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目が覚めるとバルセロナだった。はて?確かマドリッド行きに乗ったはずなのに乗り間違えたのかな?などと寝ぼけているのでのんきなものであった。よく聞くとこの便はバルセロナで一度降りてからマドリッドへ向かうらしい。だからこんなに時間がかかるのか。
バルセロナは結局早朝で例によってスペイン時間の為真っ暗で何も見えなかった。一度行った街だけに少し残念なのだがもう一度離陸すると今度は一時間かからずにマドリッドに着いた。時刻は6時半。やっぱりまだ外は真っ暗だった。
ここマドリッドについては色んな旅行者からさんざん脅されていた。「日本人が一人で歩いていると絶対襲われて身ぐるみをはがれる」だとか「毎日日本大使館にはパスポートの再発行のために何十人も旅行者が訪れる」だとか。噂が噂を呼んでいるのか、まるで「ヨハネスブルグ=北斗の拳説」のようだ。だから正直僕はかなりびびっていた。
そんな訳なのでもちろん資料無しでこの街を訪れるなんて無謀なことはせずに、サファリでコピーしたマドリッドのガイドブックを見ながら地下鉄駅から歩いてすぐの大通りのオスタルに目星をつけて街へ向かう事にした。バスも有るらしいのだが、なんでもバスターミナルから地下鉄に乗り換える所に首締め強盗が網を張っているらしい。やれやれ。
マドリッドの小さな地下鉄に揺られてスペイン広場を降りると外はまたまた雨だった。やれやれ。外は少し明るくなっているとはいうものの油断は禁物だ。近くの建物に入ってカッパを着てから大通りを小走りで歩く。そして目当てのオスタルに飛び込むのだが値段の折り合いがつかず、結局10m程通りを入った所に宿をとった。ここなら明日の早朝出発でも駅まで走れば大丈夫だろう。
宿で荷物を降ろすと早速観光だ。カイロでダラダラした分を取り返さないと(笑)まずカフェで腹ごしらえ。最高に美味しいクリームパンとコーヒーに満足。そう言えばグラナダで買ったショコラの菓子パンもおいしかったな。その後宿の近くにあった王宮へ向かうのだが、これがスペインらしいというか何というか、決められた時間になってもオープンせずに、20分ぐらい待っているとやっと中に入ることができた。
中はスペインっぽいというか何というか。ゴージャスな宮殿だった。特筆する物は無かったが、やはり何部屋かチャイナで統一されている部屋があって、当時の中国の国力はやはりすごかったんだなと感心した。次に向かったのは美術館。僕は博物館が苦手なのだが美術館も苦手だ。ただここマドリッドにはピカソの「ゲルニカ」があるのでこれだけは見ておきたかったのだ。
それはソフィア王妃芸術センターという現代美術館の中にあった。巨大な白いキャンバスに書かれた空爆に巻き込まれて苦しみもがく人達。現代美術というのは不可解な所も多々あるのだが、このゲルニカはとにかく作者のものすごいエネルギーに圧倒されそうになる。これは見に行った甲斐があった。
実ははじめはもう一軒の美術館にも行こうと思っていたのだが、これだけ見るともうおなかいっぱいという感じで、あとは街を歩いてみたり、西アフリカ関係の本を入れるために宿の近くのショッピングセンターへ行ったりして過ごした。今日一日街を歩いた感じでは危険を感じる事は全くないどころか、ここはなかなか歩いていてご機嫌な街だった。
ショッピングセンターの本屋で、ロンプラの西アフリカ(ガイドブック)とミシュランの西アフリカの地図を買って宿に戻る時にはもう陽もどっぷりと暮れて、それでも夜のマドリッドは賑やかで華やいでいた。もちろん治安には気を付けないといけないのだが、ここはそれだけで素通りするにはあまりにももったいない街だと思う。ビビリながらも来てよかったかな?
いつかこんな事が有るだろうと思っていたのだがまさかこんな所でとは。今朝空港でチェックインしようとしたら、いきなり「リターンチケットはお持ちですか?」と聞かれてしまった。まずいなあと思いつつも「陸路でモーリタニアに抜けるから有りません」と言ってモーリタニアビザのページを見せると困ったような顔で「じゃバスチケットかなにかは?」と聞いてきた。
結局この係員には「イベリア航空のオフィスで正規チケットを買えばカサブランカで全額払い戻しできるからそうして下さい」と言うだが、こっちとしてもそんなめんどい事はしたくないし、第一持ち金が減ってしまう上に、モロッコは厳しい外貨制限をかけているというので、全額モロッコディラハムで戻ってきたらたまったもんじゃない。
考えてみれば、日本人のモロッコ入国の条件で「往復航空券」というのはどんな本を読んでも見たことが無い。ひょっとしたら係員が良く知らないという事も有るのかも知れないし、さっきはチェックイン窓口がここでいいかどうか少しおどおどしていたのも行けなかったのかもしれない。そう思って少し離れた別の今度は男の係員の所でトライしてみることにした。
少し助走をつけてから早足でカウンターに近づいて笑顔でチケットをはさんだパスポートを渡す。「オラ(こんにちは)」係員は笑顔でかちゃかちゃと端末を操作する。そして僕の背筋には緊張が走る。そして1分後まんまとボーディングパスが印刷されて出てきた。そして荷物もベルトに乗って流れていく(やった!)その後係員は「リターンチケットはお持ちですか?」と聞いてきたがそんなもん持っているわけは無い。
「陸路で行くから」とビザを見せると、少し困ったような顔をしながらも、「ま、もうパス出しちゃったしいいか」というような感じでチケットとパスを渡してくれた。たまに飛行機にのるとこれだから困ってしまう。まったく。ちょっとヒヤヒヤしたものの、2時間ほどのフライトでカサブランカに到着した。再びアフリカ大陸へと戻ってきたのだ。
案の定入国ではチケットについては一切尋ねられずに素通り同然で入国審査をパスした。そしてここの凄いのは地下まで国鉄が来ていると言うことだった。いちいちうるさいタクシーを振り切ったりせずに、マラケシュへもフェズへも行けてしまう。すばらしい!!僕はとりあえず東の方も回ってみたかったので首都のラバートまでのキップを買って乗り込んだ。
途中乗り換えなんかもあって、ラバートに着いた時には結構な時間になっていて、ラマダーンで何処も開いてないのでそのまま駅前のマクドナルドでセットを食べることにした。さすがモロッコ、値段もヨーロッパ並だった。
夜はモロッコ風のスークを冷やかした。さすがにここラバートは観光地じゃないので噂に聞く悪質なモロッコ人も居なくて楽に見て回ることが出来た。
旅人の間で冗談なのか本気で怒っているのか人それぞれなのだが「世界三大バカ」という言葉がある。もちろん一位はブッチギリで中国。二位は当然のインド。そして三位はエジプトだったりモロッコだったりいろいろと意見が分かれている。
一位の中国は公衆道徳という物が無いに等しく、ギャグでやっているんじゃ?と思う程の群衆行動を見ると明らかで、二位のインドは行きたいホテルを言うと「そのホテルは昨日の洪水で流されて今は無い」とか言って自分の息のかかった宿に連れていこうとするリキシャマンや、その他小学生レベルの嘘を並べる観光客相手の彼らを見ていると納得だろう。そしてモロッコのそれはかなり笑いでは済まない悪質な物だった。
午前中は散歩していると迷ってしまって、何だか王様の廟のような所へ来てしまった。建物や柱がたくさんあって、馬に乗った近衛兵がなかなかイカしていて思わぬ収穫だった。そして荷物をまとめてバスターミナルへ行くと早速だった。英語で何処へ行くんだ?と聞いてくる。今までの経験からこれはバス会社の営業だと思っていたのだが、実はこれは単なる外国人からのチップだけで生活しているような輩だったのだ。
チケット売場に連れていって、それから一方的にバス乗り場に先回りして「ここだここだ」と騒ぎ立てる。一応少しぐらいはチップを上げようかと思っていたら向こうから手を出してきた。30円ほどの小銭を渡すと礼も言わずに去っていった。
しかし結局このバス乗り場は間違っていて、他の人に聞いてバスを見つけて荷物を積もうとするとさっきの男ともう一人の男が出てきて、僕のカバンを勝手にの横に積み込み「お金を払え」ときたもんだ。「さっきあげただろう」と言うと「隣の男に払え」と言う。結局バスの車内まで上がってきたのだが、無視しているとそのうちに去っていった。これはまだタチのいい方らしい。
他にもバスターミナルの出口で何やらもめていて、バスがつっかえているのに門番が運転手と口論して門を閉めてカギをかけたまま動かない。ラマダンでおなかが空いて気が立っているのか、あちこちでつかみ合いの喧嘩が始まる。これじゃ第三位どころか頑張れば優勝もねらえてしまうぞモロッコ人。
バスは例によってうだうだバスで、緑の平地をひた走り4時間と聞いていた所を6時間ほどかかって小雨の降るシャウエンの街にたどり着いた。途中の休憩で食べた日没後のモロッコ風ラマダンフードはなかなかの味だった。
とりあえず通りで降ろされるのだが、いまいち何処か場所がわからずに迷っていると客引きが寄ってくる。まあ今夜の客引きはそんなに悪質じゃないのだが、モロッコではいわゆる「逆切れ」するバカが多くて大変らしい。昔のタンジェでは自称ガイドが群がっていて、断ると「オレのガイド無しにこの街を生きて出れると思うなよ」とか「夜道気を付けろよ」とか脅されたらしい。
あまりにもバカなので、政府がたまりかねて、ガイドの資格の無いモロッコ人が外国人と一緒に歩いていると逮捕されるような法律を作ったらしい。だからモロッコ人は友人をガイドするのに警察で許可証をもらわなければ行けないと言う全く情けないというはアホだ。もっとも向こうから寄ってこない人はみないい人で、今日も宿に落ち着くまでたくさんの人の親切をうけた。
しかし外国人相手の奴らの酷さはこれまで訪れた国の中でもトップクラスだ。やれやれ先が思いやられそうだ。
モロッコにアンダルシア以上に綺麗な白い町があると聞いていた。そして昨日は夜に着いたので全くわからなかったのだが、朝窓から外を見ると、そこには全て真っ白と水色で塗られた迷路のような路地があった。
迷路を通ってどんどん上に登っていくとやがて城壁があって、その外は山々が連なってきた。町の上の小さな丘に登ると一人の白人がビニールシートを引いて朝から寝ていた。「何をしてるの?」と尋ねてみると、どうやらそのカナダ人はラマダーンを実行しているらしい。「地元の習慣を尊重しなくちゃね。良い経験だし」そう言うと彼は起きてシートをたたみはじめた。
彼はなかなかのおしゃべりで、自分の旅の事を延々と話してくれた。彼は自転車で旅をしていて、これからヨーロッパに戻って一度カナダに帰ってからユーラシアを横断するらしい。僕がそのあたりの話をしてあげると喜んでくれた。
この街にもう3日間いるという彼にいろいろ町の市場を案内してもらった。はやりここシャウエンにもタンジェから流れてきたような輩がいっぱいいて気を付けないといけないそうで、特に気を付けるのは「ベルベル人の家を見に来ないか?」と誘ってくる奴らしい。そして彼を別れて市場を歩いているとさっそく声がかかった。「どうだ?ベルベル人の家を見に来ないか?」何とそのままやんけ。
「Non merci」と丁寧に断ると何と奴が次に投げかけてきた言葉は「Fuck you」だった。死ね!頭に血が登ってエジプトでアモーレ氏に習ったアラビア語最大級の罵倒表現「クソマック」を彼の背中に浴びせたが、聞こえていたのか方言がかわると意味がわからないのか、奴はそのまま雑踏に消えていった。
モロッコ人のこの手の商売の奴らはインドやエジプトと違って愛嬌と言う物が全くなく、すぐに逆切れするバカばかりで本当にうんざりしてしまう。なんだかかなり観光気分減退。
その後ラマダーンなので昼飯は抜こうとおもっていたら、小汚い食堂のオヤジから声がかかる。中を見るとモロッコ大衆料理の鍋がいくつかおいてあったのでここで昼飯を取ることにしたのだが、会計の段になって先に払っていた同じ料理を食べていた白人よりも高い料金を請求された。
「おかしいじゃないか?」と問いただすと「お前の食べたサラダはBigだから値段が倍で・・・・・」等々馬鹿な事を言い出す。それぞれの単品の値段を聞いても、最初に言った値段と全くかみ合わない。結局ボろうとしてるからそんなのは関係無いのだろうが、矛盾を問いつめるとなぜか言い値が少し下がって、アホらしかったのでそのまま払った。やはりラマダーンに外国人の呼び込みをやってるような奴はこの程度の人間なのだろう。
更に観光気分減退で市場を去って逃げ込むように居住エリアの迷路へ入っていくとそこはのんびりしてなかなか心地のよい世界だった。かまで何かを焼いている家があったのでのぞいていると、スペイン語で話しかけられて「まあ入って行きなさい(推測)」と言われて、焼いている魚を一切れ食べさせてくれた。
最後にこういうモロッコの素朴な面も見れて少しホッとした気分だった。
やはり旅行者相手のモロッコ人はロクなのが居ない。今日はもうさっさと南へ向かいたかったのだが、それには一度フェズまででないといけないので、朝からバスターミナルに行った。待っていたバスがやってくるといきなりエセ係員が僕の荷物を引っ張ってバスに積み込む。「やれやれ仕方ないなあ」と2DHほど渡すと、なんと「10DHだ」とかぬかしやがる。
ふざけるな!と思ったのだが、色々もめていると「お前の荷物を放り出してやる。お前はもうフェズなんかには行けないぞ!」等とあほなことを言ってきて面倒になって、うるさい犬に食べていたチキンを放り投げるノリで払ってしまった。「はした金と一緒に地獄へ堕ちろ。ア・ラーはお前を許さないぞ」
げんなりして乗ったバスは、さらに道路を外れて小さな集落を回って客を拾ったりするし、おまけにこのバスはスペイン領のセウタ国境から来た物なので膨大な物資が乗っていて、それを降ろす旅に長時間止まる物だからもうたまった物じゃない。結局フェズに着くのに6時間もかかってしまって、何故か町の入り口でバスは1時間程止まって、町に入ったときにはもう4時を回っていた。
朝のこともあって、気分が悪かったのでもうフェズの観光はヤメにした。フェズに来てメディナへ行かないと言う物また良いかも知れない。駅へ行って時間を調べたり新市街をふらふらしているうちにやっと日没になって近所のレストランで食べ物にありついた。なんだかんだ言いながらもここモロッコではけっこうラマダンを実践していたりする。(笑)
モロッコ思ったよりもつまらないと言うのが今のところの感想だ。特に今の季節ラマダーンだというのが大きいのかもしれないが、モロッコのラマダーンはエジプトの様なお祭りの要素が感じられずに、ひたすら嫌な事を耐えているという気がしてならない。特に人々はおなかが空いている上にタバコも吸えないのでイライラしているように見える。
そんなわけでもうフェズの観光はどうでも良くなって、さっさとモーリタニアへ向かうために朝イチで次にコマを進める事にした。行き先はマラケシュ。出発してすぐに車窓一面の朝焼けが見えた。そしてその後延々列車に揺られて8時間程、途中から景色は延々赤い砂漠になってきて、3時頃少し木が多くなってきたと思ったらそこがマラケシュだった。
駅を出ると早速たくさんのタクシーが群がってくるが、思っていたほどしつこくは無かった。ただ宿を探している間、例の馬鹿な逆切れ男につきまとわれて少しうんざりした。とりあえず重要な事から片づけるのが鉄則という事で、まずバス会社のオフィスでダクラ行きのチケットを買う。明日出発すれば金曜日に出発するモーリタニア行きのコンボイに間に合うからこれはぎりぎりの日程だ。390DHと値段は高かったが24時間以上乗り続ける事になるので良い座席が確保出来て良かった。
マラケシュの旧市街の広場は夜になると大道芸と屋台で埋めつくされる。屋台は若干観光客向けのような気もするが、大道芸の方はなかなか地元民も楽しんでいるようだっが、今更こういう雰囲気にときめくには少し中東に長居しすぎたようだ。
バスは午後3時の出発だしせっかくなので午前中にマラケシュの旧市街を観光する事にした。アラブ世界はもう充分とはいうものの、いざ回ってみるとマラケシュのスークはなかなか見所があった。中でも惹かれたのは電球のスタンドやろうそくスタンドを売っているお店だった。金属の骨組みに着色した透き通った革を縫いつけたもちろん一つ一つ手作りだ。短期旅行なら是非1つか2つほど買って帰りたい所だった。
マラケシュは意外とスーク以外にはそんなに見所は無いのだが、イスラムの神学校のあとがなかなか良かった。スペインのアルハンブラやアルカサールのような細かな漆喰細工がしてあって、何故かここのトイレは西側先進国も真っ青なぐらい綺麗で清潔だった。
昼過ぎになったので宿に預けていた荷物を取りに行くと、下っ端従業員が「10DH払え」と言ってきた。そんな馬鹿なと思い宿のオーナーに確認するフリをすると「払いたくなければ払わなくていいよ。好きにしな」と急に態度を変えてきたのでお言葉に甘えて好きにした。まったく2時間ほどレセプションに荷物を置くだけでお金を取るなんて聞いたことが無い。やっぱりモロッコあなどれん。
昼食は観光地のカフェの奥でこっそりと食べた。料理はモロッコ伝統のタジンという煮込み物で、値段も安く味の方も大満足だった。観光客向けの店にしては大ヒットだと思う。しばらく滞在するなら毎日でも通っただろう。ちょっと未練を残しつつバスターミナルに向かうと、時計は3時前で丁度良い時間になっていた。
今回はさすが国営バス会社だけあって、荷物も量りで計って荷物チケットもちゃんとくれた。しかもたったの5DH。やっぱりその辺が妥当な値段なのだろう。ずいぶんとあちこちでぼられたものだ。バスは30分程遅れたものの山ほどの荷物をつぎ込むとモロッコの果てへと向かって出発した。
途中日暮れと同時に休憩を取ってみんな食事をかき込んでいた。そして夜にも近代的なドライブインで夜食をたべて、驚くことに朝4時半頃にも休憩をとって、日の出前の最後の食いだめとばかりに、肉やスープをガンガン食べていた。だったら断食なんてするなよ(笑)
マラケシュから先はほとんど町らしい町もなく最初はミシュランの地図とにらめっこしていたのだが、そのうち町も無くなって地図を見るのもやめてしまった。バスは確実に辺境の地へと向かっているようだ。
朝目が覚めるとラユーンの町だった。ここはもう旧西サハラの領土に入っている。詳しいいきさつは知らないのだが、ここはたしか中学で習ったときにはスペインの領土だった。そして何故だかスペインが放棄した土地にある時モロッコ軍が攻め込んで占領して、今日では事実上モロッコの領土という事になっているらしい。
ラユーンを過ぎると本当にもう街道には時折小さな集落があるくらいで、延々砂漠が続く。確かにスペインもこんな所を持っていても何の特にもならないので放棄して正解かもしれない。時折現れる集落の看板にスペイン語が残っていたりして、それだけがここがスペイン領だった事を物語っていた。
昼を回って、西サハラに入ってから時折遠くに海が見えた。砂漠の断崖が大西洋に現れている様子はなかなか壮観だった。バスに乗ってから24時間を少し過ぎたあたりでバスは道をそれてダクラのある半島の方へ曲がっていった。このあたりは砂も細かく。砂漠と海という不思議な組み合わせが地の果てを思わせる。そして僕はダクラの手前5キロ程の所にあるキャンプ場でバスを降りた。ここで今からヒッチする車を探さなければいけないのだ。
キャンプ場は土間の部屋がいくつかあって一人30DHで泊まれるのだが、お世辞にも30DHの価値が有るとは言えない。とはいうもののサハラ越えの車がたくさん集まるらしいのでここに泊まることにした。
早速止まっている車に声をかけてみるのだが、もう既に乗せる人が決まっている車や、交渉しようにも全く英語を理解しないフランス人の車売り達ばかりで車探しは少し暗礁に乗り上げてしまった。今日中にヒッチする車を決めて明日の朝いちにでもコンボイの登録手続きに行きたかったのにこれではちょっと予定が狂ってしまう。
困っていると既にヒッチする車を見つけたという英語を話すフランス人がいろいろと情報をくれた。まず、最近はサハラ越えの車はこのキャンプ場よりも町中のホテルに泊まっている事が多く、最悪はイミグレーションの手続きだけしておいて、出発する朝に全部の車が集まる集合場所で探すことが出来るという事。そしてコンボイの出発時刻は年々遅くなっていて、当日の朝でも充分手続きが間に合うし、車両ナンバーが必用な「コンボイリストへの登録」は運転手以外はしなくても実際問題ないことだったので、明日出国の予備手続きをして最悪明日中に見つからなかったら当日飛び込むで探してみようと思う。
考えがまとまったところで、ダクラの町に夕食を食べに行くことにした。一本道なのでヒッチをしたのだが、行きも帰りも簡単に車が見つかったし、街の人もみんな優しくて親切で、やはり観光客がモロッコ人をあんなにしてしまったのだろうか?と思うと少し複雑な気分だった。
それにしてもこの小屋は室内に電気さえ無いなんて、、、やっぱり町中のホテルに泊まるべきだったかな。
朝起きてみると小屋の前に新しい車が増えていた。ドライバーはフランス人で英語を少し話すのでいろいろと助言をしてくれた。とにかく出国の手続きだけ先にしておこうと朝からダクラの町のシュルテと呼ばれる警察の建物へ行った。途中さっきのフランス人に会って「さっき警察にマイクロバスでサハラを越える奴が来てたから、たぶん乗せて貰えるかもしれない」とわざわざ教えに来てくれた。そして警察で手続きをしているとそのドライバーが向こうから声をかけてきた。
もちろんそういう人はズバリお金が目当てなのだ。出来たらタダかガソリン代半分で乗せていってくれる車を探したかったのだが今日を逃すと次のコンボイは5日後なので、こんな所で何をすればいいか途方に暮れてしまう。最初の言い値の$100を$75まで値切って結局彼にヌアクショットまで連れていってもらうことにした。
ずいぶんな金額だが、僕は寝袋を持っていないので砂漠の外で夜を越すことは出来ない。だから僕の必須条件として「車内で寝れる」と言うのがあった。そして彼の車はマイクロバスなのでその辺は全く問題が無く、結果的にはベストな選択だったのかもしれない。乗せてもらう車が決まったので念のためそのまま軍のヘッドクォーターへ行って、コンボイリストの方にも登録しておくことにした。
明日出発できる事になったので買い物で大忙しだ。缶詰、トマトキュウリ等の野菜、果物、水6本、コーラ、フランスパンととにかく買い込む。まあヌアディブまで通常1泊2日なので6食分+非常用にその倍を用意した。余ってもどうせヌアクショット間で更に2泊3日かかるので物価の安いモロッコで仕入れておく方が良い。
たくさんの買い物袋をぶら下げてヒッチした車の運転手は何と日本に魚を輸出する仕事をしているらしく片言の日本語を話した。こんな所からも日本の食卓へ魚が届いていたなんて驚きだ。そしてもう一つ驚いたのはおじさんが携帯電話でしゃべっている言葉がスペイン語だったこと。どうやらおじさんの母国語はスペイン語らしい。やはりここは少し前までスペインだったんだ。
宿に帰って夕日を見ながら明日のことを思うと久しぶりにドキドキしてしまった。
僕は少し心配になったので、余ったモロッコディラハムを全て食料に換えるべくあちこちの店をまわる。ジョゼは車の整備代金を払ったり、モーリタニア人で売るりつける為の古い家電なんかをあちこちからかき集めたりしている。そしてなんだかんだのうちに結局時間は11時になって、そのままコンボイの集合場所へと向かった。
集合場所にはもう既にモロッコ人やモーリタニア人の車も含めて50台程が集合していて、長々とチェックを受けている所だった。そしてそのチェックは遅々として進まず結局コンボイが出発したのは午後2時半頃だった。
パスポートを集められてほぼバラバラに出発する。これじゃあんまりコンボイの意味が無いなあと思っていたら、50キロほど走った軍の基地で再び集合して隊列を組み直す。そしてここでまた時間がかかって、そこを出発したのは何と日も傾いた午後5時の事だった。
この分だと国境につくのは夜中になるかと思ったのだが、道路は道幅が狭い以外は全線きわめて良好で、午後9時頃には国境近くの軍のチェックポストに到着した。そこで各車はテントを張ったり外で自炊をしたりする。今は使っていない一応窓ガラスのない土間が何軒かあって、寝袋があればその中でも眠れるようだが、僕はマイクロバスの手すりを上げて狭いシートに横になって眠る事にした。窓からは眩しいばかりの満月の光が差し込んでくる。
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