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ブラジル野獣編

(サルバドール)


4月18日 またまた大当たり(フェイラ・デ・サンターナ〜サルバドール)

バスは朝もやの中を走っていた。まだ6時になっていないのだがしばらくすると大きなターミナルに止まった。周りをみると「Santana」という会社のバスが盛大に止まっていた。どうやらフェイラデサンターナに着いたらしい。

とりあえず降りてみるのだが、朝早い上に街は深い霧で覆われていて様子が把握できない。短い夜行バスの移動で思いのほか疲れていた僕たちは結局そのままサルバドールを目指すことにした。バスが郊外に出たところで僕は空いている席に移って横になって眠り込んでいたのでその間の事は全くわからないのだが、ともかく気が付くとバスはサルバドールのターミナルに停車していた。

ギター小僧からもらった情報をたよりにさっそく市バスに乗って安宿を目指す。宿は街の中心か少し歩いたところらしいので、街の中心の公共エレベータの辺りで降りようと思っていたのだが、大雨になってきたのでそのまま「バスが街の中心部(エレベータの着く上町)へ行くだろう」と乗っていたら、何とバスは街の外一周してターミナルへ戻ってきてしまった。

僕は意外と慎重派なので物事を決める時はすべて「最悪の事態」を想定して行動するようにしている。「バスが遅れるかもしれない」とか「チケットが無いかもしれない」とか「宿が満室かもしれない」とか。今日は珍しく「願望」で行動するといきなりはまってしまったのだが、まあここはブラジルなので軽く笑ってからもう一周する事にした。

エレベータを降りるとそこはいわゆる「コロニアルな街並み」だった。ツーリスト向けに作りすぎと言う気もしないでもないが、素直に綺麗な街並みだと思った。安宿は少し苦労したけど無事見つかって、しかもがけの上に建っているので屋上から海が見下ろせるし、部屋もバストイレ付きで15ヘアルと申し分無しだ。ただ部屋はパティオに面した窓のある部屋ともう一つ日当たりの悪い部屋しか残っていなかったので、イベント娘がそこそこ日の当たる部屋、そして僕は日の当たらない部屋をとることにした。まあ昼間は屋上にいればいいので日当たりはそんなに重要じゃない。

この宿には一人の日本人が住んでいる。何でもサルバドールにもう4年ぐらいになるそうで、こっちでは地元のバンドで太鼓を叩いたりしているらしい。一見取っつきにくい感じがするが、親切で面白い人だ。宿で落ち着いてからそんな「叩く人」に近所の市場を案内してもらった。まるでエジプトの様な雑然とした市場に嬉しくなってしまい、僕は野菜一式と牛肉を挽いてもらって夕食にミートソースを作った。

結局今日は観光はしなかったが、夕方から「叩く人」と「イベント娘」そして僕で色んな太鼓を持ってきて、セッションをやって遊んだ。僕とイベント娘はもちろん素人なのだが、トランコーゾでヴィッタウに教えてもらったリズムを叩いているとなんだかついこの前のトランコーゾの日々が懐かしく思えた。

サルバドールの街角


4月19日 音楽都市(サルバドール)

昨日ネット屋でフロッピーを使おうとしたときに、ちょっと困った事に気が付いてしまった。それはコンピュータウイルス。サンパウロの荒木でもそれっぽい現象をみつけたのだが、それは使わせてもらったコンピュータ側の問題だと思っていたら、どうやら僕のマシンに問題があるようだ。まだ不具合等の発病は無いものの、これは早急に解決しないといけない。

まず自分のマシンのウイルススキャンをかけるが、元々古いバージョンのソフトなので検出出来ない。そこでネット屋にパソコンを持ち込んで、少し高い料金で電話回線を2時間ほど借りて、McAfeeのホームページから評価版のウイルス検出ソフトをダウンロードしてきたのだが、なぜだか異常終了してしまってうまく行かない。

こんな問題なんて、日本の環境があれば10分で片付くものなのに、もどかしいが僕はCDROMさえ持っていないので、最新のノートPCを持った旅行者にでも会わない限りインストールは不可能だ。何か新しい手を考えないと。

夕方からは今日到着したサンチャゴでも一度会っている「ベーシスト」とイベント娘、叩く人そして僕と4人でバイーアの踊りを見に出かけたのだが叩く人はあちこち地元民から声がかかって、太鼓屋で思わずセッションが始まったりして、結局時間が間に合わなくてそのまま太鼓屋でセッションを見学する事にした。

遊びで叩いているだけなのだが、キューバ出身の通称「ラスター」が叩いてるのをみて「おお!本物だ!」と驚いてしまった。彼はドレッドヘアで足が異常に長くて、長いサトウキビを持って立っているだけで絵になるという格好いい奴だ。

セッションを見ているとものすごい太鼓の音がするので外にでてみたら、30人ぐらいの太鼓の行列がやってきた。ほんの少しだけずれて聞こえるティンバオのリズムが最高に格好いい。僕とイベント娘はそのまま行列の後をついていって大きな広場まで行った。今日は木曜日なのにこの盛り上がりは一体何なんだろう?恐るべしバイーアといった感じだ。

帰りに屋台で揚げパンを買って、またまた宿の屋上で夜の港を見下ろしながら、みんなでとりとめのない話がつづいた。

大太鼓は踊ったり、太鼓を片手で持ち
上げたり とパフォーマンスがすごい


4月20日 舞踊都市(サルバドール)

腹痛で目が覚めた。どうらや昨日の屋台にやられたらしい。インドやアフリカの生水で鍛えていた胃腸もすっかり、アルゼンチン、チリの軟弱生活で日本並まで戻ってしまったらしい。イベント娘に聞いてみると、全く平気だったというので少しくやしかった(笑)

昼ごろまでには下痢もおさまったので外に出ようと思っていたら「ベーシスト」がジャンベ(アフリカの太鼓)を見に行くというのでみんなでぞろぞろ行くことにした。

最初は銀行に行くと言うことで、この前のエレベーターの近くにあるケーブルカーに乗って下町まで降りた。僕とイベント娘は特に銀行に用事は無かったので、セ広場で待ち合わせと言うことにして下町をふらつくことにした。下町には小さな露店がたくさんあって、たくさんの中国製品が所狭しと並んでいた。

太鼓屋のオヤジはなかなか陽気な人で、いろんなのを出して薦めてくるのかと思いきや、自分が叩くのを楽しんでいるような感じがした。一通り見てから観光案内所に行って、学生用の格安航空券屋を教えてもらった。というのもこの後ボリビアへ向かうのだが、あまりに調子に乗りすぎて北上しすぎたため、ボリビア国境までバスで50時間以上と飛んでもない距離になってしまったからだ。安いチケットがあるといいんだけど。

結局帰り道に「ベーシスト」がジャンベを買った。彼はギターも持ち歩いているのでどちらを日本に送るか悩んでいた。

夜は昨日行けなかったバイーアの民族舞踊を見に行った。ちゃんとした劇場のような所で、入場料はたったの6ヘアル。あまり期待していなかったのだが、これはすごかった。最初、時間になってもなかなか入場させてくれないので「なにやってんだよー」と思っていたら、それも演出の一部だった。

チケットを切ってもらって階段を下りると、白い布をまとった女の人と、上半身裸の男がそれぞれろうそくをともされた階段の途中に立っていて、何だか怪しげな動きをしながら指を鳴らして迎えてくれた。

踊りの方はバイーアの神話や、火のついた皿をグルグル振り回しながら踊る踊り、そして最後はカポエラで、これは体操の選手もビックリなぐらい、その場で何回もバック転をしたり逆立ちして足を振り回したりとものすごい動きだった。

全くサルバドールは退屈させてくれない。

ジャンベを締め直す太鼓屋のオヤジ


4月21日 静寂(サルバドール)

昼起きて、夕方までごろごろして、リゾットつくって、ボン決めて、屋上でセッションして、イギリス人も招いて、きまって寝る。

今日は隣町フェイラ・デ・サンターナのカーニバルが一番盛り上がる日なので、夕方から行こうと思っていたのだが、なんだかんだしているうちに、宿でまったりしたくなって、そのままみんなでリゾットを作って、屋上で太鼓のセッションをして一日が終わった。

今日は長期滞在のイギリス人のダレン(34才)も加えてとりとめもない話で盛り上がった。ダレンは白人のくせにすごく若く見える。ちょっとやんちゃな感じがするのだが、イギリスでは以前、麻薬のプッシャーをやっていたのだがそっちの方は何とか今のところ足を洗っているらしい。

彼はもうすぐ帰国するらしいのだが、口を開くたびに「バイーアは最高だ。帰りたくない」と言っていた。真っ暗な屋上から見下ろす港、少し肌寒い風。こういう時間もいいなと思った。

宿の屋上から見えた風景


4月22日  海へ行こう(サルバドール)

いつの模様に昼ごろに起きてご飯を食べていると「叩く人」が「海でも行かない?」とさそってくれたので着いていくことにした。行き先はバーハビーチというサルバドールの半島の先っぽに当たるところで、先端にはバーハ要塞と呼ばれる大きな灯台が建っていた。

後からもう一人サルバドール在住の日本人がやってきた。彼は数年前に「開発青年」(協力隊とはちがう)と言う制度でやってきて、そのままここが気に入って住んでいるらしい。二人とも現地人の彼女を連れてきていた。ビーチは結構な波で、しかも風が岸から海に向かって吹いているのでいい波がたっている。多くのサーファーやボディーボードを楽しむ人で賑わっていた。

日が陰ってきてから、2組のカップルは映画に行くという事なので、僕とイベント娘は来る途中に見かけた巨大なショッピングセンターを冷やかすことにして別れた。ショッピングセンターは別にどうという程の事はないのだが、サンチャゴ以来そう言う場所に行ったことが無かったのでちょっとウキウキしてしまった。

帰りにスーパーで買い物をしてから宿に戻ると「金髪くん」がカポエラを見に行くというので着いていくことにした。そして言った先は「カポエラ城」というにふさわしい、古い石造りの巨大な廃屋の中にあった。まさに「虎の穴」という感じで怪しかったが、生憎今日は時間が遅かったのでもうカポエラは終わっていて見れなかった。

サルバドールのバーハビーチ
結構波が高い


4月23日 慣れ(サルバドール)

そんなに長く居るわけではないのだがこの街にもだいぶ慣れてきた。今日は朝から格安航空券の会社をめざす。安いチケットがあれば、この後一気にボリビアまで飛んでしまおうと思っているのだ。ブラジルは広すぎる。

見なれた坂道を下っては登る。「バイーアは獣だ」と誰かが言った。頭で考えるのではなく体の奥底からわき上がってくるエネルギーの赴くままに行動する。だからこの街はこんなにもエネルギッシュなんじゃないだろうか?今日も顔見知りになったそういう陽気な獣たちと親指をたてて軽く挨拶しながら石畳を歩いていく。

旅行会社はセントロからは遠くて、ヒオ・ヘルメーリョというビーチにあるのでさっそくその辺りへ行くバスを探す。結構な距離なのだが、この辺りのバスは一律一回90センターボなので遠くても近くても値段は一緒だ。ヒオ・ヘルメーリョに着いてさっそく旅行代理店で訪ねてみるのだが、なんとヴァリグブラジル航空は学割がない。というはそもそもボリビア行きの片道は正規しかないので$600近くするらしい。

唯一サルバドールから飛んでいる格安はランチリ航空のサンチャゴ行きらしい。それもリオ発で$370もする。国内線でカンポグランジへ飛ぼうにもそれでも$200ほどなのでこれはもうバスで行くしかないのだろう。やれやれまた60時間以上の陸路移動だ。今度は病気にならないように気を付けないと。

宿に戻るとちょうどベーシストとイベント娘が別の道場にカポエラを見に行くというので一緒についていく事にした。こっちの方は初心者が練習しているという感じで、見応えはほとんど無かった。

今夜はベーシストがリスボンに発つというので、宿の屋上で軽く送別会。リスボンの宿情報やヨーロッパの都市別情報なんかを少し教えて上げた。夜7時頃みんなで定食を食べてからバス乗り場まで見送った。何故だかけっこう時間があったのでその辺にあった芝生に座って少し時間をつぶした。

バスを見送ってから屋上で空を見ながらぼけっとしていると、ダレンも上がってきた。12時を少し回った頃頭の上を飛行機が飛んでいった。僕とダレンは手を振って「アディオス!」と見送った。


4月24日 火曜日はお祭り騒ぎ(サルバドール)

ここの所毎日まとまった雨が降るようになった。とはいえ一日中降るわけではない。だいたいは朝方に降って昼ごろには晴れ間が見える。洗濯をしたりご飯をつくったりしていると3時ぐらいになってしまったので、今日はまだ見残していたセントロの見所を回ってみることにした。

見所と言ってもセントロにあるのは教会また教会で、いくつかの教会に入って見たら、ヨーロッパのとは少し雰囲気が違って楽しめた。でもやっぱりサルバドールの魅力は街並みよりも街にいる人々もひっくるめた「風景」なのだと思った。

今日は火曜日。サルバドールの夜が一番盛り上がる日でもある。街から宿に戻る時にいくつかステージが組んであったので夜から宿のみんなと音楽を聞きに行くことにしたのだが、その前にこの前のカポエラ城に立ち寄ってみた。こっちの方はかなり舞踊の要素が強くて、ビリンバウと太鼓の音にあわせて二人で舞っているようだった。

夜半少し雨が降ったのだがすぐにおさまり、広場に着いたときにはサンバのバンドで盛り上がっていた。炉端で串焼きを一本買って座ってみていると、次にこの前行進していた太鼓のバンドがやってきた。今日は誰かがバンドに遭わせて歌を歌うというイベントらしい。このバンドは失礼ながらそんなにレベルは高く無いのだが、それでもところどころ、「さすが、こういうリズムはブラジル人にしかたたけないなあ」と感動してしまった。

ふと隣を見るとイベント娘がニヤニヤしながら「叩く人がいるよ」というので見てみると、いつの間にか端っこでチンバオをパカパカ叩いている。このチンバオというのは手で叩くので高い音、低い音色々出せて結構こういうバンドの花形のようだ。広場の演奏が終わってから行進があったのだが、二人のチンバオのソロなんかもあってあたりは大いに盛り上がっていた。

スローシャッターなので
動きの激しさがよくわかる。


4月25日 3つの願い(サルバドール)

行こう行こうと思っていたボンフィン教会というのがあった。ここは奇跡の寺と呼ばれていて、不治の病や体に障害のある人が、写真やそれぞれ悪い部位のマネキン、義手、義足なんかを供えるという独特の教会だ。そしてこの教会で手にリボンを巻きながら3つのお願いをすると、リボンが切れたときにそれがかなうのだとか。

出かけようとするとちょうどダレンが荷物をまとめて出発するところだった。ダレンは日本に興味があって是非来てみたいというので、日本での再会を願って握手をしてから見送った。

アフリカ以来どうも一人旅に寂しさをおぼえる事が多くなった。一人で旅行し続けるのはやっぱり1年ぐらいがいいところなのかなあとも思ったのだが、ひさしぶりだとやっぱり一人は気楽でいい。あちこち気に入った風景で足をとめ、いつものエレベーターで下町におりてバスにのる。疲れたらその場で座っているとだれかしら声をかけてくれる。

教会の前でバスを降りると空は今にも降りだしそうだった。教会に向かうとさっそくリボン売りが寄ってくる。彼らはとりあえず一本タダで結んでくれて、帰りにお土産なり、リボンの束なりを買ってもらうという商売をしているらしい。僕はというと一本で充分なのでお礼を言って少しばかりの小銭を渡そうとすると「1ヘアルだ」とかぬかしやがった。「何いってんだよまったく」と取り合わなかったが特に険悪なムードは無い。向こうもダメもとで言ってみただけだから、40センタボも貰えれば充分なのだろう。

僕は何となくたいした願いが無かったので適当に、世界平和とか家内安泰とかそんなことをお祈りしておいた。

帰り道はエレベーターじゃなくて、この前みんなで乗ったケーブルカーに乗ろうと思って記憶をたよりに歩いていると、ちょっとしたスラムのような所に迷い込んでしまった。もちろん深入りはしなかったので危険は無いのだが、シティバンクのビルが建っている一級商業地からわずか100mでスラムになってしまうのは驚きだった。

やっとの事で乗り場をみつけるとちょうど上から降りてくるところだった。写真を撮っていると地元の子供達が「僕らも撮ってよ」と集まってくる。1枚とってあげて、「ありがとう」と立ち去る所を引き留めて今撮った写真を見せて上げると彼らは盛り上がって、その笑顔がとても眩しく感じた。

今日の夜は少しさみしい夜になった。今日は宴も無し。僕はというと色んなメールを書いたり、叩く人のホームページを作るののお手伝いをしたりひさしぶりにパソコン漬けになっていた。電話を借りてメールを受信すると、ちょっとさみしいお知らせが3つ届いていた。

ケーブルカーで会った子供達


4月26日 お散歩(サルバドール)

今日はダレンが「サッカーの日だ」と言っていたので、近所のスタジアムまで見に行こうと出かけたのだが、いつもの太鼓屋のおやじに聞いてみると「今週はファイナルなので土曜日だ」と言われあっけなく予定変更。

結局予定がなくなってしまったので、なんとなしに散歩に出かけることにした。ショッピングセンター好きのイベント娘とLAPAというセントロの大きなショッピングセンターまで言ってみようという事になったのだがもちろん場所なんて知らない。

道行く人に尋ねつつすすんでいくと、なんだかエジプトのマーケットを思い出させるような雑多なエリアに迷い込んだ。何故だかその出口にエスカレーターがあって降りていくと無事ショッピングセンターに到着した。

例によってぐるぐる見て回るだけなのだが、サンパウロであまり東洋人外から出なかったことも会って、こんなに大きなショッピングセンターは久しぶりで、そう言う場所に限ればサルバドールは先進国と何ら遜色無いように見えた。


4月27日 どこまで行くの?(サルバドール)

ブラジルは本当に楽しい。そして楽しすぎて毎日があっという間に飛んでいってしまう。そんなことをしているうちにサルバドールもそろそろ10日目になる。

このままじゃいつまでたってもブラジルを離れられそうにないので、今日は思い切ってホドビアリアまでバスのチケットを買いに行くことにした。来た時のバスで行けばいいのだが、街にも慣れてきたし調子に乗って逆方向の近道のバスに乗った。

Rodoviariaと行き先に書いていたので、きっとターミナル内に乗り入れるの「だろう」と思っていたら、Rodoviaria前の少し離れた道路で止まったきりどんどん郊外の方へ向かって走り出した。それでも一回りしてRodoviariaに行くのだろうと思っていたら、バスは本格的に森の中を走り出した。Aero Portoなんて看板も見えてきて「そろそろ何とかしないとなあ」と呑気な事を考えていたら、大きなスーパーの前で何人か降りたので僕も後について降りることにした。

「さてここは一体どこだ?」とりあえずスーパーに入ってチョコとコーラを買う。缶コーラの通常価格が1ヘアル(60円)なのに対して、2リッターのスプライトが1.28ヘアルで売っていてちょっと驚いた。あとブラジルで面白いのは大きなサイズになるとファンタ、コーラ、スプライトと同じサイズでも値段がかなり違うことだ。

外にでてまわりの看板を見回すとここはどうやらサン・クリストバンという所らしい。逆方向から来るバスで、Rodoviariaと書かれたバスをつかまえて乗ると、またまた今度はItapuaの海の方へ行ってしまった。ちょっと大回りなルートなのだが、夕暮れの海を見れて良かった。そして今度はちゃんとRodoviariaに到着した。

例によってブラジルは1路線を一つの会社が独占しているという感じなので値段が高い。結局サンパウロ行きの中ぐらいの値段のチケットを買った。一番安いのでもいいのだが、ブラジルのバスは冷房付きが当たり前じゃないので、一番安いクラスだとエアコン無しという事もあるからだ。

宿に帰って日曜日に出る事をみんなに報告してから、屋上で軽く宴をやった。ここの宿に住んでいる叩く人は結構酔っていたようで、無心にジャンベを叩いたあとハンモックで気持ちよさそうに寝ていた。


4月28日 驚喜(サルバドール)

今日はいよいよサッカー。そして良く知らなかったのだが今日の試合は地元チーム「バイーア」の北東部地区優勝がかかったファイナルマッチらしい。宿のおかみのナルヴァに聞くと「歩いていけるから2時間前に行きなさい」との事で、2時過ぎにイベント娘とスタジアムに向かった。イベント娘とサッカーを見るのはレバノン以来2回目だ。

例によってスタジアムの場所は知らない。でも今日は全くノープロブレム。宿の近くの坂道を下っていくと、ユニフォーム姿の人達がいっぱいいたので訪ねてみるとみんな嬉しそうに教えてくれる。車を箱乗りして叫んでいる連中や、踊ってる奴らやら、明らかに今日は街の様子がおかしい。

2キロほど歩いてスタジアムの近くに来ると騒ぎは更に大きくなった。円陣を組んで歌いながら飛び跳ねている集団、そして屋台もいっぱい出ていてお祭り騒ぎだ。チケットはパチンコの景品交換所みたいな小さな窓から買うのだが、学生証を提示すると5ヘアルになった。

あまりの盛り上がりにユニフォームが欲しくなったのだが、盗難防止の為あまりお金を持っていなくて買えなかった。仕方がないので1ヘアルのガーゼみたいな「バイーア」のバンダナを1つずつ買って頭に巻いて応援することにした。会場に入ると「日本人がバイーアを応援に来たぞ!」とたくさんの人に握手を求められて、僕も一緒になって手を上げて「バイーア、バイーア!」と盛り上がっていた。

 

試合前のただならぬ雰囲気

 

会場の雰囲気はただごとではなく、敵チームのサポーターは暴動防止の為に一つのブロックに固められている。それでも1階席と2階席でビールの缶を投げ合ったりしてお互い挑発していて少し怖い。試合の途中で1階から2階席の横断幕を引っ張り降ろしてビリビリに破いて挑発するもんだから、護衛の警官がたくさんやってきた。

今日の観衆は6万5千人。スタジアムのほとんどがバイーアのサポーターで、惜しいシュートがあったりするとものすごい騒ぎになる。応援もバイーアらしく太鼓や花火に発煙筒と派手だ。中でも花火は質が悪いのか空中で爆発しきれずにフィールドに落ちて爆発するというなかなかの危険度だった。途中一発がカメラマンを直撃して負傷退場していたようだった。

前半しばらくしてからチャンスがあった。2回のシュートでいずれもはじかれたこぼれ玉をディフェンダーが豪快なミドルシュート。会場の興奮は頂点に達してもう隣の声も何も聞こえない。

その後の試合は1点返させるものの、結局3−1でバイーアが快勝してホームで優勝を決めた。帰り道もバイーアのバンダナを腕に巻いて歩いているとあちこちから声がかかる。そしてAMPMでジュースを買ったら「バイーアのサポーターなのか?」と紙で出来たバイーアのとんがり帽をくれた。それをかぶって歩いていると更にあちこちから声がかかるのだった。

そしてもっと驚いたのはいつものように宿の屋上で夜の港を見ながらくつろいでいたらサンバが聞こえてきたので「え?」と思って下をみると、なんとカーニバルで使う巨大なオープンのトラックの上で生バンドが大音響で演奏しながらゆっくりと道路を走っている。よく見るとバスの前には3百人ほどの人が踊り狂っている。

交通は完全にマヒで、でもみんな楽しそうにおどっている。「楽しいけど、アホすぎる!」少し酔っていた僕とイベント娘は屋上で腹を抱えて笑い転げるのだった。そんな大好きなサルバドールともいよいよ明日でお別れだ。

宿の屋上から見えた優勝パレード


4月29日 空洞(サルバドール〜サンパウロ)

今日は移動の日、でもその移動も夜なので昼までごろごろする事にした。おかみのナルバに「夜出るから」というと、「出発直前まで部屋にいていいよ」というありがたい申し出だった。

一方のイベント娘は、あと2〜3日ゆっくりする予定だったのだが、急遽今日出ることにした。クールでマイペースの彼女の事だから、僕が出るからというのではなく、きっと昨日の楽しすぎた夜に潮時を感じたのだろう。

今日は宿の精算をするために近所のATMに出かけたぐらいだった。僕はそのついでにもう一度サルバドールのセントロを惜しむようにあちこち歩き回っていた。

バスは夜の10時半なのでそれまでいつものように屋上で宴をしているとまもなく住人の「叩く人」が帰ってきた。僕は前から今日出ることを宣言していたのだが、イベント娘が「やっぱ今日出ることにしました」というと彼は一瞬さみしそうな表情を見せた後「一気に減っちゃうねえ」と笑った。

夜のサルバドールは荷物を背負って歩くには危ないというので、タクシーを読んでもらった。ナルバの知り合いなのか完全な白タクなのだが、考えようによってはこっちの方がずっと安全だ。ナルバと叩く人に別れを告げてホドビアリアへ着くと結構な時間にも関わらず賑わっていた。

心配していたイベント娘のチケットもあっけなく取れて、僕たちは夜更けのサルバドールを後にした。


 

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