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ハンガリー編
(ブダペスト〜セゲド)
 


7月23日 ハンガリー舞曲(ブダペスト)

列車は定刻通り朝のブダペスト・ヌガディ駅に到着した。ブダペストには大きな駅が2つあるらしいのだが、ここはマイナーな方の駅で市の中心部にあるらしい。とはいうものの、地図も何もなく自分が何処にいるのかさえ分からないのでとりあえず地下鉄の駅に向かう。

ここブダペストには名物宿が何軒かあって、その一つが老舗の「テレザハウス」だ。とりあえず駅からのコマ地図をメモってきたのでその通りに行くと、何だか博物館みたいに味がある大きな中庭のアパートを発見した。上へ上がっていくと何だか一癖ありそうなおばさんが笑顔で迎えてくれた。これが噂のテレザか!

宿自体はドミトリーで、キッチン使用不可の代わりに電子レンジとポットが置いてある。そしてここにはなんと掃除の為のロックアウト(締め出し)タイムがあって、1時から5時の間は宿にいることが出来ないのだ。ちょっと困った物だが、まあ昼間は観光に出てるので問題ないだろう。

今日は日曜日で幸いロックアウトが無いのと、疲れていたのでそのまま宿でゴロゴロすることにした。情報ノートは割と充実していて東欧諸国のいろいろな情報が書かれている。やっぱり旅人の生情報は重要だ。

しばらくゴロゴロしているとやっぱり街を歩いてみたくなって外に飛び出した。ここハンガリーはよく言えば古びた哀愁のある街、悪く言えば雑然として汚いのだ。そんなわけで、リストのハンガリー舞曲が一日中頭の中を流れているのだ。(笑)

とりあえずここに来たらドナウ川しか無いでしょう!という感じで川まで歩いていたのだが、それは美しくも青くもなかった。なんだか汚い川の向こう側に丘があって、なんだか国会議事堂の様な建物がならんでいる。たぶんあの辺りが見所なのだろう。それは又明日でも行ってみる事にする。
 

 
ハンガリー側国境の小さな駅
 


7月24日 夜は川沿い(ブダペスト)

基本的にはゴロゴロライフだ。しかしロックアウトがあるので昼には出かけなくてはいけない。世の中うまく出来ているのだ。

ここブダペストは山側のブダと対岸のペストの二つから成っているらしい。つまり僕はペストに滞在しているのだが、今日は橋を渡って反対側のブダまで行ってきたのだ。

さっそく一番目だっている建物のある丘に登ってみる。昨日国会議事堂と思っていた建物は実は昔の王宮らしい。しかし建物からは王宮と言うような華やかさは感じられない。そして今日は月曜は休館日らしく
来る日を間違ってしまったようだ。

ブダはペストと違って街並みも美しい。ペストが阪神沿線ならブダは阪急沿線といった所だろう。美しい街並みを身ながら歩いているうちに僕はついつい、、、、飽きてしまった(笑) まだまだヨーロッパを語る程あちこち見てないのだが、ヨーロッパの街は何処も画一的な気がする。シギショアラなんかはウリがあってよかったのだが、ここブダペストは何となくこの「ウリ」が無いのだ。つまり退屈なのだ。

そんなわけで向かった先は「Japan Foundation」要は中の図書館で日本の新聞が読めるありがたい場所なのだ。中に入ると早速ここ最近の新聞を読みふけった。驚いたのは公的資金で救済すると言っていたそごうが倒産した事だ。最近税金払ってないので偉そうな事は言えないのだが、やっぱりこれで良いのだと思う。

その他はアエラぐらいしか大した本もなかった。そのうち閉館時間になったのだが、ここまで何と地図で迷いながら膨大な距離を歩いてきたのでどうやって帰って良いか分からないのだ。運良くここに留学している日本人が二人いたので訪ねると「同じ方向なので一緒に行きましょう」という事になった。

男の方はここの大学で勉強していて、バイトでハンガリー人に日本語を教えたりしているらしい。女の人の方はなんでもハンガリーが好きで永住したいらしく、観光関係の仕事をしながら語学学校に通っているらしい。ハンガリーにもたくさん日本人がいてちょっと驚きだ。

宿に帰ってごろごろの続きをしていると、下の階のプライベートルームに泊まっている女の子が訪ねてきた。夜の鎖橋を見に行く人を募集しているらしい。なんだかんだで5〜6人でぞろぞろと行くことになった。ここブダペストでも兵庫くんと一緒になった。そして彼はまたまたレジでおつりをごまかされて切れてしまった。最後はつかみ合いの喧嘩になったのだが、近所のガードマンらしい人が来ると、店員は出ていけとドアを閉めて鍵をかけた。まあお金は取り返したらしいのだが、またまたヒヤヒヤしてしまった。

夜の川岸から見るブダはなかなか良かった。ライトアップされた鎖橋、そして丘の上の王宮もオレンジ色にライトアップされていて、昼間よりも豪華に見える。あれほど暑かったのに夜の風は涼しくて、自分たち以外にもたくさんの地元の人が夜の散歩を楽しんでいた。夜のブダペスト結構いいです。
 

 
夜の鎖橋
辺りは多くの人で賑わっている
 


7月25日 東欧のカオサン(ブダペスト)

何となく休憩モードに入ってしまっている。今日からぼちぼち用事を片づけていかないと。

まず最初は国際学生証づくり。これもまあ厳密に言えばヤミなのだが、ブダペストの旅行会社では本物の学生証がたったの$4で作れてしまう。イスタンブールでは、いけないと知りつつ作ってくれる会社があるのだが、それも$25とふっかけてくる。やはりブダペストは東欧のカオサンストリートなのかもしれない。

一応前の学生証(本物)を準備していったのだが、一切それについては触れられること無く「名前と学校名と生年月日書いて」と言われておしまいだった。

そして驚くことにここでは、EU在住者しか買えないスーパーアイテム「インターレールパス」が代理店によっては居住者以外でも買えてしまうのだ。これはどれだけ凄いかというとユーレールパスの1/3ぐらいの値段で、スイスもイギリスも、そして東欧諸国、トルコまで乗り放題なのだ。ここで買うと4万ぐらい。しかしユーゴで買うと更に安いらしいのでそれは又次の機会に買うことにした。

学生証も出来たし、せっかく鎖橋の近所まで来たので、昨日丘の上から見えてた凄く綺麗な建物へと向かってみる事にした。それは白い壁と茶色の屋根の巨大な建物で、至る所に数え切れない程のとんがった小さな塔みたいなのが着いている。何とこれが国会議事堂らしい。こっちの方がよっぽど王宮っぽい感じがする。事実この国会議事堂は世界一美しい国会議事堂と呼ばれているらしい。なるほど納得だ。

そして今日も5時のロックアウトタイム終了を待って部屋へと戻るのだった。
 

世界で最も美しい?国会議事堂
 

7月26日 失恋(ブダペスト)

懸案だったウクライナなのだが最近何だかどうでも良くなってきた。共産チックな広場とか革命戦士の像とかはブルガリアで充分見てきたし、元共産圏も少しごちそうさまという感じだ。とはいうものの、長年行きたかった所なのでまた行きたくなった時の為に取れるところでビザを申請しておくのがいいだろうと、朝一で起きてウクライナ大使館へ。

地下鉄の終点で降りて長い坂道をえっちらおっちら登っていくと水色と黄色の何だか威厳もへったくれもない国旗が建っていた。受付で「ビザ申請したいんすけど」というと巨漢の警備員が「Today No Possible」とかぬかす。ここまで来て引き返せるか。

幸い一昨日兵庫君がごねてその日に中に入れてもらったと言う話を聞いていたので少しごねてみるとどこかへ電話をかけてくれた。少しぐらいは融通が利くらしい。しかし20分後帰ってきた答えは「金曜日ならOK」という事なのだが、そんな日に申請するとまたまた火曜日までここにいなくてはいけなくなってしまう。ゴネ続けると無表情」で「グッバーイ」と言われ、機械を経由してパスポートを返されてしまった。

恋は運と相性とタイミングというが、旅も結構そう言う事が多々あるのかもしれない。とにかく僕はウクライナに振られてしまったのだ。こうなればもう明日あたりにでも戦場を見にユーゴへでも行くしかないだろう(笑)

失恋の痛手を引きずりつつテレザに戻ってシャワーを浴びることにした。そして今度はユースの会員証だ。これも例のエクスプレスで作ると400円ほどで作れるのだ。まあ期間が今年の年末までと短いの少しお買い得といった所だろう。

そんなわけでぼちぼちと出発準備が整っていくのであった。



7月27日 行商列車の人々(ブダペスト〜セゲド〜サボティツァ〜ノビサド)

今日はいよいよユーゴへGoGo!! 少しゆっくりしてから9時ぐらいにブダペスト・ヌガディ駅へと向かう。そして10時過ぎのインターシティに乗ってハンガリー南部の街セゲドへ。

ここでまずセゲドに向かったのには理由がある。ヨーロッパでは国をまたぐ切符の値段は通常の倍から3倍ぐらいかかるのだ。特に顕著なのは安い国から安い国へのチケットで、ブダペストからベオグラードまで買うと$30ぐらいするのに、ブダペスト〜セゲド〜(国境)〜サボティツァ〜ベオグラードの3つに分けて買うと何と$10ちょっとで行けてしまうのだ。これはユーゴリピーターのチャリ塚氏に教えてもらったのだが、特に東欧では有効な手らしい。

まず最初に乗ったインダーシティーはそれはこれまでの旅で見たことの無いほど綺麗な列車だった。二等なのにエアコンが効いていて、日本の新幹線並の座席だった。そしてさすがインターシティだけあって結構なスピードでびゅんびゅん走るのでほんの2時間少しで国境の町セゲドに着いてしまった。

ここはプスタと呼ばれるハンガリー平原の南部に位置する街で、マックが有る程度の田舎度だ。街には2本の巨大な塔を持った教会があって街のシンボルになっている。次の国境列車まで充分時間があったので、駅に荷物を預けて街に繰り出すことにした。

街自体は小さくて歩いて回れてしまうのだが、もしここに安宿があれば何日か泊まってもいいかなという感じのいい街だ。そして学生が多いらしく路上で地図を見ているとみんなが「何処へ行くの?迷ってたら教えてあげるよ」とフレンドリーに話しかけてくる。ブダペストでは決して無かった事だ。

肝心の教会は大改修中らしくて中には無数の足場パイプが組まれていて、雰囲気も何も無かったのだが、外観はかなりの建物だった。時計台も2本あると圧巻だ。そうこうしているうちに出発の時間が迫ってきたので駅へと戻る。

そして時間になったのだが列車は全く来る気配が無い。そしてよく見ると「45分遅れ」らしきハンガリー語の表示が出ていた。しかし45分経っても列車は来ずに1時間半ぐらいしてからようやく2両編成のレールバスみたいなのがやって来た。

列車が見えると莫大な荷物を抱えた人達がホームへと押し寄せる。どうやらこの列車はハンガリーの物資をユーゴ側に運ぶ国境貿易列車のようだった。そのせいかチケットも2等ではなくなにやら特別に安クラスのようだった。

列車は出発するとすぐに単線のよれよれの線路になった。もちろん電化はされていない。がたんごとんがたんごとん揺れながら畑のど真ん中をひたすらまっすぐ走っていく。行商人は何故か車掌が持つはずのカギをみんな持っていて、物資を列車の用具入れとかトイレにじゃんじゃん隠していく。なんだかその光景を見ていると笑ってしまった。

国境付近で向かいに座っていた女の子とおばさんが話しかけてくれた。なんでもセゲドまで買い出しに言ってたらしく、二人とも割とまともな英語を話した。そしてハンガリー側の国境駅に着いたのだがいきなりイミグレの職員に「日本は西側の国だからユーゴのビザがいるはずだ」とか言い出す。一瞬「マジすか?」とか思ったのだが実際知人も入国しているのでそう言うと「おかしいなあ、、、ま、一時間後に会おう」とか言われてしまった。そして列車は国境へ向けて出発。

しばらくすると監視塔が見えて国境らしい線が引かれていた。とは言う物の柵とかは一切無く両国二は緊張は無いようだ。ハンガリーと言えば東欧なのにNATOに加盟してたりするので少し意外だった。そしてその線を越えると急に列車の揺れが激しくなった。もうそれは近所を走っていて今はもう廃止されてしまった別府鉄道のようだった。おばさんが「ほらユーゴに入ったのがわかるでしょ?」と笑った。

今度はユーゴ側の入国審査。ここでも一瞬ひやりとしてしまった。このローカル列車で国境を越える日本人なんてのは滅多にいないらしくて、何だか対応も厳しい。そしてついに僕は一人列車を降ろされてしまった。そして警官は詰め所の偉い人と何やらしばらく話した後荷物を開けて見ろと荷物検査を始めた。

とは言う物の表情は既に軟らかくなっており、日本人がビザ無しで問題ない事は分かってもらえたみたいだ。ただ「働きに来たのか?」とか「ジャーナリストか?」とかツッコミが厳しい。そして僕が持っていた地図のコピーを念入りに調べていた。

やがてOKが出て列車に戻るのだが荷物をひっくり返してしまったのでなかなか詰める事が出来なくて大変だった。

列車は相変わらず寂れた農村をガタゴト揺れながら走っていく、これからベオグラードまでずっとこんな単線のディーゼルなんだろうか?と思っていると急に線路が増え架線が見えたと思うとまもなくサボティツァの駅に到着した。列車の遅れの為にもう既に日も傾いていた。

チャリ塚氏の話にのると、泊まるならユーゴ側の方が絶対安いというので、サボティツァ唯一のホテルへ行ってみたのだが、もう既に為替が公定レートじゃなく実勢レートに会わせて値上げしたようで、一泊30ドル以上してとても手が出ない。おとなしく女の子&おばさんとノビサドまで行くことにした。こっちにはもう少し安いホテルがあるらしい。

ノビサドに着くともう完全に真っ暗だった。この二人を少し頼ることが出来るかと思っていたのだが、何だかアッという間に置いて行かれてしまった。女の子の方は一応迎えに来ていた親に色々頼んでくれていたようなのだが、「ダメダメ」とあっさりと行ってしまったのだった。冷たいぞユーゴ人!

仕方が無いので駅前のホテルに行ってみると32DM(1500円)、少し高めなので情報ノートに乗っていた市の中心部までバスを探して行ってみた。こっちの方は35DMと逆に高くなってしまった。やっぱり為替の関係で一気に値上げしたようだった。もはやホテルに関してはヤミレートのうまみは全くないようだ。

まあ一泊と割り切って泊まることにした。朝食も着いているのでまあこんなもんだろう。さっそく汗を流して街に繰り出した。ユーゴはみんな結構夜おそいようで、あちこちのオープンカフェではキーボードに会わせておねーさんが歌っていたりしてそれなりに賑わっていた。みんな楽しそうに飲んだりしゃべったりしていて、少なくとももう戦争の影響というのは全く感じる事が出来なかった。
 

 
行商列車の女の子
割と英語をしゃべる
  

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