このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ブラジル離脱編
(サンパウロ〜コルンバ)
4月30日 考え事(サルバドール〜サンパウロ)
このバスは32時間かかるのらしい。つまり昨日の夜乗ったこのバスは、明日の朝にサンパウロに到着する。だからとんでもなく時間がある上に途中から混みだしたので席を移るわけにもいかず、僕は32時間のうちの起きている時間のほとんどを考え事をして過ごした。
このSan Geraldという会社は何度も乗っているのだが、とにかくあちこち停まりまくる。そしてサンパウロまでの道も山道ばかりでバスは常に右に行ったり左へ行ったり。そんな感じなのでバスはなかなか先に進まない。
途中巨大な一枚岩がたくさんあるような谷を通ったが、そこ意外景色は単調で何気なく時間が過ぎて再び夜になった。何もしなくても時間は過ぎていくのだ。
「同じ空は明日をはじめてしまう。たとえ君がそばにいなくても」
借りて聞いていた「椎名林檎」の歌詞が頭の中を回っていた。
5月1日 焼き肉寿司食べ放題15ヘアル(サンパウロ)
目が覚めるとバスは朝もやにつつまれた、やけに大きな街を走っていた。そのままぼーっとしていると見覚えのあるターミナルの建物が見えてきた。サンパウロだ。
時間はまだ6時半。荒木はあまりにも早く行くと怒られてしまうらしいので、ターミナルの椅子に座って30分ほど時間をつぶした。それでもまだ7時、しかたなくとりあえずリベルタージまで行けばどっかカフェでも開いてるだろうとようやく乗客が増え始めた地下鉄に乗った。
所がリベルタージはどこも全部閉まっていて、荒木の玄関の鉄格子から奥をのぞいても真っ暗で誰も起きていないようだったので「こまったなあ」と思っていると近くの日系人のカフェスタンドが開いていた。さすが日系人!働き者。とりあえずそこでバナナシェークでも飲んで時間をつぶした。シェークはブラジルではビタミーナというらしい。濃い顔をした2世のあまり日本語が話せない店員が作ってくれたシェークはすごく甘くて少し旅の疲れを癒してくれた。
8時前に荒木のベルを鳴らすと、例の妖怪っぽいおばちゃんが笑顔で迎えてくれた。「まだみんな寝てるからしばらくそこにゆっくりしといて」と座り慣れたソファに座って懐かしい味のコーヒーを飲んだ。新聞を読むと何でも小泉氏はかなりぶっ飛んだ改革をしているらしい。何だか「日本は動いているなあ」とよその国の事のように思えた。
別館の部屋に荷物をおろしてさっそくシャワー。車中2泊じゃさすがにちょっと体もきもちわるくなる。中庭でくつろいでいると、相変わらず見なれた長期滞在者がたくさんいた。僕的にはサンパウロなんて何も見るところなんて無いのだが、彼らはボワッチと呼ばれる「連れ出しバー」に毎日通っているのだそうだ。だからなのかみんな結構ポルトガル語をしゃべる。
洗濯を干してしばらくゆっくりしてから昼食を食べに出かけた。行き先は久しぶりのマクドナルド。ここは何故か建物が日本風な上に1階の奥が日本庭園になっていて、初めて来たイベント娘は「おお」と驚いていた。
その後は昼寝をしていよいよメインイベントの「焼き肉寿司食べ放題15ヘアル」に出かけた。かなりおなかが空いていたので二人とも気合いを入れて皿に盛る。この前の失敗の教訓としてご飯やにぎり寿司はいたずらに胃をふくらすので、刺身やカルビに等の高いネタにターゲットをしぼる。久しぶりの刺身や焼き肉、そしてキムチに崩れかけに熟れた柿なんか平らげて大満足で宿に帰った。
「サルバドール楽しかったなあ」口をひらけば出てくる話題はバイーアの事ばかりだった。何気なく叩く人が最終日に教えてくれたパパママという手首と指先で2つずつ連打していく叩きかたを練習した。しばらくやっているとそれっぽく出来るようになった。一方のイベント娘はかなりはまったらしく、遅くまでジャンベの上に布を敷いて「パタパタ パタパタ」練習している音を聞きながら僕はいつの間にか眠り込むのだった。
チエテのバスターミナルにあった自動販売機
「Let's」って言われてもなあ、、、
5月2日 鍋焼きうどん11ヘアル(サンパウロ)
またまたやってしまった。サルバドールの習慣はサンパウロに着いても抜けることなく、起きたら既に12時だった。なんだかすごくだらしないような気もするのだが、ブラジルはこれでいいのだと思った。
昼過ぎに何か食事を求めてリベルタージをあがっていくのだが、結局決め手に欠けてそのままヘパブリカ広場の方へ、道ばたでなつかしのケバブサンドを食べてひたすら露店を冷やかす。露店の一つにバイーア出身の若者がいて、バイーアの話で盛り上がった。
夜はこの前食べに行っておいしかった甚六へ行ったのだが、何だかメニューが変更されて定食がなくなっていたのでその近くの和食屋で久しぶりに鍋焼きうどんを食べてしまった。11ヘアルで鶏肉も入っていてなかなか満足だった。
荒木別館の中庭
5月3日 出口へ(サンパウロ〜コルンバ)
サンパウロ。最初は結構期待していたのだが、どうやらこの街の魅力は日本食ぐらいで、荒木も面白い旅人と出会えるものの、薄暗くて風通しも良くない。長居する場所じゃないなと思い昼前にパッキングして出発する事にした。
荷物をまとめてお金を払いに行くとめずらしくおばさんは留守で、おじさんに支払いを済ませたのだが、普段はおとなしい荒木のおじさんが何故かいろいろと話しかけてくれた。暗い人だなあと思っていたら単におとなしい人なのだろう。
荒木はチェックアウト2時、そして2時以降は荷物の預かり不可。ロビーにいるのにもチャージされてしまうのでそれまでに宿を出て、まず両替の後食事、郵便局、インターネットといった用事を一気に済ませていつもと違う「バハフンダ」のターミナルへ向かった。
ターミナルで最近はまっている Cafe con Leiteを飲んで時間をつぶしてからバスに乗り込むと、この前リオへ向かったときの様な椅子の間隔の広いバスだった。値段も特に高く無いのですごく得した気分だった。
ただこの国境へ向かうバスには狂ったような量の荷物が積み込まれた。ボリビアだけに中身は麻薬か拳銃か?だから安いのか?などと勝手な事を言い合っていうちに積み込みも終了してバスは静かに出発した。走っても走って街の明かりが続いて、今頃になって実はサンパウロがこんなに大きかったことを知った。
5月4日 災い転じて(〜コルンバ)
「18時間ぐらいだろう」と思っていた移動は予想外にかかった。日が昇ってかなり経ってから大きな街に停まった。地図を見てもどこかわからない。この辺で大きな街と言えばカンポグランジぐらいしか無いのだが、もし今カンポグランジならまだ7〜8時間もかかるから日が暮れて困るなあと思っていたらまったくそのカンポグランジだった。
何故かここでバスを相違入れ替え。荷物と人を全くそのまま同じ型もバスに積み直す。なんでこんな事をするのだろう?これはやっぱり警察の目を欺くため?(笑)
カンポグランジを過ぎてからはあまり対向車というのを目にしなくなった。いよいよブラジルの果てにやってきたという感じだ。さらに昼下がりになるとあたりに湿原が広がった。噂のパンターナール湿原だ。バスからは大きな鶴や鷹みたいなのやらいろんな鳥が見えた。ちょっとした湿原ツアーができてラッキーだった。
そして日も傾いてきた頃にバスは川の手前で停まった。川には近代的な大きい橋が架かっているのだが、なんの為だか工事中で通れないらしい。そしてどうするのだろう?と思っていたらしばらくしてフェリーがやってきた。フェリーといっても巨大なはしけを外付けのタグボートで引っ張っているようなイメージだ。たぶん一時的な物だろう。
デッキの上でパンタナールに沈んでいく夕日を見た。今日は雲が多くて空は真っ赤になった。そして結構な距離を船で逆上ってバスは再びコルンバの街を目指す。辺りはもう完全に真っ暗だった。
ターミナルに着くとさっそくツアーの客引きがやって来る。他にはキハーロ〜サンタクルスの列車のダフ屋。こんな所まで来ているのか感心していたのだが、値段の方があまりにも元値とかけ離れているので話だけ聞いて買わなかったのだが、これは後で大正解となる。
コルンバの街は予想以上にきちんと整備されていて、高いビルこそ無いものの街は小綺麗だった。僕たちはツアーの客引きに教えてもらったNellyという安宿に落ち着いた。朝食付きで一人8ヘアルはこれまでの最低価格かも知れない。受付を入るとイスラエル文字で何だか張り紙がしてあった。
この時期のコルンバは思いの他寒い。少し外を歩いてみたらライトアップされた公園とかもあってなかなか良さげな感じがした。昼下がりに食べ放題の食堂で思いっきり食べて二人ともおなかが空いていなかったので、目に付いた店で大きめのケーキを二つ買ってきて本当はうれしくない「ブラジル脱出」を祝った。
フェリーの上から見えた夕焼け
5月5日 洗濯日和(コルンバ)
旅の疲れからなのか、起きたら昼前だった。当然ブラジルの宿ならどこでもついている朝食を食べ逃してしまった。いつもの事なのだがここはまだブラジルなので「よし」とする。
外に出てみるとコルンバの街は思ったよりもずっと清潔で大きな公園もある。何よりも強い日差しに照らされた街はとても明るく楽しそうに映った。朝食を食べようと外にでて歩いているといつの間にやら大きなスーパーにたどり着いた。品揃えも豊富なので少し買い物をしてから向かいのジュース屋さんでバナナシェークを飲みながらスーパーで買ったパンを食べた。
「昼から何をしよう?」という話になったのだが、とりあえず天気もいいので公園へ行って洗濯物でも干そうという事になった。買い物袋をぶら下げて向かう先は川沿いの丘の上にある公園。遥か遠くまでパンタナール湿原が見下ろせる絶景ポイントだ。
とりあえず洗濯物を広げて、イベント娘は横になって日光浴。僕は日陰に座って、ウシュアイアで青山さんにもらったボリビアのガイドブックを読んで過ごした。しばらくすると暇になってきたので「テニスごっこをやろう」という事になった。テニスごっこというのはラケットもボールもなく、ただテニスをするふりをするだけというアホな遊びなのだが、結構からだを動かすと気持ちがいい。
これから先のボリビア行きだが、とりあえずコルンバが意外とよさそうなので、もう2泊ほどして月曜日に出発する事にした。街を歩いているとパーティーの宣伝車が走っていて「行ってみようか?」という話になったのだが、さすがに11時を回ると眠いのでそのまま眠り込んでしまった。
公園で洗濯干し
5月6日 自慢のオーディオ(コルンバ)
今日もやっぱり寝坊。仕方がないので昨日買ったパンを手に朝から、ボリビア日曜市に出かけた。日曜市でジュースかコーヒーでも飲んで朝食にしようかと思ったのだが、僕たちが行った頃には市もすでに終わりかけで、結局そのままセントロまで戻ってきてカフェでコーヒーを飲みながらパンを平らげた。
天気は相変わらずいい。街ゆく人も陽気だ。ぷらぷらと街を歩いていつも見下ろしている観光船の港へ行ってみるといい感じの木陰があった。港では家族連れで釣りをしている。もちろん釣り竿なんてなくて針に糸を付けて振り回して投げるだけだ。
芝生に寝ころんでしばらく見ていると、結構連れているようで、ピラニアっぽい怪しげな魚がたくさん上がっていた。日が傾くまで芝生でごろごろしていた。更に港の奥の方にいくと寂れた住宅街があった。少しまずしそうだけど子供達の表情は明るい。
住宅街の上の丘から夕日を見た。広大な湿原に沈んでいく夕日に照らされて水面がキラキラと輝いていた。やがて日没を見届けて街に戻ると何やらたくさんの車が自慢のオーティオを積んで公園に集結して大音響で音楽を鳴らしていた。トラックにPAの設備一式を積んでいたのもあった。何のイベントなのか知らないがとにかく賑やかなのがいい。ブラジル最後の夜にうってつけだ。
しばらく大音響を楽しんでから宿に戻って荷造りをした。ベッドに寝ころんでも出てくる話題は楽しかったブラジルの事ばかりだった。「とりあえずブラジルを出よう」と笑った。
街で見かけた公衆電話
夜見ると結構怖い
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