このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
明治の風 ☆ まず、明治時代より前の話をしましょう。 もともと四国は本州から離れた島国なので、江戸時代には本州との行き来を船便に頼っていました。また、江戸時代には幕府が鎖国制度をとっていて、伊予八藩(愛媛県には、江戸時代には八つの藩がありました。)は幕府にならって小鎖国制度をとっていたため、あちこちに関所があり、自由に旅行することもできませんでした。 現代におきかえれば、藩というのはそれぞれが小さな国で、関所は今の税関のようなものです。通行手形というパスポートを見せて役人にO.Kをもらえないと、たとえば松山市から隣の北条市にさえ行けませんでした。 ☆ どこまでも 歩く?! 水戸黄門の話でもわかるように、遠くに旅行をするときでも歩いていたのですから、明治時代に入った頃でも、馬や駕籠(かご)ももちろんありましたが、松山市近郊くらいならほとんどの人は徒歩、荷物なら馬車とか荷車が主流でした。 <おまけ> 私が小学生の時に、道後から大街道までを祖母に連れられて歩きました。昭和40年代ですから当然市内電車もありましたが、祖母にとって「城下へ行く」のに歩くことが一番自然だったのでしょう。ちょうどこの道後鉄道の軌道跡を、大きな水たまりをよけながら手をつないで歩いたことが昨日のようです。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx ☆ では、 人力車 はいつ頃現れたのでしょう。 道後の街でも人力車が観光に活躍していますが、明治時代といえば、人力車がよく似合いますよね。それもそのはず、人力車は明治3年に東京の和島要助という人が発明したものなのです。明治維新によって仕事が無くなったカゴかきや没落士族などの労働力が余っていたことと、人力車の発明された時期とがうまい具合に重なって、あっという間に全国に広まったというところでしょうか。「富士山」「芸者ガール」それにこの人力車の車夫である「リキシャマン」が「ニッポン」の3つの象徴として外国人に対して宣伝されたというから、不思議です。 さて、松山に初めて人力車が現れたのは明治4年12月。三津浜の元松山藩士、窪田幸平が大阪から持ち帰ったといいます。 当時の人力車は、木製の船型にカジ棒があって、車の胴体には鳥や動物、竜や唐獅子などの極彩色の絵が描かれ、車輪はもちろん鉄輪でした。人力車という文明の利器を見るのは初めての人たちばかりだったので、まるでお祭りの山車(だし)でも見るようにもの珍しかったようです。 この人力車ですが、整備されていない昔の道をめいっぱい突っ走るのですから、石ころやでこぼこの多い道を、ガタガタゴロゴロとけたたましい音をさせながら走っていました。しかも、ひっくり返ってしまったり、ぬかるみで止まってしまうなんてことはいつものことで、もう病人などが乗っていたら、たちまち病状が悪化してしまうばかりでなく、気絶してしまったり、ひどいときには田んぼや小川の中へ飛び込んでしまうこともありました。 このままではいけないと考えた県は、明治7年2月に次のようなきまりを出しました。 * 人力車に乗ろうとする人は、(車夫の体力が無いときに は、ひっくり返ったり人力車から落ちたりして大ケガをする こともあり、せっかく便利のために人力車に乗るのにかえっ て「不便利」になってしまうから、)必ず、車夫の体力を見極 めてから乗るようにしなさい。 * 人力車は、人出の多い場所では走ってはいけません。 * 人力車に乗る人は、かぶりものなどで顔を隠してはいけ ません。 なんだか、人力車って何のために乗るの?って感じですよね。 便利なようで、まだまだ危ない乗り物だったということです。 この人力車、明治41年頃には大阪からゴム輪の人力車が入ってきて、徐々に便利な乗り物になった・・・ことでしょう。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx <おまけ> 明治13年度の県統計より * 人力車 二人乗り・・・・1,445台 一人乗り・・・・3,332台 税金3,111円 * 荷積車(いわゆる荷車) 牛車・・・・・・・・・・109台 138円75銭 大車・・・・・・・・・・・53台 69円75銭 小車・・・・・・・9,985台 6,065円62銭5厘 * 乳母車他・・・・15,684台 免税 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx <おまけⅡ> 明治21年11月に伊予鉄道の定めた「人力車の乗車賃」 どこからどこまで 一人乗り 二人乗り 松山停車場〜松山市唐人町大街道 1銭5厘 2銭5厘 松山停車場〜大街道以東の市街地 2銭5厘 3銭5厘 松山停車場〜札の辻以北の市街地 同上 同上 松山停車場〜道後 4銭 6銭 道後〜郡中 7銭 10銭 道後〜川上 20銭 30銭 道後〜井手口 17銭 25銭 * 一里につき、一人乗り4銭8厘、二人乗り6銭5厘を追加料金。 * 風雨及び夜中や雪が降っているときなどは、2割増料金。 ☆ 明治時代の終わりころには、なんと、乗り合いバスも走り出しましたよ。これがまた、ガソリンじゃないんです。石炭バスなんです!知ってますか?えっ?石炭でバスが走ってた?想像がつかないですよねー。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |