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カンボジア編
(バベット〜ポイペット)
 


12月9日(木) 悪路を越えて(サイゴン〜モクバイ〜バベット〜プノンペン)

フエ以降自分でもかなり駆け足だと思うのだがそのまま勢いでカンボジアまで一気に行ってしまうことにした。サイゴンからプノンペンまでのバスは朝9時出発という事で、ゆっくりと朝食を取り9時少し前にバスに乗り込んだのだが、またしてもイスラエル人だ。やれやれ。

ちょうどこの日のバスで不運にもイスラエル人の集団7人程と一緒になってしまった。集団の時の彼らは本当にタチが悪い。バスの最後部は普通リュックとかを置くために使うのだが彼らは入ってくるなり、自分たちが固まって座るために車掌が綺麗に積んであったリュックを通路に放り出し始めた。ぎゃーぎゃー騒いだあとは今度はヘブライ語の歌を合唱。悪ガキの修学旅行に巻き込まれてしまったような気分だ。

一方バスは順調にすすみ、12時前ぐらいにベトナム側モクバイの国境に到着した。国境は午後は1時から空くという事だったのだがなぜか12時ぐらいから通る事が出来た。しかしここで一つ問題があった。ベトナム入国時に入国カードの写しと税関申告書の写しをもらうらしいのだが、自分は中国のマイナーな国境から入った為、この税関申告書の写しが貰えなかったのだ。他にもラオスから入って貰えなかった人もいたのでそんなに心配はしてなかったのだが、、、

出国審査はあっけなく終わったのだが、税関検査でやはり用紙が無い事を指摘されて「向こうで待ってろ」と言われ15人程が一番後回しにされてしまった。この手の国ではこういう場合は賄賂を要求してくるのが基本なのだが、不思議なことにさんざん待たせたあげく軽く説教されて終わりだった。ただ荷物検査は出国にも関わらずリュックを開けられ全て一つずつしらべられた。

やっとの思いでベトナム側を抜けると見晴らす限りの荒野で、向こう側に赤茶けたラオス側のゲートが見える。イミグレの建物はベトナム側とは違い、ジュース売場のようなほっ建て小屋しかなかった。歩いて国境を越え入国審査を終えるとカンボジア側のマイクロバスが停まっていた。これに乗り換えてプノンペンを目指すわけだ。

ここバベットからプノンペンの道はタイから陸路で越えてきた人に言わせると「綺麗で全然問題なし」なのだが実際はひどかった。大きな穴があちこちに開いていてバスは上下に飛び跳ねる。運転手は穴をよける為に四六時中ハンドルを右左と回し続ける。よけれないぐらい大きな穴があると一旦停止でゆっくりと越える。わずか150Km程の距離を5時間以上かかる上にこれまたイスラエル人だ。

奴ら写真を撮りたい場所があると運転手に「停まれ停まれ」と催促する。運転手は治安の問題の為明るいうちに到着したいので「時間がないからだめだ」というと今度は全員で手拍子しながら「トイレトイレ!」ときた。やれやれだ。しかも冷房バス内でタバコを吸う。たまりかねた日本人が注意しても聞かないし、後で別のイスラエル人がタバコを吸おうをすると「Hey No Smoking Please!!」とわざと英語で茶化したりするという、まったくどうしようも無い奴らだ。 一人でいるときはおどおどしてるくせにこの変わり様はいったい何なんだろう。

とりあえずうるさくてうっとおしかったのだが、前回のようにトラブルに巻き込まれる事無く無事7時過ぎ頃にプノンペンのCapitol Hotelの前に到着した。ただこんな時間に着いたもので、Capitolは満員、そこで紹介された所も満員で仕方ないのでバスで一緒だった日本人で一緒に宿探しをする事になった。さすがにカンボジアで夜の一人歩きは避けたいからだ。

メンバーはサイゴンで同じドミに停まっていたおじさん、休学中の女子大生、小麦色のお姉さんと自分の4人だ。なかなか難航するものの、3軒目で紹介されたロンプラに載ってない所に行ってみるとかなり空きがあった。2人部屋が$5と言うことで、うまく男2、女2でシェアする事ができた。これはお得だ。

宿が決まると次は食事ということで、さっそく4人で「カンボジア鍋」を食べに行くことにした。このカンボジア鍋というのは正式名称ではないのだが、中華料理屋で食べられるカンボジア風牛モツ鍋と行ったところだ。さすが中国系だけあってダシが最高に美味しい。アンコールビールを飲みながら今までの旅の話で盛り上がったりしてたのだが、この小麦色のお姉さんどう見ても26〜7なのだが、自分よりずっと年上だと聞いて驚いてしまった。やっぱり旅ばかりしている人は歳を取らないのだろうか?(笑)

最後に麺と卵をぶちこんでカンボジア鍋は終了した。少し心配していたカンボジアだが滑り出しはまあまあだ。
  

 
ベトナム−カンボジア国境の
カンボジア側ゲート
 


12月10日(金) 大外れリゾート(プノンペン〜シアヌークビル)

ここプノンペンでは月並みな観光はもちろんなのだがもう一つラオスビザを取ろうと思っている。しかし大使館は土日休みなので月曜に申請しないと時間が無駄になる。そういうわけで、ニャチャンで出来なかったビーチリゾートを堪能するためにシアヌークビルへと向かうことにした。
 
 シアヌークビルまでのバスは地元の裕福層が利用していると思うのだが実際韓国製の立派なエアコンバスだった。実際町中でもベトナムに比べると乗用車の比が多くてまっさらのランドクルーザーやパジェロなんかも走っている。国全体ではベトナムよりも圧倒的に貧しいはずなのだが表見はかなり豊かに見える。バスの中では昨日の小麦姉さんに会った。彼女はこの後シアヌークビルからココンへ渡って海沿いのルートでタイに抜けるらしい。

シアヌークビルはカンボジア唯一の国際港と言うことでそこまでの道路は物資輸送の要なのかすばらしく綺麗だった。昨日の事があるのでなおさらそう感じる。バスは平均80キロぐらいで走り4時間きっかりにシアヌークビルの街に着いた。

しかし厳しいベトナムからおだやかだと言われるカンボジアに着いたので気がゆるんでいたのか、この後バイタクに騙される事になってしまう。バスターミナルに着くとハイエナのようにバイタクの運転手がたかってくるのだが、その中の何人かが宿のパンフレットをもっていろいろ説明し始めた。

通常この手のバイクは宿の人間か宿からのコミッションで無料の場合が多く、その運転手も宿の人間だ(嘘)と値段交渉をはぐらかすので思わずそのまま乗ってしまった。同様に小麦姉さん、イギリス人一人も同じ宿を目指すことになった。

目的の宿は満室だというのでとなりのゲストハウスにチェックインしたのだが、何とドライバが急に自分はバイクタクシーだと言ってお金を要求してきた。ここまでなら普通に払えば済みなのだが奴らの要求した金額が相場の4倍(2000リエル)ととんでもなかった。

当然相場の値段しか払わないと言うが、向こうにすれば値段交渉させずにバイクに乗せた時点でしてやったりで、2000だと言い張る。事実イギリス人は知らずに何も言わず2000払ってしまったので明らかにこっちが分が悪いのだが。

だんだん険悪な雰囲気になってきて向こうは大声を出したりして、こっちも負けずに怒鳴り返してにらみつける。もう一人の小麦姉さんも英語でまくし立てる。小康状態の時に宿の一見親切そうな人が間に入って「今回だけは2000払ってやってくれないか」というので結局折れて2000払うしかなかった。(後日談、実はこいつもグルで、翌日別のタイから来た日本人が「宿からバスターミナルまでは2000だ」と言われたらしい)

そんなわけで初っぱなからシアヌークビルの印象は最悪だ。そして一休みした後3人でビーチに出かける事にしたのだがそこには「何処までも透き通るような青い海」は無かった。砂浜も小さく水も瀬戸内と変わらない程度で結局ここは大外れという結末になってしまった。

3人で泳ぐでもなく敗北感にさいなまれながら海をながめていた。結局昼下がりに着いて海を眺めて屋台でおこわを食べたぐらいでする事もなかった。結局小麦姉さんとイギリス人は明日の船でタイへ。自分はプノンペンへ帰る事にした。期待が大きかっただけにこの旅一番のガッカリかもしれない。

追記:後日聞いた話によると、もう一つの中〜高級ホテルのあるビーチはかなり綺麗だったそうだ。残念・・・



12月11日(土) 算数とカンボジア人(シアヌークビル〜プノンペン)

今朝はバスの時間が12時半なのもあって、9時ぐらいまでだらだらとベッドで過ごしてから荷作りを始めた。
 
以前ベトナムで会った日本人に「カンボジア人は本当に頭悪いから発狂しそうになるぞ!何せ頭いい方から半分が殺されたからなあ」と言われて、その時はそんな事言うもんじゃ、、、と思っていたのだが、本当に頭悪かった。朝からまた切れそうになってしまった。

宿でバスのチケットを買うことになったのだが、まず最初は算数が出来ない。バスのチケットは7000リエルで、カンボジアでは$1=3800リエルとして両替せずに使えるので、$1札と5000リエル札で払うことに下のだが、宿のおばはんはどう言っても3800+5000=8500だと言い張る。最初はボろうと思ってわざと言ってるのかと思ったのだがどうやら真剣らしい。絵を描いて一生懸命説明するとやっと8800になった。何でこんな所で経営者にたいして算数を教えないといけないんだ?

おまけに発行されたチケットは行き先が書いていない。クメール語と英語で書かれた行き先一覧にボールペンでチェックを入れるだけなのだがそれがまた理解出来ない。「行き先を書いてないとトラブルの元になるからちゃんと書いてくれ」と何度説明しても「座席番号はチェックインの時にバスターミナルでもらうから今は書かない」とんちんかんな答えしか帰ってこない。そもそも英語がわからないのか本当にアホなのか?

そんなこんなで30分ぐらい押し問答になっていたのだがしまいにおばさんが怒りだして本当にどうしようも無いので「ただ、こことここにチェックを入れろ」と怒鳴るとチケットをひったくって2カ所にボールペンでチェックをいれた。やっとの事で「OK」と言ってお金を払うとおばさんもなぜか笑顔だ。大体分からないならチケット取り扱うな!!それにしても朝からこんなつまらない事でエネルギーを使ってしまった。

11時頃にイギリス人と小麦姉さんは船に乗るためにバイクタクシーで出ていった。昨日の事もあって適正価格に落ちるまで決して乗らなかったのは言うまでも無い。自分はと言うと例によって怒りに任せて歩くことにした。宿からターミナルまでは約2.5キロ。アップダウンがあって結構きついのだが、30分ほど歩いてターミナルに到着した。

印象最悪のバイクタクシーだが、悪いのはターミナルや宿に巣食っている奴らだけで、途中たくさんのバイクタクシーに会ったが、どの運転手も声をかけようかどうしようかとまどいながら結局通り過ぎていくようなおだやかな人ばかりだった。結局カンボジアでは人々がおとなしくおだやかな分だけ、一部の悪人が利益をごっそりさらっていってるのかも知れない。ともかく観光客相手の奴らにはベトナム以上に注意が必要そうだ。

行きと同じ道をバスで戻り今度はCapitoにチェックインした。プノンペンはドラッグや女を買ったりしなければあまりすることが無いらしく2日で十分らしい。長期滞在者は大体その二つが目的だという話だ。自分はどっちもやらないので退屈していたら、シアヌークビルで会ったもう一人の日本人にばったりと出会った。

お互い暇という事で屋台のはしごをしたり街をぶらついたりしたのだが、町中でBayon Marketというものすごい品揃えのスーパーを発見した。この中には日本のお菓子から蚊取りマット、何と納豆までうっている。カップヌードルやどん兵衛からえびっぷり、ハッピーターンまで・・・・二人で絶叫しながら結局30分以上スーパーをぐるぐる回ってしまった。

行く手にタイが無ければごっそり買い込んでたのだろうが、メントス$0.4を一個だけ買って帰ってきた。そういえば昔つき合っていた女の子がメントス好きだったよな、とかなんだか久しぶりなのに、こんな所で思い出しているという事が妙におかしかった。



12月12日(日) 狂気(プノンペン)

今日でプノンペンは3日目という事なのだ移動ばかりしていたため今日が実質初めての観光となる。

最初に向かったのはトゥールスレーン刑務所博物館。ここはポルポト時代の大量虐殺の舞台となった場所でやはりプノンペンでははずせないだろう。町並みを見るために宿から歩いていったのだが、表通りでは無いため道は舗装されておらずに土煙が舞っていた。

まず最初はベトナム軍がプノンペンをポルポトから解放した時に14人の囚人(一般市民)がベッドに縛り付けられたまま虐殺されていたという現場で、当時のベッドと来ていた衣服、その時の死体の写真が各部屋に展示されていた。ベッドは単なる金網で編み目から床にしたたり落ちている血が強烈に印象に残っている。
 

 
トゥールスレーンの処刑部屋
 
 
次は独房として使用されていた部屋で、学校の教室を2m×1mぐらいに煉瓦で仕切ったような感じだ。内部は当時のままでいい加減に作られたしきりが生々しかった。

その次は4部屋ぐらいの壁におびただしい数の写真が貼ってある。これは処刑される前に撮られた「囚人」達の写真で、その表情は何とも言葉には言い表しがたいものであった。中には小学生ぐらいの男女のものもあったのだが、ポルポトはいわゆる粛正対象者と一緒に妻と子供も処刑したらしい。
 

 
処刑直前に撮られた無数の写真
少女だけが集められたパネルもあった。
 

最後は当時の拷問と処刑の方法の展示で、ひどいものは棍棒で殴り殺したり、赤ん坊を空に放り投げて銃で撃ったり、片足をつかんで木の幹に叩きつけたりと全く正気の沙汰とは思えない内容だった。どういう考え方をすればこれほどひどい事が出来るのか全く想像さえ出来ないのだが、ともかくポルポトはわずか4年間でこのような方法で全人口の1/3にあたる400万人を虐殺そうだ。

刑務所博物館は博物館としては大した展示内容ではないのだが、取り扱っているテーマがテーマだけに見終わったあとはなんだかふらふらしそうになった。

出口付近で涼んでいると今度はバイクタクシーが声をかけてきた。次はキリングフィールドへのお誘いだ。最初のドライバーは$3と言ってきたので相手にしないと次の少し若いドライバが$2で行くと言ってきたので連れていってもらうことにした。キリングフィールドまではバイクで30分、思っていたよりも遠かった。

ここはポルポトによる集団虐殺が行われた場所で、10m四方ぐらいの四角い穴がたくさんあって、この穴の周りで殴り殺した死体を穴の中に放り込むという方法で、一つの穴について100体以上の遺体が埋まっていたそうだ。 その穴の横には赤ん坊を叩きつけて殺したという木があって、叩きつけた位置に赤で印がつけてあったりと見かけは普通の空き地なのだが紛れも無い大量虐殺の現場事を示している。

中央には高さ10mぐらいの慰霊塔が有るのだが、ガラス張りで内部は10段ぐらいに仕切られていて格段に無数の頭蓋骨が置いてある。慰霊塔に近寄ると干からびた肉の臭いが漂っていた。このような場所がカンボジアには数え切れないほどあったらしい。

キリングフィールドの後はワットプノン、王宮などを見て回った。どこも見応えがあったのだが最初の二つがあまりにも強烈だった為少し印象が薄くなってしまった。今日一日駆け足で観光してみたのだが1日でほぼやることが無くなってしまった。プノンペンは普通の人には退屈な街なのかもしれない。



12月13日(月) 病院へ行こう(プノンペン)

カンボジアに入ってからなんだか旅がしっくりこない。なんだか自分と合ってないというかカンボジアに嫌われているのか?それともう一つ問題があった。実はベトナムのフエ以降下痢が全然治らない。と言っても超特急スペシャルではなく普通の下痢なのだがそれにしても20日というのは長すぎる。そんなわけで今日は首都にいるうちに病院へ行ってみる事にした。

いろいろ調べてみると、国際的に有名なAEAの病院がプノンペンに有ることがわかった。場所はアメリカ大使館の隣で、治安的にはちょっとイヤなのだが仕方ない。さっそく行ってみると英語ぺらぺらのクメール人の受付の人がキャッシュレス治療とかの手続きをしてくれた。

しばらくして呼ばれると看護婦による問診と体温、体重、血圧等のチェックが行われた。看護婦は黒人でたぶんアメリカかヨーロッパ系の黒人なのだろう。綺麗なというかネイティブの英語を話した。

その後いよいよ先生に呼ばれて診察が始まった。先生は発音からするとシンガポール人だと思う。中華系の先生でわかりやすい英語でいろいろと診察してくれた。しばらくして検査の結果が出たのだが、結局やばそうな菌は検出されず、いわゆる悪玉菌が増えすぎで自力で元に戻せなくなっているんだろうという事だった。治療方針と薬の説明を細かくしてくれたのだがこの辺はさすがに世界的な病院だと思った。

結局生理食塩水と抗生剤2種類が処方されて、一週間の禁酒が宣告された(笑)
なかなか良さそうな先生だったので、予防注射についていろいろと聞いてみた。今一番心配しているのはA型肝炎。そしてこれは日本で打つとべらぼうに高くて結局打たずに来てしまったのだがここで打つと$60らしい。そしてA型肝炎にはHavrix(R)という新型のワクチンがあるらしく、これを1回打って一年以内にもう1回打つとほぼ一生分の免疫が着くらしい。この日は時間が無かったのでぜひバンコクに着いたら打ってみようと思う。

あと先生はB型肝炎も薦めていた。アジアでは非常に多い病気らしい。麻薬の回し打ちや売春をやらない限り移る可能性は低いのだが、変なところでケガをして病院にかつぎ込まれたり、輸血されたりするとかなりまずい。ワクチンはほぼ100%有効という事なので、これもバンコクで調べて見ようと思う。あとは狂犬病かな。

12時前に診察が終わって宿に帰ってみたもののする事が無い。どうしたものかとキャピトールのカフェでお茶を飲んでいるとバイクタクシーの親父が「バンバンッ」と銃を撃つ格好をしている。「いくら?」と聞くと$1で往復するらしい。これはかなり格安だ。うーん、「とりあえず撃っとくか」という事で親父のバイクに乗ることにした。

この親父は英語があまり得意ではなく物静かで運転も丁寧だった。後頭部に巨大なこぶがあったが何で出来たものなのかはよく分からなかった。バイクは30分ほどで15キロの道のりを走り抜けてカンボジア軍演習場隣の射撃場へ到着した。と同時にものすごい銃声がした。台湾人のおっさんが機関銃をフルオートで撃っていた。係員がすぐにヘッドフォン形の耳栓を貸してくれたのだがなかなか腹に響く音だった。

さっそく係員が値段表を持ってきてくれた。なんとランボー愛用のM60も撃ててしまうらしい。ちなみに$70。しかしこの日はポケットに$25しか持ってなかったのでAK−47(ロシア製ライフル)とルガー(ドイツ製拳銃)を撃つことにした。

最初にインストラクターがいろいろと教えてくれたあといよいよ的を狙って打つ。引き金を引くとバシュッとい音と共に銃口が跳ね上がる。生まれて初めての感触だった。的は撃たれつくして何処に着弾したのかよく分からなかったのだが的の外のフレームを狙うと角が割れて飛んだ。うーんゴルゴ13(笑)

10発ほど撃って慣れた頃インストラクターがフルオートに切り替えてくれた。こいつは凄い「パパパパパッ」という音と共に銃身が踊る。そして薬筐がはじけ飛ぶ。「うーん快感(笑)」とか言ってる場合じゃなく銃身を押さえるのに必死だった。

やがて30発打ち終わると次は拳銃。今度は立ちの状態で撃つ。気分はだいぶ離れた所にある空き缶を狙って撃つのだがなかなか当たらない。そして拳銃にはスコープなんて着いていないのでぶっとい線とくぼみを合わせて狙うのだが線が太すぎて何処を狙っているのかわかりにくい。次元大介は100m離れた10円玉をぶち抜くそうだがやってみれば絶対無理な事が分かる。拳銃は衝撃も小さく音も機銃に比べれば無いに等しい。

銃を打ち終わると今度は係員が「ハンドグレネードをやらないか?」と言ってきた。しゅ、手榴弾、、、(笑)魅力的だがお金が尽きたので帰る事にした。これで$100以上お金を持ってきていたらと思うとぞっとする(笑)ともかく親切なインストラクターのおかげで安全に射撃を楽しむことが出来たのでよしとしよう。

宿に帰って明日のシェムリアプ行きスピードボードのチケットを買った。いよいよアンコールワットだ。
 

 
とりあえずする事ないので
AK−47でも撃ってみた。
  


12月14日(火) 川の暴走族(プノンペン〜シェムリアプ)

今朝はキャピトール前に6時半集合と言うことで久しぶりの早起きだ。さっそく桟橋までバンで送ってもらい船に乗り込む。船はさすがに$22もするだけあって、内部は綺麗でなかなかスピードもでそうだった。白人バックパッカーはなぜか屋根の上がお気に入りらしく、みんな席があるのに屋根に登っていた。

やがて7時過ぎにボートはゆっくりと出発した。なんだか遅いなあと思っていたら岸から離れるにしたがってどんどんスピードが上がっていった。いやはや本当にここまで速いとは。ボートが漁師達の小舟を左右に避けながらトンレサップ川を爆走する。右に舵を切ると船は大きく左に傾き、左に切ると右に傾く。

途中水上生活者の集落を通ったりしながら3時間後船はトンレサップ湖に出た。広大な湖で岸がかすんで見える程だ。やがて船は水草や木で覆われた所へ向かい一本の細い水路のような所へはいっていった。両脇には水上生活者の集落がある。水上集落には豚や鶏もいてテレビのアンテナもあって、「わざわざ水上じゃなくても、、」と思うのだがたくさんの人々がそこで生活していた。

この水路は本当に水深が浅く、子供が水路の中を歩いていたりして驚いた。船は慎重にゆっくりと水路をすすみやがてたくさんのバイクやバンの待ちかまえている桟橋に到着した。

さっそくゲストハウスの客引き合戦が始まる。自分はたまたまプノンペンで教えてもらってた「TAKEO Guest House」のボードを持った客引きを見つけたのでそれに着いていく事にした。一泊$2だし気に入らなければ移れば済むだけの話た。

ゲストハウスへの道中ドライバーは熱心にアンコールワット見学の話を持ちかける。1日貸し切れば$5〜6のお金が入ってくるわけでバイクタクシーにしては美味しすぎる仕事なのだろう。とりあえず予定はわかならなかったのでたぶん明日か明後日に行くだろうとだけ答えておいた。

ここはいわゆる日本人宿なのだが日本語をしゃべる人はいない。でも奥さんはとても親切で到着そうそうWellcome Lunchを作ってくれた。部屋はまあ値段相応だが、ここシェムリアプではマラリアにやられる人がいるらしいので、蚊帳があるのは嬉しい。
 
とりあえず荷物を解いてから街をぶらついたのだが、本当に遺跡以外は何も無くてのんびりした街だと思った。この日は日焼けと疲れでしんどかったので、屋台を探して川沿いを歩いてから軽く夕食を取ったり情報ノートを見たりして過ごした。
 

 
トンレサップ湖の水上集落
 


12月15日(水) カンボジアと私(シェムリアプ)

カンボジアと自分はどうも相性が良くないようだ。今朝は朝っぱらからややこしい事になってしまった。

朝まちをぶらつこうを玄関に出たらさっそく昨日のバイタクのドライバーがやってきた。今日は寝過ごしたので時間はもう10時を回っていただろうか。バイタクは1日いくらなので今から乗ったのでは効率が悪いので「今日は1日レンタルはいいよ」と断った。自分としては1日で全部回りきる予定だったのだ。

ところが通りを歩いているとベトナムで合った日本人に声をかけられてバイタクをアンコールワットまで片道シェアしないかという申し出だった。確かにバイタクを雇わずアンコールまで行ってのんびり昼寝でもしながら1日過ごすのもいい。バイタクは明日借りれば残りを全部回ることができるだろう。そう思ってその話に乗る事にした。バイタク代はアンコールトムのバイヨン寺院までで二人で$1。いわゆる3人乗りだ。

バイクは並木の間を快調に飛ばして20分程度でアンコールトムのゲートをくぐってバイヨンに到着した。初めて見るアンコール建築はさすがというか思わず圧倒されてしまった。遺跡の壁画をぐるぐると回っていると1時間ぐらいはすぐに経ってしまった。

遺跡を堪能していると急に一人の若者が「オニーサン!」と声をかけてきた。最初は物売りだろうと思って目を合わせずにやり過ごしていると走って追いかけてきた。よく見ると昨日のピックアップのバイタクドライバーだった。なんだか知らないが怒っているようだ。

なんでも彼の言い分によると「今朝遺跡には行かないと行ったのに、なんで他のバイクで来たんだ!」という事らしい。彼は日本語がしゃべれるのを売りにしているらしいのだが、とてもしゃべれるというレベルではない。よく分からないようなので英語に切り替えて話しをする事にしたが、英語も中途半端みたいだった。結局別のバイタクが間に入って話し合ったのだが。まず桟橋からのピックアップはフリーだったという事を確認して、自分は急に日本人に誘われて予定を買えた事。明日はそのドライバーを雇って残りの遺跡を見るつもりだった事を話すと少し落ち着いたようだった。

「明日アナタ、ワタシト一緒ニ遺跡イキマス」。しかしこっちとしてもさっきまで怒っていてしかもわざわざ追いかけてきて文句を言うようなドライバーと一緒に回っても楽しくは無いので、それは分からないと答えた。二人は「ノープロブレム」を連発するがこっちにしてはかなり気分が滅入っていたので「プロブレムだ!!」と言うと二人は去っていった。

自分のあやふやな態度も確かに良くなかったが、実際バイクを使う約束をしたわけでは無いのにこのような文句を言われたことでかなり滅入ってしまった。しかも初日に親切にしてくれたので、明日一緒に回ろうと思っていた所なのに。どうもカンボジアに来てからいい関係が築けない。遺跡も凄いとはいうものの感動するほどのものでもない。プノンペンもポルポト以外には何もないと言った感じで、やはりカンボジアとは相性が悪いのだろうか?

その後徒歩で10Kmほどいろいろな遺跡を見て歩いた。もちろんアンコールワットにも行った。遺跡は確かに凄かったのだが気分は晴れない。頭に浮かぶのは家族や友人達の事ばかり。旅は3ヶ月続けると必ず一回はイヤになると多くの旅人が言っていたが自分の旅もそろそろ3ヶ月、勢いだけでは興味は続かない時期に入ったのかも知れない。

せっかく3日券を買ったのだが明日タプロームだけを回ってあさってはタイに抜けようと思う。タイにはきっとここよりも何か楽しい事が有りそうな気がする。そうでないと困る。
 

 
アンコールワット全景
 


12月16日(木) 自然の力(シェムリアプ)

昨日はだいぶへこんでいたのだが、すこしましになった。5時半に一度目がさめたのだが、やっぱりバイタク1日レンタルはやめることにした。もう一度ぐっすり眠ると少し気分が晴れた。

今朝は何となく本を読んだりしながら過ごした。昼前にタプロームへ行こうと思っていた所で宿に出入りしているバイタクから声がかかった。初日のドライバーはいなかった。

タプロームと地雷博物館を2〜3時間で回ると言うと$3だという。「高い」と答えると「いくらなら払う」というので「$2」というと親父は何も言わずに去っていった。ベトナム以降そうなのだがこの「How much do you pay?」の一言がかなりむかついている。売りたければ最初からふっかけなければ良いだけの話だし、自分が決めた値段なら最後までそれで通して欲しい。交渉するのはかまわないが、高いと言われたからといって逆にすぐに買い手に値段を求めてどうしろというんだ。

それと昨日の件とその他合わせてこの宿に出入りしているバイタクにはかなり不信感が募ってきた。もちろんバイタクもお金をかせがないといけないわけなのだが、ここのバイタクはどういう訳か外国人相手の1日$5レンタル以外の仕事をしない。他のバイタクのように街を流せば少しだが地元民からお金が入るのに、一日中ホテルの日陰にたむろって昼寝やバクチをしている。

そんなわけで交渉も決裂したし堂々と通りにでて流しを拾う事にした。しばらくして一人のおじさんが声をかけてきた。タプロームまで片道の値段を聞くと5000リエル($1.5)だった。おやじにしては片道でも結局帰ってこないといけないのえ美味しい仕事では無いのだろう。そこで地雷博物館30分とタプローム1時間の往復で$2という条件を提示するとあっさりと行ってくれる事になった。

アンコール遺跡はバイヨンとアンコールワットを見れば後はどれも同じ様な感じにみてるので今日も少し足は重かったのだが、プノンペンであった小麦姉さんがタプロームを絶賛していたので少しばかりの希望を持っていた。タプロームはワットからもまだだいぶ距離があって道は次第に細くなってきて遺跡も荒れた感じになってきた。

しばらくしてタプロームに着いたのだがそれは森林の中にあった。入り口からの道は鳥の長い鳴き声がたくさん聞こえてたりしてちょっとした秘境気分だったのだが、森の間の道を歩いていると目の前に本物の遺跡が現れた。どう説明して良いのか分からないが、とにかくここは発見から今まで一切人の手が入っていない本当の遺跡らしい。たくさんの木の根が建物にからみついて遺跡と一体化していて、建物には苔の後そして周りには崩れた遺跡の石積みがそのまま放置してある。アンコールワットは修復されて立派になったがあくまでも後から作って張り付けた部分が多い。だがここタプロームは建設当時そのままでしかも森に飲み込まれようとしている。なにか時の流れの圧倒的な力を見せつけ荒れたような気分だった。

おそらくこれの後に何を見ても感動出来ないと思ったので今日の遺跡見物はこれで終了する事にした。そして次に向かったのは「アキラの地雷博物館」。ここはアキー・ラーという日本語をしゃべるカンボジア人が運営しているのだが、この人は両親をクメールルージュに殺され、若いときは兵士として地雷を埋めていたのだが今はフリーの地雷撤去屋として働いているらしい。 地元民が畑で地雷を見つけるとアキラが出かけていって撤去するというぐらいだ(無料)

ほったて小屋の博物館の中にはアキラの解体した地雷や不発弾、ロケットランチャーなどが所狭しと並べられていた。アキラによると今でもカンボジアでは1日平均15件の地雷による事故が起こっているらしい。ちなみに地雷を埋めるには$5しかかからないが、撤去するのには$500の費用がかかるそうだ。わずかばかりの寄付をして博物館を後にした。
 

 
森に飲み込まれた寺院
タ・プローム
 


12月17日(金) 道に非ず (シェムリアプ〜バンコク)

「ついに自分の番が来てしまった。」今日までいろんな人からいろんな話を聞きながら、まるで予防注射の順番を待つ小学生のような心境だったのだが、本当に自分の番がきてしまった。

今朝は思いっきり寝坊してしまった。起きたら7時半。今日こそなんとかカンボジアを脱出したかったのだが、通常シェムリアプ〜ポイペト(タイ〜カンボジア国境)の4WDトラックは6時頃から客引きを始めるのでそれくらいに行こうと思っていたので大きな誤算だった。

とりあえず朝食にいつものバナナシェイク&フランスパンを食べながら考える事にしたのだが、宿の人に聞いてみたら「昨日タイから来た人は朝7時に出て夜の12時についたらしいわよ」とか言われてかなりびびってしまったのだが、とりあえずカンボジアはもういいやと言うことで、行けるところまで行ってみることにした。

バイクタクシーに揺られて市場につくと、荷台に人を満載したトラックが止まっていた。聞いてみるとインサイド(車内)が$6だという。少し高めなのだが車がほぼ新品でトラブルが少なそうなので乗ることにした。この乗り合いトラックというのは通常後部座席に4人、助手席に2人、荷台に10〜20人の人を乗せて走るのだが、後ろ4人っていうのはかなりきつく、動けない上に窮屈でおしりを強打するので感覚が麻痺してしまうほどだ。そして荷物は荷台に敷き詰められてその上に人が乗るために結構壊されたりするらしい。とりあえずパソコン、カメラ類はサブバッグに入れて車内に持ち込んだのだが、迂闊にもいくつかの壊れ物をリュックに入れたままにしてしまった。

あとこの手のトラックは人が集まるまで何時間も出発しないらしく、車内に乗っていた日本人は6時からもう2時間以上待っているらしい。自分が乗ってあと一人と言うところでクメール人の小さなおじさんがやってきて、8時少し過ぎにトラックは出発した。

しばらくは穴が開きながらも舗装された道を快調に飛ばしていったのだが30分ほどすると噂に聞いた「これか!!」というほどひどい道が現れた。いやあれは道ではないかもしれない。とにかく絨毯爆撃でも加えたのかと思うほど穴だらけで、穴の深さも1mぐらいあって車は左右に避けながら進むのだが、それでも時折車は上下に1m以上揺れ続けて、助手席につかまっていないと姿勢を保持することは不可能だった。

しかも悪路に入ってから30分ぐらいで前方のぬかるみで3台のトラックが並んでスタックして道をふさいでいた。最初のトラックは故障して部品を交換している。2台目は何とか脱出しようとしているのだが滑って動けない。なのに頭が悪いのか、3台目のトラックが果敢にも(?)ぬかるみにつっこんでいって、そこでスタックして道路を完全に塞いでしまったようだ。要は自分の事しか考えていないのだ。少し考えれば乗用車用に1台分の幅を残しておかないと大渋滞になるぐらいの事は分かりそうなのだが。

しばらくして別のダンプカーに引っ張られて1台のトラックが撤去されたのだが、そこからはカンボジア人で、我先にと開いた道へと殺到して更に混乱してしまった。警察が来てやっと交互に通り抜けれることができたのだが、賄賂というか、小金をせびられていたのは言うまでも無い。途中にも道が壊れている所なんかでは、地元民が迂回路に杭を突き刺して「通して欲しければ金を払え」とお金を要求していた。

ともかくその辺りの20〜30キロが最悪に近い状態で、雨期ならまず通行不可能だろう。今回は乾期なのに加えてトラブルもトラックに一度道をふさがれただけだったので、その後はむちゃくちゃな道ながらも順調に進んで12時半頃にシソフォンの村に到着した。通常この区間は6〜8時間、雨期は12時間と言われているのでこの日はなかなかの快挙だった。

シソフォンからは別のトラックに乗り換えさせられて国境の町ポイペトを目指す。シソフォン〜ポイペト間は旅行情報誌なんかによるとシェムリ〜シソフォンよりもかなり道がいいという事だったのだが、実際はこっちの方がひどいような気がした。確かに最悪の区間はシェムリ〜シソフォンの方が圧倒的にひどいのだが、こっちの方は全ての区間が悪路で、しかもここからの運転手は何度も往復してお金を稼ぐためにむちゃくちゃな飛ばし方をして揺れ方が半端じゃなかった。4WDのトラックは底をガンガン擦って、自分はというと何度か天井に頭をぶつけてしまった。
 
 「もう限界だ、助けてくれー」と思った頃にちょうど国境の村ポイペトが見えてきた。国境付近でトラックを降りてへろへろになりながら出国審査を終えると先進国タイの旗が見えてきた。ここの国境は入出国審査のカウンターはあるのだが、ゲートという物がなくて密入国し放題な感じだ。事実17時までに着けなかった人はタイ側で一晩不法滞在できる、というか翌日にしかスタンプを押してくれないらしい。

タイの入国は簡単で荷物検査もなく、それらしいカウンターも見つける事が出来なかった。入国手続きをしているとカオサン界隈の乗り合いタクシーの客引きがやってきた。一人250バーツでカオサンまでという事でもう疲れてへろへろだったので少し高いのだがそれで行くことにした。乗り合いバスの半分の時間で行くと言っていたのだが大嘘でやっぱり4時間以上かかって、20時過ぎぐらいにバンランプーの安宿街「カオサンストリート」に到着した。

時間が遅かったので本当の安宿は全ていっぱいで、しかたなく250バーツの宿に一泊だけする事にした。Tシャツを洗濯すると車内に乗っていたにも関わらず、泥水だらけになってしまった。
 

 
こーんな道(?)を通った。
道の両端は湿原で通行不可能


 
 

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