このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
ドイツ・ベネルクス編
(ハンブルグ〜ルクセンブルグ)
 
    


9月2日 ブレーメンの音楽隊(ハンブルク〜ブレーメン〜ハンブルク)

今日は昨日行けなかったブレーメンまで行くことにした。しかしまたまたブレーメンで宿を探すのは非常に面倒なので、ここでもう一泊して日帰りでブレーメンに行くことにした。幸いここからはインターシティに乗れば1時間ほどの距離だ。

ユースの受付で延泊の手続きをすると、なにやら図書室はもうダメらしく、荷物をロッカーに入れて午後にまた来いと言われてしまった。昨日の図書室は朝食付きで21マルクと破格で全く文句はなかったのに、どうやら今日は37マルクもする部屋に移らなければいけないようだ。

朝食を食べていると例の3人に会ったので荷物をまとめてから散歩も兼ねてみんなで駅方面へ歩く事にした。昨日は雨だったのと夕暮れだったので、どんよりとした暗い町だなあと思ったのだが、今日歩いてみると又違った感じに見える。とりわけバルト3国でさんざん見尽くしたドイツの街並みなのだが、本家の方もなかなか重みがあっていい。

僕は3人と駅で別れてそのままICに乗ってブレーメンへ向かった。しかしブレーメンは実際行ってみると「メルヘン街道」という言葉はちょっと馴染まない程の都会だった。建物もそんなに古い建物が残っている訳ではなて、見所といてば広場の教会ぐらいしかなかった。音楽隊のロバ、犬、猫、にわとりの像が広場の片隅にぽつんと置かれているぐらいだった。

しかしながら観光客の数はものすごく、通りやおみやげ物はたくさんの人で賑わっていた。僕も一通り町を見て回ってから今度はその近所にある小さな町「フェルデン」へ言ってみる事にした。何も情報は無いのだが一応メルヘン街道の町らしいので何か古い街並みぐらいあれば良いかな、と対して期待はせずに列車に乗って25分。着いた所はあまり旅行者こそいないが、閑静な古い住宅街や、川沿いの緑が綺麗ないい感じの町だった。

結局ぶらぶらと1時間ほど散歩してからハンブルクに戻ることにした。今日は昨日の女の子たちにくわえて、大学生の男二人ほども加わってまた夜遅くまでしゃべっていた。同室の大学生は何でも僕の旅行遍歴に偉く感心してくれて「すごいっすね」とか言われたのだが、もっと凄い人が世の中にたくさんいるので、次はぜひインドかアジア辺りを回ってみて欲しいと思う。アジアは若いうちに行け(意味不明)
 

 
ブレーメンの音楽隊の像
 


9月3日 ドラッグ王国(ハンブルク〜アムステルダム)

アムステルダムというと、ドラッグ、売春、同性愛と何だかイメージが悪いのだが、どういう風に悪いのかは行ってみないと分からない。そんなわけで朝からせっせとパッキングして一行に別れを告げていざアムステルダムへ。一応簡素ながらパスポートチェックはあって、僕はあっけなくオランダに入国した。

そしてたどり着いたアムステルダムは不便だった。キャッシュディスペンサーの数が少なすぎて何処も長蛇の列なのだ。まあでもここはウイーンとかとは違って結構少額でも引き落とせるのでまだ救いようがある。

お金を手に入れてさっそくハンブルグの大学生に推薦された”ユースホステル”に行ってみたらそこはなんと、完璧ガンジャ宿だった。中に入るといきなり覚えのある臭いがつーんと臭ってくる。(まあ中に入るまでもなく、アムステルダムの路上を歩いていれば何処でも臭ってくるのだが)

どうやら、このユースホステルというのは、週末ドラッグをやりに来るヨーロッパ各地の若者向けの宿のようで、本家ユースとはかなり客層が違うようだった。まあ別にガンジャぐらいなら何の危険も無いのでとりあえず一泊する事にした。値段は少し高めだったのだが一泊なので目をつぶった。

そして部屋に入って驚いたのはロッカーがドラム缶。ドラム缶にフタをしてカギをかけるのだ。安全といえば安全なのだがめちゃくちゃといえばめちゃくちゃだ。とりあえず宿内は不健全な空気で満ちあふれていたので外を散歩してみると更に不健全だった。

とにかくマリファナの臭いはどこでも当たり前で、ガラの悪そうな黒人がたむろしている。こう書くと黒人に対する偏見の様にもとれるが、実際ドイツで僕は何度も地下鉄の中でケミカル系のドラッグの取引現場を見た。そして売人は全て黒人だった。結局豊かな国に来ただけで自分も豊かになれるなんて甘い話は無いわけで、そうやって落ちていくのかもしれない。昨今「世界的に移民政策は間違いだった」という話を聞くが、ドイツやアムステルダム、そして東欧なんかを見ているとあながち当たっているのかもしれないと思った。

そんな汚れた街でも運河沿いを散歩しているとまだまだ綺麗な街並みが残っている。本当にあちこち水路が張り巡らされていて、オランダ風の石と木の両方をうまく使った建築がすばらしい。歩いているとアンネフランクが隠れ住んでいた家とかもあって、なかなか有意義な散歩だった。

そして宿の近辺まで帰ってきた時に、僕はやけに扉がガラス張りになっている建物の密集する一角に出くわした。扉の上には赤い蛍光灯が付いていて、中には水着や下着のお姉さんがおいでおいでしている。なるほどこれが噂の「飾り窓」か。もっと小さな窓から覗いているようなイメージがあったのだが、これじゃガラス張りのショーウインドーだ。

まだ明るいにも関わらずかなりの数の「使用中」のドアや、新しくドアの中に入っていくお客で賑わっていた。何ともはや。しかし何でオランダ政府が麻薬や売春を黙認しているのか全く理解出来ないのだが、また機会があったらその辺の文献でも読んでみようかと思う。
 

 
こんな所で簡単にマリファナが買える
 (コーヒーショップというのはマリファナ屋の事でもある)
 


9月4日 ダメダメベルギー(アムステルダム〜アントワープ〜ブリュッセル〜ルクセンブルグ)

「ヨーロッパは、何事も合理的で便利で、至れり尽くせり」そんなのが大嘘で有ることを最近日に日に思い知らされる。ノルウェーもそうだったがベルギーはとびきりだった。

朝早く僕は素早く荷物をまとめて、逃げるようにドラッグ宿を後にした。別にアレぐらいのものはアジアで見なれてるのだが、ここは何だか雰囲気が暗くてあまり長居したくはなかったのだ。

そして質素な特急列車に乗って到着したアントワープで僕はいきなり切れそうになってしまった。まずお金でつまづいてしまった。最初キャッシュディスペンサーを探したのだが、いくら探しても全然ないのだ。そしてやっとの事で見つけたそれも使用中止になっていて使えない。仕方がないので両替屋に行ってみると、駅の方は黒人が長蛇の列を作っている。どうやらここは両替の他に送金も出来るらしく、自分の国に送金しにきたのだろう。

しかし送金はめちゃめちゃ時間がかかる上、膨大な人数で列は全く前へ進まなく、僕は断念して別の両替所に行ってみた。しかしそこは手数料は少ないのだがレートがブルガリアで見かけた詐欺まがいの2重レートなのだ。しかもレートは、肥溜めに突き落としてやろうか!と思うほど悪い。腹立つのも通り越して指を指して笑ってやった。

しかしお金が無いとロッカーも使えない。歩き回ってやっとの事で使えるATMを見つけたのだがそこも又長蛇の列。大体ATMが少なすぎるのが問題なのだが、使う人もとてつもなくトロい。中には使い方が分からないのかなんなのか、一人で10分ぐらいあーだこーだやっているのもいる。何かうまく行かないらしく、何度も繰り返しているのだが、コンピューター相手に同じ操作をしても結果は同じにきまっているのだ。違ってたら困るって!

そして切れかけながらも自分の番が回ってきてカードを入れてびっくり、何と2000フランからしかおろせないのだ。何も2000フラン札しか無いわけではない。札は500とかで出てくるのだ。頭悪すぎ。そんなに引き出しても使えるわけもないので、しかたなく一番コミッションの高いトーマスクックの両替屋で両替する事にした。

しかしなぜだか僕の持っていた北欧通貨はコミッションがいらなくて、最初からこうすれば何の問題もなかったのだ。そして両替したお金を持っていざコインロッカーへ。やっとこれで荷物が下ろせるとおもったら甘かった。まずコインを入れようと思ったのだが何度入れても戻ってくる。どうやらロッカーが新しい50フラン硬貨に対応してないみたいなのだ。しかし新50フランなんて今ベルギーなら何処でも出回っているようなものなのにまったく・・・

仕方ないので売店でコーラを買って細かいお釣りをもらおうと思って「ロッカー使うから細かいのでちょうだい」というと「お釣りが無いからダメだ」と断られてしまった。お前はインド人か!!「そんなら要らないよ」とコーラを返すと、何だか文句を言ってきた。柄の悪いおばはんだった。

駅のレストランで、新しい50Fを古いのに替えてもらおうと思っても、なぜか断られる。そんぐらいしてくれよ。仕方無しにロッカーの管理している荷物預かり係へ行ってみたのだが、なんとここでも両替を断られてしまった。もう爆発寸前。結局ここの荷物預かり所で預かってもらうことにしたのだが、よく考えるとここで預かれば自分の利益になるので両替してくれなかったようだ。

ああ、もう、こんなクソくだらない事で1時間半も費やしてしまった。まったくこの国は全てがバカげてる。田舎ならまだしも何でアントワープの駅構内にATMが無いのだ。そして両替所も送金扱うなら窓口を二つに分けろ!!

もう一瞬こんな国通り過ぎてしまおうかと思ったのだが、何とか気持ちを静めて郊外のホーボーケンへ向かう路面電車に乗った。何とこの路面電車出発してからしばらくは地下を走るのだ。ちょっと変な感じ。

実はつい昨日まで知らなかったのだが、ここアントワープは「フランダースの犬」の舞台らしく、郊外のネロ少年が住んでいたとされるホーボーケンの観光案内所にそう言う展示がしてあるらしいのだ。なんだかベタなのだが、どうせ夜行に乗るので時間も余っているし話のネタにもなるだろう。
 
市電に揺られて30分ほどでたどり着いた町は閑静な住宅街といった感じで、人通りもまばらだった。そして看板をたよりにツーリストインフォメーションに行ってみると、いきなりフレンドリーなおばさんが日本語のパンフレットを一式持ってきてくれた。

ここはツーリストインフォというよりも、「フランダースの犬インフォ」といった感じで、中の展示は9割方フランダースの犬にちなんだ物だった。後に町おこしの為に画家に依頼したネロ少年の絵や、ネロとパトラッシュの像なんかが立っている。そして何よりも壁に何枚も貼られた日本地図に無数のまち針がさしてある。どうやら訪問の記念に突き刺していくらしく、僕も明石市の西のあたりに「ぷすっ」と一本突き刺しておいた。他の国の地図はどうやら無いようだ。

その後はネロの友達の女の子アロアの住んでいた風車小屋の模型があったが、これはガッカリだった。その後ネロとパトラッシュが毎日牛乳配達をしたという道を歩こうと思ったのだが、途中で疲れて市電に乗った(笑)それにしてもオランダといい、ここといい黒人やヒスパニック系の人の数がとても多くてビックリだ。

アントワープに戻ってからは特に見たいものは無かったのだが、とりあえず中心のノートルダム大聖堂だけ行ってみる事にした。ここはネロとパトラッシュがルーベンスの絵を見てから死んだ所だ。あいにく営業時間外で聖堂の中には入ることが出来なかった。

そして僕は列車に乗り、いろいろあったアントワープの町を後にした。もちろんその国のことなんて長い間住まないと見えてこない事が多いのだが、僕にとってベルギーはこの1日だけの滞在なんで、まあ運が悪かったのだろう。ブリュッセルも結局夜行に乗るために向かっただけで、駅前を少し散歩してから僕はスイス行きの夜行列車に乗った。

途中ポルトガル人の学生と同室になったのだが、コンパートメントを二人で占有出来たので、楽々眠ることが出来た。彼は今ルクセンブルグの大学で勉強していて、家に帰る所らしい。夜中にルクセンブルグで彼が降りる時に目が覚めた。窓の外の「Luxenburg」と書かれた標識だけが僕の唯一ルクセンブルグの思い出となってしまった。

まあ、一応パスポートチェックがあったので、入国した国リストに入れておくことにしよう。
 

 
ネロとパトラッシュ
後ろはツーリストインフォ
 


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください