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ブルキナ ファソ編
(ボボデュラソ〜ワガドゥグ)
 


1月6日 国力(サン〜ボボ・デュラッソ)

アザーンが聞こえた。しかもそれはおなじみのスピーカーからの物ではなく、全部が全部、老人が体の内側から絞り出す祈りの声だった。そして日の出直前に運転手が起きてきて突然の出発となった。

道路は舗装はされているものの、国境に近づくにしたがってどんどん荒れてきた。交通量も少ないからいいのだが、この辺りは辺境の国マリのその又辺境という感じだった。この道はミシュランの地図によると国と国を結ぶ主要幹線になっているのだが、道自体はバマコから来る方の地方道路の方がはるかによかった。

そしてその道が合流する国境からだいぶ手前のチェックポストでよくわからないがどうやら出国審査だったようだ。言われたとおりにパスポートを出して、なぜか500CFA要求されが、たぶん非公式な金だろう。金額といちいち怒りながら抗議するのに必用なエネルギーを天秤にかけて払うことにしたが、係員は少し申し訳なさそうに「ありがとう」と言ってスタンプを押してくれた。

それにしても、やっぱりこのワゴンは大外れで、人が一人でも降りたらそのスペースを埋めるためにクラクションを鳴らし続けながらゆっくり走り続ける。そして運転手の勝手な都合であちこちの村で10分とか20分とか止まって昼前にやっと国境を越えた。国境では僕はパスポートに押されたスタンプをちらっと見るだけですぐに通過することができたのだが、他のブルキナ人たちは結構時間を食っていたようだった。

国境を越えると一気に道がよくなる。これが国力の差という奴だろうか。ブルキナファソといわれても「どこそれ?」と言う人がほとんどだと思うが、意外とこの国は上手く回っていて、マリと比べるとすべてが上回っていると思う。

何度目かに止まったときに喉がカラカラになった僕は売り子から大きなオレンジを一つ買った。何故だかこの辺りのオレンジの食べ方は独特で、表の皮とナイフで少しづつ削って薄くしていく。有る程度薄くなったらてっぺんをナイフでくりぬいてその穴からナイフを刺して中の袋に切り目を入れる。そしてその穴から汁を飲むというものだ。

最初はなんてもったいない事をするんだと思ったのだが、これが意外と最後の一滴まで飲めてしまう。少し飲むと親指の腹でオレンジを回しながら揉んでいくとまたまた少し汁が中にたまる。そしてそれを飲んでまたまたくるくる回して揉む。手持ちぶさたな時にはなかなか良い。これでたったの25フランだった。

その後もワゴンは異常な遅さで進むのだが、なんと国境からボボデュラソまでたったの100キロなのに3時間以上かかってしまった。そしていよいよワゴンはのどかなブルキナ第二の町、ボボデュラソに到着した。

第一印象はすこぶる良かった。すべてがのどかだ。町行く人も笑顔で「サバ?」と笑いかけてくれる。何よりも一番うれしいのは道が広くて交通量が少ないことだった。僕はあのマリの狭い道路に殺到するバイクと車にうんざりしていた。しかもマリでは車やバイクを持っている者は絶対的に偉いらしく、絶対に道を譲らない。ひどいときにはぶつかるのを承知で突っ込んでくる。その点ここは信号も良く守られているし、町を歩いていても開放感があるのだ。

そしてもう一つここが気にいった理由があった。とにかく宿がよかった。その宿は中心部からかなり遠いのだが、それでもいい宿だと聞いていたので2.5キロ程を汗を流しながら歩いてやってきたのだが、とにかくスタッフが親切で、中庭には綺麗な花が咲いていて椅子に座ってのんびりできる。場所も中心から遠いだけあって静かで良いところだった。

なぜかゲストブックには日本語のメッセージがいくつかあって、こんな情報ノートがある宿はカイロ以来なので何だかうれしくなってしまって、読みながら昼間っからビールを一本空けてしまった。やれやれ。

他にも良いことがあった。外にトラック改造キャンピングカーが停まっていたのだが、運転手が英語で話しかけてきたので、何人だろう?と思ったらなんとドイツ人だった。フランス人以外の白人はこの辺りではけっこう珍しい。英語が通じるのでうれしくていろいろと旅の話をしたりしてたら、奥さんがキャンピングカーのキッチンでスパゲッティーを作ってくれた。これはこの辺りのへにょへにょと違って腰もあるし、ソースもハーブたっぷりで凝っている。この辺はヨーロッパ文化万歳といった感じだろうか。

夕方には町の方まで出かけてみた。なんでも町にけっこうまともなインターネットカフェがあるというので行ってみたのだが、ホームページこそ更新できなかったものの、予想を遙かに超えるメッセージが届いていてうれしかった。そう言えば年賀メールなんていうのも何通か届いていた。どうやら今、日本では「あけおめ」「ことよろ」と言うのが流行っているようだった。なんだそりゃ(笑)
 

 
旅のオアシス
カサ・アフリカ
 


1月7日 ボボの休日(ボボ・デュラッソ)

普段からのどかでのんびりしているボボデュラソだが、日曜になるとそれは完全にのんびりおやすみモードになる。朝涼しいうちから休日のボボを歩いてみる事にした。しばらくしておなかが空いたなと思ったところに丁度朝食屋の屋台が出ていたのでさっそくベンチに座る。

マリでは自分でパンを買って朝からお茶をいれていたからほとんど行く機会は無かったのだが、これがなかなか西アフリカ特有というか、甘い物好きの自分にはぴったりだった。まず茶碗に半分ぐらいの練乳を入れる。「そんな馬鹿な?」と思う人もいるかも知れないが少なくとも1/3は絶対に入っている。そしてその上に少しネスカフェを振りかけてたっぷりのお湯を注ぐ。

おじさんがシャカシャカスプーンでかき混ぜるとあら不思議(当たり前だけど)この世の物とは思えない甘い甘いカフェオレの出来上がり。そしてフランスパンにマーガリンを塗ったものと一緒に頂く。もちろんジャムなんて余分な物は不要。カフェオレの甘さと塗りすぎたバターが絶妙な味に化ける。これはもう癖になること間違い無しだ。

その後は相変わらずのんびりした町を歩く。大した見所はなく、歩きながら地元の人と笑顔を交換したり、しつこくないおみやげ物屋や太鼓の先生の所を冷やかしたりしているとアッという間に昼間になってしまった。宿に帰って日陰に入るとなかなか涼しい。どうやら暑いのは日なただけのようだ。

夕方もう一度町にでると、今度はちょっとウザイ二人組の少年がやって来た。お土産、音楽、何でも掛け持ちをしてる、モプティと同じ様な感じの奴らだった。ま、いい人ばっかりじゃないしたまにはこういうむかつく奴らもいるだろう。それにしても大したことのないこいつらが目立ってしまうほどボボの人達はおだやかだった。
 

 
西アフリカ標準朝食
この練乳の上に薄いコーヒーを注ぐ
 


1月8日 またかよ(ボボデュラソ〜ワガドゥグ)

去りがたいボボだが、やはりここはコマを先に進めないと、この後はビザ取りが待っている。土日をまたぐのだけは絶対に避けたかったので後ろ髪を引かれる思い出朝からバスターミナルに向かった。

バスは一番評判のいい「SOGEBAF」(そげばふ?)という会社を使った。評判がいいせいか、ここのバスは5000CFAと他の所よりも少し高いのだが、なんと月曜の朝という一番混む時間だったためか、バスは不快な5人掛けの車両だった。何とか後ろの方に座席を確保したのだが、結局横に二人きたのでかなりギュウギュウになってしまった。

バスは程なく出発して、なかなかのスピードで飛ばす。結構100キロに近いスピードだった。そして郊外を飛ぶように走って、やっぱり壊れた(笑)今度はパンクだ。いきなり「ばしゅしゅしゅーーーるるる」という音がしてバスは停まってしまった。乗客は全員降りて日なたに避難。そして40分程かかってタイヤを交換して再び出発となった。

ワガドゥグには6時間ほどで到着した。300キロ以上あるのを考えると上出来だ。しかしこのワガドゥグという町は着いた瞬間からあまりいい感じを受けなかった。とりあえずドミトリーのあるという、Fandation Charles Dufourという福祉施設系の宿を目指す。よくわからないまま歩いたら30分以上かかってしまった。なかなか良い運動だ。

宿に着くと英語を話す白人が何人か泊まっていて退屈しなかった。やはりこの辺で会う白人は全く英語がわからないフランス人と言うことがほとんどなので、これはうれしい。結局一番よく話していた彼はフランス人だったのだが、何でもテントとヒッチで極安日本旅行をしたことがあるという事で、自らを「寅さん」と名乗っていた。ボロボロのベストを来ているので、背中にマジックで「寅さん」と書いて上げると喜んでいた。

なんだかんだで話し込んで日が暮れてしまった。夜は久しぶりに美味しい物が食べたくなって、ぶっかけじゃなく食堂へ行ったのだが、そこで食べたヤッサは懐かしく美味しかった。やはりアフリカ内陸のご飯は×だ。ああ、セネガルが懐かしい。
 

 
Fondation Charles Dufour
宿はいまいちだけど、他の旅人と出会える。
 


1月9日 不機嫌(ワガドゥグ)

朝からビザ取りに向かった。最初はコートジボアールだ。何人かの旅行者にアビジャンは治安がわるいからやめておけと言われた。でもこれは良くある旅行者伝説だと思っていたのだ。良く聞くのはルーマニアは本当に危ないとか、パキスタンでは警官に身ぐるみをはがれるとか、日本人の間ではマドリッドでは毎日日本人が何人も首締め強盗にあっているとかそんな奴だ。嘘では無いのだが人を経由するうちにずいぶんと大げさになっているのだろう。

30分ほど歩いてたどり着いたコートジボアール大使館はものすごく立派な建物だった。さすがに西アフリカ最大の経済大国だけの事はある。ビザの申請自体はすんなりといったのだが、今日取れると思っていたビザは実は明日にならないとできあがらないとのことだった。それでも急いでいる方なのらしい。

仕方が無いのでその後郵便局、駅方面に向かった。そしてその辺りでウザイ奴らにつきまとわれて僕は一気に不機嫌になってしまった。ポストカード売りや、お土産や、「オレの店に来い」とかそんなのだ。そしてここはとにかくしつこい。数は本当に少ないのだが延々着いてきたりしてウザイ事この上に無い。他の人が良いだけによけいむかつく。

そしてそんなことが気になり出すともう町すべてに不機嫌になってしまう。ここでも「シノワ シノワ」(中国人)だ。別に中国人と言われるのはいいのだが、言い方と使い方がむかつく。「シン シン」「チンコン」「シノワッ」色々あるが、「シノワ サバ?」とか「ハローシノワ」とか言うのにはもちろん笑顔を返す事ができるのだが。無表情に「シノワ」(断定)と言ってくるのはいったい何が目的なのだろう? その無表情さに時々恐怖を感じてしまう。何を考えているのかわからないという恐怖だ。

しかも中国人だからどうしたよ? 「エイ シノワ(おい中国人)」「(無視)」「シーッ シーッ(呼んでいる)」「(もちろん無視)」「シノワ シノワ(大声)」むかつくのは白人とあるいていても「アングレ」や「フランセ」じゃなく僕にだけ「シノワ」なのだ。そんなに中国人が珍しいなら中国へ行け。ボケ

それにしても現地人の中国人に対する感情はどんなもんなんだろう?相変わらずあこぎな商売をして嫌われているのだろうか?僕自身はほとんど西アフリカでは中国人なんてほとんど会ったことは無いのだがそんなにいるのだろうか?

ちょっと頭をクールダウンするためにアイスでも買おうと立ち寄った外国人御用達のスーパーマーケットで珍しくばったりと日本人にあった。何だかSPEED(解散したらしい?)の「ひとえちゃん」に似た感じでいかにも民族音楽やりに来ましたといういでたちだった。それにしても旅行者の少ない国なので、やはり日本人同士出会うと思わず立ち話をしてしまう。何でも今途中で出会ったフランス人といっしょで、そのフランス人がもうすぐ帰るからその後ガーナへ行って音楽を習うのだそうだ。

宿に帰ると「寅さん」がコートジボアールの情報をいくつかくれた。何でも今政府が南北に分裂しかけていて、どこかのテレビ局が占拠されたとか。でも僕はまだ希望を捨てていなかった。僕が行きたいアビジャンとヤムスクロは南部にあるし、首都はそれなりに軍や警察で押さえられているから大丈夫だと思っていたのだ。

しかしこれはなんとしても情報を手に入れなくてはいけない。短波ラジオでも買った方がいいのだろうか?
 

 
FESPACO(アフリカ映画祭)の事務所
ワガドゥグは西アフリカのハリウッドらしい。
 

1月10日 計画変更(ワガドゥグ)

今日もビザマラソンだ。朝からコートジボアールのビザを取りにいって、その足でガーナ大使館へ申請に行く。ガーナ大使館について感動したのは、当たり前といてば当たり前なのだが英語が完全に通じる事だ。フランス語圏に泣かされていた僕には本当にうれしい。もちろん申請書も英語だ。

申請自体は簡単なのだが、なぜかここは申請書4枚に写真4枚も必用なのだ。一体そんなにたくさん何に使うのだろう?ともかく腕がだるくなりながらも何とか書き上げて申請する。受け取りは明日の1時半とのことだった。

相変わらず一度悪くなった機嫌は元に戻らない。今日は馬鹿な4人組が「チン・チョン」言いながら中国拳法かなにかでなぐりかかるマネをしてきた。むっかーっ。どれぐらいむかついたかというと、もし自分が本当に空手とかやっていたら、顎が折れるまでボコボコにしばいてやりたいほどだった。ホコリっぽい町を不機嫌にあるいているとある時ふと急に海が見たくなった。やっぱり先を急ごう。きっと何か楽しいことがありそうだ。

一仕事終えて宿に帰って来た僕はなかなかいい発見をした。なんと今持っている小型のFMラジオで一日に何度か英語放送を聞けるのだ。放送局はBBC AfriqというBBC系の放送局でもちろん普段はフランス語の放送なのだが、一日に何度かBBCワールドサービスの中継があって、その時間は英語でニュースが聞けるのだ。そして僕はそのニュースで恐るべき情報をゲットしてしまった。

アビジャンは良くないとは言われながらも最悪の11〜12月以降かなり落ち着いていたのだが、なんと昨日辺りから暴動が起きて、この暴動というのも何故か外国人を攻撃したり略奪するという本来の目的を全く逸脱した訳の分からない物になっている。こりゃだめだ。

$30近いお金をドブに捨てる事はつらいが、このまま強行するときっと$30では済まないだろうし、やっぱ命あっての何とかというやつだろう。



1月11日 昼下がりのカフェ(ワガドゥグ)

海へ行こう。思うままに朝からバスのオフィスへ向かった。コートジボアールはアビジャンが最悪の状況になっているらしいのでガーナへ向かう事にした。STCというガーナのバス会社のオフィスに行くと値段表とスケジュールが張ってあった。どうやらバスは月曜と金曜日。丁度明日だ。一気にギニア湾沿いのアクラを目指してもいいのだが、これはちょっとガーナに失礼かなと思い、ガーナ人の心ふるさとであるクマシまでのキップを買った。これで明日はこの不機嫌な町ともおさらばだ。

気分が軽くなったのでグランドマルシェへ行ってみたらやっぱり不機嫌になってしまった。この前から調子の悪かったラジオのヘッドフォンを買おうといくつか店を回ってみた。中国製のチャチなのがあったので一応ステレオっぽいので100円ぐらいかな?とおもったらいきなり向こうは値段を言わずに「いくら出す?」と聞いてくる。押し問答の末最初の向こうの言い値は7500CFAから始まる。「死ね!」

1000じゃないと買わないと言って店を後にすると、延々着いてきて「5000でどうだ?」「なら4000」とアホ丸出し。もう完全に買う気が無くなって無視して振り払うのだが何百メートルも延々着いてくる。そして最後には僕の最初に言った値段まで下がったので少しイヤな気分だったが買うことにした。財布を出そうとすると「やっぱり1200」ときた。もちろん1000しか出さない。

そして更に不機嫌になったのは宿に帰ってこのヘッドフォンを使ってみたあとだった。もう音が最悪。本体のソニーのラジオの重厚な低音はどこへ?しかもジャックがちゃんとステレオ用に3端子になっているのに、なんとそれは飾りだけで同じ音が左右から聞こえてくると言う「そんなケチりかたしても1円もコストさがらんやろ」と思わず突っ込みたくなる代物だった。こんなもん50円で十分だ。ああ自己嫌悪。

ふてくされて昼寝をしてからガーナビザの受け取りだ。やっぱりすたすた歩いていく。宿の他の白人はけっこうタクシーを使いまくっているようだが、僕と「寅さん」は何処へいくのもずっと歩きだ。さすがに真っ昼間は暑い。ガーナ大使館が冷房が効いていて涼しかったのでビザを受け取ってから思わずそのまま30分ぐらい涼んでしまった。

帰りにこの前鍵を無くして切って南京錠の替わりを買おうと思って露店で値段を聞いてみたのだが、やっぱり1500CFAとかアホな値段を言ってくる。そんなもん30円で十分だ。もう呆れて完全に無視して通り過ぎるとまたまた100m程「ハウマッチハウマッチ?」とつきまとってくる。もちろん無視。

ここワガドゥグは数年前まで本当にリラックスできるのんびりとしたいい町だったらしいのだが、今はもうマルシェとか露店で雑貨を売っているような奴は最悪で、外国人とみるやとんでもない値段を提示してくる。特に英語を片言でも話す奴らはもう最悪だ。食べ物屋やジュースの屋台がまともなのが唯一の救いかもしれない。

そして小腹が空いたのでそのまともな屋台でカフェオレを飲むことにした。例の練乳がコップに半分入っているアレだ。この国ではカフェオレを頼むと必ずフランスパンが半分出てくる。そしてそれをおやつ代わりに食べる。屋台のお姉さんはなかなかフレンドリーな人で、言葉が通じないなりにいろいろ話をしていると最後にアドレスをくれた。別にもらっても使いようが無いのだが気持ちだけでもうれしい。

ここ西アフリカでは人物の写真を取るというのは本当に難しく(白人は望遠を使った隠し撮りをしている)一度、火の上であぶっている巨大な肉の塊(人はいない)を取ろうとしたら、店の男に2000CFAだと言われた事もあるほどなのだが、一度仲良くなるとこれは全然違って「一緒に写真とってもいい?」と言うと大よろこびで横に並んでくれた。ほんの少しだけまたアフリカに近づけたような気がしてうれしかった。

帰り道、いつものスーパーへ行くと「ひとえちゃん」にばったりあった。件のフランス人も一緒だったのだが、こんな事を言うと悪いのだが、小柄で常におどおどしていて、情けない程ちんけな男だった。3人でぶっかけ飯を食べに行ったのだが、僕が話しかけてもおどおどしてうなづくだけだった。なんなんだろうこの男は?まあ良いんだけど。

男は話しかけても埒があかないので、結局二人でぶっかけを食べながら色々話をしていたのだが、ひとえちゃんはブルキナでマラリアにかかったらしい。一応「サヴァリン」という予防薬を飲んでいたのだが、それでもかかったとなると僕もうかうかしていられない。そう言えば明日はメフロキンを飲む日だったっけ?僕のメフロキンが何とかマラリアに勝ってくれることを祈るばかりだ。
 

 
カフェのお姉さんと
 

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