このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
朝目が目が覚めると列車は朝もやのかかった平原を走っていた。水たまりが凍っているのを見て一瞬動揺したが列車はそのまま定刻どおり呼連浩特のホームへと滑り込んだ。列車を降りると刺すような冷たさだ。駅前は相変わらず客引きが多くしかもこんな辺境の街まで開発の手が伸びて、なんだか中国っぽい未来空想画みないな不似合いな建物が立っていた。この寒さじゃ草原ツアーも無いだろうなと移動する列車を探していた時、一人のモンゴル族の男が声をかけてきた。
彼はハスさんといって、モンゴルの草原ツアーのガイドをしているらしい。今日はアメリカ人の団体6人と一緒にツアーに行くのでどうですか?という誘いだった。一人だと疑わしいが客が大勢なら大丈夫だろう。料金も相場よりは少し安めの430元+乗馬代50元/1時間だったし、ここまで来て草原に行かないのもあれなので、思い切って参加する事にした。
車はトヨタの1ボックスで、アメリカ人やイタリア人など総勢6名+自分だった。(結局ハスさんのツアーは自分一人で、欧米人の車に便乗してるだけだと言うことがあとでわかった。)街を出てしばらくすると草原が広がってくる。起伏があって見渡す限りの草原とは行かないが景色を楽しむ事ができた。そして街を出てから2時間あまりで、草原の中にあるパオ(モンゴル式住居)に到着。さっそくモンゴル料理や歓迎の歌を楽しんだあと草原を散歩したりしてると、ハスさんが「馬に乗りましょう」との事なので乗ってみることにした。がしかし、この辺からなんだか言ってる事がいい加減になりだしてきた。「乗馬には貴方の安全の為にガイド(遊牧民)の馬が付くから、貴方はその分も払わなければならない。そしてトレッキングコースは往復で3時間以上かかる」と。確かに乗馬の相場は50元/1時間なのであながちおかしな数字ではないが、ガイドの分などふくめてると3時間以上だと300元以上になってしまう。タダでさえツアーで大金を払ってるのにとてもじゃないが大変な額だ。
しかしここまできて馬に乗らないと一体何をしに来たのかわからないので交渉してみる事にした。ハスさんは遊牧民に払うお金なので私はわからないとか言い出したので、それなら乗らないと言うと2人分で1時間80元でいい事になった。ただ時間が何時間かかるかわからないというのも物騒なので、最大3時間まででそれ以上はどれだけ乗っても3時間分という事で折れる事にした。
遊牧民と自分の乗った馬はポクポクと草原を歩き出した。果てしなく広がる青い草原とは行かないが、見渡す限りの晩秋の草原もそれはそれでなかなか良かった。この乗馬と言うのは慣れてないとおしりが痛くなるモノで特にモンゴル族は木の鞍を使っているのでなおさらだ。なんとか足で踏ん張ったりして痛くない姿勢を見つけて耐えていたら1時間半ほどで草原の中の小さな湖に到着した。湖の回りにはたくさんの鳥たちと、羊の群がたたずんでいる。湖畔の遊牧民の家でミルク茶をごちそうになってから帰る事になったが、帰りはだいぶ馬にも慣れてきたので、遊牧民が好きに操って見ろと補助の綱をはずす。いきなり暴れ出さないだろうなと少し心配だったが、こいつはけっこうおとなしい馬らしく操作も簡単だ。ちょっと手綱で叩くと小走りになる。この小走りの言うのがおしりに一番響くので余り長くはつらい。バシバシっと叩くといよいよ駆け足になる。走る馬というのは結構なスピードで、草原の風を切って走るのはなかなか爽快だ。そんな感じで草原の乗馬を満喫して帰ってきたらもう既に陽は傾いていた。
帰ってきたらハスさんの姿が見あたらない。まあ別にいいんだが、今晩はモンゴル相撲を見に行くとかいってたのにどうなってるんだろうと思っていたら、もう一人日本人らしき人が乗馬から帰ってきた。別のCITS(中国国際旅行社)のツアーで来たらしいが、値段は同じ様な物だった。お互い自己紹介したりこれまでの旅の話しで盛り上がった。しばらく立つとハスさんが帰ってきて、ここでまたわからない事を言い出す。「1時15分に出発して、4時50分に帰ってきたから、あなた4時間半分はらうね」だと。ここで一気に切れそうになったが、まず時間の計算が出来ていない。何で1時15分から4時50分で4時間半になるんだ?おまけに3時間の料金にする約束だったはずだ。まぁこれは約束を覚えていたらしくその場は丸く収まった。悪意は無いがかなりいい加減な人のようだ。おまけにモンゴル相撲は今日は頭が痛いから明日行くとの事だ。雲行きが怪しくなってくる。
このようにいい加減なガイドに悩ませる事になるが、草原での乗馬はすばらしくモンゴル料理も満喫した。おまけに草原で見る星空は一面星で真っ白で手を伸ばせば届きそうだった。値段はかなり高かったがまあまあ良いかなと納得する事にした。
パオの外は既に氷点下を大きく下回って石炭ストーブが音をたてて燃えていた。ガイドはもう既に熟睡しているので、ありったけの石炭を詰め込んで火の番をしながら自分も眠る事にした。
朝起きたらまだ辺りはあちこち凍っていた。パオの暖房のおかげで体が温まっているのだが、顔を洗った瞬間手がしびれて動かなくなり、まだ気温が氷点近い事を知らされた。しばらくするとハスさんが起きてきたが、なんと今日はこれから呼連浩特に帰るという。モンゴル相撲とモンゴル競馬に行く約束だったはずなのに「今はシーズンオフだから見れない」のだと。何度も自分で言ってたのに。ここでまたまた切れそうになった。「約束と全然話が違うのでその分のお金を返せ」と要求すると逆に「あたなお金お金 そればっかり」などと言う始末。最初からそう言う約束ならその料金でかまわないが、約束と違うならその分返すように、そうでなければここで有ったことを旅人ノートなんかに書くよというと、「わかった。牧民を呼んでモンゴル相撲やらせましょう。そのかわり2時過ぎにならないと来ないね」なんだかアホらしくなってきた。どうせ相撲といっても、その辺の素人のおやじが2人ほど来るだけだろう。どうせ最初からそんな物には興味が無かったし、もうとっととハスさんと別れたくて、結局こっちが折れる事にした。事実CITSの方も最初から草原に行くだけだと言われていたらしいし。
帰る事になっておや?と思ったのだが車が無い。ハスさんに何時に迎えに来るんだ?と聞くと、「私の友達いっぱいあの向こうの道を通るから一緒に乗ります」だと、、、それってヒッチハイクやん?もう半ば呆れてどうでもよくなってきた。おまけに車は全然通らず、通っても満員で乗れない。しばらくして、モンゴル族のおじいさんの運転する小型のオート三輪が走ってきた。ハスさんが止めて交渉するとなんだかタダで近くの村まで乗せていってくれるらしい、ハスさんは当然の様に助手席へ、自分はあれよあれよという間に荷台へ乗るハメになった。
最初は荷台で怒り狂っていたが、ぱたぱた走るオート三輪の荷台で風に吹かれながら草原を見ているとなんだか怒ってるのもばかばかしくなってきた。冷たい風が逆に2日も洗っていない髪には心地よい。自分は今他のどの旅行者よりも草原を直に感じているのかもしれない。荷台に寝っころがって見る空は雲一つ無く何処までも広かった。
呼連浩特に着くと、ハスさんがワリカンでしゃぶしゃぶ食べましょうと薦めてきたが、また料金でもめるのもイヤだし、もうこれ以上関わり合いになるのも面倒なので、おなかが空いてないと言って別れる事にした。呼連浩特は完全な観光地で、牧民達ももう味を占めてしまってきっと牧畜なんかでは暮らしていないのだろう。草原は満喫出来たがもうあまりここにはいたく無かったので、バスターミナルで適当に太原行きの切符を買った。バスは寝台バスと言われているバスで狭いが一応ベッドになっていて1ベッドに2人が寝る格好だったが幸いとなりは誰もいなくて快適だった。
夜中に小さな村に止まって食事を取ったが、それが何処の村かは知る由もない。何となく漢字から「白菜の辛い炒め物」みたいなのを頼んだら、なんとキャベツの唐辛子炒めだった。でも健康にはいいかな?
バスはガタガタ揺れながら暗闇を走り続けた。
朝目が覚めると薄汚れたバスターミナルのような所に止まっていた。まだ到着時間じゃなかったので休憩かなと思い再び寝ていたら6時半頃になって起こされた。どうやら早く着いたが寝たい人は時間までどうぞという事みたいだ。
太原の街は排気ガスでかすんでいて、とてもじゃないが見るような物も無さそうだし、なによりもそんなところに長く居たくはない。さっそく駅に行って時刻を調べてみると8時半に鄭州行きがあるらしい。なにぶん到着時間が夜なのでホテルを探すのが面倒だなと思いつつも、太原にいるよりましだろうと言う事でその場で切符を購入した。中国初めての硬座だ。
硬座というのは中国の列車で最低のクラスで、当然乗車マナーも最低だ。床にゴミを捨てる。床にタンを吐く。タバコを吸いまくる。車内が行商の荷物で溢れ返る。そんなことは日常茶飯事らしい。
出発の30分程前になって改札が始まって大急ぎで自分の車両へ行ったら既に網棚の上は荷物で満載されていた。一番最初についたのにそんなことはあり得ないはずだが、ここは中国。駅員にコネがあるとか賄賂を払ったとかそんな所だろう。しばらくしてその大荷物の主ら4名が現れて、荷物を見張るからおまえ達は向こうの車両へ行けと言う。いかにも一癖ありそうな奴らなので大人しく言うことを聞いた方が賢明だろう。人間として向き合うだけ時間の無駄だ。
列車は出発してすぐに切り立った中国っぽい山の中を進む。それからも地形はバラエティに富んでいてなかなか飽きない。車内は相変わらず「ぐごぉーーーっ ぺっ」というタンを吐く音と、タバコの煙で充満して最悪だが、向かいのおじさんがニコニコしていたのだけが救いだった。
そんなこんなで12時間の座席の旅を終えて駅に着いてみてびっくり。なんと改札口が人で溢れている。なんだか荷物をいっぱい持った大勢の人たちと駅員がもめているらしい。たぶんただ乗りか、荷物代を払えとかそんなとこだろう。さすが中国というか服務員はどれだけ他の客の迷惑になっていても全く気にしない。改札口への通路はもはや初詣の境内並になっている。乗客の利益と服務員の意地がぶつかりあう。そして何と服務員は駅から外へ出る鉄格子のシャッターを閉めようとするのだ。辺りは怒号が渦巻き、自分はひたすら呆れるだけ。結局人をかき分けて20分ほどで外に出ることが出来た。
もうふらふらで、駅前の一番近くのホテルに転がり込んだ。1泊100元は高いが、風呂付きの部屋で思いっきり体を洗いたかったので泊まる事にした。お湯はゆぬま湯程度だったが3日ぶりの風呂は本当に気持ちよかった。今後の予定を決めないといけないのだが、やはりもう中国はほどほどにしたいという気持ちが大きくなってきた。あとは洛陽、アモイ辺りを見てとっとと香港に抜けようと思う。
情報収集は明日行う事にする。今日はとにかく疲れた。
昨日は久しぶりに体も洗ったしすっきりさっぱりで、朝から頭フル回転でこれからの予定を考える。ここ鄭州には黄河遊覧区というのがあって、文明発祥の地といわれる黄河を間近からと山の上から見られるそうなので是非行ってみたい。30キロほど離れているだけなので朝に出れば今日中に洛陽へ向かえるだろう。とっとと身支度をして服務員に荷物を渡して札を受け取る。これがあとでえらいことになるのだが。
まず昨日得た情報から黄河地区へは16番バスで行けるらしいのだが、何処へ行っても16番バス停が無い。歩き疲れた頃に16と書いた個人経営バスを見つけて取ったに手を上げて飛び乗った。値段は4元。なかなか安くてお得なのだが、このバスなにせ個人経営なので一人でも多くの客を詰め込もうと、街の中は20キロぐらいしかスピードを出さずあちこちで止まって客を集めていくので全然前に進まない。ようやく郊外にさしかかるとバスは60キロぐらいで田舎道をすっとばす。相変わらず意味もなく腹立ち紛れにクラクションを鳴らし続ける。個人的な意見として、中国へ輸出する車は全部クラクションを外すべきだ(笑)中国の全クラクションの内、100%(と言い切ってしまう)はならさなくてもブレーキで回避で切るケースで、そして80%は鳴らしても何の意味も無いケース(渋滞や車の性能で鳴らされた方も何も出来ない)だろう。まあそんなこんなで1時間ちょっとで黄河遊覧区に到着した。
入場料20元を払って入るとさっそく客引きが集まってくる。中国の客引きは「オイッ! オイッ!」と声をかけてくる。無視してると着いてきてオイオイ叫ぶので、「おいっ こらっ」と言われているみたいでだんだんむかついてくる。事実そんなニュアンスだった。三輪タクシー、物売り、乗馬を振り切りやっとの事で堤防にたどり着いた2キロ以上は歩いたかもしれない。堤防から黄河まではまだ少し距離があって荒れ地を歩いていく。トレッキングブーツを履いてきて正解だ。川にたどり着くと茶色い水がなみなみと流れている。流れはものすごく速く大河とは思えない速さだ。たぶん向岸まで泳げと言われたら10キロ以上は下流に流されるだろう。黄河の水を手ですくってみたら、それはタダの泥水だった(笑)
実際に川は間近で見たので今度は上からの見物だ。この黄河遊覧区はなかなか広くて地図が無いとけっこうきつく入り口で地図を買わなかったことを少し後悔しながら歩いていると、一人のおじいさんがやっているお店の前に地図が張ってあった。1枚1.5元(20円ぐらい)なので買うとおじいさんはニコニコしながら地図を見て中国語でいろいろ説明してくれる。こっちもリフト乗り場が知りたかったので日本語で尋ねると、おじいさんは中国語で乗り場への行き方を教えてくれた。なぜか不思議なもので会話が成り立っている。おじいさんとのやりとりが少し心を和ませてくれた。
リフト乗り場へ着くと、古びたリフトが山頂へと伸びている。ほんまに大丈夫か?と少し心配だった。リフトが中国製のうえにしかも防護ネットも全く無い。高所恐怖症の自分としてはなかなかスリルのある20分間だった。頂上に着くと上から見下ろす黄河は絶景だった。水が流れている部分はごく一部で向こう岸まで黄色い土で出来た巨大な河原がある。もやがかかっていて向こう岸がよく見えない程だ。なかなか満足でながめているとまたまた客引きが寄ってくる。今度はポラロイド写真屋だ。この黄河遊覧区のチケットには、後から作ったどうでも良いような像や、バカっぽい万里の長城のミニチュアとかの入場券がセットになっていて、「次はここへ行って写真を取ろう」というわけだ。中国の有名観光地には多かれ少なかれこういう雰囲気をぶちこわす「後から作ったつまらない物」がある。でも中国人にはけっこうウケてるからそれはそれでいいのかもしれないが、仮にカンボジアのアンコールワットのとなりにバガンとボロブドゥールのミニチュアを作って「世界三大仏教遺跡旅遊」などと言われたものなら誰もがうんざりだろう。ともかくもう客引きがうっとおしくなってきて、リフトで降りる事にした。客引きは最後まで着いてきてチケットがもったいないとか言っているが、そんな名所はたくさんなのだ。
両替が終わると陽もどっぷりとくれてしまったので、ここ鄭州でもう1泊する事にした。昨日止まった中原大廈はあまりに古びていたので鄭州飯店で値段を聞くと安い部屋は無いが良い部屋を80元に割り引くという、迷いながら荷物を預けているので中原大廈に戻ると60元の部屋があるというので、結局ここにもう1泊する事にした。昨日泊まった8階の荷物預かり所から札と交換で荷物を受け取って去ろうとすると、なんだか服務員がわめいている。中年の女の服務員でいかにも頭が硬直してそうだ。なんでも、荷物を預けたときの登記が無いから荷物を返せないというバカな事を言っている。もちろん預ける時には何も記入を要求されなかったのでそんなのはこっちの知った事じゃない。しかし相変わらず中国語でぎゃーぎゃーわめいているので、こっちもだんだんむかついてきて「知るか、ボケ!あーあー、没有没有(メイヨーメイヨー)」と反撃するが、中国の服務員はしつこい。自分の言うことを聞かせるのに命をかけているという感じだ。このおばはんの頭の中は未だに文化大革命なのだろう。らちがあかないので筆談で朝はサインを要求されなかった事、そしてどう見ても今自分の持っている小型のナップザックとリュックはセットで二つをくっつける事ができるようになっている事を説明しても相変わらずの脳味噌硬直ババアで、困り果てていると他の服務員が3〜4人集まってきた。中にリーダーっぽい人がいてその人に話をして10分ぐらいして何とか荷物を返して貰える事になった。全部で30分以上かかっただろうか?ちなみにこのババアは後から今日泊まる部屋にまで文句を言いに来た。ここまで来ると執念である。さすが漢族。前々から中国のイヤなところがいっぱい目についていたが、今日は格別だ。一気に中国に居るのがイヤになった。もし今九龍行きの切符が手に入るとしたら、間違いなく香港へ抜けていただろう。
ともかく、この前から少しカゼ気味だったのが一気に出て、この日は6時過ぎから布団にくるまって寝ていた。ちなみに今日の部屋は風呂無し。そして共同風呂も無しだった。なぜ鄭州飯店に行かなかったのかものすごく後悔してしまった。唯一の救いは6階の服務員がまだ親切だった事だろうか。もちろんフレンドリーでは無いが。
ここ鄭州は他の外国人旅行者も皆無、そしてもう何日も人とあまり会話をしていない。そして今日は何をやってもうまく行かない。明日の朝一番でこの街を脱出する事にした。
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