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チリ編

(サンチャゴ〜プンタアレナス)
 


1月25日 新大陸(チューリッヒ〜サンチャゴ)

長い時間闇をとんでいた。せっかく窓の横の席を取ったのに暗闇ばかりでつまらないとおもっていたら、次に目が覚めると眼下に街の明かりが見える。モニターに表示されている地図によるといよいよブラジル上空にさしかかったらしい。

しばらくすると外が白みはじめて眼下に森や畑、そして小さな家がたくさん見える。どうやら飛行機はサンチャゴへの直行便ではなくブラジルのサンパウロを経由するらしい。入国カードを配るときにアテンダントに「あなたブラジル人?」と聞かれてしまった。たしかにブラジルならそう言うこともありえるだろう。

1時間ほどトランジットルームでつぶしてから再び飛行機に乗り込む。まだ3時間もかかるらしいのだが、着陸寸前に朝食が出たにも関わらず離陸するとすぐに朝食のような昼食のような軽い食事がでた。さすがスイスエア。そして食事を食べてしばらくすると眼下にアンデス山脈が見えてきた。真夏にも関わらずアンデスの頂上は雪で覆われていて神々しい感じがした。

空港はまわりに畑以外何もないような郊外にあった。結局今回は片道チケットを少し心配していたのだが、チェックイン、入国審査とも全く問題なくスムーズにいった。スタンプをおされて長い間の癖でおもわず「メルシー」と言ってしまった。ここからはスペイン語を覚えないと。

外に出るどうしたらいいのやらよくわからずにうろうろしてしまったが、一台バスが泊まっていたので運転手に「セントロ?」と聞いてみると「Si」というのでそのまま乗り込んだ。バス代は200円ほどで30分程揺られてサンチャゴ市内の中心部に到着した。

さてどうしたものかと思っていると、隣に座っていた女の子に「これからどうするの?」と流暢な英語で話しかけられた。とりあえず「安宿を探す」というと、「私も丁度そっちに行くから一緒に行きましょう」という事になった。何だかうまく行きすぎて警戒してしまったのだが、結局この女の子はカリフォルニアから今着いたばっかりで同じく旅行者らしい。荷物がナップザック1個だけだったので地元の人かと思ってしまった。

冬のパリから着くとサンチャゴの太陽はウキウキするほど強烈だ。汗をかきながら人で賑わう歩行者天国を歩いていく。やっとたどり着いた安宿はあいにく1つしか空き無いというので、その女の子はもう一つの宿へ行くといって再び出ていった。

まだ昼を過ぎたところだったので早速情報を集めるために旅行会社へと向かう。これから南へ向かうのと、チリからイースター島へ行くチケットの値段を調べるためだ。場所がわからないのでツーリストインフォメーションで簡易地図をもらって旅行会社をめざす。早速入って見るとちょっと色の黒目のみるからにセニョリータという感じの女の子が対応してくれたのだが、あいにく彼女はほとんど英語がしゃべれ無いみたいだった。

とはいうものの邪険にするわけではなく、いろいろと一生懸命電話をかけたりしてチケットについてしらべてくれた。結局わかったのはここから南へ飛ぶ割引フライトは、チリ国内のプンタアレナスへ飛ぶものしかなく、イースター島へも往復はあるものの、そのままオーストラリアへ抜けるのは15万円を越えてしまうようなものしかないらしい。

やはり大陸が変わると街の雰囲気も人の表情も全く変わってくる。通りのお菓子やでアイスクリームを買ったらおじさんが底抜けに明るくてそんなささいな事がうれしい。そしてチリは僕が思っていたよりもずっと先進国だった。実は僕はチリについてはあまり知識が無くて、どちらかというとペルーやエクアドルなどの貧しい国に分類されると思っていたのだが着いてみてびっくり。街は近代的であちこちにスーパーがある。もちろん路上にゴミを捨てる人なんていなくて街は清潔そのものだった。

宿に戻るとキッチンで長髪の男が料理をしていた。スペイン語で自分はチーノ(中国人)だという。何とかスペイン語の単語を並べて会話をしたりしていたのだが、そのうち「ワタシニホンゴスコシネ」といいだして?あれ?おかしいなと思っていると「ワタシイオオウソツキ」「ホントハニホンジンアルネ」と、、、完全に騙されてしまった。

他にも3人ほど日本人が泊まっていて夜はアジの味噌煮込みをつくってみんなで食べた。また日本人旅行者がいる所にやって来た。現地人とももちろんだけど、面白い日本人とたくさんで会えたらいいな。
 

 
飛行機から見下ろすアンデスの山々
 


1月26日 遭難山下り(サンチャゴ)

時差の関係か朝早くから目が覚める。早速外にでかけてカフェスタンドでチーズの入ったパンをコーヒーをたのむ。片言だがスペイン語で注文して笑顔が返ってくるとうれしい。

今日は実は朝からこの近くのヴィーニャデルマールという港町まで行こうと思っていた。僕はサンチャゴに来るまでサンチャゴは海に面した大きな港町だと思いこんでいたのだ。そしてヴィーニャには日本人宿があるのでそこで海でのんびりしながら情報でも集めようと思っていたのだ。

所が予想外にサンチャゴの宿と街が快適そうなのでもう一泊延長してサンチャゴ市内を歩き回ることにした。いろいろやりたいことがある。まずこれから南下するのに暖かい服を探さなくてはいけない。僕はうっかりとモロッコのバスの中で上着のジャケットを忘れてきてしまって今持っているのはフリース一着だけしか無い。こんなもんだけじゃきっと南極で凍えてしまうだろう。

所が今は夏なので冬用のジャケットは何処にもなくて、おまけ送ろうと思っていた荷物の送料が思ったよりも高くて、しかもパソコンのバックアップも難しそうだった。ただこっちは同じく旅行記を書きながらまわっている のーさん という方に相談してみると今南米をCD−Rドライブを持って回っている旅行者の人がいるというので何処かで会えたらお願いできそうだ。

インターネットカフェに行ってみるとなかなかリーゾナブルな値段で速度も速くてフロッピーも使えるのであっという間に更新作業が終了して、メールも受け取ることができた。そして用事が片付いたから今日は観光地っぽい所へ行きたかったので街の外れにあるサンクリストバルの丘に登ってみた。

ここはフニクラーと呼ばれるケーブルカーがあって上まで楽勝で登れる。頂上には大きなマリア様の像があって、サンチャゴの街が見下ろせるほか遠くにアンデスも見える。たったの500mほど上がっただけなのだが風がとても冷たくて気持ちがいい。そんなわけで下りは歩いて降りようとしたのだが、これがまた行きがケーブルカーできたもんだから道がわからずに、山道で思いっきり迷ってしまった。

山の中腹まではすぐに降りれたのだがそこから下に降りる道がみつからず、同じ高さをぐるぐると結局山の周りを1周ほどしてようやくぎりぎり下れる崖を見つけて滑るように降りた。結構疲れたので地下鉄に乗って帰ることにしたのだが、なぜか値段が違う。おかしいなあ?と思ったら何とチリの地下鉄は入場時間によってキップの値段が違うのらしい。当然ラッシュ時は値段が高い。考えてみるとなかなか合理的な方法だと思う。

夜はみんなで海鮮サラダを作ったらこれが又とんでもなく美味かった。材料費はここチリではシーフードが驚くほど安く、しかも調理は例の「ニセ中国人」がほとんどやってくれたし、アフリカからとんできた僕には夢のような食卓だった。

ちょっと去りがたいが先を急ぎたいので、明日にはヴィーニャへ向かおうと思う。
 

 
サンチャゴで見つけた
カラフルな教会
 


1月27日 太平洋(サンチャゴ〜ヴィーニャデルマール)

相変わらず朝早く目が覚めてしまう。そのままふらふらと朝食を求めて出かけるのだが、こんな朝早くからやっているカフェは無く、どうしたものかとふらふらしていると、地下鉄の駅の入り口で屋台を発見した。屋台では揚げパンみたいなのや、チーズの入ったパイみたいなのを目の前で揚げていた。

早速謎の揚げた物体一つとコーヒーを注文すると屋台で食べていた他のおじさん達も集まってくる。とはいうもののスペイン語が話せない自分は「日本から来た」というのと「チリを旅行している」という事を言うのが精一杯なのだが、なぜかおじさん達には受けていた。ああ、スペイン語がしゃべれたらもっとこの国は楽しくなるんだろうなあ。

朝食をおさめてからパッキングをして、この前インフォで教えてもらったターミナルまで地下鉄に揺られる。地下鉄を降りると大きなターミナルがあったのだが、どうやらこれではなく少し離れたAl Surという別のターミナルらしい。警備員にヴィーニャ行きのチケット売場を聞くと自信満々に指を指すのだが、そっちはハズレで別の一角でチケットを買うことができた。

さすがに先進国だけあって、チケットはすべてコンピュータで管理されていて、モニターを見ながら好きな席を選ばせてくれる。ヴィーニャまでは2時間ほどなので別にどこでもいいのだが、せっかくなので一番前の眺めのいい席にした。

ヴィーニャまでの道のりは広い自動車道で結ばれているものの、山あり谷ありトンネルありというわけで、意外と地図上の距離の割には時間がかかる。そして山にはさまれた谷を下っていくとやがて目の前に太平洋が広がった。何カ月ぶりだろう。この海の向こうに日本があるなんて、なんだか帰ってきたという気がするから不思議だ。

ヴィーニャから目的の日本人宿「汐見荘」がある町外れまではコレクティーボと呼ばれる乗り合いタクシーを使った。最初値段が200ペソ程度と聞いていたので、コレクティーボというのはマイクロバスのようなものだと思っていたのだが、なんと屋根の上に番号が書いてあるタクシーで、トルコの田舎部のドルムシュと同じだった。運転手のおじさんも陽気で、通りの名前をいうと「ああ、ハポネスか」と丁度家の前で降ろしてくれた。

宿に入るとさっそく二階の部屋に通された。ここは人気の宿で泊まれないことも多いそうだが、今は5人ぐらいしか泊まってないらしい。ロビー兼小さな食堂には、カントクと呼ばれる長期滞在者の人と、もう一人膨大な量のシーフードをぱくついていた「皮職人」の二人がいた。皮職人は早速僕にシーフードを薦めてくれる。なんでもここではシーフードがとてつもなく安いらしい。

カントクは何故カントクなのか、その他経歴等はまったく知らないのだが、とにかく年季の入った旅行者で、僕が2年かけて回ったような所はとっくの昔にすべて回り尽くしているようだった。イランにビザがいらなかった頃の話とかなかなか興味深かった。

結局まったりと夕方まで過ごしてから街に買い物に行ったぐらいで一日が終わってしまったが、結構いろいろな情報が集まってよかった。ビーニャの街は意外と都会で小さなデパートが2軒、ショッピングコンプレックスが4つほど。そしてスーパーもあちこちにあってアフリカの首都の何百倍もの商品が溢れている。やっぱりチリは大先進国だと思った。

夜は皮職人の有りがたい申し出で、カニを一匹づつシェアする事にした。大きなカニが2匹で100円なのだとか。鍋でぐつぐつ茹でて真っ赤になったカニをペンチで割りながらむしゃむしゃ食べる。お昼のアワビとかも振る舞ってくれて、しかも醤油とワサビもあるので最高の夕食だった。これでたったの一人120円ほどで済むのだから恐ろしい。アフリカの食事にやられていた自分には至福のひとときだった。
 

 
賑わう海沿いの公園
 


1月28日 日曜日(ヴィーニャデルマール)

素晴らしい。小さな商店は全部閉まっているにしても、スーパーもデパートもインターネットも全部開いているので今日一日全く不自由する事がなかった。そして街には休日を楽しむカップルや家族がわらわらと繰り出していて平日とは少し違った雰囲気を見せていた。特にセントロの中心にある広場ではのんびり昼寝を決め込む人がたくさんいた。

今日はひたすら旅行者としゃべったり、洗濯物を干したりして昼下がりにバスのチケットと夕食を買いに行ったぐらいだった。同じ部屋のおじさんは結構あちこち回っていて、今回は北から降りてきたので色々とそっち方面の情報を聞かせてもらった。もう一人おなかを壊して寝込んでいた彼はもう5年近く行ったり来たりを繰り返していて、オーストラリアやヨーロッパにも長く居たらしく、その辺りの話で少し盛り上がった。

結局今後の予定なのだが、明日のバスでパタゴニアの玄関プエルトモンへ向かう事にした。チケットは13000ペソ。約$25で少し高い気もするのだがアルゼンチン側はもっと高いだろうからこれは仕方ないのだろう。

夕方に一人イースター島から女の人が帰ってきた。昨日の夜「日本人旅行者が可愛い地域」とかいうアホな話題で少し盛り上がったのだが、やっぱりダントツは東南アジアで、次いでトルコ、ヨーロッパなんかがきて「南米は?」と尋ねると少し言葉を濁してしまった。どうやら南米というのは一癖ある女の人が多いのらしい。まあしゃべるなら一癖有る方が楽しいわけで、この人も何だか少し癖のありそうな面白い人だった。

みんながみんなイースター島の事をよく言うので行きたくなってしまうのだが、最近はイースター島のチケットも安いのが無くなったり、以前有名だった、チリ〜イースター〜タヒチ〜オークランド〜シドニーというチケットも今は正規だかPEXだかで$1400以上もするのらしい。なかなか難しい選択だがこれは南を回りながらゆっくり考える事にする。



1月29日 出発(ヴィーニャデルマール〜プエルトモン)

朝から訪問者が来た。最初は宿泊者だと思っていたのだが、どうやら昨日間違って、88番のコレクティーボに乗らなくては行けないところを、88番のバスに乗ってしまって、この潮見荘を見つけられなくて結局ヴァルパライソのもう一つの日本人宿に泊まっているらしい。情報ノートを見に来たらしいのだが、ここのオーナーの山岸さんは快く受け入れていた。

彼女は何と明石のすぐ近くの市の出身だったので何となくローカルな話題で盛り上がる。彼女は「すぐ疲れちゃうんですよね」という事で、2〜3ヶ月の短い旅行をあちこち行っていて、今回は1ヶ月で回るとの事だった。うらやましい。

アフリカの話も聞きたがったので少し話したのだが、どうやら西アフリカというのは結構旅行が難しいと思っている人が多いらしいく「何処から来たんですか?」と聞かれて「西アフリカから」というと「うおー」と驚く人が多いのだが。初海外旅行(少し長いけど)の自分が行けるぐらいだし、ちょっと疲れるけど、東南アジアを普通に旅できれば誰でも行けるだろう。

逆に言うと僕がいまとんでもないと思っている、中央アフリカやロシア辺境なんかも行ってみると意外と何とかなるのかもなあ、と少し根拠の無い自信の様な物が沸いてきた。

彼女この後UAのマイレージを使いまくってアルゼンチンを飛行機で旅行するらしい。またパタゴニアか何処かで会うだろう。一方「寝込んでいた彼」は相変わらずおなかをいたわってオートミールを食べている。彼は若く見えるので僕よりも年下かな?と思っていたら3つぐらい上だった。出発時間が迫ってきたので、お互いメールアドレスだけ交換して「またどっかで」と旅人の挨拶をしてから宿を出発した。

ヴィーニャで最後にインターネットとCD-Rの媒体を買ってから腹ごしらえをする間もなくバスに乗り込んだ。バスは思いのほか豪華だった。シートは分厚くて、水平とはいかないがかなりの角度まで倒れる。ただ50人乗りなので前のガキ二人が明るい内からいっぱいまで倒すもんだから、目の前で本を広げるのも狭い程のスペースになってしまった。

うつらうつらしながら本を見ていると、最初僕はヴィーニャからプエルトモンまでは500キロ程だと勝手に決めて「高いなあ」と思いこんでいたのだが、よく見るとざっと1000キロ以上はありそうだ。どおりで値段も高いし時間も一日近くかかるはずだ。日が沈んでからは景色も見えないのでひたすら椅子を倒しで熟睡した。夜中に横殴りの大雨で目が覚めたのだが、やはり南に下ると気候も厳しくなってくるようだ。南極に行く船がまだ出ている事を祈るばかりだ。
 

 
汐見荘のキッチンから見える風景
 

1月30日 混雑(プエルトモン)

目が覚めても相変わらずの雨だった。チケットに、「8-15」とボールペンで書かれたのでその時間に着くのだと思っていたのだが、この様子だと当分かかりそうだった。

しばらくして大きな街のターミナルに着くとかなりの人が降りてしまった。一瞬ここがプエルトモンなのかな?と思って後ろのおばさんに聞いてみたら、ここはオソルノという街でまだまだ2時間以上はかかるらしい。結局いくつかの街を経由してプエルトモンに着いたのは結局12時近くになっていた。

一時期良かった天気もバスが着くと同時に大嵐になってしまった。バスターミナルで次の目的地プンタアレナス行きの値段と時間を調べてから宿もきまらないまま嵐が収まるのを待って航空会社の集まるオフィスの一角を目指した。というのもここからプンタアレナスまでは道路が無いので国内バス扱いなのだがアルゼンチン領を迂回していくので30時間は軽くかかってしまう。そして国内バスだから値段もチリ価格でいいのだが、当然のごとくアルゼンチン領内で下車する事は出来ない。値段は$45程で出発は明日の11時

一方の飛行機だとここからプンタアレナスまで2時間。そしてサンチャゴで会った「ニセ中国人」が飛行機乗るなら Aero Continente という新規参入の会社を使うと$50で行けると聞いていたのでこれはかなりお得だ。結局オフィスで聞くと今はシーズンなのでそれよりも少し高いのだが、約$60+Taxで飛べる。他の会社が軒並み$100を越えていたのでこれはかなりお得だ。しかしフライトは明日は満席で明後日しか無いのだそうだ。

結局明日出発できるのと「アンデス越え」というのに魅力を感じでバスのチケットを買おうと重い荷物を背負ってバスターミナルに戻ったら日本人3人組が何やら相談をしていた。何か情報があればと話しかけてみたのだがどうやらバスの方も明日は満席なのだそうだ。さすがに観光シーズン。そして今までと違うのがその観光客のほぼすべてがチリ人だという事だ。

仕方がないので先に宿探し、そして一軒の安宿の前でながめていると突然一人の男に声をかけられた。英語の片言を話す陽気な彼はルイスと名乗った。自分の別宅を旅行者に貸すという、いわゆるプライベートルームという奴だ。値段を聞いてみると4000ペセタというので「2泊で7000ならいいよ」というとあっさりその値段になった。どのみちここには二泊しないといけないのだ。

そして案内された家は、外見は僕がニュージーランドで住んでいたようなほったて小屋なのだが、内部は綺麗にリフォームされていて、しかも一人だからと、大きなシングルルームを使わせてくれる事になった。キッチンも洗濯機も使えてこれで$7程なら全く文句は無い。

宿が決まると街に降りる。結局僕は$28ほどで28時間を買うことにした。1時間100円だ。Aero Continenteのオフィスに急ぐとまだ空席はあって、何とかチケットを手に入れることが出来た。しかしこの会社安いのはいいのだが、航空会社のくせに全く英語が通じないというのはさすが南米というか何というか。まあ買えたからいいのだが。

そのまま海にでるとさっきの三人組に出会った。観光案内所に行くというので着いていったのだが、その中の一人が「Do you speak English?」と尋ねると笑顔で自信たっぷりに「No」というので思わず笑ってしまった。これが南米だよ(笑)。結局彼らは航空会社に行ったら軒並み$100を越えていたので明後日のバスで行くことに決めたらしい。

街をぶらぶらとしたいのだが天気が悪い。ずっと降っているわけではないのだが、時折嵐がやって来てまた晴れたりとそんな感じなので、結局買い物もそこそこに宿に戻って日記を書いたりご飯を作ったりして一日を過ごすことになった。まあ明日も有るしいいだろう。
 

 
雨上がりのプエルトモン
 


1月31日 港(プエルトモン)

今朝はなかなかいい感じに晴れたのだが、日記がたまっていたのと、メールを書きたかったのでパソコンに向かっていると。何と!昼前に雨が降り出してしまった。なんてこったい。今年は変な天気で、毎日雨が降るものの降ったり止んだりで一日中雨が降るということはあまり無いようだった。しかたないので昼食を作っているとそのうちに雨がやんできたので出かけることにした。

街の旅行代理店のポスターによると、ここプエルトモンの見所の一つに富士山のような形の雪山があるらしいのだが、昨日も今日もあいにくの天気で何処にあるのかさえわからなかった。街はのんびりするのにはいいのだが、あまり見所が無いので近くの港まで3キロほどを歩いていくと、通りにはたくさんのクラフトショップがあって賑わっていた。

僕はお土産には興味が無いのでそのまま進んでいくと、沖の島に渡る渡し船があって客の呼び込みをしていた。島の頂上には巨大な十字架がたっていて景色はなかなか良さそうだったのだが、天気も悪かったので僕はそのまま港のはずれにある魚市場のような所へ行ってみた。

あちこちから声がかかる。ここは魚屋兼海鮮レストランといった感じの所が多くて、おばちゃんが「ウニウニ、ショーユ、ワサビ」と笑顔で腕を引っ張る。そして反対側からも違うおばちゃんに腕を引っ張られて綱引きされてしまった。「ああ、手を離した方が本当の母親なのか?」とアホな事を考えながら腕を振りほどいて進むのだが、今度は中学生ぐらいの女の子に捕まってしまった。なかなか大変なのだが、これはこれで結構楽しい。

街へ戻るとあいにくの天気で、結局インターネットカフェに行ったり、ショッピングセンターをうろつくぐらいしかする事は無かったのだが、ふと降りかえると遠くに頭を雲の中に突っ込んだ富士山のような山が見えた。こんな時期でも雪をかぶっているなんて、やはりこのあたりでも自然環境はけっこう厳しそうだ。明日はさらに南のフィヨルド地帯までひとっ飛びだ。
 

 
プエルトモンの富士山のような山
 


2月1日 高飛び(プエルトモン〜プンタアレナス)

考えてみれば国内を飛行機で移動するのは、この旅で初めての経験だ。マリでトンブクトゥへ行こうとしたときも結局飛行機がやってこなくて乗れなかったし、その他はすべて国内は陸路で移動している。僕はこの度の間は出来るだけ陸路で移動しようと思っているのだが、それは南米最南端から改めて始めればいいわけで、今日は気楽なフライトのはずだった。

おおっ!と驚くほど綺麗で近代的な空港に到着して、さっそくチェックインの手続きをするのだが「席はしばらく待ってね、後で呼ぶから」とボーディングパスを貰えなかった。うっ、、嫌な予感。そして電光掲示板を見ると僕の乗るAerocontinenteとAVANTの出発時間が一緒になっている。行き先も同じなので「ああ、共同運行なんだ、得した」と思いこんでいた。

しばらくして手書きのボーディングパスをもらってその番号のゲートに行くとやはりAVANTと同じだったのだが、AVANTの飛行機がやって来ても全く乗せて貰える気配はない。そしてあれよあれよという間にAVANTのプンタアレナス行きは飛び去っていった。ひょっとしてこれは、空席のある飛行機会社に押し込むだけなのでは?という事は次は11時発のランチリか?とか思っているとそのうち、ちょっとくたびれた感じのボーイング737がとんできた。安いなりにもちゃんと自社機を飛ばしているようだった。

離陸するとしばらくして、しょぼいサンドイッチと飲み物が出た。荷物タグもボーディングパスも手書きだし、飛行機までの移動は普通のワゴン車となかなか素人っぽい会社なのだが、とにかく値段が安いのはいい。別に2時間ぐらいのフライト、無事着けば何でもいいのだ。

それにしてもチリは長い。サンチャゴからバスで16時間、そしてそこから飛行機で2時間とんでもまだ先っぽまで行けないとは。フライト自体はせっかく窓側を取ったのに、延々雲の上で何も見えなかった。着陸する直前になってやっと湿地帯に囲まれた川や羊牧場なんかが見えてきた。

さてこれからどうした物か。ここからウシュアイアまでは事前に集めて置いた情報によるとバスで14時間。飛行機だと30分程らしいので、とりあえず航空会社のカウンターへ行ってみた。所が値段が距離に対してとんでもなく高い。ウシュアイアより遠いチリ領のプエルトウイリアムスまでなら$60なのに、ウシュアイア行きは何と倍の$120もするのだ。しかも週一便しかないというのでお呼びじゃ無い。

次に向かったのは観光案内所兼バス会社のカウンターだ。ああ、またボディーランゲージかあ、、と思っていたら、ここのおねーさんは「あんた本当にチリ人なのか?」と思うほど綺麗な英語を話したので猛烈に助かった。「ウシュアイアに行きたいんだけど」と言うだけで、壁に張ってある地図を指してバスの時間とかを教えてくれる。

ここからは2時間かけてポルベニールにフェリーで渡る方法と、リオグランデ行き直通バスに乗る方法があるらしく、ちょうどリオグランデ行きのバスが明日あるらしいのでそれのチケットを買うことにした。とはいうものの、ここにはATMもなく、両替もおみやげ物屋でするしかなく、泣く泣く$30ほどを$1=500Pesoというとんでもなく悪いレートで両替した。

チケットを手に入れて街へ出ようすると懐かしい「タクシー?」という声があちこちからかかる。僕はさっきのお姉さんにバスが有ることを聞いていたので30分程待ってからバスでプンタアレンスの市内へ向かった。宿を探しながら歩いていると、ドロボー髭をはやした日本人っぽい人に会ったので「こんちわ」と挨拶すると、彼は今2500ペソのけっこういい宿に泊まっているというのでそのまま彼に着いていくことにした。

宿は「Tourismo Manuel」という名前でいわゆるバックパッカーズと呼ばれるスタイルの宿で、キッチンも使えるし何よりも従業員が陽気で面白そうだった。さっそく荷物を降ろして外に出てみるのだが、外は真夏にも関わらず身を切るような寒さだ。

ここプンタアレナスは大した見所は無い。だから僕は街歩きに徹することにして、あちこち歩き回った。街は北国特有(ここは南国なのだが、それでは雰囲気が出ないので)のカラフルな塗装で塗られていておもちゃみたいだ。ひょっとすると寒い冬を陽気に乗り切る為の工夫なのかもしれない。

街中をうろうろと歩いていると丘の上に大きな十字架が建っているのをみつけて上まで登ってみることにした。上には小さな教会のようなものがあるだけで回りは住宅地になっていたのだが、そこからの眺めはなかなか素晴らしかった。カラフルな街の向こうに海が見え、マゼラン海峡を隔ててその向こうにフエゴ島が見える。身を切るような冷たい風に吹かれて、自分が世界の果てまで来てしまった事に気づいた。
 

 
プンタアレナスの丘からの風景
 

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