りをさせてもらえず、後発の札幌圏や福岡圏に抜かされた。

やはり、原爆のハンデと、「軍需」(軍事拠点都市)がなくなった点と、
民間会社の中枢都市としては立地が今ひとつであることが祟っていると思われる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

50年、100年のレンジで考えると、実は「2大都市」も変化なし、とは
言えないと思う。
数十年の間には、愛知県の人口が大阪府の人口を、名古屋市の人口が大阪市の人口を、
それぞれ追い抜いてしまっている可能性を、あながち否定できない。

そういう状況下で、なお大阪が「日本の2大都市は、東京と大阪」と言い張るのは、
かなり無理があろう。
神奈川(横浜)の場合は、「あれは東京のベッドタウン」という言い訳が通用したが、
愛知(名古屋)相手では通用しない。

奇しくも、JR東海はリニア新幹線を「首都圏〜中京圏」で先行開業する、と発表した。
資金的問題が解決すれば関西圏に延長するのかもしれないが、そのまま中京圏止まりに
なる可能性も、案外捨てきれない。
リニア開業時にもしも愛知・名古屋が「日本第二の都市」になってしまっていたら、
その先の「所詮は第三の都市である大阪」へ、延長開業するインセンティブが
乏しくなってしまう。

 


コカコーラ  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200755()102652

 

 

 

首都圏に住む人間は、都県境を意識しない。

都内から川を渡って神奈川県や千葉県に行っても、
分譲マンションはあるし、セブンイレブンはあるし、オリジン弁当はある。

勿論、自動販売機もあり、コカコーラが売られている。

しかし、コカコーラの世界では、都県境は「厳然として」存在している。
コカコーラ独自の制度である「ボトラー」が、都県境で違うのだ。
それぞれのボトラーは、資本系統が異なる。
まあ、言ってみればフランチャイズのようなものか。

東京 =東京コカコーラボトリング
千葉 =利根コカコーラボトリング
神奈川=コカコーラセントラルジャパン
埼玉 =三国コカコーラボトリング

で、たまに利根コカコーラボトリングのオリジナルの
「MAXコーヒー」ネタが地理系掲示板で盛り上がることがある。

このボトラー制度により、地元資本の力を巧みに使ってコーラを普及させたことが、
コカコーラ社が日本市場でペプシを排除して事実上独占させることになる。

 


津軽海峡冬景色  投稿者:石川さゆり 投稿日:200755()021333

 

 

 

津軽海峡は、下北半島のあたりは太平洋、津軽半島のあたりは日本海だと思います。
そのようにあいまいというか適当な決め方の方が、日本的でよろしいかと思います。

 


分水嶺の本には  投稿者: スルッとKANTO@管理人  投稿日:200753()110114

 

 

 

森林面積率トップは高知県、というネタもあった。

あと、津軽海峡は日本海なのか太平洋なのか、行政的にも
解釈が定まっていないらしく、そのために「大分水嶺」
(日本海側と太平洋側の境界)も、下北半島説と津軽半島説の
2説あるらしい。

 


 

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