このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
クロアチア編
(ドブロブニク〜モスタル)
 

7月31日  碧の中の城(ドブロブニク)

朝8時ドアをノックする音で目が覚めた。おばさんが「8時だ」と言う。そう言えば昨日「何時に起きるんだ?」と聞かれたので「わかんないけど、8時か9時かな?」と答えておいたのだ。

まだまだ眠たいので寝直すとやはり30分ごと暗いにドアをノックして入ってくる。感じは親切なのだがどうやら次の客引きに行きたいからとっとと出ていって欲しいらしい。無視してるとついに「何時に出て行くんだ?」と聞かれたので「そんなのわかんないよ」というと「それだと困る」とか言うので「チェックアウトは12時なんだから何時まで居ても自由じゃないの?」と言うと遂におとなしくなった。

しばらく部屋でごろごろするのだが、やはり何となく落ち着かないので早めにチェックアウトして昨日予約していたユースへと向かうことにした。

ユースホステルは何年か前に移転したらしくて、真新しい綺麗な建物だった。大きさも結構大きくて100人以上は収容出来そうだった。朝食付きで85KNと安くは無いが高くもない。早速チェックインして荷物を置いて街へと繰り出す。

昨日は着いたのが夕方だったのだが、昼間のアドリア海は更に碧い。そして断崖の上からのぞき込むと水はどこまでも澄んでいる。これだけ人が住んでいるのにちょっと信じられない。きっと海流の関係か何かだとは思うのだが。

昨日と同様に旧市街の中を歩き回るのだが、昼間の旧市街もなかなかまぶしくて素敵だ。ここドブロブニクの旧市街はいわゆる城壁都市なのだが、海沿いのわりには起伏があって、海側と山側が高くなっているので登っていくと街が見下ろせていい感じだ。

しかしそれだけでは物足りないので、ちょっと大変なのだが城壁の外にそびえる山の方へ登っていくことにした。とはいうものの中腹までなのだが、炎天下の中、階段を登るとどんどん汗が出てくる。そして時折アドリア海から吹く風がそれを冷やしてくれる。

ここまで来るときに通ったバス道の辺りまで登ると旧市街全てが見下ろせる。本当にアドリア海の真珠という言葉がぴったりだと思った。そして城壁の中だけではなく山側の斜面にへばりつくような街並みも上から見下ろすとまるでミニチュアの様に見える。

それにしても本当に美しい。まるで宮崎駿の「紅の豚」と「魔女の宅急便」を足して2で割ったような風景だ。間違いなくこれまでの10ヶ月の旅の中でベスト3に入るだろう。しかしながらそれはピークシーズンの観光地であって、どうも余りのんびりとか沈没出来そうな雰囲気ではないのだ。気持ちは明日出発する方に傾いているので、大急ぎでドブロブニクを満喫する事にした。

駆け足で旧市街を歩き回り、さすがに暑いのと少し疲れたのでいったんユースに戻りシャワーを浴びることにした。部屋に戻ると同室に一人のイギリス人が居た。しばらく話し込んでいたのだが、彼はまだ高校を卒業したばかりで17才だという。何でもイギリスでは高校を出てから大学までの間に旅をするのが結構ポピュラーらしい。そう言えばインドで会ったスイス人の女の子も高校を出たばかりだって言っていた。

2時間ほどしゃべったり絵はがきを書いているといい感じの西日になって、気温もぐっと下がってきたので再び外出することにした。ドブロブニクの旧市街の城壁は入場料を払えば上に登れてぐるっと一周出来るようになっている。昼間でも良かったのだが、昨日夕日に染まる街があまりにも綺麗だったので、わざと時間をずらしてみたのだ。

しかし、入場券を買う段にになってちょっと係員ともめそうになった。何でも「もう時間が無いからお前は半分しか城壁に入れない」とか言うのだ。しかし今日しかもう機会がないので、そのまま入場料を払って登ることにしたのだが、結局入って見ると係員に止められることもなく一周することが出来た。

海風に吹かれながら城壁を歩いていると、日が傾くに連れて白い壁がオレンジ色に染まっていく。そして城壁はある所は結構な高さで街が見渡せて、あるところは民家と同じ高さで町の人々の暮らしがかいま見れていい感じだ。結局一周終わったところでちょうど陽も暮れてきたのでおとなしく外に出ることにした。

夕食は一人でビザ屋に入ったのだが、やはりクロアチアの物価は西側並で、ルーマニアの3倍は軽く使ってしまった。やっぱりこういう所は誰かと一緒にくるか、シーズンオフにもう一度一人で訪れてみたいと思う。
 

 
題名「ドブロブ猫」
旧市街の裏通りにて
 

8月1日 海沿いの道(ドブロブニク〜ネウム)

昨日の夜もやはり考え続けていたのだが、やはり今日出発する事にした。最高に気に入った町を2日で抜けてしまうのは残念なのだが、まあ今回は下見と考えるとそれもいいだろう。

そして8時のサラエボ行きのバスに乗るために早起きして荷造りをしたのだが、何とユースの朝食の時間が8時からだという。それではバスに間に合わないので結局朝食は食べれないのだが、一度入金したお金はもう返せないと言うことで、特に抗議することなく朝食はあきらめることにした。

バスターミナルに行ってチケットを買っていると、一人の日本人の初老のおじさんに会った。おじさんは一人で90日ほど旅をするらしく、今日もこれからモスタルまで行くらしい。バスはエアコンも着いていてなかなかのものだったが、チケットも$20近くして結構痛い出費だった。

バスに乗り込んでおじさんとしゃべっていると、一人の女の子に日本語で話しかけられた。ちょっと日本人に見えないと思っていたら、ボスニア人と日本人のハーフで、ボスニア情勢が落ち着いたので10年ぶりに祖国に里帰りするらしい。

女の子は中学二年生で、こんな所で日本語が聞けたのがうれしくて仕方ないらしく、いろんな事を次から次へと話してくれた。なんでも両親は共にバレーダンサーらしく、5才までサラエボに住んでいたが戦争のために日本へ避難していたらしい。とはいうものの、もうすっかり生活のベースが日本になってしまって、ボスニアの言葉も聞き取りは出来てもあまり話せないらしい。

一方バスは複雑に入り組んだアドリア海沿いの海岸を走っていく。アドリア海の海岸線はおおかたクロアチア領土なのだが、一カ所だけボスニア領になっている。つまりクロアチアはボスニアで二つに分断されていると言うことになる。とはいうものの、ボスニアは実質南半分がクロアチア人のもので、北半分はユーゴ(セルビア人)が支配しているという構造になっているらしいので、この国境もそんなに重要な意味は持たないようだ。一応ボスニアを横切る時にクロアチア側でパスポートチェックがあったが、あっけない者だった。

バスターミナルで休憩をとったあと、いよいよ本当のボスニアへの入国だ。国境はかなりの混雑だったのだが、それにもましてボスニアからクロアチアへリゾートに向かう車は延々4キロぐらいの列になっていた。この分だと抜けるのに2日ぐらいかかるんじゃないかと思う。

僕たちの乗ったバスは30分ほどで国境を通り抜けた。パスポートは車掌が集めて持っていっただけで実質審査は無いに等しく、パスポートにもスタンプは押される事もなかった。そして僕は本の数年前まで戦乱の中にあった国に足を踏み入れた。
 

 
ドブロブニクの旧市街
 
(ボスニアヘルツェゴビナ傷跡編につづく)

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください