このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
チェコ・プラハ編
(プラハ)
 


8月7日 百塔の街(プラハ)

昨日は結局夜遅かったのと、疲れていたので宿から一歩も出なかったので、今日は朝いちから活動開始だ。用意されている朝食を食べてトラムに乗って旧市街へと飛び出す。受付で聞いた番号のトラムで街の中心まで行けるはずなのだが、明日の列車の下調べもしないといけないので、とりあえず駅の近くで降りて情報を集めることにした。

一つ目の駅はどうやらハズレだったらしい。要は始発駅が多すぎるのだ。これだからヨーロッパは困る。次に向かった中央駅のインフォに行ってみると、どうやらポーランド行きの列車はここから出るらしい。早速時間を調べて予約を入れる。この路線はかなりお得だと聞いていたので、少し贅沢をしてクシェット(簡易寝台)の予約を入れることにした。

これでとりあえず次の移動はOKと言うことで塔が立ち並ぶという旧市街中心へ歩いていく。路地は何だかブダペストと似たような気もしないではない。そして塔ももっとほとんどの建物に塔があるのかと思ったのだが、どうやら本当に全部合計しても100本ほどしか無さそうだ。とはいえ期待が大きすぎたのだろう。

ちょっとガッカリしながら旧市街広場へ向かうと、さすがにここは凄かった。巨大な2本の塔を持つ教会。しかも2本ともまっ黒で先端が何本にも分かれていて金色の装飾がしてある。これはさすがにプラハにしか無いかなと思いちょっと持ち直した。

続いて旧市街と対岸を結ぶ古い石の橋を渡ってプラハ城へと向かう。途中にたくさんの教会があったのだが、さすがにこれだけヨーロッパを回ると、中世の教会はもうごちそうさまなのだ。一応全部ちらっとだけ見てから丘の上のお城へと上がっていく。

ここも簡単な地図だけしか持っていなくて、どんなお城なのだろう?と思っていたのだが、丘の上全部が城塞都市のようになっていて、しかもここでは王宮よりもど真ん中に建っている巨大な教会がメインだった。そしてこの教会は今まで見た中でも群を抜くものだった。まずデカイ!そして巨大なステンドグラスがいくつもいくつも施されている。知らずに偶然やって来たのだが、ここのステンドグラスは一見の価値ありだと思う。王宮の方は「なるほどー」ぐらいの感想しかなかったのだが、テラスから見下ろすプラハの街並みはなかなかいい感じだった。

なんだかんだと歩き回って宿に帰ってきたのは6時を回っていた。かなりおなかが空いたので今日は昨日来るときに見つけた中華料理屋へ行ってみる事にした。久しぶりに頼んだのはマーボ豆腐。ちょっとヨーロッパ人向けに醤油がきつすぎた気もするが、懐かしい味だった。でも中国人って本当にどこにでもいるな。
 

 
旧市街広場の教会
 


8月8日 雨やどり(プラハ〜クラコフ)

あいにくここ数日の天気は良くない。やはり8月をすぎるともう天気がぐずつきだすのだろうか?ともかく今日は夜行で移動なので、時間ぎりぎりまでYHAでねばってから荷物を預けるために中央駅へ。

ここでロッカーに入れようと思ったのだが、何だかロッカーが4個のダイヤルを合わせるだけのもので、何だか不安だったので係員の居る預かり所に預けることにした。荷物は15キロ以下が15KC、ロッカーは10KCなので大差ないと思っていたら、何と僕の荷物はぎりぎりではあるが15キロを越えていたのだ。結局30KC払うことになったのは仕方ないとして、この荷物を何とかどこかで減らさないといけない。そういえば最近やけに荷物が重いと思っていたのだ。

荷物が無くなると足取りも軽くなって、昨日行ってない所を中心に街を歩き回る。手元に有るのはろくに観光地も乗っていない簡易地図1枚。最初に見えた豪華絢爛な建物に引き寄せられて行ってみると、どうやら博物館らしい。ここでチェコの歴史なんかを学んでおくのも良いだろうと入って見る事にしたのだがこれが大間違いだったのだ。

いったいこれを「博物館」と呼んでもいいものなのか?中に展示されていたのは、おびただしい数の、鳥の標本、動物の標本、貝の標本、魚の標本。そしてやっと一周見終わって別の階に行ってみたらそこは何と、、、石の標本。膨大な種類の石ころが見渡す限り展示されている。言っちゃ悪いが、くだらなすぎる。一言「石ころ博物館」とか「動物博物館」とか書いておいて欲しいものだ。唯一興味を引いたのは、ニュージーランドの固有種の"飛ばないオオム"カカポの標本があった事ぐらいだろうか。この博物館の唯一の見所はその建物自体だと言えるだろう。

その後も昨日行った所や初めての所いろいろおりまぜて歩き回った。スーパーにも行ってみたりして、足りない生活用品を補充したりした。うろうろ歩いているとケーブルカーを発見したのでそれに乗って丘の上まで登ってみる事にした。ここはブダペストと違って健全な値段がついていた。

丘の上は何なのかはよくわからないのだが、バラ園になっていたり城壁で囲まれていたりした事から、昔の城の一部だったのかも知れない。街を見下ろしながら遊歩道を歩いて降りていると、そのうちにやっぱり雨が降り出した。大雨にはならないが、ぱらぱらととぎれることなく降り続く。なるべく建物の脇を歩くようにして雨をしのぐ。そしてしばらくしてから、昨日の石の橋の塔の下で雨宿りすることにした。

通りを行き過ぎる人を観察したりしていたのだが、やっぱり若者は大げさではなく本当に韓国人が9割ぐらいを占めていた。あれほどアジアで多かった日本人はいったい何処へいってしまったのだろう?結局今日一日の歩きで日本語を聞いたのは2度ほどだった。

結局それからもあちこちの店で雨宿りしたりハガキを書いたりしながらのんびりしていると、やがて列車の時間が近づいてきたので駅へと向かうことにした。残ったKCを使い切るためにいろいろ買いだしをしようと思って、駅の構内の25才ぐらいの若者二人がやっている店でサンドイッチとコーラを買おうとしたのだが、最後に気分悪い思いをしてしまった。

どうやらアジア人からボリまくってるようなのだ。コーラは普通に買うと20KC(50円ぐらい)。駅の売店とかだと少し割高で25KCぐらいなのだ。そしてその店の看板には22KCと書いてあった。しかし20KCのパン一つとコーラで何と「95」とか言ってきた。「なんで?」と言うと、パンが40でコーラが55だという。アホか!駅構内の自動販売機で同じ物が20KCで売ってるのに。

「そんな分けないだろう?」と言うと「22なのは紙コップで、ボトルは55だ」とかぬかす。あくまでアホだ。一応ポーランド語で"コーラプラスチックボトル22KC"と書いてあるのに。相手にしないとわかると、「そんならもういい」とパンとコーラを棚に戻してそしらぬ顔で次の客の相手をしていた。

むかつくのは白人やポーランド人からはボラない事。アジア人なら結構はらっちゃうのだろう。結局後でこのコーラ45KCで売りつけられた日本人に会った。「おかしいなあ?」と思いながら払ってしまったらしい。ここまで東欧のいろんな国を回ったがこんな事は一度もなかった。さすが東欧一ツーリスティックな街だ。本当に最後の最後でイヤな思いをした。

列車の方は初めての寝台列車で、3段ベッドなのにも関わらず寝心地は最高によかった。もっとも空いていれば2等コンパートメントで熟睡出来るのだが、今日の列車は満員御礼だったので大正解だった。バックパッカーを満載した列車は国境へ向かってゆっくりと動き出した。

 
プラハ城の衛兵交代
 

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