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モナコ・南フランス編
(モナコ〜カルカソンヌ)
 
  


9月13日 あこがれのカジノ(フィナーレリグレ〜モナコ)

モナコと言いうと何となくあこがれのような物がある。その響き自体が優雅というか、華麗というか、ムチムチの女の子をイメージさせる(笑)

今日はそんなモナコを通るのだが、せっかくだから降りてみることにした。何だか最近駅が移転したらしく、思わず引いてしまうほどものすごく豪華な駅で、まさにモナコにふさわしいという感じだ。そしてエスカレータとエレベータを乗り継いで外に出たのだが、遥か丘の上に出てしまった。

とにかく位置が分からないのだが、地図をたよりに歩いてみると何となく居場所がつかめてきた。ここには唯一の安宿であるユースホステルが有ると聞いていたのだが、とにかく人気の宿で、はなから泊まれることを期待はしていなかったのだ。

そんなわけで真剣に探してたわけではなかったのだが、何となく看板を見つけて立ち寄ってみると、意外と空いていて泊まれるという。本当はもう素通りしてしまおうかと思っていたのだが、思わぬところで一泊することになった。

ここの目玉はカジノと王宮なのだが、とりあえず王宮の方に行ってみる事にした。ここモナコはとにかく坂の街で、斜面にへばりつくように街があるといっても過言ではない。長い階段を下って行くと大きな広場に出た。そして城壁に沿って登っていくと息が切れた頃に王宮前にたどり着いた。

王宮はガイドツアーの様な形で行われて、結構な列だったのだが英語のツアーがわりと空いていたのか僕はすぐに中に入ることができた。王宮の中はいわゆる王家の肖像画のオンパレードだったが、何気ない天井の装飾や調度品も素晴らしかった。王宮自体イタリアの芸術家が手がけたらしく、フランスとは少し違った雰囲気だった。

王宮を出てからそのまま岬の先の方に行ってみたら、城壁のようになっていて、城壁から見下ろす海は素晴らしかった。長い会談を降りて海のそばまで降りていくと少し涼しくなった。この辺りはとにかく海が近いので蒸し暑い。いよいよコートだジュールへやって来たという感じがする。

城壁からは港が見下ろせて、そのまま港に沿ってカジノ方面に歩いていくと何だか見覚えの有る風景に出くわした。最初は何処で見たんだろうと思っていたのだが、よく考えたらモナコグランプリのコースだった。GP期間中はこのトンネルを時速200キロ以上でF1マシンが飛び出してきて、港の終わりでターンして戻っていくのだ。それにしてもこんな狭い道をF1マシンで走るなんて、まったく凄い話だ。

コングレスセンターから公共エレベータでカジノのある所まで登った。ここモナコはあまりにも坂が多いので、あちこちに公共エレベータというのがあって、誰でも無料で利用できるのだ。そしてエレベータで上がったそこには巨大な宮殿というかそんな感じの建物があった。

カジノ前の広場はけっこうな人で賑わっていた。当然僕はこんなみすぼらしい格好で中に入れてもらえるはずもなく、ただ外からその豪華さを指をくわえてみているだけだった。いつかスーツケースに黒のタキシードをつめて、リターンマッチに来る日を誓いながらカジノを後にした。

夜のモナコはますます輝きを増し、ユース近くの丘から見える王宮や眼下の街並みは、まるでクリスマスツリーの飾り付けのようだった。
 

 
夜のモナコ
丘の上にあるのが王宮
 

9月14日 松嶋奈々子に会えなかった(モナコ〜マルセイユ〜アルル)

僕が昨日までたどってきたのは、イタリア〜南フランス、言い換えるとリビエラ〜コートダジュールという何とも僕とは縁の無さそうな世界だ。そして今日向かうのはプロバンスと呼ばれる地方だ。

この辺りはテレビドラマの「深夜特急」で見たイメージが結構つよい。そして中でもマルセイユで主人公(大沢たかお)に会いに来た恋人(松嶋奈々子)のシーンはなかなかいい感じだった。カッパドキアで酒井美紀に会えたのだから、マルセイユで松嶋奈々子に会ってもおかしくはないだろう←アホ。 ともかく最低ブイヤベースだけは食べない事にはフランスを去るわけには行かない。

列車に揺られて3時間ほどでマルセイユの街に到着した。駅前はやはり大都会らしく雑然として汚い。一瞬素通りしようかとも思ったのだが、松嶋奈々子に申し訳ないので、重い荷物を預けて一路郵便局へ(通り道なのだ)。そしてそのまま港に出ると碧い海に見渡す限りのヨット。「結構いいやん!」僕はブイヤベースの事なんてすっかり忘れて港の一番先にある砦を目指した。

マルセイユの港は正方形で海側が二つの砦で守られているような形になっていて、砦を巻き込むように外側まで歩いていくとその先は何処までも海が広がっている。この先にはアフリカがある。僕は未だにポルトガル以降の行き先を決めかねている。考えれば考えるほど分からなくなる。でもなぜかこの前カンボジアで会った「小麦姉さん」からもらったメールの「サハラはでかいよ」という言葉だけが浮かんでは消え浮かんでは消えしていた。

結構歩き疲れたので一休みしようと、砦の日陰に入ろうとしたら、いきなり韓国眼鏡をかけたお姉さんに声をかけられた。最初は「日本人かな?韓国人かな?」とちょっと躊躇してようで「アンニョン〜」と言いかけたので、こちらから「アンニョンハセヨ」と挨拶した。

その後韓国語でたたみかけられたので、簡単な韓国語を駆使して「日本人だからちょっとだけしかしゃべれないんですよ」というと、とりあえず「のどが乾いたでしょ?」とでっかいオレンジを一つすすめてくれた。オレンジはさすが地中海産で皮をむくだけで手がベタベタになってしまうほどジューシーだった。

おねえさんは韓国でデザイナーをやっていて10日間ほどのホリデーで来ているらしい。見かけはちょっとイケて無いけど、ずっとニコニコした物腰の柔らかいフレンドリーな人だった。別れ際に「ソウルに来ることがあったら街を案内してあげるから連絡してね」と名刺をくれた。これってナンパ?←きゃー。

僕は韓国から来たちょっとイケてない松嶋奈々子と少しばかりの時を過ごしてから今度はブイヤベースに挑戦する事にした。マルセイユは港をぐるりと囲むように無数のレストランが立ち並んでいる。海から見て右側は高級、そして左側が庶民レストランなのだそうだ。

僕は当然庶民の方へ向かい、表の看板で値段をチェックしながら店を探した。せっかくなのであまりやすいのもアレだろうと、丁度中間の100F(1500円)の店に入る事にした。僕の判断はなかなか正しかったようで、待つこと10分、フレンドリーなおっさんが、スープと皿に盛ったスープから上げた魚介類をもってきて、目の前でくだいてスープの入ったボールに取り分けてくれる。

スープの中身は3種類の魚とカニとムール貝で味の方もなかなか素晴らしかった。こんな高級な食事は今後しばらくありつけないので味わって食べたかったのだが、ともかくおなかが空いていてがっついてしまった。さすが高いだけあって満足感もなかなかのものだった。

その後はとりあえず反対側の砦に登ってみた。結局風景はそんなに大差ないのだがこっちの方は少し高さがあるのでマルセイユの街を見下ろすことができる。眼下のヨットハーバー。遠くには大聖堂が見える。それにしてもこの辺りは海が近いせいか蒸し暑い。上までのぼる頃にはシャツも汗でびっしょりなのだが、日陰に入ると海からの風が心地よい。

結局マルセイユではこの二つの砦に行っただけなのだが、港町というのを充分堪能することができたし美味しい料理も食べれたので、ここを後にして次の目的地アルルへと向かった。アルルというとビゼーの「アルルの女」が真っ先に頭に浮かぶアルルへは急行列車で1時間。駅を降りると大学生っぽい日本人のカップルに出会った。

彼らもユースへ行くらしいので一緒に行くことにしたのだが、とりあえずやって来たバスのドライバーに聞いてみると「乗れ乗れ」というのでそのまま言われたバス停で降りて言われた方向に歩いていったのだが、これが全く違うことろだった。僕はフランス=インド説を唱えたくなった(笑)。とにかく街の地図と言う物を全く持っていなかったので、街角の地図と格闘すること10分。やっと現在地を突き止めてそこからさらに20分歩いてユースにたどり着くことが出来た。

もうくたくたでヘロヘロなのだが、荷物を降ろすと出かけないと気が済まない。もうほとんど日はくれているのだが、旧市街へ向かった。ここの旧市街はいわゆるフランスの田舎町という感じで、旧市街の中心にはローマ劇場とコロッセオがある。やはりここも照明設備は椅子が取り付けられていて少し興ざめなのだが、外観は街と見事に解け合っている。

やがて日も完全にくれたので宿に戻ってたまっていた日記を書くことにした。この街には1時間ほどの散歩をしにきただけになってしまったが、夕暮れの散歩もなかなか良いものだった。
 

 
丘から見下ろすマルセイユの港
 


9月15日 二重城壁(アルル〜カルカソンヌ)
 
フランスも南フランスだけを見ていると、本当にのどかな農業国という感じがする。車窓から見える風景は乾燥したブドウ畑や、海沿いの小さな街やらそんなので、とても核保有国のようには思えない。そして僕は列車に揺られてさらなる田舎の町へと向かった。

カルカソンヌという地名はつい先日まで全く知らなかったのだが、なんでも田舎町の中心に二重の城壁に囲まれたお城があるらしい。そして何よりも魅力的だったのは、ユースが旧市街の真ん中にあって、その城壁の内側に泊まれるという事だった。

駅に到着してすぐにバスを探したのだが結局見つからずに歩くことにした。40分ほどかかるらしいのだがとにかく方向だけ見当を付けて歩き出した。要はお城に向かって進めばいいのでそんなに難しいことではなく、しばらく歩くとそれらしいのが見えてきた。

しかしそこからお城までが上り坂で、重いザックを背負って登るのはなかなか大変だった。宿に着くとあと「1時間ほどで入室出来るから荷物を降ろしてその辺見て回ってらっしゃい」と言われ散歩する事にした。

ここは本当に旧市街というよりもお城の中に街が有るような感じで、今までの城壁都市とは少し違った感じがする。まず丘の上にあるので、下から見上げるとお城にしか見えないし、上から見下ろすと本当に遠くまで見渡せる。他に何が有るというわけでもないのだが、僕は迷いながら城壁の中をさまよったり、川沿いまで降りてお城を見上げたりして一日を過ごした。

明日はバルセロナに抜けるのでこれでフランスは終わりと言うことになるのだが、次は北部やパリも是非訪れてみたいと思う。
 

 
旧市街の城壁
この中にユースがある。
 


9月16日 乗り継ぎ失敗(カルカソンヌ〜バルセロナ)

今日は本当に列車の時間も何も分からなくて、わかっているのは「バルセロナまで行く」という事だけだった。だから僕は早起きして朝食を食べ万全の準備をしていたのだが、朝から少しハプニングがあった。

昨日チェックインしたときに預けたユースの会員証が見あたらないというのだ。昨日の係員は新米だったためにどこか違うところへしまったのか全く見あたらない。あちこち探し回ってくれたのだが結局無料で新しいのを作ってくれる事になった。まあ前の会員証は年末で切れるので、9ヶ月も有効期間が伸びでラッキーではあるのだが結局そんなこんなで出発がかなり遅れてしまった。

そしてこれが後を引くことになった。まずバスは既に行ってしまって駅まで歩かなければいけなかった。そして駅に着いても次のナルボンヌ行きは1時間半後にしかないらしい。こんな朝の時間でしかも幹線なのにこの少なさは予想外だった。駅で初老の日本人の夫婦と色々話したりして時間をつぶしてやがて列車の時間になった。

急行で30分ほどでスペインまでの路線の分岐点のナルボンヌに到着したのだが、ここで僕は唖然としてしまった。次のスペイン国境行きは何と2時間半後。仕方がないのでベンチに座ってひたすら回想や空想にふけりながら時間をやっつけた。

国境行きの列車はローカルの各駅停車で、そんなタイムテーブルのせいか、結構な賑わいをみせていた。そして国境審査もないままスペイン側の駅に到着した。ここでまた1時間待ち。もうこうなったらどうにでもしてくれという感じで、駅をでて近所のお店でスナックとコーラを買って駅で食べることにした。

言葉は通じないのだがスペイン人のおばさんはえらく親切で、これからのスペインに期待が高まる。そしてやって来た列車は車両こそ近代的なものの、これまた各駅停車で結局バルセロナまで2時間半もかかってしまった。8時過ぎにカルカソンヌを出てバルセロナ着が夕方の5時過ぎ。こんな短い距離を移動するのに9時間もかかってしまった事になるが、まあこういうのもたまには良いのかも知れない。

駅を出てからはかなり神経を尖らせた。というのもここバルセロナは近年首締め強盗、羽交い締め強盗というのが激増していて、毎日のようにかなりの数の日本人がパスポートから所持金全部やられるらしい。事実バルセロナやマドリッドの大使館に「パスポートを取られた」と届けても「ああそう。じゃこれ書いて」と素で再発行の紙をくれるとか。

僕はブダペストで一軒の韓国人宿を紹介してもらっていた。そして駅からも近いのでとりあえずそこに転がり込もうと地図をたよりに宿に向かった。でもここはいわゆるもぐり宿なのか看板が無くて、結局外から電話して迎えにきてもらうことにしなった。

宿は、宿というよりも合宿所という感じで、床マットにすし詰めだったのだが、みんな韓国人と日本人でしかもこれまでのヨーロッパとちがって、長期旅行者がけっこういて、久しぶりに濃い話で盛り上がってしまった。



 

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