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ブラジル楽園編

(リオデジャネイロ〜トランコーゾ)


4月3日 楽園へ(サンパウロ〜リオデジャネイロ)

8時に目が覚めた。夕べたっぷり眠ったせいか、鼻水は出るもの体は軽い。これなら出発できそうだ。

みんなを起こさないように干していたシャツやタオルとザックに詰めて荒木本館のロビーに行くと、イベント娘もばっちり起きて準備完了だった。ギター小僧にも一緒にリオに行くように二人で説得していたのだが、彼は予定通りイグアスへ向かうらしい。なかなか楽しい男だったので何としても連れていきたかったのだが仕方ない。12日分の宿代を払ってから来たときと同じ地下鉄に乗ってチエテのターミナルに向かった。

ポルトガル語も少しだけ慣れたので、インフォでリオ行きのカウンターの場所を聞いてすぐにたどり着くことができた。たくさんのカウンターが並んでいて、全員が大きな声で「こっちだこっちだ」と手招きをしている。すぐに出発する9時45分の会社だけに値段を聞いて回るのだが、頭の悪いことに「10時30分」とか表示した窓口のおじさんがしつこく「こっちだ!」と叫んでいる。ちょっとは頭使えよ(笑)10時半のバスなんて直前にならないと誰も買わないってば。

僕とイベント娘は27へアルで一番前の席二つを確保したのだが、このバスは短い距離の割に椅子が水平に近いぐらいまでリクライニングするしフットレストまで着いていて、リオまでの6時間は本当に快適そのものだった。景色は単調だったが、途中に一つ山越えがあって、その区間の眺めはなかなかの物だった。

リオに到着して外に出ると一気に汗が噴き出す。湿気を含んだ空気はもちろん人々の表情もかなり違う。ブラジルでは州が変わると別の国だと言われるが本当に別の国にやってきたようだった。特に目立つのは黒人が多くなった事で、ターミナルの黒人の係員のおじさんに安宿街の行き方を聞いてお礼を言うと、満面の笑みをうかべて親指をたてた。

宿はいろんな人から情報を聞いていたのだが、結局何軒か値段を調べてエアコンテレビ付きで一人20へアルというHOTEL LISBOAにチェックインした。ブラジルは日が短くて宿に荷物を降ろして外に出るとまだ6時過ぎなのに真っ暗だった。

この街はテンションが高くてみんなフレンドリーだ。サンパウロのブラジルは一体何だったんだろうと言う気がした(笑)


4月4日 コパカバーナ(リオデジャネイロ)

この宿は朝食付きなので食べ逃さないように8時にきちんと起きた。そして朝食を食べたのはいいのだが、結局また部屋にもどって2時間ほどゴロゴロしてしまった。

今日は天気もいいので一日ビーチでごろごろしようとバスにのってブラジルで最も有名なコパカバーナビーチへと向かった。地図を見ながら降りるポイントを探していると「ブラジルハジメテデスカ?」と声がかかったので振り返ると笑顔の日系人のおじさんがいた。彼は年齢からは2世だと思うのだが両親が日本へ引き揚げためもうほとんど日本語をしゃべる機会がないのか、会話は成り立つ物の明らかにネイティブの日本語ではなかった。

みんながみんな「コパカバーナと言えば、ケツっすよ」という。すごいケツのおねーさんがものすごい水着で歩き回っているのだそうだが、今日は平日だったのか「それはちょっと、、、」というようなおばちゃんばかりだった。それはさておきさっそくTシャツを脱いで海に飛び込むと水は思ったよりもずっと暖かかった。

おなかが白いのがちょっと情けなかったのでしばし焼いてから次は隣にあるイパネマ海岸へと向かった。こっちのほうはより若者向けという事で、行ってみるとさすがに若者がいっぱいいた。おなかが空いたのでファーストフードでハンバーガーをかき込んでからビーチに向かった。

ビーチの適当なところに座って再び日光浴を始めるのだがこっちのほうはさすがに街の中心から少し遠いので水も澄んでいていい感じだ。ただまわりを見回しても何故かほとんど男しかいない。特に気にはしていなかったのだがどう考えてもおかしいのでイベント娘といろいろ話し合った結果、ここはどうやらホモビーチらしいという結論に達した。

そういえば、男のしかも二人連れや、やたらマッチョなのやら、超ビキニの男やらが多いと思っていた。そして帰り際に遠くからながめると明らかにその周辺だけが男だったので推測は確信へと変わった。あぶないあぶない一人で行っていたらどうなっていたことやら(笑)

明日は街見物と夜のイパネマでボサノヴァの予定。


4月5日 ボサノヴァのふるさと(リオデジャネイロ)

あいたたた、最近円が下がり続けているとおもったら、もう1ドル=127円まで行ってしまった。というわけで、久しぶりにTCを崩して当座必要分のへアルを手に入れる事にした。ただブラジルはTCのレートがかなり悪い。アメックスの代理店だと手数料無しでけっこういいレートらしいので、朝一番でコパカバーナへ向かった。

所がアメックスがあるというホテルにたどり着くと、どうやら潰れてしまったようで、まわりのカンビオで聞いてみても、1ドル=2へアルとかそんなのしかない。大量に両替するのだからと5件ぐらいまわってみて、やっと1へアル2.06の所をみつけた。これだとアメックスと大差は無い。

お金が手にはいると少し気が大きくなって、そのまま近くのイタリアンレストランで「お得メニュー」を食べたのだが、こっちのほうはなんだかグニャグニャのパスタでいまいちだった。そして海岸をぶらぶらしていると日も傾いてきたのでそのままコルコバードの丘へと向かった。

リオと言えば犯罪というイメージを持っていたのだが、殺人が激発しているのはファベイラと呼ばれる貧民街が中心で、町中は警官も多く思いのほか安全にみえる。そしてそのかわり問題なのが交通渋滞。特にセントロとコパカバーナ地区の間は車の流れが1カ所に集中するから渋滞が激しい。もちろんセントロ内もかなりものもだ。そんなわけで、登山電車の乗り場に付いた頃には日もほとんど暮れかかっていた。

そのまま登山電車に飛び乗って、夕暮れの丘をどんどん登っていく。ここの電車はケーブルカーではなく、歯車をかみ合わせて登っていくラックレール式になっている。だから結構なスピードでどんどん登っていく。それでも丘はかなり高くて30分ほどかかって夕暮れのコルコバード山頂にたどり着いた。

階段を登っていくと何度と無くテレビで見たことのある巨大なキリスト像が見える。クビを少し下にむけて、まるでリオの街を見守っているかのようだ。薄暮の中にどんどん夜景が浮かび上がってくる。月と夜景とライトアップされたキリスト。そして時折海から吹き上げられた空気が冷やされて雲の塊となってキリスト像を飲み込む。なんだか映画のワンシーンの様だった。

リオと言えばキリスト像
実はちょっと猫背

すんでの所で下り列車を逃して、結局そのまま30分ほど景色を眺めてから下り最終に乗って次の目的地イパネマへと向かった。ここでまたまた渋滞に巻き込まれてしまった。イパネマにはサンパウロで一緒だった「買い物ママ」ぜひお薦めというボサノヴァバーがある。そしてここリオはボサノヴァ発祥の地なので僕は何としてもここで本場のボサノヴァを聞いていきたかったのだ。

最初は場所の情報はほとんど無かったのだが、とにかく買い物ママの話を総合すると「"イパネマの娘"が作曲されたカフェのすぐ近く」という事なのでまずそのカフェを探し出した。カフェの名前はズバリGarota de Ipanema(イパネマの娘)で、中にはたぶんトム・ジョビン直筆のメロディが書かれたTシャツなんかがかかっていて結構な賑わいだった。

通りを渡るとすぐに「BOSA NOVA VINICIUS」と書かれた看板を見つけてよく見てみると、まもなく開演で入場料15へアル、最低消費が8へアル。これは買い物ママの話とも一致するのでおそらくここだろうと2階へ上がってみたら、思いのほか高級感漂う感じだった。

今日は長髪のギターの人ひとりによる弾き語りだ。最初はちょっと寂しいかな?と思ったのだが、アンプを通して聞こえてくるクラシックギターの音色は柔らかくて良い響きだった。さっそく軽快なボサノヴァからスタートすると、辺りは一気にけだるい心地よさにつつまれた。

僕はあまり自分からボサノヴァのCDを買ったりしたことは無いのだが、何となく街やバーなんかでかかっていたりするたびに「いいなあ」と思っていたのだった。3曲目は自分も何度か演奏したことのある「WAVE」、そして盛り上がったところに「イパネマの娘」 が流れる。

結局休憩をはさんでもう1ステージ見てから路線バスに乗って宿に帰った。もしもう一度リオへ行くことがあったら必ず立ち寄ってみたい場所ができた。

Garota de Ipanemaの前


4月6日 そこにある楽園(リオデジャネイロ〜ポルトセグーロ)

昨日夜更かしだったので、一度朝食を食べるために起きてから二度寝。そして12時前にチェックアウトして荷物を預けてメルカドへ。僕はこの後トランコーゾという最近口コミで広まっている穴場のビーチを目指すので、食料品等いろいろ仕入れておきたかったのだ。と言うのもこのトランコーゾは小さな村で商店もほとんど無いと聞いていたからだ。

トランコーゾの話は色んな旅人から聞いていた。イグアスで会った金髪くんも「ブラジルにすごい所あるらしいっすよ」と言っていた。庭にハンモックのあるコテージが一人一泊10へアルで、人のほとんどいない綺麗なビーチが続いているそんな所らしい。

僕は日本で買ったら2000円はするだろうと思うほど大量のお菓子を10へアルほどで買い込んでから軽く食事をしてホドビアリア(バスターミナル)に向かった。情報によるとトランコーゾの玄関口ポルトセグーロ行きは3時頃出ると聞いていたのだが、実際は夜の8時だった。仕方がないのでその辺りに座ってブラジル情報でも読みながら6時間ほどつぶすことにした。

何とか気合いで6時間つぶしてやってきたバスは思ったよりも一回り小さくて最初は一瞬エアコン無し?と思ったのだが、バスの前後に外付けの小さなエアコンが付いていて一安心だった。ここからポルトセグーロまで18時間、そしてフェリーとバスを乗り継げばもうすぐそこは楽園だ。


4月7日 楽園への道は長い(〜ポルトセグーロ〜トランコーゾ)

バスは山道をぐねぐねと走った。そして一夜明けたどこか田舎のバスターミナルでいきなり壊れた。数十分「ああでもないこうでもない」と色々やってみるのだがどうもうまく行かないらしい。外に出て売店でジュースを買ったら1へアルだった。特に安くもないのだがバスターミナルなら1.2〜1.5が普通なので、田舎に来たのだと気が付いた。売店のおじさんも心なしかとても陽気に見える。

バスは結局調子の悪いままスタートしたのだが、いきなりの上り坂で歩くぐらいのスピードしか出なくなってしまった。結局後から来た同じ会社のバスに拾われる形で一つ先の街まで行ってそこで乗り換えてポルトセグーロに向かうことになった。

バスの中は陽気な30台だと思われるおねーさん達が5〜6人でえらい盛り上がっていた。底抜けに陽気な彼女達は、わずか知っている英単語を駆使して、僕たちにもバスがどういう状態か親切に教えてくれるし、乗り換えたときの荷物の心配までしてくれる。サンパウロではあまり現地人の親切さというのは感じ無かったが、ここ数日北上するに従ってどんどん人が陽気で親しみやすくなっていくような気がする。

アクシデントのせいかポルトセグーロには夕方到着した。情報無しにバスターミナルをうろうろしてから、近くのおばちゃんに港行きのバスを訪ねると、いちいち連れていってくれて運転手に聞いてくれる。そしてバスに乗ってからも一人の親切な英語を話すおじさんが港の近くで一緒にバスの降りてくれて、港への行き方や「港へ行きたい」というポルトガル語のフレーズまで教えてくれた。ここまで地元の人に親切にされたのは、シリアかガーナ以来のような気がする。

川をフェリーで渡るとすぐに出るバスがあったのでトランコーゾめざす。意外と起伏が激しくてバスは登ったり降りたりを繰り返してやがて日がどっぷり暮れた頃にトランコーゾの村らしき所に到着した。こんな時間で既に村は薄暗くて地理感覚もなにも無い僕たちは客引きに言われるままに付いていくしかなかった。宿は小綺麗なホットシャワー付きバス、庭にテーブル付きで一人$5と情報通りで申し分無かった。

セントロと呼ぶのもとまどう静かな通りを食べ物を探して歩いていると一人の地元の青年と知り合った。名前はヴィッタウ。ここではシーズン中は浜でチョコレートを売ったりしていて、今は観光客も少ないのでわりとぷらぷらしているらしい。夜は彼の友達のルシアーノも加えて盛り上がった。彼らが帰る頃にはもうみんなかなり酔っぱらっていて、僕は移動の疲れもあってそまま死んだように眠り込んでしまうのだった。

フェリー乗り場までの道
ポルトセグーロにて


4月8日 フレンズ(トランコーゾ)

サンパウロの荒木を出てからみるみる体調が回復していく。やっぱりあそこには何だか怪しい空気につつまれているのかもしれない。(笑)そして今日は昨日の疲れを引きずっていて、昼ごろに一度起きた物のそのまま夕方まで眠り込んでしまって丸一日つぶれてしまった。

夜食事に出かけようとしていたところにヴィッタウらが遊び来てそのまままた夜遅くまで盛り上がってしまった。お互い言葉は余り通じないのだが、英語日本語ポルトガル語を混ぜてお互いの勉強会のような感じになった。

ちょっと前までは「旅は一日一日何かをしなければ」という強迫観念にとりつかれていたような気がするが、リオ以降は何だかそんな事はどうでも良くなってきた。投げやりと言うわけではなく、彼らの楽観的な生活を毎日見ていると、色んな事で悩むのがばからしくなってくる。

ブラジルとは「何かをするところ」ではなくきっと「心で何かを感じる所」なのかもしれない。


4月9日 秘密のビーチ(トランコーゾ)

朝10時頃にヴィッタウが迎えにきた。今日は何でもとっておきのビーチに行くらしい。メルカドで水を仕入れていざ出発。

ヴィッタウは最初「近くてめちゃくちゃ険しい道と、普通でそこそこ険しい道、そして遠くて楽ちんな道」のどれが良い?と聞いてくるのだが、結局話し合った結果真ん中をとって「普通でそこそこ険しい道」を行くことにした。実際歩いてみると道はしっかりしているのだが、長い長い上り坂と下り坂の繰り返しという道で結構きつかった。途中何故だか地元の子供達に「通行料」なるものをせびられてしまった。

最初にビーチの近くのがけの上に出た。がけの上から海岸が見渡せる。どこまでも青い海と空。海から吹き上げてくる冷たくて気持ちの良い風。ここまでの疲れも一気に吹っ飛んでしまった。それからちょっとおそろしげな崖を何とか降りてしばらく行くと小さな池にでた。「ここで泳いで行こう」とヴィッタウがいう。

もうそこは海なのに何故だか淡水で泳ぎたいらしい。他にも地元の人が何人か泳いでいるのでしばしご一緒させてもらう。一人ハイテンションなおばさんがいて、ばしゃばしゃ走りまわったり、道路の上から宙返りして池に飛び込んだりとそれはもう驚きの光景だった(笑)

そんなとっておきの場所の先にあるビーチなので、人影もほとんどまばらで僕たちが砂浜の大きな木陰にたどり着いたときにはいかにも儲かってなさそうなジュース売りのおばさんぐらいしかいなかった。木陰に寝ころんで語り合う。そして今日も一日が過ぎていった。

トランコーゾのビーチ


4月10日 月の出(トランコーゾ)

今日も昼過ぎにヴィッタウが迎えに来た。いくら楽園のここでもやはり誰かが近づいて来るには何か目的があるんじゃないかと今までの習慣で思わず勘ぐってしまう。彼に関してもいまだに目的は何なのか。それともそんな物は最初から無くてただ遊びたいだけなのか?色々思いをめぐらせてしまうのだがそのうちにそんなことはどっちでも良くなってしまった。

今日は教会下のマングローブの林を遊歩道に沿って横断してまっすぐビーチに出る。そしてそこから海岸を北へ歩いていくとまたまた海は違った表情を見せてくれる。しばらく行くとヴィッタウの知り合いの漁師に出会ってしばらくそこで休憩していると段々汐が満ちてきてこれ以上先に進めなりそうだったので、漁師のおじさんに船でマングローブの中を迷路のように蛇行している川に沿って遊歩道まで送ってもらった。

北のビーチはやはり浜茶屋の前以外は人もまばらで、ビーチにねっころがったり、時折泳いでみたりして過ごした。のんびりのんびりひたすらのんびりしていると徐々に陽も傾いてきたので宿に戻ることにした。

街に帰ってきた僕とイベント娘は軽く飲んでから昨日発見した大当たりのキロ・コミーダ(量り売りのバイキング)へ食事に出かけた。ここはこんな田舎の村にしては考えられないほどおいしい。魚から肉から何でもありで、しかも1キロで10へアル。僕は通常400gぐらいしか食べないのでジュースも付けて300円ほどですんでしまう。こんな調子だと何ヶ月でもいてしまいそうで少しこわい。おいしい食事を平らげると今度は「月の出」を見に行こうという事になった。

日の出というのは意識的に見ることはあるけど「月の出」と言うのにはどうも余り着目されていないような気がする。今日はそんなわけで日が沈んでしばらくしてから月が大西洋から昇るのを、町外れの教会裏の崖まで見に行ったのだった。

月なのであまり感動的なのは期待してなかったのだが、驚くほど格好良かった。東の空の下がオレンジ色に輝いたと思うと、どんどん終わりかけの線香花火のような赤い火の玉がゆっくりゆっくりと地面からはい上がってくる。時に雲の裏にかくれそしてまた表に出てくる。神秘的というかまさに月始まって以来の格好良さかと思うほどだ(笑)

しばらくすると月は輝きを増しどんどん青くなっていく。そんな夜空を見ながら僕は心から今リラックスしていると思った。

トランコーゾの教会
この裏からビーチが見下ろせる


4月11日 休日(トランコーゾ)

ここにやってきてからと言う物、退屈を知らない。ヴィッタウ達はお金を使わない遊び方をよく知っている。彼らのおかげで本当に楽しい毎日を送っている。そんなヴィッタウも今日は久しぶりに仕事をするとかで、僕たちも連日の遠足でかなり疲れがたまっていたので、今日はオフという事になった。

昼過ぎぐらいに起きて、昨日発見したメルカドのチーズパンを買ってきて朝昼兼用の食事。宿のテラスにあるハンモックに寝ころんでゆらゆら揺れているうちに1時間程が経過する。

昼下がり少し涼しくなってきた頃にやっぱりせっかくだからすぐ近くのビーチに行くことにした。昨日と同じ北のビーチなのだが、今日は教会から北に降りる坂道を下っていったのでボートにも乗らず30分ほどでたどり着いた。

今日はひたすら昼寝を決め込んでいた。そしてイベント娘はひたすら読書をしていたようだった。それぞれ思い思いの事をして日が傾いたら家に帰る。そして帰ったら軽く飲んでからいつもの飯屋で食事をして月を見に行こうとしたのだが、今日は計算を間違ったのか、海の見える丘のたどり着いたときにはもう月は結構な高さまで上がっていた。

しばらくするとしばらく前にトランコーゾ入りしていた金髪くんと医学生くんがやってきて、彼らも酔っぱらっているのか月夜の下で脈絡の無い話をしていた。

 

北のビーチで読書のふり。


4月12日 お散歩(トランコーゾ)

今日はイベント娘腹痛の為、気が向くまで一人で気ままな散歩に出かけた。ヴィッタウもイベント娘が調子が悪いと聞くと何やら仕事へと出かけていった。

せっかくの楽園生活なのにほとんど写真を撮っていない。撮ってないというよりは撮る間も惜しむように毎日楽しく暮らしていたという方が本当の所なのかもしれない。そんなわけで今日は一人でぶらぶら歩きながら色んな写真を撮っていく。

まず最初にビーチから少し離れたもう一つの集落の方まで行ってみた。以前はこっちの方が安宿の中心だったのか、今でも旅行者は少ない物の、ぱらぱらと安宿が並んでいる。到着したときはこちらの方が大きく見えたのだが、結局は今ツーリストが集まっている、教会広場の方が何かと便利そうだった。

一通り村の写真を撮ってからビーチへ降りてみる。今日はどんどん南の方へと歩いていくことにした。途中ジュース売りの少年が「日本人かい? 向こうに二人イカれた日本人が居たから行ってみたら?」と声をかけてくれた。瞬間に金髪くんたちの事だとわかったのでどんどん歩いていくと、パンツ一丁で海をぼんやりとながめている二人組を発見。

「なにやってんの?」と声をかけると、何でも昨日酔っぱらってドアを空けっぱなしで寝たら、朝にCDウォークマンとおまけに海パンまで盗まれてしまったらしい。何ともはや。しばらくアホな話をした後浜茶屋でビールを飲んで宿に戻ってきた。

宿に戻るとイベント娘もほぼ復活していて、飯を食べて月を見てからヴィッタウがビリンバウというバイーア伝統の楽器を弾いてくれると言うので金髪くん達も交えてみんなで宿に戻った。ビリンバウは弓にココナッツの殻を取り付けたような構造になっていて、ばちで弦を叩くのだが出せる音程は半音だけで、「高い」「低い」を繰り返して不思議なリズムを奏でる。ビリンバウの後は太鼓も披露してくれて、こっちの方もなかなかの腕前だった。

バイーア音楽を堪能したあとはみんなでボブマリーの絵がでかでかと書いてあるバーへと向かった。今日は何だかレゲエの日らしく、酔いも手伝ってレゲエに合わせて踊るのだが、どうもレゲエというのは日本人の自分には「溜め」が難しかった。ちょっと筋肉痛になる。

ビリンバウを弾くヴィッタウ


4月13日 ミニパーティー(トランコーゾ)

今日は朝から良い酒が手に入った。少し味見をしてから活動を開始するのだが、どうやら今日から村は休みに入ったらしく生命線だったメルカドのパン屋は開いてなかった。

今日の行き先は小さな池らしい。ポルトガル語がいまいちわからなかったので言われるままに出発した。今日はルシアーノも一緒だ。この辺りの海岸には結構な数の小さな川が流れ込んでいる。だから潮の時間を読み間違うと首まで水に浸かることになっってしまうのだ。今日は幸い干潮の時間だったので、一カ所流されそうになりつつも何とか服を濡らさずに渡りきることができた。

しばらく行くと海に着きだした岩の地帯で、岩に登ったり浅瀬を歩いたりしてかわす。岩の上で少し休憩した後再び北をめざす。しばらくしていかにも雨に削られたという地形が現れた。ヴィッタウが水のしたたっている所を探す。どうやらこの辺りは粘土質になっていて、泥パックが有名らしい。そしてそのまま進んでいくと今日のメインイベント「Lagoa Azul」という小さな池にたどり着いた。

周りを絶壁に囲まれた秘密の泉という言葉がぴったりな所で、何人かが体に泥を塗ったりしていた。崖に囲まれているせいで陽がまったく入らなくてひるまでもひんやりしていて気持ちよかった。

帰る段になってヴィッタウが困った顔をしていた。どうやら来た道は満ち潮で戻れないらしい。結局そのまま北上して隣町のアライアルダジューダまで行ってそこからバスで戻ろうという話になった。アライアルダジュウーダはトランコーゾに来るときに通ってきたのだが、今日改めて見るとトランコーゾよりもずいぶんおしゃれで小さなショッピングモールなんかもあって少し高級っぽい。クラブなんかもかなりあって、満月の日にはパーティーも行われているそうだ。

ただ遊ぶにはいいけど長期滞在するにはちょっと賑やかすぎるかもしれない。僕たちはパンをかじりながらバスを待った。そしていざバスに乗ってみると道がないせいか、2時間ほどで歩いてきた道のりをバスで30分以上かかった。10キロ以上は回り道をしているはずだ。

街へ帰ってくるとものすごい人だった。本格的に休日に突入したのだろうか?僕たちはいつものようにキロコミーダで食事をしてから月を見た。そして後からヴィッタウがやってきて、今日は良い音楽があるから12時過ぎに集合と言うことで街の小さなクラブのようなバーに繰り出した。

バーで流れていたのは何とサンバ。そして地元民はもう踊る踊る。僕たちはかなり酔っていたので「サンバどころじゃないよ」と思っていたら、少しずつ曲層が変わってきて、サンバでもテクノっぽいのが流れてきたなあと思っていたらいつの間にかトランスのオンパレードになっていた。どこのアーティストの物かはわからないけど、なかなかの立体感で踊っていると頭がグルグル回りそうだった。そしていつの間にか音楽がポップス系に変わったなと思った頃客がひきだした。時計を見ると4時を少しまわっていた。


4月14日 太鼓クラブ(トランコーゾ)

昨日は4時頃まで遊んでいたにもかかわらず11時頃には目が覚めてしまった。やっぱり人間気分が盛り上がっていると活動的になるのだろうか?かと言ってもする事もなく、1時間ほどぼーっとしたり日記を箇条書きしたりして過ごした。

昼ぐらいにヴィッタウが遊びに来たのでそのまま一緒にパンでも食べながらしばらくだらだらとした。今日は村のカルチャーセンターで太鼓の練習があるから連れていってくれるらしい。夕方5時に落ち合う約束をしてから昼寝を決め込んだ。

カルチャーセンターは村の少し外れにあって、前には大きなサッカーコートがある。さっそくヴィッタウが鍵を開けて中にはいると、中はコンクリート張りの建物に鏡があって、大きな円が書いてある。一見相撲部屋の様にも見えるが、よくよく壁をみえるとカポエラのポスターとか写真が貼ってあるので、きっと音楽を演奏しながらカポエラをやるところなのだろう。

倉庫から太鼓を出していると、ヴィッタウの兄や近所の子供2人とメンバーが集まってきた。練習は1時間ほど続いたが、子供が予想外に上手だったので驚いた。最後はみんなで合奏しながらルシアーノが歌を歌って締めくくった。どういう集まりなのかよくわからなかったが、こんな小さな村にもこういう楽団があるなんてやっぱりバイーアは素晴らしい!

太鼓クラブの練習風景


4月15日 静かな日曜日(トランコーゾ)

昨日になって気づいたのだが今週はイースターだ。どおりで、あんなに観光客が押し寄せて、しかも夜は静かと言うわけだ。昨日の夜も結局いい音はなくて10時頃にはもう寝ていたので今朝は5時半に目が覚めてしまった。

外は薄明るくて、ひょっとするといつも月の出を見ていた場所から日の出が見えるんじゃ?と思って朝もやの中を教会の丘まで出かけてみたのだが、結局不発で少し雲が赤くなるのが見えただけだった。

再び昼寝をしてから1時ごろ起き出して、食事を求めて村の中心に行くと、頼みの綱のメルカドは休みだった。どうしようかと辺りをみまわすと昨日の夜カフェを飲みにいったヨーグルト屋が開いていたので、ヨーグルトとサンドイッチの朝食にした。ここのヨーグルトは自家製なのかとてもおいしく、もっと早くこの店を見つけるんだったと後悔してしまった。ここと例のキロコミーダさえあれば、何ヶ月でもトランコーゾで生活できそうだと思った。

ふと見上げるたそら
夏が終わったと思った。


4月16日 夏の終わり(トランコーゾ)

今日は朝からまとまった雨が降った。それはまるで夏の終わりを告げるようなでもあった。そろそろ出発しなければ。

そんな天気なので今日はほとんど何も出来ず、宿のテラスでハンモックに揺られたり、たまっていた夏休みの日記を書いたりそんな感じで時間が過ぎていった。小降りになったところを見はからって例のヨーグルト屋まで朝昼兼用の食事をとりに行った。

夕方少しだけ雨が止んだのでヴィッタウの友達の家に行くことにした。ただいま建築中といった感じで、煉瓦ブロックを積み上げて日本風の屋根が完成した建物の中にテントが張ってあって、ルシアーノがトイレ用の穴を掘っている所だった。たぶん一人が職人であとは友達が手伝いに来ているのだろう。カメラを向けると男達は大いに盛り上がっていた。

夜はたぶん今夜で最後だろうと、3人で飲んでいたらついつい飲み過ぎてヴィッタウはヘロヘロになって帰っていってしまった。僕はまだまだ平気だったのでいつものキロコミーダへ行っておいしい料理を一気にかき込んでから消化されるまもなく眠り込んでしまった。

建設現場にて。


4月17日 新学期(トランコーゾ〜ポルトセグーロ〜フェイラデサンターナ)

今日は目覚ましもないのに10時に目が覚めた。快挙だ。軽くシャワーを浴びてから部屋中に散乱した荷物をかき集めてパッキングをする。長期滞在をすればするほどパッキングは大変だが11泊もするとそれはもう大騒ぎだった。やっとのことでパッキングを終えてテラスでのんびりしているとヴィッタウがやってきた。

ここトランコーゾは4泊の予定だったのだが、彼という友人のおかげで毎日毎日楽しくすごせて思わず11泊もしてしまった。僕とイベント娘は当初「彼の目的」について色々と考えをめぐらせたりしていた。そして今はもう彼は大切な友達なのでそんなことはどうでもよくなった。

そしてバスの時間が近づいてきた頃彼は申し訳なさそうに切り出した。手にはヒッピーのアメリカ人に訳してもらった紙切れを持っていた。それは「自分はもう5年もサンターナに帰ってなくて、どうしても今年は帰りたいから何とか自分の分もバスのチケットを買って貰えないか」という物だった。

僕とイベント娘は話し合った結果、彼が言う一番安いサンターナ行きのバスチケット代35ヘアルを出してあげることにした。僕たちは今日サルバドールへ向かおうと思っていたので彼には現金をそのまま渡して、向こうで落ち合う事にした。本当はチケットを買って渡せばいいのだが、僕たちはもう彼がどんなに気のいい奴だか十分わかっていたから、仮にそれが彼の生活費に消えたとしても、それはそれでいいのだと思った。

3時半にポルトセグーロのホドビアリア直行のバスがあったので、ヨーグルト屋でカフェ・コン・レチェを飲んでからバスに乗り込んだ。しかしポルトセグーロに着くとサルバドール行きは80ヘアルのデラックスバスしかないらしい。「じゃサンターナは?」と聞くとなんとたった35ヘアルのローカルバスがあるという。11時間なので余分に時間はかかるが、サンターナからサルバドールは1時間、7ヘアルほどなのでこのバスに乗ることにした。

ボロボロのバスを想像していたら、バスはエアコンが無い以外はむしろ普通のバスよりも綺麗なぐらいだった。ローカルなので小さな町にいちいち止まりながら進んでいく。小さな町の小さなホドビアリアを過ぎると灯りが全くない闇の世界になった。

行きつけのヨーグルト屋さん。


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