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バングラディシュ潜入編
(バンコク〜ダッカ〜カトマンズ)
 


3月3日 さよなら東南アジア(バンコク〜ダッカ)

いよいよ東南アジアとおさらばする日が来た。朝からメールの返事を書いて、フィルムやシャンプー、石鹸といった日用品を購入してから最後の「レックさんラーメン」で豚肉のしょうが焼き定食。そしてご飯を食べていると予想以上に時間が経ってしまったので、安全を見て70BのAIRPORT BUSで空港へ急ぐことにした。

バスは高速を使うのが売りなのに、高速道路までが大渋滞で、結局1時間以上かかってドンムアン国際空港に到着した。まあ59番だったら2時間半はかかっていたとは思うのだが。

今回の旅は陸路にこだわっていたので当然飛行機を利用するのは初めてだ。ドンムアン空港には1月にバンコクに来たOLを迎えに行ったことはあるのだが、まさか自分がこの空港を利用することになるとはいまいち実感が沸かない。

寂れたビーマンバングラディシュ航空のカウンターでチェックインすると、今まで見たことも無いほど質素なボーディングパスをくれた。今回はトランジット扱いのはずなのだが、乗り継ぎに24時間以上あるので荷物もダッカでピックアップする事になった。そしてこれが後で少しトラブルになる事になるのだった。

バングラディシュ航空なんて関西人は聞いたことが無いと思うのだが、東京〜シンガポール〜バンコク〜ダッカ〜カルカッタなんていう各駅停車の便があって、値段も全航空会社の中で最もやすく、関東人にはなかなかポピュラーなようだ。そして今日の便は週に一度の東京からの便で中は日本人がたくさん乗っていた。飛行機も期待はしていなかったのだが、エアバス310で内装も綺麗でこれなら落ちる心配も無さそうだ。

そしてフライトの方は2時間と少しなので、機内食を食べたり日本の新聞を読んでいるとアッという間に着いてしまった。着陸時のダッカは丁度夕暮れ時だったのだが、積乱雲のせいかかなりの乱気流で飛行機は上下左右に揺すぶられ、窓の下の方のあちこちで稲妻が走っていた。

雲を抜けると揺れはぴたりと泊まり、真っ黒い霞の中に小さな灯りがたくさん見えた。それは数こそ多いものの日本のようにきらびやかでは無く、たくさんのろうそくの灯がともっているようにも見えた。そして当然といえば当然なのだが、飛行機は無事着陸。いよいよゲートの外はいよいよ南アジアだ。

ゲートを出るとトランジットとイミグレ&手荷物の二つの矢印があったのだが、自分は荷物を引き取らないといけないので選択肢はない。当然のようにイミグレに行き「ビザは無いが明後日のトランジットのチケットを持っている」と言うと「それじゃ5日間あげよう」とあっけなくスタンプを押してくれた。大丈夫だとは聞いていたのだが、規則では日本人は必ずビザが要ることになっているのでちょっとひやひやだった。

しかしその後の手荷物受け取りが最悪で、通常は荷物が出始めるととぎれなく最後まで出るのに、ビーマンの手荷物は途中で10分ぐらい何も出てこなかったりしてイライラさせられる。結局自分の荷物は最後まで出てこず、ベルトコンベアーの上を逆走してカーテンをくぐり係員の所まで行って探してようやく見つける事ができた。そして、自分の荷物をもってベルトコンベアーに乗って再びターンテーブルまで。なんだか変な感じだ。オレは荷物やないっちゅうねん(笑)

そんな感じで到着ゲートを出る頃には2時間近くが過ぎていた。そしてここで問題が発生した。チケットを買ったときに航空会社からトランジットホテルのバウチャーをもらっていて、「到着後は速やかにコンタクトする事」と書かれているのだが何処にもそれらしいカウンターが無い。そうこうしているうちに外に出てしまい、胡散臭いおやじが寄ってきて「どこへ行く? ホテルか? なにトランジットホテル オーケーオーケー 明後日カトマンズかカルカッタに行くのか? それなら聞いているから問題ない」とかなんとか。思わず一瞬信じそうになったが、よく考えるとこれくらいの事は飛行機のタイムテーブルがあれば分かる事だ。

だからといってここに居てもどうしようもないので、とりあえず出発ゲートに行ってビーマンのオフィスで直接聞いてみる事にした。到着ゲートを出るとおびただしい人で、暗闇に光る白い目が一斉にこっちをみるので少し怖い。そして無数のタクシーやリキシャに声をかけられながらスロープを登って出発ゲートへ。
 

 
夜のジア国際空港
外にはおびただしい客待ちの人々が
 
所が出発ゲートは警備が厳重でなかなか中に入れて貰えない。「ビーマンオフィスに行きたい」というと「12番入り口だ」といわれ12番に行くと、ここは入れない向こうへ行けと言われ、そっちでも入れて貰えず、こんな事を3回ほど繰り返してやっと中へ入れて貰えた。もうぐったり。

さっそくビーマンのチェックインカウンターで聞いてみると、どうやらトランジットホテルへ行く人は、トランジットの方へ進まなくてはならなかったらしい。そしてトランジット客はとっくに行ってしまったが、「あとはこっちで全部手配するから、しばらくそこで待っていなさい」と電話で送迎の手配をしてくれ、なんとか無事ホテルに行けそうだ。

しかしよく考えてみるとこの制度自体に問題があるのかもしれない。通常トランジットは24時間以内なので荷物は直接最終目的地まで行くので問題は無いのだろうが、自分のケースは乗り継ぎ便が明後日になるため荷物をピックアップしないといけない。そうすると当然イミグレを越えて入国しないと荷物を受け取れない事になるので矛盾が生じてしまう。それとも今回はダッカを見たかったのでホテル代を余分に払ってこういう乗り継ぎにしたのだが、通常はこんな事をする人は居ないのかもしれない。

やっとの事でホテルからの迎えがきて、ホテルに着いた時は9時を回っていた。そして時間が遅かったためか普通の部屋が空いていなくて、裏にあるバングラディッシュ人の共同住宅と化した別館に連れて行かれてしまった。部屋は一応二人部屋や三人部屋なのだが、部屋のドア同士がリビングでつながっていて20人ほどのバングラディシュ人がテレビに熱狂していた。

そこへ自分が到着するとその熱狂は一気に自分の方へやってきて、自分が部屋に荷物を下ろした時には、部屋の中は10人以上のバングラディシュ人で埋め尽くされていた。そして全員興味深そうに自分の動作の一つ一つに注目している。そのうち一人の英語を話せる人が色々質問してきて適当に通訳したりする。

どうやら彼らは田舎の村から出てきてこれからサウジアラビアへ出稼ぎにいく人達らしく、それぞれの村には外国人なんて居るわけはなく、初めて外国人を見る人もかなりの数になるらしい。そして今は入国許可が出るのをホテルに泊まりながら待っているらしい。そしてたぶん2〜3日のうちにサウジへ行けるだろうとの事だ。

さすがのこの状況に最初は少し引いてしまったが、どうせ状況は替わらないのだから楽しまないと損だ。そう割り切ると彼らとの交流も楽しくて、最後はデジカメをだして一緒に写真を獲ったりしたのだが、そうなるともう大変で「オレも!オレも!」と次から次へとやってきて、いろいろポーズを付けるので笑ってしまった。

そんな感じで長い一日も更けていき、12時を少し過ぎた頃に部屋に戻って横になった。知識も宛もなく、自分が何処にいるのかも分からず、そしてたくさんの知らない人に囲まれている。久しぶりのそんな状況にわくわくしてしまう。明日もいろいろ楽しいことがありそうだ。
 

 
好奇心旺盛な人々達(笑)
 


3月4日 全員親切(ダッカ)

今朝はテレビの大音響で目が覚めた。時計をみると7時丁度。朝から何してくれるねん。朝っぱらからみんなテレビに熱狂しているらしい。しかもバングラには「めざましテレビ」なんてものはあるはずもなく、朝っぱらからインド映画にインド歌謡曲だ。もうまったく。

ドアを閉めて執念の二度寝に成功して再び目が覚めると朝8時半。そういえば昨日8時半から朝食だと言われていたので本館の食堂に行くことにした。朝食はコーヒー、パン、卵、バナナという久しぶりの西洋スタイルで少し嬉しかった。

食事が終わるとマネージャーがやってきて「昨日はすまなかった。今朝ちゃんとした部屋が空いたのでそっちに移るように」と言われ朝から引っ越し。新しい部屋はきれいでお湯も出るしなかなか快適そうだ。別館に干してあった洗濯物もボーイが「屋上に干して乾いてから責任をもって部屋に届ける」という事でなかなかサービスがいい。

そんな感じで今朝は昨日とはちがい全て順調、朝食も終わったのでいよいよダッカの町に繰り出す事にした。最初は宿の回りをうろうろしていたのだがそのうちに賑やかなマーケットっぽい地区にたどり着いた。たくさんのリキシャと車が埋め尽くす小さな路地を通って更に奥に進む。タイなんかではどうって事は無かったのだが、ここバングラでは外国人というだけで目立っていまい、あちこちから声がかかる。

一通り繁華街を見てから小さな路地を入ると今度は小さな小さな小学校っぽい所があって、校庭で先生の笛を合図に体操や簡単なゲームをやっていた。遠くから見ていると「入ってきなさい」と先生っぽい人に手招きされて中に入った。おとなしく見ていたのだが子供達の興味はもう完全にこっちに集まっていて、先生の笛も上の空のような感じでときどき「こらこら」とおこられていた(笑)
 

 
バングラの小学生達
なかなかカワイイ
 
小学校を後にして更に歩いていくと今度は小さな露店や車の修理屋とかがあってしばらく行くと大きな通りにたどり着いた。通り沿いを歩いているとサッカーをやっているのが見えたので遠くから見ていると警備員がやってきた。「だめなのかな?」と思うとなんだか興味半分で色々質問してきて、「中に入って見なさい」と招き入れてくれた。

中に入って見ていると一人の体格の良さそうな男が近づいてきた。例によっていろいろ質問したあと「自分はゴールキーパーなんだが見ての通り小指を骨折していて今は試合に出れないからユースチームのコーチに来ているんだ」と言った。今練習していいるのは16才以下のチームで、将来のバングラディシュ代表候補らしい。

グランドの反対側ではクリケットの試合をやっていたのでそっちの方へも行ってみる事にした。はやりこちらも何人かの男が近寄ってきていろいろと聞いてくる。中でもメバブと名乗った男はなかなか英語も堪能で今やってる試合の事をいろいろ説明してくれた。今やっているのは警察のチームと空軍のチームで、トーナメントの公式試合らしい。しばらく試合を見ていたのだが、ついでだからにこのメバブに市街地への行き方とか見所を聞くことにした。なにせ町の地図はおろか今自分がどの辺りに居るのかさえ知らないので情報を集めないと始まらない。

メバブによると、ここから町の中心部まではエアコンバスで20タカ、そして町へ行くならシャバグという地区へ行くのがいいだろうとの事だった。そしてシャバグには国立博物館や公園があるらしい。お礼を言って立ち去ろうとすると、小一時間ほど時間があるので両替やバスを拾うのを手伝ってあげると申し出てくれたので一緒についてきてもらうことにした。

所が近くの銀行では両替は出来ず結局再び空港へ行かなければいけなくなった。リキシャを捕まえて一緒に空港へ。そして空港の両替所に入ろうとしたらまたしても止められて入れない。そしてその係員が闇両替を持ちかけてきた。レートはそんなに良くは無いがバス代ぐらいの少額だったので$1=50タカで替えてもらうことにした。

タカを手にいれてようやくバス乗り場へ。メバブはチケットを買うのを手伝ってくれて、最後に町の簡単な地図や帰りのバス乗り場の簡単な図を書いてくれてバスが来るまで一緒にいてくれた。メバブと手を振って別れバスは一路ダッカ市街へ。あちこちで道路工事をしていたため途中かなり渋滞もしたが次第に中心部に近づいたのか綺麗とは言えないが鉄筋のビルが立ち並ぶようになってきた。

中心地を少し過ぎたあたりで目印のシェラトンホテルが見えてきたのでバスを下りてシャバグのロータリーを目指した。途中ついでにシェラトンでトイレとあと何か情報が手に入らないかと思ったのだが、結局は売り物の地図があるだけで大した情報は手に入らなかった。
 

 
おびただしい数のリキシャ
シャバグのロータリー付近にて
 
それにしてもこんな町のど真ん中でもやはり外国人は珍しいらしく、あちこちから視線を集める。基本的にみんな笑顔なので余り嫌な気もしないし、道を尋ねると親切に教えてくれる。指をさされた方向へ向かうとまもなくシャバグのロータリーが見えてきた。そして博物館もすぐ目の前だったのだが、偶然一軒のチャイ屋が目に入って少し小腹も減っていたので寄っていくことにした。

店の親父は簡単な英語をしゃべるので注文には全く困らない。チャイ一杯3タカ、チキンサンド20タカ。合わせて40円ほどなのだがどっちもなかなか美味しくていい感じだった。チャイ屋で座っている間もいろんな人が話しかけてきてここでもまたまた人気者だ(笑)

質問責めにあったあとは、いよいよメインのバングラディシュ博物館へ。ここは何と入場料2タカ(5円)の割には床面積が広大で展示自体はつまらない物も多いのだが所々遺跡からの出土品や民族衣装、工芸品なんかがあってまあまあ面白い。そして1階では各国の言語や文字に関する展示をやっていた。メインは独立運動と共に守り抜いたバングラディシュ独自のベンガル語やベンガル文字に関する展示で、その他周辺諸国の文字や古代文字に着いての展示があってなかなか興味深かった。なぜか日本の物はサンケイ新聞のコピーがはってあるだけだった。

博物館のあとは公園の方へ行ってみたのだが、ここは単なる遊園地のようだった。平日のこんな時間にも関わらず結構なにぎわいだった。公園の前にはたくさんのカフェやおみやげ物売りがいて、そして遊園地では機関車が走っていて観覧車や回転ブランコが回っている。バングラディシュというと貧困国家というイメージがあったのだが、少なくともここダッカではそう言う事はあまり感じる事は出来なかった。公園を後にして繁華街を歩くのだが、いろいろ商店や花屋の屋台が町に彩りを添えていた。
 

 
町の花屋さん
店の前では結婚式の車の飾り付けをしていた。
 
町を歩くと注目され話しかけられ、しかもぼられる事もなくみんなが親切にしてくれる。そして地図さえ無い未知の町ダッカ。わくわくを押さえきれずあちこち歩き回る。そして歩き疲れた頃にいい感じで日も暮れてきたので教えてもらったバス停から今度はエアコン無しのバスに乗った。やはりバスはノンエアコンに限る。生ぬるい町の風や排気ガスの臭い、町の喧噪が直接肌に感じられて心地良い。

バスは夕方のラッシュで混雑した町から逃げるように郊外へと走っていく。日が暮れかかった頃にホテルの近くのバス停に到着した。下りたところが屋台街でさっそくいろんな店から声がかかる。やれやれと思いながらケバブ屋をのぞくと一人の青年が英語で声をかけてきた。「おなか空いてないからいいよ」というと例の質問攻撃だ。ところが「日本から来た」というと「なんだ日本人なんですか?」と流暢な日本語で答えたので驚いた。

彼は香港に居たときに日本人と一緒に仕事をしていて、今では日本人の彼女がいて日本とバングラディシュ間の貿易会社で働いて夜は屋台を手伝っているらしい。しばらく日本語でいろいろしゃべったあと握手をして別れた。これがインドだったり、イスタンブールだったいすると「日本語使いには絶対注意」なのだろうが、ここバングラディシュでは首都のダッカでさえそういう事とは無縁らしい。

2日の滞在では見えてこない事もたくさんあるとは思うのだが、かなりこの国が気に入ってしまったし久しぶりの旅のわくわくを感じる事ができた。一時期思い悩んでいた事もあったが、まだまだ自分の旅は大丈夫だ。もし時間があったらネパールからインドに抜けたあともう一度来てみるのも良いかもしれない。少なくとも今回滞在を1日伸ばして良かったと思う。ありがとうバングラディシュ!



3月5日 またまた飛行機(ダッカ〜カトマンズ)

今朝はゆっくりしていたら結構な時間になってしまい、結局外出するほどの時間は無かったのでホテルで日記を書いたり荷物を整理したりしていた。やがて11時頃にボーイが「バスの時間だ」と呼びに来たので荷物をもってロビーへ。そして30分ほどしてスタッフに連れられてワゴン車でジア国際空港へ。

そしてビーマンの乗り継ぎカウンターへ連れて行かれ、チケットとパスポートを見せるとここで問題が発生した。チェックインカウンターの親父がいうには「なんでトランジットなのにパスポートを自分で持って居るんだ?」しかし自分たちは荷物がDAK止まりなので絶対に入国しなければ行けなかったはずで、いきさつを説明すると「出国税300タカ払え」という。

これは困った。たしかに今回は乗り継ぎの為の滞在で、ボーディングパスにもTransitと書かれていたので手荷物さえ無ければ入国せずに済んだのかも知れない。しかしシステム上入国は不可欠で、5日の仮の滞在許可をもらっただけなのに$6もの出国税を払うなんてちょっと痛い。食い下がってはみるものの「制度だから仕方ない」と言われ、それももっともなので仕方なく払うことにした。念のためレシートをもらって置いたのは言うまでもない。

ボーディングパスを受け取ると、余っているタカを全部使い切るために売店へ。売店のお兄さんに「これだけで買えるものある?」と聞くと中国製のチョコレートを2つくれた。がこれは中国製だけあってまずかった。しかも懐かしまずさだった(笑)ちょっと後悔しながら出国審査へ。

ビザ無しの仮5日許可だったので揉めるかと少し心配したが、行き先を聞かれただけであっさりと出国スタンプを押してくれた。今度のスタンプにはちゃんと「ZIA  DHAKA BANGRADESH」と国名が入っていてこれでバングラディシュに来たと言うのが証明出来る。別に証明出来たからどうという事はないのだが、パスポートに国名が増えるのは嬉しい。出国税$6かかったが、ミャンマーの一日入国$5よりはよっぽど有意義だった。

そして待合室で待つこと数十分、どんどん後のフライトに抜かれていつまでたってもボーディングが始まらない。なんだか今回乗る飛行機がまだ空港に来てないらしく、1時間以上待たされるハメになってしまった。やっとの事でボーディングが始まったのだが、今回の機体はMD80小型ジェット機なのだが前回の最悪な荷物管理に嫌気がさして今回は機内に持ち込むことにしたのだ。

所がこのMD80は荷物ラックがすごく小さく、自分の45Lのザックでさえ入らない。いやつめれば入りそうなのだが、スチュワーデスにかたくなに拒否された。「どうすりゃいいんだ?」と聞いても「座席の下に入れろ」と言うだけで、確かに座席の下に入らないではないのだが、そんなところに入れると足を置く場所が無くなってしまう。あしもおろせないまま2時間我慢しろというのか?

こういう場合たいがいスチュワーデスが機内のどこかに置いてくれるのが普通なのだがいくら頼んでも首を横に振るだけでどうしようもない。しばらくして上の棚に入れようと荷物を通路にだすが、スチュワーデスが寄ってきて「ダメだダメだ」といいはる。ここでかなりイライラ来ていたので「Suck!!」と怒鳴ってしまった。とはいうもののどうしようもないので足下に押し込んで変な体勢のまま2時間我慢する事にした。

小型ジェット機はなかなかスリルがあって、離陸時もなかなか飛び上がらずにヒヤヒヤした。そして小型なのか小舟と同じでよく揺れる。特にカトマンズ着陸時の揺れは半端ではなく、ゲロ袋を握りしめていた人もいた。とはいうものの上空では快適で、雲の海の上にわずかにエベレストが見えていたり、真下に入道雲があって雷が見えたりしてなかなか面白いフライトだった。

フライト時間も実際には時差の為短くアッという間に飛行機はカトマンズに到着した。ビザは空港で取れるという事なのでさっそくビザ申請書を書いて窓口へ。情報通り$30を徴収された。これから$の現金が必用なのにちょっと痛い。コンピュータで犯罪歴を調べるでもなく、お金さえ払えばシールのビザをぺたっと貼ってくれる。何の意味もないビザなのだが貴重な外貨収入なのだろう。そしてそのまま入国審査も無く入国。

空港を出るとさっそくおびただしい数のタクシーや客引きが寄ってくる。「ハロータクシー」「ワタシヤスイホテル、ミルダケ」「スミマセン タメルタクシー?」もう胡散臭さ全開だ。「要らない、うるさい、あっち行け」とか応戦しながら振り切ってはみるが、よく考えると情報もなくどうやって町まで行っていいのやらよくわからない。

仕方ないので到着ゲートの方に行って町から来たばかりのタクシーをひらう事にした。ドライバーの言い値は150Rsと少し高めだがまあ最初はそんなもんだろうとタメルまで行ってもらうことにした。カトマンズはとにかく道路がめちゃくちゃ狭い。実際縦に一本太い道が通ってはいるものの、ほとんどが狭くてが商店街みたいになっているので本当に混雑する。民家や商店をすりぬけしばらくすると少し大きめの繁華街に出た。そしてドライバーが「この辺がタメルの中心だよ」と教えてくれ、特に行きたい宿も無かったのでそこで下りることにした。

何処の国でもそうなのだが、バックパックを背負ってるとわらわらと宿の客引きがやってくる。そして人が考えている間も「ヤスイネ、キレイネ、ホットシャワーOK、タメルでナンバーワンネ。ミルダケミルダケ、スグソコネ、チカイネ」等々延々しゃべり続ける。お前らちょっとは黙れ!!考えられんやろーが!!少し切れ気味であしらいながら狭い路地に入っていくと路地からもどんどん宿の斡旋が。とりあえず2〜3軒見てみるとホットワー付きの部屋が150以下である。ここはかなり宿代が安そうだ。結局2〜3軒見てから一番値段と部屋の綺麗さでバランスのよい宿にチェックインする事にした。

宿がきまるとさっそくタメル地区を歩き回ってみるがどうもネパールを感じる事が出来ない。路地は東南アジアに比べると少しヨーロッパチックでそれなりにときめくものはあるのだが、どうもツーリスト向けに作られた町という感じがする。でもまあそれはそれで便利な訳で観光は足を伸ばせばいいわけで、とりあえずおなかが空いていたので、カオサンで会った大学生「新歓くん」(新入生歓迎委員)おすすめの日本食レストラン「ふる里」に行ってみる事にした。

ここはカオサンのレックさんラーメンと比べれば倍以上の値段なのだが、カトマンズではわりと安い部類に入り、しかもサービスも良くて味もなかなかだ。何よりも日本米を使っているのがいい。最近何かと評判の悪い味シル(味のシルクロード)だが、既に客はもうこっちにだいぶ流れているようだった。おなかがいっぱいになるとなんだか眠くなってきて、少し町を歩いてから宿に帰ると10時にもなっていないのにすぐねむってしまった。最近なんだか睡眠時間が異常に増えているような気がする。
 

 
ダッカ郊外のマーケット
ホテルの近くにて。


 
 
 

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