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朝の4時半に向かいの青年に起こされた。あと1時間ほどでデリーにつくらしい。だったらもっと寝かせろ(笑)それからもうつらうつらしながら、遂に列車は33時間かけてデリーまでやってきた。列車はニザムディーン駅止まりなので、そっから列車を乗り換えてニューデリーまで行く。
実はデリーにつていはちょっとびびっていた。駅前の旅行代理店が全てインチキ旅行会社で、脅迫的にツアーの申し込みにサインさせられたり、またニセ警官とグルで、安宿街のメインバザールの入り口で「今日はテロの予告があったから、ここから先は一歩も通さない」とか言って店に連れていき、何倍もの値段でホテルを契約させたりと、被害に遭う人は数限りないらしい。しかもほとんどは騙しやすい日本人というのがむかつく。
そんなわけで、バックパックを背負ってニューデリー駅から出よう物ならさっそくそう言う奴らに取り囲まれてしまう。そんなわけで戦闘モードに切り替えて一気に改札を飛び出すとさっそく来る来る。リキシャ10Rs(嘘言うな)。ガバメントツーリストオフィス(ニセモノ)。チープホテル(客引き)全て振り切って早足でメインバザールに突入した。声をかけられたときちょっとでも躊躇すると、その後かなりしつこくつきまとわれるので間髪入れずに「No」と言うのがコツだ。
無事バザールに入ってからもいろいろ声がかかるが、ここはもう安全と確認の取れている宿に直行する。宿はDown Town という所で、部屋は狭いけどたいそう綺麗だった。ただ窓が無いので暑いのは仕方ないのだが、冬ならさぞかし良いところだろう。
そしてシャワーで二日分の汗を流すと、一気に街に飛び出す。到着そうそう無謀にもデリーでするべき用事を一気かたづけようというのだ。
箇条書きにすると
・日本大使館で、イランとパキスタン宛のビザ取得の為の推薦状をもらう&郵便物の受け取り
所用10分。ただパスポートの緊急連絡先のページをその場で記入させられてしまった。
そして今回の救援物資は、な、何と!「関西ウォーカー」だった。
・パキスタン大使館でビザ申請
日本人はその日の4時に発給してくれるらしい。3ヶ月有効の1ヶ月滞在可。無料。
・アメリカンエクスプレスでTCを崩す。
パスポートが無いのだが、身分証明書で可だった。
・イラン大使館でビザ申請。
ツーリストビザを申請するべく、嘆願書と旅行計画書まで作っていくという念の入れようだったのだが、ラホール領事館事件以来そういう日本人が激増したのか、今ではもうとりつく島も無いという感じで却下されてしまった。トランジットで7日間のみ。1週間後発給。パスポートは発給日のみでOK。
・マクドナルドで遅い朝食
冷房が利いているのと、お釣りをちゃんと用意しているのに感動。
・宿で少し休憩
・パキスタンビザ受け取り
インド人申請所は外にあって、たくさん群がっていたのだが、日本人の自分は中に通されてすぐに受け取る事ができた。
・アメリカンエキスプレスで両替
イランビザ代も込みで$100
・駅で切符の予約
外国人オフィスが閉まっていたので、インド人の行列に1時間半並んでようやく入手。しかも自分の番は空席があるのを確認していたので、たったの3分で終わった。
これだけを終えるともう日もどっぷりとくれていた。まったく目が回るほど忙しい一日だった。夜は日本人が多いという食堂に情報を集めに行ったのだが、そこでばったりとコヴァーラムで会った「二人っ子」とその友人に再会した。なんでもコーチンから一気に北上してきたとか。他に「モバイラーカップル」と一人でイランパキを横断しようという勇敢な女の子、略して「勇子」←止せ と食卓を囲んでいろいろと情報交換をした。
やはりメールや掲示板をこまめにチェックしている自分が一番多くの情報をもっていたようで、大した情報は得られなかったが、久しぶりに他の旅行者と旅の話が出来て楽しかった。
夜は関西ウォーカーを読んでいたのだが、「今日本ではクランベリーと言うのが流行っているらしい」とか「携帯電話がカラー液晶になった」とか「大ファンの永作博美が松ちゃんのドラマに出ているらしい」とか「プレステ2が発売されたらしい」とか、他にも全然知らないバンドやら。もうかなり浦島状態が進んでいるようだ。
そしてそれらを読んでいると何だか無性に日本に帰りたくなってきた。今までは懐かしいと思っても帰りたいと言うことは無かったのだが。でもとりあえずイスタンブールまではこのまま突き進むしかないのだ。もし本当に帰りたければ、そこで安いチケットが手に入るだろうし。
それにしても日本の女の子はかわいいなあ(笑)
5時に起床。さっそく荷物をまとめる。今日乗る列車は何と豪華なシャタブディエクスプレスというエアコン食事付きの列車だ。6時発なので乗り遅れるとシャレにならない。
駅につくともう既に列車はホームに入っていた。しかも一番ホームなので全く階段を上らなくていいのがいい。さすがお金持ち列車なのだがしかし乗り込んで気が付いたのだが、どうも椅子の向きと進行方向が違うような気がする。まあ支線をぐるっと回ってアグラー方面に向かうのだろうと思っていたら、何と列車は後ろ向きに走り出した。
「引き込み線に入るのだろう」と思っていたら列車はぐんぐん加速していった。そして時速約120キロで全員が後ろ向きにアグラーへ向かう。椅子が回らないのは仕方ないのだが、せめて旧型の新幹線みたいに、後ろ半分を逆向きにするとか考えればいいのに、アホすぎ、、さすがインド人(笑)
その後も列車は猛スピードで後ろ向きに走り続け、通常なら3時間半かかるところをわずか2時間でアグラーカント駅に到着した。ここアグラーは、インド三悪ボッタクリ都市だ。他の二つは当然デリーとバラナシ。去年は睡眠薬だか下剤だかを盛って日本人をカモろうとしたら量を間違えたらしく、二人殺されている。どうやらここは地元民とのふれあいなど求めてはいけない場所らしい。
駅から出ると、おびただしい数のリキシャがつきまとってくる。当然間髪入れずに「No」だ。一台しつこいのが延々1キロ以上付いてきた。よっぽど日本人は騙しやすいのだろうか?そのしつこさが余計に怪しい。「いらないから付いてこないでくれ」と何回言っただろう。きりが無いので冷静に大声で怒鳴ると何だか捨てぜりふを吐いて立ち去っていった。
全てがそんな悪い奴ばかりじゃないのは分かっているのだが、とりあえず駅、バスターミナル、タージマハルの前に居る奴はすべて悪だと思った方が良さそうだ。
宿も宿ぐるみで薬を盛ったり盗難したりという宿が何軒かあるらしく物騒なので、素直につい最近帰国したという「夕子」の助言にしたがってSakuraという宿に泊まることにした。名前の通り日本人が多い宿らしいのだが、この時期はさすがにだれもいない。自分の他にはインド人のカップルが一組泊まっているだけのようだった。
荷物を下ろすとさっそく一番の目玉タージマハルに向かう。こうも忙しくアグラーにやって来たのは実は訳がある。以前タージマハルの入場料は15Rsだったのだが、つい最近何と外国人だけ500Rsに値上げされたのだ。なんと33倍。もちろんそんな大金を払うのはバカげているのだがこれには抜け道があって、金曜日は入場料が何と!無料になる。そんなわけで、バックパッカーは金曜以外にはタージマハルというかアグラーにやってこないようだ。ゲストハウスはさぞかし打撃をうけているだろう。
タージマハルまではバスがあると思っていた。最悪無くても乗り継いで行けばいいのだ。だがしかし、バス乗り場の案内所に聞いてもその辺の売店の親父に聞いても「そんな物は無い。リキシャで行け」の一点張りだった。何だか街ぐるみでボろうとしているのかと勘ぐってしまう。少なくともアグラーフォートへ行くバスはあると宿の親父に聞いているのだ。
仕方がないのでとりあえずツーリストインフォを目指す。一日観光ツアーなるものがあったのだが、今日は入場料無料の日なのにも関わらず値段が高すぎるので却下。「何か方法無いの?」と聞くと「この辺にいるリキシャなら悪質じゃないので交渉すればOKだ」と言うことなのでリキシャを拾う事にした。
一人のリキシャの上で昼寝をしてるおじさんに聞いてみると、あまり英語をしゃべれないようだ。なかなかいい感じなのだが、何だかおじさんが言うには今は昼寝したいから、out of serviceだとか言う事らしい。なんだか駅前のリキシャとあまりにも正反対で思わず声をだして大笑いしてしまった。
そして次に走ってきたのを止めると少し高かったので値切って(でもかなり美味しい値段だと思う)乗ることにした。なかなか暑くてつらそうだったのでペットボトルを差し出して「飲む?」というと嬉しそうにゴクゴクと飲んでいた。そして何だか少しスピードが上がった(笑)
タージマハルは情報通り無料でゲートをくぐると遠くに例のネギ坊主が見える。これはすごい!写真で見たのとは大違いだ。一体いくらかかっているのだろう?事実ムガール帝国は建築狂の王様がこれにお金をつぎ込みすぎて財政がガタガタになって滅んだとかいう噂なのだ。しかし、どれだけお金をかければこんな莫大な量の大理石が集まるのだろう?
日陰に腰掛けていると、列車で見かけた日本人がいたので話しかけてみる事にした。この時期の旅行者は大体長期なのだが話を聞いていると会社員らしい。「よく休み取れましたねえ」というと「今ゴールデンウィークなんですよ」と言われてしまった。言われてみればそうだ。去年もクライストチャーチに居たので完全にそう言う感覚が無くなっている。何よりも仕事をしてないのがでかい(笑)
その後はアグラーフォートに向かうのだが、結局歩いていくことにした。タージマハルからアグラーフォートではお土産屋が立ち並んでいて、ひっきり無しに声がかかる「ヘイジャパニ」「チョトマテミルダケ」いつものやつだ。それにしてもむかつくのは、初対面の相手に向かって「おい日本人!」は無いだろう。そのたびに心の中で「だまれインド人!」とツッコむ(笑)
そしてそんなことを繰り返しているとやがて城壁がどんどん迫ってきた。フォート自体はなかなかの物なのだが、別にとりわけ特別な感想は無い。ただフォートの上から見るタージマハルが遠くかすんでいて幻想的だった。丁度川の上にあるように見えるのだ。
そして建築狂の王様は結局息子に幽閉されて、晩年このフォート塔の中から川に浮かぶタージマハルを眺めていたとか。そう言う君に送る言葉「過ぎたるは及ばざるが如し」(笑)多くのインド人にも当てはまるかも。
フォートからも結局歩いて戻ってきた。全歩行距離、約10キロといった所だろうか。日差しはきついものの、ここ数日のアグラーの気温は異常に低いらしい。(といってももちろん30度ぐらいはある)。夕方から天気は大荒れになって雷と暴風そして大雨。窓を開けると冷たい空気が一気に吹き込んできた。
一泊の予定だったのだが、朝起きると何となくのんびりしたい気分だったのでもう一泊する事にした。たぶんここ2日だけの事だと思うのだが、アグラーは思いのほか涼しい。先週は48度まで上がったと聞いていたので少しびびっていたのだが、昨日は雨が降ったので30度以下まで下がったようだった。それにこの部屋にはエアクールといわれる水エアコンがあるのもいい。
昼前に起き出して、アグラー郊外の見所ファテープルシークリーを見に行くことにした。ここはいつぞやの王様が首都を移したのだが結局水不足で放棄されたという所らしい。規模は大した事は無いのだがとにかく保存状態がこの手の遺跡にしてはかなり良い。
あと建築も完全にイスラムというのではなく、インド様式も取り入れられていてタージマハルなどとはかなり感じの違う建物になっている。
ここもアグラーなので、客引き物売りとなかなか大変だ。朝でかけるときに宿の人に「土産物屋とかちょっとミルダケ には絶対着いていかないように」と注意されていた。事実聖者廟をうろついている時に一人の男に声をかけられたのだが「この扉の向こうにモスクがあって、自分はモスクで働いている。そして今から礼拝があるから是非見に来てくれ」というのだ。
しかしこの聖者廟は壁の外側は旧市街になっているのでそんな物はあるはずが無い。そして見かけもヒンズー教徒っぽい。そして何よりそのしつこさが怪しかった。「行かない」というとしつこくつきまとってきたがやがて去っていった。全く油断出来ない。
日陰で休んでいると一人の日本人青年に会った。お互い長期旅行者なのでいろいろな旅の話をしたりしながら、その後は宮殿の方を一緒に回ることにした。宮殿の方は有料(といっても5Rs)なのだが、不思議とあれだけ溢れているインド人が全くいない。中にはほとんど人は居なくて白人のバックパッカーが少しいただけだった。
宮殿もこの町の建築様式を踏襲していて、面白かったのはピラミッド型に5段ぐらいに建てられたテラスで、昔の王様はこの上から下の庭をチェス板に見立てて人間チェスを楽しんだらしい。それにしてもデジカメのメモリーカードを忘れてきてしまったので全く記録が残せないのが残念だった。
夜は街をうろついてみた。昨日歩いたエリアはいわゆる観光客の多いところ+下町だったのだが、今日行ったところは韓国のLGグループやSONYの看板が出ていて驚いた。アグラーにも結構近代的なマーケットがあるのだ。適当に入ったカフェでマサラドーサを食べてからアイスクリーム屋に寄って夜道を帰った。
突然だがジャイプールはあきらめてデリーに帰る事にした。まずジャイプールは今の時期ものすごく暑いと言うこと。それと前回デリーでホームページの更新とメールの受信が出来なかったのでそれを片づけてしまいたかったのだ。
7時半頃に起き出して荷物をまとめてアグラーカント駅へ。そして切符を買うのだが豪快に横入りされる。最後は横入りしてくる奴らを押しのけて何とか切符を買うことにした。もちろんセカンドクラスだ。
しかしこれがあとで少しトラブルになる。列車を待っているとゴン中山に似た日本人に会って行き先も同じなので一緒に行くことになった。列車が入ってくるのだがどうやらセカンドの座席は前後にしかないらしく、セカンドスリーパーのデッキに荷物を置いて座ろうという事でそのままスリーパーに乗り込んだ。
事実今まで自分が指定券を持っていた時も昼間はさんざんたくさんの人が乗り込んできたので問題ないと思っていたのだ。しかし車掌が回ってきて切符をみて「これは下級クラスのチケットだから90Rs払え」という。しかしアグラー〜デリーの座席と寝台の差額は20Rsも無いのだ。きっと車掌の懐にはいる報奨金(罰金)含まれているのだろう。
自分たちは当然、「座席の車両に行く」というのだが、座席の車両とスリーパーはつながっていないらしい。そしてこの列車はデリーまで止まらないという。自分たちはデッキに立っているだけなのに90も払えないというと、なぜか一人分で良いから払えという。なんだかあやしい。
押し問答が続いていたのだが、なんだか警官が間に入ってきてやばい雰囲気だったので払ってしまう事にした。この親父は正規の車掌ではなく単なるチェックマンだったようで、後から車掌がやって来たのだが領収証を見せると納得していたのであながち不正な請求ではないようだ。
それにしてもインドの階級社会には時々うんざりする。身分の低い人達が自分らと同じ空間に入ってくるのが耐えられないという感じに見える。一度結構やつれたシャツでマクドナルドへ行ったことがあるのだが、金持ちインド人に露骨に嫌な顔をされたり、指をさされてニヤニヤされたりしてえらくむかついた事がある。列車にしろ階級の違う車両同士は完全に分離されていて行き来は出来なくなっているのだ。
まあ所詮100円ぐらいで、なぜか席も貰えたので結果は良かったのだが、、、
デリーにつくと前に泊まったDown Town へまっすぐ向かう事にした。結構綺麗だと言うと「ゴン」も一緒に見に来る事になった。部屋は前に泊まった小さな部屋にしようと思っていたのだが、大きな窓付き、風呂付きの部屋が250Rsというので「ゴン」とシェアする事にした。
「ゴン」はなかなか面白い経歴の持ち主で、以前は制御機器関係の仕事をしていて退職後何とヘリコプターの免許を取ってこれから日本に帰って就職活動するらしい。なんでも日本国内で取った事業用免許という事なので、結構な腕前なのだろう。
今日は何としてもメールとホームページの更新をしたかったので、速攻で出かける事にした。まずゴンと一緒にマクドナルドで軽く食事。それからインターコンチネンタルホテルを目指すことにした。「ゴン」はアグラーで飲んだコーヒーが死ぬほどまずく(水が悪い)美味しいコーヒーを飲みたいという事なので一緒に行くことにした。
インターコンチネンタルはさすが一流ホテル。ビジネスセンターで用件を伝えるとすぐに外部に直接つながっている回線を貸してくれた。ただ料金は市内にも関わらず1分6Rsとかなり高いのだがこの際仕方ない。
無事用件をすませると「ゴン」の提案でホテルのカフェに行くことにした。ケーキとコーヒーで150Rs程かかってしまったのだが、ケーキ、コーヒー共最高レベルの物が出てきた。そして綺麗な調度品や程良いエアコン、そしてインド人上流階級の人々を眺めながらしばし贅沢な気分に浸った。やっぱり貧乏旅行でもたまにはこう言うのが必用だろう。インド人上流階級の生活もかいま見れて興味深かった。
やっぱ疲れた時は贅沢に限る?
そう言えばデリーは用事ばかりで何処にも行っていない。そんなわけで朝から観光へ行くことにした。
デリーの見所は色々あるらしいのだが、何となくクトゥブミナールというイスラムの塔を見に行くことにした。ここは何だか中央アジアと関係が深いらしく、彫りの深いレリーフが綺麗に残っている。塔もなかなか立派な物で煉瓦積みのような感じで作っているのに高さは70mを越えているらしい。
ただ今は上には昇れないらしく少し残念だった。
夜は例のゴールデンカフェに行くと何とまたまた「ふたりっ子」+友人にばったり会った。なんだかダラダラとビザ申請をしていてまだまだデリーから出れないらしい。たぶん今後のルートもほぼ同じなのであちこちで会うのだろう。
事実ゴールデンカフェにたむろって居る連中の中には西を目指す人も多くて彼らにもこれから何度となく出会うのだろう。再会が楽しみだ。
日本は今どうなっているのだろう?
ホームページの読者の「えす」さんが送ってくれた関西ウォーカーはほぼ全てテレビ欄まで読破してしまった。そんなわけで新しい情報を仕入れるべく日本大使館直轄の日本情報センターへと向かう。
入り口でサインをしてさっそく中の図書館へ入る。中には新聞や日本の雑誌がいくつか置いていた。なぜかインターネットマガジンやYahooなんて雑誌が置いてあったのだが、最近の日本のコンピュータ事情からはすっかり取り残されていたので真っ先に手を着ける事にした。
ハード関係の情報があまり無くてガッカリだったのだが、日本では既に家庭でも無線LANとかルーターとかを使ってネットワークを作る人が多いとか。あとはNTTの新しいIP交換サービスとか。日本に帰った頃には専用線が安くなっている事を祈るのだが。
次ぎにいよいよ新聞。どうも最新の物とかなり古い物しかないようなので最新の物から取りかかる。バスジャック、人を殺してみたかったという少年の殺人、なんだか日本も物騒になったものだ。
特に大きなニュースは無いのだが、週間ASAHIとかで森首相がずいぶん叩かれているようだ。なんでも6月に総選挙をやるらしい。何だか週刊誌には「自民党の最期」とか何とかいうタイトルで好き勝手な事が書かれているのだが、たぶんトルコ辺りで結果を知ることが出来るだろう。もっとも日本を離れてもう8ヶ月その辺の事には余り興味は無く、やっぱり自分には関西ウォーカーの方が為になるかな(笑)
今日は「ゴン」が日本に帰る日なので朝から小さい部屋に引っ越す。握手をして別れたのだが結局マクドナルドで再会。一緒に朝食を食べたりして今度こそお別れをして一路イラン大使館へ。
大使館へ行くとさっそく申請書を確認して(本国からの返信?)から振り込み用紙をくれた。そしてそれからが大変でこの振り込み場所の銀行までがえらく遠い。行きは歩いていったのだが帰りはさすがにリキシャを使ってしまった。流しを拾うと10Rsで行ってくれたのだがたまっている奴らに10Rsと言うと全く相手にされなかった。
再び大使館で振込用紙を見せると既にビザは出来ていてすぐにパスポートが帰ってきた。たった7日のトランジットビザに$50もの申請料がかかるのは納得できないのだがこの際仕方ない。ラホールまで行って再び戻ってきた人達よりはましだろう。
やっとの事でビザを手に入れて今度は日本大使館。なんでも5月3日に写真を送ったと言うメールを受け取ったので今日がデリー滞在最終日なので確認するためだ。しかし写真はまだ届いておらず受け取る事は出来なかった。やはりインドには余裕を持って発送しないとダメなようだ。
午後からはデリー駅の外国人用オフィスへ向かうのだが、またまた駅を歩いていると「ガバメントのツーリストオフィスはこっちだ」とかアホインド人が群がってくる。「うるさい!」と一喝すると猿の様に歯をむいて「シャーッ」と悔しそうに去っていった。
さすがに外国人用オフィスは空いていて今回はバンガロールと違って老人も退役軍人もいないのできわめてスムーズにいった。マレー人のバックパッカーと知り合っていろいろしゃべっているうちにアッという間にチケットが手に入った(とはいってもインドにしてはという事だが)
しかし彼は銀行の両替レシートを持っておらず、なにやら外貨窓口の方に並び直したりと少し手間取っていたようだったが。
こうして夕方までには全ての準備が整ったので、メインバザールをふらつく事にした。全て完了したので心に余裕があるのか、今までほどいろいろ腹も立たなくなった。メインバザールも外れに行くとそんな悪質な物売りも少なく、一言二言会話をかわしながらどんどん進んでいく。インドではいろいろ騙されそうになったけど、あそこまで強硬になることは無かったかなと少し思う。まあ、そのおかげで、トラブルに会わなくて済んだのでその辺はどっちがどうとも言えないのだが。
バザールの一軒の店で超薄手の長ズボンを一着購入した。60Rs。これからはいよいよイスラム圏なので半ズボンははけなくなる。なかなか色といい布地といい涼しげでいい感じだ。
いよいよ明日からまた旅が再開すると思うと少しわくわくする。
まだ暗い午前5時に起き出してあわただしく荷物のパッキング。そしてひんやりとしたメインバザールを駅へと向かう。今回は豪華列車ではないものの、最近あまりにも暑いのでエアコンクラスにした。
実はインドの列車は全くつまらない。まず窓がめちゃくちゃ小さいのでほとんど景色が見えないのだ。しかもエアコンクラスは上流クラスの「日に焼けたくない人」が対象なので窓ガラスも汚い茶色のスクリーンが貼られていてよく見えない。とはいうもののこの時期500キロもの距離を快適に移動するにはやはり列車しか無いのだろう。
今日の列車は何だかうるさかった。おばさんの集団や泣き叫ぶ子供やらで、これはもう少し何とかして欲しい。子供は何だか「食事が気に入らない」とご立腹のようだったが、対照的にガラス1枚隔てた外側には食べる物も無く右手を差し出す子供達がいて何だか複雑な心境だ。
列車は予定通り昼過ぎにアムリトサルの駅に到着した。ここはシーク教の街なので多くの人が頭にターバンを巻いている。そしてシーク教徒だからなのか、他の街に見られるようなしつこい物売り、ボッタクリなどはあまり見かけなかった。単に田舎だという事なのかもしれないが。
宿は旅行者が集まるというツーリストインという所に取る事にした。これから行くパキスタンはとかく情報が不足している。アジアと違ってインドの日本人宿やレストランにある情報ノートというのはどうも役に立たない。ただの仲良し伝言帳と言った感じで全く情報が書かれていないのだ。
しかもパキスタンは命の危険は無いにしても、警察が少し腐敗していて、ある白人は検問の警官に身ぐるみ全部持って行かれたとか聞いている。そして国境もかなり腐敗しているとデリーで聞いたので少し心配だったのだ。
宿に着いてみると結局泊まっているのは自分とフランス人二人組だけだったのだが、このフランス人二人はまさにイラン、パキスタンを越えてきたというのでいろいろな情報を聞くことが出来た。しかも何と自転車で越えてきたというから驚きだ。結局彼らは自転車で旅したにも関わらず何らトラブルには会わなかったそうだ。まあ用心には越したことはないのだが。
懸案あったイランビザの件も2回ほどは延長出来ているようだ。その辺りはラワールピンディのポピュラーインという宿に行くとたくさん情報が手にはいるだろうとの事だった。
荷物を下ろすとさっそく観光だ。この町の見所はもちろんシーク教の総本山、ゴールデンテンプルだ。さっそくリキシャを捕まえて行ってみるとだんだんと金色のドームが近づいてくる。預かり所で靴を預け、頭にタオルを巻いて髪の毛を隠す。これはシーク教の掟というかそういうものらしく、この寺院に入るには必ず髪の毛を隠さないといけないらしい。
そして洗い場で足を洗っていよいよ寺院内部へ。面白いのは寺院は回りの土地よりも下がったところにあって、これは祈るときは日常よりももう一段下がったところからというシークの教えから来ているのだとか。メインの建物の回りは大きな掘があって、参拝者は橋を渡って寺院に入るようになっている。
寺院の中はシークの教典が祭ってあるのだが、その両脇にオルガンと太鼓とそして歌を歌う人が座っていてなんと生演奏をしているのだ。そう、外で流れていた音楽はこの生演奏で、これは夜中もずっと続いているらしい。きっと3交代とかでやっているのだろう(笑)
ここの寺院はヒンズー寺院の様に排他的な雰囲気は無く、礼拝者や槍を持ったシーク兵も目が合うとほほえんだり、軽くウインクしてくれたりしていい感じだ。掘の回りの回廊では信者による清掃が行われていた。100人ほどの人達がバケツで水をくんで片っ端から回廊に撒いていく。そしてモップを持った係りが水を切ってまわるというものだが、なんだか和気藹々としていた。
次ぎに行ったのは、アムリトサル大虐殺の現場となったという庭園だ。ここはイギリス政府の集会禁止条例に反対したインド人が集会を開いていた時に、当時のイギリス軍が機関銃で無差別に銃撃して400人ほどの人が虐殺されたらしい。広場の一角には当時の様子を記した巨大な油絵が展示されていた。
なんだか昼過ぎについて観光地を回るという、南インドを回っていた時のペースに戻っているが、とりあえず明日ちゃんと目がさめたらパキスタンへ抜ける予定だ。インドにはなんだかんだ文句を言いながらも40日もいた計算になる。インドを一言で語るのは難しいが、今回は時期が悪かったこともあり「楽しく感動したけどやっぱり嫌いな国」だった。さらば"愛すべきアホアホ国家"インド!
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