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のり日記
ポルトガル領マカオ編
 
 


11月11日 賭博国家(マカオ)

船はするするとすべるように港へ到着した。橋を渡るとすぐにイミグレーションで、香港市民、澳門市民、その他の3つに別れて入国審査が行われ、パスポートを渡すとあっさりと20日のスタンプが押された。税関検査は素通りだと思っていたら意外と厳しく、多くの人が荷物を開けられていた。

マカオ側のターミナルもなかなか立派なのだが、建物だけで全く中身が無いという感じだ。Tourist Information というカウンターがあったのだが、単に旅行会社がホテルを斡旋するだけのカウンターの様で使えない。Visitor Centreも大した資料がなくてこっちもいまいちだ。

仕方がないので、レストランリストの巻末の簡単な地図をたよりに水上カジノへ行ってみることにした。マカオといえば水上カジノが有名なのだが、どうやら以前にあったのと場所が変わったらしい。まあ水に浮いてるだけにボートで引っ張ってくれば良いだけなのだが。

カジノという事で、きっとまともな服でないと入れないだろうと、襟の付いたシャツに着替えて中に入ってみたら、何とみんなつっかけでサンダル履きだった。水上カジノの中はマカオグランプリに備えて改装しているのか、全部のフロアのうちの1/3ぐらいしか営業してないようだった。カジノといてば、クライストチャーチやオークランドでも行ったことはあるのだが、ギャンブルに燃えるというよりも、どっちかと言えば大人が楽しんでいるという感じだった。しかしここマカオのカジノはなんだかみんな真剣で「賭場」という呼び名がふさわしい。ブラックジャックのテーブルが盛り上がってたのでやってみようかと思ったが、最低掛け金が$100だったので、あっさりと引き下がって外に出ることにした。

実はここマカオには昨日まで泊まっていた宿で知り合ったおじさんが住んでいて、コンピュータの事を教えて欲しいからぜひマカオに来たら連絡をくれと電話番号をもらっていたのだ。早速電話してみるとなんとタクシーで迎えに来てくれた。彼の名前はセザール。パナマ国籍のマカオ住民で、スペイン語、ポルトガル語、英語を流暢に話すおじさんだ。

家にはゲストルームがあるので、マカオにいる間泊まってもいいという有りがたい申し出を受けてさっそく荷物を解いて一緒に食事に出かけた。セザールさんの家は中国の国境のすぐ前でまず最初に国境のゲートに連れていってくれた。今は使われていないポルトガルが建てた大きなゲートがあり、ゲートの両脇に入国用の通路と出国用の通路があった。ゲートの周りはなかなかポルトガル風で異国情緒満点だ。しかしマカオ、とりわけこのエリアは店が閉まるのが結構早いのか、セザールさんお薦めの店は全部閉店していた。仕方ないので一軒の南欧風食堂に入ったが味の方は「ごめんなさい」だった。明日は美味しい物にありつけるといいのだが。
 

 
水上カジノ「マカオパレス」
 


11月12日 小さな島と日本人(マカオ)

朝起きる雨が降っていた。今日はセザールさんがマカオを一日案内してくれると言ってくれてたのだが、あいにくの雨でマカオ中心部だけ案内してもらって、その後は適当に自分でバスを捕まえて出かけるという事になった。

まずバスでセントロへ向かい定番のセントポール教会跡や、砦なんかを案内してもらった。さすがに宗主国が違うだけあって、マカオの旧市街は香港とは全く様子が違う。コロニアル風の建物に石畳。街にはポルトガル語があふれている。そういえば、僕は28才になるまで一度も海外へ行ったことが無く、しかも飛行機にも乗ったことさえなかった。そしてその初めての海外渡航が何と仕事での米国領プエルトリコというとんでも無いところだったのだが、そこも米国が占領する前はスペイン領だったので、結構感じが似ていてその時のことを思い出した。
 

 
セントポール教会から見下ろす町並み
 
 
その後セントロでセザールさんと別れてコロアネ島行きのバスに乗った。大きな橋を渡ってまずタイパ島へそしてバスは更にもう一つ橋を越えてコロアネ島にたどり着いた。島の中は建物もまばらで、コロアネ市区という所に着いたので下りることにした。ここがたぶんこの島の唯一の店屋のある所なのだろう。

それにしても島は静かだ。市区の中心で下りたはずなのに、辺りにはレストランが3軒ほどと、小さな野菜や果物を売る市場があるくらいだ。海沿いまで歩いていくと天主堂という看板があったので行ってみる事にした。教会には「天主堂」という大きな看板があったが、教会の名前はサン・フランシスコ=セイビア教会(日本ではザビエルと発音される)というそうだ。中に入ってみると、どうやら江戸時代のキリスト教迫害から逃れてきた日本人や、殉教者の為に建てられた教会のようで、後でセザールさんに聞いた話によると、以前はこの教会の中にフランシスコ=セイビアの腕が安置されていたらしいが、澳門返還に備えて中国政府の宗教抑圧を恐れた教会関係者がどこかに移したらしい。

教会の辺りは、古いマカオの家々が立ち並んでいるのだが、中国とも香港とも違う何か独特の雰囲気を持っていたて、上手く説明出来ないのだが中国の文化とポルトガルの文化が混ざり合って独特の世界を作り出してるという感じだ。

市区の市場で小さなバナナを買い込んでからバスでタイパ島とマカオ国際空港へ行ってみた。どっちもたいして特筆するような事はなく、新しく作られただけあって近代的な建物があるぐらいだった。空港の規模もクライストチャーチと似たり寄ったりで、中には数軒のレストランがある位だった。そんなわけでとっととマカオのセントロへ戻ることにした。

夜のセントロはなかなか賑わっていて、町中を散策したり、ヤオハンをひやかしたりして回った。ヤオハンといえば数年前に倒産したらしいのだが、マカオのカジノの経営者が個人で買い取ったらしい。中は今でもたくさんの日本の製品が売られていた。

セザールさんの家に帰るためバスに乗って国境に着くと多くの人々が中国側から帰ってきているところだった。仕事や買い物といった極普通の用事で行き来しているのだろうか? みんなに荷物は紙袋やカバン1個程度だった。

所でマカオの公用語はポルトガル語と広東語なのだが、実際にポルトガル語を話せる中国人はあまりいないらしい。香港人のかなりの人が英語を話すのと対照的だ。中国人に対してなら、ポルトガル語よりも英語の方が通じるのでは無いかと思う。そう考えると街に有る膨大なポルトガル語の表示はわずか3%のポルトガル系住民の為だけにあるという事になる。この国境が無くなったあと果たしてマカオの街はどう変わるのだろう?おそらくマカオも香港同様当面は現在の制度を続けていくのだろうが、この小さな半島の行く末を見届けてみたい気がする。
 

 
サン・フランシスコ=セイビア教会
 


11月13日 線の向こう側(マカオ〜珠海〜広州〜南寧

朝起きたら雨は上がっていた。荷物をまとめてしばらくするとセザールさんが起きてきて、朝食を作ってくれた。ここマカオでは彼には本当にいろいろとお世話になっている。一緒に食事をしながら 今後の旅のことを話したり、アドレスを書いてもらったりしてセザールさんの家を後にした。

国境へは歩いて5分。ここマカオは12月20日に中国へ返還されるのだが、当然まだポルトガルな訳で国境にはポルトガルの国旗がはためいていた。イミグレのビルに入り訪問者の列に並ぶとまもなく自分の番が来て出国のスタンプが押された。
 

 
マカオ側の国境ゲート
今は使われておらずこの両側に通路が有る
 
 
そこから歩いて中国側のイミグレへ行く訳だが、本当に中国は権威主義的というかなんというか、イミグレの建物も無意味にでかかった。まったくすごいのだが頭が悪いのか。イミグレの中は既に長蛇の列が出来ていた、なんだか香港か台湾かその辺からの旅行者が大量に来ていたせいだ。ただ団体旅行でチェックも甘いのか30分程で自分の番が回ってきた。既に中国ビザの有るページは香港やマカオのスタンプで埋まってきたのでどうするのかな?と思っていたら、何とマカオのスタンプの上に「バンッ」と押しやがった。そんなんでいいのか? こら!

そしていよいよ中国だ。まずイミグレから出ると、汚い。溝や道路脇にゴミがあふれている。早速中国へ帰ってきた事を実感してしまった。国境を越えた中国側は珠海市というのだが、ここは全く情報が無かったのでとりあえず中国側に歩きながらバスターミナルを探すことにした。

しかし、なかなかそれらしい建物を見つけることが出来ない。ここも深川と同じく経済特区なのだから立派なターミナルビルが有るはずなのだが。しばらく歩くと、土の上にたくさんの市バスが停まっている所を見つけた。辺りにはバラック小屋の店が何軒かある。まさかここじゃ無いだろうと思いつつ中に入って色々回してみると「広州豪華汽車、途中不上客」という看板の付いたバスを見つけた。まさにこれだ!この「途中不上客」というのはここ中国では結構重要で、そうじゃ無いバスはいちいち途中の都市を時速10キロぐらいで走りながら客を探して停まるので、いつまで経っても目的地に着かない。普段の普段の短距離ならそれでもいいのだが今日は南寧行きの列車に乗らなければいけないので遅れる訳には行かない。

そんなわけで早速乗り込む事にしたのだが、このバス会社がなかなか大した物で、バスターミナルに専属の客の世話をする女性係員が何人かいて、切符を買いに行こうとするとバスの中に案内され替わりに係員が窓口まで行って切符を買ってきてくれた。終始笑顔で乗り込むとすぐにミネラルウォーターのボトルが配られる。ここ珠海ではそういう競争原理が良い方向に働いているのだろう。

バスは40分ぐらいかけて街を抜けた。ここ珠海は深川とちがって全てが工事中の街だ。道路の舗装も満足に出来てなく、町中には取り壊した建物や建築中の建物のせいで瓦礫があふれ返っている。マカオ返還へ向けての建築ラッシュといった所だろうか?やがて町中を抜けると広東省独特の水路に囲まれた水田やバナナ畑が目の前に広がった。

バスは高速道路を快適に飛ばし、あまりの快適さに途中で眠ってしまった。3度目に目が覚めるとバスは広州市内を走っていた。ここ広州は、全中国から一攫千金を夢見て深川、珠海を目指した中国人がチェックポイントで追い返されそして住み着いて人口が爆発的に増えていると聞くが、通りにはものすごい数の人、車、バスで市内に入ってから列車駅まで50分ぐらいかかった。治安が悪いと言われるとなるほど納得だ。

列車の時間まで1時間半ほどあったが、ここは大人しく駅の待合室で本でも読んでる事にした。列車を待っているとどこかの少数民族と思われる女の子に時間を聞かれたので教えてあげた。なんだかフレンドリーで笑顔が嬉しかった。飲み終わったミネラルウォーターのボトルが欲しいらしいのであげたら喜んで水をくみに行っていた。

所で今日乗る列車はどこか他の所から来る物だとばかり思っていたら広州発だった。中国鉄路の時刻表はあまり宛にならないようだ。始発なのでまだ車内も混んでなく荷物置き場もすぐに確保でき、例によって横になっているといつの間にやら眠ってしまっていた。途中何度か目が覚めたがそれでもまた眠ってしまう。あれだけ眠ったのに結局10時の消灯後から朝まで一度も目が覚めなかった。なんだか規則的な列車の揺れに弱いらしい(笑)


11月14日 国境のやさしい町(南寧〜防城〜東興)

朝目が覚めると窓の外には幻想的な風景が広がっていた。水をいっぱいにたたえた棚田や水路を行き来する小舟、畑へと出かける人々が朝もやの向こうにぼんやりと見える。やがて窓の外はすこしづつ建物が増え8時すぎに列車は南寧駅に到着した。香港の中国国際旅行社ではわざわざ「到着時間が9時半に変わったから」と説明を受けていたのに結局もとの時間で着いた。いったい何だったのだろう?

駅前は相変わらずバイクタクシーであふれていた。最初はすこし邪険にしていたのだが、どの運転手も「いらない」というとすぐに引き下がる。おなかが空いたので駅前の食堂で朝食を取るが店の人は親切で、目があった他の客も笑顔を返してくれる。ここ南寧は観光するような物が何もないのか、人々もなんだかのんびりしていていい感じだ。

ここから先はいよいよ全く情報が無い。中国側の国境は東興という町にあるらしいのだが、バスターミナルを回ってみても東興行きのバスは見つけられなかった。一つの綺麗なターミナルで行き先を眺めていると掃除係のお姉さんがなんだか言ってるので「東興」と書いて見せると切符売り場のおばさんとなにやら話をしたあと「ここからは東興行きは無いけど、防城という所まで行けばそこからたくさんバスがあるわ」と教えてくれた。たぶんどこか他のターミナルからは東興行きのバスが有るはずなのだが、防城なんて聞いた事も無い町へ連れて行かれるのもなんだか面白そうなので、とりあえず防城行きの切符を買うことにした。

相変わらず切符売り場で順番を抜かされていると、さっきのおばさんが見かねて間に入って切符を買ってくれた。バスの案内係の人や車掌も運転手も凄く親切で、今までの中国は何だったんだ?!と思ってしまう。バスは大宇−桂林製の空調バスで荷物もちゃんとバスの下に入るようになっている。出発するとすぐにミネラルウォーターが配られ、車掌のお姉さんが手荷物を上の棚に上げてくれた。終始笑顔だ。

しばらくして到着時刻等のアナウンスがあって、驚くべき事に英語のアナウンスもあった。しかし英語でたずねるとほとんど理解できてないのは愛嬌と言うところか?バスは今まで中国で見た中でも最高に綺麗で広い高速道路を100キロ以上でどんどん飛ばす。先に防城港へ行くらしく1時間半ほどすると海が見えてきた。道路沿いには熱帯植物が植えられており気分はすっかり東南アジアだ。バスは港でほとんどの乗客を下ろして元来た道を少しもどって20分ほどで防城の町にたどり着いた。

防城のターミナルはいかにも中国のバスターミナルという感じでごちゃごちゃしていて、ポンコツバスが山のように停まっていた。ちゃんとしたバスを探していたのだが時間までかなりあったので、一台のローカルバスに乗ることにした。相変わらずあちこちのろのろ走りながら客を捜す。しばらくするとやがてあきらめたのか結構なスピードで田舎道を飛ばしていった。途中深川や珠海と同じ様なチェックゲートがあった。そういえば東興もやはり中国人は辺境通行証というのが必用らしく、ターミナルなどに代行屋の看板があったり、町を歩いていても中国の辺境通行証を持った人が盛んに声をかけてくる。ただチェックは甘く、公安の職員が一人乗り込んできたが一通り車内を見回すだけだった。ローカルバスの運転手達をも顔なじみなようで、いわば顔パスという奴だろうか?チェックポイントを過ぎてしばらくすると、中国最後の町東興のターミナルに到着した。

しかし、どうした物やら、、、ここには地図売りもいなければ、標識もない。バイクタクシーはいっぱいいたのだが、中国ではぼられる物と思っていたので太陽の方角をたよりに歩いて国境を探すことにした。たぶん国境沿いなら安い宿がたくさんあると思ったからだ。ベトナムは中国の西にあるのでとにかく西だ!とそんないい加減な考えで西を目指したのだが行けども行けどもそれらしい所は無く、いつの間にか町の外れまで来てしまった。汗びっしょりで首も強烈な太陽に焼かれヒリヒリする。

万策尽きた所でバイクタクシーを使うことにした。普通中国では普通大きな荷物を持って立っていればいやでも次から次へと声がかかる物なのだが、この町では遠目に「おや?」と眺めるだけでみんな走り去っていく。10台ぐらい過ぎていった所で逆に「どうしよう?」と思ってしまった。手を上げるにもどれがバイクタクシーでどれが普通のバイクなのかがよく分からない。しばらく観察して黄色いヘルメットはほぼ100%バイクタクシーだという事に気が付いて、近くで「おや?」と思いながら徐行しているおじさんに向かって手を上げた。

「タクシー?」と訪ねると「うん」とうなずく。さっそく簡単な図を書いて、国境に近い賑やかな通りへ連れていってくれというと理解してくれたようだ。ここからが問題で、普通外国人だと分かるとかなりふっかけてきたりするので交渉が必用だ。「いくら?」と聞くと「5元」と答える。相場は全く分からないのだが念のために「4元でどう?」と値切ってみるとあっさり応じてくれた。値段が下がったのでたいした距離じゃないのかな?と思ったがなかなか遠くて、歩いていたらと思うとぞっとする距離だった。

しばらくしておじさんが「この辺だ」といって下ろしてくれた。5元札をだすとちゃんと1元返してくれて、国境の建物の場所も地図を書いて教えてくれた。なんだか値切ったのが逆に申し訳なく「ありがとう」というと「不要不要」と笑顔で走り去っていった。

市内を歩き回ったダメージがかなり残っていたので、今日はとりあえず目の前にある上海賓館という宿に泊まることにした。普通一人間が35元で中国の他の地域と比べると圧倒的に安い。これでいちおうテレビ、ホットシャワー付きだ。2階の服務員の女の子もフレンドリーでいつも笑顔。宿の前を歩いていると笑顔で手を振ってくれたり、中国語も分からない自分に対して筆談でいろいろ教えてくれようとする。

荷物を下ろして、まだお給湯時間になっていなかったので冷水で汗を流してからしばらく町をうろつく事にした。まず最初に国境沿いの川へ行ってみた。国境にはコンクリートの橋がかかっていてそれぞれ両国のイミグレーションがあるのだが、地元民はまったくお構いなしに小さな木の船に乗って両国を行き来している。以前戦争状態にあった国同士の国境とは思えないくらいのんびりとしている。
 

国境の川(左が中国側)
 
一歩裏通りへ入ってみると中国らしく汚い路地なのだが、面白かったのはイミグレーションの前の道さえ掘り返されて瓦礫の山になっていて、50cm程の幅の側道をかろうじて通れる程度だった。普通こういう所へは大きな一本の道が通っているはずなのだが、ここの国境は本当に国境の両側に住んでいる人の為だけの物なのかもしれない。事実ここが外国人に開放されたのもついこの前の話らしく、最新のロンリープラネットを読んでみても、ここは地元民にしか開放されていない模様と書かれている。そんなわけで白人旅行者は皆無だった。

ここは食堂も親切だった。町を歩いていて気になっていた「火鍋」というのが気になっていたので一軒の食堂で看板を眺めていると中に通された。「火鍋で肉半斤(1斤=500g)でもいい?」と訪ねるとすぐに料理に取りかかってくれた。この火鍋というのは中国式すき焼きといったらいいのだろうか?鍋の中で好みの肉と野菜や豆腐を選んでぐつぐつ煮ながら食べるという物だ。考えてみると開封の屋台でおじさんのおすすめとして作ってくれたのもこれの一種だと思う。

言葉が話せないのですぐに外国人だというのが分かったのか結構店員が集まってきた。しばらくしてワゴンに乗せて一緒に煮込む食材を持ってきてくれた。どれも量が多かったので野菜の乗った皿だけを取ることにした。主人はビールを持ってきて「まあ飲め」と言っている「いくら?」と聞いても「お金はいいよ」という。ほんまかいな?と思いながらとりあえずビールを飲み料理をまった。途中注文係の女の子が「ベトナム人ですか?」と訪ねてきたので「日本人です」と答えると更に店の奥から何人かがちらちらとこっちを覗いている。本当にベトナム人以外の外国人が少ないのか、なんだか有名人にでもなったような気分だ(笑)

しばらくして運ばれてきた料理は絶品だった。料理と言っても肉のぶつ切りが入ったスープなのだが、このスープが最高に美味しい。こんな田舎の名もない店でこれだけの料理が出てくるのが中国の凄いところだ。香菜や白菜、チンゲン菜などを放り混んでぐつぐつ煮込んでビールを飲みながら食べるともう気分は最高だ。主人に「美味しいよ」と言うと親指を突きだしてにっこり笑ってくれた。

今までさんざん打ちのめされてきた中国だが、一番最後になって、こんな辺境の町にこんなにも優しさがあふれているとは夢にも思わなかった。情報も何もないのだがこのルートを選んで本当に良かったと思う。「中国ってどんな所?」と聞かれても一言で答えるのが難しくなってしまった。
 

 
東興の町の路地裏
(イミグレの前の道)
 


 

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