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のり日記
怒濤の中国大移動編(2)
 
 


10月21日 楽しかった日(鄭州〜登封)

朝起きたら頭痛は治っていた。かわりに2カ所ほど蚊に刺されていた。それだけ南へ下ってきたという事だろう。急いで荷造りしてとっとと出かける。こんなホテルとはもう早くおさらばしたい。バスターミナルへいくと登封行きのバスがある事を見つけた。登封といえば、あの少林寺のある所だ。目的地の洛陽へ行く途中だしこれは行ってみるべきだとおもって早速チケットを購入。たったの7元安すぎる!チケットをもって乗り場の改札に行くと、なにやら女の服務員と中年の男が話をしている。服務員が言うにはあと5元だすと快適な空調座席車に変更できるらしい。中国のバスにはけっこううんざりきてるのでその話に乗る事にしたが、中年の方の男が一緒に払い戻しに行ってくれても窓口は「没有」とあっさり一蹴されたらしい。で結局もとのバスに乗って出発。例によってあちこちで手を上げる人をひろっていくのでなかなかペースが上がらない。おまけに運転マナーは最悪だ。

12時ごろに登封に着いて目星をつけていたホテルに行くと何処も満室。なんだか旅行シーズンなのか何か催しでもあるのか。空いている部屋も170元とかいう。しかも歩いている間中ずっと三輪タクシーが後を着いてきて、うっとおしい事この上無い。仕方ないのでそのまま洛陽に向かおうかと思っていたとき、一軒のこぎれいなホテルを見つけて値段を聞いてみると、安い部屋は無いがツインの部屋を一人だから100元でいいというので早速泊まる事にした。受付も笑顔で愛想がいいし、警備員もわざわざ部屋まで着いてきてくれてとても親切だ。服務員も無口だが親切だ。今日は当たりかもしれない。

早速バスターミナルで少林寺行きのバスを探していると一人の男が声をかけてきた。バスの関係者らしいが、武術を習わないか?とかそういう関連だ。バスの値段を聞くと20元などとふざけた事を言ってるので、いらないと言うと、バス代なら5元だと言う。なんだか相場よりだいぶ高いしひょっとしたらまだぼられているのかもと思いながら時間が無いので乗ることにした。バスの車掌に10元渡すとお釣りをくれようとしない。お釣りを出せというジェスチャーをすると、さっきの男がなにか言って5元返してくれた。この時点で完全にぼられた事を確信した。途中で拾った人はみんな2元ほど渡していたようだった。

バスを降りてるとまたも客引きの嵐。オイオイ言われてむかつきながら歩いていると、さっきのバスの乗客4人組が声をかけてきた。「さっき5元とられたでしょ?本当は2元だから帰りは気をつけなよ」みたいな事を言っていた。4人とも明らかに他と違う身なりのきちんとしたおじさん4人組だ(あとでおじさんじゃないと知るのだが)ぼられるといけないからチケットを一緒に買ってあげるとの事で、この時点ではまだ完全に信用してなかったのだが、いろいろ話しをしていると本当にただの親切な人のようだ。窓口でもパンフレットと抱き合わせに売りつけられようとしてたのを「不要不要」と断ってくれた。

なんだかんだ話しているうちに、一緒に回ろうかという話しになった。一瞬一人の方が自分のペースで回れていいかとも思ったけど、これが大当たりだった。この4人は周さん、高さん、敦さんともう一人は良く名前が分からなかったが、よく見ると若くも見える。あとで分かった話だが、4人とも大学院生で25才前後らしい。その内の一人は日本で所属していた吹奏楽団のメンバーの「あぼちゃん」にそっくりでなんだか懐かしかった。

この4人はなかなか見所を心得ているらしく、例のつまらない後から作った所はすっとばして、見所だけを押さえていく。(なぜか少林寺科学館みたいなのがあった。)少林寺はなかなか見応えがあった、本殿(?)の両脇にある金色の十八羅漢像や、一番奥の堂の拳法の修行で陥没した石畳など見ていて飽きない。ただこれも中国的というか、ぜったいこういう文化財の内部に土産物屋がいっぱい入っているのは何とかしてほしい。万里の長城も砦の中で発電機を回しながらジュースやアイスを売る店があって、少しげんなりした事がある。
 

 
少林寺の十八羅漢像
(反対側にあと9体ある)
 
他にも仏塔が建ち並ぶ「塔林」や五百羅漢なんかを見物しながら筆談や簡単な英語でいろんな事を話した。さすがに大学院生だけあって、会話力は無いが英語力はけっこう有るみたいだ。ときたま英語で説明してくれる。ただ発音をあまり知らないのか、ときどきノートに英語で書いてくれるのは少し謎だった。そして一行が山の上の達磨堂へ行こうとしたときに事件が起こった。達磨堂への道は山林を通るため、タバコ火気の持ち込みが禁止されている。途中に預け所があるのだがたまたま誰もいないので通り過ぎたら、どこかに隠れていたと思われる係員が出てきた。一応身分証はぶらさげているが、見るからに悪人4人組だ。運悪く周さん達のなかの一人がタバコを持っていたらしく、罰金を払う払わないで押し問答になる。もちろん火気を持ち込んだのは悪いが、預け所の裏に隠れているというのも本来の目的を完全に逸脱している。しかも顔が悪人だ(笑)

結局罰金として20元払う事になって領収書を渡していたが、領収書の控えを見ると金額がばらばらで、このお金が彼らのポケットに入ることは間違いなさそうだ。みんなで慰めながら遙か山の上の達磨堂をめざす。それにしても彼らは元気でガンガン登っていく。こっちは息が切れてつらいのだが、何とか必死についていく。なんて元気なんだろうと思っていたらそのうちばてて休んでいた。単にペース配分を知らないだけなのか(笑)

1時間ぐらい登りつづけただろうか?やっとの事で達磨堂についた。ここは達磨が禅宗を開いた時に9年間誰にも会わず修行をした所らしい。達磨堂自体はあまり大した事は無かったが景色はすばらしい。頂上にはこれまた後から作った達磨の巨大な像が作られていた。

帰りは下りなので、膝がつらいが体力的にはすごく楽だ。自然と口数が増えて、通じないなりにいろんな事をしゃべってとても楽しかった。彼らは鄭州に住んでいて今から帰ると言うことで、バスの運転手と交渉してくれて、登封までちゃんと2元で帰る事ができた。別れ際に住所交換と固い握手をしてお互い手紙を書くことを約束した。今日は彼らと会えてひさしぶりに楽しい時間を過ごすことが出来た。この国は一人で自分を見つめながら旅をするには、うるさくて思いやりが無さ過ぎるような気がするが、彼らのように気持ちのいい人たちがいる事も確かだ。

ホテルにかえると警備のにいちゃんが笑顔で向かえてくれた。久しぶりに今日は気分良く眠れそうだ。



10月22日 切符が無い(登封〜洛陽)

昨日の夜は楽しかった一日や、レセプションの人の笑顔のせいかなんだかうきうきして、久しぶりに以前のメールを読み返したり、日本を出る前にMP3に変換してきた音楽を聞いたりして夜更かしした。松任谷由美とかJ.A.Mとかそんなんばっかりだけど最近満足に日本語はおろか英語さえしゃべって無いのでいっその事懐かしく感じる。結局1時ごろ寝たのに今朝は6時に目が覚めた。日本にいたときからは考えられない(笑)

今日は早めにチェックアウトして洛陽に着いて、次の桂林行き切符の入手と龍門の観光を一気にやってしまおうと思ったらこれが思わぬ落とし穴だった。

朝バスターミナルに着くと洛陽行きがまさしく発車しようとしていた。12元と言われて一瞬ぼられてるか?と思ったが、良くバスを見るとすごく古いが一応エアコン付きの外国製バスだったので乗ることにした。これが大正解で、車のサスペンションというのはこうも走行速度に影響するのかと改めて思い知った。20〜30年落ちと思われるバスだが、サスペンションのダンパーが効いていて、久しぶりに日本のバスのような乗り心地を感じた(もちろんそんなには良くない)。エンジンも快適でどんどん遅い車をぬかしてゆく。客は相変わらず床に食べカスを捨てたりタバコをすったりしているが、今日は気分がいいのでぜんぜん気にならない。

途中なかなかの景色を楽しみながら2時間弱で洛陽に到着。洛陽は、、、汚い。公害ももちろんだが、街自体の道が全く整備されていない。地方から街の中心まで行くのにさえ舗装はされているものの瓦礫のような狭い道を通って行かなくてはならないのには閉口した。中国の街はどこでもそうなのだが、家の前や家を片づけるという概念がないのだろうか?取り壊したブロックや、交換した便器なんかが家の前の道に投げ捨ててあって、たぶんもう何年もそのままなのだろう。家の前も土だらけで貧しいのではなく汚いのだ。掃除も自分の家の敷地からゴミを掃き出すだけなのでまた戻ってくる。住んでる当人がそれでいいならいいのだが。

バスを降りた瞬間またタクシー、地図売りに囲まれそうになる。「おい! あー?」とか言われながら完全無視で駅に行こうとすると、今度は物乞いだ。前にも一度あったのだが、中国の物乞いはやはりしつこい。子供が足に抱きついてくる。結局お金はあげなかったが、あげてもあげなくても物乞いに対してよりも自分に対して気分が悪くなる。そんな中国駅前の洗礼を受けながら駅にたどり着くと、服務員は端末も叩かずに「没有、没有」を連発するだけ。何処に行く列車ならあるというのだ?この街は人口の割に列車の本数が少なく慢性的に切符が不足しているらしい、こんな所で動けなくなってしまったのではたまったものではないので、旅行会社を探し出して相談する事にした。

困ったときの中国国際旅行社だ。さっそく地図を買って旅行社をめざすがこの地図のバス番号が大嘘。旅行社へ向かうはずのバスは、なぜか郊外にでて畑の中のど真ん中の病院に着いた。どこじゃここはー!?

結局元にもどりながら別のバスを探して何とか到着。中国国際旅行社なら英語をしゃべれる係員もいるだろうし安心だ。さっそく切符を探している旨相談すると、なんとか探してみると英語で返事が帰ってくる。たのもしい。ただやはり桂林行きの切符はかなり難しいらしく、鄭州〜桂林にしてはどうか?と言うことなのでそれで依頼する事にした。しばらくの電話のやりとりのあと取れるには取れたのだが、26日の切符なので4日後だ。4日もこんな所で待たないといけないのかとちょっとブルーになる。いっその事、硬座で24時間動物のようにゆられていく方が良かったのだろうか?ともかく切符を手配したので、27日には桂林に到着できる。最後に鄭州での切符の受け取りの話しになったが、やっぱりおばさんは英語はあまり上手くなくて難しい単語は通じなかったし説明出来なくなると日本語のガイドを呼んできて通訳させていた。

切符が手に入る事になってようやく夕食を食べた。洛陽と言うことで水餃子を食べたが昨日1斤たのんで莫大な数が出てきたので今日はちゃんと半斤だけ頼むことにした。あと久しぶりにビール1本(笑) 大瓶なので軽くほろ酔いでホテルに帰る。鉄道賓館という親方日の丸ならぬ五星的な所だが、不思議と服務員の態度はそこそこだった。実はここのチェックインの時に、外国人は安全の為別棟の3人部屋に泊まって欲しい。3人分で147元だというので、とんでもないと出ようとすると100でいいと言ってきた。自分は45元の部屋に泊まりたいんだというと、今度は80でいいからという。そうなれば完全に主導権はこっちのものだ。45じゃないと泊まらないよというと今度は60。そして出ていこうすると50に下がった。この辺が妥協点だろう。50で手を打つことにし。結局3人部屋は中で2つに別れていて1ベッドしか使えないのでたぶん5元が服務員のポケットに入っているのかもしれない。いちおう汚いけどバスタブもトイレも付いていて、夜は久しぶりにお湯をはってお風呂を楽しむことができた。

明日はとりあえず龍門の石窟へ行こうと思う。その後は洛陽にいるのはもうたくさんなので、開封にでも行ってみようか。人口70万とここよりも数段小さくてしかも列車の出る鄭州にも近い。またまた移動だ。



 10月23日 旅は道連れ(洛陽〜開封)

今日は早起きして龍門石窟へ行った。ここはかなり有名な名所なのでたぶん何かの本で見たことがあったと思うが川沿いに1000を越える大小さまざまな石窟があり、各々に仏像が彫り込まれているなかなか凄い所だ。

さっそく駅前でバスに乗って龍門口で降りるとおびただしい数の三輪タクシー物売りに囲まれ、無視して走って逃げたがそれでも何人かは追いかけてくる。この事からここがいかに有名な観光名所かわかるのだが、45元払って中に入ると今度はめずらしく「15元15元安いね」と日本語を使う物売りが居た。ツアーのコースにも組み込まれているらしくてかなり多くの日本人が訪れるのだろう。途中阪急交通社のツアーと会って、添乗員さんと久しぶりに音声で会話できてうれしかった。添乗員さんによると中国の添乗員は結構大変で、今夜も北京へ帰る列車の座席が急に1席取れずにこまっているようだった。

石窟は人が多くて大変なのだが、ここは一見の価値が有ると思う。小さい物は50cm、大きな物は6mぐらいはあるだろうか?天井にもハスの花が彫り込まれていたりで見ていて飽きない。大きな物もいいが、小さなものがおびただしい数掘られている岩肌もなかなか見応えがある。結局2時間ぐらいここで過ごしてから市内へ帰る事にした。
 

 
龍門石窟の中の一つ(一番大きな物)
 
今日は開封へ移動するのだが、いろいろ考えた結果列車で行くことにした。ここ洛陽は途中駅だったので、硬座の切符を買っても指定席は買えず「無座」の切符がでてきた。これは出発駅では指定だが、途中のコンピュータも無いような駅からどんどん乗ってくるのでその後は自由席になるという事みたいだ。そんなわけで改札が始まるとおびただしい数の人がホームへ我先にとなだれ込む。そして一応駅員が早い物から列ごとに並ばせて行くのだが当然列車はきちんと止まらないので列車が到着するとホームはもうめちゃくちゃになる。

人の海をかき分けてリュックの肩紐を引きちぎられそうになりながら列車になだれ込むともう既に立っている人がいたので座るのはあきらめて網棚にリュックを上げた。しばらくすると少し酔ったおじさんが、となりの6人がけが一人空いてるんで座れと言う。でも内一人があぐらをかいてふんぞりかっていてとても座れる状態じゃないので遠慮していたら、おじさんはしつこく座れと言う。シートの角に少しだけ座っているとしばらくしてイヤそうにつめてくれたのでその後は終点まで座る事ができた。

そんな感じで、最初はあんまり雰囲気が良くなかったのだが、うち一人が何か話しかけてきて、分からないから書いてくれと紙を出すと筆談が始まってそれからが大変。自分が日本人だと分かるとなんだかすごく喜んでくれて、車両のあちこちから人がいっぱい集まってきて筆談の様子をながめている。10人ぐらいはいただろうか。

この人達は周さん他友人2名+他人2名で、周さんたちは甘粛省から青島に旅行に行く途中らしい。筆談が進むとみんなどんどん笑顔になっていく。最初のしかめっ面がまるで別人だ。これが中国人の気質なのだろうか?他人は一切思いやらないが、すぐに友達になり、友達は本当に大切にする。服務員の態度とかをみてても明らかに他人に対する態度と同僚に対する態度では全く別人だ。

「中国をどう思う?」と聞かれてちょっと困ったが「人民は親切だが、服務員は最低最悪だ」というと周さん達もうんうんとうなずいていた。あと日本文化は中国から学ぶことが多く、日本人はほぼ全員高校で漢文を習っていると言って「国破在山河」(←自信無し)みないな漢詩をいくつか書くと、辺りから歓声が上がった。もう止まらない(笑)

こんな感じで周さん達のおかげで3時間の列車の旅はアッという間に終わり最後には住所をくれて、おまえは朋友(パンヤオ)だからもし甘粛省に来ることがあったらいつでも尋ねてくれと言って笑顔で手を振ってくれた。少林寺につづきなんだか中国人の優しさに触れて少し考え方が変わったような気がした。

開封駅も他の駅と同様で列車駅の前は最悪だ。「おいっこら!○△☆! あー? あーっ?」最初は「不要」とか無視してたのだが、特にこの「あーっ?」がめちゃくちゃむかついて思わず怒鳴り返してしまった。中国の客引きはすごく高圧的なのだ。そんな感じでいやになってとっとと宿を探すべく駅前を立ち去った。ここ開封は中国六大古都の一つだと周さんが言っていたが、街の中心部の周りには城壁が残っている。城壁の中に入ってしばらくすると湖のほとりに一軒の大きなホテルをみつけた。一泊140元という事で去ろうとすると、5人のドミトリーなら65元であるというので泊まることにした。中国の地方都市ではあまり外国人をドミトリーに泊まらせたがらないが、ここはあっさりとOKだった。しかも今のところ5人部屋だが自分一人しか居ないし部屋も結構清潔だ。他の客層もいい。ここなら安心だ。

しばらくしておなかがすいたので、外にでると日はどっぷりと暮れ湖の近くにいっぱい屋台が出ている。一軒の屋台で水餃子を頼んだ。にこにこしていい感じの夫婦がやっていて、唐辛子を入れていいか?と身振りで聞いてくれる。味の方もなかなよくて満足しながら散歩していると、この周りは屋台がいっぱいあって、いろいろな物を売っている。電気製品、食べ物、皮ジャケット。面白かったのがカラオケ屋台だ。何処から電気を引いてきたのかしらないが、湖の横にテーブル、テレビ、VCDデッキを並べて商売している。なかなか繁盛していた。

カラオケを鑑賞してからホテルに帰ると服務員に呼び止められた。なんだか同じ部屋にもう一人入る事になったらしい。しばらくしてやってきたので、挨拶すると無表情で「ああ」みたいな事をつぶやいた。ちょっと暗そうな人だなと思い、先にお風呂にはいるという事を筆談で伝えてからシャワーを浴びた。シャワーから出ると、さっきの人が「日本人?」と聞いてきた。そうだというとなんだかこの人も喜んでくれていろいろ聞いてくる。途中でお互い英語が話せる事がかわって、その後はずっと筆談無しでいろいろこれまでの話しや、日本でしていた仕事の話しなど長時間語り合った。この人はフェンさん。27才のビジネスマンで、奥さんと子供が一人いるらしい。周さんといいフェンさんといい、最初はむすっとしていたけど話すとすごくいい人だ。今日はついている。そうこうしているうちに急に眠気がおそってきて、先に寝ることにした。そしてベッドに倒れ込んでから3分後にはもう意識を失っていた。明日にそなえて体力を回復させなければ。
 



10月24日 城塞都市(開封)
 
今朝は少し寝坊気味で、目が覚めるとフェンさんは既に仕事に出かける所だった。ここ開封は宋時代の都で、観光地としてはそんなに開発されていないが、城壁に囲まれてなかなか味のある街だ。かといってそんなにあちこち見所が有るわけではないのでゆっくり支度をして10時頃に出かけることにした。

ホテルは城壁で囲まれたエリアの中にある。列車の駅は外にあるのだが、この中と外の差がものすごく大きく、中は割とこぎれいな感じにまとまっていて人々もなんだか少し優しく見える。外は逆に洛陽の様に汚れていてすこしぎすぎすして見える。

メインストリートの中山通りを歩いて登ってく。龍亭までは2〜3キロは有りそうだが街の風景を眺めながら歩いているとそんな距離も全然気にならない。途中チェーン店のHolly Landというケーキ兼パン屋に入ってみた。ここは外資系なのか店員も満面の笑顔で向かえてくれる。「いらっしゃいませ」と「ありがとう」の言えるお店だ。中国もぼちぼちとこういう接客マナーを身につけた店が増えてきているようだ。パンとコーヒーで軽く朝食。北京を出て以来初めてのコーヒーだ。

しばらく歩くとニセマックがあった。ニセマックというとなんだか申し訳ないが、メニューも「巨天麦香〜」(ビッグマックの事)などマックとほぼ同じだ。ただこのお店はパンを暖める事をしないので、味の方はいまいちだった。

お金を払って龍亭の敷地に入ると、広大な池が広がっている。池の中の橋を渡っていくような感じで、水に囲まれた宮殿という感じだ。池の中には所々六角形だか八角形の建物が水に浮いている。龍亭の建物自体は大した事はないのだが、この水に囲まれた敷地はなかなかの物だ。湖に浮いている石畳に座ってぼーっと1時間ぐらい過ごしてから今度は駅前へ行ってバスの時刻を調べる事にした。明日の鄭州へ帰るバスだ。
 

 
龍亭へ続く湖に囲まれた道
 
列車駅前は相変わらずうるさい。バスターミナルへ行くが、どれも個人営業っぽい例の詰め込むだけ詰め込む古いバスしかない。一応30分ぐらいに一本出ているようなので適当で大丈夫だろう。その後時間が余ったので繁塔という所へ行ってみる事にした。これは塔なのだが、塔の壁面に無数の仏像のレリーフがはめ込んでるという話しだった。

実際に地図を見ながら近くまでいくが、それらしい塔や看板さえ全くない。ぐるぐる歩き回っても見つからないので、近くの子供に聞いてみると「あっち」と指をさす。でもそっちに歩いてもそれらしいのはなく「やられたか?」と思いながら別の老人に聞いてみると同じ様な方向を指さす。歩き回ってあきらめかけたその時、幅1m暗いの路地の奥に「←繁塔」とペンキで書いてあるのを見つけた。矢印に従って行くが路地はどんどん狭くなる。まるで迷路に迷い込んだようだ。5つぐらい矢印を曲がったとき突然目の前に塔が現れた。

どうしてこんな所に隠れるように立っているのだろう。この塔は現在開封で残っている建造物のうち最も古いのだそうだ。確かに塔自体も古びていて歴史を感じさせる。そして壁に埋め込まれた無数のレリーフが圧巻だ。こんな場所にあるのであまり訪れる人も居ないのだろうか?切符売り場があるのだが、ほとんど仕事は無いようだ。

観光を終えてホテルに帰ってみると既にフェンさんの姿は無かった。別の部屋にうつったのか、仕事が片付いて西安に帰ったのかはさだかではにが、とにかく今夜は5人部屋に一人みたいだ。日記を書いたり荷物の整理をしているとおなかが空いてきたので近くの屋台街に出かけることにした。いろいろ回ってみたが、昨日のおじさんとおばさんの屋台に入る事にした。

おばさんも覚えてくれていたみたいで、笑顔で向かえてくれる。なにかお薦め料理は無いか?と尋ねるガラスケースの中から何か選べという。鳥の唐揚げみたいなのがあったので、それと水餃子を頼むことにした。最初は鳥の唐揚げを軽く炒めて一品でつけてくれるのだろうと思っていたが、値段が13元もした。え?そんなに高いの?と思っていたら出てきた料理はもっと凄かった。

なんだか熱く焼けた鉄鍋にコクの有るスープ、豆腐、チンゲン菜、香りの野菜いろいろ煮込んで出てきた。鍋が焼けているので持ってきたあともしばらくぐつぐつと沸騰している。一口食べてみたがこれは美味しい!水餃子も頼んでいたので少し多すぎかなとおもったが、あまりに美味しかったので結局全部食べきってしまった。「おいしいよ!ありがとう!」というとおじさんもおばさんもうれしそうに笑っていた。

さすがにおなかがいっぱいで歩くのがつらくて、しばらく広場に座ってやすんでいた。この広場はなぜか電飾でライトアップされていて、何をするでもない若者や家族連れの憩いの場となっているようだ。そしていろんな物を売る屋台もでている。広場や周りの電飾が湖にうつってゆらゆらゆれている。しばらくしてゆっくりゆっくり擦るように歩きながら湖沿いをホテルへと帰っていった。湖の畔には何組ものカップルがたそがれていた。みんなとても幸せそうだ。なんだか少し優しい気持ちになって、口笛を吹きながらすらすらと歩いていった。



10月25日 準備完了(開封〜鄭州)

夕べは咳がとまらずに少し寝不足だ。朝も早めに起きてすることもないのでチェックアウトして鄭州を目指すことにした。バスは昨日偶然見つけた別のターミナルから鄭州行きの韓国製エアコンバスを使うことにした。やはり中国製の古バスと韓国製のバスでは1.5倍以上の時間差がある。

バスに乗る前に昨日のHolly Landで朝食を取ることにした。なんだか最近朝飯抜きがおおかったが、ここの所きちんと食べている。こういう店が有ると朝食も楽しくなる。

朝食を終わってバスに乗ると、なんだかビデオを上映していた。香港映画のアクション物で英語と北京語の字幕があった。ストーリーもなかなか面白くて結局景色はあまり見ずにずっと映画を見ていた。バスはさすがに韓国製でサスペンションも良くて郊外の高速道路を120キロぐらいでびゅんびゅん飛ばす。明らかに他のバスとは違う。値段は10元で他より少し高いだけなのでこれはお得だ。

一時間少しして、ちょうど映画の終わりのタイトルが流れている時にバスはターミナルに到着した。まさに完璧なタイミングだ。鄭州にはたくさんターミナルがあるため、さっそく地図で自分の現在地を確認して市バスを探す。まずは宿探しをしないといけないので駅前へ行くことにした。中原大廈はもうこりごりなので鄭州飯店へいったら、なんと100元だという、これはちょっと痛いが明日は朝9時の列車に乗らなければいけないので、是非とも駅前に泊まりたい。ここで列車を逃すとせっかく大金を払って取った切符も水の泡なので100元で泊まる事にした。ホテル自体は古いが、可能な範囲で綺麗に保とうという努力がみられる。驚くことにレセプションの一人は英語をしゃべった。

宿が決まったらさっそく洛陽で手配した列車の切符を取りに行く。洛陽のオフィスではタクシーで10元だと言われたが、宿泊費が今日の予算を圧迫しているので、ホテルで場所を聞いてバスで行くことにした。旅行会社は市内のちょうど真ん中にあった。バス代は1元。言われた部署に行くとさっそく切符を出してきてくれた。手数料は25元。これは他の会社に比べると格安だ。お礼を言って旅行社を後にした。

夕方になって、さっきの英語の話せるおねえさんに尋ねてみたら、ちょっとややこしいが部屋から長距離電話がかけられるらしいのでメールとホームページの受信を試みる事にした。1階で100元のデポジットを払って回線を開けてもらう。なぜかダイヤルする音がモニター出来なかったのだがあっさりとつなぐことができた。受信の方はHotmailからPOPが引けるので前にいくつかは読んでいるのだが、こっちから返事が送れなかったので今回はたまっていたメールが一気に送信できてやれやれだ。ホームページの方も何とか更新できた。これでいよいよ出発準備完了だ。

準備もととのってたので夕食を食べに行った。今夜はビールを一本頼んだ。全く冷えていないビールを一人でグラスに注いで誰にするでもなく一人で乾杯をした。明日は1000キロ以上の移動が待っていると思うとわくわくする。華南はまだまだ暑いだろうか?ぬるいビールを一気に飲み干し少しふらふらしながら店の外へと歩き出した。



10月26日 Hit the road!! (鄭州〜桂林
 
 
朝の安宿から見た景色。
 
昨夜はなぜか夜中に何度か目が覚めた。一度5時に目が覚めてトイレに行くと、窓から見る鄭州の街はもう既に動き出していた。荷物をまとめて靴ヒモをぎゅっと結ぶ。「Hit the road!(さぁ行こう!)」軽く深呼吸してから重いリュックを一気に背負って駅前に飛び出した。

今日の列車は2等だが寝台なので指定席でしかも快適にすごせるはずなのだが、この前は何せ荷物をおく網棚がいっぱいで、自分の席から見えなかった為一晩中荷物を心配しないといけなかったので、その教訓を生かしてすこし早めに行くことにした。

今回は始発からの乗客は割と少なかったので荷物の方は楽勝だったのだが、しばらくしてツアーガイドっぽいお姉さんが僕の所へ来て何か言ってきた。日本人で中国語がしゃべれないと言うとノートになんだか書き出すのでよく見てみると、なんでもツアーの引率をしているのだが、この列車事情で席がばらばらになってしまっているのでもし良ければ替わって欲しいとの事だった。特に席にこだわる理由もなかったので代わってあげたら何度もお礼を言われた。なかなか中国にしてはあか抜けた綺麗なお姉さんだった。(笑)

列車はごちゃごちゃした街を振り切るように猛スピードで走り続ける。この路線は京広線という中国鉄道の動脈の一つらしく線路の状態はすごくいい。電化もされていて電気機関車が100キロ以上の速度で長い客車を引っ張る。以前丹東から北京まで24時間かかったのが嘘のようだ。

しばらくして、夕べ寝不足だったので横になっていたらいつの間にか熟睡していた。起きたときには既に武漢を通過していた。と言うことはなんと、長江を見逃してしまった訳である。これは少し残念だったがまあ過ぎてしまったものは仕方ない。夕食にカップラーメンを食べて景色を見ながらぼーっとしていると、景色がだいぶ変わってきた事に気が付いた。

北部、とりわけ東北は今の季節ものすごく乾燥していて、川にもほとんど水が無く、畑も延々枯れ野になっていたのだが、この辺にきて結構緑が増えてきた。稲を収穫している所さえ見かける。北部の荒涼とした景色に比べてこの辺りはまだ潤っている感じがする。

日が暮れると再び何もすることが無くなった。家の明かり以外何も見えないのだが、それが逆に自分が日本にいるような錯覚を起こさせる。四角い家がコーポに見え、中国式のアパートがワンルームマンションに見える。やがてそれにも飽きるベッドに横たわり、いつの間にか深い眠りについていた。



 

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