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アルゼンチン・ブエノス編

(ヴィーニャデルマール〜ポサダス)


3月12日 失望(ヴィーニャデルマール〜メンドーサ〜)

今汐見荘に泊まっているのは寂しいことにたったの二人。そして朝6時半に起きてこっそりと荷物をまとめて誰にも挨拶できずに宿を後にした。コレクティーボは朝で本数が少ないのに加えて、やって来ても満員だったりして少し焦ったが、しばらくして無事つかまえてバスターミナルにたどり着いた。

今日のバスは国際バスで、CATAというアルゼンチンの会社の物だったのだが、いきなり荷物の積み込みの時に乗務員は全く何もせず、どこからか小汚い身なりの男が現れてチップを要求しながら荷物を詰め込んでいく。こんな経験は南米大陸に来て初めてだったのだが、これがアルゼンチン流のやり方なのだろうか?そんな物は自分で積み込めるし、第一荷物の引換券をこの男がにぎっているので、結局チップを払うしかない。何だか釈然としないがポケットにあった100ペソを渡すと男は小さな声で「ありがとう」と言った。

今日のバスはアンデス越えをするので楽しみにしていたのだが、峠の景色は絶景だった。九十九折りの峠をどんどんと登っていく。雪はほとんど無いが氷河に削られたV字谷がフンザやチトラールの風景を思い起こさせる。ここまでは楽しいバス旅行だったのだが、それは国境を越える時に終わってしまった。

アルゼンチンの役人は腐っていると色んな人に聞かされていたが、特にこのチリとの国境は腐っているので有名らしい。僕の乗ったバスは入国審査こそスムーズにいったものの、税関で何と全員の荷物を降ろされて検査代の上に並べられてしまった。そして嫌らしい目線で何やら言いたげだった。

そして乗務員がコップをもって全員の前を回って賄賂を集めていく。僕は払うつもりは無かったのだが、地元の人がみんな払っているので、ここは「郷にいれば郷に従え」とポケットにあったチリペソのくず銭を全部コップに突っ込んだが、乗務員は「もっとだ!」と言う。「No tengo dinero(持ってないよ)」というと「ドルがあるだろう」と言うので僕はこれに完全に切れてしまった。「絶対はらわねー!(日本語)」しばらくにらみ合いは続いたがやがて「けっハポネスが」と言い残して役人にコップを手渡した。

僕はこれで完全にこの国に失望してしまった。ウシュアイアは田舎なので有る意味本当のアルゼンチンじゃなかったのかもしれない。僕なんかはまだましな方で、バイクや車で旅をしている人は、「交通検問」と称してイチャモンをつけられ、かなりの人がカツアゲされているらしい。中米から来ると何でもないのだろうけど、警官が紳士のチリからくるともうガックリだ。

その後バスの中で上映していた、6Daysというシュワルツネッガーが自分のクローンを作られて云々という映画もてつだってどんどん僕の思考はダークな方へと落ちて行く。メンドーサに着いた時にはもうこのままアルゼンチン抜けてしまおうかと思うほどの気分だったのだがバスを降りるとチップ野郎が既に荷物を降ろしている。僕は自分で荷物を引っ張り出して去ろうとすると「おい!チップは」と呼び止められるがもう完全に無視してバスのオフィスへと向かった。

オフィスでヴィーニャでもらったチケットを見せると、手違いで僕の座席が空いて無い。窓側を取っていたのに結局通路側しかなくて、席番号が書き換えられて戻ってきた。

次のバスは乗務員のおねーさんが親切だったのだけが救いだった。結局乗り継いだ同じ会社のバスもチップ野郎が積み込みをするシステムだった。ただこっちは二階建てバスなので高いところに台車で積み込むのでまだ払っても良いかなと思った。

この2階建てのセミカマと呼ばれるバスは前後の間隔が広くてなかなか快適だった。そして10時頃には味の方はどうしようもないけど、いちおう肉とライスの夕食が出た。夕食を平らげるを僕はそのまま座席を倒して朝まで眠り込んだ。

アンデス越えの道は険しい


3月13日 いい空気?(メンドーサ〜ブエノスアイレス)

グッドモーニング ブエノスアイレス!! 本当はそう叫びたかったのだが、やっぱりダメだ。Buenos Aires(いい空気)とは名ばかりで、特にサンチャゴから着いた僕にはその雑然とした街並みはただ汚く映るだけだった。高速道路を通って南米一豊かな国の首都にさしかかったとき、僕には日本の無計画に開発された大都市の風景がだぶってしまった。

レティーロ地区にある巨大なバスターミナルに着くと早速地図をたよりに地下鉄に乗り込んだ。そしてこの地下鉄がまたまたひどくて中は30度以上、湿度は90%近くありそうだ。体中から汗が噴き出す。苦痛な時間を耐えてサンテルモと呼ばれる安宿の多い地区にたどり着いた。

ブエノスでのホテルは色んな人から情報を聞いていたので、結局値段と部屋のバランスが一番いいHotel Victoriaという所に宿をとった。シングルで1泊$12はまあブエノスにしては合格だろう。なによりも中庭があってくつろげるのがいい。

宿に荷物を降ろしてシャワーを浴びると早速外に飛び出す。通りをずっと歩いていくとボリバール広場という所に出た。この辺は公園があって、ブエノスアイレスでもなかなかいい風景だ。ピンク色の大統領官邸のそばを通ろうとするとなんだかVIPでも来るのか、白バイに向こうを通れと怒られてしまった。

そのまま港を通って日本領事館へ向かった。ここは荷物の受け取り先に指定していたのもの、結局パリからサンチャゴに飛んでしまったのでほったらかしになっていたのだった。1階で日系二世の人とばったりであった。彼はこれから日本のパスポートを申請して、日本へ行ってしばらく働くのだそうだ。年齢は40才近かったと思うが、さすがに二世なので、僕のしゃべる事は完全に理解出きるものの、しゃべる方は時々単語とかが出てこなくてスペイン語になったりしていた。

領事館は15階にあって、そこからの見晴らしは素晴らしかった。受付に荷物の受け取りをお願いすると2通届いていた。1つは旅のサポーター。いつも日本グッズを送ってくれる「えすさん」からだった。今回の救援物資は何と!「神戸ウォーカー」と「びっくりいそべ餅」この前関西ウォーカーが送られてきて驚いたのだが、今度は創刊されたという噂の神戸ウォーカー、、、謎だ。あとこのビックリいそべ餅というのは名前通りビックリな代物で、板ガムみたいな物体を付属のつゆに漬けるとあら不思議、餅になった!「こりゃービックリだね」とか言いながら口に放り込むと味の方もビックリ!本当にいそべ餅だった。そしてもう一つの手紙はヨーロッパ旅行中(?)いまいち消息不明の「さえこちゃん」からだった。

郵便を受け取ってご機嫌な僕はそのまま新聞や海外安全情報を読み倒して日が傾く頃に再び宿に帰ってきた。途中有名なとんがったでっかい塔(オベリスク)が突然目の前に現れた。「ほほう、これが」しかしまあブエノスもこんなもんか。という感じなのでもう一泊してとっとと先へ進むのがいいだろう。今の僕には何か刺激が足りないような気がする。

結局夜も宿にいたおじさんにビールを誘われ、結局一人で1.5リッター以上を軽く飲んで、早々に寝込んでしまった。ま、こういうのもアリでしょう。

びっくりいそべ餅
ごちそうさまでした。


3月14日 ブエノスウォーカー(ブエノスアイレス)

たくさん飲んでたくさん眠った。起きてシャワーをして、うだうだしているともう11時になってしまったので散歩に出かける。結局当てなく歩いているつもりが、昨日のと同じボリバール広場へやってきてしまった。気に入ってるのだろうか?

ボリバール広場には大聖堂があって、中に入ってみると南米独立の父と呼ばれている軍人の棺が安置されていて、その前を二人の衛兵が警備していた。大聖堂は古いといっても南米の歴史の中での話なので、ヨーロッパのものと比べるとピカピカだった。

そのまま港へ行ったりして港町の風景を楽しんだあと、大通りを歩いているとインターネットカフェを発見したので1時間ほどメールを読んだり、旅人達のリアルタイム旅行記のページで消息を確認したりした。結局今日の散歩といえばこんなもんで、昼からは蒸し暑くてたまらないので宿で休んで色々考えた末に、明日パラグアイ国境のポサダスへ向かう事にした。

夕食は近くにある日本人会館と言うところの中にある食堂で食べた。食堂と言うので安食堂だと思ったからこれがなかなかのもので、どうせならと、天ぷら定食にアサヒスーパードライまでつけてしまった。計21ドル。僕のようなバックパッカーにはとんでもない金額なのだが、何故か今はこういう事にもっとお金を使った方がいいような気がした。

独立の英雄が静かに眠る


3月15日 さよなら(ブエノスアイレス〜ポサダス)

行き交う車の騒音で目が覚めた。起きあがると時計は8時を回ったところだった。バスの時間はどうせ夜なので、ゆっくりと荷物をまとめてからフロントに荷物を預けてとりあえず散歩にでもでかける。

今日は趣向を変えて港へ行ってみたのだが、特にどうという物は無かった。ブエノスアイレスの港はがんばって新しく作った物らしいのだが、第1〜4まであるドッグには閑古鳥が鳴いていた。仏を作って魂を入れず。あれれ違ったっけ?とにかくなんだかあまりうまく機能してないようだった。

本土側に戻ってくると結局3日とも同じルートをぐるりとまわってしまった。今日の発見といえばフロリダ通りという歩行者天国を発見したことだった。ここには大きな本屋があって、しばらく立ち読みをして時間をつぶした。

夕方宿でシャワーを浴びさせてもらって、例の不快指数120%の地下鉄に揺られてレティーロのバスターミナルに向かう。しかし信じられないのがこの超蒸し暑い蒸し器のような地下鉄構内にあるカフェやマクドナルドで食事をしている人が居ることだった。もちろん店内にも冷房は無い。慣れというのは恐ろしい物だ。

結局今日乗ったバスは安いなりのサービスだったが、乗客が1/4も乗ってなかったので2席つかって寝れたのが良かった。出発するとラプラタ川沿いをしばらく走る。ブエノスも中心地を離れると結構いい感じで、少し残念だった。街を離れる直前、アエロパルケ(国内線空港)の前を通ったのだが、滑走路の前が幹線道路になっているので、僕の頭の上を轟音と共に737が飛び去っていった。

しばらくすると辺りは夕焼けにつつまれて、やがて長い夜がやってきた。

小さな通りの落書き?


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