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フランス・パリ寄り道編
(パリ)
 
 


1月22日 怒濤のチェックイン(ロメ〜パリ)

今日は飛行機の移動なので楽勝だろうと思っていたらアフリカは最後までやってくれた。

夜中1時半に目覚ましで目が覚めてそのまままとめてあった荷物をかついで外にでると宿のお兄さんが起きてきてタクシーを拾って交渉までしてくれた。最初はバイクにしようと思っていたのだが、こんな時間に得体の知れない人のバイクに乗るのもアレなのでタクシーで行くことにした。結局2000CFAなのでそんなもんだろう。

そして空港への道で検問に遭ってさっそく賄賂を要求された。陸路の国境が結構まともだっただけにトーゴという国は割ときちんとしているんだなあと思っていたのだが、空港周辺はとんでもなく腐っているようだった。

予想以上に近代的な空港に到着すると、外には大勢の人が溢れ返っていた。意外にも乗客のほとんどは黒人だ。なにやら2時のチェックイン開始時間まで、空港の建物には誰一人入れないようだった。外でこんな時間でもいる売り子からFan Yogoを買って食べているとまもなく2時になって係員が扉を開けるといきなりみんな殺到してパニックになる。隣で黒人がつかみ合いの喧嘩をしていた。

別に指定席の飛行機なので慌てる必用は無いのだが僕には一つ不安があった。それは今日は予約が入っているだけで、例のパスポートの問題で発券は空港でしないといけない。しかしアフリカの会社(会社自体はフランスなのだが)がお金も払っていない者の予約を律儀に守ってくれるかはかなりあやしい。だから何としても席が無くなる前に早めにお金を払ってチケットを発券してしまいたかったのだ。

フランス人のおばさんが「あんた達ちゃんと並びなさいよ」と順番をぬかす黒人に対してヒステリックに怒鳴る。僕は何とか入り口にたどり着いて中に入れたのだが、今度は入り口のセキュリティーチェックでまた賄賂だ。勿論払う訳はなく、ここは英語もフランス語も解らないフリで乗り切った。

長い列にならんでチェックインカウンタに着くと何と「チケットを売る係がいないからしばらく向こうの椅子で待っていろ」という事になった。2時に来てチケットを買えと言われたのに。このままじゃパリに行けないと思い、その係員の近くに立ってプレッシャーをかけ続けたらなんととんでもない言葉をきくことになった。「全員ちゃんと乗らなきゃいけないからお前のチケットは全員のチェックインが終わってからだ」と。

「それじゃウェイティングだろ。I must go, too」とわざと大げさに怒鳴ってみるが埒が空かない。「ああ、しくじった、こんな事ならエールフランスにして置くんだった。ああ、もうきっと今日はもうパリなんかに行けないんだ、やっぱり新大陸は遠いよな」とか思ってあきらめかけていた時、急に係員に呼ばれて連れて行かれたカウンターに、この前の旅行代理店のお姉さんが座っていた。どうやらいくつもの仕事を掛け持ちしているらしい。

これで何とか希望がでてきた。お姉さんに付いて空港の事務室のような所へ連れて行かれて手書きでチケットを発券してもらった。ふう、何とか乗れそうだ。しかし再び巨大な列に並び直して無事チェックインが終わったときには既に空港へ付いてから3時間が経過していて、もう搭乗時刻まで30分というぎりぎりの時間だった。

そして途中の関所で1回、そして出国のパスポートコントロールでもう一回賄賂攻撃に会ってしまった。出国審査の方は僕のパスポートをペラペラめくって「あー。お前のパスポートにはもう余白がないから、お前は出国出来ない。これは問題だなあー。そこでだあー」とあからさまに賄賂を示唆している。白紙のページは確かになかったが、そんな小さいスタンプを押すスペースぐらいは勿論いっぱいある。

こんなクソくだらない事でとっておきの見開き2ページをつぶすのはもったいなかったが、賄賂を払うのももっとあほらしいので、僕はパスポートカバーの中に差し込んでいた増補のページを1ページ引っ張りだして見開き2ページの巨大な空白を役人の目の前に突き出してやると、ようやくあきらめてスタンプを押した。「カドゥー」とか言っているが当然無視。

やっとの事で待合室にはいると、その前に大きな飛行機が停まっていた。エアバス330の結構大きな機体だ。そこまでは当然バスなんてものはなく歩いていくようになっていた。

この飛行機はやけに時間がかかるなあと思っていたらコートジボアールのアビジャンで一度降りないといけないらしい。しかもロメとアビジャンの間は一応国際路線なのにも関わらず、朝食はおろか水一滴でなかった。さすが安い会社。

それにしても5時出発のフライトで朝御飯がでないなんて前代未聞だ。結局僕は1時過ぎの昼食まで超空腹状態を我慢しなくてはいけなかった。そして我慢していたので昼御飯はパンを3つぐらいおかわりしてひたすらかき込んだ。

窓の外には行きは車で越えてきたサハラ砂漠が広がっている。最初は雲だと思っていたのだが、それは砂漠の風ハルマッタンに吹き飛ばされてとんでいる細かな砂だった。あっというまのフライトで一気にサハラを越え4時頃にはフランスのパリ・オルリー空港に到着した。

入国審査で目的を聞かれて「フランスへは南米の安いフライトを探しに来た」と言うとなんだかんだ突っ込んで聞かれてしまった。入国審査官は単に「働かない」という言葉を聞きたかっただけで、素直に「観光」といえば良かったのだ(笑)。税関をでてもウザイ物売りも詐欺師もタクシーももうそこにはいない。ヨーロッパへ帰ってきた事を実感する。

情報は完全に何もなかったのだが、インフォメーションでパリの地図をもらって、市の中心までの行き方を聞いてバスに乗った。どうやら僕のついたオルリー空港は2つある空港のうちの不便な方で、市内まで行くだけで結構な値段になってしまう。途中で地下鉄に乗り換えて住所をもメモっていたユースホステルにたどり着いた。

パリは勿論寒かったが思っていた程でもなく8度ぐらいはあったのが救いだった。宿で荷物を降ろすともうかなり暗くなっていたので結局外に食事に行ったぐらいなのだがこんな時期でもやはり日本人旅行者は何人か泊まっていて、夜は久しぶりに日本語で旅の話で盛り上がった。

当たり前なのだがシャワーからお湯がでるのにいちいち感動しながら、長い一日の汗を流した。



1月23日 フットワーク(パリ)
 
朝8時に目が覚めた。「いやあ早起き」なんて悦に入っていたら時差の関係でもうとっくに9時を回っていた。食堂で料金に含まれている朝食を食べて小雨ぱらつくパリの街へ繰り出す。

バックパッカーにはパリの評判はあまり良くない。「汚い街」というのが一般的な印象のようだったのだが、冬のパリは空気も澄んでいて意外と綺麗なたたずまいをみせる。一番最初に航空券の問題を片づけるべくいつもお世話になっているUSITグループの旅行代理店に向かう。

古い街並みを歩きながらもなぜか頭の中のBGMは昨日の飛行機で流れていたボサ・ノヴァだった。そしてしばらく歩いていると川に突き当たった。「おおこれがセーヌ川か!」BGMが突然「ラ・セーヌの星」にかわる。「飛べ飛べ〜流れ星〜 飛べ飛べ〜流れ星〜 剣と剣との火花が〜〜」雨の中日本語の鼻歌を歌いながら歩いている様子はさぞかし怪しかったかもしれないが、それだけ僕はご機嫌だった。

旅行会社に着くとこれまたフレンドリーなおじさんとお姉さんが向かえてくれた。一応あいさつはフランス語から入る。結構フランスでは英語から入るとむっとされることが多いし、最近までインチキフランス語を使っていたのでちょろいもんだ。

早速南米行きの値段を調べてもらうと、サンチャゴ、ブエノスアイレス共に2256フラン。約$340と言ったところで思ったよりもかなり安い。色々迷った結果結局明日出発のサンチャゴ行きを買うことにした。明日出られるし、やっぱり最初は物価の安い所から入りたかった。またしてもスイスエアのお世話になる事になった。

その後は特に何処へ行ったと言うのはないのだが、英語の本を置いてある大きな書店やデパートを冷やかして回った。デパートには日本語の案内書が置いてあって驚いた。僕は何としてもここパリでパソコンのバックアップを取っておきたかったので、いろいろインターネットカフェとかを回ってみたのだが、残念ながらそう言うサービスをしている所はなかった。

今日は特に観光をしたというのはないのだが、歩いているとパリオペラ座の前にばったりと出た。ここは僕の神様だったミッシェルベッケという人がトロンボーンのソリストをつとめていた所だ。彼は僕が思う世界最高のプレーヤーで、皮肉にも僕のプロの奏者になる夢に引導を渡してくれたのが彼だった。

僕が高校2年の時に彼が来日するというので宝塚まで演奏を聞きに行ったのだが、目の前で繰り広げられる圧倒的な音楽に「ああ、僕はきっと100年練習してもここまでは出来ないだろう」とプロになる夢をあきらめたのだった。

彼の才能はもう中学生の時にプロと競演する程だったというので、メーテルリンクの青い鳥ではないが、彼は生まれるときにいっしょに「音楽」を持ってきたのだろう。そして僕も生まれてくる時にこの世に役立つものを何か一つ持ってきたはずなのだが、いまだにそれが何なのか思い出せない。旅に出るとそれが何か想い出すような気がしたのだが、今のところまだわからない。死ぬまでに思い出すといいんだけど。
 

 
クリスマスの飾り付けが残っていた。
 


1月24日 西日(パリ〜チューリッヒ)

冬のヨーロッパの太陽は本当に情けない。昼の12時でももう長い陰をつくってすっかり夕日のようだ。とはいうもののまだ昨日と違って雲の切れ目から太陽が見えているだけでもかなり街の雰囲気は明るくなる。

結局パリに2泊で今晩南米へと飛ぶのだが、その前にやっぱり凱旋門ぐらいは押さえておきたかった。ルーブル美術館は昨日前を通ったのだが、狂ったように巨大だった。こんな所を歩いて回ったら足が棒になって何処にも行けなくなると思ってそのまま通り過ぎた。

凱旋門はそれ自体はどうという事が無いのだが、そこからの景色はなかなか良かった。遠くに新凱旋門を中心としたハイテクビジネス街が見える。反対側にはオベリスクと観覧車が見える。何でもこの大通りがシャンゼリゼ通りなのだそうだ。そんなことも知らずにパリに来たのかと思うと何だか自分でもおかしかった。

凱旋門で同じ宿の休学してロンドンで英語を勉強しているという日本人の高校生にばったりと出会った。まだ17〜8のあどけない少年だった。同じくエッフェル塔方面へ向かうというので途中まで一緒に歩いたのだが、旅の話をするといろいろ興味深そうに聞いていた。

エッフェル塔自体はどうという事はなく、僕はあまり好きではない。何だか作りが下品というかグロテスクなのだ。東京タワーのような品が感じられずに、単に「鉄塔を建ててみました」という感じがする。真下を通り過ぎると、アラブ人が金色のエッフェル塔の置物を売っていた。青色の台と温度計が付いていたら即買いだったのに残念だ(笑)

エッフェル塔が不発だったので、恋に破れた日本の傷心OLでもいないかとセーヌ川沿いをぶらついてみるがそんなものは全くいなくて、いたのはブランドの袋をぶら下げたバカOLだけだった。なんだかんだいっても日本のOLは幸せらしい。

今日唯一入場したのが、ノートルダム寺院だった。しかも入場料無料なので結局パリでは一カ所も入場料を払うような所へ行ってない。もったいないような気もするが、ここはまた6万円台の格安航空券で4〜5泊で来ることも有るだろうし残しておくことにした。

ユースで荷物をロッカーから出して早めに空港に向かうと、4時間前に着いてしまった。しかしアフリカ帰りの自分には4時間なんて無いにも等しい待ち時間だ。ぼーっとしたり本を読んだり、インターコンチネンタルホテルからぱくってきたHerald Tribuneを読んだりしているうちにチェックインの時間がやってきた。

今度はシャルルドゴール空港なのだが、ここは面白い作りで、最初にパスポートチェックがあって、その内側にチェックインカウンターがある。入国も出国も同じエリアをごちゃ混ぜに使っていてまるで列車の駅のようだった。チェックインするとその先が待合室ですぐ前に飛行機が停まっている。

スイスエアだけにまず最初にチューリッヒへ行かなくては行けないのだが、20時過ぎの飛行機と言うことで中は本当にガラガラだった。乗り込むとこの前とは打って変わったきめの細かいサービスで、1時間半のフライトなのに最初にチョコレート。サンドイッチも何度も往復して3個ぐらい食べてしまったし、スチュワーデスも笑顔でフレンドリーだ。

離陸すると真下にパリの灯が見えた。たった3日の短い滞在だったが、またもう一度この空いている季節に来てみたいと思った。
 

 
セーヌ川の中州
 


 

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