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のり日記
びっくり中国編
 
 

10月9日 突然の中国(東港〜丹東)

朝2度目に目が覚めたら陸地が見えていた。賢京には「寝坊だ」といって笑われたが実は一度5時に目がさめて甲板に出てみたのだが朝焼け以外は何も見えなくてもう一度寝直していたのだ。今度は甲板に出てみるとはっきり陸地が見える。小さな島が見えたのだが甲板にいたおじさんによるとそれは「北朝鮮」なのだそうだ。

しばらくして港に接岸したが、大きな発電所がある以外は何もないさびれた感じの港だ。イミグレーションまでのシャトルバスも5列シートの中国バスそのものでぎゅうぎゅうになるまで押し込まれて早速中国を感じされられる。

イミグレーションはすでに韓国人でごった返していて自分達は一番最後だった。賢京の番が終わっていよいよ自分の番になったのだが、じろじろパスポートを見るだけで全然スタンプをおしてくれない。しばらくして中国語で何か言われたが分からないというゼスチャーをすると、今度は英語のできる係員を連れていた。なんだかだんだん心細くなってきたのだがその英語の出来る係員は笑顔をうかべて、「単にここを通る日本人なんてほとんどいなくて、その係員は日本のパスポートを見るのが初めてで単に珍しかっただけだ」と説明してくれた。何人か係員が寄ってきて珍しそうにながめたり、日本語でニーハオは何て言うんだ?とか質問されたりして「こんにちわ」だと答えるとこんにちわ、こんにちはとつぶやいていた。英語の出来る係員はいろいろ観光名所を教えてくれたりして最後も笑顔で通してくれた。税関にいくと賢京が「どうしたの?」と心配していた。貴重なハプニングだが、まったく人騒がせな話しだ(笑)。

賢京はここで引っ越し手荷物の受け取りがあるのでここでお別れ。ここからは通訳なしで英語の片言の単語さえ通じない所で一人でつっこんで行かなくてはならい。まず港の中国建設銀行で余っていた韓国ウォンを全額人民元に両替。その後バスが無いか探したが、港からはタクシーか歩きしか無いようだった。

この港は丹東じゃなくてとなりの東港市という所にあるらしいのだが、とにかく港には食堂が5軒ほどとタクシーがいるだけで地図も情報も何もないので、いっそのこと丹東までタクシーで行こうかと、一人の人の良さそうな運転手に訪ねてみたら40元だというので丹東市まで連れていってもらうことにした。タクシーはしばらくして東港市の繁華街を抜けてそっから猛スピードで田舎道を走る。20分ほどして運転手が「こっちのタクシーに乗り換えてくれ」というようなゼスチャーをして、向こうから来たタクシーの客とそっくり入れ替わった。たぶん自分の地元があってお互い港や丹東まで30キロ以上も離れていて帰りが大変なので協定みたいなのを結んでいるんだろう。お金は次の運転手に払ってくれとの事だった。

タクシーはクラクションをガンガン鳴らす。そして歩行者も轢けるものなら轢いてみろと言わんばかりにのろのろと道路を横断する。中国へ来たんだという実感がひしひしと沸いてくる。

乗り換えて10分ぐらいしてタクシーは丹東駅に到着した。付いていきなりバスの客引きに取り囲まれた。みんなぞろぞろ付いてきてらちがあかないのでノートに「我 泊 丹東」と書いたらみんなうなずきながらばらばらに散っていった。次はいよいよ宿探しなのだが、駅前に丹東駅招待所というのがあってそっちへ向かっているとまたもやバスの客引きにつかまって同じ様なやりとりをしていると今度は宿はあるのか?ときた。値段を聞いたら180〜230というので、とても無理だというと、とにかくそこだからちょっと来て見ろと言われて、連れて行かれた先が丹東駅招待所。見てみるとドミなら18元から有るみたいだが、さすがにこの荷物でドミは物騒だろうと思ってたら、風呂トイレ共同の個室が50元であると言うので早速泊まることにした。バスの客引きは笑顔で去っていった。単なる親切で宿まで連れてきてくれただけらしい。

宿が決まれば観光。ここ丹東での観光といえば、北朝鮮見物。おみやげ物といえば北朝鮮グッズだ。さっそく鴨緑江へと向かった。入場料1元はらって公園に入るといきなり川の向こうに北朝鮮が見える。あちこちの小さな売店では北朝鮮の切手やお札その他おみやげ物を売っていた。ここから川の対岸ぎりぎりまで行って戻ってくる遊覧船があるので乗ってみることにした(6元)。鉄道橋のしたをくぐるとアメリカ軍に爆破されたという道路橋が見えてきた。ここは北朝鮮側半分が破壊されてなくなっているのだが、その終点の部分が展望台になっていて10元払えば誰でも行き止まりまで渡れるらしい。
 

 
北朝鮮まであと数十メートル。
人民の姿もちらほら見える。
 

川沿いの露店で目的の金日成バッジを発見した。おお!これが本物か!と思わずうなってしまうが、露店のおじさんは少し日本語が出来るらしくて、これは課長さん以上ネ、これは労働党幹部用ネ、これは、、、といろいろ説明してくれる。一番上の人民軍の幹部用の背景の旗が二重になってる物が、300元らしい、日本円で4000円以上になるらしいが、これはほとんど手に入らなくて日本で売ったら1万円は確実に値段がつく代物らしい。これはあまりにも高いので、工場の労働幹部(課長級)のものと上級農民のものと旧幹部のもの3つセットで購入した。
 

  
これが噂の金日成バッジ。
他にも階級に応じていろいろある。

 
その後市場の集中している地区にやってきたが、韓国にも負けず劣らず活気がある。なぜか中国の全体地図を探して本屋を回ってみたが、没有だった。祝・初没有!全然めでたくないのだが、とにかく中国へ来て初めての没有だった。地図探しをあきらめて部屋でデジカメ写真をパソコンにうつしていたりしたが、いつの間にか風呂の時間がおわってしまっていた。6:00〜1:30と紙に書いてくれたので長いから楽勝だとおもっていたら、なんと7:30までだった。ポットのお湯で体を拭いて我慢するしか無さそうだ。

とりあえず明日の予定が立たないのだが、バスは何処へいくにも朝早い出発なので無理そうだ。鉄道なら真夜中に乗り換えてハルピンにいけそうなのだが、切符があるかは未定だ。ともかく明日起きてから決めるかな。また行き当たりばったりの予感。
 



10月10日 突然の大移動 (丹東〜北京

朝起きたらやはり空は真っ白だった。日本をでてからもう2週間も青い空をみていない。中国でも韓国でも空は決して曇っているわけではないのだけれど、もやがかかっていて真っ白だ。ここ丹東で第一の目的「金日成バッジを入手するとう任務を無事果たして一息したのと、ここは北朝鮮国境以外あまり見るものが無いというので、朝から移動できないか考えてみた。テレビでは北朝鮮からの放送が金正日の農村、工場訪問で熱烈歓迎を受けている様子を繰り返し放送してきた。一つはハルピンへ行くという案、もう一つは北京へ行くと言う案。今ある情報は昨日買った地図に載っている列車の時刻と丹東周辺の地図だけで、ここが北京やハルピンからどれだけ離れているかさえ知らない。考えがまとまらないままとりあえず駅まで行ってみる事にした。

中国の公衆道徳は最悪だ。朝から車はガンガンクラクションをならす。群衆でどうにもならないのに腹立ちまぎれにならす。人々は知らん顔でタンを吐く。それが中国の文化なのだから外国人の自分がとやかく言う事ではないのはよく分かっている。旅社の従業員もお釣りを投げて渡す。笑わない。いつも客に対しては怒っている。客にアゴで指図する。ともかくここはいろいろ興味深いものを見れたが、あまり居心地のいい場じゃないのはたしかだ。

とっさに北京までの切符を買うことにした。しかも夜にでる速いのではなく、すぐに出発する24時間かかる快速のものだ。切符売り場のおばさんは相変わらず怒っているように見える。ただ「硬臥は無いが軟臥ならある」と紙に書いてくれたのが救いだろうか。ともかく普通の倍払って一番いい寝台のチケットを手に入れた。

このチケットは優等車両なので特別待合室というのがあるのだが、そこに入るのにチケットを見せたら、やっぱり怒った顔でひったくって確認したあと、アゴで「行け」といわれた。その後同僚達と本当に楽しそうに笑顔で会話しているのとは全く正反対だ。中国では職務に付くときは笑顔を見せては行けないと教育しているのだろうか?きっとそうに違いない(笑)

そして1時間後にはがたごととのんびり走る列車にゆられていた。中国の東北地方は貧しい農村地帯だというがなんだか寂れた感じでぼーっとながめていた。季節はすでに秋という感じで列車の隙間から入ってくる風は陽の傾きと同時にどんどん冷たくなってきた。



10月11日 バックパッカーズオアシス(北京)

もうどれくらい列車にゆられただろうか?この列車は割とローカルな列車なので、軟臥といっても古い車両で4人1室の2段ベッドになっている。同室は50才ぐらいの熟年サラリーマンと、25才ぐらいの青年サラリーマンだ。さすがに上級客室だけあって、二人ともスーツでばっちり決めている。おじさんも青年もとても親切で昨日から筆談したりいろいろ果物をもらったりして仲良くしてもらっている。経済的な余裕からなのか他の中国人と明らかに違うような気がする。あるいは彼らも就業時間は人が変わってしまうのだろうか?

おじさんの方には最後までよくしてもらって、駅前で地図を買ったりタクシーを見つけるのも手伝ってくれた。このタクシー探しがなかなか大変で、「京華飯店」という所へ行きたいのだが、どのドライバーも行こうとしない。さすが世界一態度の悪いと言われている北京のタクシードライバーだ。理由はいろいろ考えられるが、たぶん京華飯店に連れていってもリベートが貰えない。それとも乗ったタクシーはどっかのホテルの所属になっていたので、ホテル組合か何かで「京華へ行くな」と言われているのかもしれない。ともかく1台のタクシーが行ってくれる事になったのだが、これも態度最悪のおばちゃん。丹東のタクシーはあんなに親切だったのに。少し遠回りされたような気もしないでもないが、とりあえずなんとかホテルにたどり着けけた。

ここは北京にはほとんど無い外国人が泊まれるドミトリーのあるホテルで、中には白人のバックパッカーが山ほどいた。不思議と日本人は少ない。大学が休みじゃないからだろうか?

早速チェックインしていろいろまわってみた。シャワーもトイレも扉は無いが割と清潔で満足できるものだった。ただバーがあるので、夜に欧米人がバカ騒ぎするのが少し難点だが。

荷物を下ろしてさっそくバスに乗って天安門広場へ行ってみた。バスはいつ壊れてもおかしくないようなボロボロのバスで信号で泊まる度にエンストしていた。最初は公害を防止するためエンジンを切っているのかと思ったが、よく考えたら中国人がそんな事をするはずが無い。事実急ブレーキで他の車を避けるたびにエンストしていた。

天安門はなんだか公安が10mおきに立っていて近くの白人に尋ねてねみたら、なんだか良く知らないがどっかの大統領が来ているらしい。5時前に20発ぐらい祝砲がなって、その後そのどっかの大統領は去っていって天安門に平和が戻った。やっぱりこの広場に立って毛沢東の肖像画と「中華人民共和国万歳」のスローガンを見ると「中国に来たぞ」と言う感じがする。端にはマカオ返還までのカウントダウンを刻む電光掲示板が設置されていた。

マカオも行ってみるべきかな?
 

 
天安門広場



10月12日 万里の長城上級編(北京)

昨日仕入れた情報でなんだかこのホテルから万里の長城行きのバスツアーが出ているらしい。朝起きたら7時半で、バスは8時出発なので何とか間に合う。急いで支度をして参加する事にした。バス代60元、入城料20元。ちなみにツアーといってもバスだけで何のガイドも無い。2時間ぐらい走って一軒のど田舎の茶店に止まってトイレ休憩をした。たぶん茶店から何らかのお金を受け取っているのだろう。ここで一応付いていた英語を話す添乗員が「ここが最後のお店で長城には何もない」といってたので焼きめしを食べる事にした。10元とかなり高かったが観光地価格なので仕方ないかとおもったのだが、長城の麓についてみたら20軒ほどの食堂や売店が軒を連ねていた。やられた。騙されたのだ。よく考えてみたら、「ここが最後のお店か?」と聞いて「いいえ」というはずは無い。なにせここは中国なのだから。

万里の長城だが、ここは一般的に行ける場所でもっとも険しい部分らしく切り立った山にそって長城が築かれている。いくらチンギスハーンでもこんな所をわざわざ攻めて来ないと思うのだが。そして最初は長城までバスで行けるただの観光ツアーだと思っていたら、実は3時間かかるトレッキングもどきのツアーだった。まあ白人向けだとこうなるのだろう。みんなぞろぞろ連なって山を登って長城の一番低いところまでたどり着いてそっから長城にしたがって登っていく。はっきりいって一番最初の砦に着いたときにもう息が切れ切れで先が思いやられたが、なんとか1時間半かけて上までのぼった。空は白く遠くも霞がかかっているが切り立った山を上下に走る長城はなかなかの絶景だ。

しばらくして、一人の写真家のおじさんが登ってきたが、なんでもツアーバスだと時間が無いので、下に宿をとって遙か向こうの方までいって写真を撮るらしい。プロに頼むのは申し訳なかったが、自分のデジカメを渡して長城をバックに1枚撮ってもらった。おじさんは写真を取り終わるとさっさと次のポイントへと向けて長城を歩いていった。

下りはさすがに膝にきて、下まで降りると膝がガクガクと笑っていた。一応トレッキングブーツを履いてきたのだが、ここの長城がほとんど瓦礫だったので良かった。パックツアーに組み込まれている方は長城のそばまでバスで行けるらしいのでそっちの方も機会があったら行ってみたいと思う。
 

 
司馬台の万里の長城
反対側も遙か彼方までつづく。



10月13日 北京ウォーカー (北京)

いやあ歩いた歩いた。昨日も教えられた17番バスに乗ったらついにホテルを見つけられないまま終点にたどり着いてしまった。終点は寂れた住宅街で大小の屋台や食堂が立ち並ぶ雑然としたところだった。偶然迷い込んでしまったのだが、なかなか中国の生活を感じるのには良い機会だったかもしれない。

今日も教えられた14番のバスに乗ったら西安門まで行ってしまった。どちらも途中で降りて少し歩かなければ目的地には着けないみたいだ。とにかく今日は西安門から故宮博物館を横切り、建国門からずーっと上まで歩き回った。かるく10キロ以上は歩いた事だろう。

目的は何らかの情報の載った本を探すことだったのだが、結局Lonely Planetの旧版を見つけただけだった。この本はここ中国では欧米人にとっては「無くては一日も生きていけない本」なのらしい。同室のスウェーデン人も「自分が部屋にいるときは自由に読んで良いけど貸せないよ。これがないと何処にも行けないからね」と笑っていた。

他の欧米人にとって、ガイドブック無しで旅行をすることはかなり無謀に映るらしい。みんながみんな、中古の本を手に入れるべきだとアドバイスしてくれる。確かにガイドブックは欲しい。有れば何かと不安な中国で精神的な支えになるだろうし、もし安いのが見つかったら購入するかもしれない。でもLP無じゃ生きていけないというのはなんだかなあという感じだ。今は次何処へ行くか迷っているので、LPよりも地球の歩き方の方が10倍役に立つだろう。地図とかホテルなんて着いてしまえば何処ででも手に入るだろうし。

ともかく日没までに足が棒になってしまって、昨日偶然入ったた割と感じのいい食堂へ行ってみた。ここはなぜか主人が英語を少し話すし、ウェイトレスも笑顔を見せる。「ありがとう」っていったら「どういたしまして」が帰ってくる気持ちのいい店だ。しかも値段もマーボー豆腐4元と美味しくて値段も安い。

おなかいっぱいで満足したあとまた満員のバスにゆられてホテルまで。ここ2日間で割と土地勘が着いてきたので北京巡りもけっこうリラックスできて楽しい。でもそろそろ次の目的地を決めないと、と思う。

次は何処へ行くのやら。



10月14日 本屋を探せ!(北京)

今日はちょっと寝不足気味、昨日のよる同室のマイケルがバーに行こう行こう行こう!というので一緒に飲んでいた。マイケルはフレンドリーなスウェーデン人。とにかく人なつっこいのか人が日記を書いていても話すのを辞めないおしゃべりさんだ。時々うるさいと思うのだがなぜか憎めない。でもイスラエル人相手にパレスチナ問題の話しをふっかけるのは辞めた方がいいと思うのだが(笑)

そんなマイケルに連れて行かれた先はなぜかスウェーデン、デンマーク等のスカンジナビア人が6人ぐらいいるテーブル。一方ではアメリカ人とデンマーク人がマリファナとタバコはどっちが有害か熱く語っていたり、反対側ではチベットの情報交換、隣は雑談と国籍もさながら話題もバラエティに富んでいた。そんなこんなで寝たのが2時過ぎ。今日も絶対連れて行かれるんだろうな。まビール3元(40円)だからいいんだけど。

そんな寝不足を引きずりながら向かった先は、そごう北京店。さすがデパートは教育が徹底してるのか、接客マナーも良い。デパートの外では整列させられた新人達がずっとそのまま動かずに立っている。「きちんとする事」の練習なのだろう。デパートの中はやはり日本製品が多く値段もかなり高い。本屋はあったが、日本語の本は置いて無かったようだ。

次に向かったのが、日本図書センターという日本語の本屋だ。ここは値段も高いのだがジャンプ、マガジンから専門書までいろいろと揃っている。久しぶりに日本語の本を立ち読みしてしまった。

なんだかんだしているうちに、日も傾いてきたのでこの前カメラを忘れてきて撮れなかった天安門広場の写真を撮って帰宅。なんだかないようの無い一日だが、たぶん今からまたバーでの熱いトークが待っているのだろう(笑)

とにかく今日中に行き先を決めて、明日北京西駅に切符購入戦争に行って来るつもり。



10月15日 夢の後(北京)

今日は朝から気合いを入れて並ぶつもりが、起きたら10時過ぎ。遅めの朝食を取って気合いをいれて、いざ駅へ。北京にはたくさんの駅があるのだが、だいたいは北京西駅と北京駅から出ているらしい。ちなみに現在は中国もやっと発券が全部コンピュータ化され、どの駅でも全中国の切符がかえる。そんなわけで東洋で一番大きいという噂の北京西駅へ向かう事にした。

北京西へ行くバス停を探し出して飛び乗ったのは良かったけど、このバスが大ハズレ。北京のバスにはもちろんタイムテーブル何て物はなくて、適当に行ったり来たりしてるだけ。だからたまに間隔が空くとものすごい混雑になる。どうやらそれに当たってしまったようで、もう途中から手も足も動かせない状態。しかも道は大渋滞でクラクションと怒号が飛び交う中じっと我慢で何とか駅までたどり着いた。

駅は凄かった。おもわず「うそやん?」と思うほどでかかったが、こんなにでかい必用があるんだろうか?さすが中国人凄いのか何も考えてないのか。とものかく駅は新しくてエスカレーターがあって、電光掲示板も未だ壊れずにちゃんと動いている。これは日本中にあるどの駅よりも凄いんじゃ無いかと思う。

巨大な切符売り場へたどり着いて、早速、明日の「呼和浩特」までの2等寝台1枚とノートに書いて見せたら、「没有」(メイヨーと読む。中国語で、無い、知るかボケ、とっとと帰れ の意味)。でも電光掲示板には「有」となっていたのでおかしいなと思いつつ、今度は2階の外国人用窓口へ。ここは外国人用とは言うモノの全部表示は中国語、おまけに会話も中国語、一応数字ぐらいは英語で言えるみたいだ。これでも中国では凄いことなのかもしれない。自分の番で「没有」と言われるのを覚悟してノートを見せたら、あっさりと買えてしまった。

考える理由は、1階の切符売り場の係員が今日の切符だと思いこんでた説。もう一つは外国人枠がある説。電光掲示板にもあったしたぶん前者だろう。もともと内モンゴル行きなんてそんなに混むもんじゃなさそうだし。

これでやっと明日北京から脱出出来ると思うと、なんだかまたわくわく感が戻ってきた。

今日の用事は果たしたのでその足で故宮へ。ここは映画ラストエンペラーを見たことがある人ならピンと来るだろう。あの最終皇帝溥儀←漢字自身無し。 が即位したときに何千人という人がひれ伏していた大広場がある所だ。実際に皇帝の玉座の近くから広場を見下ろすと映画で見たのと同じ風景だ。観光客が多くてなかなか落ち着けはしないが、さすがに故宮は巨大でゆっくりと回っていたらちょうど閉館時間になってしまった。

北京も5日目となるが、もうそろそろ良いかなと思う。実際街歩きと長城ぐらいしか行ってなくて、同室の欧米人達には、「ラマ寺がいい、オペラも見に行くと良い、北京ダックは美味しかった」等といろいろ薦められるのだが、自分的には人々や街の雰囲気を感じられたからもういかなという感じだ。欧米人はガイドブックをなぞってひたすら観光名所を片づけて行くのだがどうもそう言うのは自分の旅のスタイルと少しずれているような気がする。どちらかというと自分はその国の人や暮らしを感じる為に旅をしたいと思っている。

昨晩も、同室のマイケルは「サウナの床で中国人が小便をした」激しく怒っていた。ありったけの悪口を同じ宿の欧米人に言い回って、料金の払い戻しを要求したらしい。しかし良く考えてみればここは中国なのだし、欧米の価値観を振り回しても何の解決にもならないんじゃ無いかと思う。もちろん自分が同じ立場なら強烈にイヤだがまあそれも仕方ないかなと流す事もこの先必用になってくるだろう。これから行く国には自分とは全く違う考えを持った人が違うスタイルで毎日暮らしているのだから。

ともあれ、明後日の朝には呼和浩特だ。晩秋の草原を見る事ができるといいのだが。
 



10月16日 さらば北京(北京〜呼連浩特

今日はいよいよ北京を離れる日。同室のマイケル、オーナとアドレス交換をして12時ちょっと前にチェックアウト。たった5日間ほど過ごしただけだが、うちの部屋はけっこう仲が良く、遅くまでホテルのバーで飲むこともあった。またスウェーデンやイスラエルに来ることがあったら是非寄ってくれとの事だが、またそのうちアジアのどこかできっと再開出来るだろう。

マイケルは買い物が有るとかで、一緒にバス停まで見送りに来てくれた。おしゃべりでちょっとうるさいがいい奴だ。実際荷物をフロントに預けてあるので、一度ホテルに戻るのだが、たぶんこれで最後だろうと。そして今日の行き先は、建国門から上のあたりに広がるロシアンマーケット、いやロシア人向けマーケットだ。昨日ロビーで会った日本人の話によると、この辺りはスポーツブランドのニセモノを売る店で溢れ返っているらしい。

到着して見ると、一見本物同様の、ナイキ、アディダス、North Faceなどが小さな露店所狭しと並べてある。知らないと本物と間違って買ってしまいそうだが、値段が絶対にニセモノな事を語っていた(180元〜)。品物はジャケットの他に手袋、靴ありとあらゆるモノがあって、丁寧に全部ニセのブランドのタグが着いている、Northのやつはドイツ語併記もしてあるという懲りようだ。さらにニセGoaTexの札もちゃんと着いているのには笑ってしまった。裏をめくればGoaじゃ無いことは一撃でわかるのに。あとフリースは袖の部分の絞りが本物通りには作れないみたいで、適当に絞って縫ってあるだけだ。ナイキもFILAもNorthも全く縫い目が同じなので、2度笑ってしまった。

そんなこんなで、結局何も買わずにホテルに戻ってきた。ロビーには日本人4人ほどがたむろっていた。みんな旅の達人なので話をしてるととても面白い。今京華飯店では自転車を買うのが密かなブームらしい。その中の一人がある日西単の自転車屋で前後サスペンション付きのマウンテンバイクを$300程で見つけて思わず衝動買いしたのが始まりで、あれよあれよと自転車が増えていった。パーツも良いモノを使っていて日本で買うと10万は絶対するような品物らしい。そんなこんなで彼らとも挨拶をして一路駅へ。

夜の北京駅は、旅立つ人々で溢れていた。日本と違うのはこれら全員これから何十時間もの旅へ出る人だという事だ。20時30分内モンゴルへ向けて列車はゆっくり動き出した。
 


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