このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
結局ベオグラードは一泊だけしてハンガリーに帰ることにした。一つは日本大使館に荷物を送ったというメールをもらったのと、もう一つはホームページの更新。それに何かと回りの国に行くのも便利だと思ったのだ。
列車は朝8時発なので、まだみんな寝ている中を買ったばかりのコイルヒーターでお湯を沸かして一人で朝食をとる。結局だれ一人起きなかったので、そのまま挨拶せずに静かに出ていくことにした。
今日の列車はキエフ、モスクワへ行く列車らしく、そのまま乗っていればブダペストまで連れていってくれるのだが、やはり直通で買うと$30もしてしまうので、来たときと同じで、ローカル線で行くことにした。
列車は8時丁度に出発。さすが国際列車らしく、エアコンの効いた結構まともな座席だった。そして停まる駅も少ないので3時間と少しで国境の町サボティツァに到着。やはり多くの人が国境で降りる。僕も同じようにここで降りる。目的の一つは郵便を出すこと。
ユーゴの物価は今では安いとは言えない。とりわけ国際列車、航空券、ホテルなど外国為替と連動しているものは、既に公定レートではなく実勢レートで計算するようになったので、一気に全て3倍ぐらい値上がりしてしまったのだ。しかしながら国内列車、市バス、郵便などは他の国からは信じられないほど安い。日本までのハガキが何と1枚5.4ディナールつまり15円しないのだ。
そんなわけで、僕はドブロブニクとベオグラードで買ったハガキをここから出すことにした。まだ書きかけの物もあったので、市の中心のマックで書き上げる。何だかレストランを改装したらしく、店内も茶色を基調とした落ち着いたものになっている。見所というのは大した物はないのだが、ここは国境近くなのにそこそこ大きな街だった。
ハガキを書き終えて郵便局で出すと、残りは丁度3ディナールほどになった。余り考えていなかった割には旨く使い切れた物だ。
そして時間通りに駅に行って列車を探すのだが、やはり遅れているようだ。そして見なれたディーゼルカーがやって来た。ここで気が付いたのだが、ここまで乗ってきた列車とはどうやら逆の方向に進むらしい。時刻表を見ると、僕がユーゴに来るときに通った路線は実は国際列車が通るメインの路線ではなく、究極のローカル線だったようだ。
さすがに考えてみればこの二国を結ぶ線がこんなガタガタのローカル線のはずはないのだ。
今回は国境でもめる事はなかったのだが、やはり一日2本しか列車が通らない駅なので、常にイミグレの警官が居るわけではなく、列車が到着してから呼び出して、パトカーがやってくるのを待つような感じだった。そんなわけで両方の国境で30分ほどを無駄にして2時間ほどで懐かしいセゲドの駅にやってきた。そして1時間ほど駅でつぶしてからブダペスト行きに乗る。
窓から見るプスタは何処までものどかだった。そしてそれはいつの間にか眠気をさそい、僕は夢と現実の狭間をさまよいながら大都会ブダペストへと帰ってきた。
さっそく京女カップルに教えてもらった宿へ行ってみたらあいにくベッドは全部埋まっているらしい。しかし何とかマットを借りて床に眠れる事ができた。この宿でも再会があった。イスタンブールのガラタホステルと、シギショアラで会った「夫婦パッカー」だ。丁度夕食時だったらしく、いきなり日本食をごちそうになってしまった。今日はいろいろとついている。
ブダペストに来た目的は、日本大使館で郵便物を受け取る事だった。そして朝から動こうと思うのだが、もう一つ懸案事項があった、それはここからプラハに向かうには、いくつか安い手段があるのだが、その全てがスロバキアを通るのだ。
スロバキアはヨーロッパにあって、最後まで残った日本人にビザを要求する国なのだ。しかもここブダペストの大使館に限って、ツーリストビザの取得は著しく困難らしい。ポーランドでは5分で発給してくれるらしいのに。
迷いながらとりあえず大使館まで行ってみようと出かけたのだが、、、、本当に迷ってしまった(笑)
そんなわけで、結局今日が金曜日なのでビザの申請は出来なくなってしまった。仕方が無いので日本大使館へ行ってみると、何とガードマンに「今日は領事部は昼までだから月曜日に来い」と言われてしまった。実際に大使館の営業時間は夕方までなので何とかならないかとは思ったのだが、こう言うところの警備員は融通が利かない。
こんな所で3日間もつぶすのはすごく痛い。いっそのこと郵便物をあきらめるかと思ったのだが、やはりあきらめきれずに外から電話をかけるべく電話ボックスを探し回るが、こんな郊外の住宅地にはほとんど電話は無いのだ。汗だくになってやっとの事で電話を見つけてかけると、予想外に対応はよく、すぐに受け取れるように手配してくれることになった。
大使館に戻って受付に話すとすぐに中にはいることができた。大使館の職員もフレンドリーで丁寧な対応だった。
中身は日経エンタテインメントと言う本で、芸能や最新の話題なんかの載った本で、日本のどうでもいいような情報を知るには最高の本だった。これでしばらく楽しめそうだ。
朝起きてお茶を沸かしていると雨がしとしとと降り出した。ただでさえ鉛色のこの街が雨でいっそう重たく見える。2泊ぐらいのつもりが、夫婦バックパッカーとの出会いや、宿が心地よくて何となくだらだらしてしまったのだが、そろそろ動かなくては行けない。そう思って雨の中をユーロラインのオフィスが入っているというバスターミナルへと向かった。
オフィスは土曜日なので人が少なく混雑していたのだが、並んでいた時間とは裏腹に1分ほどであっけなくチケットが買えた。チケットはブダペスト−ウイーンの片道。本当はここからプラハ行きでダイレクトに行きたかったのだがこれには一つ問題があった。
それはスロバキアビザ。スロバキアはルーマニアと並んで「ヨーロッパ最後の日本人にビザを要求する国」なのだ。逆に言えば観光資源も無いし、交流もないので免除する必用が無いと言えば無いのだが、ハンガリーからチェコやポーランドへ向かう列車やバスはほとんどこのスロバキアを経由している。ルーマニアの様に国境で取ることも不可能なのだ。
しかもブダペストのスロバキア大使館は、何故かビザがかなり出にくい。成功率30%ぐらいらしく、どうやら共産主義時代を引きずっているような老人の職員がやっているらしい。トランジットなら取れるのだがそんなのに$20も払うのもバカらしいのでスロバキアは断念したのだ。そんなわけで、結局交通費が倍かかる事になりそうだ。やれやれ。
久しぶりに新しい国への国境越えだ。実質今日向かうオーストリアが、初めての西側諸国という事になる。時間前にバスターミナルに行くと、少し古いが2階建てのハイデッカーが停まっていた。わずか200キロ少し、3時間程の道のりだ。
道路は全線高速道路だった。のどかな田園風景をながめているうちに、ついうつらうつらしてしまうのだが、やがて国境のゲートへと到着した。ここでは一つのゲート入国と出国の審査が行われるようだった。
僕たちの乗ったバスはなぜだか他のバスとは違う特別の誰もいないゲートへと着けられた。他のバスや乗用車はけっこな数のゲートがあるにもかかわらず、混雑していたようだった。路線バスだからなのか、何かコネがあるのか、ともかく出国審査と入国審査がほぼ同時に終わった。どちら側も基本はスタンプは押さないようなのだが、聞いてみると「欲しかったらバス降りて詰め所にいきな」とぶっきらぼうに言われ、詰め所でもぶっきらぼうにスタンプを押された。
最近移動のスピードがかなり上がってきていて、一カ国2〜3日と言うのが増えてきている。これじゃまるでスタンプラリーじゃないかとは思うのだが、考えてみればヨーロッパなんて全てインドの中に入ってしまう程の広さが40カ国にも分かれて居るんだから、それはそれで仕方ないのだろう。
国境を越えるとウイーンはもう目と鼻の先だ。次第に家や工場が増え始めていよいよ町中に突入。しかし、これは、、、今まで通ってきた都市と比べて何一つ目新しい物が無い。そう全く興味が持てないのだ。しかも宿は$10クラスの所は南京虫が居たりするらしいし、僕の心は既に「素通り」へと傾いていた。
それにしても日曜日にウイーンに着いたものだから、すごくこまってしまった。まずATMがほとんど止まってしまっているのだ。こんな事はトルコ以来のいかなる国でもなかった。おまけに唯一動いているものも、最低金額が$100相当からしかおろせずまったく使い物にならない。仕方無しになけなしのドイツマルクを悪いレートで両替する事にした。
そして現金が手に入っても、今度プラハ行きの鉄道駅への行き方がさっぱり分からない。駅の案内表示も著しく最低で、市内の路線図さえないのだ。仕方なく駅名をたよりに列車に乗ったのだが、途中で路線をそれてしまった。どうやら空港行きだったらしい。途中で引き返してやっとの事で南駅にたどり着いてプラハ行きの切符を買った。
ウイーンからプラハの間はEC(ユーロシティ)とよばれる優等列車だったのだが、車両の設備はかなりしょぼかった。なんだかオーストリアについてはまったく良いイメージが持てない。街も何だか汚いし、雰囲気も暗い。まあザルツブルクとかへ行けばまた違うのだろうが。
列車が出発してからしばらくするとオーストリアの出国審査があった。どうやらオーストリア領内では一度も停車しないらしい。僕は入国スタンプをもらっていたからなのか、何も言わなくても出国スタンプを押してくれた。続いてチェコの入国審査もあっけなくスタンプが押されて終了した。そしてプラハにやってきたのは日も暮れかかった7時過ぎだった。
今日の列車はおびただしいバックパッカーの量で、驚くことにアジア人の8割が韓国人だった。これは大げさでは無い。このところの東欧での韓国人旅行者の多さは異常としか思えない。とにかくものすごい人々があちこちへ散っていくのだが行く先は安宿ときまっているので、少し宿が心配になる。
ここでもあちこち探し回ってやっとATMでお金をおろしたのだが、なんとでっかい札で出てきたので、トラムのチケットを買おうにもどの店でも崩してくれない。仕方無しに両替屋で地図を買おうと思ったら前の一人で売り切れ。しかしさすが両替屋で、無料で細かい紙幣とコインに両替してくれた。
さっそくユースに電話をしてみたのだが、1軒目で空きがあった。ただ電話番号しか分からないので、行き方を聞き出して何とかたどり着くことが出来た。チェックインして荷物を降ろすと本当にもうくたくただった。まさにスタンプラリーの一日だ。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |