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南インド熱風編
(マドラス〜アレッピー)
 

4月13日 食事三昧(ジャンシー〜マドラス)

目がさめると列車はデカン高原を疾走していた。空気は少し涼しくなったような気がした。そして朝の紅茶が出たと思うとしばらくして朝食がが配られる。この朝食はオムレツとパン、コーヒー牛乳というなかなか胃に優しくてこの列車では一番よかったメニューだ。

そして朝食が終わると11時頃にスープとクラッカーのサービスがあって、それから昼食。昼食が終わると今度はデザートが出てきて午後の紅茶、そしてクラッカー&スープに夕食にデザートと、この列車に乗っている間に一体何回食事が出てきただろう。

なかなか至れりつくせりなのは良いのだが、こんな列車で旅を続けていると太ってしまいそうだ(笑)特に今日は下段のおじさんが「寝たい」というので中段の自分も昼間ベッドを出して使う事が出来たので、それはもうずっと寝ているか本を読んでいるかだった。

出発前は「中段だから昼間寝れないやちくちしょう」と思っていたのだが寝たいのはみんな一緒のようで上手い具合に昼寝が出来てよかった。

そして日が暮れてからしばらくしてようやく大きな街の明かりが見えてきた。いよいよマドラスだ。駅に下りると今まで見たことの無いような文字があちこちの看板にちりばめられている。タミル語だ。ここタミルナードゥではタミル語が話されていて、ヒンディー語はほとんど通用しないのだ。そのせいか人々は共通語としての英語を流暢に話す。

駅を出るとリキシャが寄ってくるのだが、それも北と比べるとしつこくなく物腰も柔らかい。何軒か飛び込みで宿をあたるがいまいちだったので、目星を付けていた宿を探す事にした。結構手間取ってしまったが何とか自力でたどり着けた。mas guest house 一泊150Rsで駅前にしてはまあまあだ。

とにかくここ南インドは蒸し暑い。気温だけならバラナシの方がずっと高いのだが、こっちはとにかく湿度が高くて玉のような汗がだらだら流れ落ちであっというまに服がびしょぬれになってしまう。一瞬北に逃げて帰りたかったのだが、せっかく来たのだが明日はゆっくり市内観光でもしてみようと思う。
 

 
ラジャダニーエクスプレス
列車はこの色で統一されている。
 


4月14日 大都会(マドラス)

マドラスはインドに入ってから初めての都市だ。そんなわけで両替とかいろいろするために朝から町の中心部アンナサライを目指す。とりあえずどのバスか分からないので歩いていくことにした。約3キロほどだろうか。

マドラスはこれまでに無い大都会で、街には色々な外国製品の看板があふれている。しかし一方やはり路肩は糞尿の嵐だ。インドは糞尿国家だ。道ばた=トイレで、木が一本生えていたら、もう尿だけではすまなく糞だらけになってしまう。もちろん人間のも混ざっているだろう。そんなわけでやはり何処へ行っても町は小便臭い。

そんな路地をひたすら歩いてやって来たのがスペンサーデパート。ここにはAMEXが入っているはずなので、$500のTCを崩しておきたい。所が今日はなんだか休日で両替は出来るがデノミは出来ないそうだ。まったくなんてこったい。まあバンガロールにもボンベイにもAMEXはあるのでよしとして、両替だけをすませる事にした。

そしてこのスペンサーデパート。タイのイセタンみたいなのを期待していたのだが、なんだか小さな商店が4階建てにおさまったような所で、あまり欲しい物は手に入らなかった。ただ香港資本と思われるスーパーのソフトクリームは最高に美味しかった。

両替がすんだら今度は地図。本屋でGuide map to Chennaiという地図を買った。この大きな街をまわるにはどうしてもバスマップが必用だったのだ。だがしか地図には付録としてバスの行き先一覧が着いているのだが、始発と終点の地名が書いている一覧表があるだけで全く使えない。なんてこったい。そんなわけで仕方なくメーター式リキシャに乗ることにした。行き先は日本料理店「ダリア」 (天竺牡丹)

とにかく日本食に飢えていた。インドの日本食は情報ノートに「最高」とか書いてあっても必ずまずい。要はなんちゃって日本食なのだ。あれをうまいという人はたぶん、マリファナでキマっているのだろう。とてもしらふでは食えない。しかしこのダリアは日本人が経営している純日本食だ。そんなわけで大都市にいったら一番に日本食と思っていたので直行する事にした。

ここの食事はなかなか大した物で、値段はするものの刺身定食でひさしぶりの生魚を楽しむ事が出来た。米も日本米で大満足だ。値段の方も少し高めの400Rs。ここ主人が今朝デリーから帰ってきたらしく、デリーの日本料理屋「田村」の話をしていたのだが店員がネパール人で、日本人のオーナーが居ない時にはかなり手を抜いた仕事をするらしい。インドでの一番の楽しみで「田村で絶対1000Rs使ってやる」と意気込んでいたのに残念だ。

ともかくひさしぶりの日本食に満足して次は市内観光。とりあえず中心地へ戻るのだが今度は近郊電車を使ってみる事にした。これがなかなか良くて、列車も10分に一本ぐらいやってくるし値段も安い。そしてチェンナイセントラルまで戻って、フォートや教会を見物した後メーターリキシャで海を見に行くことにした。

行き先はサントメ聖堂で、海の側に建てられたカセドラルだ。教会の方は普通の一般的な教会なのだがなんだかミサが行われているようで多くの人が集まっていた。

海は期待はずれで汚かった。しかも普通の汚さではなく波打ち際に無数のうんこが落ちているのだ。たぶん人間の奴だろう。さすが糞尿国家。海岸でされた奴なのか、そのまま下水から処理されず垂れ流されてきたのか、ともかくおびただしい量だ。そんなわけで久しぶりの海もそこそこに退散した。

帰りはまたまた近郊電車に揺られて帰る。やはり大都市は観光するのにも疲れてしまう。明日は小さな街へ移動しようと思う。
 

 
セントメアリー教会の中
 


4月15日 海岸寺院(マドラス〜マハバリプラム)

何気なく寄った小さな海岸沿いの村マハバリプラム。バスが村に入った瞬間この村が好きになってしまった。

マドラスではいささか退屈気味だった。町は想像していたよりも汚く、そして見るものも少ない。人当たりは北よりはいいものの特にどうと言うことはなく、実は少々南インドくんだりまで来たことを後悔していたのだ。

しかし南へ向かう黄緑のローカルバスの中でそれは吹き飛んだ。マドラスから一路南へ、市街地を抜けるとバスは地図に載っていない道を海沿いにどんどん南下する。しばらくすると椰子の木の林や砂浜、そして青い海が見えてくる。なんだか初めてタイに着いて、南へ下る列車に乗った時のようにわくわくしてしまう。

そしてマハバリプラムという村でバスを下りたのだが、小さくて海に近くて、見晴らしのいい丘があっておまけに古い遺跡まであるというこの村が気に入ってしまった。さすがにこれだけの要素が揃っているので白人の長期滞在者が多いらしく、宿は何処もいっぱいで一軒見つけたちょっと建てかけの宿に泊まることにした。荷物を下ろすと軽くシャワーで汗を流してさっそく町をうろつく事にした。昨日とちがってなんだかうきうきしてしまう。

まず最初に向かったのが村の真ん中にある花崗岩で出来た巨大な丘だ。ここはこの村の売り物でもあって、この巨大な丘自体が彫刻になっている。壁面に掘られた彫刻、そのまま石から切り出された神殿や寺院など急ぎ足で見て回っても軽く1時間はかかってしまう。そして木陰に座って丘の上から一面の椰子の木と砂浜や海を見下ろしていると心地のいい時間がどんどん過ぎていく。

彫刻の丘を一回りしてから次に向かったのが海岸寺院。これはまさに海岸に建てられたトラビダ形式(南インドだけに残る純インド文化)の基礎になったものらしく、建てられたのは7世紀ごろというからずいぶん古い物だ。今では防風林が植えられているが、本当に砂の上に建っていて、茶色い岩肌と青い海のコントラストがなかなかいい。

町外れにもこれとセットになっている寺院群があって、チケットも共通なので行ってみる事にした。こっちは5つの寺院が掘られているのだが、何とこの五つの寺院、元は一つの大きな岩だったらしく、地下で全部つながっていうのでちょっと驚きだ。

そんな感じで観光していたのだが、ここで「はっ」と思いついた。これだけ白人の多い町ならきっとインターネットカフェがあって、しかもそこそこの速度でアクセス出来るはずだ。

実は昨日マドラスで一軒見つけたのだがスピードが絶望的に遅く、1時間かかってたった2通メールしかメールが読めないというとんでもない代物だった。何度も切断されたりしたので、さすがに全額払えと言われても納得行かず、その場は何とか交渉して値引きさせたのだが、50Rsをドブに捨てたような物だった。

探しているうちに3軒ほどのカフェを見つけたのだが、なんだかここもフロッピー禁止の所が多く、自分のマシンをつながせてくれる所も無い。困り果てていると最後の一軒でようやく事情を説明してOKをもらった。マシンは旧式だが回線品質はなかなかのもので、やく30分ほどで20通ほどの受信と10通ほどの送信が完了した。FTPも自分のサーバにつながるというもう至れりつくせりだった。

暗礁に乗り上げていた件も無事解決し、気分が少し軽くなった。さっそくフロッピーを宿に持って帰ってメールを読む。友人や家族、そして旅で会った人達からのたくさんのメールが届いていた。そしてなぜか4人の人から「君はすごく慎重そうに見えて、時々無謀だから気を付けるように」という同じ内容のメールをもらってしまった。自分ではそんなつもりは無いのだが、4人の人がそう思うと言うことはあながち当たっているのかもしれない。

そして懐かしのアオザイ隊の「隊長」やNZで最初の右も左も分からない時に色々教えてもらった「みゆきさんが「パソコンを買ったから送ってみた」とか、懐かしいメールがいっぱいだ。最近少しだけホームシック気味だったのでなおさら嬉しい。

全部のメールを読み終わってから夜の砂浜へ出かけた。何をするでもなくただ長い間波の音を聞いていた。そして自分が育った瀬戸内の海や、クライストチャーチのニューブライトンビーチの事、そしてこれまでの旅のいろいろな出来事が消え浮かんでは消えていく。

満月に少し足りない月が海岸寺院を照らしていた。
 

 
丘のから見下ろす灯台と集落
 


4月16日 風のように(マハバリプラム〜ポンディシェリー〜チダムバラム)

すごく気に入ったマハバリプラムの村なのだが、はやり今日の昼のバスで移動する事にした。5月5日ごろの学生のホリデーまでに観光を終えると言うのも急ぐ理由の一つではあるのだが、本当の理由はもっと別の所にある。

旅が長くなると誰もがそうなるのだが、感動が薄れてくる。いわゆる沢木耕太郎も指摘していた「好奇心の摩耗」という奴だ。旅が惰性になる、沈没してだらだらと日々を過ごす。いい加減観光名所に飽きてくるのだ。このマハバリプラムも、遺跡やレリーフがあるからではなく、町並みやおだやかな表情が気に入っただけなのだ。

いろんな町を風のように通り過ぎて匂いを感じていく。少なくとも今の自分はとどまらずサメのように動き続けていないとなんだかダメになりそうな気がするのだ。

そうと決まれば、さっそく昨日のメールの返事をフロッピーに入れて例のインターネットカフェへ。そして20分ほどで送り終えてから急いでパッキング。村のバス停から大きなターミナルがあるというポンディシェリーという町へ向かう。

ポンディシェリーは以前フランスの植民地だったところらしく、町並みが綺麗らしい。そしてなんでもフランス人が多く、美味しいフランス料理が食べられるのだそうだ。バスは椰子の林の中を疾走して2時間足らずでポンディシェリーの町へと到着した。

所が町は自分が想像していたのとは大きくかけ離れていた。フランスっぽい町並みといのでヨーロッパ的な清潔な町を想像していたのだが、そこは所詮インド。町に入った途端バスの窓から小便の臭いが車内に入ってくる。建物はそれっぽいが町はごちゃごちゃと汚い。インドでは目をつぶっていてもバスがターミナルに着くと必ず分かるのだ。小便の臭いで、、、

インドでもなくフランスでもない中途半端な町に失望しさっそく次の目的地を探す。ここのターミナルは英語表記が少ないので回りの人達にいろいろ聞き込みをした結果、ここからチダムバラムという寺院の町へいけるらしい。いろいろと聞き込みをしながら乗り場を探してやっとの事でバスに乗り込んだ。

所でこの辺りのバスターミナルでは、時々チップ目当てで外国人の案内をする人達がいる。マドラスでもそうだった。ほとんど突き止めたあとに物売りが寄ってきて「どこへいくんだ?」と聞いてきたので行き先を言うと「このバスだ」とバスまで連れていってくれた。何て親切なんだと思っていたら「ヘイミルタル、チップちょうだい」ときた。10m程の距離だったんでポケットにあった1ルピーコインを手渡すと「たったこれだけ?」などと言う。所詮金目当てなのかと少しガッカリ。

今日も老人が「案内してやる」と寄ってきたのだが、老人がいう乗り継ぎのバスではなく自分で直行のバスを探し当てたのでそれに乗ることにしたのだ。

ポンディシェリーからチダムバラムまではまたまた2時間ほど。このぐらいの距離なら大体30分に一本は必ずバスがあるので安心だ。バスは同じ様な風景を通り抜けて夕方頃にチダムバラムの町に到着した。

町の入り口にさしかかると巨大なトラビダ形式の門が見える。東西南北4カ所にあるようだ。街自体は小さく、たぶんこの寺院だけでもっているのだろう。

宿に荷物を下ろしてさっそく寺院に行ってみた。今まで見たことのない形式の寺院はなかなか興味深かったが、一通り見るとあとは中庭に座って2時間ほど行き交う人達や日が沈むのをながめていた。やがて日が沈んだ頃に寺院を後にした。

初めて見るトラビダ形式の門はなかなか見応えがあった、とにかく門自体が無数の像で埋め尽くされていて、しかも極彩色に彩られている。これはインドでもこの地方だけの物だろう。

ともかくこの町ももう十分なので明日も朝一番で移動する事にする。
 

 
トラビダ形式の門
タミルナード州でよく見られる。
 


4月17日 バスでどこまでも(チダムバラム〜マドライ)

今日は割と大きな移動になる。昨日の夜にバスターミナルで聞き込みしておいた所によると、朝の8時前にマドライ行きのバスがあるという。最初はもっと細かくいろいろな観光名所をつぶしながら南下しようと思っていたのだが、なんだかもう充分だという気がしたので一気にマドライを目指す事にした。予定では8時間だ。

バスはタンジャビールまでの間ずっと田舎道を通り、小さな町を一つ一つ回っては客を隣町まで運んでいく。どうやらこれは長距離なのにド・ローカルバスらしい。以前ならうんざりしていたところだが、最近なぜかこのローカルバスでの移動がとても楽しい。

理由はいくつかあるのだろうが、大きなのは、あまりうじうじと客集めをしない。これはこの辺りは州がバスを経営しているので車掌が個人経営のようにがめつくないのだろう。次に景色が良い。南インドは何処へ行っても椰子の木や緑があってぼーっとながめるのにはいい。そして最後に道が綺麗といった所か。

バスはかく町のバススタンドで10分ほど休憩をとりながら少しずつ進んでいく。食事休憩というのは特になく、自分もそのたびに下りてサモサやフルーツジュースなどを買ったりして少しずつ食事をしていった。

いくつもの町を通り過ぎ、椰子林を抜け、川を渡り、やっとの事でバスはマドライのバススタンドに到着した。ただこのバススタンドは郊外にあるらしく「卒業写真」がくれたガイドブックの地図にも乗っていなかった。バスを下りるとさっそくタクシーとリキシャが寄ってきたが、車掌に聞くと市内まで7番のバスでいけるというので市バスに乗り換える事にした。3Rs也。

市の中心部までやって来て次は宿探しなのだが、いろんな人が集まってくる。リキシャや宿の客引きだ。断ると次は「マネーチェンジ、マリファナ?」ときたもんだ。ここは結構な「観光地」なのだろう。今日はこの前の教訓も生かし自力で宿を探す。何軒か回ってみて結構安くて綺麗な宿を見つけたのだが、部屋にコンセントが無い。これは致命的だ。ここ南インドではコンセントの無い宿が意外と多い。昨日も宿にコンセントが無かったので日記を書いてなかったのだ。今日は何が何でもコンセント付きの宿に泊まらないと。

やっとの事でHotel Internationalというちょっとこぎれいな安宿を見つけた。175Rsと少し高いが部屋にはコンセントはもちろん、電話やケーブルTVまで付いていて申し分は無い。

荷物を下ろしてさっそく町のメインのミナクシ寺院に向かう。途中日本語使いが寄ってきて「キョウハテンプルクローズね、アシタOK」とか言ってくる。こういう輩は100%嘘なのだが、たぶんリキシャで違う名所に連れていくとか、おみやげ物やに連れていくかなんかそんなのだろう。普通の客引きや物売りには最近笑顔を返したり相手をしたりできるようになったのだが、こういう外道には完全無視を決め込んで黙々と歩く。

ところで、その途中なんだか変な物を発見してしまったのだが。これは一体なんなのだろう。
 

 
ぎゃはは!!うんこ祭ってるよ
さすが糞尿国家(笑)

寺院に着くとやはり奴の言ったことは嘘で寺院はたくさんの人々で賑わっていた。東西南北のトラビダ形式の門もチダムバラムのものと比べても遙かに大きい。寺院内部も中心部まではヒンズー教徒しか入れないのだが、結構奥の方まで見ることが出来て興味深かった。

ここには結構な数の白人が観光に来ていたのだが、みんな靴下を履いていたり、一人の若者は裸足だったのか、ビニール袋を両足にかぶせて輪ゴムで止めていた。確かにインド人は土足さえ禁止されている神聖な寺院の石畳の上で平気で小便をするし、動物やひょっとしたら人間の糞も落ちている。しかしここはやはり現地の人に従って裸足で入るべきだと思うのだが。

1時間ほどかけて一通り寺院を見終わるといい感じで陽も暮れてきた。適当なベジレストランに入って右手でチャパティーをちぎって食べる。カレーも手ですくって食べるので手がねちょねちょになってしまうのだが、南インドではツーリストにスプーンが出てくるという事は今のところ無いのでしかたない。でも慣れると結構快適かも。

夜は日記を書いたり、久しぶりの人にメールを書いたりしているとあっというまに夜中になってしまった。
 

 
ミナクシ寺院の中から
 


4月18日 最南端へ(マドライ〜ナガルコイル〜カニャクマリ)

インド人の朝は早い。そしてめちゃくちゃうるさい。朝からテレビの大音響や話し声、子供の泣き声で起こされてしまった。時計を見てもまだ五時半を少し回ったところだ。昨日は夜更かしであんまし寝てないのにやめてくれという感じだ。気合いで寝直して次に起きたら8時過ぎ。朝食もかねて朝の散歩に出かけることにした。

まず最初にもう一度寺院に向かった。昨日はもう陽が暮れかかっていて良い写真が撮れなかったからだ。さすがに一日1万人が参拝するというだけあって、朝から大賑わいだ。少し離れた場所から数枚写真を撮って目的達成。

近くになんだか宮殿みたいなのが有るらしいのだが1キロ歩くらしい。しかし地図を見ているとなんだかどうでも良くなってきてチャイとクッキーをつまんでから宿に帰ることにした。BBCワールドを見ながら荷造りなんかをして10時前にチェックアウト。汗をかきながらバスターミナルを目指す。

今日目指すカニャクマリへ行くには、パダンガナサムというターミナルに行かなければいけないらしい。そして7番バスのでそこへいけるというので乗り込むと、なんとそのバスではなく違うターミナルから出る7番だと言われる。うーん、ややこしい。

ローカルバスに揺られて着いた先は寂れたターミナルだった。昨日着いた郊外の大きな所がそうだと思っていたので少し意外だった。さっそく切符売りのおじさんに聞くと、カニャクマリ行きは無いがナガルコイル行きがあるのでそれに乗ってそこでカニャクマリ行きに乗り換えるのが良いらしい。さっそく乗り込んで荷物置き場を確保する。

今回は綺麗な国道を結構なスピードで走っていく。途中いろんな人が乗っては下りていった。みんな親切なのだが今回はちょっとやばい事があった。何人目かに横に座ってきたインド人が、あまりにも足をバカ開きにしてこっちの領域までぐいぐい押してくるので、「こら!」と膝で相手の膝をこづいたら、なんとこのインド人、急に切れだして大声で怒鳴りだした。

普通なら一対一なんで最悪肉弾戦もといった所なのだが、ここインドではそれは絶対やってはいけない事の一つだといろんな人から聞かされていた。たぶんその辺はヒンズー教のむちゃくちゃする神様から来ているのかもしれないが、とにかくカーストにも属さない外国人がインド人と殴り合いの喧嘩でもしようものなら、たちまち回りのインド人10人ぐらいに囲まれて、袋叩き、最悪の場合は殺されたりするらしい。

ヒンズー教についてはまだまだ勉強しなければいけない所も多いのだが、とりあえず神様が切れて自分の子供の首をはねてしまったり、動物を殺してお供えをしていないと、怒って額から殺人光線を出して人を殺しまくったりするらしい。インド人は親切だというのはここ南インドで実感したのだが、穏和で争いを好まないというはこれは全くの嘘だと思う。

あと長い移動時間、バスターミナルで寄ってくる乞食を眺めながらカーストなんかについても考えてみた。インドといえば貧富の差なのだが、これはインドがヒンズー教国家でありつづける限り1000年たっても変わらないだろう。自分が生まれた日本や西洋では「人間は生まれながらにして平等だ」と教えられている。現実はさておきそれが理想だと教育されているのだ。しかしインドでは人間は生まれた瞬間から、「価値の高い人間」「価値の低い人間」として生まれてくるらしい。みんなそれが当たり前として何百年も繰り返されているのだろう。そして中には「生きる価値さえ与えられない人間」と言うのも存在する。

「価値の有る人間」はそういう「生きる価値の無い人間」が貧困に苦しんだり、飢え死にしたりする事に何ら問題を感じ無いのだろう。だからいつまでたっても良くならない。そもそも問題意識が無いのだ。大体乞食に小銭を恵んであげてるのは比較的「価値の低め」の人間であって「価値の高い人間」は視界に入れる事さえ汚らわしいという感じで接しているのを何度か見かけた。乞食もそんな身分の高い人に手を伸ばしたりすれば何をされるか分からないと言うのをわきまえているのだろうか?そう言うことが当たり前として行われているのがこのインドだ。

そんなことを考えていると、自分が今まで信じていた価値観と言うのがいったい何なのか分からなくなってしまう。

それはさておき、切れたアホインド人を適当になだめて軽くその場を乗り切る。こんな奴がいるかと思えばナガルコイルから大きな荷物を抱えてふらふらしていると見かねて席を譲ってくれる親切な人もいる。何処の国にもいろんな人がいるが、おそらくインドに勝つ国はないだろう。

さて今日のバス移動なのだが、景色が単調であまり面白くは無かった。ただナガルコイルの少し手前で巨大な風力発電所群を見かけた。何処までも果てしなく続く風車が風に吹かれてくるくる回っている。全部でいくつあるだろう?1000、いやもっとあるかもしれない。バスは全力で走るのだが風車の林はどんどん続く。これだけ大規模な物は世界でも他に無いのではと思う。

インドと言えば停電。一日一回絶対に停電するので、発電と言えばひょっとしたら発電ワーラー(ワーラー:インドで「〜する人」という意味)が自転車を漕いでいるのかと本気で考えたくなるほどだ。ただでさえ不安定な電力事情に更に不安定な風力発電を導入しても上手く機能するのか、それとも風が止まると停電なのかその辺すごく興味がある。ぜひ機会が有ればその手の文献なんかを読んでみたい。久しぶりに技術者の血が騒ぐ(笑)

さて話がそれたが、とにかくバスを乗り換え、カニャクマリにちゃんと着いたのだ。バスターミナルから少し戻りながら宿を探すとすぐに一軒の宿を見つけた。バス付きで100Rs。コンセントもあるのでまぁまぁだ。そして宿から外に出るともうそこはアラビア海だ。東を見るとアダマン海。ここは3つの海が合流するところなのらしい。

そしてインドで唯一海から日が昇りそして沈む所らしいのだが西日を見るとどうやっても海には沈みそうにない。きっとそれは冬場だけの事なのだろう。さっそく岬の先端まで言ってみた。「来たねー!」誰宛にでもなく声に出してみる。残念ながら360度海なんて事は無くて、2方向に海が見えた。

それからガンジー記念館とうのが海に面してあったので入ってみた。土足禁止なのでカバンにスリッパをしまおうとすると係員が「ここは建国の父ガンジーの遺灰を流した所なのでスリッパは必ずカウンターに預けなければいけない」とかいう。「別にカバンにしまうんだからいいやん」と思ったのだがカウンターに行って納得。預かり料0.5Rs。はした金だがこのバクシーシが目当てらしい。中はガンジーの写真と言葉を刻んだ石碑があるだけで5分ほどで見終わった。

それにしてもたくさんの人だ。海に面したガートがインド人で埋め尽くされている。この分だと明日の朝、日の出でも見に行ったらえらいことになってそうだ。なんだかそろそろホリデーシーズンに入り始めているのだろうか?最近ものすごい数のインド人観光客を見かける。 はやり5月頭にはデリーに着いた方がいいかもしれない。

その後はガート横のヒンズー教寺院に行くことにした。大体のヒンズー教寺院はヒンズー教徒以外は中まで入れないのだが、ここは上半身裸になれば入れるようなので行ってみることにした。

どのヒンズー教寺院もなのだが、寺院の中は薄暗くて、なにやら怪しげなムードが漂っている、なんだか「邪教の館」といった表現がぴったりだ。しかも中は40度ぐらいあって蒸し暑く、サウナのように汗がだらだらと背中を流れる。

中心部に着くと、なんだかカエルのようなおなかをした親父がご神体みたいなのにでれんともたれて皿を手に持って寄付を受け取っていた。なんだかみんなの態度からすると偉いグルなのかもしれないが、自分からすればガマの油といった所だろうか。

とにかく暑くてたまらなかったので、みんなが熱心に拝む中を速攻で通り抜けて外に出てきた。外に出ると一気に汗が冷えて少し肌寒かったが少し歩くとまた汗がどんどん流れ出した。はやり南インドは熱帯の国だ。
 

 
インドの先っぽに集まる人達
 


4月19日 椰子の木だらけ(カニャクマリ〜トリバンドラム〜コバーラム)

今朝もはやりインド人はうるさかった。6時前に目がさめてしまったのでついでに日の出を見に海沿いのガートまで出かけることにした。ガート周辺にはおびただしい数のインド人が朝日の方向を向かってなにやら拝んだりしている。薄曇りの中に真っ赤な朝日が昇る。

もう一度宿に帰って寝直すと8時を過ぎた所だった。朝めし代わりにチャイ屋でチャイとビスケット。それから港の方に歩いていくとなにやら船乗り場があった。どうやら沖にある巨大な像がある小さな島へ行く物らしい。何があるのかよく分からないのだがとりあえず10Rs払って乗ってみる。

島に着くとさらに入場料10Rs。そんなの船でしか行けないし、島へ行く人は全員入場するしかないのだから船のチケットと一緒に徴収すれば良いと思うのだがそこはさすがインドだ。

島にはなにやら銅像をまつった建物と、なんだか足型が着いた岩と、それから真っ暗な部屋にサンスクリット語の「オーム」の文字が虹色に光っている怪しい部屋なんかがあった。特にどうと言ったことは無い島なのだが、島には海からの風が吹き付けて、日陰で座っているととても気持ちよかった。

町に戻ると特にすることも無かったので軽く早い昼飯を食べて今日の目的地トリバンドラムへと出発する事にした。バススタンドに着くと一台のバスが入ってきたのだが、行き先を見るとまさにトリバンドラム行きだった。バスは20分後に出発らしくいいタイミングだ。

出発してから気が付いたのだが今日のバスはなんだか昨日までのと少し形が違う。そしてなんだか古くてマフラーが壊れているのが音がものすごい。そう言えば外にINTER STATEと書いてあったのだが、ローカルのくせになにがインターステートやねんと思っていたのだが、よくよく考えるとトリバンドラムはケララ州なので今日は州を越える事になるのだ。タミルナードゥ州とも今日でお別れだ。

バスはしばらくして来るときに通ったナガルコイルを通り過ぎた。小さな裏道をぐるぐる回り、海沿いを走るっていくとどんどん椰子の木が増えてくる。椰子の木とバナナといえばケララ州のシンボル的存在らしく、いよいよケララ州に近づいているのだろう。そして途中で気が付いたのだが看板の文字が変わっている。何語かは分からないのだが、明らかに昨日までのタミル語とは少しちがう。少しミャンマーで見た文字に少し似ている感じがした。

そして3時間ほどでバスは椰子の木に覆われた州都トリバンドラムに到着した。州都で都会ではあるのだが、町中の至る所にある椰子の木が南国気分を盛り上げる。さてどうした物かとバスターミナルをうろうろしていたら、何と目の前にコバーラム行きのバスを発見してしまった。そういえばこの前「新歓くん」からのメールで「コバーラムビーチにはぜひ」と言われていたのでとっさに乗り込んでしまった。そう言えばカニャクマリでは全く泳いでいなかったのだ。

バスには3人ほどしか乗客は乗っていなかった。これはどうやらカニャクマリからコバーラムへの直通バスらしく、自分たちの乗ったバスに追いついてきたのだ。そんなわけでガラガラのバスに揺られ椰子の林を通り抜けて海沿いの町コバーラムへ。

バスが高台にさしかかると崖の下に無数の椰子の木が見える。東南アジアとは全然数が違う。さすがに椰子の木もこれだけあると絶景だ。

バスを下りるとさっそく客引きに囲まれる。しばらく日本語客引きに会ってなかったのだが、ここは結構日本語を使う。しかも「金儲けワード」だけを連発してくるのでかなりむかつく。何度も「自分で探したいからほうっておいて下さい」といってもぞろぞろ着いてくる。あまりにもしつこいのでビーチの橋でザックを下ろして一休みする事にした。

海をぼーっと見ていると風が吹いてきて心地よい。そう何も焦ってチェックインする事はないのだ。そう思うと「今自分を取り囲んでいるこいつらは何分で居なくなるか?」と試してみたくなりそのまま居座り続ける事にした。何分かおきに「フレンド? 安い部屋があるんで見に来ないか? 50Rs 75Rs クリーンで チープだ。これを見てくれ日本人もいっぱい泊まってるし、、絶対約束する騙したりしないから、、、」と聞きもしないことをとにかく勝手にしゃべりつづける。

「海見てるんだからじゃましないでくれ」というとまたしばらくおとなしくなる。6人の男に囲まれてぽつんと座りながら海を見ている姿は傍目には異様に見えたかもしれない。やがて彼らは40分ほど一方的にしゃべり続けたあと一人去り二人去り、全員居なくなったかのように見えた。

しかしザックをかつぐと一人隠れていたようだ。後ろを着いてくる。とりあえず脇道のゲストハウスをあたると、ここはいくら、あっちはいくらと解説してくれる。なんだかこのしつこさに免じてコミッションを貰える宿に行ってあげる事にした。

この客引きも基本的に悪い人では無いのはよく分かっている。今日の人々はかなり善良な部類に入るだろう。しかし「要らない」と行ってるんだからしつこくつきまとわれるとやはり少し腹が立つ。「ほっといてくれ」という感じだ。とは言う物のなんか「少し悪いことしたな、、、」という気もする。でも騙されかけたことも何度もあるので自業自得だろう、、、(以下無限ループ)

宿に荷物をおろすとさっそく海に出てみた。アラビア海の波はかなり高い。2m以上はあるだろうか?青い壁が迫ってくるようだ。そう言えば昼飯を食べてなかったので近くにあったThe German Bekeryというレストランに入る事にした。そこで日本人らしき30前後の二人組の女の人に会った。一人はNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の頭の悪い方←きゃー。 にしゃべり方も見かけもそっくりだ。二人とも大阪人で、ネパールから陸路でトルコまで行くらしい。

その後急に空気が冷たくなったかと思うと雷とスコールがやって来た。目で寒冷前線がくっきりと見える。そして雨が降り終わると気温がぐっと下がって少しひんやりとしてきた。

夜はさっきの二人組と夕食を一緒に食べる事になったのだが、ここでおそるべき事が発覚した。なんと「ふたりっ子」と自分の誕生日が全く同じなのだ。しかも年まで。生まれて初めて同じ誕生日の人に会った。まったく驚きだ。

そしてチキンビリヤーニを食べる事にしたのだが、注文してから数分後、「コッコッココ、、」とにわとりの鳴き声が聞こえてやがて鳴き声が止まった。合掌(笑)

バラナシを出てからというもの、最近日本人にもほとんど会わずホームシック気味だったので、その夜は久しぶりの関西系トークに花が咲いた。インドには一年中日本人旅行者がいると聞いたことがあるのだが、どうやらそれは南インドには当てはまらないらしい。
 

 
ビーチの端の村人達の集落
 


4月20日 一回休み(コバーラム)

バラナシを出てからほぼ毎日移動を繰り返している。移動は楽しいのだが、せっかくビーチに来たのだから今日は昼寝でもしたい気分だったので、すごろくは「一回休み」にする事にした。

朝からジャーマンベーカリーでジャーマンブレックファーストを頼むのだが、これが又膨大な量で、コーヒーが巨大なポットに一杯、そしてパン6枚にクリームチーズと、ゲルマン魂の無い自分にはとても食べきれない量だった。恐るべしドイツ人。というかもともとグループ用だったのだろうか?

残すともったいないので余ったパンを紙につつんで持ってかえる。そしておなか一杯でちょっとつらいのだがさっそく着替えてビーチに繰り出す。外はいい天気だ。

海に入ると水は冷たくもなくぬるくもなくちょうどの温度だった。沖の方に出ていくとどんどん波がやってくる。時折かなり大きな波がくるので普通にしていると波にもみくちゃにされてしばらく体の自由を全く奪われてしまう。波をくぐる事をおぼえて更に沖にあるいていって大きな波を待ちかまえる。

うねりがやって来る瞬間に岸の方に向かって全力で泳ぎ出すとやがてサーフィンの様に体が持ち上がり一気にスピードが上がる。ただ板が無いので途中で波に飲み込まれてもみくちゃにされてしまうのが少し難点だ。しばし波と戯れてからインターネットカフェに向かう。

昨日何気なく雑談していたインターネットカフェの主人に「日本語環境をインストールしたい」と相談されていたので手伝う事になっていたのだ。やり方は知らなかったのだが、なにやらインストールすると出来ると聞いていたので、マイクロソフトのページを開いていろいろ調べてみると、Global IMEというのをダウンロードすると出来るらしい。とりあえずダウンロードを開始するのだが、回線はめちゃくちゃ遅く、終了予定時間は4時間だった。こんな回線で商売していいのか、、、

昼からはコバーラムのビーチをあちこち歩き回ってみた。灯台を越えて西の方に行くともう一つのビーチがあった。そっちの方は観光客はおらず、砂浜の上に葉っぱで出来た屋根の地元民の家らしき建物が延々と並んでいる。岬の先にはイスラム寺院らしき建物が建っていた。人も少なくてなかなかの眺めだ。

あちこちまわって宿に戻ってからインターネットカフェに顔を出してみると、やはりタイムアウトで切断されたらしい。何とかしてやりたいのだが、こんなに回線が遅くては話にならない。とりあえず手順だけ説明して、何度かトライしてみるように言ってカフェを後にした。

そんなことをしている間に夕暮れになってきた。真っ赤な夕日がアラビア海へと沈んでいくのだが、あいにく雲があって途中からは隠れてしまった。

夕焼けに照らされながら砂浜に座って海をみていると波は相変わらず高く、海は大きくうねっている。もちろん心のBGMは渡辺美里の「サマータイムブルース」だ。海を見ながら声を出して歌っているとまた日本の事を思い出して少し寂しくなってしまった。

そしてもう少しずつ雨期に向かっているのか、夜遅くまで波の音と一緒に低い雷の音が聞こえていた。
 

 
アラビア海に沈む夕日
 


4月21日 海と教会(コバーラム〜トリバンドラム〜クイロン)

さらばコバーラム。朝から例のジャーマンベーカリーでシナモンロールを食べて荷物をまとめる。これまではずっと南を目指して旅をしていたのだが、今日からはどんどん北上する事になる。丁度折り返し点を回ったという所だろうか。

砂浜に足を取られながらバスターミナルまで歩くと今にも1台のバスが発車しようとしていた。さっそく乗り込む。やはり音はうるさいのだが、その原因がわかった。昨日はマフラーが壊れているのだと思っていたのだが、どうやらこれが正常らしい。そう原因はバスのメーカーが再び悪名高いTATA製になったのだ。

タミルナードゥでは北のヒンディー文化というか中央政府に反感を持っているのか、バスは全てASHOK製だったのだが、ここケララではTATA製が使われているらしい。TATA製はネパールでさんざんな目にあって良い印象は無い。とにかく音がうるさく、席が狭いのだ。たぶん国営企業かなんかだと思う。

バスは30分ほどで終点に着いたのだが、前に乗った場所からかなり離れているようだ。なんでもローカルバスの多くは中央ターミナルまでは行かないのだそうだ。仕方ないので重い荷物を背負って1.5キロほどを歩く。汗がだらだらと流れる。以前の自分だったらもううんざりという所なのだが、最近はもう汗でシャツがびしょぬれになるのも当たり前なので段々と気にならなくなってきた。旅は人を強くするのかもしれない(笑)

やっとの事で中央ターミナルに着くと、すぐにクイロン行きのバスを見つける事ができた。ちなみにクイロンは今は「Kollam」と呼ばれているようで、バスの表示もそうなっていた。

クイロンについては、バックウォータークルーズの拠点という事しか知らないのだが、このバックウォータークルーズはここケララ観光のメインらしい。海沿いに広がる水郷地帯をクイロンからアレッピーまでゆっくり人々の生活なんかを見ながら船に揺られていくというなかなか優雅なツアーだ。

そんなわけで小さな村を想像していたのだが、到着してみるとなかなか大きな町だった。とはいうものの見所もあまり無さそうだったので、宿にチェックインして腹ごしらえしてから少し散歩して、その後は昼寝をきめこむ事にした。

そして次に目がさめるといい感じに夕暮れになっていたので海まで散歩する事にした。海岸沿いにはいくつかのキリスト教会があって、たくさんの人々が夕方のミサへと訪れていた。ここケララは一見豊かに見えるが実際の所はそれほどでも無いらしい。ただみんなで生活を改善しようという意識が強いらしく、労働者運動が盛んで、至る所に共産主義のシンボル「鎌とハンマー」のマークを見かける。そんな土地柄就学率も全インドでダントツトップの90%を越えているらしい。ちなみに北インドは50%を下回るという話しだ。

そんな教会の様子を横目に埠頭の先までいって岩に座ると、いきなり20人ぐらいの子供に取り囲まれた。と言っても危害をくわえられるとかではなく、ただ好奇心の対象として集まってくるのだ。そう言えばここに来るまでもいろんな人に指さされたり、「チャイナ?」と声をかけられた事があった。

そしてこの子共達も最初に出てきた言葉が「チャイナ」だった。「日本人だよ」というと「おお、ジャパン!」と驚いていた。この町は基本的にみんな素通りしていく所なのであまり外国人に触れる機会が無いのかもしれない。

この子共達はクリケットの試合をしていたのだが、片方のチームんは悪ガキの集まりと言った感じで、もう片方は少し利口そうだった(笑)悪ガキチームは「彼女は? これやってる?」と指でいやらしい動きをする。もう片方は片言の英語でなんだかいろいろとたずねてくる。もう、、景色を楽しみたかったのに、放っておいてくれよー と思うのだが、話をしていると段々面白くなってくるから不思議だ。そして別れ際に写真を撮ってやったらみんな笑顔で手を振って帰っていった。

ここしばらく観光地ラッシュだったので、ひさしぶりにこういう素朴な人たちに触れられて嬉しかった。



4月22日 小舟にて(クイロン〜アレッピー)

夕べは三時頃に一度目がさめた。そして目がさめるとヒンズー音楽が町のスピーカーから大音響で流れていた。ちょっと待てよ今何時やと思ってるねん、、、、まったく 気合いで寝直して次に起きると7時半だった。天気は相変わらず曇ったり晴れたりだった。やはり西海岸は少しずつ雨期へと向かっているのだろう。

船の出航は10時半なので、軽く朝食を食べてからシャワーを浴びてゆっくりと荷物をまとめ早めに集合場所へ行く。ところがタイで買った50B(150円)のニセキティーちゃん目覚まし時計が狂っていたらしく、船着き場についた時にはもうみんな乗船したあとで、ほとんど一番最後の乗船となってしまった。もしぎりぎりに行っていたら置いてきぼりにされた所だろう。

船は意外と大きくて、何よりも音が静かだ。エンジンの音よりもスクリューと水が跳ねる音の方がずっと大きい。船は滑るように運河を走っていく。景色はこれまでさんざん見てきた椰子の木の林なのだが、チャイニーズフィッシングネットと呼ばれる跳ね上げしきの漁法や水辺の人々の生活がかいま見れて楽しかった。

途中の村で昼食を取ったのだが、さすが売り手市場というか、とても値段相応の料理ではなくガッカリだった。まあこの手の向こうから客が来るとか契約していて毎日必ず有る程度の客が来るような所はこんなもんだろう。

しばらく行くとなにやら水門のような物が見えてきた。ひょっとしたら「船が橋につっかえるから門を閉めて水面を下げるのかな?」と思ったのだがどうやら海水と淡水を仕切っている門らしい。手動で開け閉めをするため10分ぐらい門で仕切られた中にいなければいけなかった。やがてクルーが門番にチップを渡して船は淡水の運河へと進んでいった。

乗客はやはり白人とお金持ちインド人でこの時期日本人は見かけなかった。ただ回りのスイス人達と仲良くなっていろいろとしゃべっているうちにいつの間にか陽は西日になってきた。途中少しだけ退屈したもののまあ楽しめたクルーズだった。

船は予定通りには着かず、1時間ほど遅れて完全に陽が暮れたアレッピーの桟橋へと滑り込んだ。アレッピーの町は想像していたよりもずっと田舎で、商店はケロシンのランタンを灯りにしている。町というよりもどちらかというと村と言う感じだ。

町の様子は本当に真っ暗なのでよくは分からなかった。
 

 
バックウォーターの集落にて
 


 

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