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イタリア編
(ティラノ〜フィナーレリグレ)
 
 


9月7日 ローマの平日(ローマ)

昨日はなんやかんやハプニングがあったものの、わざわざ遠回りした甲斐あって、今回は途中で置き去りにされずにちゃんとローマまでたどり着くことができた。

宿はイスタンブールの情報ノートで調べて置いたKENZOという所にとった。ここは値段はそこそこするのだが、いわゆるこの辺では珍しい日本人宿で、本とか情報とかいろんな付加価値がありそうなので、ここに泊まることにした。部屋の方はユースと違ってすぐにチェックイン出来るのでうれしい。早速シャワーを浴びて荷物を解く。

そして何故かシャワーを浴びると元気いっぱいになって、そのままバチカン市国へと出かけることにした。バチカンといわれても歴史にうとい自分には余り知識が無い。それより昔何かの雑誌であった「バカチン市国」というコラムの方が遙かに印象深い。

とりあえず地下鉄にのってバチカンシティーへ。とにかくローマの地下鉄バスはスリの宝庫らしい。僕にも二人ぐらい寄ってきて、なんとか肘でブロックして耐えしのいだ。

そしていきなりバチカン最大の見所「バチカン美術館」を攻めることにした。ここにはミケランジェロの書いた「最後の審判」の壁画があるらしい。何だかものすごく豪華なレセプションを通って上がっていくと最初はエジプト博物館というコーナーで、エジプト文明の土器やら皿やら像やらそんなのがやたらめったら飾ってあるのだが、この手博物館が苦手の僕はほぼ時速4キロで歩き続けた(笑)

メインのシスティーナ礼拝堂が近づいてくると少しドキドキする。狭い階段を下っていって正月の境内のように混み合った部屋に入るといきなり巨大な最後の審判があった。そして天井には天地創造。これはすごい。さすがにこの美術館のメインだけの事はある。何がどう凄いかというのはなかなか説明しにくいのだが、とにかく緻密なのに巨大なのだ。

とりあえず首が痛くなったところで残りの順路を回ることにしたが、これだけ多いともうごちそうさまという感じで、結局平均を大幅に下回る2時間弱で僕の博物館見学は終了した。

次に向かったのはいよいよローマカトリックの総本山「サンピエトロ寺院」。ここは無料なのがうれしい。そしてさすが世界中からの寄付が集まるのか内部は豪華絢爛だった。しかしそんな装飾よりも僕の目を引いたのは、聖母マリアがキリストの死体を抱いている「ピエタ像」これはミケランジェロの生涯最高の傑作だと言われているが、確かに見てみると他の美術館にあった彫刻とは比較にならない。ミケランジェロはこれをわずか25だか26だかの時に作ったらしい。

その後は何故かデジカメのメモリーがいっぱいになってしまったので、一度宿に帰ってディスクに転送。丁度夜行で疲れていたので休憩も兼ねる事にした。

休憩後はローマに来たら誰もが訪れるというスペイン広場だ。僕はローマの休日という映画は見たことは無いのだが、さすがにアン王女が階段を下りてくるシーンぐらいは見たことがある。思ったよりもこじんまりした場所だなと思ったのだが、それでも訪れる人は後をたたない。そしてここもローマいちにを争うスリ発生ポイントなのだ。

僕は幸い旅慣れて無意識に警戒心が身に付いているのか今のところは大丈夫だが、これはかなり警戒しないといけない国に来てしまったようだ。そしてそのまま近くのポポロ広場まで歩いて結局元来た道を戻って宿まで帰ることにした。

宿に帰るとたくさんの日本人が迎えてくれた。しかもほとんど全員が大学3回生。いわゆる最後の長期旅行のチャンスにユーレールパスとユースホステルでヨーロッパを回ろうという若者達だ。今まではヨーロッパ旅行の王道から外れていたためこんなたくさんの学生に遭遇することは無かったので少し驚きだ。

中に一人24才の無職の男の子がいたのだが、彼でさえみんなから「アニキ」と呼ばれていた。そして僕は恐ろしくて年齢を明かすことができなかったのだ(笑)しかし何となく会話を会わせておいたので、24〜5ぐらいと思われていたようで、同年代にしゃべりかけるようにしゃべってくれて、それがかえってうれしかった。

何だか少し学生時代を思い出してしまった。
 

 
スペイン広場
 


9月8日 ローマ遺跡(ローマ)

今日は朝からローマ遺跡が密集しているコロッセオのある地区へ行った。昨日一日はあまり「ローマ遺跡」と言う物を見かけなかったので、もうあまり残ってないのかな?と思っていたのだが、地下鉄を降りるとそこはもう360度ローマ遺跡状態と言いたくなる程だった。

まず目の前にそびえるコロッセオ。そして反対側にはフォロ・ロマーノとかいう古い遺跡が残っている。凱旋門も何気なくあるしとにかくここに座ってあたりを見ているだけでも充分何じゃないかと思う。

とりあえずコロッセオに入ろうと思ったのだが、いきなりの行列。そしてイタリアのチケット売りはめちゃめちゃ仕事が遅く。すでに100mぐらいは有ろうかという列は、増える事はあっても減ることは無かった。結局中に入るのをあきらめて回りを一周したのだが、所々中が見える所があって、これだけでも充分堪能することが出来た。

次にフォロ・ローマ。ここは入場料がいるという噂だったのだが、何故かタダで入ることが出来た。ここはいわゆるローマ遺跡の集合体。煉瓦と漆喰の建物や、例の柱。そんなのがゴロゴロしている。不幸にも煉瓦のはトルコやブルガリアでたくさん見たし、柱もペルセポリスのと似たようなもので、長旅はするもんじゃないなあとか思ってしまった。

とはいうものの、そこそこ満足して次は音楽家ならはずせないトレビの泉。昔レスピーギという作曲家がいたのだが、彼が作曲したローマ三部作と呼ばれる作品があって、「ローマの祭」「ローマの噴水」「ローマの松」とそれぞれの題材を元にした交響詩だ。そしてそのローマの噴水で登場するのがこのトレビの泉なのだ。

これはどっちかというと噴水というよりも、ドライブインとかにある流れる滝みたいな感じなのだが、その彫刻はすばらしかった。トリトンとポセイドンだかちょっと忘れたが二人の神様がモチーフになっていて、なかなか力強い感じをうける。そしておまけなのだが、ここのトレビの泉に後ろ向けにコインを投げるともう一度ローマに戻ってくる事ができるらしい。僕はそんなに戻りたい訳ではなかったのだが「死ぬまでにもう一度海外旅行が出来ますように」と一枚コインを投げ入れた。

その後訪れたトリトーネの噴水はちょっとハズレだった。そしてその後「ローマの松」の題材になっているアッピア街道にも行こうとバスに乗ったのだが、そのうち疲れてしまって宿に戻ることにした。全て回るともう行く場所が無くなっちゃうしまあいいだろう。

ノルウェーの船の中で会った親子連れにも言われた「新婚旅行とかどこ行っていいのかわからないですね」と。たしかにこれは困ってしまう。新婚旅行はさておき、もしあんな子やこんな子から「一緒に旅行行こう」なんて誘われても困ってしまう。「プラハって最高に綺麗らしいよ」とか「オランダって運河があって素敵らしいわ」とか言われた日には、頭を抱えてしまう(笑)

そんなわけでローマには再訪の余地を残しておくことにする。
 

 
真実の口
「がぶっ」
 


9月9日 サンタルチア(ローマ〜ナポリ〜ローマ)

「ナポリを見てから死ね」という言葉がある。僕はまだ幸いにも死ぬ予定は無いのだが、この年になると同級生の急な訃報をちょくちょく聞くようになる。よく考えたら明日だって生きているかどうかは本当に誰にも分からないのだ。少し冗談っぽくそんなことを考えながら僕はナポリ行きの列車へと駆け込んだ。

ナポリといえば、強盗、マフィア、マラドーナといった所だろうか。あまり良い印象はないのだが、世界三大美港にはいっているらしい。とにかく治安がわるいという噂なので全く気が抜けない。列車を降りると急に全身の神経がとぎすまされていくのを感じた。

そして僕は全神経を外に向けて回りの空気を感じ取りながら港を目指した。確かに古い街並みや遠くにベスビオ火山が見えて良い港には違いないが僕はいささか期待はずれな感じを受けた。まあ良いかなと思い海沿いをずっと歩いていくことにしたのだが、しばらく歩いていると急に目の前に城のような物が見えた。

「見てから死ね」というナポリはまさにここだったのだ。海にせり出した大きな突堤の上に砦が築かれている。そして砦の上から見下ろすサンタルチア港やナポリの街は美しかった。海は緑から彩度を取ったような黒っぽい色で、ドブロブニクで見たアドリア海とはまた違った色なのだが、意外と澄んでいて綺麗だった。

しかも土曜日だったせいかこの砦にはたくさんの結婚式を終えたカップルが来て写真を撮っていた。中には石垣の上に二人で抱き合ったまま寝ころんでポーズを取ったりして、なんだか韓国の結婚写真撮影現場を思い出してしまった。

結局ナポリで入ったのはこの砦だけだったのだが、歩いているだけで海を感じられて良かった。よく考えてみればここは正真正銘の地中海なのだ。僕がイスタンブールで見たのは地中海の一部とも言えない事は無いのだが正式にはマルマラ海というらしい。

帰りの列車の中で僕は宿の大学生に借りた深夜特急の第三便を読んだ(文庫本では5〜6巻)。多かれ少なかれこのような旅をしている人にとっては一種あこがれの本なのだが、今読んでみると前よりもずっと身近な事に感じられる。沢木耕太郎の文章力は凄いと思うのだが、旅の内容自体はごく普通の事に感じられる。

そして僕が「はっ」としたのは「旅は人生と同じで、幼年期、青年期、壮年期と言うのがある」という所だった。このところ僕は今までの旅の事を思い返す事が日に日に増えてきた。旅先で会った大学生に旅の話を聞かせて欲しいと言われる事もあるのだが、何だか話している最中も自分が昔話をしている老人になったような錯覚を覚える。

僕はまだ空っぽにはなっていないのだが、そろそろ旅で例えると壮年期に入ってきたのかもしれない。それは悪いことでは無いのだが、何となく旅の終わりという物を意識するようになってきたのかもしれない。

ちょっと早めにローマに帰ってスーパーで食材を仕入れて宿に戻ると、さらに日本人の数が増えていた。女の子もたくさん来ていて、男性陣はなかなかテンションが高くて見ていて面白い。中でも「ヒゲの彼」はトークもさえていて、ちょっと21には見えないがなかなか場を盛り上げていた。

結局ワインとかを買い込んできてみんなで12時半ぐらいまで宴会をして盛り上がってしまった。
 

 
サンタルチアの卵城と
たくさんの結婚式を終えたカップル
 


9月10日 美術館の街(ローマ〜フィレンツェ)

最近朝シャワーを浴びるのが日課になってしまっている。今朝も早くからシャワーを浴びてパッキング。出発のぎりぎりまで相変わらず「アニキ」や「ヒゲの彼」ほかみんなとどおでもいいような話をする。

今日はいよいよ三大観光地のフィレンツェに向かうのだが、僕は今までの経験から列車の予約をいれなくても自由席で大丈夫だと思っていたのだ。しかし自由席の特急券を買って列車に乗り込むと、ほぼ全ての座席に予約の札が入っていて列車はすし詰めでデッキまでスーツケースが溢れていた。

無理矢理乗り込む事も考えたのだがどうせ急ぐ旅でもないので僕はもう一本後の快速に乗ることにした。残念なのは700円近くもした特急券がもうパンチを入れてしまったので紙屑になってしまった事だが立って行くよりもずっといいだろうと思いそのまま乗り込んだ。

3時間ほどかかってたどり着いたフィレンツェの街は意外と普通の街だった。もっと中世の街並みが残っているのかと思っていたので少しガッカリだったが、フィレンツェの中央にあるドゥオーモという教会はなかなか壮観だった。

まず駅から電話で空きがあるのを確認してからバスでユースへ。そしてバスを降りてユースの看板に従っていくと何だか巨大な庭に出て、その庭を延々歩くこと10分でやっと入り口にたどり着いた。何だか昔の大邸宅をYHにしたようで、建物も歴史の感じられる。とにかくチェックインして落ち着くことができてやれやれ。

そして再びバスに乗って町中へ。まずドゥオーモでバスを降りた。ここフィレンツェは教科書級の絵や彫刻、美術品が半径数百メートル内に密集しているらしいのだが、何となく今の自分はあまり魅力を感じる事はなく、とりあえずドゥオーモとあと街並みを冷やかす事にした。

ドゥオーモは有料だと聞いていたのだが、なぜかタダで入れた。そして中にはいるといきなり荘厳な合唱が聞こえてきた。どうやら今日は一般向けの無料コンサートの日だったらしい。曲はロッシーニの組曲らしく、最後はハレルヤの合唱で締めくくられた。場所が教会だけに少し反響しすぎという感じもするが、教会の雰囲気と合わせてなかなか満足の行く1時間だった。

その後は川沿いの家が建ち並ぶ橋とか広場とかをいろいろ歩き回った。フィレンツェも奥へ入っていくと結構良い街並みが残っていて結構楽しめた。宿に戻ってテラスに出ると夜空にレモン色の月がぽっかりと浮かんでいた。
 

 
フィレンツェのドゥオーモ
 


9月11日 止める人達(フィレンツェ〜ピサ〜ルッカ〜フィレンツェ)

フィレンツェの周辺はトスカーナ地方と呼ばれて、中世の街並みが多く残っているらしい。そして昨日のよる偶然ユースの壁に張ってあった「LUCCA」という街のポスターがあまりにも綺麗だったので今日行ってみる事にした。

例によって時間も調べずに駅に行ってみるとしばらくルッカ行きは無いというので、先に斜塔で有名なピサに行ってみる事にした。例によって列車は遅れるのだが、それでも2時間半ほどでピサの街に到着した。

とりあえずここは「傾いている」のを見れれば良いので、そのまま標識をたよりに斜塔まで歩く。ピサは意外と小さな街で観光客は多いものの落ち着いた雰囲気で歩きやすかった。そして密集した家のすき間を抜けると目の前に写真でおなじみの塔が見えてきた。

最初は傾いている方向からやって来たためにあまり感じなかったのだが、ぐるっと回り込んでいくと思ったよりも傾斜がきつくて驚いた。そしてその傾斜も放っておくとまずいぐらいまで来ているのか、巨大なアンカーから2本の吊り橋の様なワイヤーで引っ張ってそれ以上倒れないように支えられていた。

地盤の回りもコンクリートで埋めたりして、ともかく今は工事中なので人は上には登れないらしい。 とにかくこれが倒れてしまうとピサの街もおしまいなので当局も必死なのだろう(笑)

斜塔の回りにもドゥオーモがあるのだが、こっちの方はきっとフィレンツェ以上の物は無いだろう遠いパスする事にした。

ピサからルッカまでは列車でわずか20分。どんどんと田舎の風景になってきて期待が膨らんでくる。そして駅に着いて降りてみるとなかなか趣のある街にわくわくしてしまった。目の前には巨大な城壁があった。典型的な中世の城塞都市らしくてさっそく階段を上って城壁の中へ入って見た。

中はイスタンブールやルーマニアで見たような中世の街だったのだが、余り修理の手が入って無くてかえって雰囲気がでていた。そして街の中に大きな塔があったのでさっそく登ってみたのだが、この塔は一番頂上がテラスになっていてしかもそこに木が生えていて庭園の様になっていた。

頂上から見下ろすと街の中程に楕円形の広場があった。ここはどうやらこの街の見所らしくて、上から見るとたくさんの人で賑わっている。イタリアの街を見るならこんな所に来るべきだと思うのだが、意外と観光客は少なくてすっきりしていた。

一気にあちこち回ったので少し疲れぎみだったのだが、帰りの列車で少しハプニングがあった。列車の発車寸前に4人ぐらいの中年の団体が列車を降りようとドアに殺到したのだがすんでの所でドアが閉まってしまった。列車は動きだし僕ははたから眺めながら「あーあお気の毒に」と思っていたら、何を思ったか一人のおっさんが急に緊急停止ブレーキのレバーを引っ張りやがった。

耳をつんざくようなエアの音と共に、ブレーキの力に負けた列車はやがてゆっくりと停車した。「こら!何してくれるねん!」一瞬唖然としたのだが、やがて車掌がやって来てドアを開けると4人のオヤジたちは何事も無かったように降りていった。こんなんでいいのか?!日本だったら絶対損害賠償物なのに・・・恐るべしイタリア。

このせいでダイヤが乱れまくって結局列車は1時間以上遅れてしまって宿に帰った時にはもう8時をまわっていた。テラスに出ると、今日も昨日よりも少し大きめの月がぽっかりと浮かんでいた。

食堂でくつろいでいると、大学生の3人組に出会った。最近南ヨーロッパを旅行して思うのだが、会う日本人は90%以上が大学生、しかもほとんどが3回生だ。何だか僕の旅に興味をもったらしく、いろいろと旅の話をするといちいち「すげーっすよ!! おおーっ」とか大げさに驚いてくれるので、何だか少し照れくさかった。

何だかいちいち驚いてくれるが、僕が彼らの年代だった頃はそう言えば音楽しかやってなかったので、彼らの方が逆に僕にはうらやましかったりするのだが。
 

 
ルッカの街並み
 


9月12日 お城に泊まる(フィレンツェ〜フィナーレリグレ)

ここの所昼はかなり暑いのだがさすがに朝晩はかなり冷え込む。早めに起きて朝食を受け取りに行くと、超フレンドリーなおばさんがてきぱきとお盆にセットしてくれた。

何となく外で食べたい気分だったのでテラスに出て一言「さっむーっ」かなり寒かった。それにしてもイタリアのユースの朝食というのは何とも質素で、カチカチのパン1個とコーヒーだけという物で、スイスとかと比べるとかなり落ちる。こんな物しか食べてないからイタリア人は背が伸びないのだろう。

今日ははっきり言って行き先が決まっていない。とにかくポルトガルは西にあるので西を目指すという事でピサまで行って次にジェノバ、そしてイタリアンリビエラを通って国境へ向かう列車と乗り継いだ。イタリアは特急に乗ると結構な追加料金を取られるので全て快速と普通列車だ。

途中ノルウェーで会った親子ご推薦のベルナッツァという所を通ったのだが、海沿いまで山が迫っていてカラフルな家ががけの上に所狭しと立ち並んでいる。教会や砦みたいなのもあって素晴らしい眺めだった。降りてみたい気もしたのだがこれからコートダジュールへ向かうので、窓からの眺めだけで我慢することにした。

普通列車は歩みも遅く、そのうちに日も傾いてきたのでその辺で一泊しようと思ったら、フィナーレリグレという小さな街に丁度ユースがあったのでそこで降りることにしたのだが、その頃すでに眠気との戦いに負けた僕はひと駅乗り過ごしてまたまた戻るハメになった。おかげで丁度良い時間だった。

矢印にしたがって長い階段を登る。いったい何段あったのだろう。途中イタリア語をしゃべるスイス人のおじさんに声をかけられて話していると、全部で220段あるのだそうだ。そして登りきったところで僕の見たものは、、、、お城。

何とお城がユースになっているのだ!!これはびっくり!さっそくチェックインすると僕の泊まる部屋はお城の中でも塔の中にあって、見晴らしも抜群だ。今日はこの城から下の街や海岸を見下ろしているだけでここまで来た甲斐があった。日が傾くにつれて街はどんどの朱色に染まっていく。

たまらなくなって僕はサンダルに履き替えて街へと駆け下りていった。途中テーブルで寝ていた猫にあいさつすると、なんだかかまって欲しいらしくすり寄ってきた。猫と遊ぶこと5分。更に下に降りると古い教会なんかがあって僕は夕暮れの街並みを見ながら海岸沿いの道をすたすたと歩いた。

途中で一軒のジェラート屋さんを見かけたので入って見ると、そこはいわゆるローマやフィレンツェとかの観光地とかとは全く比べ物にならないほど美味しく、多く、しかも安かった。たったの2000リラで山盛りになったアイスをなめながら来た道を宿まで帰った。

宿に戻って城の屋上に上ると、今夜の月は真っ赤だった。そしてその真っ赤な光が海に映ってゆらゆらとゆれていた。
 

 
夏のリビエラ
お城ユースから見下ろした風景 

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