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今日はいよいよ7日間のトランジットビザが切れる日だ。イランビザの延長は現在はとても厳しくなっていて、トランジットビザは1回きりしかもたったの5日しか貰えなくなってしまった。ここイスファハンは少し条件が良くて6日貰えるケースが多いのでここで延長する事にしたのだ。
いろんな人がいろんな方法でトライして、ある人は10日延長出来たり、ある人は5日だったり。話を聞いていてもまちまちで傾向がつかめない。同じ様な理由で申請しても日数が違ったり、女の子で泣いたら10日貰えたとか。男女ペアで行って「女の子を守らないといけない」といって多めにもらった人もいれば同じ理由でも6日しか貰えなかった人もいる。まったく基準ぐらい作って欲しいものだ。
朝から髭を整え、一番良いズボンを履いて、もちろん靴も。そして暑いのに長袖を来てイミグレーションに向かう。トランジットビザの処理は全て女の係員が一括してやっているようで、必要書類を渡すと無愛想に申請書をくれた。
言われた通りに記入するのだが、理由欄はイランに対するおべんちゃらと「イランの文化を学ぶにはもっと日数が必用」とかいうもっともらしい理由を書いた。そして窓口に出すときに「僕は明日が誕生日なので、ぜひイランの文化を勉強する機会をプレゼントして下さい」と言うとパスポートを見て少しほほえんだ様な気がしたので「よっしゃ!いけるかも!」と思ったのだが、結局延長はっったの6日だけだった。
ひょっとしたら自分のすぐあとにもう一人イギリス人が来たので一人だけには出せないのか、それともただ決まりにそって運用しているだけなのだろうが、なんだか歓迎されてないような気がしてちょっと観光気分が失せてしまった。とはいうもののせっかくだから通り道にあるアルメニア教会を見て帰ることにした。ここは「必ず先に博物館へはいる事」と書いてあったので言われた通りに入って見たが、今の自分の興味を引くようなものは大してなかった。
そして期待せずにメインの教会に入って見るとこっちはすごかった。内部が全面壁画になっていて、拷問の様子やイエスの誕生から処刑までの物語、そして最後の審判など圧巻だ。しかも壁画は金を多く使っていてとても華やかな物だった。しばしぽけーっとアホづらをしながら見上げたあと教会を後にして宿に戻る事にした。それにしてもこの教会のある地区はアルメニア人の居住区らしく、高級そうな店が立ち並んでいた。
例によって昼寝をしてから起きると何人か日本人がチェックインしたようだった。とりあえず挨拶&自己紹介なんかをしてしゃべっている間に夜になってしまったので、またまたイマーム広場へ。
今日もいつものようにいくつか強制ピクニックに参加した。今日の家族にはなぜか英語ぺらぺらの中学生が一人いた。泊まっている宿と同じアミールという名前で、なかなかしつけのされた礼儀正しい少年だった。いろんな話をしていたのだが、彼の住所はモラディ St.という所なのだが、これは彼の名字と同じで、何でも彼のおじさんがイラン=イラク戦争で戦死した為、その功績をたたえてこの名前が付けられたそうだ。同じ様な場所がイランには数限りなくあるらしい。
それにしても広場は幸せそうな家族でいっぱいだった。
ホームページの更新は、当然イランのインターネットという事で自由には外につながらないのだろう。サーバーまでIPが届かなかった。しかしたくさんのメールを受信出来て本当にうれしかった。これが今の自分には何よりの誕生日プレゼントだ。
「誕生日おめでとう」のメッセージも何件か届いていた。HPの読者や旅で会った仲間。そして5才からのつき合いになる幼なじみの女の子(主婦)からも。はやくトルコに着いて返事を出したい気持ちでいっぱいだ。
その後はとりあえず明日テヘランへ向けて出発する事にしたので、この前現像した写真のたばを日本へ送るべく町中の中央郵便局へ向かう。郵便局は全く英語が通じない世界だった。とりあえず写真を見せてこれを送りたいと言うと「あっちへ行け」とか「こっちへ行け」とか知らない人達が適当な事をいう。
やっとの事で窓口を探し当てると1枚の大きな緩衝剤入りの封筒をくれた。それにしても結構な重さで写真を入れて量ってもらうと600gを越えていた。やっぱり1000円ぐらいかかるかなあと思いドキドキしていると係員は言った「2000トマン」(20000Rls)うーんこれだけ送ってたったの200円ちょいか?万国郵便連合は一体何をしてるんだ?
イスファハンでの用事を全て終了して今度は「自分にプレゼント」という訳でも無いが夕暮れのチャイハネを目指すことにした。どうせ一人だし、今日はゆっくりと川を見ながら考え事でもしたい気分だった。最初にポレハージュ橋までバスで行って川沿いに座る。やはり一人で座ってるといろんなのが寄ってくる。すごく話していて気分のいい人もいるが、はやり半分ぐらいは自分の好奇心を満たしたいだけの相手の事は何も考えてないような人達だった。
逃げるようにして今度はチャービー橋へ。ここはチャイハネが有名なのでさっそくチャイを頼んで外に持って出て川を見ながらお茶をすすっていると又アホな若者が寄ってきた。例によって下ネタ。無視してても肩をつんつん突いてくるので猛烈にウザい。
茶を飲みきってその場を立って今度は橋の反対側へ行ってみると橋の下に誰もいなくて回りからあまり目立たないいい場所を見つけた。橋の下に座って流れや遠くに見える夕日を眺めていた。
東南アジアをまわっていた時は地図をみながら「5ヶ月もかかってまだこんな所にいるのか?」と愕然とした事があるが、今日また川辺で地図を開いてみると、ずいぶんと遠くまで来たものだ。これまでの旅の事を思い出したり、自分は何処まで行くのだろうとかいろんな事を考えている間に夕暮れは夜景へと変わっていった。
とにかく来年の誕生日は出来れば日本で迎えたいなあと言うのが今の気持ちかな。
イスファハンに思ったより長く滞在したので何だか久しぶりの移動という気がする。早めに起きて朝食を食べて8時半にはもう宿を出ていた。イランのタクシーはかなりボリボリなのでおとなしくバスに乗ってターミナルへ。
ターミナルにつくと早速たくさんのバスの客引きがやってくる。ここはかなり競争が激しいのだろう。ここ最近1番バスにもちょっと不信感があったので、TBTという会社に行ってみると、ここはVOLVOのはいデッカーは置いて無いらしい。とりあえずいつも横を抜き去っていくVOLVOに一度乗ってみたかったので、またまた1番バスに乗ることになってしまった。
バスはなかなか快適で冷房も寒いくらいに効いていた。ただお菓子やドリンクのサービスのタイミングが最悪で、もうテヘランに着くという昼食休憩の後にいきなりドリンクがやって来たりであまりサービスの意味は無かった。
テヘランはとにかくこれまでにない大都会で、こんな街はデリー以来だろう。バスは市内をかなり走ってから小さなターミナルに滑り込んだ。ここはテヘランにある3つのターミナルのうちのどれでもなく、なんだか特別な場所らしい。セイロサファルと1番バスが共同で使っているような感じだった。
周りのおじさんに現在地を聞いて路線バスで安宿のあるイマームホメイニ地区へ。イランの安宿はやはり少ない。旅行者が少ないので需要と供給はうまく行ってるのだが、なにせ一軒潰れると結構影響が大きい。事実この辺りの有名な安宿カザルシーホテルは潰れたようだった。そんなわけで、何かとスタッフの評判の悪いマシュハドホテルへ。
とりあえず部屋はとても綺麗で合格点だった。スタッフも僕が着いた時の受付はなかなか良かった。ただ「洗濯禁止」とか「シャワー有料」とかいうのが少しウザかったのだが、まあ長期滞在する訳じゃないので良いだろう。
そして宿が決まると待ちに待った日本食だ!ここイランには瀬里奈という(イランにしては)超高級日本食レストランがあるのだ。そしてここの名物はキャビア寿司。そんなわけでバスを乗り着いて向かう。ところがバスのルートが地図と全然ちがって、住宅街の変な所で終点になって下ろされてしまう。仕方なく地図を見ながら30分ほど歩くとお目当ての瀬里奈に到着した。
中に入って見るとなるほど高級だ。川が流れていたり、水槽のある寿司カウンターなんかもある。早速座敷に通されてキャビア寿司とすき焼きを頼んだ。しばらくすると見なれない寿司が2つやってきた。「おおこれがキャビア寿司!」名物なので食べてみたが味の方は「別にイクラとかわらんやん」という程度だった。うむむすき焼きよりも高かったのに、、、
しかし次に出てきたすき焼きはなかなか頑張っていた。良くイランでこれだけ材料をそろえたなあと思う。白菜はもちろん椎茸や香りの野菜なんかも入っていい感じだ。当然ご飯に卵もついているので煮える直前の所をご飯と一緒に一気にかき込む。
「はふはふ、、、」これは旨い。実は今日の食事ではこのすき焼きセットよりもキャビア寿司の値段の方が遙かに高いのだ。このすき焼きセットで大体600円ぐらい。これでテヘラン一高級とか言われてるのだからやっぱりイランは物価の安い国なのかも知れない。
大満足で帰るのだが、これがまた大変だった。テヘランのバスは番号が打ってあって、簡単に行き先が分かるので普段は全く問題無いのだが、夜遅くなると運転手が小遣い稼ぎなのか、勝手に全然違うルートを走り回る。そしてちゃんと「128」と書かれたバスに乗ったのにとんでもない方向に走り出して、値段も500リエル(普通ではあり得ない)で結局「ここどこよ?」と言うほど最果ての東ターミナルの方まで連れて行かれてしまった。
親切なイラン人のおかげで乗り合いタクシーを乗り継いで戻る事が出来たのだが、やはり外国人と見ると思いっきりぼってくるので交渉もなかなか大変だった。一人のドライバーなんかは、他の乗客が居なくなると「やっぱり2000」とか言ってくる。強い態度で言うと結局1000ですんだのだが、イラン人もけっこうインド人化してきているような気がする。
それにしても600円の誕生日プレゼントはなかなかだった。
昨日は「ダブルしか無い」と言われたので今日は朝からシングルの部屋に移ろうと思っていた。そしてレセプションで聞くと「今日はフルだ」と嘘をつく。「部屋が空いているじゃないか」というと「既に予約が入っている」とまたまた嘘だ。誰がこんな宿に予約入れて泊まるねん!まったく。
かなりむかついたのだが、まあもう一泊なのでいいやと思い「わかったけど、これあちこちの情報ノートに書くからね」というとしばらくしてから向こうの方から「シングルルーム ノープロブレム」とわざわざ鍵を持ってきてくれた。それって嘘って事を認めてるわけで、逆効果だと思うんだけど、、、
ともかくシングルルームをゲットして目指すは近所の博物館。博物館自体はそれほどの規模の物でもないのだが入場料は何と30000リエル。少し前まで150000だったらしいのだが、ここの所イラン全国でどんどん値上がりしている。当然学生証を出して何とか半額になった。
中は紀元前の壺とかから始まりペルセポリスから出土したアクセサリーや小物、そしてレリーフなど。ペルセポリスは実際に行ってきた場所なのでなかなか楽しめた。そういえば「ペルセポリスの中にある博物館は全くつまらないので入ってはいけない」とどこかの情報ノートに書いてあったのだが、そりゃそうだろう。これだけの物をここへ持ってきたのだからもう向こうには何も残っていないだろう。
とっとと見学を終えて次に向かうのは我らが日本大使館。所がここのセキュリティーガード(現地人)かなり感じが悪い。業務開始時間になってもなかなか人が出てこないし、出てきても「なんの用だ?」と聞かれて「これに名前と用件を書け」と金網の隙間から用紙を渡された。そして記入して渡してもなかなか中に入れてくれる気配が無く長い間門の前の路上で待たされた。いろんな大使館に行ったがこんな対応は今までで初めてだった。
インターフォンを押して文句を言おうと思った瞬間係員がやって来てやっと中に入れる事になった。しかし「パスポートを預かる」とか言うのだが、パスポートの増補の為に来たのに預けたら申請出来ないだろう。まったくそんなことも分からないのか。
何とかパスポートを返してもらって申請すると新たに24ページ増えて戻ってきた。71400リエル也。日本で増補すると2500円らしいのだが、イランは闇レート、実勢レート、公定レート(政府の言い値)が別れているので何と900円ほどだ。ともかくこれでまたしばらく旅が出来る。
そしてせっかく来たので新聞を読ませてもらおうと思ったのだがなんでも「今は日本の選挙期間中で海外投票の会場にしてしまったので入れない」とか言われる。いつもだったらおとなしく引き下がるのだがさんざんな対応に少し腹が立っていたので「入れなかった持ってきてくださいよ、せっかく来たんだから」と言うとしばらくして別の係員が新聞立てごと持ってきてくれた。この係員は非常に感じが良くて親切だった。
新聞には選挙の焦点の事や、サッカー日本代表の活躍が載っていた。そう言えばこっちでも街を歩いているとナカタとか声がかかる。でも一番多いのは意外な事に「ジョー ショージ」なのだ。才能の割に精神的な強さが足りないのかイマイチWC本番で活躍出来なかった城だが、モロッコでの試合速報を読んでいるとなかなか頑張っているようだ。何だかシドニーオリンピックが気になるなあ←止せ
大使館を後にしてから、今度はアメリカ「元」大使館へ行ってみた。有名な「Down with U.S.A」の壁画(笑)があるところだ。大使館の門にはアメリカのシンボルの鷲のレリーフがあったりするのだが、回りの壁はアメリカの悪口の壁画で埋め尽くされている。顔が骸骨の自由の女神の後ろにアメリカ国旗があって、赤と白のストライプが鉄条網になっていたり。そして門には「Down with U.S.A」の文字が書かれていた。
あとどういう訳なのか知らないのだが、この壁の上に見張り台があって機関銃を持った兵士が見張りをしていた。一体誰から何を守っているのだろう?とにかくイランは兵隊と警官がめちゃくちゃ多くて、11回バスに乗れば必ず3回ぐらいは検問で止められる。その割にトランクを開けても荷物は開けなかったりで、何だか威厳を見せつけるためだけにやってるんじゃないかと思う。この見張りもその一環かもしれない。
しかしながら、前の選挙で改革派が圧勝したので、そろそろアメリカとの関係修復の噂もでているらしい。そんなわけで最近のイランリエルはかなり上がってきているのだ。そして、ヨーロッパからアジアを往復したデンマーク人によると、ほんとにここ4ヶ月で街の様子や、特に女の人の服装が見違えるように変わったのだそうだ。
言われてみればテヘラン、イスファハンではスカーフはしているものの、完全黒チャドルというのはもはや少数派になっているような気がする。スカーフもわざと後ろにずらして髪の毛を見せたり、短めのコートを着てGパンの裾が見えるようにしたりと、イランの法律ぎりぎりでおしゃれをしようと頑張っているように感じる。
しかし逆にイスラム至上主義の右派がクーデターをたくらんだりという情報も入ってきている。表面的には何も見えてこないのだが、このまま逆戻りしないように祈りたい。
6時半に目覚ましがなる。今日は珍しく全く何の情報も無いままに宿をでる。時計はまだ7時をまわっていなかった。
まずバスターミナルへ行くのだがそのバスを探すので苦労してしまった。西ターミナル行き532番のバスは結構走っているのだが、手を上げても全く停まってくれず、走っているバスを目で追っても何処が停留所なのか全く分からない。
しかたなく信号で停まっている532番のドライバーに「乗せてくれ」というと遠くを指さして「あっちの方に乗り場があるから」と教えてくれる。なるほど市バスターミナルから少し離れた所にそれらしいバスが停まっていた。ふうやれやれ。
そして無事バスに乗って終点のバスターミナルに到着したのだが、これがまた長距離バスのターミナルの入り口からかなり離れていて回りの人に聞きながらたどり着いた時にはもう既に時計は8時をまわっていた。
テヘランのアザディターミナルはなかなか大きくて会社の数も多い。とりあえず聞いてみると「タブリーズは夜行しかない」とか言われる。がーん、、、しかし何軒か回っているうちに10分後に発車するというバスを発見した。そしてちょっと遅れたりしたが僕はあっという間に車中の人となった。
これまでの景色はどっちかというと平原砂漠系だったのだが、ここから西は草原+なだらかな丘という感じだった。途中で居眠りをしていたのだが目がさめて半分寝たまま外をみると「あれ?なんでオレニュージーランドにいるんだ?」と一瞬考えてしまった。その後も景色は変化に富んでいて、いろんな景色が僕の記憶とシンクロする。
昼過ぎに食事休憩を取ったのだが、ここで一人の日本で10年間も働いていたというイラン人に出会った。一緒に食事をする事になったのだが、彼は口を開く度に「日本はすばらしい、私は日本大好き」と繰り返す。でも日本で外国人が生活するというのは結構大変なように思うのだが彼によると、困っていた時は日本人が本当に良くしてくれて助けてくれたから全然大丈夫との事だった。まんざら日本人も捨てたもんじゃない。
結局食事もおごられてしまい、その後も席を移っていろんな話をした。面白かったのは彼は「日本で創価学会に入ったので本当はモスリムじゃないんだ」とか言いながら笑っていた。もう一度日本に行きたいけど、法律が改正されたので不法就労をしていた彼は今後5年間は日本への入国を拒否されるらしい。
ターミナルに着いても最後まで明日のバスの時間を調べたり、街へのバスを探すのを手伝ってくれた。本当にただ日本で受けた恩返しをしたいらしく、最後に「タブリーズで困ったことがあったら電話してきなさい」と電話番号をくれた。
ローカルバスに揺られて市内の中心にはいると、この町は自分の想像を遙かに越えた都会だという事を知らされた。通りに沿って歩いていると何軒かホテルがあったのだがちょっと高級そうだった。しばらく歩くとパークホテルという一見ちょっと高そうなホテルがあったのだが、値段を聞くと30000だと言うので泊まる事にした。
フロントの人もすごく感じがよくて、シングルの料金でシャワー付きのダブルの部屋をくれた。ただ電気が暗かったり、冷蔵庫が壊れていたりというのはご愛敬といった所だろうか。
さっそく街に繰り出す。ここの所自分でも精神的に疲れているなあと思うのだが、まだまだ死んではいないようだ。通りのジュース屋さんでバナナジュースを流し込む。氷をたくさんつかっているようで、まるでバンコクのバナナシェークみたいで嬉しかった。そして少し離れたサンドイッチ屋に入ると、巨大なフランスパン風のものにはさまれたサンドイッチが出てきた。ふうおなかいっぱい。
この町ではツーリストを見かけることは全くなかった。そのせいかあまり変な人に会うこともなく、好奇心で話しかけてくる人達もイスファハンやシラーズの様におちょくった感じはなく、「ただ知りたいんだ」という感じで目を輝かせていて感じがいい。
アルゲタブリーズやバザールを中心に歩き回ってみたのだが、途中でTシャツを買う為に一軒のお店に入った。実はもう3枚あるうちの2枚がもう首回りが穴だらけで昨日その1枚が完全に裂けてしまったので急いで買う必用があったのだ。
店のおじさんは少しだけ英語をしゃべり、とりあえず「店に入って座りなさい」と椅子を出してくれた。すると回りの店の人やら通りがかりの人が集まってきて、いつのまにやら店内は人で一杯になってしまった。近所の店の英語を話せる若者が通訳してくれたりして1時間ほどしゃべっていただろうか。
肝心の服を買おうとするとおじさんは「お金はいいよ」という。さすがにそれは悪いだろうとお金を差し出すと数回断ったあと申し訳なさそうに受け取ってくれた。その後もジュースを出してくれたり「家に招待するよ」と言ってくれたりしたのだが、さすがに10時間を越える移動と寝不足で頭痛も抱えていたので遠慮する事にした。
イランについては、人に本当に良くしてもらい感動する事と腹の立つ事両方があったが、なんだか両方すごく極端な国だなあと思う。日本語をしゃべるおじさんによると「きっともっとたくさんの人がアナタを助けたり話をしたりしたいんだけど、ペルシャ語しかしゃべれないのと少し恥ずかしくてなかなかしゃべりかけれないんだよ」という事だ。今日一日でそれはまったくその通りだと思った。
昨日はたっぷり寝たのでいい感じで目がさめる。早速近所のサンドイッチ屋で朝食。そしてゆっくりと荷物をまとめていたのだが意外と早く終わってしまい、少し早いのだがターミナルへ向かう事にした。ここからマクーまでは約4時間ほどの道のりなのでバスは頻繁にあるのだと思っていたのだ。
所がターミナルに着いてみると次のバスは午後1時にしか無いと言われてしまう。最初はカウンターの親父が自分の会社のバスのチケットを買わせるために嘘を言っているのだろう(インドの常識)と思っていたのだが、あちこちで聞いても本当に1時まで無いらしい。
仕方がないのでイスファハンでもらった「ヨーロッパ鉄道旅行マニュアル」とか言うガイドブックを読んでだりチャイを飲んだりして時間をつぶした。明日はいよいよトルコなのでイスタンブールまで行けばいよいよアジア脱出。本当にヨーロッパはもうすぐ目の前なのだが、なかなか移動費だけでもかなりかかりそうで頭が痛い(笑)
そんなこんなしているうちに1時前になって乗り場へ向かうとこれまでに無くくたびれたバスが停まっていた。会社は7番のものだったが、意外とタブリーズに泊まってマクーへ行く人というのは少ないのかもしれない。
今日の風景は本当におだやかだった。一面の金色の麦畑の向こうになだらかな丘が見える。そして丘の上はどこまでも真っ青な空とまるでわた菓子のようなたくさんの小さな雲。そしていつの間にか眠りをさそい僕は夢の世界へと落ちていった。
目がさめても風景は同じだったのだが、マクーが近づくと遥か向こうに雪を戴いた巨大な山が見えてきた。これが噂のアララト山か。本当にもうトルコは目と鼻の先だ。そんな山に見とれているとバスはほどなくマクーの町外れの道路で停まった。
例によってここから乗り合いタクシーなのだが、やっぱりぼられた。距離的には500なのだが1000とかいう。まあ10円の事で2キロ歩くのもあほらしいのでとっとと乗ることにした。そしてタクシーを降りて通りを見ながら歩いていると手招きをする二人のおじさんがいた。
近寄ってみると安宿のようで、ダブルルームが15000と結構安い。中はそれなりの宿なのだが窓からマクーを取り囲む断崖絶壁が目の前に見えるのが気に入ってチェックインした。
宿が決まるとまたまた外に飛び出す。とりあえず商店街の方に歩いていくとアイスクリームの看板があったので早速入って見ると「今はアイスはなくて、アイスなら向こうに15軒行った所にあるよ」と教えてくれた。
教えられた通りに歩いていくのだが、やはり田舎の人は皆人なつっこくてフレンドリーだ。こんな言い方は失礼かもしれないが、まるで子供のように笑うおじいさん達を見ているとこっちまで嬉しくなってきてしまう。アイス屋さんでトルコリラのレートを教えてもらって帰りに一軒のチャイハネに寄った。ここでも爺さん達が満面の笑で迎えてくれる。
しばらく散歩して宿でシャワーを浴びようと思ったら何と宿にはシャワーは無いらしい。代わりに宿のおじさんがタクシーをつかまえてくれてハマムと呼ばれる公衆シャワー室まで行くことが出来た。ハマムは普通の個室シャワーと脱衣場が合体したような部屋がたくさんあって、たっぷり熱々のお湯を浴び放題でたったの2000リエルだった。
さっぱりして宿に戻ると部屋の窓からは満月が見えた。断崖の上にぽっかりと浮かぶ満月を見ていると何処からか頭の中に「荒城の月」が流れてきた(笑)
明日でいよいよイランともお別れだ。旅行者天国と呼ばれたこの国も急速に変わってきている。タクシーはボり、宿代も物価やインフレを遙かに上回る速度で上昇をつづける。ニセ警官や暴行を受けて荷物を奪われたりする日本人も後を絶たないし、アフガン人に似ているからといって石を投げてきたり絡んでくる変な若者がどんどん増えている。
それでも僕はイランが好きだ。深夜の公園でピクニックする幸せそうな家族達やチャイハネにたむろする老人達の笑顔、日本から帰ってきた不法就労者達の心からの親切。この先どんどん失われていくのかも知れないが、それでも僕はいつまでも忘れないだろう。
ありがとう。そしてさよならイラン!
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