>7.ふと思ったこと。
>「無機質」という言葉があるが、この言葉ができたのは、
>「無機の物質が普及した」後、恐らく戦後じゃないのか?
石器,土器,金属器など,昔から「無機の物質」は身の回りにあったでしょう
戦後,新しく普及したのは
どちらというとプラスチックなどの「有機化学物質」の方ではないでしょうか?
ちなみに「機性」「有機」「無機」という訳語自体は19世紀のもののようです
>「Organic Chemistry」 を《有機化学》と訳したのは誰?
>18世紀末にスウェーデンの化学者ベリマンは生体を構成する物質を有機物質、
>そうでない物質を無機物質と呼んだ(「化学者リービッヒ」田中 実 著、岩波書店
>1977年より)ことからベルセリウス(1779〜1848)は有機物質を扱う化学を
>Organisk Kemi (Organische Chemie)と名付けた。当時、生物から得られる化合物
>には「生命力」とよばれる要素が存在し、これが鉱物から得られる無機物質との決定的
>な差であるとする学説が常識であり、学会の巨人ベルセリウスはこの説の支持者であった。
>さて、日本に初めて化学を紹介したのは宇田川榕菴であり、オランダの化学者イペイの
>化学入門書を元に舎密開宗を著した(1837〜1847)。舎密開宗の原本はイギリス人
>William Henryの"Elements of Experimental Chemistry"で、これがドイツ語訳、
>さらにオランダ語に訳されたものを使っている。この舎密開宗 内編卷16には「・・・
>植物は機性体なり。之を山物(注:鉱物)等の無機性体に較れば・・・」云々とある
>(下線は筆者)。すなわちここで既に「有機」の元になる言葉が用いられている。
>榕菴はorganischeを「機性」と訳しており、これは「有機」という語の元であることに
>間違いはない。しかしorganischeの意味は「器官の、器質的な、組織的な」であり、
>なぜ器官性、器質性などといった訳語にしなかったのか。あるいは榕菴は植物学に通じ、
>医学にも詳しいのでもしかすると当時のそれらの学問には「機性」という言葉があった
>のかもしれない。このあたりについて筆者は何の見識も持たない。
>
>一方、「舎密」を「化学」としたのは川本幸民の訳本「化学新書」(1860)において
>である。実は本論の結論ともいうべき「有機」という言葉を最初に使った人こそ、
>誰あろう川本幸民と思われる。このことをはっきりと示してくださったのは大阪大学
>名誉教授、芝哲夫先生である。川本幸民は舎密開宗を読んでいたであろうから
>「機性」ということばを当然知っていたと思われる。「機性」から有機化学に至るまで
>はほんの一またぎであったろうが、彼が化学新書の底本とした
>J.W.GunningのモDe Scheikunde van het onbewerktuigde en bewerktuigde rijkモ
>(無生物と生物の領域の化学)のメbewerktuigdeモには生物とか組織などの意味がある
>のでこれが先のorganischeの訳語「機性」という語の意味と結びつき、機性のある、
>なしということから川本幸民は有機、無機の語を創出したのではないだろうか。
>芝先生はこのことを指摘してくださり、また化学新書には有機体化学や有機などの
>語が随所に現れるとお教えくださった。以上が本稿の結論である。
http://momi.jwu.ac.jp/~takemurah/newpage13.html
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