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どれくらい眠っただろう?朝目が覚めると桂林北駅だった。荷物をまとめて準備しているとしばらくして車掌が切符を渡しに来た。ここ中国の列車は寝台車では車掌がベッドの番号札を切符を交換して管理する制度を取っているので、絶対に寝過ごすことは無い。しばらくすると桂林駅に到着したが、外はまだまだ暗い。
駅前はもう既にタクシーや、ツアーの客引き等でいっぱいだ。偶然近くにツアーの団体が居たのでその団体に紛れてついていく事にした。さも団体客の様に旗の後ろを着いていくと、客引き達はツアー客なのか、でも見かけは明らかに外国人バックパッカーなので声をかけるかどうか躊躇していて見ていると滑稽だ。
しばらくしてツアー団体がバスに乗り込んでしまったので、そこから一人で歩き出すと、さっそく声がかかった。「ヤンショウ ヤンショウ!」いつもなら無視することろだが、ひょっとして「陽朔」か?と手に書いて見せるとそうだと言う。値段を聞くと15元などという。全く話しにならないので、高いからいらない、バイバイ!と立ち去ろうとすると今度は10元でいいと言う。ここから陽朔まで65キロ。普通のボロバスなら5元が良いところだろう。ただこのバスは韓国の大宇製で結構立派だったのでもう少し払っても良いかと思い。通常は5元ぐらいだろ?8元ならいいよと言うとしばらく荷物が2元だとかごねていたが、結局全部で8元になった。でもこれでもきっとぼられているのだろう。途中で拾った客はだいたい5元ぐらい払っていたからそれが正当な価格なのだろが、まあこの辺がお互い気分が悪くならずに妥協できる範囲だろうと思う事にした。
バスは走り出すといきなり山水画の世界が目の前に広がる。何もない平地から突如とんがった山がにょきにょき生えている様子は正にサントリーのコマーシャルやドラゴンボール(最初の方)の世界だ。実は桂林をすっ飛ばして陽朔に来たのは理由があった。モンゴル自治区の草原であった日本人「もみあげ君」によると、桂林は物価が高いし客引きがうるさいが、漓江下りの終点の陽朔はバックパッカー向けの宿が一泊10元からあってバックパッカーは皆そっちに泊まるらしい。そんなわけで桂林には目もくれずに陽朔へやってきた。
バスはしばらくして山水画の中にたたずむ小さな町に到着した。この町は何の予備知識も無かったのだが、バスターミナルのすぐ前にいきなりとんがった山があった。この町ならしばらくゆっくり出来そうだ。早速今度は宿探しと思ったら目の前に「青年招待所(Youth Hostel)」を発見した。なんと表示も英語でレセプションもまともな英語を話す。いろいろ部屋を見せてもらった結果、一泊10元のドミトリーに泊まる事にした。オランダ人カップルと一緒の3人部屋だ。
早速荷物を置いて町に繰り出すと、驚くことにあちこちにカフェやインターネット屋がある。全部で十軒以上は軽くあっただろう。インターネットの値段を調べたりしながら歩いているとあちこちからばんばん英語で声がかかる。何でもこの近くには大きな鍾乳洞があって、そこへ行くツアーがあるのだそうだ。みんな結構しつこいが、笑顔でひとなつっこいのでまだ許せる。
しばらく歩いていると川沿いにたどり着いた。川岸への階段を下りていくとたくさんの人々が洗濯をしていた。河原の向こうにはほとんど家は無く正に山水画だ。しばらくしていると一人の青年が声をかけてきた。最初はツアーの誘いかと思ったが、よく話しをしてみると山水画の画家らしい。以前は旅行会社に勤めていたのだがストレスが多いらしく今は退職して山水画を書いて売っているらしい。前の仕事のせいか英語も割と達者だ。もし川下りをするなら、漁師を紹介してやるから竹の筏で行くといいよと教えてくれた。もし良かったら山水画見ていってねと言っていたがそれ以上しつこく誘うわけでも無く単なる親切な人だったようだ。
次に声をかけてきたのが英語の教師と名乗る男だ。たしかに訛ってはいるがフルスピードで英語を話す。最初は日本の安いコインがあったら中国のと交換して欲しいと言っていたが、しばらくしゃべっていると学校を見に来てくれという。別に暇だったので良いかと思ったら、家に招待するという。なんだかこの辺からちょっと怪しいと思いだした。家に着くといきなり2階が自分の家なのでどうぞどうぞといが、さすがにのこのこ着いて行くのは物騒なので、学校へ行くんじゃないのか?と聞いたらまず家に招待するという。単に親切な人の可能性もあるが用心に越したことは無いので、遠慮する事にした。大人しく引き下がったが別に学校へ案内するわけでも無く、今度はご飯を一緒に食べに行こうとかいうが、どうもなんだか怪しいのでこの男とはここでおさらばする事にした。
この辺はなかなか難しい所だろう。こういう誘いを全て断っていては地元の人とのふれあいなど不可能だし、不用意に信用すると詐欺に有ったり身ぐるみはがれたりするのがオチだろうし。 この辺は今後の課題だ。
午後になってからふらふら歩いていると雨がぱらぱらし出して、バスターミナルで雨宿りしていると一人の日本人旅行者に声をかけられた。何でも昆明方面に行くのだが列車のチケットが取れずバスの情報を集めているらしかった。彼は彼女と一緒に旅行しているのだが、話しているともう1年ぐらい日本に帰ってないらしい。年も同じで久しぶりの日本語だったので話しも弾んだ。
夜に3人で食事に行くことにしたのだが、この店が大当たり。「没有飯店」(メイヨーカフェ)というのだが、実際には何でも有って、ぜんぜん期待していなかったビーフステーキはものすごくおいしかった。彼の話によるとバックパッカー向けのカフェでこれだけの食事を出す所を未だに知らないという事だった。ちょっと旅の目的からはずれているのだが、この日は久しぶりの日本語と久しぶりに西洋料理で思いっきり楽しんだ。
夜半から雨は激しくなってきたので、たぶん明日は何もすることは無いだろう。一日中窓から山水画の風景をながめているのも悪くは無い。何せここは一泊130円の宿だ。なにも焦る事は無いのだ。
昨日の夕方頃から雨が降り始めて今日も一日中降ったりやんだりとそんな感じだった。まあ雨の漓江もなかなか趣があっていいので、一日中宿でぶらぶらしたり、小降りになったら町を散歩したりしてそんな一日を過ごしていた。昨日の夜の日本人カップルも今日は雨なので出発を延ばしたらしく、やどでごろごろしていたようだ。ここはとにかくそう言うリラックスできる所だ。
朝は近所の屋台で、「〜粉」といううどんみたいなのを食べて、昼はなんだかこれも屋台で、ごはんに4種類ぐらいの中華料理をぶっかけたものを食べた。どちらも4元以下。ちなみにカフェで食べるステーキとかが12元、コーヒーが6元ぐらいなのを考えると、かなりお得だ。あと偶然美味しいパン屋を見つけたので、明日から毎日朝食にしようと思う。
そんなわけで特に日記に書くような事も無いのだが、同室のオランダ人カップルのハンス、イボンヌとなんだかんだ旅行の話しとかしたり、カフェでお茶を飲んだり。そういえば昼間にインターネットカフェへ行ったのだが、なんだかセキュリティが頑丈で、自分のPOPサーバーを引いたりは出来なかったので、仕方なくHotmailのPOP機能を使ってメールをフロッピーに保存してもって帰ってきた。それにしても、このインターネットカフェは最悪で、HotmailのLog in に10分かかるという恐ろしい遅さだった。
マシンもえらく古くて、フロッピーに保存するスピードもなんだか他の処理に時間をとられて動いたり止まったりを繰り返していた。だが、これだけ遅くても1時間15元。結局1時間格闘して8通あまりのメールを受信出来ただけだった。でも旅の途中で受け取るメールは本当にうれしい。すぐに返事がかけないのが残念で仕方ないのだが。
ともかく、今日は天気が悪いので「おやすみの日」だった。
今日は記念すべき日だ。といっても誰かの誕生日とかそんなんではない。ちょうど1ヶ月前の今日、突然下関から3度目の海外へと旅立つ事になったのだ。しかもかなりの長期で。そんな記念日も朝からやはり雨。
する事が無いので、パソコンに保存してある他の旅行者たちの日記を読み返したり、今まで使ったお金を計算したりしいた。1ヶ月で当初の予算の10万円以下には収まったが、ここ中国で宿泊費にかなり費やしてしまっている。最初の計算だと1日600円ぐらいで乗り切れるはずだったのだが後半は特に情報が無く、外国人も少ないエリアだったので安宿に泊まる事が出来ずに、1000円前後の所に泊まることが多かった。なにも貧乏ごっこがしたいわけでは無いのだが、中国の宿はその質に比べてかなり割高に感じる。もっとも今泊まっている所は一泊10元と格安なのだが。
そんな感じで朝からぱちぱちとパソコンを叩いてから下に降りてみると、やはり例の日本人カップルは既に出発した様だった。昨日も一緒に夕食を食べたのだが、ルートが似ていて絶対にベトナムかカンボジアで会いそうだねと特にアドレス交換はしなかった。彼から今から雲南地方を旅してからベトナムへ抜けるらしい。
例の屋台で昼食を食べてまたまた本を読んだりして過ごしていた。なんだか天井のファンをながめていたらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。目が覚めても相変わらず雨が降っている。窓からの景色は霧がかかって一層幻想的に見える。
夕食を食べに外に出たらハンス達と会って、ご一緒する事になった。なんだか自分が一人旅なのをいろいろと気を使ってくれているみたいだ。夕食のあと軽く飲みに行って11時頃引き上げると雨は上もう上がっていた。部屋に戻ると、ほろ酔いですぐに眠ってしまった。明日こそ晴れるといいんだけど・・・・
今朝も朝から雨だ。もう何日降り続いているのだろう。どうせする事も無いので、今後の予定を何となく思い浮かべてみたりして午前中を過ごしていた。午後から何とかメールが送れないものかと、今度は小さめの旅行会社がやってるインターネットサービスを利用してみる事にした。
ここはマシンが2台置いてあるだけで、モデムで直接プロバイダに接続しているようだったので、Netscape Mailを利用していいか尋ねてみたら自由に使ってくれとの事だったので、早速自分のマシンで作ったファイルを上書きして送信してみたら1回で全部のメールが送れた。しかも受信も自分のPOPサーバーから問題なく取ってくる事が出来た。ここまでくるとちょっと欲が出てきて、ホームページを更新出来ないかと思ってフロッピーに入れてきたFTPソフトを立ち上げると、これも一発でWWWサーバにつながる。ただこれはかなりスピードが遅くて、テキストのHTMLファイルだけ何とか送る事ができただけだった。料金は少し高めの1時間20元だが、これだけの事ができたら十分満足だ。
そういえば、最近もう一つ問題があって、それは散髪。この前一軒の美容院に入ってみたら、何と45元だとかいうので、ちょっとそれはめちゃくちゃな額な気がした。人民理髪店ならたったの1元なのに。もっとも試す勇気は無いのだが(笑)どうせそんな値段するのなら香港で切った方がいいだろうとしばらく我慢する事にした。
最近町のあちこちに、「10月30日挙行漓江漁火・・・・」とか横断幕がかかっているのが気になっていたのだが、インターネットカフェの店番の少年に聞くと、今晩の7時から灯籠流しみたいなのがあるらしい。宿に帰ってハンス達に聞くとやはり今晩いろいろイベントが有るとの事だった。しばらくメールを読んだり返事を書いたりしていると6時半になったので、出かけてみる事にした。
町を歩く人の数もいつもと比べ物に成らない程多く、商店街では20人ぐらいであやつる巨大な龍が乱舞していた。通りをずっと歩いていって漓江の畔に出ると、遠くにたくさんの灯が見える。水面にうつってゆらゆら揺れていて幻想的だ。岸壁の上は人が多かったのでこの前の河原に降りてみたら、すこし外れにあるのかあまり多くの数は見られなかったが空いていてゆっくり出来るのでいい。
個人で灯籠を流す人も居たのだが、なんと中国人のクソガキ達が石をガンガン投げて全部沈めてしまう。一瞬後ろから川に蹴り落としてやろうかと思ったがなにせここは中国なのでやめておいた。不思議と流した本人や中国人達はだれも何も言わない。ひょっとしたらそういう習慣なのだろうか?(違うと思うが)
しばらく灯籠をぼんやりながめていると、急に空に火の手が上がった。ものすごい破裂音が腹に響く。なんといきなり河原で花火大会が始まったのだ。しばらくして大玉からスターマインに変わったのだが、花火の構成が悪く、最初に巨大なドラゴン花火みたいなのをやったので煙だらけでほとんど花火が見えなくて、たまに爆発して広がった端っこの方が煙の外まで飛んできてかろうじて見えるという感じで少しもったいなかった。
スターマインの後はまたまた大玉が何発か上がったが、雨で発射装置の調子が悪いのか、5分おきに5発上がるだけで、みんなぼちぼち帰り始めたので自分もその後2〜3回見てから夕食を食べに行くことにした
。もちろんお得意さまの「没有カフェ」だ。カフェに入ると何と北京の京華飯店でいっしょだったデンマーク人のおじさん「ジャン」にばったりあった。さっそく料理を食べながらこれまでのお互いのルートの事とかいろいろ話しした。
ジャンはこれから成都を目指して、もし安い飛行機があればチベットを回ってからインドへ行くらしい。なんだかすごく再会を喜んでくれて、ポルトガルまで行く予定だと話すとぜひ北欧に上がってくる事があったら立ち寄ってくれとアドレスをくれた。
しばらくいろいろ話しをしていると、急にまた大玉の花火が上がった。今度は発射装置が直ったのか、ばんばん連発で上がる。今年の8月は真冬のニュージーランドにいたので結局花火は見れなかったのだが、こんな季節に、しかもこんな中国の片田舎で花火が見れるとは思っていなかったのでよけいにうれしかった。二人でビールを飲みながら花火を見ていると、いつのまにかカフェのねーちゃんもとなりに座って花火に歓声を上げていた。
夜10時を回っても通りには獅子舞や、太鼓が行き交って、祭りの興奮は深夜まで続いた。
今朝起きると外はだいぶ明るかった。心持ち気温も高めに感じる。眠い目をこすって外部屋の外に出てみると薄日がさしていて少し暑い。今日は待ち続けて4日でやっとサイクリングに行けそうだ。
レセプションで自転車を借りてこぎ出すと、めちゃくちゃ蒸し暑い。ここ数日降り続いた雨のせいで湿度はほとんど飽和状態なのか汗がどんどん流れていく。まるでサウナの中でサイクリングしているようだ。
少し行くとほとんどコンクリートの建物が無くなって次第に田園風景になってきた。たぶんこの辺では二期作とか当たり前なのかもしれないが、今まさに稲の収穫時期のようで、家族ぐるみで刈り取りや脱穀をしている風景が見える。
とりあえず目的地は無かったのだが、月亮山(Moon Hill)という所が地図にあったのでそこを目指す。やはりこの辺は旅行者のサイクリングコースになっているのかたくさんの白人の団体をみかける。途中わりと大きな川があってその河原で一休み。子供が釣りをしてたのだが、なかなかの腕前で、小さな魚を何匹もつり上げていた。
そのご月亮山にはすぐに着いて、下から見上げると確かに例のとがった山の土手っ腹に半月を横にしたような穴がぽっかり空いている。上まで登ってみようかともおもったが、ゲートがあって何と入場料がいるらしい。この辺が中国的というか、なんというか。万里の長城のように修復費がかかるようなものはまだしも、単に景色がいいような所にゲートを作って有料にするというのはどうもいただけない。そんなわけで結局下からながめるだけにしたのだが、それにしてもなかなかの景観だ。月亮山の近くにはたくさん鍾乳洞があって、中でいろんなアクティビティーが出来るらしく、陽朔の町でもたくさんのカフェや旅行会社が売り込みに熱心だった。
帰りもだらだらと自転車をこいでいたら雨がぱらぱらしだしてきた。しばらく雨宿りしながら小降りになるのを待って宿まで帰ると、とたんに激しく降り出した。ここ数日間で一番激しい雨かもしれない。朝は晴れていたのに。昨日の村祭りの横断幕が風でビリビリと音を立てていた。温度も急に下がったのでたぶん寒冷前線が通ったのだろう。しばし荒れ模様だった。
結局ここに来てから初日以外は全部雨という事になる。ああ、やれやれ。
ここの所毎日5時ぐらいに一度目が覚める。日本に居たときは起こされても8時ぐらいがやっとだったのだが、ここの騒音のせいなのかそれとも昼寝をするからなのかはよく分からない。今朝も6時前に目が覚めるとハンス達が荷造りをしていた。今朝のバスで柳州〜重慶へと聞かされていたが、なんでもバスは7時ぐらいと結構早いみたいだ。7時前に握手をしてお互いの旅の無事をいのりつつ彼らは出ていった。今日からまた一人だ。
もう一度寝直して目が覚めると9時前。やはり今日もしとしとと雨が降っている。そう言えば今日で宿代が切れるので1階のレセプションにまた2日分払いに行くと、いろいろツアーの勧誘をしてくる。ここは宿代が安いのだが、それで客をいっぱい集めてツアーで稼ごうという営業方針なのかもしれない。結構熱心だ。
ともかくだらだらとここに居るのも少しだれてきたので何となくバスターミナルへ行ってみる事にした。そう言えばホテルのレセプションで聞いたら、深川までの夜行寝台バスが120元で、2日前までに予約すると110元になると言っていた。2日後というとちょうど明日川下りをして次の日半日空くのでいい感じだ。とっさにその場で直接バスのチケットを買うことにした。欧米人達は漢字を読めないかけないなので、みんな英語を話すレセプションに頼んでいるみたいだったが、昨日ハンスにチケットを見せてもらったら額面と請求金額が倍ぐらい違っていたので、ここで買う方が賢明だろうと思った。
例によって、手帳に行き先、日にちを書いて差し出すとあっさりと買えた。しかも値段はたったの90元。バス駅の値段表にはたしかに120元と書いてあるのだが。ひょっとしたらこれが前売り割引なのだろうか?ともかくレセプションで買うとこれに20元の手数料を取られていた事になる。ともかくこれで11月4日には香港に入る事が決まった。めでたしめでたし。
さて出発日が決まると不思議なもので、それまでにいろいろ動き回りたくなる。ここから近くの町と言うと、興坪、普益などがあるが、たまたまバス停に興坪行きのバスが止まっていたので乗ることにした。興坪は漓江のど真ん中にあって、川下りの中継点にもなっているらしく、ボートツアーの売り込みの時にたしかレセプションでバス代が5元と言っていた。しかしそれでもこの距離を5元とは結構高いなと思いつつ10元札を出すとお釣りをくれない。「5クワイ(元の口語)」と言って手を出すと何と「没有」とのたまう。多めに払っているのにさらにぼってきたのでカチンと来て札をひったくって下りようとしたら、すぐに5元になった。
まったくこの辺は英語のガイドブックに紹介されてからおびただしい数の白人が来るようになって、バスもお店もぼるのが当たり前のようになっているようだ。もっとも定価の有って無いような世界で「ぼる」という表現は正しく無いのかもしれないが、相場を知らないと相手のいいようにされてしまう。あまりがめつさが無く、言えばだいたい返してくれるのがまだ救いだろうか。
今日のバスはとんでもなくボロい。5元でもまだかなりの上客なのか一番前の助手席に座らせてくれた。バスはしばらくまともな道を走るがそれでもボロいのでものすごい振動だ。やがてバスは人民路をそれて村同士を結ぶ細い道へと入っていった。この辺まで来ると陽朔のような観光地ではなく人々の普段の暮らしがそのまま窓から見える。そして稲がたっぷり実った水田や、みかん畑、水牛を連れている少年、なみなみと水の流れる用水路、金銭的には貧しいのだろうが、北部と比べると考えられないほど豊かに見える。道はかなりひどく、穴があいているのは当たり前で、あちこちでジャンプしながらいくつも小さな村を抜けてゆく。
途中でなぜだか運転手だエンジンを止めてどっかへ行ってしまった。この辺がローカルバスというかなんというか、しばらくすると帰ってきたのだが、何らかの私用を片づけてきたのだろう。しばらくしてバスは興坪の町にたどり着いた。町は思っていたよりもずっと小さく、一応英語の看板が出ていたりもするのだが、観光客もまばらであまり流行っていないようだった。当然地図売りのおばさんなんていないのでバスターミナルの前の掲示板を見てみるとなんだか山の上に展望台が有るみたいなので行ってみる事にした。
しばらく歩くと急に漓江の川岸にたどり着いた。ここからもあちこちに船が出ているらしく切符売り場がある。物売りがやってくるが片言であまり英語は出来ないみたいだった。ここは陽朔とちがって川沿いにあまり建物がなく、排水も流してないのでなかなか綺麗な景色だ。景色だけなら陽朔よりもずっといい。この景色を上から見るべく、山の上に登ってみる事にした。
整備はされているのだが結構険しい階段を登っていく。少林寺以来膝を少し悪くしているのでたまに痛みが走るがまあ我慢出来るレベルだ。結構上の方まで登たらいくといきなり階段が行き止まりになっていた。上に展望台が見えているので行けないはずはないと思い少し戻ってみると途中に分かれ道があった。そこから先はかなり険しくて、一部分が梯子になっている。下を見ると結構怖い。足下に気を使いながら上まで登ってみると、なかなかすばらしい景色だ。汗びっしょりの体に冷たい風が吹き付けて心地が良い。
上から見ると漓江下りの船がおもちゃのように見える。漓江だけではなく一面広がる田んぼやその中を流れる小さな川、漁師が乗る竹で出来た小舟全てが調和してこの風景を作り出しているようだ。飽きることなく1時間ぐらいずっと景色を眺めていた。
やがて雨が少しぱらぱらし出したので下りる事にした。下りは膝に衝撃がかかってけっこうつらい。途中で会ったのは二人の白人の旅行者と、2頭の放し飼いの牛だけで、ここを訪れる人はまだそんなにいないのかもしれない。下の方まで下りると3人の作業員が道の補修工事をやっていた。その中の一人に急に日本語で話しかけられて驚いたが、この人は林さんといってネパールに水力発電所を作ったりして新聞に載ったりと結構有名な人らしい。ここ中国で自分の楽しみでこの展望台を作っているらしい。工事費用は全部自分もちで完成したら寄付するとのことだ。ここにはもう3年住んでいて何とかこの村にも観光客を呼べるようにして地元民の手助けをしたいような事を言っていた。10分ぐらい話しをしていたがなかなか興味深かった。ちなみにやっぱりバス代は地元民の間では陽朔〜興坪で2.5元だそうだ。
ここから上流に川岸をずっと歩いていけるらしいのだが、陽朔へ帰るバスの時間が結構早いのであきらめて戻る事にした。帰りはバス停まで一本裏の通りを通っていったのだが、ここは本当に住民のエリアで観光客は全く居なくそこには住民たちの生活だけがあった。家の形も例の煉瓦づくりではなく、白壁に黒い瓦の屋根で雑然としているがそれでもなかなか美しい町並みだった。
ターミナルに着く前に、地元民プライスを試すべく、ちょっと服装を替える事にした。上に来ているNorthのジャケットをカバンにしまい、シャツのボタンを全部止めて裾はズボンの中にいれる。腕時計を外して3Wayのリュックの肩紐も取り外してただのてさげカバンにする。バスが走ってきたので手を上げて止めて乗り込む。ここでも地元民がするよに最初にお金を払わず出発してしばらくしてからおもむろに5元札をだして「2.5元だよね?」と中国語で言う。でもやはりまる分かりなのだろうか?一瞬とまどった様子だったがしばらくして「2.5元」とつぶやいてお釣りをくれた。やはりバスの値段は2.5元だったのだ。なぜホテルのレセプションが5元と言ったのかは謎だが、何となくホテルのツアー関係が信用出来なくなってきた。
陽朔の町に帰ってから何軒かボートツアーについて尋ねてみたら、はやり安い所は90元からある。ホテルでは100元だったのでこちらの方が安い。聞いてみると同じ船の同じツアーらしい。こちらの旅行会社のスタッフも英語が達者で帰りもボートに乗るならそっちはタダでチケットにも明記してあげるという事だったので、早速そこで予約する事にした。出発は明日の9時半だ。
いよいよハイライトの漓江(上り)下りだ(笑) いい天気になるといいのだが。
今朝は寝過ごせないといっても9時半出発なのだが。そう思って気合いを入れていると3時半に目が覚めてしまった。これじゃまるで遠足前の子供だ。うとうとしている内にいつの間にか眠っていたようで今度は7時。まだ少し早いのだが朝飯を食べて準備をすることにした。
川上りのオフィスに着いたらすでに昨日のお兄さんが待っていてくれて、さっそく今日乗る船まで案内してくれた。ちなみに桂林〜陽朔の川下りに使われる船とは比べ物にならないほど小さなものだ。この漓江下りでは外国人は絶対に大手の400〜600元するツアーに参加しないといけない決まりになっているらしく、船も完全に中国人用と外国人用に分けられている。
しかしどういう訳かここ陽朔から楊堤までの船は誰でも90元程度で乗ることができる。たぶん楊堤までなら陽朔県から出ないので公安の方も黙認しているという事なのかもしれない。ともかく漓江下りの一番のハイライトの興坪〜楊堤を通ので文句は無い。しかも帰りは何処まで乗ってもタダだという。
10時前に船は出発。最近の雨のせいか川の流量が多く流れも早い。この船で上っていけるのか少し心配したが船はゆっくりすべるように上流へと向かっていった。この船は漁船程度の大きさなのだが、4人がけの向かい合わせのテーブルがいくつかあり食事もとれるようになっている。そして船の前方には平らな少し大きめのデッキがあって、木の小さな椅子を持っていって座ることが出来るようになっている。
しばらく前方かぶりつきで見ていたら、竹で出来た小さな筏をあやつるおじさんや釣りをする子供、大きな外国人用の観光船など川はけっこうにぎやかだ。しばらくすると平らな山ばかりになって退屈してきた頃となりのイギリス人が話しかけてきた。内容はおきまりの、今まで何処を旅した?中国にはどれだけいる?これから何処へ行く?というような物だったが、ヨーロッパまで陸路で行きたいと言うといろいろ中近東からヨーロッパの見所を教えてくれた。中でもイタリアのトスカーナ(シエナ?)は今まで自分が行ったどの都市よりも美しかったので是非行って見ろと言っていた。
このボートには他にも8人ぐらいの客が乗っていたが、何と全員英語圏の人だった。これはけっこう珍しい。他のオーストラリア人の女の子や、同じくオーストラリアのおばさん二人組ともいろいろオセアニアの話しで盛り上がってしまった。やっぱり彼女らのニュージーランドの印象も「何もない小さな国ね、でも静かで良いところだわよ」という感じだった。
興坪に着いて何人か下りていった、ここからが良いところなのに。一応下りる人に昨日見つけた展望台の道を教えて上げた。この辺から所々急流が現れて、船はほとんど止まった状態で蛇行しながらすこしづつ上っていく。景色も今までとは打って変わって険しいとがった山に囲まれるようになってきた。これらの山々にはいろいろと名前が付けられているのだが、いまいちどれがどれか分からなかった。「九馬画山」が最大の見所だと昨日の展望台のおじさんに言われたのだが、結局どれがそうなのか分からなかった。まあともかく絶景には違いなかった。
楊堤は誰も下りないというので、町が見えたところで船はUターン。一気に倍のスピードでどんどん下っていく。帰りは本当に下っていくので川下りという感じがする。一度見た景色なのだが船のデッキからはほとんど前方と横しか見えないので2回楽しめていい感じだ。ただこのころからだいぶ気温が下がってきて肌寒くなってきた。今日は気合いを入れて持っている服を全部着てきたのだが、それでも寒い。ここもニュージーランドのように天候によって15度ぐらいは平気で気温が変わりそうな所だ。
寒さに震え、景色に魅了され、船は5時半頃陽朔の桟橋に帰ってきた。一行と別れホテルで一休みした後例の没有カフェに夕食を食べに行った。この日はフランス人の団体がいて、チューヤンに似た店のねーちゃんもすごく忙しそうだった。
久しぶりにビールも飲んで上機嫌で帰っていると路上で2人の老人が少し離れて二胡(中国の伝統的な楽器、2弦のバイオリンみないなの)を引いていた。二人とも目が見えなくてこれで食べているみたいだ。片方の老人は仲間が太鼓とか叩いて一緒にセッションしている。明るい元気な演奏で注目を集めていたのだが、もう片方の老人の演奏には何か引き込まれる物があった。悲しみを帯びたそれでいて優しい音色だ。演奏技術というか楽器自体がもうボロボロで物理的な音自体はそんなにすばらしい物ではないのだが、老人のこれまでの人生を何か楽器を通して語っているようなそんな説得力のある演奏だった。
多くの人は、哀れみの気持ちから、お金を置いていっているようだが、僕はしばらく鑑賞した後、本当に一人の芸術家としての尊敬の意味を込めて、少しばかりのお金を椀の中に残していった。自分もいつかあんな深みのある音楽を奏でられる日が来るのだろうか?その夜はずっと老人の二胡の音が頭を離れなかった。
河原へ行って晴れの日バージョンの漓江を写真に取ったり、宿の前の公園内のとんがった山の上にある展望台に上って1時間ぐらいぼーっとしたり。そしてバスの時間に合わせて少し前に軽く夕食を取ることにした。最後の没有飯店で、「ビーフステーキと、、、」といいかけると「Steamed Rice!」とチューヤン似のねーちゃんが答える。すっかりお得意さまになっていたようだ。
ステーキをぱくついてると、一人の青年が没有飯店をバックに写真を撮ってくれと言ってきたのでとって上げた。なんだか少しおろおろしてるような感じだったが、カップルで旅をしてるようだった。なに人だろうと思ったが、しばらくして通りがかりの果物売りが「1.5元」と言うのを二人掛かりで「ぼっている」とか抗議していた。彼らの主張は「4個4元だから1個だけ1元で売れ」と言う物で、よく考えると市場経済を無視しためちゃくちゃな論理だ。
なんだか延々たった7円の為に頑張っていたのだが、態度と言葉からイスラエル人だというのがわかった。やれやれだ。がしかし、この後こいつらのせいでとんでもない事件に巻き込まれようとはこの時はまだ思いもしなかった。
ステーキは平らげてチューヤンに挨拶してバスターミナルに向かうと、例の二人組と後もう一人イギリス人がバスを待っていた。イスラエル人カップルの方は漢字が読めないのでなんだかおどおどしてるようだった。
今日乗るバスは寝台バスといって、普通のバスを上下に区切って細長いベッドのような椅子が横に4列並んでいるような構成になっている。だが男2人だと結局方がふれあうぐらい窮屈なので混んでるときはあまり快適な物じゃない。
バスは5時半ごろにやってきたが、どうやら桂林始発らしく陽朔から乗る人は自由席という事になるらしい。バスはもうかなり満員で一番後ろの方しか空いてない。一番後ろの寝台は、通路が必用無い為5人分のスペースがあるのだがまあ同じ事だからいいかと思ってその席に座る事にした。イスラエル人たちは「自分達は2人で旅をしてるのだから席を替われ」と延々抗議していた。出発がかなり遅れた頃何人かの中国人が彼らのために席を譲ってバスはまもなく出発した。
となりのイギリス人とは途中暇なのでいろいろ旅の話しなどをしていたのだが、結局こいつも自己中心のわがままな奴で、途中寒いからバスの窓を閉めたら、その1秒後に無言で開けやがった。自分は毛布を持っているからしめる必用が無いとでも言いたいのだろうか?自分の事しか考えてない。しかも途中から5人掛けに4人の所にあと2人入ってこようとするので「おいおい!」と思ってると、寝台の後ろには6つの番号がふってあった。ばかげている。あほすぎる。物理的に5人の肩幅も入るか危ういところに6人もどうやって寝ろというんだろう。しかも横の二人は寝台に大きな段ボール箱を持ち込んでいる。本当に今日のバスは大外れだ。
うんざりしているとやがて9時頃に夕食の為に小さな村に立ち寄った。なんと全員締め出しらしく外で待たなくてはならなかった。自分は軽い夕食を食べていたので周りを歩き回ったりして時間をつぶした。そして待ちくたびれた頃バスのドアが空いてようやく乗り込むことができた。バスは真っ暗な山道を結構なスピードで走った。
そしていよいよ最低だと思っていたバスに更に最低の事件が起こった。夜中の2時過ぎぐらいだっただろうか?例のイスラエル人二人組が「カメラと財布を取られた」と騒ぎ出した。英語の出来る中国人を巻き込んでなにやら運転手と話をしている。バスはやがて名前もしらない町の公安の敷地に止まった。
やがて3人ほど公安がやってきて事情を聞いたあと、バスをチェックし始めた。最初に近くに座っていた中国人が外に出され荷物を調べられた。それで終わりだろうと思っていたら、何と一人づつ全員下ろして調べるような雰囲気になってきた。やがて自分とイギリス人の番が回ってきたが、公安が厳しい口調でなにやら言ってきた。「日本人だ」と中国語で言うとその後は簡単な英単語で対応してくれたが、結局全員がバスから下ろされて寒空の下でカバンの中身を全部ださされてチェックされる事になった。しかもこんな夜中の3時の寒空の下で。
まあ警察のやることだから仕方ないのだが、むかついたのはこのときのイスラエル人達の態度だ。まるでお前ら泥棒だからチェックされるのが当然だとでも思ってるのだろうか?一人づつ下ろす方式にも「隠すスキが出来る」などと公安さえ信頼していない。かれこれ2時間以上も足止めを食って、40人もの上客が震えながら待っている。いつになったら深川につくのかと思わず何度もため息が出てしまう。そして切れそうになったのはこの後の一言だ。ため息をつく自分に向かって男の方のイスラエル人がいかにも親切そうな口調でこう言った「何か問題があるのか?さっきからため息ばっかりついているけど、、、」
うきーっ!!なんでこいつらはこうなんだろう。40人以上もの人間が寒空のした3時間も野外で待たされている。これが問題だと言わずになんだと言うんだ!知ってる限りの罵詈雑言が英語で頭の中を駆け回ったがすんでの所で飲み込んで「ただこの分だと何時に到着するだろうと思ってな」とだけ答えた。中国は人を忍耐強くするのかもしれない(笑)
結局カメラと財布は見つからず、周りが明るくなってきた頃全員が無罪という事でバスにもどる事を許された。イスラエル人達は保険を請求するから盗難届けが要るとなんだかまだ何か話し合っている。結局バスを下りて朝まで待たないと公式のものは出せないようで、一度は下りる決心をしたようだが、即座にそこから深川までのバスの値段を尋ねてその金額に愕然としたのか(1000円ぐらいだが)とんでも無いとバスに戻ってきた。顛末は知らないが、結局一筆書いてもらって、深川でドキュメントを発行してもらうような感じみたいだった。
どっぷり疲れて劣悪な環境でもさすがに眠ってしまって、起きたらもう辺りは一面バナナ畑が広がっていた。ついに広東だ。その後しばらく隣の深川に住んでいるという女の子と簡単な英語と筆談でいろいろ会話しているうちにバスはチェックゲートみたいな所に着いた。
なんでも中国人は深川にでさえ特別な許可証が無いと入れないらしい。深川市の手前で全員バスを下ろされて、身分証、パスポートのチェックを受け再びバスに乗り込んだ。乗客は半分に減っていたのでたぶん半数が深川にさえ入れずにこの辺で何か商売をしたりしてるのだろう。
深川市内に入ると明らかにこれまでの中国とは違う。あいかわらずオーバーデザインのバカ建築がいっぱいあるのだが、なんだか交通ルールも守られていて北京なんかよりもずっと綺麗で都会的な感じがする。11時頃バスは3時間半遅れで深川の銀湖ターミナルに滑り込んだ。
まさに悪夢の一夜であった。
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