このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新天地ネパール編
(カトマンズ〜ポカラ)
 

3月6日 ごねればまかる(カトマンズ)

昨日の夜は早めに眠ったのだが、今朝は朝寝坊だ。どうも宿の部屋が昼間でも暗いのがいけないらしい。そんなわけでさっそく時計を見るが考えてみたら時差を直していない。本によるとネパールの時差は日本と1時間15分らしい。実際緯度からするとそんなもんかもしれないが、国際ビジネスなんかをしてる人にはめんどうで仕方ないだろう。

時計を15分巻き戻してインド大使館へ。ビザ待ちは香港で懲りたので、今回は一番時間のかかるインドビザの申請を初日にやってしまう事にした。とはいうものの、初日は犯罪歴なんかを問い合わせる為のテレックスの申し込みをするだけで、1時間半も並んだりした割に5分で申請が終わり、1週間後に結果が張り出されるそうだ。

日本でのあんな事やこんな事やちょっと人には言えない事はあるものの、刑事事件に引っかかるような事では一度も捕まっていないので大丈夫だろう(笑)そしてテレックスの回答が届いてからビザを申請すると当日の夕方に貰えるらしい。

午後からは例によってふる里で定食を食べてからカトマンズのナンバー1観光名所であるスワヤンブナートへ行くことにした。ここは丘のてっぺんにあって、頂上にはネパールっぽい少し眠そうな目が書かれた仏塔が建っている所だ。自分が泊まっているタメルからは徒歩で40分程度かかるのだが、ここは土地勘を付けるために歩くことにした。

タメルから西へ向かってしばらく歩くと徐々に風景がツーリストエリアから普通の商店や民家に変わってきた。お世辞にも綺麗とは言えないゴミの落ちた埃の舞う土の道や煉瓦づくりの家が少し中国を思い出させた。更に進んでいくと急に川沿いにでて、川の向こうにスワヤンブナートの仏塔が見えてきた。

塔をめざして歩く歩く。でも距離はかなりあって、いしかも麓から頂上まで階段で150段ぐらいあってどんどん息が切れてくる。そしてぜーぜー言いながら頂上に着いたそこで見たものは、、、なんと料金所。たしかスワヤンブナートは無料だったはずなのに。ちなみに値段を聞くと15と言うのでまあしゃーないかと20Rs札を出すと「違う50だ、50!!」と言う。今考えると100円弱なのだが、その時はとてつもなく高く感じてなぜか急に腹が立ち「じゃ、いらねーよ」と来た道を引き返してしまった。

しかしここからの景色はなかなかよく、しばらく階段に座って風景を眺めることにした。「やっぱりここまできて入らないのはもったいないよなあ。でもああいった手前今更お金払うのもかっこわりー」とかぼーっと考えていると、こんな貧乏人の日本人を不憫に思ったのか、急に料金係が「もうしかたねーなあ、お前行っていいよ」とタダで入れる事になった。なんだか不思議なのだがとにかくただで中に入れる事になった。

スワヤンブナートの中はもう完全に観光地で、おみやげ物屋が軒を連ねていたり、たくさんの白人がビデオや写真を撮ったりしていた。とはいうもののさすがネパール仏教で一番重要な寺というだけあって見所はたっぷりだ。あちこちの写真をとったりマニ車を回したりしてから景色の良い所を探してしばらくカトマンズの町を見下ろしていた。

すると急に17〜8才の少年が英語で話しかけてきた。「何処から来た? オレは仏教徒だがお前もそうか?」とかなんとか。その後は「オレは熱心な仏教徒だからいろいろ知っているから教えてあげる。今から一緒にぐるっと一回りしよう」とか言ってきた。話の流れから怪しいなあとは思ったのだが、とりあえず断る理由も無いので5分ほど彼の後を着いていった。

そしてしばらくして「なかなか良いガイドだろ?」とか言い出すので、ガイドを雇った覚えは無いし、お金もないというと「自分の好きなだけ払ってくれ」とかお金を要求してきた。当然拒否すると「$4でいいから、いや$2でいい」と後を着いてくる。こういうやり方をされると一番腹が立つし、その後の全部の親切が信用できなくなってしまう。とにかく腹が立ったので無視して階段を下りていくとニヤニヤしながらまだ後を着いてくる。

人通りが少なくなって「少しやばいか?」とふいに左手がポケットの中のナイフを握りしめる。少年は「タメルに帰るなら一緒に帰ろう」などとぬけぬけと言ってくるので「じゃかえらねーよ」とまた階段を登り始めると今度は追いかけてくる様子もなく口笛を吹きながら階段を下っていった。やれやれだ。

またまた階段を上る自分がなんだか馬鹿馬鹿しかったが、再び上に着いたときには西の空はオレンジ色に染まっていた。しばらく眺めていると日本人の女の子が登ってきたので「ごねたらまかるよー」というとその通り料金所でゴネ始めた。そして料金所の親父に思いっきりにらまれたが、その女の子もタダで登って来れたようだった。

こんなはした金でごねるのはどうかとは思うのだが、外国人だけから取ろうと言うのがどうもいただけない。しかも同じ仏教徒なのに。やはり無料にして寄付を募るのが本当のやり方なんじゃないかと思う。

そんなこんなしているうちにだいぶ風が出て寒くなってきたので町に戻ることにした。やはり今日も昨日に続いて停電しているみたいで、小さな商店の窓からたくさんのろうそくが見えて、まるで中世に逆戻りしたような雰囲気だ。

この日もやはり町に着いて夕食を食べると急に眠くなって、宿に帰ってすぐに眠り込んでしまった。まったく最近寝てばっかり、、、、
 

 
スワヤンブナートのストゥーパ(仏塔)
 


3月7日 発見旧市街(カトマンズ)

今日は何をしたかと言われると例によってダラダラとした一日だった。少し反省。10時頃に起き出して洗濯。実はこの宿の屋上にはまだ上がったことが無かったのだが、屋上には強い日差しが照りつけ洗濯には絶好の場所だ。たらいでごしごしとシャツやパンツを洗ってから屋上に干していく。この分だと2時間ほどでカラカラに乾いてしまいそうだ。

一仕事するとおなかも空いてきたので「佐藤くん」に教えてもらった欧米人に人気のベーカリーへ。ここは値段も安くて朝行くと焼きたてのパンが食べられるらしい。ポットのティーとドーナッツ、クロワッサンで70Rs。外国人向けのベーカリーにしてはまあまあといった所だろう。

腹ごしらえしてから次は銀行へ。ネパールについた日に銀行で$200両替したのだが、受け取った札が1000Rsばかりでよく考えてみるとそんな高額紙幣はなかなか普通の店で受け取って貰えない。そんなわけで町中の銀行で崩してもらう事にした。一軒目の銀行は白人だらけで満員で、永遠に順番が回ってきそうになかったので、少し奥まった所の銀行に行ってみた。こっちは貯金窓口の方はガラガラで、すぐに500Rs札と100Rs札に両替してもらうことができた。これで当面は大丈夫だ。

「一日一仕事」(笑)を終え宿に帰り、デジカメの写真の転送や日記の整理なんかをしてから屋上に洗濯物を取りに行ったら風で飛んでいたのか誰かが別の場所に洗濯ばさみでとめておいてくれたようだ。ただパンツが一枚足りないので探し回っていたら、最上階に泊まっていたフランス人に声をかけられた。パンツは程なく見つかり、その後彼らと今までの旅なんかについてしばらくしゃべったりした。

彼らはグループという訳では無さそうなのだが、フランス人3人で部屋をシェアしているようだった。その中の一人はアンナプルナBCへ行ったというのでいろいろ話を聞かせてもらったのだがいかんせん英語が下手でもう一人のフランス人に通訳してもらいながら情報を教えてもらった。彼らによると今の時期なら「ダウンジャケットなんていらないよ」と言うのだが、白人と東洋人の皮膚感覚の差にはNZ時代に結構泣かされていたので要注意だ(笑)

洗濯物を取り入れてから今日の観光ダルバール広場へ。ここはタメル地区のずっと南にあるのだが、タメルを下っていくと次第に地元民のエリアになり、ストゥーパ(仏塔)なんかが現れてネパールにいるという雰囲気を味わえる。そして旧王宮を中心にダルバール広場には様々な寺院が立ち並んでいて、その辺りをぐるぐる回っているだけで観光出来てしまう。

ただ観光地なので立ち止まったり座っていると「ガイドシマス」とか「チョトミルダケ」とかうるさいのが寄ってくるのは何とかして欲しいのだが、インドへ行くためのトレーニングと割り切る事にする。実際この辺のお土産物屋も店によってはタメルよりもかなり安くなっているので買い物をするならそんなに悪くはないだろう。

出かけるのがあまりにも遅かったため、すぐに日が傾いてききたのでタメルに戻ることにした。今日もやはりふる里へ行ってしまった。そしてビーフステーキ定食と言うのを食べたのだが200Rsの割には和風おろしが乗っていてなかなかいい感じだった。この分だと毎日通ってしまいそうで怖い(笑)
 

 
ジェッチェンのダルバール広場周辺
古い寺院や王宮が建ち並ぶ。
 


3月8日 排ガス地獄(カトマンズ)

ネパールのカトマンズと言うとどういうイメージがあるだろう?雪のヒマラヤに囲まれた公園、青く澄んだ空?しかし現実はそんなに甘くない。特にネパールが寒い国というのは山の上だけのことで、カトマンズははっきりいって暑い。冬の3月でさえ日向にいたら昼間は半袖半ズボンでちょうどいいぐらいだ。

そして最悪なのは公害。ここカトマンズの空気は今まで旅してきたどの町よりも最悪に汚い。30分も外出すればもう喉が痛くて仕方ないほどだ。理由は盆地で空気がよどんでいるのと、走っているインド製の車が最悪でオートリキシャが青色の排ガスをはきながら側を通るともう息をするのをやめようかと思うほどだ。最近は電気リキシャもたくさん走っていて一応危機感はあるみたいだがまだまだ焼け石に水、糠に釘、のれんに腕押し、ご飯に茶碗蒸しだ(謎)

そんな毒ガス渦巻く中を今日はもう一つの寺院、ボダナートへ出かけることにした。自分が乗ったテンプー(乗り合いトゥクトゥク)は電気式でエコなのだがいかんせん道路自体が排気ガスで満たされているのでたまらない。しかもテンプーはいつも時速20キロぐらいで走っているのでなかなか目的地に着かない。そして渋滞。

しばらくして運転手が「ここで下りて2分ほどで○△□」とかいうのだが、全くそれらしい物は見つからないので乗り換えなのかと思い、後からきたテンプーに聞いてみると「オッケー乗りな」というので乗ったら5分ほど走ってここだという。「???」と思っていたらテンプーから下りてきて少し歩いて指をさす。たしかに建物の隙間から例のネパール式仏塔が見えた。なんだかスワヤンブナートのような丘の上にある寺を想像してたので指をさされるまで全く分からなかった。
 
 ボタナートはスワヤンブナートと違って、町のど真ん中に紛れるように建っていると言った感じで、敷地のすぐ外にはおみやげ物屋やホテル、民家などが密集している。仏塔の方はスワヤンブナートよりもかなり大きく、台座の部分に登ることが出来て、町を見渡せる。そしてこの辺りは亡命チベット人がたくさん住んでいるらしく、五体投地で礼拝するチベット人も何人か見ることができた。

出かけるのが遅かったために帰る頃になるとだいぶ日が傾いてきた。最近昼過ぎまで洗濯したりごろごろしてることが多いのでなんだか一日が短い。
 

 
ネパール最大のストゥーパ、ボダナート
こっちは街のど真ん中にある。
 


3月9日 中世の街(カトマンズ〜パタン〜カトマンズ)

今朝はダメもとでインド大使館へ行ってみることにした。ネパールで取るインドビザは少し複雑で、まず最初にテレックスで自分なら日本の大阪に犯罪歴なんかを問い合わせて返事があるまで待たないといけないらしい。そしてその返事は7日後と言われたのだが、情報ノートなんかによると早い人は4日後ぐらいで返事があってその日にビザを受け取っている。そんなわけで早くビザをゲットしてポカラへ出動するべく足を運んでみたのだがやっぱり無駄足だった。

テレックスは8日分までしか張り出されておらず、その8日もたった5人だけで明らかに少ない。何日かためてから送っているのかもしれない。とりあえず明日も行ってみる予定。

そして宿に帰って洗濯をしようと思ったら、なんと水が出ない。宿の人が言うには「No water」こらこらNo waterじゃないってば。なんだかカトマンズは毎日必ず停電があるのだが、水もたまに止まるらしい。特に今の季節は人口が増えているのか、そういったインフラが圧倒的に不足しているようだ。仕方ないので観光へ出かける。

今日はカトマンズの衛星都市パタンに行ってみる事にした。ここは「昔のカトマンズの面影をとどめる」とか言われている、要は古都っぽい観光地なのだがたった4Rsで行けるので行かない手は無い。街のバスパーク(ネパールでのバスターミナルの呼び方)で現地人に聞くと「これだ」と26番のバスを指さしたのでそれにゆられてパタンへ。

距離もさほど無いので20分ほどであっけなく到着。途中隣に座った年配のお坊さんがなにやらいろいろネパール語で話しかけてきたりしたので、適当に相手をしていたらなんだかニコニコしていい感じだった。バスはパタンの外れで終点で、バスドライバーが観光エリアの方向を教えてくれたんで坊さんの後ろをそっちに歩き出した。

街の入り口にはアーチがかかっていて、そしてその後に見たものは、な、何と!!またもや料金所。しかも200Rsだと!!「ふる里」の豚カツが食える程の大金だ。しかも中に入ってからも博物館でまた何百ルピーも請求されるのにどうも納得できない。そんな訳でゲートの手前を曲がって狭い路地に入っていく。住民エリアを経由していくとゲートも無いはずだ。そしてその勘はばっちりあたり、無事街の中に入り込むことができた。

地図とにらめっこしながらダルバール広場を目指す。町並みはたしかにカトマンズよりもかなり古く、広場も昔の王宮を中心に中世のようでいい雰囲気だ。そして欧米人の団体についてゲートをくぐったら、そこは王宮の博物館だったらしく、フリーパスで入れたのだが内側には「入場料120Rs」と書かれていた。密かにびびってしまったが、なんだか団体旅行だと思っているらしく、特に入場料を請求されることは無かった。
 
その後いくつか寺院なんかを回ってみたが、結局ここはそう言ったものよりも町並み自体が観光名所なようで、街を歩いているだけで結構楽しい。そして細い路地が有ったのでちょっと入って見ると、中は迷路のようになっていて、奥の方は肩の高さぐらいの入り口がいくつもあって、そんなところをいくつかくぐるとふいに小さな寺のある広場に出た。中では地元の人がトランプ博打に熱中してたりして完全に地元民エリアなのか、珍しそうにきょろきょろと見られてしまった。その奥にはリカちゃんハウスのような窓がいっぱいある集合住宅があったり、偶然見つけた不思議な空間に嬉しくなってしまった。

結局入場料を払うような所にはどこも入らず、往復のバス代8Rsで十分に一日観光できてしまった。なんだかお得な街だ(笑)浮いたお金で夜はいつもの「ふる里」とはちがって「古都」に行くことにした。こっちは旅行雑誌「旅行人」が置いてあって結局2時間ぐらい熱中してしまった。味の方はやっぱり「ふる里」にはかなわないが雰囲気が日本料理屋っぽくてウェイターの対応も高級っぽい。ただ150Rsと宣伝して置いて税金がちゃっかり上乗せされているので見かけほど安く無いのでやっぱりトータルで「ふる里」の勝ちだろう。

それにしても毎日日本食だな。
 

 
パタンの金物屋
なんだか中世っぽくて町並みに馴染んでいる。
 


3月10日 やられた(カトマンズ)

「インド人嘘つかない?」とか「インド人もビックリ」だとかなんだかいろいろと変なたとえに使われるインド人なのだが、実は会社員だった頃、アメリカにあるインド人のベンチャー企業のLSIを使った製品の開発をやっていた事があった。とにかくインド人はいい加減なのだ。話が違うとか言うのは当たり前で、ノープロブレムは大プロブレムなのだ。

そんなわけで今日もインド大使館通いなのだが、5日も経ったのにいっこうにTelexの返事は未だ届いていなかった。しかし最悪7日間待たなければ行けないと言われたのであきらめて月曜日に行くしかない。一気に3日間もカトマンズ滞在の滞在が延びてしまった。しかもインド人の事なので月曜に出来るという話も怪しい。そんなわけで朝からブルーだ。

そして、ここ1週間の間にカトマンズの観光名所っぽい所はほとんど回り尽くしてしまったのでする事が無い。仕方がないので、街をぶらついたり、屋上で洗濯をしたり本を読んだりとダラダラした一日になってしまった。

一日の〆はやっぱり「ふる里」の定食で、タイに居るときにはほとんど地元の料理を食べていたのだが、ここネパールでは夜は日本食しか食べていないような気がする。結構な値段(200Rs)なのだが味の方がこれまた美味しくて思わず毎日通ってしまう。ほかにも「古都」や「味のシルクロード」(味シル)といった店もあるのだが、もう時代は完全に「ふる里」のようだ。

そんな感じで、帰りにキットカット(25Rs)を一つ買ってメールを読みながらぼりぼり食べたり。なんだか毎日が繰り返しになってきた。ああ、早くポカラへ行きたい。



3月11日 無料突破第3弾(カトマンズ〜バクタプル〜カトマンズ)

する事も無いので、カトマンズ近郊の村バクタプルに繰り出すことにした。ここはパタンと似たような感じで古い町並みが残っている景観保存地区なのだろう。例によって主な道路に「外国人だけの料金所」があってゲートを通ると何と300Rsも取られてしまうという。

そんなわけでゲートの少ない村の南側に着くトローリーバスに揺られて1時間、街の南のトローリー乗り場に到着した。とにかく道路が超微粒子の砂で、車が一台通るともう呼吸も出来ないほどでいやになってしまう。そんな道をクラクションを浴びながら歩くこと10分。おそらく外国人なんて通りようが無いだろう細い路地を見つけてそこから街の中心を目指す。

案の定こんな所にはゲートは有るはずもなく、無事街の中心のダルバール広場に着くことが出来た。基本的にはカトマンズのジェッチェンやパタンと似たような雰囲気なのだが、ここは街から遠いこともあって、より古い町並みが残っていて、街を歩いているだけで楽しくなってしまう。

良くも悪くもここはいわゆる観光地で、日本語や英語で声をかけてきたりする人が多い。大人から子供までいろいろいる。大体目的は案内をしておいて後でガイド料を要求するのや、仲良くなっておいてから「見るだけで良いからうちの店に来てくれ」と誘うケースやら、その他いろいろ。ただ中心から少しはずれると地元民用の店とかもあって、排気ガスと埃で喉をやられていたのでたまらず瓶のスプライトを飲んだのだが、明朗会計の11Rsだった。そしておばちゃんは全く英語がしゃべれないようだった。

ここの名所はいわゆる寺院とアートギャラリーそして木彫博物館らしいのだが、どこも最近の例に同じで5倍〜10倍に値上げされていて入る気がしなかった。そしてそんなところに入らなくてもこの町は十分楽しめるのだ。

ニャタポラ寺院という塔の上の方まで登って見下ろすと、赤っぽいバクタプルの村の向こうに緑の段々畑や菜の花が咲き乱れている。そして強い日差しと乾いた冷たい風。こんな山奥の村にももう春は確実に訪れているようだ。「日本もだいぶ暖かくなっただろうか?」なんだか少し自分の住んでいた町の事を思い出してしまった。
 

 
バクタプルの町並み
町外れの坂を天秤棒の親父が登っていく
 


3月12日 手紙日和(カトマンズ)

カトマンズ滞在が伸びたのだがもう完全にする事がない。こんな事ならもっと1Day、1Thingを徹底しておけばよかった。なんだかだらだらしているつもりが結構急いで用事を片づけてしまっている。

そんなわけで、ノートパソコンに入っている他人の旅行記を読んだりメールを書いたりして夜更かししていたので今朝は朝寝坊だ。11時頃から起き出して、情報ノートおすすめの「Mt.Everest Restaurant」(雪山飯店)に行ってみる事にした。

ここは親切なチベット人のおばちゃんがやっていて値段も安いのだが、いかんせん店の場所が悪く、そしてテーブルも3つしかなくて人が居ないのでなんだか入りにくいのが原因だろう。さっそく麻辣豆腐とチンジャオロースーを頼んだのだが、お茶がジャスミンティーだったので中国時代を思い出して少し懐かしかった。

材料の問題も有るのか、豆腐の方はいまいちだったが、チンジャオロースーの方はかなり美味しかった。そしてチベットっぽく花巻なんかを一緒に食べてみたがこれもなかなか良かった。そしてご飯も一緒に頼んだのだがこれが丼に山盛りで結局ほとんど食べきったのだが、もうおなか一杯で動けないほどだった。こんなに食べたのは中国以来だと思う。

ご飯を食べるとまたする事がなく、ここで一気にいろんな人に手紙を出すことにした。そうと決まればさっそく絵はがき屋へ直行。8枚ほど選んでそのまま宿の屋上に上がった。日差しは強いが風が涼しいので丁度いい感じだ。屋上でハガキを書き上げると日も少し傾いてきた。その後情報ノートやインターネットで仕入れた情報を整理したりしているとアッという間に夕暮れだ。そして日曜日お約束の停電。

電気が止まると本当にもうする事が無い(笑)そんなわけで早めの夕食を食べに最近没落著しい「味のシルクロード」へ向かうことにした。ここはかつて日本人で溢れ返っていたそうなのだが、最近「ふる里」に押されて客がほとんどいない。結局自分が食べ終わるまでに来た客はわずか2組だけだった。

最近の味シルは「味もいまいちだし、量が決定的に少ない」と言われていたのだが、昨日に限って言えば量の方は結構あった。値段も他のレストランよりかなり安めだ。味はいまいちとはいえ店員も親切だしなんだか少し可愛そうになってしまった。たぶんこのままでは来年までには確実に潰れてしまうだろう。店内にはかつての繁栄を物語るぎっしりと書かれた情報ノートが置かれていた。

ポカラ店の方はまだいけるというのでそっちの方も是非行ってみるつもりだ。しかし本当にネパールは日本食天国だと思う。



3月13日 ノープロブレム(カトマンズ)

今日は待望のビザが下りる日だ。喜びいさんで朝イチでインド大使館に向かう。大使館についたときはまだ今日のテレックスは張り出されていなかったので少し待っていたら係員が貼りに来た、さっそく自分の名前を探すが、何と欧州人の名前が5人ほどあるだけで日本人は何処にもない。やられた、やっぱりこいつらインド人だ、、、、、

とは言う物の、今日で正式に1週間経過したので堂々とオフィス内に問い合わせに行ける。一応テレックスのカウンターで「1週間過ぎたのに名前が無い」と言うと、奥の面接官の所に行けと言われた。またまた長蛇の列に並ぶ。

やはり同じような人はたくさん居るようで「オレはもう10日待っている」とか「7日目だ」とか言っていた。そして自分の番が回ってきて面接官に「1週間前にテレックスの申請をしたんだけど、未だに名前が無い」というと面接官は「ノープロブレムだ」と言い、ビザの申請用紙の端っこになにやら書き込みをしてから「これを記入してカウンターAね」とのたまった。

おいこら何が「ノープロブレム」だ!!テレックスの返事届いてないんだろう?何のために300Rsも取ってテレックスを送ってん?このように実はテレックスの結果が届いて無くても何の問題も無くビザが取れてしまうのだ。いったい何のための制度なんだろう?絶対オレのテレックス代は奴らのポケットに入っているはずだ。まったくインド人もビックリだ。

まあビザが取れるという事なら文句は無いのだが、結局無駄に1週間も待ってしまったのが少し不満だった。さっそく申請書を記入してカウンターに持っていく。2100Rs也。えらい高い。そしてなぜだか知らないのだが、6人ぐらいの白人が当たり前のように並んでいる人を押しのけて割り込み申請をしていた。誰も文句を言わなかったのが不思議だったのだがいったい何だったんだろう?そう言えば現地人が場所取りをしていたような気もしたのだが、何も分からないようで、いちいち場所取りの現地人に同じ事を何回も質問していた。

自分の申請はあっけなく受理され引換証を渡された。ここまで約2時間。こうして「集金以外に何の意味も持たない」と思われるビザが無事発給される事になった、、、はずであったのだがしかし、現実は甘くなかった。

約束の4時半にインド大使館へ向かう。そして天気はこれからの出来事を暗示するかのように、突然大粒の雨が降り出した。まさにインド人の呪いだ。大使館の窓口で引換証を見せるとすぐにパスポートを返してくれた。ここまで長かっただけに喜びいさんでページをめくると、、、!!何とビザの期間が15日しか無い。これじゃトランジットビザやないか!!ムッキー!ファッキンインド人め!!怒りを堪えてひきつった笑顔で「だんな〜、ツーリストビザ申請したんすけど15日しかないっすよ、、、」とたずねると「おっと、すまんねえな」と誰かを呼びつけて自分のパスポートは再び奥の部屋に。シールをバリっとはがして貼り替えるのか、それとも訂正印を押して追記をするのだろうか?果たしてその答えはいかに、、、

しばらくして音沙汰が無いのでもう一度受付に行くと全く何もしていなかったようで、他の係員を呼びつけて「有効期間」の欄を歪んだ横線で消してその上に新しい日付を書き直した。なんじゃそりゃ?そして「ノープロブレム!」、、、何がノープロブレムだこら!!!これは絶対イミグレでもめる。下手したらバクシーシ攻撃に会うかもしれない。食い下がってみるも空しく「ノープロブレム」を連発するだけだった。「ここにオレのサインが有るからノープロブレムだ」たしかに筆記体の「I」みたいなのが書いてあるのだが、こんなんでいいんだったら簡単に自分で10年ビザ作れるってば。
 
そういえば、以前コ・ピーピーで会った少しミステリアスなおじさん「スズキさん」がボソリとこんな事を言っていた。「インドはね〜・・・・・呼ばれなきゃあ〜・・・・・・ 行っちゃ駄目ですよ・・・・」やっぱり自分は呼ばれてないのだろうか。元々インド何て行きたくは無かったのだが以前「夕子」に「インドも見ずに何が世界一周やねん」と冗談混じりに言われたのを真に受けてし、やっぱりバラナシは行っておこうと思ったのだ。

でもたぶんこれはまだまだ序章なのだろう。乞うご期待!
 

 
子供の落書きのように訂正されたビザ
こんなんでインド入れるのか?!



3月14日  脱出(カトマンズ〜ポカラ)

いよいよ脱出できる。カトマンズでの全ての用事を片づけて、ついに昨日の夜ポカラ行きのバスチケットを買うことが出来た。そして今朝は6時に起きていざポカラへ。久しぶりの移動に少しわくわくする。

指定された時間に大通りへ行くとたくさんのツーリストバスが並んでいた。近寄って来た男が「どこのバスなんだ?」と言うのでチケットを見せると一台のバスを指さして「アレだ!」と教えてくれた。ただこの男はタダの宿の客引きのようで、しつこくポカラの宿を薦めてくる。「自分で宿を見てから決めたいんだ」と丁寧に3回ほど断っても「オレのトモダチの宿で、ナイスでチープでカンファタブルだ!」などとしつこく延々一方的にしゃべりまくるので、遂に怒鳴ってしまった。「ノーサンキューだと言ってるだろ!!」
 
朝からいまいち乗り切れないしバスは250Rsも出した割には席も狭く、「快適なミニバス」というよりは、「大型じゃないだけの中型バス」と言ったところで、バスもインドのTATA製でちょっとガッカリだった。そしてツーリストバスのくせに途中で空いていた席の分を客待ちしたり、ペトロールを入れるのに30分も並んだりとかなりいらつかされたが、1時間後バスは無事ポカラへ向かって出発した。

ここで思ったのだが、バスに乗ってみるとその国の「国としてのレベル」が分かるような気がする。約束はちゃんと守るか、そして「先進国の言うところの道徳観」はあるか?別にレベルが高い方が偉いというつもりは無いのだが、これは結構的を得てると思う。そんなわけでネパールは二流半、ラオス、カンボジアは三流、一流はマレーシアと韓国と言ったところだろうか。

ぐねぐねとした山道を揺られながらうつらうつら。当然約束の5時間で着くはずはなく、7時間丁度でバスはポカラの「ツーリストバスパーク」というターミナルに到着した。そしてそこにはイナゴの大群のごとくおびただしい数の客引きが、、、、ああ、またか、、、、

「ユー ゲストハウス Sir?」「オンリータクシー、ダムサイド10Rs」(嘘言うな!)「チープね、キレイネ、ミルケミルダケ」「ハロータクシー、ダムサイド?レイクサイド?」「トモダチトモダチ、ドコイク?」「ユーニードゲストハウス?」(以下無限ループ)そしてバスターミナルから歩き出すと20人ぐらいの男が後を着いてくる。

最初は一応相手をしていたのだが、あまりに人の話を聞かずに一方的にしゃべるので遂に「うるさい!!!!!!!!」と大声で怒鳴ってしまった。すると一瞬おとなしくなる物のやはりたったの一瞬で、その後はまた一方的にしゃべり続ける。もう完全に無視の体勢に入ってひたすら町外れを目指した。200m程歩いた所で遂に連中はあきらめたのか着いてこなくなったのだが、その後も宿探しの間「トモダチトモダチ、ドコイク?ダムサイド?」などと次から次へと声がかかる。もううんざりで、しかも日本語でトモダチ、チョトマテなどと話しかけてくるのが非常に勘にさわる。

そして30分後やっと一軒のまともなホテルに荷物を下ろすことができた。Nascentという所で、ポカラでは日本人はかなりナメられているらしく、レイクサイド等は日本人だと分かる値段をふっかけてきたり、また場所に限らずトレッキングに行っている間に預けている荷物を盗まれたりという話をたまに聞くので宿だけは慎重に選ぼうと、あらかじめいろいろな所で情報ノートをチェックしておいたのだ。

そしてこの宿は情報通り怪しいところもなく親切で、そして何よりも気に入ったのは部屋や屋上から真正面にヒマラヤのマチャプチャレが見える所だった。やはり3月に入るともう天気が悪く午後になると雲に隠れてしまうのだが、きっと朝早くならよく見えそうだ。明日の朝が少し楽しみだ。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください