このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
エストニア編
(タリン)
 


8月17日 バルトの果て(タリン)

僕は相変わらず首前後左右に振って首筋を痛めながらバスに揺られていた。バスはリガを23時40分にでてそして何とタリンに着くのは5時10分との事だった。「寝れるかーっ!!」という様な時間なのだが、僕ははやり図太くなったのか一瞬で眠りについたようだった。

途中国境で起こされたのだが、何となく寝ぼけていて、美人の国境警備隊のおねーさんにパスポートを渡してまたまた眠り込んでしまった。今考えたらそれが出国審査だったのか入国審査だったのかも不明なのだが、次に同じおねーさんに起こされてパスポートを返してもらうとしっかり入国スタンプが押してあった。

そして次に目が覚めると回りは少し明るくなっていた。バスの時計で4時半。そして家も増えてきて何とバスは5時前にタリンに到着してしまった。本当に眠れないバスだ。

バスターミナルは思いのほか寂れていて、当然ATMなんか無いので僕は町の中心を目指して2キロほどの道のりを歩かなければいけなかった。思えば最初に「ヴィルホテル」前で何人か降りたのだがその時に一緒に降りるべきだったのだ。バスで一緒だった大学生も宿探しをするというので一緒に行くことにした。

一番最初は旧市街のど真ん中にあるYHAを目指すことにした。着いてみるとなんとYHはエロティックバーと同じ建物の中にあった。しかしタリンではここが一番高級で綺麗なYHらしい。当然24時間営業だろうと思って中に入って見ると「受付は8時から」となっていた。仕方がないので僕はATMでお金をおろしトローリーバスに乗って別のYHに行くことにした。

こっちはあいにく部屋がふさがっていて「9時半になったら何人かチェックアウトするのでその頃来てくれ」という事で、僕らは荷物を預けて表の公園でパンをかじった。何だか行き場がないホームレスの人達の気持ちが少しだけ分かったような気がした。

幸いなのは大学生と一緒だったことで、いろんな旅の話をしながら何とか2時間ほど時間をつぶすことができた。そして僕たちはやっとの事でベッドにありつく事ができたと思ったら、部屋を掃除するとの事なので、とりあえずシャワーだけ浴びて寝不足のまま町に繰り出すことにした。

インフォの前で分かれてまず向かった先はYH協会。受付のおばさんに「ヘルシンキのYHが予約できないか?」と聞いてみたら「協会の方なら何か分かるかも」と言われたのだ。しかし結局協会では予約は出来なくて、その代わりにフィンランドのYHの一覧表をくれた。

その後は本屋を探したり、久しぶりの日本食を食べに行ったりしてアッという間に時間が経ってしまったので、観光どころじゃなくなってしまった。まあ今更教会巡りでもないだろうし、僕はタリンで一番見晴らしが良いという城壁の上の展望台へ向かうことにした。

長い階段を登っていくと旧市街が見下ろせる。この町はバルト3国の首都の中でも一番規模が小さくて、旧市街もコンパクトにまとまっているのでまるで箱庭のようだ。そしてその箱庭の向こうには大きな海が見える。「そうだ、この向こうはもうフィンランドなんだ」何だか知らない間に遠くまで来てしまったものだ。

そして僕がこの街を気に入った理由は港がある事だった。古い街並みの向こうは真っ青な海。そして海沿いには船や貨物のクレーンがたくさん並んでいる。そんな港の風景を見て少し日本を思い出してしまった。結局1時間ほどを展望台で過ごしてから宿に戻ることにした。

昨日は本当に3時間ほどの睡眠だったのにも関わらず一日中歩き回っていたので、堪えても堪えても巨大なあくびが停まらない。本当にアゴがおかしくなるんじゃ?という程あくびがでた。宿に帰ると大学生も戻っていて僕は日記を書くこともシャワーを浴びる事もせずにダウンしてしまった。
 

 
城壁から見下ろすタリンの旧市街
街の向こうに海が見える
 


8月18日 雨のち晴れ(タリン)

今日は本当に何をするでもないという一日になってしまった。頑張って観光しようと張りきっていたのだが、朝からあいにくの天気で、それでも街へ出かけたのだがそのうちぱらぱらと雨が降り出した。

昨日ホームページを書き上げたので更新しようと思ってインターネットカフェをのぞいてみるのだが、どこもフロッピーが着いてなかったり、マッキントッシュだったりと全然ダメで電話局で雨宿りしているときに、昨日道ばたでもらったビラの事を思い出した。

そのアドレスを訪ねてみるとウインドーズのマシンがたくさんあってここなら出来そうだ。ここはインターネット&マルチメディアと看板を出していて、要は今はやりのMP3のCDデータをダウンロードしてCDに焼いたりするサービスをやっているらしい。タダでお好みのCDが作れてしまうというわけだ。(もちろん違法)

マルチメディアの名前も伊達ではなく、回線速度は今までのどの国の物よりも圧倒的に速かった。メールなどはほぼクリックした瞬間に表示されると言っても過言では無いほどで、一瞬でメールの受信送信が終わってしまったので、ひさしぶりにいろんなホームページを覗いてみる事にした。

なんだかんだでHPの更新も完璧と思っていたら、何と表紙のファイルをFDに入れてくるのを忘れてしまった。なんてこったい。まあ何通か新しいメールを受信できて良かったのだが。結局あちこちの掲示板なんかを読んで1時間丁度で店を後にした。

店を出ても雨は降り続いていて、まだ5時にもなってないのだが潔く宿に戻ることにした。結局今日行ったのはお昼のラーメンを食べに行った日本食レストランと、インターネットカフェだけ。まあ後一日あるのでゆっくり観光しようと思う。



8月19日 急転直下(タリン)

今日は土曜日で郊外の野外民族博物館でフォークダンスがある日らしい。これを逃す手はないので、早起きしてバスにのって民族博物館へ。バス乗り場ではさっそく民族衣装の女の子に会った。たぶん今から博物館に行って踊るのだろう。

30分ほどバスに乗ってたどり着いた博物館は何だか人気もまばらだったのだが、逆にそれが雰囲気を出していたような気もする。そして中に進んでいくと民家の中庭のような所でたくさんの民族衣装を着た人達が集まっている。しばらく見ているとダンスが始まった。

ベース、アコーデオン、二人のバイオリンの楽団に会わせて民族衣装の人達が輪になって踊る。なかなか微笑ましい光景だ。ダンスは男女ペアのもの、女だけ、男だけのもの。そして面白かったのは木を十字にして地面において、その木を踏まないようにステップを踏むという物だ。木を踏むとその人はそこで終わり。そして音楽がどんどん速くなっていって、踊りは最後の一人になるまで続けられる。

そしてダンスも佳境なったころ、見ていた観客達も踊り子たちに連れ出されて一緒に踊ることになった。ちっちゃな女の子やおばさん、いろんな人達とくるくる踊るのだが、久しぶりにすごく楽しかった。他の人達も心から楽しんでいるようで本当に面白かった。

こんな感じで午前は最高の一日だったのだが、僕は帰りのバスでとんでもない失敗をしてしまった。何とポケットに入れていたデジタルカメラをバスのシートの上に落としてきたらしい。僕は大急ぎで走って戻って、乗ってきたのと同じバスを見つけて探してみたのだが、何処にも見あたらない。乗っていた運転手に聞いても「知らない」の一言だった。

何だか運転手の妙な笑いが気になったのだが、とりあえず何台かその後も21番のバスが来る度に中を調べてみたのだが結局カメラが戻ることはなかった。前からたまにポケットからこぼれたりしてたのだが、遂に本当に無くしてしまう日が来るとは・・・・

まあ、最近少し調子が悪いのと、元々あまり満足してなかったのがまだ救いといえば救いなのだが、とにかくフィンランドで探すか、最悪日本から送ってもらうしかなさそうだ。今日も市内のデパートへ行ってみたのだが、日本で6万以下のものがこっちだと10万もしてまったく手が出なかった。

何となく沈んだ気持ちのまま一応一通り観光してみたのだがあまりいい気分はしない、最後にお気に入りの城壁の上の展望台に登ってぼーっとしていたのだが、やっとの事で気持ちの整理が着いた。無くなったものは仕方ないのだ。僕は前と同じように夕日を見ながら階段を駆け下りて、宿に帰るトローリーバスに乗った。


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