このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

コスタリカ編

(パソ・カノア〜リベリア)


7月7日 雨季(サンホセ)

バスを降りるとバスオフィスの電気が闇の中に煌々と輝いていた。しかし鍵がかかっていて中に入れない。どうしようかと思っていると、しばらくして5時発のメキシコ行きのバスの乗客の為にオフィスが開いたのですかさず中に入って長椅子に腰掛けた。

さすがにこの時間だとどのホテルも閉まっているだろうから、ここでしばらく時間をつぶすことにした。仮にホテルを開けてくれたとしても、こんな時間に知らない街をうろつくのはもう避けたかった。サンホセは治安が良いと聞いていたのだが、それでもそれはいけない事だと思った。

5時を過ぎて辺りが少しずつあかるくなってきた。メキシコ行きが出て次のニカラグア行きが出る頃には辺りもすっかり明るくなってきて、通勤らしい人影がどんどん増えていった。「さすがにもういいだろう」と6時前に宿に向かうことにした。街はもう動き出していてたくさんの人が歩き回っていたので大丈夫だろうと呼び鈴を押すと、言葉では表せない程眠そうな顔をしたおじさんがドアを開けてくれた。「しまった、、、、」

おじさんは眠そうながらも嫌な顔一つせずに部屋に案内してくれた。宿はOtoyaという伊東の旅館みたいな名前だが日本人宿ではない。値段も$8と高かったのだが、ホットシャワーも大きな窓もあるし、コーヒーも無料だという。それになによりももうお金をケチって危ない目に合うのはあほらしいので、ここに泊まることにした。

しばらく横になっていると9時前になったので食事も兼ねて外に出てみた。いきなりマクドナルドがあったので、朝マックとしゃれ込んだのだが、やはりコスタリカの物価はこの辺では一番高いようだ。何よりも歩いている人の身なりがいい。僕よりも汚い格好をしているのは物乞いぐらいのものだ。

朝ATMで食事用に少しお金をおろしたのだが、円安のこの時勢にあんまり使うのは避けたかったので、カリで頃がした$50札を両替しようと両替商を探しているとなんと土曜日なのに開いている銀行があった。早速両替すると$1=328.5コロンだった。

銀行を出ると向かいに劇場の様な物があったので行ってみると、どうやらこれが有名な国立劇場らしい。「コスタリカで革命が起きないのは、この劇場の窓ガラスを割りたくないからだ」という話があるほど国民に愛されている劇場らしい。規模は小さいが装飾は細かくて、内装は更にすごいらしいのだが、その時間は何かのリハーサルをやっているのか入場出来なかった。

この頃から空模様が怪しくなってきたのであちこちの店を冷やかしたりした。カルタヘナで盗まれたズボンを買おうと同じ様なジッパーを外すと半ズボンになるような物を探したのだが、生地がナイロン地のものしか無くて結局買わなかった。他には本屋にも行ってみたのだが、ガイドブックは中米の物と、なぜかオマーンUAE版、そして韓国版しか置いてなかった。

かわりに本屋では一人の日本人の青年に声をかけられた。彼は旅行ではなくスペイン語を勉強するためにコスタリカにやって来たらしいのだが、日本でラテンダンサーをやっていたらしく、スペイン語の合間にダンスもやりたいと言っていた。宿に帰ったら「中南米マガジン」というマニアックな冊子が置いてあったので読んでみると、何とさっき見た彼の写真と記事が載っていた。それによると、アデランスのCMで辺見えみりの後ろでタンゴを踊っていたらしい。

宿に戻っても雨は一向に止む気配がなかったので、それならと国立博物館へ行ってみた。学生証があれば無料で入れるのだが、中身はあまりたいした事はなくて、楽しみにしていた自然関係の展示も今はみれないようだった。

どうやら今中米は完全な雨季らしい。こりゃまたえらいときに来てしまったものだ。天候次第ではコスタリカもニカラグアも素通りになるのだろうか?明日は日曜日なので明日ぐらい晴れてくれると良いのだが。

サンホセの街角でのひとコマ


7月8日 雲の中へ(サンホセ)

サンホセにつく前はなかなか見所や、先進的なショッピングセンターが林立してるのだと思っていたのだが、着いてみるとサンホセは思ったよりもずっと静かな街だった。コスタリカは中米のスイスと呼ばれていて、近隣諸国からの入国に厳しいいわゆる中米の優等生だと聞いていたのだが、街の規模は小さく商店も個人商店や小さなデパートが主で、パナマよりもずっと寂れた感じだった。

一方観光というと本当に見所は無くて、国立劇場と各種博物館ぐらいのものだった。そして周辺の見所は二つの火山。そしてこの火山も普段はツアーでないと行けない。ところが日曜日には路線バスが出ているというのでせっかくだから一日つぶして行ってみる事にした。

行くまでの道のりはコーヒー畑や緑の丘をどんどん越えていくのでそこそこの眺めで楽しめたのだが肝心の火山の方は下から吹き上げる湿った空気のために、全くのホワイトアウト状態で全く見えない。ここは火山と言うよりも火山湖をみるのだが、その火山湖も遙か下の火口の中にあるので全く見ることができなかった。$6も払ったのに行ったに何をしに行ったのやら。

やっぱりこんな時期に中米に来るのは間違いだったのかもしれない。

本当はこういうのが見えるはずだった
(青山氏提供)


7月9日 なぜか混雑(サンホセ〜リベリア)

やっぱりどんどん先へ行くことにした。Otoyaのおじさんに別れを告げて北方面リベリア行きのバスターミナルへ。さくっとバスを捕まえるはずなのだが、どこを探してもそのバス会社が見あたらない。ここサンホセは各会社が各々勝手な場所から出発するのでバス乗り場が20個以上市内に点在している。だからものすごく使い勝手が悪い上に、乗りたい会社が移転いていたので周りの人に聞きまくる事1時間でやっとそれらしい乗り場にたどり着いた。

コスタリカはほとんどが白人や比較的白人に近い混血で、結構お高くとまっているという印象があったのだが、町はずれのおじさん達は陽気で親切に道を教えてくれた。分かり切っている事なのだが、どんな国にもイヤな人もいればいい人もいっぱいいるのだ。

ところがバス乗り場に着くと次のバスは満席で結局2時間以上つぶさなければ行けなかった。ターミナルは移転したばかりのせいもあって、テレビやたくさんの長椅子があったのでそこに座っていろんな事を考えながらバスの時間を待った。

今回のバスは長距離だったので、地元のバスでエアコンは無かったが結構車両がよくて快適だった。結局夕方にリベリアに到着して早速宿探しを始めたのだが、なんといくとこいくとこ全部満員だと言われてしまった。なんでこんな何も見どころの無い地方都市がこんなに混んでいるんだろう?結局少し高めの$8ほどの宿に泊まったのだがこれが大正解で綺麗だしシャワーも着いていた。

ここでちょっと持ち金が足りなかったのでATMを探したのだがここでもことごとくVISAだった。銀行を探しながらパンアメリカハイウェイまで出てしまうかというぎりぎりのあたりでようやくCIRRUSのATMを発見して何とか現金を手に入れることができた。キャッシュカードはあくまでも補助手段なのだが、こういうときの威力はかなりの物だ。

夜は宿に泊まっていたアメリカ人のカップルに招かれて部屋でいろいろ旅の話で盛り上がった。なんでも彼らはこれから1年ほどの旅に出るらしくて、アジアや南米の話を聞きたがっていた。彼らは「コスタリカはいろんな見どころがあって最高によかった」というのだが、やっぱり僕は明日ニカラグアへ抜けることにした。

こっからは駆け足だ。



 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください