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目覚ましが鳴る。時間は5時20分。列車は6時半の予定なのでキップを買う時間も考えて、てきぱきとパッキングをして宿を出る。受付には誰もいなかった。
外にでるとまだ陽は昇りきってなく、空気も冷たい。駅には相変わらず多くの人がいるが、キップ売り場の混雑はそれほどではなく、すぐに目的のキップを買うことができた。2等の自由席なので普通の硬券が1枚。昨日ホテルのレセプションで「バラナシなら、オレがキップを予約してやる」などと言い寄ってきたのだが、昨日調べて置いたおかげで、ここからは自由席にしか乗れないことを知っていたので騙されずにすんだ。
駅のチャイ屋でお茶とパイのようなものを流し込んでホームに行くと電光掲示板に目的の列車が表示されているのだがどうやら遅れるらしい。そしてインドではたびたび出発直前にホームが変更になる事があるらしいので、周りのインド人にいろいろとたずねてみた。
この「いろいろな人にたずねる」というのはインド、ネパールなどではとても重要で、この辺りの人は基本的に知らないことには「そうだ」と答えるようだ。ネパールで何度も痛い目にあっているし、インドではこれにくわえて嘘で騙す人が山ほどいるからだ。
何人か聞いたあと、二人の初老の男にも声をかけてみた。「バラナシ行きはこのホームですか?」と聞くと笑顔で「そうだそうだ」と答える。そして待っている間にヒンディー語でいろいろ話しかけてくるのだが「日本人で、ヒンディー語は話せないんだよ」というと簡単な英語で話しかけてくれた。二人の男の表情は限りなくおだやかで、今まで国境から騙し続けてきたインド人達とはまったく別物だった。やはりインドはまだまだ奥が深いのだろうか?
待っている間も、チャイやお菓子を僕の分まで買ってくれて、「おいしい」と言うと嬉しそうに笑って自分の持っていたチャイの素焼きの入れ物をホームに投げた。自分もまねをして投げると、素焼きは乾いた音を立ててばらばらに砕けた。
そして1時間ほど遅れで列車が入ってきた。時刻表によると始発のはずなのに、寝台車が連結されていたりたくさんの人が乗っていたりでとまどったが、確かにこの列車らしい。乗り込むとすぐに席を確保することができた。
男は二人とも軍人のようなのだが、片方の軍服の老人はカシミールに3年間勤務してこれから帰る所らしい。ほとんど英語をしゃべらないのだが、売り子が通る度にいろいろと物を買ってくれておごってくれる。そして「おいしいよ」と言うと、とても嬉しそうな顔で笑う。
インドの列車にはいろんな物がのってくる。さすがに牛は乗ってこないのだが、物乞い、物売り、詐欺師。この詐欺師は英語とヒンディー語で書かれた「この子供達はとても貧しく働くところさえありません、一人20ルピーの寄付をお願いします。なおこのビラは後で返して下さい」とか書かれたビラを配って、カネをせびって回るという子供じみたものだ。まず「どの子供」で「どういう団体に寄付しろ」というのか全く書いてない。カネを集めていた身なりの綺麗な女は自分の前でしつこく5分ぐらいねばっていたのだが、やがて去っていった。
他にも「国旗入場」っぽく4人のインド人が乗り込んできたのだが、よく見てみるとそのボロキレの真ん中に今にも息を引き取りそうな老人が横たわっている。一応まだ生きているようだ。もうここまで来ると驚きを通り越している。
そんな風に車内の様子に驚き、何処までも続く麦畑をながめているうちに、二人の男達はそれぞれ別々の駅で下りていった。そして6時間ほどで列車はバラナシ・カント駅に到着した。いよいよインドで最も治安の悪い街に来てしまった。まず群がってくるリキシャマンを上手くかわして駅から離れる。そして流しのオートリキシャをひらうのだが、英語があまりはなせず、違う男にバトンタッチされてしまった。
そしてコイツがまた最悪で「ゴドゥリア交差点だ」と言っているのになんだか違う所に着いてしまった。ホテルや土産物屋には連れて行かれなかったのだが「場所が違うぞ」というと「リキシャはここまでしか入れない。ここから歩いてすぐだ」という。また騙されたか?と思って歩き出すとやはり騙されていた。糞インド人め!
1キロほど真昼の太陽の下を汗びっしょりになりながら歩くと、やっとゴドゥリア交差点にたどり着いた。この辺りからむかつく奴らが群がってくる。ゲストハウス、マリファナ、リキシャ、宝石、お土産 各種客引き。それらをひたすら振り払ってさらに1キロ程行くと、以前情報ノートで推薦されていた宿にたどり着くことができた。Vishnu Rest House 人気のやどだ。あまりの人気にバカインド人が同じ様な名前のを作りまくって4軒ほどニセモノがあるらしい。Vishnu Guest House , New Vishnu Rest House ,ほかにも2つほどあるらしい。まったくアホかお前ら。
宿に空きをたずねると「もうすぐチェックアウトするからちょっとまって」と言われ下のドミに行ってみると韓国人の女の子が荷造りをしていた。学生でそろそろ帰らないといけないらしい。なんだかアンダマン諸島を強く推薦していた。
荷物を下ろすとゲストハウスの客引きはぐっと減るのだが、マリファナ、ボート、チョットミルダケ、etc宿の外は5m歩く毎に声がかかる。そんなのをあしらうのだが、むかつく奴らの中にも超むかつく奴がいて、去り際に「アホ(アにアクセント)」「バカ」「クルクルパー」とか悪態をついてくるどうしようも無いのもいる。とにかくインドの客引きは質、モラル、悪質さ、全てに置いて今までの中でダントツに最低レベルだ。はぁ、つかれる。
ただガンジス川は遠目に見る分には思ったほど汚くなく、宿から見る分には静かでいつまで見ていても飽きない。対岸は不浄の地をされてこちら側とは対照的に木以外は一切何もない緑につつまれている。
インドに来て2日目なのでまだ「インドの良さ」なんてものは全く理解出来ない。そしてインド大好きとかいう奴らは絶対マゾだと思う。ただ列車での老兵との出会いが今後の鍵となりそうなきがする。
ここバラナシには少し長めに滞在するつもりだ。別に何をするではないのだが、まず「インドに慣れる」これが一番今必用な事だと思う。昨日の日記を読み返してみてもかなりむかついている。そう旅行者に寄ってくるインド人は普通に相手をしているとむかつくのだ(笑)何とかむかつかない対処法を編み出さないとこの先インド旅行なんて到底無理だろう。
あと食べ物。インドの食べ物は基本的に雑菌に汚染されていると考えて間違いなく、生き残る道は何度か小さな病気をしながら免疫を付ける事しかないだろう。あとこの暑さだ。まだ4月というのに北インドはもう猛暑に襲われていて、ここ数日のバラナシの日中の気温は大体40度前後といった所らしい。いくらネパールの雪山登山で鍛えた体でも、これでは夏ばてしてしまう。
そんなわけで今日はスロースタート。まず朝早起きしてガンガーに昇る朝日を見る。ガンジス川の反対側は不浄の地と呼ばれていて一切建物は無くただ森だけが広がっている。そこから日が昇るとあちこちで沐浴が始まる。人々はガンガーに祈りを捧げながらひたすら沐浴する。
それから朝食を食べていろいろと荷物の整理をしたりするともう暑くて我慢できなくなってくるので昼寝(笑)当然窓は全部締め切って寝る。さもないと窓から熱風が入ってきて昼寝どころじゃなくなってしまう。そしてようやく昼下がり。
ガートに人々が再び現れるのもこの頃だ。というのもガートは川の西側に面して作られているので、3時を過ぎるとほとんどのガートが日陰になるのだ。そんなわけで観光客、物売り、何をしているのかよく分からない行者、ボートの客引きなんかがわらわらと出てくる。自分もそんな例外にもれずガートを散歩してみることにした。
観光ガートと客引きを突っ切ってしばらく進むとなんやらたき火をしているガートに出くわした。マネキン人形が燃えているかのようなのだが、よくよく見てみると何と生身というか死体なのだが、紛れもなく人間が燃えている。噂には聞いていたのだが実際目の前で人が焼かれているとは少しショックだった。
しかしここがまたバラナシ最大の「観光地」らしく、かなりタチがわるい。まず親族や火葬と全く関係無い輩が「そこは親族の場所だから上の建物の中から見ろ」とか言ってくる。で当然上に行くと「薪代を寄付しろ!」とか言われるらしい。隣に座って「ハローフレンド、ギブミープレゼント」とか延々30分ぐらい言ってくるしつこいのとか。おまけに「オレの仕事は悪い仕事で、麻薬の売人をやっているんだぞ」とか凄んでるのか?アホ。
ともかくそんなのばかりで疲れるので火葬場は早々に退散してきた。まったくインド人は火葬場も商売にするとは?まったくやれやれだ。
4月〜6月はインド人のホリデーらしい。と言うわけで早々に行き先を決めて列車の予約をしなければいけない。そして迷った末に決めた行き先は何と「マドラス」クライストチャーチに住んでいた時は毎日Madras Streetという道を通って図書館に通っていたのだが、まさか本物のマドラスに行く事になろうとは。
理由は二つ。以前A子さん(東京へ行った時にNZパブに連れていってくれた)が「南インドすごく良かった、人もいいし」と言っていたのと、同じくカンボジアであった「小麦姉さん」が「南インドすごく良いらしいよ!私もチケット安かったら絶対インドへ行っていたよ」というので、何となく「南インド=良い」という公式が頭の中に出来ていたのだ。何よりも「人が良い」というのはでかい。言うなら北インドは「人が最悪」でちょっとうんざりしていたのだ。
そんなわけで行き先も決まったのでさっそく駅にキップの予約をしにいく。バラナシから直接行くのもアレなので、カジュラホ、オルチェといった遺跡を回ってから行くことにする。特にオルチェはようやく今年になってあのロンプラに初めて載ったという所でかなり旬らしい。そしてなぜか韓国語のガイドブックに載っているらしくて、基本形の挨拶が「ハロー、ミルダケ、ニッポンジン」ではなく「アンニョン」らしい。これは是非行ってみるしかないだろう(笑)
キップの方は心配をよそにあっけなく取れてしまった。しかし予約した列車が一等以上しかない特別列車だったため全財産のほとんどを使い果たしてしまって、再び両替しにいくハメになってしまった。両替屋では二人のイスラエル人が相変わらず「そんなレートとんでも無いわ!$100札なんだからもっとレートをあげなさいよ」なんてアホな事を言っている。闇両替じゃないっちゅうねん。イヤなら他でやればいいのにそう言う無茶な事を言うのも彼らの特徴のようだ。
100ルピー札と50ルピー札でもらったのでかなりリッチ気分で宿に帰ってくると恐ろしいことに気がついてしまった。何と昨日シャワーをしたときに「日本人の魂、垢擦りゴシゴシタオル」を置き忘れてきたのだ。当然シャワールームにはないし、宿の人に聞いても「知らない」という。そして知らなければ「知らない」とだけ言えばいいものを「オレには何の責任も無い。お前がそんな誰でも入れる所に置いておくのが悪いんだ」などという。誰がいつ責任を追求したというのか。まったく聞かれた事だけ答えろ アホインド人。なんだかその態度にまたまた切れそうになってしまう。
それにしても、これからどうやって体を洗えばいいんだ(笑)途方に暮れながらガートに出ると、なにやらヒンズー教のちょっと有名な導師(グル)が来ているらしく、ガートはたくさんの人だかりで、なんだかお供え物をしてヒンズー踊りみたいなのを踊っていた。ヒンズー教の習慣なのか、紙にローソクを浮かべて川に流すらしく、川面には無数の小さな灯がゆらゆらとゆれていた。
今日は本当にうだうだした一日だった。というのもここインドでは毎日必ず停電があって、日記を書こうとすると停電したりでなかなかやる気が出ない。そして昼間は外出したら病気になりそうなほど暑いのだ。
そんなわけで朝から朝飯、昼から昼飯を食べに出かけたぐらいだった。ただ昼飯から帰ってきた時に、宿の梯子に昨日無くした「日本人の魂垢擦りゴシゴシタオル」が見るも無惨などろどろな姿でかけられているのを発見した。やっぱり見つけた奴がいて壁掃除か床掃除に使ったのだろう。さっそく部屋に持って帰って3度程洗剤で洗った。元通りとはいかないが、だいぶ綺麗になった。ま、使っているうちに元通りになるだろう。
夕方からはまたまたガートをぶらぶら。しつこい客引きにもだいぶ慣れてきた。そして客引きの中には「相手をするとつけあがる/騙そうとする奴」と「相手をすると、ちゃんと引き下がる奴」がいて、意外と「引き下がる派」が過半数を越えている事を発見した。そんなわけで今日は少し楽に散歩が出来た。ただこれはリュックを背負っている時には当てはまらない。あと空港や駅(特にデリー)では走って逃げる以外に手は無いとかいう話だ。
遂にインドの洗礼を浴びてしまった。夜中に気分が悪くて目が覚めたのだが、同時に腹の調子も悪い。トイレに行くととんでもない下痢で、おまけに胃の中の物を全て吐いてしまった。どうやら何かに当たったらしい。朝目がさめると、なんだか少しだけ体がだるい。どうやら細菌性の下痢のようだ。
宿の日本人にインド製の下痢止めをもらったのだが、インド製の薬はとにかく強烈で、どんな病気も一撃で治してしまうらしいのだが、たまに「薬に当たって入院」なんて事もあるおそろしい代物らしい。ちなみに薬の説明書きを読むと「ネズミに対する実験で、腫瘍が発生したことがある」などと恐ろしげな事が書いてある。あまりに恐ろしいのでナイフで1/3に割って飲むことにしたのだが、まったくドラッグじゃないんだから・・・・
そして2〜3回軽い下痢のあと、下痢はぴたりと止まった。さすがに夕方まで体はだるかったが食欲は徐々に沸いてきた。ちなみに薬を飲まないと本当にぜんぜん治らないらしい。恐るべしインド薬。
そして少し体調が良くなったので例によってガートの散歩。今日も歩いているうちに火葬場ガートの近くに来てしまったのだが、またまた「麻薬売りのフレンド」がしつこくからんでくる。イチから自己紹介を始めたりして、先日の事は覚えていないらしい。適当にあしらいながら進んでいくと、今度は棒を持ったじじいが威嚇してくる。
じじいが言うには、「ここはヒンズー教の聖地だ」という事だ。確かに正しい。明らかにじじいに理があると思ったその時「もし火葬を見るなら200ルピー払え、さもなくばこうだ」と棒で殴るまねをしてくる。なんだ、お前も金目当ての俗物か。小走りに走ると追いかけて来なかったが、さっきの麻薬売りフレンドは相変わらず「フレンド、今回1回でいいから何かくれ」としつこい。そのうちアジア人っぽい人が居たので近寄っていくと韓国人らしく、片言で「ココデ座って見ればイイよ。お金絶対払ったらダメ」と仲間に入れてくれた。
韓国人というのはやっぱり、平和ボケ日本人とは違って「騙しにくい人種」なのらしい。韓国人グループ
の隣に座ると途端にしつこい奴らも寄ってこなくなった。やがて「暗くなる前に帰る!ワカッタ?」と言い残して去っていくと、また麻薬フレンドが来た。しつこい「もし何かくれたらお前はずっとフレンドだ、何か困ったことがあってもオレが解決してやる」もうめんどいなあと思いつつ「オレは何もあげない、だからオレはお前のフレンドにはなれないんだ」というと地面に唾を吐いて駆け足で立ち去っていった、おーいフレンド、、、、
しばらくすると、さっきの200ルピー棍棒じじいがやって来て「お前ら長く居すぎだからどっかいけ」とか言い出す。遺族に言われようものならもちろん瞬間立ち去るのだが、なんだろうこのじじいは?なんかめんどくさくなったので立ち去る事にした。
まったく救いよう無いぞこいつら・・・・
サールナート。なんだか優しい響きがする地名だが、いわゆる仏陀四大聖地の一つらしい。ブッダガヤで悟りを開いた仏陀はその教えを説くために歩いてここまでやって来て、ここサールナートの鹿野庵で初めての説法をしたらしい。
当初の予定では四大聖地全てを回ろうと思っていたのだが、なんだか面倒になって通り道にあるルンビニとサールナートだけにする事にした。仏教聖地は他の遺跡とかとは違ってすごく静かだ。物理的な静かさよりもなんとなくおだやかな雰囲気がある。とはいうものの逆に遠路わざわざ行って見る程の事は無いかもしれない。
何はともあれ、バスでわずか9Kmと言うことで、バラナシを去る前にこのサールナートへ行ってみる事にした。例によって駅までサイクルリキシャに乗っていくのだが、今日のリキシャマンは特に高齢で炎天下の中を一生懸命ペダルを漕ぐ姿を見るのは結構つらい物がある。とは言う物の、自分が乗る事で老人の収益になるのと、インド人を乗せるともっと値切られてしまうので老人にとってはいい仕事なのだろう。自分にもそう言い聞かせる事にした。
駅からは乗り合いバスに乗ることにした。やはりその土地を知るには地元民が使う交通機関に乗るに限るだろう。そう思ったのだがこれが大失敗。このローカルバスは例によって、意地汚い、うじうじバスだ。客が減ってくると全然先に進もうとしないのだ。少ないと言っても立っている人もいるぐらいでまあまあの混雑なのに、路肩に駐車してうだうだしている。
1キロ進むごとにそんなことを繰り返すので、サールナートまでのたった9キロの距離を1時間半ぐらいかかってしまった。この手のバスはラオスがダントツ最低だと思っていたが、インドも結構いい勝負のようだ。
そんなわけでサールナートに着いたのは午後1時前。もう周りはうだるような暑さで、たぶん40度ぐらいあったのでは無いかと思う。持っていた布を猿岩石巻きに頭に巻いて鹿野庵を目指すがなにせ日差しは強力で建物沿いの陰を移動しないと倒れてしまいそうだ。
ようやく仏陀初説法の地につくと、今度は演技乞食がやってきた。こいつは子供なのだが、元気そうに歩いていたと思ったら僕の顔を見るなり、足を引きずり、顔を斜めに向けてしかめて「ああ、もう何日も食べてないんだ」とか言いながら手を出してくる。なかなかの哀れぶりだったが、元気なのを知っているので「やーだねー」というと「ちぇっ」とか言いながら猛ダッシュで走り去っていった。なかなかの演技派だ。こういう奴らがいるから、本当のにまずしい人が飢えて死んでしまうのだろう。まあその辺は冷たいようだがインド国内で勝手に解決してくれ。
そしてサールナートの公園は入場料2Rs。例によって金曜は無料だ。2Rs払って中にはいるとルンビニと同じ様なわずかな煉瓦で出来た建物の基礎やたくさんの木があって木陰ではインド人の遠足の子供がカレーを食べていた。公園はやはりどこまでもおだやかな雰囲気がただよっていた。ルンビニとちがうのは、ここにはアショカ王が建てた大きな仏塔が破壊されながらもちゃんと残っている点だった。はやり他の建物はヒンズー教徒、イスラム教徒に破壊されてしまったのだろう。
こうしてサールナート見物は無事終わったのだが、その夜はなぜだかサルと戦うハメになってしまった。ここバラナシにはたくさんのサルと牛がいる。両方ともヒンズー教では神様らしくインド人もかなり手荒に扱っているが一応殺したりはしないようだ。そして、ドアを開けていると、サルが紙袋とかを盗んでいくのだ。
昨日までは何とか阻止していたのだが、油断したのか迂闊にも袋1つをサルに盗まれてしまった。中身は単なるゴミ袋だったのだが暑さも手伝って異常にむかついたので、宿で借りたパチンコでサルをねらい打ちにした。これがなかなか当たらないのだが、サルも痛い目にあっているらしく、効果てきめんだった。ただサルが来るのでドアを開けっ放しに出来ないというのがこの時期かなりつらい。
おまけにバカ毛唐の女がサルにバナナをあげたりしている。「きゃーキュート」とでも言ってるのだろうかバカ女め。そのうち服をビリビリに破られて後悔するがいい。
ああ、それにしてもインドに入ってから日記の文章が荒れている。やっぱりストレスがたまって居るんだろうか?南インドはストレスなく旅行できる事を祈るばかりだ。
ぎゃー暑い、暑すぎる。ここ数日毎日新聞をチェックしているのだが、大体の昼間の気温は39度〜40度と行ったところだ。そう言えば新聞で思い出したが、小渕首相が脳血栓かなんかで倒れて植物状態。そして首相が変わったという事をインドの新聞で読んだ。ただインドの新聞は国際欄が1ページしかなく、ひたすらインドとパキ、バングラ辺りのニュースしか載せないので詳細はあまりわからないのだが。
とにかく昼間は窓を閉めて部屋にいるか、昼めしを食べるぐらいしかできなく、そんなわけで滞在日数の割にはあまりあちこち回っていないのだが、もともとバラナシはそう言うスタイルの旅人が多いようだ。
午後から宿に待望の水クーラーが入って、一気に部屋の温度が下がって快適になった。このクーラーは昔日本にもあったように、四角い箱にファンが付いていて、他の三面にわらを張り付けてそこにモーターで水をかけて気化熱で冷やすという代物だ。所がこれがなかなか涼しくて、今の日本でも十分実用になるんじゃないかと思う。廃熱も無いし消費電力も少ないし言うことなしなのだが。しかしそんなわけでますます部屋から出られなくなってしまう。
今日はいよいよ久しぶりの移動なのだが、列車の時間が夜の11時すぎなので、もう一泊分余分に払って九時頃まで宿に居ることにした。そしてチェックアウトして、リキシャにゆられて人で溢れ返る夜のバラナシを駅に向かう。なぜだか今日のバラナシはインド人観光客の数が半端ではなく、道路もリキシャで埋め尽くされて一時まったく身動き出来ないほどだった。そろそろホリデーが始まるのだろうか?
夜の駅は相変わらずの人で、チャイ屋やオムレツ屋なんかが盛んに賑わっている。列車は30分ほど遅れて入ってきたのだが、列車に客車番号がかいておらず、あちこち走り回らなければいけなかった。自分の車両はS5なのだが、当然インド人に聞いても、知らない人は全員「そうだ」というので宛にならないし。ほんとこれは何とかしてほしい所だ。
二等寝台は思ったよりかなり汚くボロかったが、思ったよりも快適だった。ただ扇風機の風が強くて夜中からだが冷え切ってしまった。昼間は40度にもなるくせに、夜はどうやら20度ぐらいまで下がるようだ。今日会った日本人の女の子が「南インドは涼しかったですよ」と言っていた。1週間程前の話らしく本当ならすごくありがたいのだが。さてどうなることやら。
列車の方は停車中は眠れなかったのだが、動き出すと揺れがなかなか心地よく、一瞬で眠りに落ちてしまった。学生時代は日本の寝台車でさえろくに眠れなかったのに、旅慣れて図太くなったのだろうか?途中2〜3度目がさめたのだが次に目がさめたらもう朝で、1時間ほどで列車はサトナの駅に滑り込んだ。
サトナは地方の小さな村なのだが、カジュラホへの玄関口になっているらしい。かの沢木耕太郎もここでバスに乗り換えてカジュラホへ向かったそうだ。そんなわけで自分もリキシャにのってバスターミナルをめざす。
バスターミナルは割と近くなのだが、なかなか10Rs以下に下がらず、しばらく歩いていると一台着いてきたリキシャが8Rsで行ってくれる事になった。そしてやはり8Rsでも美味しいのだろうか?リキシャのおじさんはバスターミナルをあちこち回って、カジュラホ行きのバスを探してくれた。結局バスは9時過ぎに出るということで、しばらくバスターミナルで待つ事にした。
途中一人のインド人が話しかけきたのだが、このインド人は発音が超インド式で紙に書いてもらわないと何を言っているか全く解らない。少なくともツーリスト相手のインド人は訛ってはいるのだが何とか理解できたのだが。しかししばらくしゃべっていると、何となくホモっぽかったので、適当にごまかしてその場を立ち去ったら丁度カジュラホ行きのバスがやって来た。
物売りの少年がバスまで案内してくれた。そして席に座るといろいろと品物を薦めてくる。ちょっと小腹が空いていたのでいろいろ聞いてみるとクッキーが10Rsだという。そんなもんかなと思い1つ買ったら次から次へと薦めてくるので苦笑いしてしまった。そして少年が立ち去ったあとクッキーの包装ラベルをみると「最大小売価格5Rs」やられた、、、、ま、5Rsは案内代にとっとけ。
このバスは中距離なので、やはり町中でうだうだ客を拾うのだが街を離れると後はスムーズに走る。ただ途中で壊れたバスの乗客全員を拾ったので車内は超満員。そしてサトナからカジュラホへ向かう道路がこれまた最悪で、舗装路にもかかわらず所々20キロ以下でしか走れないような所があった。そして上下に飛び跳ねる。こんな感じでバスはたった100キロちょっとの距離を4時間かけてカジュラホに到着した。
カジュラホの周辺は大きな崖があったり川があったりと、その風景だけで観光地になるような景勝地だった。やがてバスがターミナルに着くと宿の客引きがどんどんバスに乗り込んでくる。この客引きも普通の宿ならいいのだが、ここインドでは泥棒宿、睡眠薬強盗宿なんかが有るらしく要注意だ。とりあえず寄ってきた中から本に載っている所を選んで行くことにした。一泊50Rsらしい。
宿はYogi Lodgeという割と有名な宿らしいのだが、着いてみると客引きはどうやら良い部屋に通そうとする。水エアコン付き100Rsや、綺麗な部屋80Rs。「50Rsの部屋はどれよ?」というと「OKOK」とか良いながら今度はダブルの部屋60Rsらしい。「50は?」と聞くと「今シングルは無いんで50の部屋は無い」とか「いくらなら払う?」とかなんとかかんとかうだう言うので「だったら何でターミナルで50Rsっていったんだい?」と聞くとさすがにあきらめたのか「OK You Take」悪い人じゃ無さそうだが、インド人みんなセコい。そして日本人ならこういう場合60払ってしまう人が多いのだろう。やはり日本人はなめられているのかも。
宿が決まるとさっそくエロ寺院見物に行くのだが、本とかで紹介されているような男女交合像はレリーフのほんの一部分にあるだけで、普通の遺跡だなあというのが第一の感想。そして同じヒンズー教寺院のアンコールワットとも共通するようなレリーフがいくつかあった。一応一通り回ってみるのだが、4時を回っても暑さは衰える事を知らず、全部回り終わる事にはふらふらになってしまった。
夜は日本食の看板が出ている食堂に入って見た。インドではさんざん裏切られ「もうインドでは日本食は食うまい」と誓うのだがついつい頼んでしまう。今日は親子丼。で出てきたのは何となく親子丼だった。醤油があまりきいていないのが残念。少なくともネパールから来た自分にとっては情報ノートに書いているほど美味しくは無かった。
料理自体はそんな感じなのだが、ここのおやじがなかなかいい味をだしていた。このおやじジャムナーさんは昔はチャイ屋だったらしいのだが、一人の日本人に機会を与えられ、今では小さいが自分のレストランと宿を持つまでになったらしい。それ以来親日家で日本にも行ったことが有るらしい。そして今年、たぶん人生最後の日本旅行に行くらしくビザの書類集めに追われていた。
インド人が個人旅行で日本に行くには必ず「招待状」と「身元引き受け人」が必用らしい。そんなわけで日本に送るFAXの代書なんかを頼まれて、1時間ほどいろいろしゃべりながら原稿を書いたりした。とにかく日本に行く航空券は10万円して、しかも航空券を先に買わなければならないので、もしビザが取れなかったらとすごく心配しているらしい。それはそうだろう。インド人にとっての10万円はたぶん自分に取っての数百万円以上に匹敵するだろう。
そんなわけで彼に言われるまま丁寧な日本語に訳して書いたのだが、かなりしつこい手紙になってしまった(笑)これを去年の夏にカジュラホに来た若者の父親に送るらしい。なんでもこの保証人というのは社会的身分のある人でないとなかなか下りないらしく、前回は開業医にお願いしたらしい。たぶん無職の自分では到底この「保証人」と言う奴にはなれないのだろう(笑)
明日もう一度店にいって送るのを手伝う事になったのだが、店の支払いをしようとすると、今お釣りが無いから明日でいいという事だった。初めての店でツケが利いてしまうとはなんだか不思議な気分だ(笑)
朝から軽くシャワーをして、パッキング。そしてチェックアウト。「出ていく」というと昨日の客引きが「なんで?何か不都合でもあったのか?」とたずねてきた。「列車のチケット買ってるから行かないといけないんだ」というと納得した様子だった。会計は明朗で、この宿自体は割と当たりだった。
そして昨日のジャムナーさんの所に寄っていく。なんでもFAXを送るのを手伝ってくれとか言っていたのだが、送るのは今晩らしい。なんだか意志の疎通がうまく行ってなかったらしい。そんなわけで1時間ぐらいジャムナーさんと雑談したりしてすごす。
しばらくすると、以前に日本に行ったときのパスポートを見せてくれたのだが、ここで初めて日本のビザと言うものをみた。ビザ自体はスタンプで、なんだかラオスのものと同レベルのチャチなものだったのだが、一度ビザを拒否された記録が残っていた。このときは保証人を30才ぐらいの若者に頼んだらしいのだが、日本政府は彼を保証人と認めなかったらしい。そんなわけでその時は$1000の航空券が紙屑になってしまったそうだ。まったく気の毒な話だ。
そしてしばらく会話しているうちに驚くことに気が付いた。インドにはたくさん居るとは聞いていたのだが、ジャムナーさんの右手の指が六本あるのだ。親指の横からもう一本枝のように生えている。動くのかどうかは定かではなかったが、ちゃんと綺麗な爪もあった。うーんますますインドは奥が深い。
そして11時少し前に「また結婚したらぜひ奥さんとカジュラホに来るんだよ」と見送られてバスターミナルへ。今日のバスは85Rsもしたので「高いなあ」と思ったら全席指定のエクスプレスバスだった。ただノンエアコンで客は全員インド人。やはり途中のターミナルで休憩したり客を拾ったりするのだが、割とてきぱき走って、しかもインドのTATA製じゃなく割とパワーもあって乗り心地も他のと比べるとかなりいい。
バスは4時間と少しでまもなくジャンシーという大きな鉄橋に到着した。今日目指すオルチャについては全く情報が無かったのだが車掌に聞くと「道の途中で下ろしてやるので、そっから乗り合いリキシャをひろえ」と言われた。何もない田舎道でぽつりと下ろされ、そして待っていたリキシャにのって8Kmを揺られて着いた所はまさに、おとぎ話の国だった。
着いてすぐになぜか同じバスだったシーク教徒のおじさん二人とチャイを飲むことになった。お金を払おうとしても受け取ってくれず、例によっておごられてしまった。インドでは自分から話しかけると大体おごられてしまう(笑)そしてその後も一緒に宿を探し回ったのだが、結局Fort View Guest Houseという所に泊まる事になった。
ここは今まで訪れたインドとは全く異質だった。上手く説明出来ないのだが、全てが中世のしかも「インドの王様」的な建物なのだ。まず川岸に大きなお城があって、川の反対側には巨大な寺院が並んでいる。お城はいわゆるタージマハル的なドームが四隅についていて、その上には見事なはげ鷲の像がと思っていたら何と動いた!げげっ!どうやら本物だったようだ。
しかもこのお城、何と中は高級ホテルになっているというから驚きだ。城の敷地から見下ろす森の中にもたくさんの古い寺院がみえる。この辺りの土地はかなり痩せていて、「そりゃこんな所に住んでりゃ、映画のクライマックスで踊りたくもなるよな、、(謎)」というような感じなのだが、ここオルチャは街を流れている川のおかげで比較的緑が多い。
街も他のインドに共通した、ごみごみとかぎすぎすとかぎらぎらとかそう言うのは全くなく、お土産売りでさえすごくおだやかだ。子供達も声をかけてくれるが決してお金は要求しない。英語をしゃべれる若者が寺院の説明とかをしてくれるのだが、それもお金を要求された事は一度もなかった。そんなわけで何となく訪れたこの街がすっかり気に入ってしまった。列車の関係で明日離れなければいけないのが残念だ。
他にもなかなかついていて、夕方食事をしていたら席がものすごく混んできて、気を使ってアメリカ人の女の子がこっちに席をうつってきたのだ。なぜか話がすごくあって、旅の事とかお互いの国の文化の話まで2時間ぐらい食事しながらしゃべったりした。ただ当然アメリカ英語だったので聞き取れなくて少し疲れたのだが、「ホームページを作りながら旅をしている」というと「ぜひ見たいから、英語版も作って」と言われてしまった。そう言えば以前蓮夏達の為に英語版のページを作りかけていたのだが、そのままになっていた。又暇を見つけて作らなければ・・・・でもいつになることやら。
しかし、既にマドラス行きの切符も手配しているので今日この町を出なければいけない。少し急ぎ気味に移動しているがそれには理由があって、インドでは5月5日ごろに大学生の試験が一斉に終わって、それ以降は何処へ行くにも安宿も列車も全く取れなくなってしまうのだそうだ。そんなわけで5月5日を目途に何とかデリーへの最後の移動を終わらせてしまいたいからなのだ。
列車の時間は夜なので、宿に荷物をあずけてそれまでこのお気に入りの町に滞在する事にした。今日はなんだかヒンズーのお祭りらしく、朝から音楽隊が来たり、大砲が鳴ったり、たくさんの人々が近くの町からどんどんやって来て町は大騒ぎだ。
早朝に町を人歩きしたあとは、町で一番大きな寺院の2階のテラスのような所に腰掛けて、うつらうつら死ながら祭りの様子をながめていた。遠くには小さな遺跡や寺がたくさん見えていい感じだ。そんな感じでうだうだしているとあっという間に夕方になってしまったので、荷物を受け取ってジャンシー駅を目指すことにした。
途中食堂の少年が「リキシャを持っているから、駅まで120Rsで行ってあげるよ」と話を持ちかけてきたのだが、乗り合いで行くと全部で15Rs以下で行ける事を知っていたので当然乗り合いで行くことにした。
この辺りは既に一大観光地なのだが、それはインド人にとってであって、外国人にはあまり知られていないらしく、昨日会ったアメリカ人の女の子以外には4人ほどの団体客に会ったぐらいだった。なぜもっと大々的に紹介されないのか不思議なほど素敵な町だった。そんなわけでリキシャや店も明朗会計。ジャンシーのバスターミナルまで7Rs、ターミナルから駅まで4Rs。合わせてたったの11Rs。ただこの大型リキシャに10人以上乗るのでなかなか窮屈で大変なのだ(笑)
駅に着いてからもしばらく時間があったので、待合室と売店を行ったり来たりした。そしてここで何とWall'sのアイスクリーム屋を発見してしまった。些細なことなのだが、タイ以来の懐かし味に思わず感動してしまった(笑)そして待合室でシャワーを浴びたりしている打ちに出発時間になった。
所が定刻になってもアナウンスはなく、しかも掲示板にもプラットホーム番号が無い。焦ってうろうろしていると、やがて英語の放送がかかった。今日はホームが変更になるらしい。そしてしばらくしてインド版超特急ラジャダニーエクスプレスがやって来た。そして例によってホームを走り回って自分の乗る車両を聞きまわる。5人ぐらいに確認してやっと乗り込むと中は冷房でものすごく寒かった。
車両はラジャダニーでは一番安い車両なので3段ベッドで、普通の2ndスリーパーを綺麗にして冷房をつけたような感じだ。ただ値段も値段なので乗っている客層は明らかに裕福層だった。
乗り込むとさっそくミネラルウォーター1本と新聞が配られる。なんだか飛行機並のサービスだ。そしてしばらくするとお茶のサービスがあって、夕食がやってくる。いわゆるターリースタイルなのだがちょっと豪華でチキンなんかも入っていてなかなかいける。そして夕食の後は何とデザートにアイスクリームが出てきた。さすが・・・・
食事の合間に近くの席のインド人としゃべったりするのだが、みんな石油会社で働いているとか、銀行員だとかそんな感じだった。そして驚いたのは隣のおじさんにもやはり指が六本あるのだ。ここ3日で二人というと結構な頻度だ。たまたまかもしれないが、結構インドでは指が六本というのは普通の事なのかもしれない。さすがインド人もビックリだ。
電気機関車に引かれた列車は猛スピードでデカン高原を突っ走る。結構な揺れなのだがそれが逆に心地よくやはり10時までには完全に熟睡してしまった。なんだか寝台の方が普通の宿よりもよく眠れるのはなぜだろう?(笑)
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