このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
フィンランド編
(ヘルシンキ〜ロバニエミ)
 


8月20日 海を越えたら。。。(タリン〜ヘルシンキ)

昨日のショックを少し引きずりながらも6時にはちゃんと起きてそそくさとお湯をわかす。ここの所僕の朝食は、ユーゴで買った電熱器でお茶を沸かして、昨日買ったベーカリーのパンを食べるというスタイルが定着している。高いと言いながらもここまでの国では美味しいパンが2つ100円ぐらいで買えたのだ。

あわただしく大学生に別れを告げて一路港へ。船は会社によってかなり値段に開きがあって、色々調べてみると一番安いフェリーは何と夕方発で夜の到着になる。これは宿探しに非常に降りなので却下。そして次の候補が一番安い高速船だった。Lindalineと言うのだがこれだと260マルカで普通のフェリーと変わらない。そう思ってこれに決めたのだが、港でチケットを買うと何故か「燃料代25マルカ」とか書かれていて結局全部で285マルカになってしまった。なんかインド人みたいだ(笑)

船はいわゆる水中翼船というタイプで速度が上がるにつれてどんどん車高が高くなっていくのが面白い。海は至って静かでほとんど揺れもなく1時間と少しでヘルシンキの港に到着した。フィンランド側は小さな島がいくつかあって、それぞれに綺麗な教会や建物が建っていて美しい。いよいよ本当の意味での西側先進国にやって来たという感じだ。

入国審査はスムーズだったのだが、一人旧共産圏でよく見かける「髪の毛が完璧に真っ黒の白人」がトラブっていてそこで10分以上経っても進まない、結局みんな別の列に散っていって、僕はお願いするまでもなくスタンプを押してもらえた。スタンプはEU諸国は全て同じ形で統一されているらしく、オーストリアと同じで味も素っ気もないものだった。

船を下りてみると「おおっ」という感じだった。どんな感じかというと、とにかく街が美しいのだ。いや美しいというよりも清潔な美しさとでも言ったらいいのだろうか。プラハは美しい街ではあるけど清潔感が全く無いのだが、ここはとにかく小綺麗だった。

もう一つあげると、この街は海と一体になっている感じがとてもいい。タリンも港町ではあるのだけれど、街と港が別のものとして作られているように見える。ここは何だか街と海の両方がお互いを必用としているようにうまく組合わさっている、そんな街なのだと思う。

僕は早速インフォメーションセンターに情報を集めに行くことにした。やはり驚いたのが、市街地の地図から観光案内(しかも日本語の)そして各種資料全て揃っている。当然無料なのだがこれまでの国ではなかなかフリーの地図を置いてない事が多かったのでそんなとこからも「これまでとは違う国に来たのだ」と改めて思い知る。

地図を見ながらユースホステルを目指すことにした。駅の近くにホテル級のユースが有るというのだがやはり2000円以上するのでかなり痛い。そんなわけで僕はいつものように町外れにあるYHを目指すことにした。ここは普段は学生寮として使っているところで、受付のおにいさんはこれまでの宿の中でもトップクラスのフレンドリーさだった。しかも値段は会員で65マルカ。わずか1200円ほどだ。

荷物を降ろして一息ついてから早速街に飛び出す事にした。今日は観光も有るのだがもう一つ大きな仕事が待っていたのだ。できたらこの後のハイライト「北極圏」の前にここでデジタルカメラを手に入れておきたいのだ。多くの店は閉まっているものの、歩きながらショーウィンドウを見ていると、キャノンやオリンパスの最新モデルも見かける。

僕はパソコンとのインターフェースの事からコンパクトフラッシュのカメラを探していた。そして今日本で話題らしいキャノンのIXYが候補に挙がった。ここでの値段は何と4995マルカ(約9万円弱)。まあ明日いろんな店を回ればもう少し安い所があるだろう。

今日はカメラがの事に頭が行っていたので大した観光名所を回ったわけではないのだが、それでも海沿いのパステルカラーの建物のある通りを歩くだけでその北欧らしい美しさに見とれてしまう。港にはたくさんの屋台が並んでいて、何故か地元民はみんなエンドウ豆を金属のジョッキ一杯分ぐらい買って袋に入れて、生のまま食べながら歩いていた。美味しいのか試してみたかったのだが値段との掛け合いで遠慮することにした。北欧なら何処でも有るという話なのでまた次の機会に。

宿に帰ってからノールカップから帰ってきたばかりのオーストラリア人、日本人からいろいろと話を聞くことができた。オーストラリア人によると、ノルウェーからノールカップまではコスタルスチーマーと言われる沿岸船に乗ると連絡がいいそうだ。ただ値段は一日分の距離で学割で$80とかなりするらしい。一方日本人の学生君によると、ノールカップへは8月31日までロバニエミから直通バスが出ているそうだ。こっちも学割で$80以上する。

何だか最近移動やら何やらで一日に一万円に近いような額が出ていって悲鳴がでそうだ。しかもデジカメでまた10万近くかかることになりそうだし。しかし逆に考えれば僕はここまでの予算を1ヶ月10万で計画していた。しかし実際はアジア横断の10ヶ月で50万程しか使っていない。逆にここまで50万の貯金があるのだ。それに僕はユーゴでヨーロッパ市民しか買えないはずの無敵のレールパスをゲットしている。これだけでも5万円以上浮いているはずだ。

あーだこーだとお金を使ってもいい正当な理由を探して僕の頭はフル回転する。少し安心した頃にはもう11時を回っていて久しぶりにシーツ代わりの寝袋カバーにくるまって眠ることにした。
 

 
バルト海の乙女 ヘルシンキ
 


8月21日 ムーミン谷(ヘルシンキ〜タンペレ〜ロバニエミ)

今日は8月21日、そう遂にレールパスが使用出来る日がやって来たのだ。僕は早起きして荷物をまとめて駅に預け、目に付くカメラ屋を片っ端から回る。しかしこの国には日本の様な安売り競争があまり無いのか、何処で聞いても値段は同じ様なものだった。

そして街を歩いている時に僕はふとひらめいたのだ。そう言えばあちこちにTAX FREEの看板が出ているけどもしかしたらデジカメもタックスリターン出来るんじゃないだろうか?と。早速看板の出ているお店に聞いてみると12〜15%ぐらい戻ってくるらしい。これだと7万5千円ぐらいの計算になる。日本で買うよりかなり高いがここは一つ一生に一回の長期旅行を記録するためだと新しい理由をくっつけて奮発する事にした。

思わずカードを切る手が震える(笑)こうして僕のいまいち気に入らなかったデジカメは最新機種へと生まれ変わった。ちなみにIXYは日本ブランドで、海外ではIXUS(イクサス)と言うらしい。別にどうでもいいのだが、日本に無いものだと思うと少しだけうれしい(笑)

そんなこんなしているうちに列車の時間が迫ってきたので駅へと急ぐことにした。今日の行き先はタンペレ。ベタなのだがタンペレには「ムーミン谷博物館」と言うのがあるのだ。どうせこれから北上するなら途中で寄ってみてそれから夜行でロバニエミに向かえば、宿代も浮いて一石二鳥。我ながら完璧な計画だ。

時間通りにホームへ入ってきた列車は、他のIC(インターシティ)なんかと比べるとかなり外観はくたびれていた。しかし中に入って見るとシートも綺麗でリクライニング角もタイのVIPバス並だしトイレもこれまでからは考えられないほど清潔だ。更に走り出すとその振動の少なさに再び驚いてしまった。

僕は検札に備えてパスの付属冊子に日付行き先を記入する。これはインターレールパスを使うときは必ずしなければ行けないことで、もし東欧なんかで記入してないとなぜだか分からないのだが検札の時に罰金の対象になるらしい。やがて車掌がやってパスを見せると検印を押して何事もないように去っていった。分かってはいたのだが、インターレールは僕にとって「何故かユーゴで買えた怪しげななパス」だったのでこれで一安心だ。

2時間ほどでタンペレの街に着いた。街は思っていたよりもずっと小さくて、まるで東欧のように列車が止まる直前まで田園風景だった。駅を降りてみるとさすがに駅前はそこそこ賑わっていた。僕はまず荷物を預けてから地図をたよりにインフォメーションセンターへ向かった。

ここでも20才ぐらいの女の子が流暢な英語と満面の笑顔で迎えてくれて。無料で地図やいろいろな資料をもらうことが出来た。そして僕はその地図をたよりにムーミン谷博物館へと向かうことにした。

天候はあいにくで、時折小雨がぱらついたりしている。僕は駅前の石畳の通りを少し早足で歩く。通りの脇にはおなじみのマクドナルド、ピザハットとはじめヘルシンキにもあったデパート「STOCKMAN」が立ち並んでいる。しばらく行くと大きな芝生の広場に教会がぽつんと建っている。もう教会はたいがい飽きているのだが、ここはその回りが公園になっている。

緑が美しいのはさておき、公園には色とりどりの花が植えられていて、手入れもかなり行き届いているようだった。そう言えば会う人会う人みんな「北欧の公園はいいよー」と言っていたのだがこれの事だったのだ。これから先のノルウェーやスウェーデンにも一日のんびり出来るような公園がたくさんらしい。

公園に別れを告げて目の前の図書館に向かう。この1階がムーミン谷博物館になっているらしい。さっそく入って見るとたくさんの原画が展示してある。そしてここの目玉は作者のトーベヤンソン自信が仲間を集めて手作りしたというミニチュアのムーミン屋敷だ。これは博覧会に出展するために作ったらしいのだが、本当にみんなで楽しんで作ったという感じがひしひしと伝わってくる素敵な家だった。

高さは2mぐらいで、各部屋でムーミン谷の仲間達が思い思いの事をしている。他にもこれほど大きな規模ではないのだが、原画に従って同じ様な模型が全部で20個ほど展示されていた。来る前は全然期待してなかったのだが、この表情豊かなミニチュアのムーミン達は見ていても全く飽きない。写真撮影が出来なかったのが残念なのだが、簡単に行ける場所なので人にも勧めたいと思う。

博物館を出てから回りにある湖へ行ってみた。湖自体はどうと言うことは無かったのだが、畔ではおじさんが釣りをしていたりしてなかなかゆっくり出来るところだった。所が天気の方はこのころから下り坂になってきて、街に戻ってきた頃にはかなりの本降りになってきた。僕はとりあえずデパートはファーストフードとあちこち場所を変えながら雨をやり過ごすことにした。

雨が止んだのは結局8時をまわってからだったのだが、列車の時間まではまだ少しあったので僕は街の反対側にあるもう一つの湖に行ってみる事にした。湖に着くと丁度夕暮れで真っ赤な太陽が沈んで行くところだった。一つ驚いたのだが太陽は下へ沈むというよりは横へ沈んでいくのだ。こんな所からも緯度の高さがわかる。久しぶりの夕焼けを見たあと僕は更に北のラップランドへと向かう夜行列車に乗り込んだ。
 

 
ムーミン谷の入り口
ちょっと近代的だけど中は雰囲気良し。
 


8月22日 北極圏とサンタクロース(タンペレ〜ロバニエミ)

昨日列車に乗り込んだ時には「結構な人だなあ」と思ったまあ混んでいるとは言っても、隣同士に座っている人はほとんど居ない程度なのだが。

車両はタンペレまで乗ってきたのと同じで、リクライニングさせてシートに着いている枕を取り外して手すりに置いて枕にしたりして何とか工夫してかなり長時間眠る事が出来た。夜中に何度か目が覚めたのだが何だか時間調整の為に各駅の停車時間をかなり長くとっているようだった。

何度か首の痛みで目が覚めたりしたのだが又すぐ眠ると言うこと繰り返して結局ちゃんと起きたのはケミを過ぎた辺りだった。この辺りはもう完全にラップランドで、だんだんと森もまばらになってくる。冬はトナカイの群が走りまわっているような土地だけに少し痩せて見える。

そして8時少し前に列車は小さな村のしかも外れにあるこれ又寂れた駅に到着した。結構な人が降りていくのだが、座席車にはほとんど人が残っていなかった事を思うとみんな寝台車に乗っていたのだろう。さすが国だけじゃなく人々も裕福らしい。

一方貧乏な自分は今日の宿を確保すべくいち早く街の中心にあるユースホステルに向かう。心配していたのだが、ここのユースは6時から開いているらしく、宿に到着するとすぐに部屋に入ることが出来た。早速昨日買い込んで置いたパンとジャムで朝食をとる。そして食事が済んだら早速外に出かける。

まず一番にするのは町のツーリストインフォを探すこと。これは看板を見るとすぐにわかって、早速インフォを訪ねるとこれまたフレンドリーなお姉さんがいろいろと教えてくれた。地図をもらってノルウェークローネの現金を手に入れてから僕は図書館へ向かうことにした。図書館だとひょっとするとインターネットの設備が有るかもしれないからだ。

はたして僕のカンは見事に当たって図書館には何台かのマシンがあった。しかも無料なのだがこれが裏目にでて、ずっと暇そうな若者に占領されているのだ。予約もできるらしいが予約の出来るマシンは全て予約が入ってるそうだ。予約を入れてても来ない人も居て誰も触ってないマシンが有るのだが、この辺が無料化の弊害だろう。

他のマシンは20分制限で使える事になっているのだが、僕が並んでいるにも関わらず少しヤンキーっぽい20前後の女の子が延々使い続ける。結局40分程待って僕の番が回ってきた。とりあえず急ぎの連絡事項だけをローマ字でメールしてから、日本語を入れてメールを読んでいると、ちょっとガラの悪そうな男2人が「時間が来たぞ」とせかす。何だか自分は40分も待ったのに不公平な感じがしないでもないが、一応決まりは決まりだ。

僕は図書館を後にしてバス停に向かった。この街の目玉「北極圏&サンタクロース村」へ向かうためだ。ここロバニエミはわずか北に8キロ行くともう北極圏に入る。そしてその北極圏上にはサンタクロース村というベタな観光施設があるのだ。やっぱりここへ来たからには行くしかないだろう。僕はやって来た路線バスに乗り込んでサンタの家を目指す。バスは乗客もまばらで、もうこの辺りはシーズンオフを迎えたのだろう。

やって来たサンタ村は、これ又おみやげ物屋の集合体といった感じもしないではないのだが、サンタの家には一応「本物」のサンタクロースが居て話しかけてくれる。幼い頃、ある時は父親だったり、ある時は園長先生だったりしたサンタだが、ここにいるのが一応本物と言うことで、ちょっとだけ感慨深い物があった。

他にはサンタクロースの郵便局があって、ここには世界中の子供たちから何十万通もの手紙が送られてくるらしい。そしてサンタの机があって、ここでサンタが子供達に返事を書くらしいのだ。他にも郵便局内にはたくさんのハガキや記念切手が売られていて、ここで出すと特別なサンタクロースの消印を押してくれるらしい。

それにしても何処もクリスマスの飾り付けで、スピーカーからはクリスマスの歌が流れている。おまけに朝からこの寒さでクリスマス気分満点なのだが、よく考えてみると今は8月、夏真っ盛りなのだ。何だか変なの。

サンタ村は丁度北極圏のわっかの真上にあるのだが、サンタ村内をその線が横切っていて写真を撮っている人がたくさんいた。中には北極圏の線の上でキスをしているカップルが何組かいた。きっとなんか幸せになれるとか言い伝えでもあるのかな?なんだかちょっとうらやましかった。

帰りのバスを待って街に帰ってくると僕が一番に向かったのはスーパーマーケット。もうおなかがぺこぺこだった。僕はトルコ以降いきなり物価が全て3倍ぐらいになって少し倹約するようにしてた。倹約してもやはり月10万ペースでお金が無くなっていく。しかしその物価はエストニアからフィンランドに渡った瞬間更にその3倍になった。

マックのセットが700円。アイスクリーム一本160円。菓子パン一個100円。もう鼻血も出ないほど高い。そんなわけで僕はここの所おなかいっぱい物を食べたことが無かった。しかしここのスーパーは総菜コーナーでラザニア250gで250円と結構安い。他にも袋入りのインスタントのパスタとかを買い込んで、夕食は久しぶりにおなかいっぱい食べる事が出来た。

僕が部屋で日記を書いていると日本人が2人チェックインしてきて、一人は車でヨーロッパを2年ほど旅している「ドライバー」もう一人は身の回りをソニー製品で固めた大学生「ソニー君」だった。二人とも何故かパソコンを持っていてホームページや日記を書いているらしくて何だか3人でパソコンをつき合わせてあーだこーだ言っている姿はきっと他人が見れば異様だったに違いない。

二人によるとノールカップはもうだいぶ寂れてきているらしく、とても心配になってきたのだが、とりあえずここまで来たので明日のバスで向かってみようと思う。霧で何も見えなかったらそれまでだけど、それもまた旅だから。
 

 
サンタの執務室?
ここで手紙の返事が書かれる。
 


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください