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コロンビア編

(イピアレス〜カルタヘナ)


6月22日 長い一日(キト〜トゥルカン〜ルミチャカ〜イピアレス〜パスト)

コロンビア。一般的な日本人のイメージは、麻薬、ゲリラ、強盗、コーヒーといった所だろう。何だか危険なイメージのこの国だが、意外と旅行者のイメージはいい。とにかく人が明るくて親切なのだとか。つまりコロンビア人=いい人か強盗という事になるらしい。僕はこれからアメリカを目指す予定なので、通り道と言うことで気を引き締めてコロンビアに向かうことにした。

キトでは別れがあった、プライバシーの事もあってあえて日記には書かなかったのだが、僕はここまでボリビア、ペルーのあちこちを日本人の女の子と回っていた。以前から世界のあちこちで何度かばったり会ったりしていたのだが「南米は1人だと強盗が怖いから」という事で、メールを貰ってここキトまで一緒に回ることになったのだ。

僕は最近時間が足りなくて焦っていたのと、日本にいるときから元々1人で行動するのが好きだったので、時には邪険に扱ってしまったりした事もあったけど、食事をするときや遺跡巡りなんかは二人でいると何倍も楽しくなった。そして別れの時がきた。

「コロンビアも一緒に行こうか」という話もあったのだが、そろそろ1人旅に戻りたかった僕は、固辞する事にした。バスを見送って手を振り続ける彼女を見ながら、寂しさと自由の入り交じった複雑な気分で僕はキトの街を後にした。

バスは山を縫いながらどんどんと下っていって、5時間ほどで国境に近いトゥルカンの町に到着した。「さて国境へはどうやっていったらいいのだろう?」と思って売店のおじさんに聞くと、ローカルバスを指差して、「これで町の反対側の公園まで行って、そこからコレクティーボに乗るんだ」と教えてくれた。

コレクティーボ乗り場で、エクアドルセントが余ってしまったので、売り子のおじさんから味の無いゼリーを買った。エクアドルの通貨はドルなのだが、硬貨だけはアメリカセントとエクアドルセンターボが混ざっているのでエクアドルのものは使い切らないと行けないのだ。ゼリーを食べ終わってからおじさんに「捨てといて」と言って容器を渡すと、おじさんは笑顔で道路に投げ捨てた。こらこら。

直径2cmほどしかないハンドルのついた年代物のコレクティーボはふらふらしながら、国境を渡ってコロンビア側の駐車場まで言ってしまった。道路が渋滞していて駐車出来なかったのだろう。まあここは国境の橋も20mほどしかないので歩いて戻って出国スタンプを貰いにいった。

ここの手続きは両国とも親切&フレンドリーで何の問題もなかった。そして時々賄賂を要求していくるという橋の上にいるポリスにもまったく絡まれることなく僕はまたまたコレクティーボに乗って国境を後にした。

コレクティーボはイピアレスという最初の町のど真ん中で終点だった。てっきりバスターミナルまで言ってくれるのだと思っていたのだが、結局僕はタクシーを捕まえてバスターミナルへ、そしてまたまたそこから別のコレクティーボに乗って今日の目的地パストに向かった。

パストまでの道は絶景だった、V字谷にへばりつくように作られた道路をぬって少しずつ下っていく。ただ僕は一番前の3人掛けの真ん中だったので、カーブの度に左右に振られて天井につかまらなくてはいけないほどだったので、パストのターミナルに着いたときには結構疲れてしまった。

エクアドル人が不親切と言うことは全くないのだが、コロンビア人の第一印象はかなり親切だった。コレクティーボの隣に座っていた青年は僕の事を気遣ってくれて、ターミナルで降りてからもホテルの場所とかを教えてくれてから「ターミナル周辺は危ないから気を付けてね」と笑顔で去っていった。

カゼ気味だった僕は一番近くの半分連れ込みっぽいけど少し綺麗なホテルに行ってみたら10000ペソと言われて出ようとすると8000まで下がったのでそこに泊まることにした。さすがにこれだけ移動すると疲れる。本当は夜行でカリまで行きたいのだが、この区間は頻繁にバスがゲリラに襲撃されるというので、ここで夜を明かすことにした。

コロンビア国境の橋の手前


6月23日 強盗日和(パスト〜カリ)

6時半に目覚ましがなった。そのまま荷造りをして目の前のバスターミナルに向かう。ターミナルに着くと色んなバス会社が軒を連ねていたが、一番高いけど一番まともそうなBolivarianoという会社のチケットを買った。変な会社だと途中で色んな人を拾うから安全面で不安だったからだ。

バスは定刻の7時半ちょうどにカリに向けて出発した。このルートは景色の百科事典というほどめまぐるしく風景が変わる。バスはすぐにぐにゃぐにゃの峠道を登り始めた。この辺りはまだ標高が高いのか、あまり木も茂ってなくて、どっちかというと殺伐とした山岳風景という感じだった。

確かにものすごい山だ。この辺りがゲリラの本拠地になっているというのもうなずける。危険を避けて朝のバスにして良かった。とはいうものの、夜行バスさえ一日に8本ぐらいあるので、いくらなんでもそんな頻繁に強盗が発生するわけはないのだが、安全にこしたことはない。

途中小さな町で休憩したときに、生オレンジジュースを飲んだのだが、そのおばちゃんがとても楽しい人だった。飲み終わると「RICO?(美味しかった?)」と微笑んだ。そう言えばバスの隣の小学生ぐらいの女の子も珍しい外国人に興味があるのだが、いろいろと話しかけてきた。

こんな楽しい道中だったのだが、事件は突然おこった。バスが一旦停止して、他の客が騒ぎ出したと思うと、いきなり顔をボロキレで覆った二人組がバスに入ってきた。一人は銃、もう一人は手にナイフを持っていた。「まじっすか?」と誰にでも無く口に出してしまった自分だが、自分でも驚くほど冷静だった。

まず銃を見た。ボロボロの猟銃といった感じだ。だから彼は少なくともプロのゲリラではない。もし共産ゲリラならAK47(カラシニコフ)を持っているだろう。僕もカンボジアで撃った事があるのでそんなのを持っている人には無条件降伏してしまう所だ。そしてもう一人のお金を集めて回っている奴のナイフの持ち方も素人だ。

そして事もあろうに銃を持っている方の奴までが銃を下ろして時間を気にしてかお金を集めて回った。もし警官がこのバスに乗っていたら二人ともとっくに死体になっていることだろう。つまり奴らは強盗には違いないのだがゲリラの名を借りたその辺のチンピラなのだろう。

どこまでも冷静だった自分は、まずキャッシュベルトをズボンの奥に押し込んでから、ゆっくりと足元のカバンを足でシートの下に押し込んだ。そして胸の首掛け財布を服の外に出して入っていた$10と5000ペソを大げさにぴらぴらさせて見せた。奴らは見事ひっかかって、僕の財布の奥やポケットをまさぐったが、キャッシュベルトやカバンには気がつかなかった。そして胸ポケットにあったデジタルカメラもタバコか何かと勘違いしたのか目もくれずに大急ぎで降りていった。

バスが動き出すと、あちこちから「ちくしょう」という声が聞こえてきた。このバスはちょっと高級なので乗客も裕福層が多いのか、結構な金額を取られた人も居るようだった。僕は トランクの荷物も無事だったし、強盗を体験した事と、奴らををうまく手玉にとってやったという事でしばらく高揚していたのだが、しばらくするとあんな素人のチンピラに全部で$12.5であるがやられたことに腹が立ってきた。

隣のカイロであった「ちいママ」そっくりな小さな女の子が興奮気味に「ねえねえいくら取られたの?私なんかお小遣いすっからかんよ まったく!」ととにかく喋り続けた。途中ポパヤンの町で乗客の何人かが警察に被害届を出そうとしたのだが、こんなのは事件にすらならないらしい。やっぱりコロンビアは人がいいだけじゃないので気を引き締めないと。

夕方4時頃やっとの事でカリのターミナルに着いた。途中少しスラムっぽい所もあったので、この国はペルー以上に貧富の差が大きいのかもしれない。僕は強盗にやられて現金が無かったのでバスに乗ることさえできずに、重い荷物を背負って日本人宿「だるま」をめざした。

最初は「惨めだなあ」と思っていたのだが、それが段々と悔しさに変わって、最後には怒りに燃えていた。わずかに残った小銭でジュースを買って、乾ききった喉を潤すと少し怒りも収まった。そして教えて貰った場所が嘘で、なかなか宿が見つからなかったのだが、最後は地元の青年が声をかけてくれて、しかも宿の前まで着いてきてくれた。

コロンビア、親切な人か強盗というこれまたまったく極端な国にきてしまったものだ。

このバスでやられた。


6月24日 連休はコロンビア晴れ(カリ)

強烈な太陽とまとわりつく暑さ、やっぱり日本人の自分にはこう言うところがあっているのだろうか?

強盗の余波というよりもキトでひいたカゼのせいで朝からダラダラモードだった。しかも、月曜日が祝日なため銀行が火曜日まで開かないので、ドル札をほぼ全部使い果たしてしまった自分は強制的に3泊する事が決定してしまったのだった。

ここ日本人宿「だるま」はコロンビア人のお母さんと3人の子供で運営されている。でも今はお母さんは長期外出中とかで、長女が全てを取り仕切っている。一家は鹿児島に長い間住んでいたのでコテコテの鹿児島弁で面白い。

情報ノートを読んだり、本棚に並んでいるガイドブックを見ながら今後のルートを考えたりした。そしてロビーでゴロゴロするのにも飽きて外に出てみるのだが、やっぱり連休でどこも閉まっていてどうしようもない。結局夕方3000ペソの定食を食べて宿に帰ってきた。

宿にはビデオがあって、テープは近くの日本人会館で借りて来れるらしくて、テレビではルパン三世が流れていたので懐かしくて思わず最後まで見てしまった。ま、平日にならないと移動できないし、こんな一日もいいだろう。

寝る前にラジオをつけたら、延々ハードトランスがかかっていて、それを聞きながらいつの間にか眠り込んでいた。

ちょっと怖いカリの散髪屋さん


6月25日 ショッピング(カリ) 

今日も休みだ。でも近所の大きなショッピングモールが開いているというので宿の2人と共に出かけることにした。20分以上歩いてたどり着いた先は、日本と変わらないモダンなショッピングモールだった。おしゃれな小さな専門店がたくさん入っていて、若者のデートスポットにもなっているようだった。

僕はレコード屋と本屋をひやかしたのだが、本屋には生憎英語の本が無かったので一通り見てから宿に戻ってきた。そして次はセントロの観光名所と思ったのだが、いざセントロに行ってみると、こちらはあちこち小便臭くて、治安はともかく雰囲気が良くない。綺麗な教会を2つほどみてから公園で一休みする事にした。

ふと前をみると懐かしい風景が。かき氷屋だ。さっそく作って貰ったら、山盛りの氷に2種類のシロップ、そして最後は練乳で仕上げ。そしてこの笑顔のおじさんの隠し味はなんとレモン。氷を詰めていくときにレモンを絞ってしみこませていくので、練乳の甘さとレモンの酸っぱさが絶妙に混ざり合っている。やっぱり夏はかき氷だ。

陽気なかき氷屋のおじさん
山盛りで一杯700ペソ(35円)


6月26日 マネーロンダリング(カリ)

ここコロンビアでは一つ不思議な事がある。ヤミレートが高すぎるのだ。といってもこれはペソが強くなっているのでドルから考えると安いと言うことなのだが、このマジックを利用するとお金を無限増殖する事ができる。とは言う物の僕はそんな暇も無いし、リスクも背負いたくないので、必用最小限利用することにした。

まず銀行でドルのTCをペソに両替する。このときのレートは$1=2260。そしてこれをいちおう化粧品屋という名目の鉄格子に覆われた両替屋に持っていくと、2180ペソ=$1で買い取ってくれる。つまり$1000のTCを両替すると$1050程の現金が手にはいることになる。

何でこんな事がおこるのだろう?僕は最初偽札のリスクの為だと思っていたのだが、いろいろ話を聞いていると、密輸で得た儲けはドル建てで入ってくるので、ヤミ経済でドルが余っているのだろうという事だった。でもまあそんなことはどうでもよくて、僕は$700程を現金化して$30ドル弱の儲けを出したのだった。

欲張る気はさらさらない。単にこれから先ドルの現金が必用だったので両替する必用があったし、おまけでこの前やられた$12.5とここの宿代がチャラになったのでこれで満足だった。ちなみに味を占めた人達は、$2000ぐらいを元手にして、儲けた現金をエクアドルに持っていってTCを買って何度もお金を転がしたりするらしい。

偽札をつかむのもいやだったので、全部を$50の新シリーズで受け取って、尾行されてないか注意深く後ろを振り返りながら宿まで帰った。

夕方からはカゼがまだ後を引いていたのでもう一泊だけしてボゴタに向かうことにした。夜行バスはポパヤン〜カリほど致命的には危なく無いものの、たまに事件が起きるらしい。とはいうものの、この前はその助言にしたがって昼間のバスに乗ってやられたし、何よりもボゴタに夜着く方がよっぽど危ないだろうという事で、やっぱり夜行にしようと思う。

ほんと、日本では安全はタダだが、コロンビアでは飛行機にでも乗らない限り移動の安全は補償されないのだろうか?安全な日本に帰りたいような帰りたくないような複雑な気持ちだった。

転がす前のコロンビアペソの札束


6月27日 確率四十分の一(カリ〜ボゴタ)

この前強盗にやられたときに、同じバスに乗っていたビジネスマンが言うには、カリ〜ボゴタの間は夜行バスとかでも大した被害は起きていないらしい。だから今晩の夜行で行こうと思ったら、宿の長女(母親は長期外出中で、彼女が切り盛りしている)に「やっぱり夜行はやめた方がいいんじゃない?」と言われてしまった。

好意で言ってくれているのはありがたいのだが、そんなことを言われても朝出るとボゴタまでは12時間もかかるので、夜になってしまう。夜行も危ないが夜にボゴタに着くのはもっと危ないだろう。そして彼女はさらに、バスは夜の9時ぐらいで終わりでそんなに本数も無いと言う。とにかく座って考えていても埒が開かないのでターミナルに行ってみることにした。

実際ターミナルに行ってみると、各社盛大に便があって、夜の7時ぐらいから11時ぐらいまで、20分に一本ぐらい。そして各社が結構な本数を出してるもんだから、一晩あたり40台は出ているだろう。彼女の情報は結構いい加減なようだ。もっとも生まれてから最近まで日本に住んでいたのだから仕方はない。

聞いた時刻を盛大にメモした紙きれを見ながら冗談っぽく「さて、この中で一台のバスがやられます。当たりはどれでしょう?」と自分に問いかけてみた。この前は一番バスに乗ってやられたので、最初に出るのは避けたい。そして遅すぎるのも明け方やられるかもしれない、等いろいろと考えた結果、Express Palmiraという会社の夜8時半のチケットを買った。この前のボリバリアーノは「ゲリラに上納金を払ってないから時々やられる」といううわさ話を聞いたことがあるからだ。適当な噂かもしれないが、可能な限り安全にしておきたい。

結局今日一日はそんなことで過ぎていった。そしていよいよ出発の時間がきて、タクシーを捕まえてターミナルに向かった。カリは安全といわれるが、やっぱり強盗はいるし、宿の情報ノートには銀行で銃声がして、床にはいつくばったら二人殺されていたというような事も書いてあった。やっぱりコロンビアは危険なのだろうか?たしかにブラジルの方がきっと何十倍もの犯罪が発生しているのだろう。だがそっちは一般市民と離れた所で起こっているのだが、コロンビアは直接人々の生活に降りかかっているのだろう。

バス自体は何の問題もなく、しかも強盗防止の為に、ペルーの様にあちこちで人を拾いまくったりはしないから、車内もガラガラで快適だった。ただ夜道は全く街灯もなく、カリ−ボゴタという二大都市を結ぶ幹線道路なのにも関わらず交通量はまばらで、途中バスが停車する度にドキッとしてしまった。「空気と安全はタダだ」というのはやっぱりとんでもない間違いだと思った。

夜が更けて2席使って横になるとさすがに眠り込んでしまって、次に目が覚めると辺りが薄明るくなっていた。ちょっと大げさな気もするがその時はただ、「助かった」とホッとした。そのうち町の周辺の貧民街が顔をあらわして、まもなく大都会の渋滞に巻き込まれながら、朝7時巨大なボゴタのターミナルに到着した。

無事到着したことが一番うれしかった。

カリの美しい教会


6月28日 大都会(サンタフェ・デ・ボゴタ)

朝のターミナルは既に多くの人でにぎわっていた。当然僕の荷物を狙っているのもたくさんいるわけだ。到着ゲートの外から多くの人がのぞいている。中にはいかにも「荷物狙ってます」という感じの奴がいたので、5秒ぐらい目を合わせて牽制する。

まず最初にこれからまだ決まっていない次の目的地候補までの時間を調べる。なにせここからセントロまではとんでもなく遠いのでそんなことをするためにわざわざターミナルまで来るのは避けたかったからだ。そして次はいかにセントロまで安全に行くかという事なのだが、ツーリストインフォもまだ閉まっていたので、チケットタクシーでセントロに向かうことにした。

ここのチケットタクシーは、プリペイドと言うのではなく、乗り場のおばちゃんに行き先を言うと、その行き先と料金が2枚の紙にプリントされて出て来るというものだった。しかしこんなシステムがあるにもかかわらず、カリであった日本人旅行者は運転手ともめて相手が凶器を出そうとしたらしい。

チケットを受け取って並んでいると僕の番の運転手はなかなかおだやかないい人で、おばちゃんが間違って1キロほど近い場所を入力してしまったのに、結局その間違った安い料金で僕を宿まで送り届けてくれた。宿もあらかじめ旅行者に「荷物を盗まれなかった宿」を聞いておいたのは言うまでもない。Hotel Aragonという所で一泊9000ペソ。宿のおじさんも主人というよりも執事といった感じで、いつも濃い色のスーツにネクタイで決めていて、安宿にはいささか不似合いだった。

宿に荷物を下ろすと一安心だ。外は雨が降っていたのだが1時間程で止んだので出かける構想を練る。もちろん貴重品も全部置いていく。これで強盗にあって身ぐるみはがれても$20ほどだと思うと気も楽だ。さっそく外に飛び出して遅めの朝食をとった。コロンビア人はブラジルに次いで南米でもトップクラスのフレンドリーな人達だ。お兄さんもニコニコしながら、パンをレンジで温めてくれた。

カフェを出て少し行くと大きな広場に出た。中央にはおでこに三本シワのあるおっさんの像がある。そう、エル・リベルタドール(解放者)ボリーバルだ。広場の名前もそのままで、回りにはカセドラルや各種博物館が立ち並んでいた。僕はちょっと欲しい本があったので、広場の角にあるツーリストインフォメーションに立ち寄って聞いてみたら、ウニセントロという新市街のショッピングセンターに大きな本屋があるという事だった。パンフレットや地図は残念ながら有料でなぜ」か3ドルも下ので住所だけ聞いたのだが、英語を話すお兄さんが親切に教えてくれた。

次に向かったのがボゴタの見所と言われる黄金博物館だ。ここはどっかの銀行の持ち物らしいのだが、一般は何ドルかするのだが、本物の学生証があるとたったの250ペソ(12円ほど)だった。博物館は2階と3階に別れていて、2階はどっちかというと、コロンビア各地にあった黄金文化を石像や発見された金細工を交えて文化面から紹介した展示だった。

「大したことないなあ」と思いながら3階に上がるとこっちが本番だった。こっちはもう「これでもか」というぐらい金だらけだった。一応説明とかがあるのだが、そんなのよりも見ているだけですごい。そして最後にかくし玉があって、まっくらな「黄金の部屋」にはいって人数が集まるとカーテンがしめられて、音楽に合わせて照明がついたりする。そして最後は部屋全体が明るくなって、壁の四面におびただしい黄金の装飾品が現れるという凝った演出になっている。

博物館のあと、しばらく町を北に歩いていくとオフィス街に出くわした。本当に辺りはスーツを着たビジネスマンだらけで久しぶりの光景だった。そんなビジネス街からバスを拾ってノルテと呼ばれる新市街を目指す。ボゴタの通りは全て縦がCarerra、横がCalleでそれぞれ1番から順番に番号が着いているので住所を聞くだけでどの辺りかわかってしまう。

ビジネス街はちょうどCalle25-30ぐらい。そしてウニセントロはCalle124だったので通り100本なんてすごいなあと思っていたら、本当に遠くて1時間近くかかってしまった。これだけでボゴタの街の巨大さがわかる。やっとたどり着いたウニセントロは郊外型ショッピングセンターと言った感じで、スーパー何軒かと専門店がたくさん入っていた。

ただ本屋はまったくしょぼくて、僕の欲しい本は全くなかった。そしてインターナショナルという名前のくせに、英語の本すら教科書ぐらいしか置いてなかった。ツーリストインフォの情報も全くあてにならなかった。元々外国人というのが極端に少ない土地柄なのだろう。事実旧市街の観光名所でさえツーリストと言うのをほとんど見かけなかった。

せっかくここまで北のでノルテ地区にある、名物日本料理屋の「侍や」という店を住所をたよりに行ってみたのだが、生憎3時から6時までは閉まっていて、入ることは出来なかった。

帰りは適当に縦の通りを走っているバスを捕まえたら同じく1時間程でセントロまで戻ってきた。夜のボゴタも宿の周辺を見る限りでは人も多くてたいした危険は無さそうだったが、時折挙動不審の奴らもいるので気を付けないと。

ボゴタの歴史地区の街並み


6月29日 解放者の別荘(サンタフェ・デ・ボゴタ)

今日もやっぱり朝は雨だった。歯を磨いたりシャワーを浴びたりしているうちに天気が良くなってきたので出かけることにした。宿の近くのカフェで朝食の「トラディショナル」と言うのを頼んでみたら、何と芋と肉のスープにコーヒー、パン、スクランブルエッグが付いたものが出てきた。そしてこのスクランブルエッグのかたまり具合がもう絶品で、これで1ドルちょっとなのかと驚いてしまった。

お腹が一杯になると今度は昨日から気になっていたロープウェイの方向に向かって坂道を登っていく。ここは強盗、ひったくりがとんでもなく多いらしいので回りを警戒しながら進んでいく。途中に大学があって、そこまでは広くて人通りもあるのだが、その先は深いカーブになっていて見通しも悪い。途中に「ボリーバルの家」と言うのがあったので入って見ることにした。

チケット売場に学生1500ペソと書いてあったので、学生証とお金を渡すとチケットはくれずにパンフレットだけをくれた。後でパンフレットの裏を見ると、老人、子供、軍人、そしてInternational Student Cardは無料と書いてあった。はっ!しまった、ボリーバルだけに、ぼられたのか!?後の祭りなのだが、でも館内の係員はとても親切に色々教えてくれたので70円ぐらいは惜しくはない。

ボリーバルの居間、寝室、プレイルーム、キッチン、そして執事の部屋なんかが見れるのだが、それよりもすごいのは屋敷の庭園で、居間はちょうど紫陽花が咲き乱れていて、きっと日本も今はこんなのだろうか?ちょっと懐かしくなった。それに紫陽花は僕が生まれた季節の花だから一層親近感がわいてきた。

そんなボリーバル邸を後にしてロープウェイに向かおうとしたら、上の方から二人組がちらちらとこちらを見ている。強盗かひったくりだろう。僕がじっと目を合わせたとたん、わざとらしく回りの建物を指差してあーだこーだ言っている。これだけ目で牽制しておけば滅多なことはしないだどうが、念のために下から上がってきた4人組の若者に混じってロープウェイの駅まで行った。

平日で人が少ないからなのか、少し待たされたのだが、動き出すとロープウェイは一瞬で頂上までたどり着いた。昨日バスに乗って、ボゴタはでかいなあと思ったのだが上からみるとそれでもボゴタの一部分しか移動してない事に気が付いた。本当にこの街は大きい。

頂上には他にたいしたものはなくて、教会とあとどこにでもあるキリストが処刑されるまでの場面のブロンズ像とかあった。おもしろかったのはここの教会はろうそく売りとかが居なくて、かわりに祭壇にたくさんの電球があって、お金を入れるとその電球の電気が一定時間点灯するという、なんとも有り難みの無いものだったのだが、みんながことごとくお金を入れていくのには笑ってしまった。

山から下りると昨日行けなかった「侍や」のリターンマッチだ。2回目なのでバスもすぐに捕まって、店にはいると熱々のおしぼりが出てきた。どうやら昼間は安い定食があって、何でも8000ペソ(400円ほど)で食べられる様になっている。昼間に来て大正解だった。

食事を食べ終わる頃に暇になったのか店の主人が出てきてくれて色々と話を聞かせてくれた。主人は海外旅行解禁後すぐにヨーロッパ、アメリカを働きながら回ったバックパッカーの先駆けだったらしい。旅の話はもちろん最後は人生論まで4時間ほどたっぷり話を聞いてから店を後にした。ウシュアイアの上野さんやキトの尾崎さんもそうだが、南米にはなかなか面白い日本人の人がたくさんいる。ここは国が国だけにそんなに訪れる人は多くないようだが、ぜひほかの人にも薦めたい場所だ。

夜は特に決め手なくセントロをうろついた。一軒のビュッフェ形式の食堂で適当に指を指して皿に盛ってもらうのだが、全部でたったの2800ペソだった。なんだかんだでコロンビアは移動費以外はとても安い。移動費はバスが強盗のためペルーの様に途中で乗客を拾えないので常にがらがらな事を考えると仕方がないのかもしれないのだが。

夜のセントロも裏路地以外はたくさん警官がいて、全く危険を感じなかった。ただなぜかボゴタはマンホールの蓋が無いところがあって、ぼーっとしてると穴に落ちそうで恐ろしかった。

上を見上げると、ライトアップされた高層ビルがまるで大阪のように見えた。

緑が美しいボリーバル邸


6月30日 快適バスの旅(ボゴタ〜カルタヘナ)

まずい、またまた移動が週末になってしまった。とはいうものの、今週はまたまた月曜日が祝日なので3日も待っていられない。覚悟を決めて出発することにした。

チケットタクシー以外だと結構料金でもめたりすることもあるようなので、バスでターミナルに向かおうとしたら、これがまたどこから乗っていいのやわからない。その辺のおばちゃんを捕まえて聞いてみると「向こうの方から黒いコレクティーボが出てるから」と教えてくれた。ただ場所はあっていたのだが、黒いコレクティーボは少なく、ようやく来たのも満員で、ザックを膝の上に載せてギューギューの車内から街の風景を眺めていた。

ターミナルに着いてちょっとまずいなあと思った。それはものすごいコロンビア人行楽客。さすが連休。そしてもっと困ったのが、あれだけあるATMが一台もCirrusはおろかVISAにも対応してない。汗だくになってあちこち回ったのだが結局無くて、クレジットカードで買える、Expreso Brasiliaという会社のチケットを買った。カルタヘナまで77000ペソ。35ドルもするとは、やっぱりコロンビアの移動は金がかかる。

バス待ちの間、コロンビア人一家と仲良くなって、中でも小学生ぐらいの娘は僕に興味があるらしく、片言のスペイン語でいろいろやりとりした。スペイン語が話せたら南米の旅は何倍も楽しいんだろうなあ。

そして時間になってやって来たバスは、なかなかのバスで、シートの幅は狭いものの前後はとても広くて、座席も150度ぐらいまで倒れて、これならカマといっても納得できるレベルだ。ただ行き先がバランキージャになっていたので、きっとどこかで乗り換えさせられるのだろう。

出発してすぐにトイレに行ったら、洗剤かなにかの有毒ガスが充満しているらしく、瞬間鼻が痛くなって涙がボロボロでてきた。「やばい」と思ってとっさに外に飛び出した。なんなんだろう。その後トイレに立った人もみんな涙を浮かべていた。こんな時に下痢じゃ無くて良かったと心から思った(笑)

バスは丸1時間以上かかってボゴタ市内を抜けると、霧雨の山道をどんどん進んだ。山道といってもポパヤンの辺りとは違って、なだらかな丘陵地帯で、どこかニュージーランドのようでもあった。映画を見たり、眠ったりしているあいだに、どんどん暗くなって、夕食休憩で結構おいしい定食を平らげると後はもうひたすら眠るだけだった。この路線は安全だという事なのだが、やっぱり夜行の移動は少し心配だった。


7月1日 カリブの風(カルタヘナ)

目が覚めると回りの景色は大きく変わっていた。どこか懐かしい熱帯の風景である。相変わらず海は見えないが、潰れたペットボトルをみて、下界に降りてきたのだと思った。

窓から見える人達が全員黒人になった。街並みもどこかやはり貧しい感じがするのだが、それはブラジル北部やガーナで見たような、のんびりした楽園の風景にも見えた。そしてやがてサンタマルタを通過したのか海が見えてきた。

バスは11時頃にバランキージャのターミナルに到着した。全員が降りたので「案の定」と思っていると、別のバスに案内された。ただチケットはくれなくて「これに乗れ」と言われて乗っていると、30分程待って出発する直前になってから乗務員達がもめだして、結局バスを下ろされてしまった。

一度は車掌も納得して荷物を積み込んだのに何事なのだろう?「金にならない客なんてのせてられねー」という事なのだろうか?結局ターミナルの係員がチケットに何やら書き込んで、次のバスに乗れることになったのだが、大幅なタイムロスの上に、適当にバスを割り当てたもんだから結局席が足りなくてまたまたもめてしまった。

しかもバスは冷房付きなのにほとんど効かず、結局このBrasiliaという会社は競争のある路線にはいいサービスをするが、そうじゃない路線では客を適当に扱うその種の会社だったようだ。結局乗り換え時間も含めて24時間と少しでカルタヘナのターミナルに到着した。やれやれ。

ターミナルを出るとすぐに市内行きのエアコンバスが目に付いた。さすが観光地!すばらしい!と思って乗り込んだら、素晴らしいのはバスの車両だけで、これが又延々時速20キロぐらいでしか走らず、50m毎に停まって客を拾うから全然進まない。アフリカの黒人ドライバーはどこもこんなのだが、ここのドライバーは白人だった。金の亡者め。

最初はギアが壊れているのかと思ったら、やっとの事で客が乗ってこなくなって、70キロぐらいでセントロ目指して走り出した。そしてセントロをかすめた所で何とバスはUターン。セントロに行くといっていたのに。どうやら何台か停まっていたバスで一番最悪の運転手の最悪のルートのものに乗ってしまったらしい。やれやれ。

荷物を背負ってセントロの中心まで汗だくになって歩く。そこはもう完全に作りすぎた観光地という感じで、綺麗に修復された城壁やカラフルにペイントされたコロニアル風の建物が美しい。露店のオヤジが親しげに話しかけてくる。まるでブラジルのバイーアの様な雰囲気だった。

旧市街に宿を見つけるとすぐにいても立ったも居られなくなって、さっそく外に飛び出した。この風景どこかで見たことがあると思ったら、生まれて初めて行った外国、プエルトリコにそっくりなのだ。確かにここもカリブ海だし、元スペイン領というのも同じだ。旧市街の細い路地を歩いているとふいに城壁が見えて海にたどり着いた。

海の向こうには大きなビルの立ち並んだエリアが見える。どうやらここは半島の様になっていて、先端部に高級ホテルが密集しているようだ。岬の先まで4キロといった所だろうか?宛もなく砂浜に沿って歩いて行ってみる事にした。途中あちこちに浜茶屋があって多くの海水浴客でにぎわっていた。

途中の一軒でビールを飲んでいると、仮組のステージの上で音楽に会わせて3人ほどの若者が踊っていたのだが、中でも一番色の黒い黒人の踊りはめちゃめちゃきまっていた。黒人と言うだけで何をやっても格好いいんだからずるいよな。レゲエのリズムを聞きながらビールを空けると再び歩き始めた。

ここカルタヘナは「黒い鳥」とペリカンだらけだ。黒い鳥はどうやらここの名物らしく、巨大なモニュメントにもなっていた。そしてペリカンは常に3匹ぐらいで編隊を組んでとんでいるのだが、その様子はどう見ても恐竜トリケラトプスにしか見えない。(笑)

結局岬の先端の方はこれと言った見所も無くて、巨大なヒルトンホテルがあるぐらいだった。そして困ったのはそのエリアはお金持ちの高級マンションエリアなのだが、全てのマンションが金網で覆われていて、治安の為なのだろうが路地を全く作っていないので、隣の大通りに抜けようと思ったら延々何キロも戻らなければいけないのには閉口してしまった。ま金持ちは車で移動するから関係ないのだろう。

足が棒になってきたので、適当にやってきた、ボンネット型のなかなかイカすバスを捕まえてセントロに戻った。さすがに妬こう明けでこれだけ動き回ると体力も限界だったのか、少し頭痛がする。ベッドに横たわってファンを回しても、カリブの湿った空気が体にまとわりつく。シャワーで水をかぶるとやっとひんやりと快適になってきた。

さて明日はどこへいこうか?

城壁から見た旧市街


7月2日 城へ行こう(カルタヘナ)

ここカルタヘナは本当に暑い。だから今日は早起きして出かけることにした。出かけるといっても今日は祝日なのでどこも全て閉まっている。だから本当に旧市街の細い路地をぐるぐる歩き回っていただけなのだが、それだけでも充分楽しい。

旧市街から城壁に登って日陰で座っていると、コロンビア人ヒッピーと地元のマリファナでキマった若者が話しかけてきた。相変わらずスペイン語が分からないのだが知ってる単語を駆使してコミュニケーションをはかる。なかなか陽気なやつらだが、そのうち「タバコをくれないか?」とかいろいろねだりだしてきたので、面倒になって失礼する事にした。

太陽が真上にきて影ががなくなってしまったので、一旦宿にもどって昼寝をしてから再び昼下がりに城塞に行くことにした。これは街を覆っている城壁とは違って、街のはずれにある巨大な城だった。そして入場料は2000ペソと聞いていたのだが、何と実際は6000ペソ(3ドル)もした。これは宿一泊分に近くコロンビアでは破格の高さだ。

しかしもう二度とカルタヘナに来ることも無いだろうから、手持ちのほぼ全部をつぎ込んでチケットを買って中に入った。城は巨大で見晴らしが良いだけではなく、内部に迷路のように秘密の通路が張り巡らされていて、戦いの時には効率よくあちこちに兵を移動させたり出来るようになっているらしい。内部の通路に入ると本当に道に迷って出れなくなってしまいそうだ。

城の頂上では海賊の格好をした人が子供と一緒に写真を撮る商売をしていたりしてほのぼのとしていた。城壁はコロンビア人観光客で埋めつくされていて、みんな惜しげもなく何ドルもするアイスを買っていたので、コロンビア人の中間層というのは意外とお金持ちなのだと思った。

日没まえに、もう一度夕暮れの旧市街の城壁を歩いてみた。カリブ海に沈む夕日、ナツメ椰子の並木、ライトアップされたコロニアルな建物。それはなかなかの風景だった。ただそんな風景とは裏腹にこういう観光地は人の心をすさませていくのかもしれない。

旧市街ではたくさんの両替屋が声をかけてくる。彼らの言い値は$1=2400なのだが、もちろんそんなのはインチキにきまっている。どういう詐欺だかしらないが、銀行やその辺の両替商で$1=2100なのに彼らがそんな値段で両替する事に何のメリットもない。おそらく偽札か数を数えながら抜き取ったりするのだろう。

他にもこの街には少年の乞食が多すぎる。少年といっても14〜15才ぐらいで充分に働ける年齢で見るからに健康そうだし身なりも他の国に比べると遙かにいい。あまりにも多いのとしつこかったので一度「NO」とでかい声で言うと、逆ギレしてFuck youの指をして「チーノ!チンチョンチャンチョン!」とののしってきた。近寄ってきたらボコボコに殴ってやろうかと思ったが結局着かず離れずおちょくってくるだけだった。

やっぱりコロンビアもこんな観光地に来るとこんな腐った奴らもいるようだ。これも観光客の責任なのだろうか?

サンフェリペ要塞と海賊の像


7月3日 南米脱出(カルタヘナ)

長かった南米の旅もいよいよ終わりがやって来た。昨日までは休日だったので全く計画が練れなかったのだが、やっとの事で連休が明けたので朝一番から行動を開始することにした。

まずは軽い朝食。ここカルタヘナではクロワッサンを長くしたような奴の中に細長いチーズの入った揚げパンが300ペソで売っている。もちもちしていて、ネパールのドーナッツの様に噛んでいるとアゴが疲れてくるのだが、これがなかなか美味しくてフルーツシェークと合わせると至福の朝食になる。

お腹がいっぱいになると次はいよいよ旅行会社だ。最初に旅行代理店に行ってみた。いろんなフライトの値段を聞くのだが、ここカルタヘナからはそもそも格安航空券というものがほとんど無いらしく、特に片道の物はほとんどが正規料金でかなりの値段だった。

本命のパナマシティへ飛ぶ物も最初は$139と聞いていたのだが、$180近くしておまけに出国税が$29もするという。そして追い打ちをかけるようにパナマへは出国チケットが無ければ往復しか売れないとの事だった。そんな物を買っても果たして払い戻し出来るのだろうか?悩んだあげく、その近くにあったコパ航空のオフィスに直接出向くことにした。

オフィスで聞くとやはりチケットは往復しか売れないという事だったのだが、カードで払った場合はパナマのオフィスですぐに払い戻しの手続きが出来るらしい。でも結局は税金等はきっと戻らないし、レートもめちゃくちゃ不利なレートで計算されるだろうから、トータル$200を越えてしまうだろう。こんな東京−大阪程の距離に$200も払うのは身を切られるような思いだったが、コスタリカだとこれが$380ほどになってしまうので泣く泣くこれで行く事にした。

意外と時間がかかるかなと思っていた「行き先決定」だったが、蓋を開けてみると他に選択肢がなくて午前中の早い時間に終わってしまった。昼からはたまっていた日記を書いて更新をしたのだが、ここカルタヘナではこれは少し大変な作業だった。何故だか知らないがあちこちにあるインターネットカフェのOSがすべてLinuxなのだ。ms-dosフォーマットが読めるのかどうかは知らないが、とにかくいつもの方法が使えないのであちこち探そうとしたら、運良く宿の近くにWindowsのマシンを置いている所があった。

更新作業を終えてメールを受信すると、強盗の件を心配するメールが何通か来ていた。こんな所にいて日本からのメールがどんどん届くとは当たり前の事なんだけどとても嬉しいと思った。

日中はとにかく暑くて動けないので夕方まで待ってから、行きそびれていた宗教裁判所跡博物館を見に行った。値段は$1ぐらいで安いのだが、展示内容もひねりが無くてぱっとしなかった。四方八方から引っ張って体を八つ裂きにする拷問の道具や、魔女狩りの様子を書き連ねた一連の絵なんかは興味深かった。特に魔女刈りなんてアホな事をつい4〜500年前までヨーロッパでやっていたと言うのがにわかに信じがたい。特に「魔女は体重が倍ぐらいあるから大男と天秤でつり下げて女の方が重かったら魔女」というのには爆笑してしまった。

博物館を出るとカルタヘナの旧市街は夕暮れに包まれていた。今日はいつもの城壁からいつもとは反対方向に歩いてみた。城壁の上を歩いていくとカリブ海に夕日が沈んでいく。今日は特に暑かったので夕暮れには不似合いな湿った熱い風に吹かれながら歩くのだが不思議と不快感は無かった。

長かった南米。最初は3ヶ月ほどで抜けようと思っていた。特にブラジルなんて10日で出ようと思っていたのが2ヶ月近くにもなってしまった。しいて無駄と言えばウシュアイアでの船待ちの2週間なのだが、これはこれで少ないけど良い出会いがあったし、いろいろ考えたいこともあったのでいい機会だった。

とにかくこの大陸は巨大すぎる。物理的に大きいだけではなく、いろんな民族、文化、そして自然。まるで百科事典の様な大陸だった。この大陸を全て見るには何年の月日が必用だろう。僕もまだまだ見たいものがたくさんあるので、いつの日にかこの大陸に帰ってきたい思う。


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