このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
ラトビア編
(リガ〜シグルダ)
 


8月15日 散歩気分(リガ)

気のよく眠れたせいか目覚めが良い。さっそく1階にあるコンビニでパンを買ってきて朝食にする。特にポーランド以来菓子パンがすごく美味しいのだ。それもドーナッツ系のやつは中にアプリコットが入っていたりと最高だった。

そして次は早速街へと繰り出す。リトアニアをいまいち好きになれなかった理由に天気があった。毎日どんよりとしていて、おまけに街の人の人当たりもあまり良くないし。しかしここラトビアのリガは朝から抜けるような青空だ。早速尖った巨大な塔の教会を目指して歩く。その3つの教会だけが他の建物よりも圧倒的に高いのでここでは地図は要らない。

最初に聖ペテロ教会という所へ行ったのだが、まだ営業時間じゃ無かったみたいで閉まっていた。なぜかすぐ前にブレーメンの音楽隊の銅像があって、そのとなりにホルンを持ったおじさんが立っていた。僕が通りかかると「カモだ!」とばかりにホルンで「さくらさくら」を吹き出した。僕はすこし「にやっ」としてしまったが特に気にかけてない風を装って銅像の写真を撮って次へと向かった。

ここリガはバルト三国最大の都市で、白人達に言わせるとつまらないのだが、僕に取ってはなかなかお気に入りの場所だ。プラハにしろヴィルニウスにしろ、何だか観光客に媚びているような気がしてならないのだが、ここリガはあくまでマイペースで、旧市街にデパートがあって、お店もあって、人々の生活がそこにある。僕は時々裏路地に迷い込んでなんだかうれしくなってしまった。

結局今日の見所は、最初の聖ペテロ教会の塔と占領博物館。塔は72mの所までエレベーターで登れて、そこからリガの街が見下ろせる。広大な川がいくつにも分かれていて遠くには貨物用のクレーンが立ち並んでいる。街の外側はもう見渡す限りの森になっていた。もう一つの占領博物館は例によって暗黒系で、ソ連占領時代とナチス占領時代の様々な証拠が陳列されていた。

中でも興味を引いたのはシベリア流刑の住居を復元した物と、粛正のために殺された反ソビエト活動家達のおびただしい数の写真。きっとバルト3国には何処も同じ様な博物館があるのだろう。ぜひタリンでも訪れてみようと思う。

朝早くから動き始めたせいか昼過ぎには一通り街を見終わった。あまりにも天気がいいので急に海が見たくなって、僕は旧ソ連風の緑色の近郊電車に乗って郊外の街を目指すことにした。列車にはたくさんのカップルや家族連れが乗っていて、海が近づくとにつれて乗客はどんどん減っていった。

僕も外れの駅で列車を降りて海を目指して歩き出した。小さな林を越えると目の前に海が広がった。かなり遠浅のようでみんな膝ぐらいまでしかつかっていない。そして僕も靴を脱いで足を浸してみたのだが、「つ、冷たい!!」やはりバルト海の水は冷たかった。

水質の方はお世辞にも綺麗とは言えなかった。なぜだか分からないのだが、この辺りは川も海も茶色い色をしている。とはいうものの汚染ではなく、きっと土壌のせいだと思う。ニュージーランドでも西海岸は雨が降ると川の水は全て赤茶色になってしまっていた。

海辺の陰でしばらく座って風を感じていた。浜辺で遊ぶ子供達。そして、、、参ってしまったのはダルマのような巨大なおばちゃんたち。どうやればあれだけ肉がつくのだろう。まるでミニ小錦といった感じだ。あんな水着が市販されている所も恐ろしい(笑)とはいうもののあんな体になっても海水浴を満喫しようという心意気は大した物だ。

そうこうしているうちに陽も傾いてきたので、僕は海沿いの寂れた繁華街を冷やかしてから列車で街へ戻ることにした。帰りの列車はラッシュアワーさながらの様相で、通路まで人がすし詰めになっていた。ほとんどが海で遊んで家に帰る人なのだろう。タリンの駅に着く頃には西日は夕日へと変わっていた。
 

 
海ーっ!
 


8月16日 森林浴(ヴィルニウス〜シグルダ〜ヴィルニウス〜タリン)

昨日の夜は同室のフィンランド人二人と夜遅くまでいろいろ話し込んでしまった。二人は心理学関係の学校を卒業して児童カウンセラーや病院で勤務しているらしい。中でも印象的だったのは「スウェーデンはフィンランドの的だ」と笑っていたこと。

あと携帯電話のメーカー「ノキア」に対してかなり誇りを持っているようだった。スウェーデンにはエリクソンという大きな会社があるのだが「日本では外国製はノキアぐらいしか見かけ無いなあ」というと「そうだろ、そうだろ」と喜んでいた。事実僕はここまで乗ってきたロシアバスの中で携帯を使っているのを見たのだが、それは日本製に匹敵するほど小型で驚かされた。たしかにノキアの技術力は日本を除けば世界一だろう。

そして朝起きて荷物をまとめて一緒にバスターミナルへ荷物を預けに行く。彼らは午後のバスでリトアニアに向かうそうだ。力強く握手をしてお互いの旅の無事を祈る。そして僕はタリンの夜行バスのチケットを買った。ここに着いたときに宿探しに苦労したのに懲りてタリンには朝早く着きたかったからだ。そしてそれまでの時間を利用して近郊の街シグルダを訪れることにした。

今度は近郊ディーゼルカーに揺られて約1時間半。列車は森の中をどんどん走っていく。最近僕の旅は首都巡りになってきているので、こういう田舎町を訪れるのは楽しい。どんどん家が無くなっていき、やがてひとけも無くなった頃に列車は小さな町に到着した。

ほんの駅前に店が少しあるぐらいで本当に田舎町だ。何だかうれしくなってしまう。まず腹ごしらえをしてから町側にある城跡なんかを見て回った。そしてメインの少し離れた集落トゥライダにあるお城を見に行くことにしたのだが、地図で見るとそんな距離でも無さそうだったので散歩もかねて歩くことにした。

所がその道は全く森の中で両集落の間には家一軒なく道は結構なアップダウンだった。これじゃまったく森林浴だ。まあそういうのもなかなか良いんだけど。結局5キロ程歩いて僕は集落と呼ぶには小さすぎる村に到着した。

一応景観保護区になっているらしく、入場料を払って中に入って見ると、小さな牧場や教会、そしてメインのお城が見えてきた。お城自体は煉瓦づくりの小さな物だったが40m程ある塔の上に登ってみると森が一望できてなかなか素晴らしい眺めだった。

そんなふうに昔風の村を散策しているうちに町へ戻るバスがやって来たので今度はちゃんとバスに乗って駅前まで戻って列車に乗り換えてリガへ戻った。実は列車の待ち時間は2時間ほどあったのだが、最近僕はそういいうことに対して全く気にならなくなった。この小さな町の雰囲気も手伝っての事だったのかもしれない。

リガに着くともう夕暮れだった。とはいうもののまだまだバスの時間までたっぷりあるので腹ごしらえをして夜の町を散策する事にした。町は相変わらず多くの人で賑わっていて、通りのゲームセンターをふと覗いてみるとこんな所まで全て日本製のゲームマシンだった。中でも初代ダンスマニアから流れてくるOlivia Projectのナンバーがとても懐かしかった。

夜の旧市街もなかなか魅力的でライトアップされたたくさんの塔やパステルカラーの家並みの中を少し寒さに震えながら歩くのもいい。そして僕は大きな広場で日本人の団体客に出会った。なんだか全員で写真を撮り対らしく「私が撮ります」「いや私が撮るんで貴方入って下さい」なんてお決まりのやりとりをしていたので僕が撮ってあげることにした。

そんなことがきっかけでしばらく話す事になったのだが、僕の旅の話が何だかとても興味深いらしく、いろいろと質問されてしまった。何だか久しぶりに多くの日本人に囲まれた上に、最後にはみんなに「頑張って下さい」と励まされてしまった。まあ、がんばるも何もタダの観光旅行なので少し恐縮してしまったのだが、素直にうれしかった。

一行と別れてコンビニで余ったラットを全てお菓子に替えてバスターミナルへ向かう。ターミナルでは日本人の大学生に出会った。彼は普通のチケット売場でチケットを買ったので僕よりも少し安かったのだが、結局は同じユーロラインのバスだった。今日一日疲れたのかバスが出発するとすぐに眠ってしまった。
 

 
森の中のお城
トラカイ城
 

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