このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
朝からなんだかなめられている。今日はさすがに朝からカレーはつらいので近くのカフェのような所へ行ってみた。そしてコンチネンタルブレックファーストを頼んだのだが、なぜかポットのはずのコーヒーがカップでしか出てこない。まあカップだと安いのだろうと思っていたのだが、全部食べ終わって出てきた伝票は何と60Rsポットを頼んでも50Rsのはずなのに。
さっそく文句を言うと、とぼけたように50Rsと書き直した。「違うだろう!ポットじゃなくてカップを持ってきただろう?何で50なんだ!」というと45とペン書き直した。そして普段ならチップ目当てでしばらく側に立っているのだが、なんだかやましいのかそそくさと去っていった。全く観光地のインド人は朝から油断ならない。
ちょっと気分の晴れないまま荷物をまとめてさっそくバスに揺られる。ここアレッピーは本当に水郷地帯のど真ん中らしく、バスの窓からは何処までも椰子の木が見える。そしてこれはたぶんケララ州の行政がうまく行っている証拠だと思うのだが、信じられないほど道路が綺麗なのだ。
バスは結構なスピードで飛ばしていくのだが、全然揺れを感じない。そして1時間と少しでエルナクラム(コーチン)のバスターミナルへと到着した。ここエルナクラムは思っていたよりもかなり大きな町で、この辺りの中心都市なのだろうか、5階建てぐらいのビルがたくさん建っていて驚いた。そして何よりも驚いたのが、列車が電化されている事だった。
さっそくバスターミナルの回りで宿を探すのだがあいにく何処も満室だった。今週はイースターホリデーだからなのだろうか?インド人観光客の数がいつになく多い。しばらく歩いていると、YMCAの看板を発見したので行ってみると空きがあるらしい。さっそく部屋を見せてもらうと、これがもう最悪で97Rsと言っていたのだが30Rsの価値も無いだろう。こんな所に泊まったら体中虫に噛まれてぶつぶつだらけになってしまうだろう。
どうしたものかと歩いているうちにだんだんコーチンの町に泊まることがもうどうでも良くなってきた。考えてみればもう水郷地帯やトロピカルなムードは存分に味わったし次に早く次に行きたい気もする。いちいちその国のあちこちを細かく見て回っていたらいつまでたっても旅が終わらない。なんだかそんな焦りの様な物を感じて、とっさにコインバトール行きのバスに乗った。
コインバトールは大きな町らしく地図に載っている。そして次の目的地バンガロールへの通り道のはずなのでとりあえず情報は無いがこれで良いはずだ。バスはコーチンの大きな橋を何度も越えて本土にたどり着くとこれ又綺麗な道を猛スピードで走っていく。
そう言えばしばらくしてから州を跨いだのか、看板の文字がタミル語になっている。あと所々トラヴィダ形式の門が見えるし、外資の看板も多くなってきた。またまたタミルナード州に戻ってきてしまったようだ。バスは陽も暮れかかった6時半頃にコインバトールの町へと到着した。
さっそくターミナルを歩いて明日のマイソール行きのバスの時間を調べようと思ったら、これがもう巨大なターミナルで、何処にエンクワイアリが有るのかさえ全く分からなかった。おまけに観光地じゃないのか英語の表記が全くなく全部タミル語だ。
5分ほど途方にくれてから近くの売店やおじさんに聞き回ってようやくオフィスをみつけてバスの時間を聞くことが出来た。マイソール行きのバスは6時40分と7時15分に出るらしい。当然早いほうに乗るべく目覚ましをセットする。
宿はターミナルの隣にある外見は高級っぽい安宿にチェックインした。これはインドではよくあるのだが、壁面や、レセプションが高級ホテル並なのに部屋へ行くと、便座がちぎれてなくなっていたり、シャワーのノズルが無かったりとそんな宿が多い。ここもその手の宿だった。
ただ、部屋にテレビがあって衛星放送が見えるのが良かった。これで160Rsはまあまあだろう。今夜はテレビで夜更かしだ思っていたら何とそのテレビも1時頃に強制的に元の電源を切られて見れなくなってしまった。さすが安宿。久しぶりにBBCワールドとCNNを見た。天気予報を見ても日本もずいぶん暖かくなっているようで、ニュージーランドはもう秋本番と言った感じだろうか。
ぼーっと上へ流れていく画面を見ながら「あと何回季節が変わったら日本へ帰れるのだろう?」とふと思った。
5時半に目覚ましが鳴った。いつもならさっそくシャワーを浴びるのだが、昨日からかなり標高が上がってきたのか肌寒いぐらいでその必用もなさそうだ。荷造りをしたり外に出てチャイをすすっているうちに時間になったので目の前のターミナルを目指す。
あちこちで聞き回ってマイソール行きのバスにたどり着いたらまだ充分席があった。ただ前の方は通常予約席になっているので後ろにしか座れないのが残念だ。この辺りの長距離バスは窓ガラスが茶色なのであまり景色が見えないのだ。
ちょっとプライベートっぽいバスだったのだが、10分ほど客集めをしただけでバスは満席になり、なかなかのスピードでマイソール目指して出発した。風は予想以上に冷たく、さすがに半袖では少し肌寒いくらいだった、とはいうものの、かなり内陸にきたせいか、空気がカラっとしていて心地が良い。この分だとバンガロールやマイソールが楽しみだ。
しばらくは順調に走るものの、やがて道は山道になりぐんぐんと標高をあげていく。峠からは一面の椰子の木に埋め尽くされた平野が見えて圧巻だった。峠を登りきると少し下るのだがやがて平らな道になった。植生も少し変わってこの辺りからセミの鳴き声が聞こえるようになった。広葉樹が増えてきたせいかもしれない。
山を越えると目の前は真っ平らは平原になった。これがデカン高原なのだろう。中学校の社会で、デカン高原=綿花というのが未だに頭に残っているのだが、何処を見回しても綿花畑はなかった。いったい何処にあるのだろう?
やがて州境に近づいたあたりから道がガタガタになりだした。所々未舗装の所さえもある。次に目指すカルナータカ州はインドでも最も富んだ州だと聞いていたのだが、道路の整備の方は全然だった。あまり豊かではないケララ州でさえ、教育と道路整備にはかなりのお金をかけているようだったのだが、、、まあこの辺は州の力というよりもやる気の問題なのだろう。
2時間ほど悪路を走り続けた後バスはマイソールのターミナルに到着した。ここはコインバトールに比べると小さいので、明日のバス探しは楽勝そうでよかった。バスを下りるとさっそく二人の客引きが寄ってきた。コバーラムでちょっと客引きに冷たくしすぎたかなと反省して、片方の客引きに着いていく事にした。
結局最初に見た145Rsの部屋が広くて綺麗だったのでチェックインする事にした。「彼もコミッションが貰えるしお互いハッピーで良かったね!」と思ったその瞬間奴は言った「バクシーシ!」なんと奴はコミッションをもらった上にまだお金を要求してきたのだ。しかも「自分は宿からは全くお金をもらっていないんだ」などと嘘をつく。
最初は「宿からもらってよ、オレは知らないよ」というと「本当にもらってないんだ、5Rsでいいから」などとしつこい。たとえば「宿からは10Rsしか貰えないからあと5Rsだけ欲しい」とか言うならこっちも気持ちよく払っただろうに、だいたい「5Rsでいい」なんて言うのが嘘丸出し。そんなはした金じゃコミッション無しで商売が成り立つはずが無い。でも何となくめんどくなってきてポケットにあった5Rsを渡してしまった。そしてお金を払ったのに宿から離れようとしない。自分が立ち去ったあとレセプションの男にお金を要求するのだろう。
何となくむかつくので、ロビーの椅子にどかっと居座る事にしてやった。奴はこっちをじっとみているので「バーイ」と手を振ると「OK」と手を上げてそそくさと去っていった。どうせ後で戻ってきてお金をもらおうのだろうが。自分でもちょっと大人げ無いと思うのだが、相手が子供(頭の中身が)なので仕方ないだろう。以前「もし腹が立ったら、こいつら全員子供だと思ってあきらめろ」と言われたことがあるのだが、はやまったく。北上していよいよ「普通のインド」に戻ってきたのかもしれない。
ここんとこ、善良そうな客引きに冷たくして、ずるがしこい客引きに利益供与している様な気がして少し自己嫌悪だ。騙されてむかついた事を他の人に返してしまう。まあインドという国がそうなので自業自得と言えばそれまでなのだが、なんだか気分が晴れない。とはいうものの落ち込んでてもおなかは空くので外出する事にした。
とりあえず腹ごしらえと言うことで目に入ったHOTEL(インドでは、HOTELといえば食堂をさす)を見つけて入って見る。メニューなど無いので無難な「ヴェジターリー」を頼んだのだがこれがなかなか当たりで、スープの皿が6つぐらいついて、カレーも色々な種類種類がある。甘納豆見たいなスープとヨーグルトも付いていてこれでたったの12Rsだった。
おなかが一杯になったところで向かうのは当然マイソールパレス。ここにはこれだけを見に来たと言っても過言ではない。そしてバスの中からみたそれはその中身を想像させるに足る豪華絢爛な物だったのだが、中に入って見て2度驚き!「豪華はいいけど、君ら限度をしらんのか?」と思わず関西人なら突っ込みたくなるほどの豪華さ。
長い間旅をしているけど、いまだかつてこんな豪華な建物を見たことは無い。カンボジア、タイ、ラオスの王宮なんてまったく比較にならない。さすがインド人!すごいのか何も考えてないのか。なんだか犬猿の仲であるはずの中国人と似ているような気がして笑ってしまった。
王宮の中は大きな吹き抜けのホールがあって、その壁一面に絵が描かれている。当時の王様の行進の様子で、近衛兵や音楽隊、騎馬隊、象隊、などなど壁一周に描かれたその絵はこの王宮にも勝る当時の王様の経済力を物語っていた。
とにかく柱の一本から天井や壁の超精密なレリーフ。屋根にちりばめられた絵が描かれたガラス。どれをとっても「すごい」としか言いようが無かった。カメラが持ち込み禁止なので他の人に見せてあげられないのが残念だ。
そして宮殿を抜けると「王様の生活博物館」みたいなのが裏にあって、値段も15Rsだったので入って見たのだが、中は宮殿を見た後では何てことの無いものばかりで、15Rsの価値は無かった。逆に王宮は現在たったの10Rs(30円)で入れてしまうのだが、タージマハルの例のように近々200Rとかに上がるかも。でもあれだったら1000円ぐらいの価値は充分あると思う。インドに来る人には絶対お薦め。
少し興奮気味に宮殿を後にして預かり所にカメラを取りに行ったときの事、預り証を渡すとまたバクシーシだ、、、やれやれ。"Free Service"と大きく書いてあったから安心して預けたのに。そしてそのバクシーシもなんだか相手を選んで言ってるようで余計に不愉快だった。さっきの事が有るので当然「No」と言うと不満そうにカメラを返してくれた。
その後は美術館なんかを訪れようかと思ったのだが、もうこれだけすごい物を見たんだから良いだろうと言うことで宿に帰って日記の整理をした。途中インターネットカフェが有ったのでメールのチェックがてら寄ってみたら、マシンは立派なのだが回線速度がこの世の物とは思えない程遅くて、まま5分間Hotmailのログイン画面のから進まなかったので、だめだこりゃと店を後にした。特にお金は請求されなかった。
夜はこの町に有るというチベット料理屋を探して回った。このマイソールにはチベット村があるらしく、たくさんの亡命チベット人が住んでいるらしく話に聞いていたのだ。所がやっとの事で場所を探し当てたと思うと、だいぶん前に閉店したと言う事だった。残念。
仕方がないので宿の近くのインド定食屋に入った。本日のおすすめ「トマトドーサ」というのを頼んだのだがこれがなかなかの当たりだった。途中からインド人の青年と相席になってしゃべっていると「チベット人か?」と聞かれてしまった。まあこの見かけだから無理は無いだろう。顔は日に焼けて最近は1ヶ月髭を剃っていないのでえらい事になっている。「彼がカメラは無いのか?」と言うので例によってデジカメで撮ってあげるとすごく喜んでいた。レストランのスタッフまで集まってきて撮影大会になってしまった。
なんだかいろんな事が有ったけど、トータルで考えるといい一日だったんじゃないかな?
昼前まで宿でうだうだしてから適当にバスターミナルへ向かう。大体この距離ならバスは頻繁に出ているはずなのだ。そしてバスは有ったのだがなんだか切符売り場で切符を購入しないといけないようだ。聞いてみるとこれはマイソール〜バンガロールのノンストップバスなんだそうだ。きっと車掌が居ないのだろう。止まっていたバスは満員だったので、一本見送って次のバスに乗ることにした。
バスはこの州の二大都市を結ぶ特急バスなのだが、車両はその辺の市内を走っているボロバスだった。そして道路も結構荒れていて乗り心地は良くなかったのだが、それでもバスはノンストップで走るので3時間弱でバンガロールの町に到着した。
ハイテク都市とか、インドだとは思えないとかいろいろ言われているバンガロールだが、最初の印象は「ただの、普通のインドの大きな町だった。牛が居ないので糞尿の臭いは他の町よりもましなのだが、埃っぽい汚さはそのままだった。
一番最初に向かったのは駅の切符予約オフィス。外国人窓口が有るので簡単に買えると思っていたら大間違いだった。外国人窓口といっても「老人、身障者、自由の戦士(独立時の退役軍人か?)、外国人」となっているので、既に老人で長蛇の列になっていた。しかも老人だからいちいち動作がとろくてひどい人は一人で20分ぐらい窓口にへばりついている。後は身障者をダシに簡単に切符を手に入れようとする人やら、そのとりまきやらでもう列は完全に崩壊している。
これはもう耐えるしかない。と列に並ぶこと1時間半、やっと自分の番が回ってきた。今回は一気にハンピの辺りからデリーまでの切符を取りに来たのだ。しかもこの時期は混むのが分かっていたので、第4候補ぐらいまでいろいろと調べて置いたのだが結果は全部満席。しかも10日先まで全部いっぱいとかそんなのばかりでどうしようもない。
やはりもうすでにインド人ホリデーが始まっていて、今週と来週が日本で言うGWに相当するようだ。途方に暮れてしまう。このままだとデリーまでローカルバスを乗り継いで1週間ぐらいかけて帰らないといけない計算になる。ああ、やれやれ。不幸中の幸いは明日のハンピ行きの寝台のチケットが取れた事ぐらいだろうか。そして暗い気分のまま宿探し。
宿が見つかるとその中でも一番モダンで綺麗だと言われているブリゲードロードを目指すことにした。バスで行こうと思い宿のレセプションで聞くと「そこへ行くバスは無いからリキシャで行け」とか一発で嘘とわかるような事を言う。仕方がないので大きなバスターミナルを行ったり来たりしながら聞き込みをして目的のバスを探し当てた。
かくてしてたどり着いたブリゲードロードは、それなりに近代的な通りだった。さっそくKFCに入って2ヶ月ぶりのチキンバーガーをむさぼり食う。「うまい!!」さすがにインドではインド飯以外はまずくて食えた物じゃないのでこれはうれしい。そしておなかがいっぱいになると、次はインターネットだ。
ハイテク都市なので、簡単に自分のパソコンをつなぐことが出来るだろうと、ホームページの更新準備までしてきたのだが、何処で聞いても「不可能だ」などと言われる。「させない」じゃなくて「出来ない」なのだ。いわゆる嘘。やはり市内通話じゃ儲けが少ないからなのか、本当に頭の中がローテクなのか、、、、
仕方がないので、一軒のパソコンショップ兼インターネットカフェに相談すると、電話回線は少ないから貸せないがパソコンならフロッピーもふくめて全部使っていいという事で、なんとかいつもの方法でやってみる事にする。とはいうものの、今日はフロッピーを持ってきてないのでその作業は明日だ。
そうこうしているうちに夕方になってきた。さっきはKFCだったので、今度はウインピーに行ってみる事にした。しかしこれが大間違い。「ハンバーガー」と書いてあったので「え?あるの?」と注文してみたら、なんと出てきたのは懐かしい不味さだった。以前ニュージーランドに住んでいた時によく食べていたラムチョップの味だ。この臭さが懐かしい。大失敗のバーガーを全部平らげてバスに乗ると何だか気分が悪くなってきてヒヤヒヤした。
しかし、期待していたバンガロールでさえ、他のインドと同じだった。結局いくら器を綺麗にしても中身を替えないと何も変わらないというのがこの町の感想だ。
今朝も性懲りもなく朝から駅に出かける。しかしもう既に窓口は満員だった。外国人その他の窓口は他に比べると少し列が短い物のこれでは全く意味がない。
チケットは案の定八方手を尽くしても全て2週間先ぐらいまでフルだった。しかも寝台だけではなく、2等の座席でさえ一杯だというのだから驚きだ。仕方がないので、第一候補の列車でウェイティングをかける事にした。しかし切符を受け取るとウェイティングの番号は270番。だめだこりゃ。
途方に暮れながらもまたまたブリゲードロードへと向かう。まだ時間が早いのでKFCで時間をつぶしてからインターネットカフェに行こうとおもったら、なんとKFCの開店時間が11時。ああ今から2時間以上もどうやって時間をつぶせというのだ。
しかたがないのでその辺をうろうろしたり、適当な所に座ってぼーっとしたりして時間をつぶしてから11時ごろにインターネットカフェに行くと覚えていてくれたようでさっそくマシンを用意してくれる。とはいうもののここも時々データーが完全にストップしたり、途中2回も回線が切断されたりと、それまでのローテクインド都市とあまり変わらないと言う感じだった。ここでソフト開発してる会社はこんな遅い回線を使ってるんだろうか?まったく。
2時間がかりで、やっと全部のメールの送信と受信を完了した。ホームページの更新は残念ながらセキュリティーが厳重で出来なかった。最近ダイレクトでIPが外に抜けない所が増えて困る。
結局バンガロールは全く観光せずに宿に帰ってメールを読んだり、データを整理したりしてから時間ぎりぎりの4時ごろホテルをチェックアウトして駅に向かった。とりあえず列車まで6時間あるので荷物を預けて食事をしたり、本を読んだりうだうだして過ごす。最近はもう6時間待ちなんてへっちゃらで、うだうだしている間に9時半になり、列車がホームに入ってきた。
気は重いのだがとりあえずみんなが絶賛のハンピ村まではこれに乗ればたどり着けるので、後のことはそれからゆっくりと考える事にした。早くデリーに着きたいとはいうものの、どうしても何日までに着かなければいけないという訳ではないのだ。そう思うと少し気が楽になった。
昨日のよるは向かいの寝台のインド人のおじさんと「切符が取れなくてねえ〜」なんて話をしていたら、ハイデラバードへ行ってみる事を薦められた。ここは都市は大きいもののバンガロールなんかに比べると列車は空いているらしい。しかもハイデラバート始発で早朝なので、最悪席が取れなくてもBopalという所を夜に通るらしいのでそこで下りて一泊して次の朝のに乗るとその日の夜にデリーまでたどり着けるらしい。きつい事には変わりは無いがバスで行くよりは早く着けるので嬉しい。
いつも遅れがちの列車なのだが、この日は予定きっかりにホスペットの駅に到着した。さっそく駅で予約用紙をもらっておく。
改札を出るとたくさんのリキシャが寄ってくるが、とりあえずまだ涼しかったので歩いて行くことにした。店のおじさんに聞いたら「500mぐらい」と言っていたのだがやっぱり嘘で2キロぐらいあった。バスターミナルにつくとすぐにハンピ行きの乗り場が見つかった。そしてバスを待つのだがそれっぽいバスが入ってくるとみんな一斉に動いているうちから入り口に殺到するので結局座る事ができなかった。とはいうものの隣に立っていたスイス人の女の子といろいろしゃべっているうちに30分ほどでハンピ村に到着した。
さっそく宿の客引きに取り囲まれるのだが、ここに集まっているのはオーナーではなく、コミッション目当ての子供達だったので相手にしないことにした。しかもこいつらお互いの宿の悪口をしていて感じが悪い「コイツは悪人だ、宿は蚊だらけだ」とかなんとか他では見られる客引き同士の仁義みたいなのが全くない。
そのうち一軒のよさそうな宿を見つけてチェックインしようとしたら「今日はえーと、何日だっけ? 26だな」とか書き入れようとする。最初は何とも思わなかったのだがよく考えると、列車に乗ったのが26日だったので今日は27日だ。ひょっとして一日分余分に請求するつもりか?ひょっとしたら単なる勘違いかもしれないのだが、何となく信用できなくなってこの宿はパスする事にした。
結局近所の別の宿にチェックインしてさっそく村を見物に出かける。夜行で着いたばっかりなのに、我ながら元気だ。それほどバスの中から見た風景がすばらしかった。見晴らす限りの荒涼とした岩山。まるでドラゴンボールで、悟空とベジータが戦っていた所みたいだ。そして岩山の麓には見渡す限りのバナナ畑。そしてその中にいろいろな遺跡が点在としている。
村自体は本当に小さく、カジュラホやオルチャよりもまだ小さいかもしれない。良くも悪くも観光だけの村で、商店やゲストハウスがちらほらある程度だ。
いきなりメインのヴィッタラ寺院を見に行こうと出かけるのだが、外は刺すような暑さでたまらない。100m毎に休憩を取りながら少しずつ進んでいく。何でも最近は昼間は毎日42度まで上がるそうだ。そして日陰で休んでいると一組のインド人家族と出会った。家族でハンピにいる親戚をたずねてきたそうだ。いろいろしゃべっているうちに一緒に回ることにした。
構成は夫婦と子供二人、そして親戚のおじさん。いろいろ説明してもらったり、しゃべりながら楽しく見物出来たのだが、やはりいろいろと食べ物や入場料までおごられてしまった。払おうとすると「とんでもない」という感じで。いつも思うのだが、こういう普通のインド人は本当に親切だ。考えてみると悪い奴らだけが、追尾ミサイルのように外国人を追いかけてやってくるだけなのだろう。
結局家族とは途中で別れて、アチュタラヤ寺院に向かった。この寺院は少し奥まった所にあるので観光客もあまり居ないのだが、崩れた回廊のある寺院がバナナ畑の中にひっそりとあるという感じですごく気に入ってしまった。そして寺院のすぐ近くに小さな山があるので登ってみるとそれはもう絶景だった。
回り一面、巨大な岩を積み重ねたような山に囲まれている。どうやってあんな大きな岩が出来たのか想像もつかないのだが、自然にしろ人為的にしろものすごいエネルギーを感じる。しばらく景色を見ていると西の空に夕日が沈んでいったので村に戻ることにした。
炎天下を少し歩き疲れたのだろうか、シャワーを浴びて横になっているといつの間にか眠り込んでしまっていた。明日は少しゆっくりと過ごしてみようと思う。
今日はダメもとで駅に行ってみる事にした。列車で会ったおじさんに教えてもらったハイデラバードからの列車をトライしてみる事にしたのだ。
バスにゆられて30分ほどでホスペットのバスターミナルへ。そしてそこから徒歩20分で鉄道駅。なんで田舎はこんなに駅とターミナルが離れているのだろう。
そして期待もせずに窓口にあらかじめ記入しておいた予約フォームを出すとやはり満席。他のクラスも一杯なのだそうだ。落胆していると切符売り場のおばさんが「ハイデラバードからの別の列車なら2等寝台も空いているわ」と言うので自分が書いた第二希望の方の用紙を見せるとまさにその列車だった。なんだかあっさりと切符が手に入り、前のウェイティングのチケットのキャンセルも問題なく出来た。
最近風を感じる。ここの所自分の旅はまるで九州に上陸した後の台風の様に一気にスピードが上がっている。途中つまずいたりもしたが、このままこの風をつかまえて一気にイスタンブールまで駆け抜けるのも悪くはない。今日チケットが取れたのもその第一歩としては上々だ。
おまけに最近一つ困ったことがある。それはイランビザだ。イランビザは多くの旅人の懸案事項なのだが、東から西へ抜ける場合はツーリストビザの取得が困難で、トランジットビザしか取れない場合が多いのだ。そしてそのトランジットビザも最近はほとんど延長出来なくなって、7日+延長5日の12日しかイランに滞在出来ないらしい。
今年の3月まではパキスタンの意外な穴場、ラホールでのみツーリストビザが取れたらしいのだが、春休みのアホ大学生が領事館員ともめて「Fuck you!」とか暴言を吐いた為、それ以降日本人への発給が停止されたらしい。まったく何してくれんねん。事前にこの情報だけでも入手できたのが不幸中の幸いだ。
そんなこともあって、イランは12日以内の滞在になりそうだ。そうするとイスタンブール着が予定よりもかなり早くなる。どうせならそれを逆手にとってヨーロッパを駆け回るか。そんなことを考えていると何だかうきうきしてくる(笑)旅はまだまだこれからだ。
午後からは昨日かなりダニにやられてしまったので、布団とマットを勝手に日なたに干したり、近所の壊れた古い石の橋を見に行ったりした。今日はそんなのんびりとした一日だった。
今日は少し朝寝坊でだらだらしていたのだが、昼ごろから心を入れ替えて、南の遺跡群を回ることにした。やっぱり歩いて行った方が途中のなにげないいろいろな物に気づくだろうと思ったのが大間違い。気温は12時を過ぎてからもどんどん上がり、ピークには43度まで達した。
マドラスの暑さが蒸し器の中で蒸されるような暑さだとすると、ここハンピの暑さは、フライパンの上で焼かれるような暑さだ。気温が体温を軽く越えているため風が吹いてくると暑くてたまらない。湿度が低いせいか日陰に入ると少し温度が下がるのが不幸中の幸いだ。
南の遺跡群はそれなりに見応えがあった。一番よかったのはハザーラ・ラマ寺院という寺で、ここは壁一面にラーマヤーナのレリーフが施されていて、寺院もかなり綺麗に残っている。ここの警備員は中国人っぽい顔立ちだったので「チベットから来たの?」と聞いてみるとネパール人らしい。出稼ぎに来たのだろうか?彼は終始友好的で寺の陰で涼んでいる間いろいろな話をした。
そしてその彼が少し顔をしかめて「インド人は好きかい?」と聞いてきた。彼もインド人にはいろいろと嫌な目にあっているらしい。やはりネパール人の彼にはここインドはなかなか暮らしにくい国なのだろう。
その後はロータスマハル、象小屋などの有料の所に入って見たのだが、あまりお金を払ってまで見るほどの物では無かった。そして遺跡を後にしてハンピ村に帰ろうとしたのだが、途中で道が枝分かれしていてインド人の農家の人に聞いた道をまっすぐ進んでいくと、道はやがて泥のぬかるみになって、しばらく行くとバナナ畑になった。
バナナ畑の中を歩いているうちに、草履が片方泥にめり込んで抜けなくなったり、行く手に川があって結局水の中を歩かなくてはいけなくなったり、そして極めつけは岩を登るのだが棘だらけに植物が生えていて、足に刺さったり腕が傷だらけになったりで、もう誰にでもなく「ボケー」と叫びたい気持ちだった。まったく知らないなら「知らない」と答えろ。無責任インド人のせいでまた偉い目にあってしまった。
ハンピに帰ってくるともう喉がからからで、いつのも店屋に駆け込んでさっそくコーラを飲む。コカコーラではなく、最近密かにはまっているその名も「まんじゅうコーラ」名前が怪しいのだが、MANJU COLAと確かに書いてある。少し瓶が小さめで値段も5Rsと普通のコーラの約半額だ。小学生の時に飲んだ怪しげなコーラと同じ様な懐かしい味がした。それにしても一本ずつ入っている量が全然違うのには笑ってしまった。きっとコーラワーラーが手作業でつめているのだろう。
それにしても今日も疲れた一日だった。
昨日気合いで遺跡を回り尽くしたため今日は朝からたまっていた日記書きとか。そして朝食を食べようと1階に下りると、昨日遺跡の山の上で会った日本人とばったり出会った。どうやら同じ宿に泊まっていたらしい。何でも今日の列車でプネーからアウランガバードへ行くらしい。
2時間ほどいろいろ喋った後、その後のルートもほとんど同じなのでまたどこかで会うだろうと手を振って別れた。そしてまたまた日記書きや、依頼されていた某原稿を書き上げる。何だか書き始めるとこれがまた難しく、多くの人の目に触れるかと思うと緊張してしまう。自分の日記とはえらい違いだ(笑)
今日はまたまた暑く、43度ぐらいまで。そして部屋の中の電源の入ってないパソコンを触ったら何と熱いのだ。しかも自分の部屋には一切直射日光は当たらない。単純に部屋の中も軽く40度を越えているのだろう。天井のファンからは熱風が吹き下ろしてきて、ファンを止めている方がましかもしれない。
そんなわけでうだうだ日記を書いたり、シャワーを浴びに行ったりして夕方まで過ごした。何とシャワーなのだが、蛇口をひねると熱湯が出てくる。おもわず「あちちちっ」と叫んでしまった。もちろんソーラーシステムなど無く、給水タンクの中の水が完全にお湯になっているのだ。シャワーは10分程熱いお湯を浴び続けるとようやく少し温度が下がってぬるま湯になった。
6時になってだいぶん日もかげってきたので外出する事にしたのだが、それでもまだ外は38度ぐらいありそうだ。焼けた石畳からドライヤーの様な熱風が上がってくる。一昨日会った日本人と食事をして日もくれた午後8時頃になってようやく風が涼しくなってきた。それでも30度はあるのだろうが。
早くこの暑さから脱出したいのだが、次に行くハイデラバードも同じ様な気候らしい。デリーはもっと暑いというし。もうこの先はパキスタンまで灼熱地獄が続くのかと思うとやれやれだ。
普通は30分程前にはもうホームに入っているので、良い席を取るべく早めに行ったのだが定刻を過ぎても全然やってくる気配は無い。そして10台ぐらいのそれっぽいバスに聞いてみても全部「ノー」という答えで、10時を回った頃一台のバスがやって来て、そして待っている人が血相を変えて走っているバスに飛び乗ったり、窓からハンカチを投げ入れたりして群がっている。よく聞いてみるとハイデラバード行きらしい。
自分も当然入り口の所にしがみつく。そしてどんどん中から人が下りてきて、せっかちなインド人が中に入ろうとすると怒られたり突き飛ばされたりしていた。そして素早く中に入り込むと、ほとんどのシートにハンカチが乗っていた。これはアホっぽいのだが、いわゆるインドルールで、中の乗客に頼むなり自分で投げ入れるなり、とにかくハンカチがシートに乗れば「勝ち」なのだ。自分はやっとの事で、一番前の横向きのかぶりつきの席を確保できた。
今日の道は最悪だった。バスは上下にバウンドしながらさっきまでいたハンピの方へ向かう。ハンピの手前で東へ道をそれたが、この道もまだまだ最悪だ。そして道が悪いのは仕方がないのだが、作り方がアホすぎる。道はある程度広いのだが、舗装を車一台分しかしていない。ちなみにステートハイウェイらしい(笑)
そして対向車が走ってくるとどうなるか?路肩は当然ガタガタなので、路肩に出ると言うことは相当スピードを殺さなければいけない。そして一度減速するとインドバスは加速が悪い。そんなわけで双方譲れなく当然チキンレースになる。クラクションをならしながら突っ込んでいって、結局直前で両方ともブレーキを踏んで脇へ避ける。
こんな事ばかりしているのでいちいちスピードが落ちて全然先にすすまない。そして今日のバスは今までで最悪の混雑だった。前のかぶりつきの席はおそらく4人用なのだが、後から乗ってきたインド人がどんどんすきまにケツをねじ込んでくるので、結局6〜7人ぐらいでもう身動きが出来ない。そしてチキンレースの急ブレーキの度に全員が自分の座っている進行方向にずれてくるのでもうたまったもんではない。
灼熱の太陽に照らされて焼けた道路。窓からは50度近い熱風が入ってくる。一度窓を閉めてみたのだが、ぐっと涼しくなるのに驚いた。しかし窓を閉めると汗が乾かないので結局開けたり閉めたりしていた。ちなみにデカン高原は乾燥地帯なので、40度を越える風を浴びていてもまったく汗が流れない。にじみ出た瞬間蒸発してしまうのだ。要はドライヤーを浴び続けているそんな感じだった。
バスは7時間ほどして、Raichurというバスターミナルに到着した。なぜだか自分以外全員そのターミナルで下りていった。一瞬「運転打ち切り?」と焦ったが新しい乗客が乗ってきたので安心した。どうやらここは交通の要衝で、みんなここで乗り換えてゴアやボンベイに向かうらしい。町は小さいがバスターミナルは大きく、そして回りは城塞で囲まれて山の上にお城があるなかなか素敵な町だった。
ここからハイデラバードまでまだ200キロ以上もある。ちなみにハンピからここまでは200キロ無いのだ。運転手に聞くとあと5時間少しで着くらしいのだが、いずれにしろ先が思いやられる。
バスはしばらくチキンレースを繰り返してスローペースで走るが、やがて日が暮れる頃になるとハイデラバードに近づいてきたのか2車線の綺麗な道路になって一気にペースが上がった。ただ今度はガンガン無茶な追い越しをするのでかなり恐ろしいのだが。
結局最後の100Kmを1時間半ほどで駆け抜けてバスはどっぷりと陽も暮れたハイデラバードの町へと到着した。町に入るとライトアップされた大きなモスクが幻想的に光っている。牛が居ないので糞尿の臭いはしなかったが、かわりに川から温泉卵の臭いが漂ってきた。
明日は列車に乗るのでリキシャを捕まえて駅へ向かう。しかしハイデラバード駅にはリタイアリングルーム(駅の宿泊所)が無く駅前の安宿街をうろうろするのだが、どこも「無い」と断られてしまう。キーがたくさんぶら下がっていて明らかに空いているのに、なぜだか「フルだ」と断られてしまう。
何かの本でもそんな事が書いていたが、イスラエル人ならともかく日本人が宿泊を断られる理由と言うのがよく分からない。結局一人の客引きがやって来たので着いていくと無事100Rsの宿にベッドを確保する事ができた。
砂埃と汗を流して上半身はだかのままベッドに横たわると天井のファンから熱風が吹いてくる。今日はこのままでもカゼを引くことは無いだろう。安心するといつのまにか眠り込んでいた。
今朝は7時に目がさめた。ハンピでの教訓を生かして早朝から観光にスタートする。実は最初はこの章のタイトルは「インド・高原編」だったのだがハンピで「灼熱編」に変更したのだ。高原と言うにはあまりにも暑すぎる(笑)
そんなわけで一番に向かったのはチャールミナールというハイデラバードのシンボルとも言うべきミナレット(イスラム版パゴダ?)だ。丁度大通りのど真ん中に立っていて回りはラウンドアバウトになっている。なるほど特徴的なのだが、実際にみてみるとあまりどうという事はない。
そして次に目指すのは町外れにあるというこの町一番の見所、ゴルコンダフォート(砦)だ。チャールミナールのターミナルからバスに乗って40分。バスは警察学校の敷地を通り抜けて、フォートの下の駐車場に到着した。
さっそく2Rs払って登ってみる。この手の建築物は今まで北京の万里の長城などいろいろな物を見てきているのだが、ここは建築がイスラム様式なのと、修復があまり綺麗にされておらず上から見下ろすと城下町らしき崩れた遺跡が見えるのがよかった。頂上からの眺めはなかなかいいもので、見渡す限りの平原に乾燥地帯特有の低木が生えていた。
そんな感じでフォートはまあまあなのだが、なぜか後からインド人がフォートの一番高い所にヒンズー教寺院を作って雰囲気ぶちこわしというのが残念だった。最近思うのだが、中国人とインド人はすごく共通点が多いような気がする。それでこんなに仲が悪いのかもしれない(笑)
フォートを後にして街に帰ってくると暑さはピークに達していた。この辺りの暑さは2時を越えても路面が焼けてどんどん気温が上がり、4時ぐらいがピークのようにも感じる。そんなわけでとりあえず宿でシャワーを浴びてから、列車の時間までその辺りの街をうろついてみる。
ハイデラバードの街は意外と整然としている。とはいってもそれはインドにしてはという話なのだが、繁華街には物があふれていて、結構豊かな街のように見えた。あと特徴的なのは到るところでウルドゥー語の看板を見かける事だ。ウルドゥー語はパキスタンの公用語なのだが、それはここがモスリムの街だという事を物語っているようだ。そして、この辺りから急に英語が通じなくなってくる。南インドではほぼどんな人も英語を話したのだが、この辺では旅行者相手の商売人と上流階級だけの言葉らしい。いよいよ北インドにかかってきたのかもしれない。
8時半頃再びシャワーを浴びなおして荷物をまとめ駅へと向かった。今回の列車はノンエアコンなのだが、夜なので結構涼しいと思っていた。しかしそれは乗り込んでみるととんでもない間違いで、夜の間もずっと汗が流れっぱなしだった。そして「明日は暑くなるかな」とのんきに眠り込んでしまった。
うわ、、、たまらん。そんな言葉が何度口から漏れただろう。今日の列車は格別だった。昨日の夜は朝になるとひんやりと涼しくなるだろうと思っていたのだが、日の出前になっても相変わらず車内は蒸し暑かった。
そして日が昇りだすと温度はガンガン上昇する。そして自分は寝台の一番上段なので、カンカンに焼けた天井まで50cmぐらいしかなく、まさに寝台の上でグリルで焼かれるようなものだった。外が43度と言うことは中はもっと暑いのだろうか?
あまりにもたまらないのでトイレにいって、水道の水をペットボトルに入れてかぶったのだが、なんと水ではなくお湯が出てくるのだ。汗が流せてすっきりするのだが、こんなに熱くてたまらん。
下の座席に移ってからも窓からは熱風が入ってくるし、寝台はグリルだし。おまけに2等寝台は完全指定席なのに、昼間になるとただ乗りのインド人がガンガン乗ってくる。そして当然の権利のように人の席に勝手に座る。下の席にいても「つめろ」とか当たり前のように言ってくるのであきれてしまう。
ただ、他のインド人にとってはそれは結構普通の事なのかもしれない。自分の席がぎゅうぎゅうになるにも関わらず、ただ乗りの客達に席をすすめたり、座ったら座ったですぐに仲良くなってしまう。その辺がこの旅で一番感じたインド人のすばらしい所かもしれない。
インド人は同じ階級内では人と人の垣根がすごく低いように思える。「困ったときはお互い様さ」みたいな相互扶助の精神というか(その割によく街角で喧嘩してるが)。悪く言うと相手の領域に土足で踏み込んでくるという奴なのだが。
インドで2等列車に乗ると好奇心の餌食になる。回りの人が「こっちへ来い」と呼び出していろいろと聞きたがる。名前、年齢、結婚しているか?、親の名前、親の職業、最終学歴、年収、この旅行で一日何ルピー使うか?、いろんな持ち物の値段、などなどきりがない。それこそ個人的で答えたく無いような質問ばかりなので「答えたくない」と言うと「何でだ?理解できない」とかなんとか。
この辺自分の中の日本人を再認識する。元気な時ならまだしも、精神的だけならまだしも、肉体的に限界な折にそんなことを聞かれてもと不機嫌になってしまう。まあそれは自分の器が小さいからなのかもしれないが。
あとインド人は肩書きにすごく固執する。まず「ガバメント」だ。インド人のガバメント崇拝はすごい。看板を出すときに少しでも政府と関係があったりすると「Govt」と大きな字で飾る。シルク屋で「Government recognized」というのには大笑いしたが。そんなわけで、職業を聞かれてコンピューターエンジニアだと答えると、次に来るのは「ガバメントかプライベートか?」という質問なのもインド特有だ。
とにかく24時間する事がないので、インドについてまとめに入ったり、あとはひたすらオーブンで焼かれたりそんな一日だった。向かいの座席の青年がソフトウェアエンジニアだというので、仲良くなっていろいろ喋っていたのだが、やっぱりプライベートな事までどんどん突っ込んでくるので、そのうち面倒になって、寝台で寝ることにした。とにかく精神的余裕を全て奪い去る程の暑さだったのだ。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |