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そろそろ動こうと言うことで、朝いちでヴィエンチャンの少し北の村ワンビエンを目指す。ここは川が流れていて、ミニチュア版桂林と言ったところで、最近人気急上昇でゲストハウスがガンガン建っているらしい。
ワンヴィエンにはいつものバスターミナルからワンヴィエン行きに乗ってもよかっのだが、ルアンパバーン行きを途中下車した方が空いていていいかな?と思いタラートルアンのバス停へ向かう。トゥクトゥクの言い値は5000キップとぼったくりで、もちろん2000まで下げさせたのは言うまでも無い。(それでも払いすぎかも)
所がターミナルについて「ワンヴィエン行き」と言うと1万だという。ワンヴィエン行きは料金表にも5千と書いているのでひょっとするとデラックスバスだから高いのか?と思ったら何と「お前はワンヴィエンまでだから、このトラックバスだ」などという始末。
ルアンパバーン行きはその他の全国の地域へ行くものより距離当たりの値段が倍以上するのだが、やはり北部行きはどこかの有力者が独占していて、不当に値段をつり上げているのかもしれない。とにかくこのターミナルは結構腐ってそうだったので、またまたトゥクトゥクにのって、今度はいつものタラートサオへ。
ターミナルに着くと丁度ワンヴィエン行きが停まっていたのでさっそく荷物を積み込んで席を確保した。しばらくするとどんどん人が乗り込んできて通路までぎゅうぎゅう詰めになってしまった。どうやら旧正月の帰省ラッシュにぶちあたったらしい。
客層もこう言うことを言うのは申し訳ないが、裸足で服も穴だらけでボロボロという風体の団体が居たのだが、ヴィエンチャンから田舎へ帰るのかもしれない。当然バス代も払える訳はなく、同じ村の乗客が助けてあげていたようだった。しかし彼らは日頃バスなんてものに乗ったことが無いのか、バスが山道に入るとみんな酔って吐きまくっていた。
袋の中に吐くのはまだ良いのだが、窓に殺到するも間に合わず、座っていたおばさんにかけてしまった人もいた。そんなわけで車内には酸っぱい臭いが充満してまたまたひどい移動となってしまった。二人掛けのシートに自分+親子3人が座っている上に、子供が途中から酔い始めたのか、窓側の自分の方にやってきてしかも膝の上に座るのでもう身動きがとれなくなってしまった。
まあそんな状況だったのだが、バスは日本のODAで贈られた現代製だったのでパワーもあって、3時間ほどであっけなくワンビエンに到着した。
下りてみてびっくり、村人よりも白人の方が多いような感じで一大観光地なのだが、町の規模はあくまでも小さく、こじんまりとしていてなかなかいい感じだ。宿の方も宛てなく歩いていると一軒の小さな宿を見つけて一泊2万kipだというのでチェックインした。シャワーもちゃんとお湯のが出るようで、冷え込みの厳しい北ラオスでは嬉しい。
荷物をおろすとさっそく町を歩き回ったり、川に沈む夕日を見に行ったりして過ごした。はやりここはのんびりするところなのだろう。なんか最近のんびりしてばっかりだな(笑)
朝食後ウッチャンが「宿に帰ってまったりとする」と言うので自分はちょっと頑張って、川下りに挑戦する事にした。ここワンヴィエンには無数の貸しタイヤチューブ屋があって、トゥクトゥクで上流まで行ってチューブを使って流れてくるという、いかにも白人が喜びそうなアクティビティが流行っている。
さっそくチューブを借りて送迎を頼むと、「一人だとトゥクトゥクは出せないので、オレが送っていってやる」と店のおじさんがバイクの後ろに乗せてくれた。巨大なチューブを肩にかついでバイクの後ろに乗っているのでもう目立ちまくりだ(笑)
少し上流の河原に着いていよいよ川下り。だが今は乾期の為に所によっては流れがほとんど無くて自分でこがなくては進まない。確かに景色は最高なのだが、こう変化が遅いと何とも飽きが来てしまう。とは言う物の川の中からみる岸辺の生活風景というのはなかなかすてたものではなく、一度水牛の群の中につっこみそうになって怖かった。
後半は少し急流があって楽しめた。そして3時間程かかってもとのワンヴィエンの村まで無事流れ着いた。ずっと手で水を書いていたので肩が張ってしまった。そして程良い疲れなのか、宿に帰ってすぐに眠り込んでしまった。自分で言うのもアレだが、ラオスに入ってからここ、のんびりしてるなあ。
夕食はウッチャンの知り合いの「キマってる君」にばったりとあって一緒に食べる事にした。彼はその名の通りいつもキマっているのだが、キマってる時の芸がなかなか面白くて、飯を食いながら笑い転げてしまった。
なんだかここは面白い旅行者がいっぱい居てなかなか良いかも。
今朝は朝イチでルアンパバーンへ向かおうかと思っていたが、起きてみるとかなり眠かったので中止。とりあえず明日は移動したいので眠い目をこすりながらバスを偵察にいく。
バスはいわゆる普通バスで、乗客はほぼ全員白人だった。特にツーリスト専用と言うわけではないのだろうが、ワンヴィエン〜ルアンパバーンを移動するのは大体バックパッカーぐらいしか居ないのだろう。かなり混んでいるような感じだったので明日は早めに来て席を確保したほうが良さそうだ。
もう一度寝直して再び10時ぐらいに起きる。遅めの朝食を食べて、さて今日は何をするか?とりあえず川向こうの村でもひやかしに出かける。川には竹で造った橋があるのだが、何と橋の反対側で料金を徴収していて、500キップ取られてしまった。
橋を渡るといくつか洞窟(もちろん有料)があるというような事が書いてあったので行ってみるのだが、看板の距離が全くでたらめで全然到着しない。きっとたくさんの客を呼ぶために嘘の距離を書いているのだろう。なんだか途中で馬鹿らしくなってもときた道を引き返すことにした。
川向こうの村は電気も通ってないようで、ひっそりとした感じだった。遮る物が無い太陽に焼かれてへろへろになりながら何とか川まで戻ってきた。そして橋を渡るのもなんだかバカらしくて今度はズボンをまくり上げてじゃばじゃばと川を渡ることにした。途中かなり深くて又の辺りまで水がきて焦ったが、なんとか流されることなく渡りきった。水もなかなか綺麗で冷たくて、体も冷えて一石二鳥だ。
宿に帰るとまず昼寝。のつもりが起きたら夕方だった。そんなわけで結局日記を書いたりごろごろしたりで一日が終わってしまった。これがワンヴィエン流の過ごし方なのかもしれない←言い訳。
ちょっと早めの7時に起きてバス乗り場へ。まだ出発まで2時間もあるのに、もう4名ほど乗っていた。とりあえずチケットの購入と席取りだけして再び宿に戻る。
少しゆっくりして荷物をまとめて早めのチェックアウト。この宿の親父はなんだかいつもニコニコしていていい感じだ。支払いをすませてバス停へ。
バスはいわゆる日本から来た粗大ゴミ級のもので、結構ガタが来ているがそれでもトラック改造バスや中国製よりはかなり上等だ。8時前になるとどんどん人がやってきてアッという間にバスは満員になった。残りの人はバスの通路に並べられたプラスチックの椅子か屋根の上にすわっていた。
バスは満員になったということもあって、定刻より少し早めに出発。快調に飛ばすのだがしばらくすると峠道になって、急に元気が無くなる。スピードも登りは10〜20キロぐらいしか出て無くて、これは時間がかかるのもなるほど納得だ。
緑の深い山道を延々5時間ぐらい走り続けて日も暮れかかってきた頃ようやくルアンパバーンのバスターミナルに到着した。例によって町から何キロもあるので仕方なく乗り合いトゥクトゥクに乗るが、ここは何と3000キップだという。さすが観光地プライス。
途中勝手に違うゲストハウスへ連れて行かれそうになったりしながらもなんとかメコン川沿いのゲストハウスの有る並びに到着。目星を付けていた所がいっぱいだったので、その辺りを回ってみるがやはりこの時間はもうかなり埋まっているみたいで、いくつかまわってツインで3万という部屋があったので、同じバスの日本人とシェアする事にした。彼は今年大学を卒業で、その後は報道カメラマンとして働くらしい。
ラオスとえばメコンぐらいしかないのだが、やはり今日も荷物を下ろすとさっそくメコン川の岸へと出かける。ここは水量も多くてなかなかいい感じだ。町をぶらぶら歩いてみるのだが、世界遺産というイメージは全然なく、タダの田舎町と言った感じだ。明日は寺関係を回ってみるつもり。
今朝は朝から頑張って起きるのだが、意外とこの安宿の寝心地がよくて思わず10時前までごろごろしてしまう。やっとの事で起きてまずは朝飯。屋台でフランスパンサンドを買って、コーヒー屋に持ち込んで軽く朝食。
昨日も思ったのだが、ここルアンパバーンは町並み自体は全然普通のラオスの町で趣とかは特に無いのでお寺巡りをする事にした。地図を見てお寺が集まっている手頃なエリアを目指してあるく。
さすがにお寺周辺はそれなりに良い雰囲気で、中にはたくさんの若い修行僧がいた。驚くのは彼らはすごく英語を勉強したいようで、外国人を見かけると英語で話しかけてくるのだ。しかも結構流暢だったりするので驚き。こんなラオスの奥地でも若者の目はもう外国に向いているらしい。
お寺巡りのハイライトは、ワットシェントーン。ここは特にきらびやかという訳ではないのだが、他の寺と比べるとなんだかおごそかというか、味がある。本堂もかなり古いのだが変に古びている訳ではなく柱や天井のくすみ具合が歴史を物語っているようだ。ほこらに施された住民の生活風景を表したモザイク画もここだけのもので、なかなか見所があった。
午前中から昼下がりにかけて大体そのエリアをまわってから今度はマーケットのあるエリアへ行ってみる事にした。マーケットはヴィエンチャンに比べると規模こそ小さいが、民族衣装を着たおばあさんの姿もちらほらと見えて、より住民の生活に密着してるように見えた。市場の中で$20ほどを闇両替。レートはほぼ公定レートと同じなのだが、銀行は混んでいて並ぶのが面倒なのだ。両替が済むとおばちゃんはすかさず袋からガンジャを出して「どう?」とか薦めてくるが丁寧にお断りしておいた。
結局その後は河原でのんびりくつろいだりしてからメコンの夕日を見るといういつものパターンで大したことをしてるわけではないのに、アッという間に一日が終わってしまう。
夕日が沈んだ頃、キマってる君とカメラマンに会って一緒に夕食を食べに行った。やっぱり今日も彼はキマっていた(笑)
今日は昨日閉まっていて行けなかった王宮博物館へ行こうと朝からはりきって起きるのだが、結局洗濯をしたり朝食を食べたりしているうちに昼休みに入ってしまって見損ねてしまった。だいたい11時から昼休みというのはちょっと早すぎると思うのだが。
替わりと言ってはアレなのだが、今度はマーケットの東側のあまりツーリストの行かないエリアを攻めてみる事にした。しばらく歩くと空港へと続く橋があったので渡ってみると、橋の中央から遥か彼方に金色に輝くパゴダが見えるのでちょっとピクニックがてらに行ってみる事にした。
途中本当に小さな村を抜けて、丸木橋を渡って進んでいくと丘の上に光り輝くパゴダがあった。登り口が分からないので適当に岩場を登っていくとお坊さんの家の敷地の中を通って無事パゴダにたどり着くことが出来た。
着いてみると実際に金色なのは上半分で、下は黄色にペイントされていた。とはいうものの丘の上にそびえるパゴダはなかなかのもので、土日は閉めているらしく、中に入れないのが少し残念だったが丘からの景色もなかなかの絶景だった。
歩き疲れてパゴダの陰で休んでいると一人の若者が声をかけてきた。名前はトン・サーといってルアンパバーンの師範学校で英語の勉強をしているらしい。個人的な事やラオスと日本の事とかを小一時間ほど話した。彼は英語の先生になって、自分の村に帰って子供達に英語を教えたいらしい。「またいつか立ち寄ってくれ」と村の名前を教えてくれたのだが、地図には載っていないようだった。
パゴダを後にして町へと戻るのだが時計は1時を少し回ったくらいで、辺りには建物がないので当然陰は無く、強烈な太陽が容赦なく照りつける。1時間ぐらい歩いてばてばてになりながら何とか町まで帰ってきて駆け込んだ先がジュース屋。ラオスの屋台ジュース屋は当然冷蔵庫など置いてないのだが、ビニール袋に氷をたっぷり入れてその上に注いでくれるので昼間は冷たくて気持ちいい。
とりあえず少し疲れたので宿に帰ってシャワーを浴びてから少し横になる。地図を見ながら今後のルートとかを考えてみるが、結局考えがまとまらず保留となる(笑)結局出たとこ勝負ばっかりだなあ。そんなことをしてる間にもう昼下がり。
いつものシェーク屋でシェークを飲んでいるとカメラマンがやってきて、なぜかサッカー日本代表についていろいろ語る。どうやらこの前の試合ではメキシコに負けて、なんと香港にも0−0でかろうじてPKで勝ったらしい。中田の活躍が報じられる一方なかなかそのクラスの選手はまだまだ日本には少ないのかもしれない。
そして毎日の日課メコンの夕日をみに河原へ。しばらくするとキマってる君がやってきた。やはり今日も軽くキマってるようだ。なんだかつまらない話題のトークをしていたのだが、「いやー勉強になりますねー」とか言われて少し恐縮してしまう。ただの口八丁なのに(笑)
明日カメラマンとキマってる君がルアンパバーンを発つというので、夕食が終わってからキマってる君の泊まっているViradesaゲストハウスへ行ってアドレス帳を書いてもらったりした。そして日本を出てきたばかりという女の子(さえこちゃん)も交えていろいろ話をしていたのだが、このさえこちゃんは何と旅の先輩でもある
「リアルタイム世界一周旅行記」
ののりさんの知人だという事が発覚してその話題で盛り上がってしまった。彼は名前も年齢もそして高校の時のクラブ活動まで同じで、時期は違うが同じく会社を辞めて長期の旅行に出ている。そんな彼の知り合いにこんなラオスの田舎でばったり会うとは、世界もせまいものだ。
早朝から、きまってる君とカメラマンが出発するので朝から宿を探しだ。前から目星をつけていたViradesaというゲストハウスをたずねてみるが、シングルは無くてドミトリーだけしかなかった。少し迷ったのだが値段も$1と格安なのでそのまま移動する事にした。
ドミトリーは半地下になっていて薄暗い所だったのだが、個人の読書灯とコンセントが着いているのがよかった。こんなドミなので、昼間はほとんど人が居なくてひんやりとしていて、昼寝にはなかなかいい。
そんなわけで一息ついてから王宮へと出かけたのだが、あいにく午前の開館時間は11時までで中にはいることが出来ず、メコンの川辺でばったり出会ったさえこちゃんとそのままヌードル屋へ行くことにした。ところで、このさえこちゃんという女の子はなかなか笑顔のキュートな女の子で一見バックパッカーらしくないのだが、持ち金があまりないみたいで見かけの割に実は結構貧乏な女の子だったりする。
その後はここ数日の日課のシェーク屋へ行くが、なんだか電気が止まっててミキサーが使えなくてシェークは作れないとのことで、仕方なく宿に帰ってから午後の開館をまって王宮へ行くことにした。
王宮は規模こそ小さいものの、なかなか格式があって、それであって変に飾りすぎていなく、昔のラオスの王族の雰囲気が何となく伺える。王宮内には各国からのラオスへの贈り物や宮廷内で使われていた楽器や家具が展示されていた。雰囲気は明治時代の洒落た洋食屋さんといった感じだろうか?しかし最後の国王は革命時に刑務所で再教育されそのまま外に出ること無く一生を終えたという事なのだが、政治的目的とはいえ、こんな田舎の豪族ぐらいの力しか無い国王をそっとしておくことは出来なかったのかと思ってしまう。
王宮を後にすると例によって陽が傾いていたのでメコン川の川縁へいって夕日ウオッチング。毎日似たような夕日なのだが陽によって微妙に色が違っていて何度見ても飽きない。毎日こんな事をしている間にルアンパバーンも4日目になってしまった。
ここルアンパバーンは托鉢で有名らしい。そんなわけで今日は少し健康的に早起きして托鉢ウォッチングへ!朝6時5分、また眠い目をこすりながらルアンパバーンのメインストリートへ出かける。まだ辺りは暗く朝もやがかかっていていい感じだ。
6時20分を少し過ぎた時だっただろうか、遠くにオレンジ色の袈裟を着た僧侶の行列がかすかに見えた。そちらの方向は小さな寺が密集している辺りで、寺によって托鉢のルートがきまっているようだった。
寺の方に向かうと、たくさんの人々が餅米の入ったかごをもって、托鉢を待ち受けていて、僧侶が通ると少しづつ僧侶の托鉢用に器に餅米を入れている様子を見るととができた。ただ少し気になったのだが、おかずは無いんだろうか?!(笑)
そんなわけで朝の托鉢も無事見れて一旦仮眠。こういう時に、Viradesaのドミは薄暗くて都合がいい。そして半地下なので昼間でもひんやりとして絶好のお昼寝スポットだ。
昼からはルアンパバーンのツーリストインフォとボートナビゲーションオフィスで情報収集。ツーリストインフォには大した情報は無かったが、ヴィエンチャンのオフィスよりはまだましで、実はルアンパバーンからフェイサイの間にもう一つ非公式に越えられる国境があるらしくて、その情報を聞いてみたのだが、ルートや国境の有無についての情報は得られたので、まだ使えるインフォなのだろう。ただラオスらしいというか、国境が越えられるかどうかはインフォでもイミグレでも分からないそうだ。
ボートナビゲーションオフィスの方はなぜか英語をしゃべれる係員がいて、こっちの方も情報を集めることができた。ここルアンパバーンからフェイサイ方面はメコン川を逆上るため普通のスローボートでは3泊4日もかかってしまうらしい。これではビザが切れてしまうので問題外なのだが、月曜と金曜には「遅いなりに頑張っているボートが有るらしく、それだと1泊2日でフェイサイまで行けるらしい。
情報も揃って、河原をぶらぶらしていると、何とここで信じられない出会いが!陽朔、ハノイと出会って是非もう一度会いたいと思っていた日本人カップル、ゆーじさん+まい坊にばったりと遭遇。お互い「あーーっ」指をさしてしまった。久しぶりに会ってコーヒーを飲みながら今までのお互いの旅の話をしたりしてアッという間に時間が発ってしまった。
このカップルはとにかく自分から見るととてもバイタリティがあるように見える。もう1年以上も旅をしてるはずなのに好奇心あふれていて、いま少し旅に行き詰まっている自分にはとてもまぶしく映る。いろいろ話をしているうちにネパールのアンナプルナBC(ベースキャンプ)に行ったときの話が出てきて、話を聞いているうちに是非行きたくなってしまった。陸路にこだわるのも良いのだが、そろそろこの辺が僕の旅の転換期なのかもしれない。
二日連続で早起きだ。今朝はルアンパバーンの中心にあるプーシーの丘で朝日を見に行くことにした。ここは夕方に白人がたくさん登ってくるらしいのだが、先日会った日本人の女の子によると、朝の方が朝もやに朝日が輝いていて綺麗だというので、朝イチで登ることにした。彼女によると「もののけ姫の主題歌が頭の中に流れていた」そうだ。(笑)
ラッキーというか狙っていたというか、まだ暗い午前6時。ゲートには誰もいなくてタダで入ることができた。普通の料金ならちゃんと払うのだが、ここは単に丘の上に小さなほこらがあるだけなのに、なんと8000Kととんでもない値段になっている。維持費がかかっている訳でもないだろうに少し法外すぎる。往々にして市場原理の浸透してないラオスにはよくある話なのだが。
ともかく無事ゲートを突破して息を切らしながら頂上まで登ると空はだいぶ明るくなっていたがまだ少し日の出には時間があった。上から見下ろすルアンパバーンの町や森、そしてメコン川は朝もやにつつまれて幻想的だった。町を歩いている分にはこの町が「世界文化遺産だ」といわれてもピンと来ないのだが、上から見ると何となく納得できる。
しばらくすると朝日が昇りだした。朝焼けの中にはっきりと太陽の形がわかる。太陽が昇ると通りをバイクや乗り合いトラックが行ったり来たりして、町にも活気が出てくる。そして朝食を取るべく、ルアンパバーンの名物カフェでラオコーヒーとバゲット。それ宿に帰って一息ついていると、同じドミのさえこちゃんがパソコンに入っている写真が見たいというので上映会をした。なんだか興味深そうに見てくれるので結局ほとんど国の写真を解説してしまった。
そんなことをしているうちにもう昼前。今日はしなければいけないことがたくさんある。一つはバンコクに届いたみそ汁のお礼ハガキを出すこと。そしてもう一つは両替だ。結局迷いに迷った末、スピードボートでここからパクベン経由でフェイサイに抜けることにしたのだ。ただこのルートのスピードボートはとても高くて、なんと20万Kもするというので少し両替をしないといけない。そんなわけで銀行、郵便局とはしごをしてから宿でハガキを書く。
夕方はいよいよルアンパバーン最後の夕日を見にいつもの川沿いへ。出発がきまるとなんだか夕日もいつもと少し違って見えるから不思議だ。ルアンパバーンは一見そんなに見所は無いのだがついつい長居してしまった。宿や人との出会いというのは結構大きな旅の要素なのかも知れない。
今朝は6時半に起きる予定だったのだが、朝一陣の出発が6時で5時半ごろに物音で目が覚めてしまう。ここのドミは$1でけっこう快適なのだが、バスの出発時間が早いので朝がうるさいというのが難点かも。
自分も軽くパッキングを済ませて7時前にチェックアウト。スピードボート乗り場へ向かうべくトゥクトゥクを探すのだがまた例によって値段が下がらない。7Kmの距離を一人あたり5000Kだという。またまたラオス市場論理だ。
わずか3週間程度でラオスを総括してしまうのはあれなのだが気づいた事を何点か。ラオス人は市場経済と言う物がまってく理解出来ていない。一つは新築の賃貸料とボロ屋の賃貸料が同じである事。同様にバスもトラックバスでもぴかぴかODAバスでも値段は同じなのだ。結果が同じなら値段は同じという一見正当に見えて実はめちゃくちゃな論理がまかり通っている。
更にいうとトゥクトゥクもタイ並の料金を取るくせに、荷台に7〜8人も詰め込むことがしょっちゅうで、しかも全員からそれぞれ同額の料金を徴収する。一人で占有しても、8人でシェアしても一人当たりの値段は同じという変な事が当たり前になっている。
そして交渉に応じない。交渉が決裂するとふてくされて何時間でもトゥクトゥクの荷台で昼寝をしている。少なくとも割り引いた値段で仕事をすればそれなりの儲けはあっただろうに。値段を下げて回転率を上げようなんて気はこれっぽっちも無さそうだ。
そんな感じでラオスの商売人特に運送関係についての印象はお世辞にも良いとは言えない。まあ一般人に関しては多少自分勝手な所もあるが、おおむね素朴で人なつっこくて僕は大好きだ。町を歩いていて知らない外国人に普通に挨拶してくれるのはインドシナではラオスだけだったように思う。
ともかく5000K払ってボート乗り場へ。そしてそこで見たものは、な、何と!!フォーミュラーカーのごとく恐ろしい爆音をとどろかせるモンスターマシンだった。小型の8人乗りボートなのだが、先端がかなりほどそり上がっていて走行中水に接触する面積がかなり少なくなるように出来ている。そして普通のロングテイルボートのようにエンジンに直接シャフトとスクリューの着いたユニットを使って走るのだが圧巻なのは何と!そのエンジンがトヨタの乗用車のエンジンを使っている事だ。そしてマフラーは当然なく、4気筒エンジンからの排気は極太の一本の管にまとめられてボートの後ろへと出ている。
途中ペトロールの補給の為に川岸で休憩を取ったのだが、近所の村の子供達が珍しそうに集まってくる。ボートのパイロットにとっても少し予定外の場所だったようで、ツーリストが珍しいらしく子供やおじさんが写真を撮ってくれと寄ってきたりする。このおじさんの笑顔が最高で、ひょっとするとこの旅で一番かも知れない。
こうして予定外のうれしいハプニングは終わり再び爆走ボートでパクベンへ。さすがにこの辺りになると慣れてきてだんだん眠くなり思わず眠り込んでしまった。寝たり起きたりを繰り返しているうちに、あっけなくパクベンに到着。
実は今日はこのパクベンに泊まるかフェイサイまで一気に行ってしまうか少し迷っていたので、パクベンまでのキップしか買っていなかったのだが、意外とこの崖の上にある電気もない小さな村が気に入ってしまいここで一泊することにした。幸い交通の要衝になっているのでゲストハウスは何軒かあるようだ。
その中の一軒にチェックインしてさっそく村を散策に出かける。村はどうやらスローボートの白人の寄港地になっているらしく、スローボートが到着する夕方まではほとんど旅行者がいなくてひっそりとしている。村の規模も小さいので歩いて一通りまわるのにはそれほど時間はかからなかった。
村は電気が無いとはいっても、村の発電機というのがあって、午後11時頃までは電灯ぐらいはついているのだが、それ以降はろうそくの明かりだけになって、村は闇につつまれる。晴れていたらさぞかし星が綺麗に見えたと思うのだが、天気が悪かったのが残念だ。
そんな山奥の村にも電柱が建ち、近いうちに電気が引かれるそうだ。
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