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ブラジル闘病編
(フォスドイグアス〜サンパウロ)
3月19日 納涼大瀑布(フォスドイグアス)
久しぶりにゆっくり眠った。最初は時差の関係で9時半だと思っていたらもうとっくに10時を回っていた。このユースは朝食付きだという事なのでさっそく食堂に行ってみたのだが、やはり無駄だった。
最近観光地と言うところにあまり行ってないので、起きるとすぐにブラジル側のイグアスの滝に向かった。近郊テルミナールでうろうろしていると、おじさんが「パルケならこのバスだ」と教えてくれた。僕は指八本で滝のような動作をして「これか?」というと「そうだ」というのでそのまま市バスに揺られて国立公園を目指した。
「何だか空いているなあ」と思っていたのだが、しばらくして新築の近代的なビジターセンターに到着すると、なんと入場は13時かららしい。うろうろしていると同じユースに泊まっていた日本人に会ったのだが、彼なんかは朝の10時からずっと待っているらしい。しばらくすると「金髪くん」もやってきて、そのうちチケットの販売が始まった。
滝はビジターセンターからまだかなり距離があって、ゲートをくぐると2階建てオープンバスが泊まっていて、それに乗って滝まで行くシステムになっていた。遊歩道の入り口でバスを降りるとそこからすでに「ゴーッ」という滝の音が聞こえてきた。少し緊張気味に遊歩道を降りていくといいきなり数え切れないぐらいの滝が流れ落ちている。遠景なので直接伝わってくるものはないが、それでもなかなかの迫力だ。
遊歩道を進んでいくとどんどん滝が近づいてきて、一番終点の方の展望台からはイグアス滝群最大の「悪魔の喉笛」と呼ばれる巨大な滝が目の前に見えた。そしてここは音だけではなくその振動や水しぶきまでがダイレクトに飛んでくる。しばらくおいるとびしょぬれになってしまうほどだった。
うだるようにあついイグアスにおいて、この滝下というのは絶好の納涼場所だった。水しぶきと滝に冷やされた冷たい風がきもちい。しばらく涼んでから有料のエレベーターに乗ってがけの上まで上がって滝見物は終了した。
がけの上の方にはたくさんのアナグマがいる。最初はみんな「かわいいなあ」と写真を撮ったりしていたのだが、このアナグマがなかなか飛んでもない奴らで、観光客の持っているビニール袋に飛びかかって爪で引き裂いて地面に落ちた菓子類をかっさらっていく。そして、一匹が獲物をゲットすると藪のなかから10匹ぐらいがぞろぞろと出て来るという。観光地は動物まで堕落指してしまうのか・・・昼飯にとっておいたクッキーを取られた「金髪くん」はかなりガックリきていた。
滝から帰ってくると3時過ぎ。中途半端な時間なのだがこういう時は昼寝に限る。どうやらいっぱい日焼けして少し疲れがたまっていたのか、次に気が付けばもう夕方だった。
夜に再会があった。南極船で一緒だった香港ガールのじゅんちゃんだ。ガールと言っても39才なのだがぱっと見老けた学生の様にも見える。何か中国の秘薬でも飲んでいるのだろうか?彼女は一泊してからクリチバに向かうと言っていたのでまたサンパウロあたりで再会できるだろう。
イグアスの滝にかかる虹
3月20日 巨大発電所(フォスドイグアス〜シウダーデルエステ〜フォスドイグアス)
今日は朝食を逃さないように目覚ましをかけていたので健康的に8時に目が覚めた。軽く朝食を食べてると、昨日は滝をさんざん堪能したので今日は趣向を変えて免税タウンと発電所見学に出かけることにした。
今回は入出国手続きが無いのでらくちんだ。バス一本であっというまにシウダーデルエステの街に到着した。ここはみんながみんな「電化製品が安い」というので何かいい物があったら買おうかと思っていたのだ。でも実際街に降りてみると雑然とした汚い街並みの中に中国人の建てたビルが立ち並んでいて、日本製品と中国製のコピー製品が並んでいるだけだった。
一応一通り見て回るのだが、この街も「中国人にやられてしまった街」のようで、ほとんど興味が持てなかったのでそのままローカルバスに乗って世界最大のイタイプー発電所へと向かった。
僕は何故だかダムとか発電所というのを見るのが好きで、ニュージーランドのクライド発電所やラオスの発電所なども見に行った。二つともかなりの規模だったのだが、今日のイタイプー発電所は宿にあった本の写真では何だかちっぽけに見える。本当にこんなのが世界最大なのか?と思っていたのだが、実物はとても写真に収まらないほど巨大だった。
ビジターセンターに着くと、今日の観光客はほとんどいないのか、僕一人のためにホールでダムの概要を説明するビデオを上映してくれた。ビデオが終わると外に案内されて、ここでドイツ人4人とガイド1人を加えて6人で豪華バスに乗り込みいざダムを目指す。そしてバスがダムのはしに設けてある展望台に到着すると僕は唖然としてしまった。「でかい!!」
ダムの放水路だけでも普通の発電所なみの大きさがあるし、発電機も僕が「大きいなあ」と思っていたクライド発電所の4機を遙かにうわまわる18機だという。普通発電所というのは急なV字谷に作るものなのだが、ここはなだらかな丘陵を8キロものダムで強引にせき止めたという感じだった。
イグアスの滝もかなりの迫力だったのだが、この発電所と比較すると、ここの放水路は3つ全部を使うとイグアスの滝の平均流量の40倍の水を放出する事ができるらしい。またイグアスの滝全部を発電につかっても、ここの発電機2機を回すのがやっとらしい。発電所の内部を少しだけ見学してからバスでダムを一周するのだが、大きさが大きさだけに結構な時間がかかってしまった。すごいスケールだ。
この発電所で発電した電力の権利はブラジル、パラグアイの両国が半分づつ保有しているのだ、当然パラグアイ側は9機の内の2機だけで国内の全電力供給出来てしまうらしい。まさに20世紀最大の土木工事だ。
宿に帰るとしばらくしてから金髪君が戻ってきたので、二人でシュラスコ食べ放題に行くことにした。6へアルとビール二本で一人8へアル(約4ドル)だ。ブラジルは物価が高いと聞いていたのだが、実際来てみるとチリより安くてパラグアイと同じ暗いに感じる。そんなわけでゆっくりブラジルを回るか、早くボリビアに抜けるかますます迷ってしまう。
イタイプー発電所
手前が放水路、奥のダムが発電ユニットで
全部で18機ある。
3月21日 びしょぬれ(フォスドイグアス〜プエルトイグアス〜サンパウロ)
ブラジル側のイグアスは遠景で滝全体が見渡せるのと悪魔の喉笛の近くまで行くのがウリらしいのだが、アルゼンチン側は滝の近くでびしょぬれになったり、ボートで滝つぼのすぐ近くまでつっこんでいったりするのがウリらしい。とりあえずブラジル側だけでも十分堪能したんだけど、たぶんもう二度と来ることも無いと思うのでアルゼンチン側にも行ってみる事にした。
今回もバスはノーチェックで楽勝のはずだったのだが、アルゼンチン側のチェックが思いのほか厳しかった。全員バスを降ろされて何人かは別のカウンターで荷物をチェックされていた。アルゼンチンの事なので賄賂目的なのかもしれない。僕はというと荷物も無かったし、日本のパスポートのおかげですぐに解放されて同じバスでプエルトイグアスまでたどり着く事ができた。
寂れた町外れのターミナルに着くとまさに滝行きのバスが出るところで慌てて乗り込んだ。これは一時間に一本しかないバスなのでラッキーだった。
バスに揺られてビジターセンターに到着したのだが、ここはブラジル側と比べるとかなり古くて小さく、見るものはほとんど無かったのでそのまま遊歩道へ直行した。アルゼンチン側の遊歩道は複雑に張り巡らされていて距離も長いので、最初は滝の上側の遊歩道を歩いた。そしていよいよメインの下側の遊歩道へと向かうのだが、こっちは上と違ってなかなか迫力がある。
中ぐらいの滝のすぐ目の前に展望台があって、先まで行くとかなりのしぶきがかかる。10分ぐらいですっかりTシャツもズボンもびしょぬれで、さっきまでの暑さが嘘のように涼しくなった。びしょぬれになったところでいよいよ川底まで降りていく。ここには船着き場があって、びしょぬれボートツアーや無料ボートで川の真ん中にある台形の中州に渡る事ができる。
中州でも一番奥までいくと、びしょぬれ体験が出来る。ただ後の二つの遊歩道はどちらも閉鎖されたままで、やっぱり全体的に見るとブラジル側の方が良かったような気がした。中州のベンチで休んでいると「ヒューヒュー」と鳥の鳴き声がするので振り返ってみると、木の間から青い冠のある黒い鳥がきょろきょろこちらをうかがっている。しばらく「チチチチッ」と舌打ちしていると、どこにいたのかあちこちから5〜6羽も集まってきた。
そしてしばらく鳥と遊んでいると今度は人間まで集まってきて、カメラを構えたり果物を投げたりするのでみんなどこかへいってしまった。そして彼らが居なくなるとまた鳥がやってくる。ニュージーランドで出会った「野鳥のお姉さん」に教えてもらったように適当にそれっぽい音を出してみただけだったのだが、予想外の反響がうれしかった。
滝をあとにしてバスにゆられていると、巨大な黒い山脈が見えた。「あれれ?こんな所にアンデスなんか無いよなあ・・」と思い、よく見るとそれは巨大な雨雲だった。そして雨雲はどんどん近づいてきて強風で木が揺れ始める。「まずいなあ」と思っていたらターミナルの辺りでいよいよ雷雨となってしまった。
雨の方は典型的な集中豪雨だったのでそのうち止むだろうとおもっていたら、ブラジル側に帰った頃にはあれほど激しかった雨もすっかり小振りになっいた。ユースで荷物を受け取ってバスターミナルに着く頃にはすっかり雨はやんで、その一時間後には僕は嵐の後の真っ赤な夕焼けの中をサンパウロ行きのバスに揺られていたのだった。
アルゼンチン側のイグアス
3月22日 里心(サンパウロ)
昨日はバスに揺られていたせいか変な夢を見た。僕はスーツを着て自転車に乗って実家から駅へと向かっている。いつもつかっていた山陽電車にのると、何故だかカイロのサファリで一緒だった「ちいママ」が乗っていて「のりちゃんおめでとう、今日から仕事始めやって?お祝いに帰りに飲みに行こうや。仕事終わったら携帯に電話するから」とさそってくれるのだった。
僕は明石駅で列車を降りるのだが「はて仕事と言ってもどこへ向かえばいいんだっけ?そういえば仕事は2年前にやめちゃったんだよ」と我にかえる。しばらく途方にくれてたあと「電話するって言われても携帯なんて持ってないよ」と思い出してそのまま列車を乗り継いで日本橋まで携帯電話を買いに行くところで目が覚めた。「僕は日本に帰りたがっているのだろうか?」起きあがると眩しい朝日が直接目に入った。
サンパウロに着くと僕はまっすぐ日本人街を目指した。僕は前々から日本人であることを徐々に忘れつつある日系人社会というのをこの目で見てみたかったのだ。どこへ行っても中国人とつき合い、中国語をしゃべり続ける中国人とは対照的な日系人社会。僕がたどり着いたペンション荒木はまさにこの日本人街のど真ん中にある。
癖のあるおばちゃんに案内されて部屋に入るとそこには懐かしい顔が。ウシュアイアで別れた茶髪ライダー1号(しっかりした方)だった。何でも彼らは途中で別れて再びボリビアかエクアドル辺りで合流するらしい。あれからの旅話なんかを少ししてからシャワーを浴びて街歩きに出かけた。
日本人街の街灯は何故か全て提灯の形をしている。そして通りの看板は日本語で溢れていて、あれほどあこがれていた、柿の種やふりかけ、それに日本の調味料ほぼ全てがごく当たり前に売られている。少し高そうだが居酒屋まである始末だ。何だか歩いていると自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。
夕方からは天気も崩れてきたので、移民資料博物館の建物の中にある図書室へ行ってみた。僕が日本を空けていた間の少年マガジンが山ほどあったので一気に読み切ったらやはり図書室を出るときに一瞬自分がどこの国にいるのか分からなくなってしまった。
そご?
3月23日 ぐうたら(サンパウロ)
一休みのために立ち寄ったサンパウロなのだが、すでにもう二休みという所で、起きたらもう12時近かった。本館に行って無料のコーヒーを飲んでいると荒木のおばさんがもらってきた餃子をひとパックくれた。
たまっていた日記を書いたり、買い物に行ったりして過ぎていく時間。エジプトのカイロでの日々を思い出す。あの頃の仲間も今はばらばらで、日本に帰った人達もいれば、いまだにサファリでくだを巻いている人達。そして天国へと旅だった人もいる。
昨日と同じようにリベルタージを歩く。ふと見上げると「明石宝石店」という看板が目に入った、何だかその角を入っていくと白木屋明石店があって、みんなに会えそうな気がした。
ここは一体どこ?
大阪橋にて。
3月24日 お料理教室(サンパウロ)
今日は少しだけ早起きして部屋でダラダラしていると、年齢不詳の女の人が「あのー、さっき市場へ行ったら大量に野菜買っちゃったんで、良かったらご飯シェアしませんか?」と言うので喜んで参加する事にした。彼女「買い物ママ」は年齢不詳なのだが僕よりも少し年上で、1年×3回で世界を一周しようと計画していて、その今回が3回目らしい。
最近体調があまり良くない。サンチャゴに着いてダウンしたときの咳はもうかれこれ3週間以上止まらず、しかも昨日はふとんをはいで寝ていたので別のカゼも引いてしまったようだ。ここは一発美味しい物を食べて元気を付けるのがいいだろう。
午前中は本当に部屋でごろごろして疲労回復につとめた。そして昼ごろにキッチンに行くと「買い物ママ」が既に仕込みに入っていたのでリハビリも兼ねて手伝う事にした。アジア、ヨーロッパ辺りでは旅人の年齢層が若いので自分が中心になって作ったりしないといけないのだが、南米では30台の料理の上手な女の人が多いので料理を習うにはなかなかいい。
基本的には下ごしらえの手伝いなのだが、細かいところにいろいろと工夫があって参考になる。最後には金髪くんも加えてなかなか豪華な夕食が完成した。自分たちで作った食事を食べながらの旅話はなかなか楽しい。思わずそのまま夜遅くまで盛り上がってしまった。
金髪くんと買い物ママ
3月25日 縁日(サンパウロ)
朝起きて歯を磨いていると、何もしてないのに鼻血が出てきた。変な病気じゃなかったらいいんだけど。
東洋人街の名物に「縁日」がある。僕が楽しみにしていた事の一つでもし体調が崩れてなかったとしてもここではゆっくりしてこれだけは見て行こうと思っていたのだ。
今日は比較的早起きしてリベルタージの坂を登っていくと規模は小さいけどそれはまぎれもない縁日だった。屋台は焼きそばやらたこ焼き、天ぷら等いろいろあって、客層も日系人から黒人、白人まで様々だった。屋台の他にも盆栽を売っているおじいさんや、それ以外に全然東洋とは関係ないクラフトを売っているブラジル人もたくさんいる。
たこ焼きをほおばりながら一通り見終わると次にセントロの方まで歩いていくことにした。どうやらSEという教会のある辺りが街の中心らしく、そこ辺りからヘパブリカ広場の方にも色んな物を売る露店が建ち並んでいた。何となく最近時々さみしいような気がするので、旅の友に小さなピカチュウでもゲットしようかと露店をのぞいたりしていたのだが、本物は高くて、ニセモノは怖い顔の奴ばかりで、こんなのを持ち歩いているとうなされそうなのでやめた。
セントロのデパートの前では子供二人がギターとキーボードで演奏をしていた。結構本格的な演奏で、このちびっ子ミュージシャン達の演奏はかなりの客で賑わっていた。
デパートを冷やかして外に出ると急に雨雲が広がってきたので逃げるように宿へ帰るとしばらくして雷と滝のような雨がやってきた。今日のはなかなか強烈で、ロビーのソファーも雨漏りで濡れてしまうほどだった。仕方ないので午後からは宿でごろごろ。まあ体調も本調子じゃないし、ま、休みなさいという事なのだろう。
夕方から「買い物ママ」がやってきて今夜も食事の仕込み。金髪くんは何を思ったのか今日ヘアカラーを買ってきて髪の毛を茶色に染め直していた。金髪くんとう名前が使えなくなってしまうじゃないか!
今夜は食事を平らげてからこれまで撮った写真のスライドショーなんかをしてやはり夜遅くまで盛り上がってしまった。
縁日のたこ焼き屋さん
3月26日 ビタミン(サンパウロ)
体調は相変わらず一進一退だ。ここずっと続いている咳とは別に、はなカゼを引いたらしく朝から鼻水がでる。口の中も少し荒れている。野菜はとってるしご飯もしっかり食べてるので、これはビタミン不足だろうと近くのスーパーまで100%オレンジジュースを買いに行った。そしてついでに増えていた荷物を2Kg分だけ送り返した。ここブラジルは船便が無い替わりにエコノミー航空便が安くて、2キロで$18ほどだった。
そろそろリオに向けて動こうと思っている。やはり旅は動き続けていないと、新しい感動が無いと先へ進む力が沸いてこない。そう、僕の旅は今深刻なビタミン不足に陥っている。特に南米は大きすぎるので移動の労力にたいして得られる感動が他の地域に比べて足りないような気がする。ひょっとしたら南米は旅の一番最初に持ってくるべきだったのかもしれない。
夕方からはまたまた雷雨になった。体調の方はまだまだなのでもう何泊かする事になりそうだ。もし安いチケットがあったら一気にペルー辺りまで飛ぼうかと思ったりもする。夕食は荒木のおばさんにもらった餃子をラーメンにぶち込んだら予想外においしかった。
ピカチュウ? ピカチュウ!!
3月27日 進展無し(サンパウロ)
鼻かぜものども全く治る気配なしだ。いつ出発できるかを考えると気も滅入ってくるが、ここがサンパウロなのは不幸中の幸いだろう。ここには日本語の通じる病院もあるし、一緒に夕食を作る仲間もいるし。そう思うと少し気が楽になった。
外出といっても、荒木の本館に無料のコーヒーを飲みに行くぐらいで、外に出かけることはあまりない。というかここの所決まって夕方から雷雨なのでどこにも出かけられないというのが本当の所だ。
今日は金髪くんが出発する日だ。彼はこれから南に下って少しキャンプを張ってからまたサンパウロに戻ってくるらしい。「まあ僕が帰ってきてもまだのりさんいますから(笑)」と言われたのでこれは何としても出ないと。買い物ママと今日はもう一人休学中の京都の医学生くんを加えてマーボー茄子に挑戦した。結果の方は味はいいけど、うまく固まらなかった。やっぱり火力が足りないようだ。
部屋に戻るともう一人同室の「かつくん」も明日マドリッドに飛ぶと言うことで荷物のパッキングにおわれていた。いつの間にか自分がこの部屋で一番古くなっているなんてこったい。
3月28日 再会(サンパウロ)
体調に変化無し。荒木本館にコーヒーを飲みに行くと再会が!レバノンで一緒にサッカー観戦していた女の子「イベント娘」と2回目のイスタンブールで会ったビートルズ好きのギター小僧だった。イベント娘はあれからカイロまで降りてきたあとブダペストに戻って沈没してから今朝一気にブラジルまで飛んできたらしい。ここでは今週末にあるF1を見に行くらしい。
ロビーで話し込んでいるとそのうち大雨になってきて別館に戻ることさえできなくなってしまった。その雨も1時間ほどしたら小降りになったので、急いで別館に戻る。そして横になって一休み。昨日買い物ママにもらったカゼ薬のせいか少しましになったような気がした。
昼寝して今後のルートを考えてみた。とりあえずリオは確定。それから先は考えれば考える程わからない。そのままベネズエラに抜けてそこからメキシコに飛んでそのまま帰国というのも考えてみたが、やっぱりマチュピチュに行ってみたい気もする。焦点はサルバドールだろう。
3月29日 病み上がりの散歩(サンパウロ)
相変わらず鼻水と咳が止まらない。朝起きてとりあえず本館にコーヒーを飲んでいると、イベント娘とギター小僧が降りてきて、そのままパウリスタという繁華街まで行くというのでリハビリを兼ねて着いていくことにした。なんでもパウリスタは高級ホテルとかもあるエリアだというので、久しぶりに靴を履いて持っている中で一番まともな服を着て出かけた。
パウリスタは予想外に遠くてたどり着いた頃には結構疲れてしまった上、途中から雨が降り出した。あちこちで雨宿りしながら途中でイベント娘がアメックスに行くというので、そのままシェラトンホテルの中へと入っていったが、やはり世界のシェラトン。内装や客層も全然別世界で、まだましな服を着てきて本当によかった。僕は両替はしなかったのだが、ここは手数料もいらないし、レートも比較的いい。TCのレートが悪いと言われているブラジルの中ではものすごく好条件だった。
両替のあとはカフェに入ったり、銀行でやっていたF1フェアを見に行ったり、安いインターネットカフェを探して歩き回ったりしていると陽も暮れたので地下鉄に乗って帰ろうとしたら、なぜだか駅は朝の地下鉄梅田駅の2倍ぐらいの人だと思ったら、どうやら列車の故障だか何かで結局列車はぱらぱらと来るのだがとても乗り込めなくてそのまま歩いて帰った。
そう言えば今日は昼御飯もほとんど食べてなかったと言うことで、そのまま東洋人外にある「焼き肉寿司食べ放題」に行った。ここは焼き肉のくせにビュッフェ形式で、一人たったの13へアル。飲み物が結構高いのでそっちは押さえてひたすら食べまくった。焼き肉は韓国風で、寿司も味はそこそこなのだがマグロやサーモンもあっていい。韓国人経営なのかキムチもなかなか行けた。
リハビリのつもりだったんだけど、かなり疲れてしまった一日だった。ま、たくさん汗をかいたしおいしい物もたくさん食べたので2〜3日で治るだろう。
F1展会場にて
3月30日 ぶりかえし(サンパウロ)
リハビリのつもりが無理をしすぎたのか、また少し前の状態に逆戻りしてしまった。これはもう寝て直すべしと言うことで、朝のコーヒータイムのあと軽く昼御飯をたべてそのままベッドに潜り込んだ。
かといって寝込むほどの体調じゃないのでブラジルの本を読んだり今後の計画をたてたりしているうちにいつの間にか眠り込んでしまって夕方久しぶりにメールをチェックするために「そご」の4階のインターネットカフェまで出かけた。なんだか必要以上に心配してくれるメールや、やさしい手紙が何通か届いていた。早くよくならないと。
3月31日 ポップジャム(サンパウロ)
今日も特記事項無し、やっぱり健康第一なので少し買い物に行ってカツオふりかけとレトルトカレーを買ってきた。あまり無理をしないように、テレビルームでNHKを見たりして過ごしていたのだが、ちょうどポップジャムをやっていた。久保純子は相変わらずかわいかったが、出演者は川本真琴以外は全く知らなくていまいち盛り上がれなかった。
その後にやってきたちびっ子の度自慢の方はなかなか楽しかった。
4月1日 フォーミュラー1(サンパウロ)
今日で2回目の日曜日だ。最初は月曜に出ようと思っていたので今日でまる1週間余分に滞在してしまったことになる。まあ体調が第一なので仕方ないのだが、せっかく滞在が伸びてしまったので最近話題になっていたF1ブラジルGPを見に行ってみる事にした。
7時に起きて練習走行から行こうとおもっていたら、結局出発が9時半ぐらいになってしまって会場に着いたときには飛行機のアクロバットショーぐらいしかやっていなかったのだが、時間が遅かったのでダフ屋も弱気になっていて、正規入場料金190へアルの所を5人で交渉したけっか100へアルで全員手に入れることができた。これは学割でも95なのでなかなかお得だった。
中はお祭り好きのブラジル人だらけなので中で演奏していたバンドにあわせてブラジル人が踊り狂っていた。時間が遅かったせいもあってスターティンググリッドあたりは満席だったので反対側の最終コーナーのあたりに陣取ってレース開始を待った。
レースはスタート時だけメインスタンドの近くへいって見ていたのだが、ウォームアップランやスタート直前のタイヤ交換、そして驚いたのはドライアイスかなにかでラジエターを冷やしていた事だった。会場には耳栓売りなんかがいたのだが、ラオスのスピードボートを経験した自分には楽勝だと思っていたら甘かった。こんなにうるさい乗り物が世の中にあったとは・・・
スタート前の最後の点検
シグナルがつくともう耳がしびれるぐらいの爆音(しかも高音)で思わず耳を塞いでしまった。そしてシグナルが青に変わった瞬間白煙を上げて一斉に飛び出すが、、、なんと去年優勝争いをしていたミカ・ハッキネンがトラブルでいきなりスタート出来ず。そして1週目にブラジル期待の星フェラーリのバリチェロがクラッシュ。生で見るF1はなかなか興奮するのだが、レース展開はいきなりつまらない物になってしまった。
そんな中レースを盛り上げたのはドイツのシューマッハ兄弟。ポールポジションはチャンピオンの兄ミハイルだったのだが、いきなり1週目戻ってくると弟のラルフが1番手だった。意外と動きの少ないレース展開だったので「一雨降るとおもしろいのにねえ」と冗談で言っていたら、本当に大粒の雨が降り出してあっという間に路面は水びたしになってしまった。
タイヤ交換の状況なんかは自分の席からは分からなかったが、数年前からF1ではスリックタイヤが禁止されたので、意外の雨の影響は少ないのかもしれない。スピードは落ちるが水しぶきを上げながら不安定にコーナーを抜けていくマシンはなかなか見応えがあった。
結局雷のあと雨は止んで、ラルフはリタイア、トップは2番手を走っていたクルザードでシューマッハ兄は2番手だった。そんなわけでブラジル人は少し白け気味だったのかレースが終わるとすぐに人がひきだして、僕たちもさっさとシャトルバスに乗って会場を後にした。
街へ戻る途中またまた雷雨になって、宿に帰るとすっかいびしょぬれになってしまった。
水しぶきを上げて走るマシン
4月2日 定食(サンパウロ)
昨日の夜はびしょぬれになってしまったのもあって、毛布をかぶって夜の7時にはもう眠り込んでいた。にもかかわらず朝起きると少し頭が痛い。しかしこれ以上サンパウロでの滞在を延ばすのはもうイヤなので無理矢理起きて荷造りを始めた。
もし体調がよければ今夜の夜行バスでリオに出発しようと思っていたので「それまでにもう一度日本食を!」と言うわけで、僕、イベント娘、ギター小僧の三人で長期滞在者お薦めの「居酒屋甚六」へ向かった。途中ばったりあった金髪くんも加えて4人で定食をむさぼり食った。たった10へアルほどでみそ汁もお茶、そしておしぼりのサービスもあって至れり尽くせりだ。
昼食後は宿に帰ってメールを書いてから「そご」4階のインターネット屋にメールで送受信と日記の更新をした。4月1日だからなのか「金さん、銀さんは実は三つ子で、妹のどうさんというのがブラジルにいる」とか言うメールも来ていた。これはかなり嘘っぽいのだが本当だったらおもしろいな。
メールから帰ると本格的に調子が悪くなってしまって、今夜出発は絶望的になってしまった。
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